アンテナの誕生ーポポフの発見ーmenu
 カミナリは電気です。稲妻は、1億ボルト近い電気が空中でスパークして巨大な火花を発し大地へ抜ける際見えるものです。この時、轟音(ごう音)とともに電波が出ているはずです。1893年ごろ、ロシアのポポフは、こう考えてカミナリの研究に関心を寄せていました。そこへロッジのコヒラ−(電波を感知する装置)による電波感知の実験が伝えられました。ポポフは、これでカミナリの電波を検知できないかと考え、工夫してコヒラ−を利用した雷検知器を作り、カミナリの電波感知に成功したといわれています。

  この成功を契機にポポフは、1894年、無線電信の実現に着手しました。火花式送信機とコヒラー検波の受信機を作り実験を開始しました。しかし、電圧を1万ボルトまで上げて送信しても受信できる距離は、五メートルがやっとでした。これでは実用になりません。ポポフは悩みました。通信距離5メートルの限界をどうやって突破するか。

 苦悩したポポフは、自分のカミナリ研究の体験を生かし無線機に高いアンテナをつけてみようと考えました。これは、フランクリンが凧に電線をつけて空高く上げ、カミナリが電気であることを発見し、避雷針を発明したこととあわせて考えればうなずけます。通信用アンテナの誕生です。同時に無線機にアースをつけることも着想しました。

 木の枝に高くアンテナを張ると無線電信の通信距離は飛躍的に伸びました。おもちゃのような室内実験から、一気に到達距離250m以上の野外実験が可能になったのです。ポポフは、無線機に高いアンテナをつけると電波の到達距離が大きくなることを発見したのです。さらにタワーなどを立てアンテナを大きく高く工夫することによって、その後の通信距離は次々と伸びていきました。こうしてアンテナとアースによって実用無線通信の可能性が高まりました。

 彼は、これに自信を得て無線機に改良を加え、翌年の1895年5月7日には、世界最初の無線通信の公開実験に成功しました。その成果は、ロシアで開かれた物理・化学学会で発表されました。これはイタリアのマルコニーに先駆けての業績でした。今から100年以上前のできごとです。 

(*これをみて海外のアメリカなどから特許買い入れの申し込みがきたほどです。*マルコニーの無線実験の成功は、数ヶ月後の1895年9月です。)

 その後、無線通信は有名なタイタニック号の遭難時に人命救助通信として役立ち、急速に進歩し世界に普及しました。今では、船舶だけでなく飛行機に人工衛星に宇宙船になくてはならないものになっています。無線は、遠く離れた陸海空の人と人とを結び付けているのです。アンテナは、そのシンボルです。

 約100年前に誕生した1本のアンテナは、形は変っても、今では、どの家にもなくてはならないものになってきています。(ラジオ・テレビ)そして携帯電話のアンテナとして人間ひとりひとりにさえなくてはならないものになりつつあるともいえるでしょう。                    

                         2000.8.25

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