2000年3月の映画

   

「ストレイト・ストーリー」(THE STRAIGHT STORY)

リチャード・ファーンズワース主演 シシー・スペイセク/ハリー・ディーン・スタントン他、
デイヴィッド・リンチ監督作品
1999年度作品/上映時間1時間51分

 「73歳のアルヴィンは、時速8kmのトラクターで旅に出た。兄と一緒に星空を見るために。」

 小牧のコロナで「ストレイト・ストーリー」を観てきました。昼間の部だったとはいえ、観客は私を含めて7人。(数えるなよ〜!)それに比べると、隣りの「トイ・ストーリー2」は、春休みということもあり、親子連れで満席。タイトルはよく似ているのに(笑)、えらい差ではないかい?

(あらすじ)
 73歳のアルヴィン・ストレイトが、10年来仲違いをしていた兄が病に倒れたことを知り、和解するために、時速8キロのトラクターに乗って6週間の旅をする。実話を基にした、たったそれだけのシンプルな物語。

 デイヴィッド・リンチ作品ときくと、妙に仕掛けを期待してしまうけれど、原作が実話ということもあって、小細工は一切ナシ。

 本当にこれは映画か?と思ってしまうほど、シンプルでストレイト。主人公のアルヴィンと一緒に旅をしている気分になります。途中で出会う人々とのやりとりにも、老人くさい押し付けがましさはなく、ごく日常のエピソードとして描かれています。

 それにしても頑固な爺さんだこと。自動車なら1日でいける距離を、免許がないとはいえ、時速8キロのトラクターに仮泊用のトレーラーを繋いで、6週間かけての旅に出掛けるんだから。(老人力ってやつですかい。)

 自分も一刻(いっこく)な人間だから、歳とったらこんなじじぃになるんだろうな。(ふっ、淋しいもんだ。)ま、それにしてもジーンズの似合う、恰好いいじじぃになりたいもんです。そういえば、東京に住んでる弟(こいつも偏屈で一刻)にもずっと会ってない。たまには遊びに行ってやらなければ・・・でも部屋の片付けや、徹夜で仕事を手伝わされるのはたまらんなあ・・・。などと考えさせられる映画でした。

(2000年3月30日)



   

「雨あがる」

主演:寺尾聰、宮崎美子
原作:山本周五郎 脚本:黒澤明 監督:小泉尭史
2000年度作品/上映時間1時間31分

 黒澤明が映画化を考え、自らシナリオまで手がけたものの、急逝によって実現できなかった作品ですが、これまで黒澤の助監督を務めてきた小泉尭史が、初めてメガホンをとり、黒澤監督ゆかりのスタッフに支えられて完成させた、黒澤監督へのオマージュともいえる作品です。
 黒澤独特の確信犯的な、ゴージャスさはなくとも、なかなか粋な短編として仕上がっています。

(あらすじ)
 腕は立つのだが、持ち前の優しさと、世渡りの拙さで仕官もままならず、浪人の身で旅を続ける三沢伊兵衛と、その妻たよ。
 長雨で増水した大井川は、渡し人足もままならない。旅人たちは、安宿の長丁場で疲れきって、小さなことからいさかいを始める始末。そんな雰囲気を察した伊兵衛は、禁じられていた"賭け試合"を行って金を稼ぎ、貧しい人達に馳走を振舞うのだった。
 ひょんなことから、侍同士の喧嘩を仲裁したところを、藩の領主に認められ、武道師範として城に仕えないかと、誘いを受けるのだったが・・・。

 とまあ、男の優しさを描いたほのぼの映画です。今は亡き黒澤監督の覚え書きには、「見終って、晴々とした気持ちになる様な作品にすること。」と書かれているそうですが、それについては100点満点を貰えるでしょうね。本当に気持ちのいい映画でした。

(2000年3月20日)



   

「海の上のピアニスト」(THE LEGENDS OF 1900)

ティム・ロス主演 プルート・テイラー・ヴィンス/メラニー・ティエリー他、
ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品
1999年度作品/上映時間2時間5分

 「大西洋の上で生まれ、一度も船を降りたことがないピアニストの伝説。」

(あらすじ)
 大西洋連絡豪華客船"ヴァージニアン号"。黒人機関士ダニーは、ダンス・ホールのピアノの上で、貧しい移民の捨て子を発見する。孤児院に入れられるのを恐れたダニーは、男の子を"1900"(ナインティーン・ハンドレッド)と名付けて、船の中で育てる決心をする。やがて、ダニーは事故死してしまうが、男の子はピアノの才能を発揮し、ヴァージニアン号専属のピアニストとして活躍するのだった。しかし、大西洋の上で生まれ、船の中で育った彼には、国籍もなく、一生涯、船から降りることもなく過ごした、地上からは「存在しないはずのピアニスト」だった・・・。

 すばらしい作品でした。入場者入れ替え制ではなかったので、ちょっと無理して2度続けて観てしまいました。本来なら少し間(日)を置いてから、観るべきだとは思うのですが・・・。(笑)

 何だか哲学的で、1回観ただけでは難しくてよく分からなかったことも、2度目で納得したり、また違った考えで見つめてみたり・・・たぶん何度も観る度に、また別の印象を持つことのできる優れた作品だと思いました。名画と呼ばれる作品には、そういう楽しみがあります。

(映画の結末について)(その1)
 「目に見えるものすべてが真実ではない」と考えるなら、マックスが船底で出会った"1900"は"幻"だったのでは・・・と思えてならないのです。

 船底の鉄柱の陰に立てかけられた、鉄パイプの部品。それが一瞬、帽子をかぶった"1900"の姿に見えた・・・。

 マックスはヴァージニアン号の中を、くまなく探し回ったのだけれど、ついに"1900"を見つけることはできなかった。爆破の時間が迫ってきて、泣く泣く船を降りなければならなかった・・・。

 こんな風に解釈してしまったら、製作者側の意図に反するかもしれないけれど。(笑)

 特殊な環境の中で、陸地(現実)を知らずに育った"1900"。一度はタラップを降りる決心をするのだけれど、やはり思いとどまってしまう。でも、想い憧れた少女の父親が語った「人生は無限だ」という言葉が、彼の中で完全に消えてしまったわけではないでしょう。大戦中は豪華客船から、病院船として変貌し、多くの人たちを救ったヴァージニアン号。マックスの思い出の中では、歳をとることもなく純粋で、ときに気難しい"1900"なんだけど、目まぐるしく変化した時代の中、何も変わらないってことが本当にあるのでしょうか?

 ひょっとしたら"1900"は陸に上がって、ピアニストとは別の人生を送っているのかも知れない。船の上では"英雄"だったのに、ピアノを弾かぬ彼は、平凡なダメ男かも知れない。トランペットを捨てたマックスも、やはり今はダメ男。だから昔の友達に逢うのが気恥ずかしい。でもマックスにとっては"1900"が昔と変わらぬ姿であってほしいと願うでしょうね。

 「人生は無限だ」という言葉は、いろんな形で捉えることができるけれど、「今、生きている自分の人生がすべてではなく、まったく別の人生もありうる。」と、心の革命のことをうたっていると考えるなら、結末は曖昧なものとして、映画を観る人の気持ちに任せてしまってもいいのではないでしょうか?

(映画の結末について)(その2)
 明け方、楽器屋の主人は、清々しい顔で、「いい話を聞かせてくれた。」と礼を言い、結局、トランペットを手放せなかったマックスに、気前よく金を払ってくれた。

 "1900"は、この世に存在しなかったピアニスト。大陸と大陸の間を横断する移民船には、たくさんのお抱え楽団や歌手、ピアニストが乗っていた。伝説的な名手もいたことでしょう。陸地に上がって、華やかに活躍したピアニストとは対照的に、彼らの音楽は、本当に一期一会のものであったに違いありません。そんな中から自然に生まれたのは、"大西洋の上で生まれ、一度も船を降りたことがないピアニスト"の伝説です。

 そのピアニストは、10種類のジャズを弾くという。しかし、数多くある大陸横断船のどれに乗っているかは、分からない。聴こうと思っても聴けるもんじゃない。もしかしたら、今、目の前で弾いているピアニストがそうかもしれないし、違うかもしれない。長い人生のうち、一度でもその演奏を聴くことができたとしたら、本当にラッキーだったといえるでしょう。

 だから、楽器屋の主人はマックスの話に聞き惚れました。それが真実なのか、嘘であったのかは、彼にはどうでもいいことだったのです。マックスは"1900"にまつわる幾つものエピソードを紐解いていきます。"1900"が破棄した、たった1枚のレコードは、繋ぎ合わされて今、楽器屋の手許にあります。

 乱暴な捉え方ではありますが、コーン(CONN)のトランペットと、古い1枚のレコードを武器に、お涙頂戴の作り話を聞かせて、金を巻き上げる。そんな素敵なペテン師かも知れないのです。いや、その昔にはそんな人も大勢いたことでしょう。「そんな馬鹿な!」と思われても仕方ありません。彼は本当に話が上手いのです。その場の状況に合わせながら、上手く話を繕ってしまうのです。

 明け方、楽器屋を出たマックスは、それからどこへ行くのでしょう。ペット吹きとして職を探しにいったのでしょうか?あるいはどの店でも、「お前の音楽は時代遅れだ!」と、お払い箱かもしれません。そしてまた、楽器を質草にして金を借りるため、どこかの街で楽器屋の扉を叩いているのかもしれないのです。

(2000年3月2日)



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