2000年度上半期(B)(気に入らなかった方の映画です。)

   
   
(写真は、ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ)

「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」

(1)映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を観るべきか、観ざるべきか?

 私は専門がクラシックなので、説明させてもらいますと・・・。
 ジャクリーヌ・デュ・プレ(英1945−1987)は天才少女チェリストとしてデビュー。ラブリーな容姿からは想像できないような、巨大かつ繊細な演奏で全世界を魅了しました。ピアニスト兼指揮者のダニエル・バレンボイムと結婚し、クラシック界のおしどり夫婦と呼ばれ、1970年代を象徴するビューティフルな存在だったわけですが、28歳の若さで多発性硬化症という難病にかかり引退。以後、病院のベッドから出ることもかなわず息を引き取ったわけです。

 今回の映画はジャクリーヌの姉、ヒラリーが書いた伝記、「ジャッキーとヒラリー」が原作となっているのですが、天才少女の影にあった姉との確執は相当のもので、その内容をひとことで表現すれば、「松田聖子の暴露本」みたいなものです。出版されるやいなや、母国イギリスではたいへんな騒ぎとなりました。

 デュ・プレの"インラン"が真実であったかどうか?天才といわれるアーティストの多くが、ぐちゃぐちゃのプライヴェートを送っていることも事実だし、今更そんなものを見せつけられても驚きはしないけれど、純粋にデュ・プレの音楽を愛してきたファンは、傷つけられるかな?こんなご時世だから、映画がヒットしさえすればいいのかな?

 下品なモーツァルトを描いた映画「アマデウス」は面白かった。美しい音楽とその人間性とのギャップは、古くから文献によって知られてはいたし、何しろ大昔の話だから、おおらかなもんです。(笑)

 まあいいや、とりあえず観に行ってきます。あとは映画の出来、不出来の問題ですから・・・。

(2000年3月9日)

(2)映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を観てきました。

 原作は、もっとドロドロした内容だと聞かされていたのですが、さすがに映画で表現できるエピソードには限界があるようで、それほどひどいものではありませんでした。

 とはいえ、観終えてあまり気持ちの良い映画とはいえませんでした。
 主演のエミリー・ワトソンはチェロの弾き真似も完璧で、大きな目をギョロギョロさせて、"イッちゃった女"を演じていましたが、実際のジャクリーヌとはちっとも似ていない。

 本物のジャクリーヌはもっと可愛らしいです。映画の中では少女時代のジャクリーヌが子役によって演じられますが、こちらの方がずっと面影がある。
 まあ、似ていなかったのが救いなのかも知れません。あまり感情移入することはありませんでしたから・・・。

 美しかった場面といえば、子役によって演じられる姉妹の少女時代のシーンかな?
 夫君である、ダニエル・バレンボイムも登場(もちろん別の役者)しますが、実際、彼は今も現役のピアニスト兼指揮者として活躍中。こんなの映画にしちゃっていいのかな?製作者のモラルを疑ってしまいます。

 プライヴェートがどうあれ、彼女の美しいチェロの音色は変わらない。バレンボイムに別の奥さんがいたなんてことは、だいたい分かっていたことだけれど、最期までデュ・プレの世話をしていたことも事実です。デュ・プレを可愛がってくれた、英国きってのプリマ・バレリーナ、マーゴット・フォーンテインも登場します。

 昔からデュ・プレのことを知っていた人、映画によって初めてデュ・プレを知った人。それぞれに違った感性で、デュ・プレの音楽に引きこまれていくのだけれど、この映画のクライマックスはドラマによるものではなく、音楽による力で押し切られているような気もします。松本清張原作、野村芳太郎監督の「砂の器」のように・・・。

 名宝スカラ座は本日が最終日だったのですが、観客は私を含めて20数人。キャパシティの大きなホールだけに、寒かったです。複雑な気持ちで映画館を出て、とぼとぼ歩き、ドトールでコーヒー飲んで帰ってきました。

(2000年3月10日)



   

「アメリカン・ビューティー」(AMERICAN BEAUTY)

ケビン・スペイシー/アネッテ・ベニング主演
サム・メンデス監督作品
1999年度作品/上映時間2時間2分

第72回アカデミー賞5部門受賞
作品賞
監督賞:サム・メンデス
主演男優賞:ケビン・スペイシー
オリジナル脚本賞:アラン・ボール
撮影賞:コンラッド・L・ホール

(あらすじ)
 アメリカのどこにでもある中流家庭、バーナム家。主人のレスターは42歳。リストラの恐怖に怯えるサラリーマン。妻のキャロリンは不動産ブローカーとして、独立を夢見ている。1人娘のジェーンは高校生。今まさに反抗期といったところで、父親を軽蔑し、まともに口をきかない。とはいえ相当ギクシャクしながらも、何とか家庭は保たれていた。
 ある日レスターは、ジェーンがチア・ガールとして出場する、バスケット・ボールの試合を観に行った。そこで何かが狂い始めた。レスターはジェーンの友達で、チア・リーダーの美少女、アンジェラに人目惚れしてしまう。以来、彼はそれまでの"我慢"と訣別。会社を辞め、ハンバーガー・ショップでアルバイトをしながら、自分の本能の赴くまま生きることを決めたのだ。
 そんな夫を見て妻は呆れかえる。エッチな美少女アンジェラは、友達のパパであろうと、平気でチョッカイをかける。ジェーンは自分の同級生にメロメロなパパを見て、ますます軽蔑するが、やがて自分をビデオ・カメラでつけまわすストーカー少年・・・隣の家のリッキーに惹かれていくのだった。
 誰もが家族の思いやりを忘れ、崩壊していく。リッキーの父親、フィッツ大佐は息子がレスターと、マリファナの取引をしている様を見てしまうが、それをゲイの関係と取り違えて嘆き悲しむ。彼自身がゲイであり、ひたすらそれを隠し通してきたのだ。
 それぞれが自分勝手な夢を追い求める仮面家族。やがて"誰か"の手によって制裁の下される時がやってきた・・・。

 ゴールデン・ウィークということで、かなりの入場者数。観客にはカップルが目立ったのですが、アカデミー賞5部門獲得とか、薔薇に埋もれたヌードのポスターなんかで、全然違うものを期待して、観にきていたんじゃないかな?

 典型的な家庭崩壊ドラマだし、観終えてあまり気分のいい映画ではありません。人間は、ときに醜いものも直視しなければ、現実逃避になってしまうんだろうけど、最初から結末が見えているような筋書きで、それほど新しいと思われるものも感じられませんでした。考えさせられる映画ではあったけれど・・・。(^^;

 嫌悪感を覚える映画というのはあります。でも、何が言いたいのか判らない映画よりは、よほど主義主張がはっきりしているといえます。この映画を高く評価する人もあることでしょう。(^^;

 アカデミー賞って何だろう?金銭で動かされたものなのか?それとも、極端に斬新なものを求めてしまったのか?ハッピー・エンドに終わらない結末。どこの家庭でも起こりうる日常。映画が夢を売る産業だとすれば、この映画は、まさに"アメリカン・ドリーム"をぶち壊してくれるもの。それによって騙された観客もまた、興行収入を満たしてくれるわけです。今世紀最後の大博打ともいえるでしょう。(^^;

(2000年5月5日)



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