巨匠 松本清張が考古学上の難問中の難問とした前方後円墳の謎。
この十年の研究で遂に起源・原形・その意味と歴史的役割を発見!
歴史推理小説
京都祇園祭りの淵源だった前方後円墳の謎を解く
日本ペンクラブ会員 著者 角田 彰男
定価1,833円(税込) 本の泉社
世界初の鉄の精錬は中東のヒッタイトから始まったとされる。それがやがて東方に伝来し中国の鉄器時代が始まったが、その精錬法は日本には伝わらず、数百年遅れて列島の倭(対馬の漁師・航海者の倭人と考えられる)が交易で朝鮮半島へ鉄買いに来ていたという。(魏書東夷伝 弁辰の条) それ以来、朝鮮から対馬海峡を往復し、古代対馬・壱岐の漁師・航海者らは、石器社会の九州に鉄器をもたらし、倭王を立て九州倭国⇒九州王朝を建国。鉄器を持った彼らは、古代王権を確立した。さらに倭王は列島の鉄器化を進め版図を次第に東方に拡大。列島の民は、鉄器で石器社会を変革し古代農耕社会を築き生活が安定し、その感謝の意を込めて鉄器を用いて建造したのが全国各地に残る前方後円墳である。
<謎解きの前提となる知識>
〇紀元前に朝鮮南部に鉄が産すると日本列島で 最初に気づいたのは朝鮮に最も近い対馬・壱岐の漁師・航海者らである。
〇朝鮮から交易で鉄器を入手して運んできたのは対馬・壱岐の漁師・航海者らである。
〇日本列島で最初に鉄器文明を身につけたの対馬・壱岐の人々である。彼らはその力で北部九州に上陸して王権を立て邪馬壱国→倭国を建国した。
〇古代は、嫁取婚でなくて通い婚だった。離島出身者は亡くなると仮埋葬後、洗骨され生まれた島へ帰葬された。
〇対馬は平野が3%と狭く、そのため耕作に適しない岬や無人島が埋葬地(石棺墓〕となった。
<謎解きのヒント>
〇謎を解く三つの手掛かりで
1 倭王墓遺跡が多く残るのはどこか?
2 ヒントになる万葉歌とは?
3 尻尾付きの弥生墳墓(前方後円墳の元となった原形)が群集するのは日本のどこか?
〇倭王墓に三種の神器を副葬したのは、何のためか?
〇神話の天孫降臨の中心地とされる北部九州に甕棺墓が多いのは何故か?
〇銅鏡は、単なる化粧用でなく、どのような目的で使われたのか?
〇銅鏡は、なぜ威信財とされるのか?
〇三角縁神獣鏡は、なぜ北部九州で作られ、なぜ近畿地方に多く出土するのか?
〇隋書倭国伝に記載された倭国貴人の葬列の特徴は?
〇前方後円墳を造るため多くの列島の民は、なぜ進んで協力したのか。その動機は何か。
本書を読まれればこれらの謎がことごとく解けるでしょう。そして貴方も京都祇園祭りの端緒となった西暦869年の秘密の儀式=神泉苑での御霊会で祭られた祭神と犠牲となった古代の人々の慰霊の組み合わせが理解できるのではないでしょうか。
目次
丹後半島巡り―浦島太郎と日本海側最大の古墳ー
のぼうの城と埼玉古墳群―稲荷山鉄剣に輝く黄金文字ー
巨大古墳と幕末・明治の改変工事―考古学者の警告ー
江戸の古絵図と海の視点
大和名の起源と前方後円墳の謎を解く三つの手掛かり―倭王墓・万葉集・尻尾付き弥生墓ー
天孫降臨の中心地―筑紫に出現した倭王と甕棺墓の分布ー
大和に掛かる枕詞「そらみつ・敷島」―万葉歌解釈の盲点ー
現れた対馬の敷島―天孫降臨の司令神ー
対馬の浅茅湾に弥生期から二千年続いた古墳島―海上に林立する前方後円墳の原形ー
前方後円墳の三つのパターンの源―柄鏡型・バチ型・帆立貝型の原形ー
前方後円墳のルーツ 対馬の旅―浅芽湾の古墳島巡りー
なぜ、空白の数百年か?―新たな謎の出現ー
九州の甕棺墓から前方後円墳への全国的移行―王墓に三種の神器を入れた真の理由ー
古代の葬送船と長崎の精霊船―船首の謎
ついに人口の古墳島=島姿古墳が九州に出現―一大率の運んだ鉄器で造られた大型古墳ー
巨大古墳建造を支えた一大率と交易ルートの拡大―旧唐書 倭国伝の証言ー
三角縁神獣鏡の出現とその歴史的役割―江南の美女と西晋の滅亡ー
陸路を引かれて進む古代の葬送船―隋書 倭国伝の証言ー
鉄器のシンボルタワーは残った―列島の鉄器化を進めた対馬・壱岐海人の活躍ー
大倭王の陵墓はどこに?―黄金・龍・剣・銅鏡・宝玉類ー
対馬見山の謎―福津市 宮地獄古墳への旅ー
九州王朝の記憶―宗像の沖ノ島・筑紫舞・操り人形師ー
京都祇園祭の淵源―倭の大王や貴人を送った民衆の遠い記憶ー
これまでの主な著書
〇「邪馬台国五文字の謎」 ー壱岐は邪馬台国発祥の島ー 3版
・倭人伝を解読し、壱岐は邪馬台国発祥の島だったことを明らかにした。
・一大率は対馬海峡の諸船の通行を検察し常に取り締まっている。この主な狙いは朝鮮からの交易鉄を列島内で倭国が独占するためであると分析した。
・本書によって投馬国は五島列島であるという有力な証拠を現地から得られた。投馬国(とうま国=十馬国=多くの島々からなる海上国)=十馬国→十(トン)馬(メ)→トンメ= この呼び方が現在も残っていることが長崎県五島市の富江町から採取された。
(2011年5月)
〇歴史推理小説「炭焼長者 黄金の謎」−別府温泉の意外な前史を解く− 2版+OD版
・伝説を分析し炭焼長者は実在したとした本書は、多くの読者に受け入れられた。
・出版9年めにして寄せられた読者の情報に基づいて調べた処
国宝 臼杵石仏の造立年号=九州年号=正和4年(西暦529年)が
大日如来などの13仏の彫られた龕付近の崖壁に記されてあった事が古文献から発見された。(詳細はメニュー NO 8へどうぞ)
・「炭焼長者 黄金の謎」の映画化が5カ年計画でスタート。・「炭焼長者 黄金の謎」映画化実行委員会←ここをクリック 映画化実現のために御支援をお願い致します。