生命の教育 とは

 

 人の偉大なるは、人それ自身の本質による。金の良質なるは、金それ自身の本質による。金は、鉱石を外から磨いても純金と成るのではなく、その本質を抽出するところに、純金が顕現するのである。
 人間の教育もかくの如く、人間を外から磨くよりも、その本質を内より抽出することによって完成するのである。
 しかし、人は金よりもなお偉大なるものである。
人は生命であるから、本当に自然に放任するとき、栗の実が毬を破って出ずる如く、自ずからその本質の善さを露呈するのである
 
 人の偉大なるは縛られてよくなるのではない。
「本当の自然にまかす」とき、内在無限の善さが、内在無限の能力が、内在無限の知恵が、内より露呈して発現するのである。
 しかし「本当の自然にまかす」とは、何であるか。それはただの放任ではない。
大生命を知り、大生命に任せるのである。ただの放任は、「自然にまかせた」ように見えていて、その実は今までの「悪しき惰力」に縛らせている場合が多いのである。
 そうではなく、
人それ自身に宿るところの大自然を呼び出して、それにまかせて教育するのが、吾らの生命を培う教育である。
 人それ自身に宿るところの
大自然とは何であるか。これこそ吾らに内在する神性であり、仏性である。この内在の神仏を呼び出すは言葉の力により、文章の力による。(後略)    

 谷口雅春著「生命の根源を培う新しき教育」はしがきより

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