大西洋横断3000kmの無線電信成功を支えたマルコニーの3つの幸運
〜無線電信の実用化〜

 無線電信はヘルツの電波発見以来、世界各地で研究されていました。しかし、高電圧発生コイルとコヒラー検波器に音響ベルを組み合わせた無線機では、その通信距離は数メートルが限度で実験室の範囲を出ませんでした。1894年ロシアのポポフがアンテナとアースを取り付けた無線機を工夫して、ついに数百メートルの通信に成功し、やっと野外通信が可能になりました。しかし、数キロが限界と見られていました。
 イタリアでポポフに遅れること数ヶ月で無線機の製作、実験に成功したマルコニーは、やがて大胆にも大西洋横断無線通信に挑戦しました。しかし、彼の国イタリア政府は冷淡だった。彼は、そこで無線を最も必要とする大海運業を抱えたイギリスに渡り、援助を得ることに成功した。彼の無線機は、それまで発明工夫されていたものを改良したくらいで特に新しいものではなかった。彼はイギリスに巨大なアンテナを建設し弟子に毎日、定時に・・・(S)のモールス送信を数ヶ月間続けさせた。マルコニー自身はアンテナと受信機を備えた客船に乗り、大西洋を船出してイギリスからカナダへ向かった。船中で彼は毎日、信号の受信を続け、聞こえ方を記録した。信号は大西洋を進むにつれ次第に聞こえなくなった。しかし2日〜3日進むとまた聞こえた。信号は聞こえたり聞こえなかったりして船は進んだ。特に夜の時間帯はよく聞こえることが多かった。彼にはなぜ聞こえたり聞こえなかったりするのか判らなかった。
 

 カナダに着いた彼は大凧を上げアンテナ代わりとした。そして静かに受信時刻を待った。やがて夜になり、彼の耳にかすかに「・・・(トトト)」(S)の受信音が聞こえてきた。この瞬間、1901年大西洋横断3,000kmの無線通信は成功したのだった。この成果は全世界に報じられた。彼は、無線電信の巨大な有用性をこうして劇的に証明してみせた。当時、電波は直進し遠方に進むほど拡散、減衰するため地球の裏側へは届かないとされていたのでこの成功は驚きを持って迎えられた。


 マルコニーの成功は実は3つの幸運に助けられたものだった。成功の女神は、使命感と勇気を持ち研究の最前線に進み大胆にチャレンジするものにほほえんだのだ。
その3つの幸運とは、
@幸運にも長年の実験でコヒラー内の銀粉が電磁凝集し半導体(ダイオード)と化していたこと。従ってかなり弱い電波でもレシーバーで直接受信音が聴けるようになっていた。(受信用のベルが不要)

A幸運にも上空の、まだ未知だった電離層に助けられ電波が反射していたお陰で地球の裏側でも受信できたこと。

B母親の母国が幸運にも海運国イギリスだったので、イギリスに渡航し国と海運資本の援助を得て、巨大なアンテナを建設できたこと。

この実験で理論的には不可能なはずの結果がでたので、なぜ届くかが当時の科学者たちの新たな研究テーマとなった。やがて研究の結果、電離層が発見され説明が付くようになった。これは実験が理論をリードした歴史的事件でした。理論は実験結果とあっている場合にのみ正しい。実験結果と合わなくなった理論は速やかにに改訂されなければならない。理論は人間が構成したものであり、常に一定の範囲と条件下でのみ正しい。いつでもどこでもどんなときでも正しい理論はありえないでしょう。しかし、何時でも事実よりも古い理論にとらわれてより豊かな客観世界を受け入れられない人が多いのも現実ですね。 

                                  2004.3記  

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