2000年5月の映画

   

「アンドリューNDR114」(BICENTENNIAL MAN)

ロビン・ウィリアムズ/エンベス・デイビッツ主演
クリス・コロンバス監督作品
1999年度作品/上映時間2時間11分

(あらすじ)
 そう遠くない未来のある日、郊外に住むマーティン家に、1台の家事ロボットが納品された。ロボットは、"アンドリュー"という名をもらい、とりわけ末娘の、愛称"リトル・ミス"のお気に入りとなる。ある日、浜辺でピクニックをしている時、彼女は自分の宝物である、ガラス細工の馬をアンドリューに見せようとするが、ガラス細工は金属の手から滑り落ち、岩にあたって粉々にくだけてしまう。「アンドリューなんか大嫌い!」というリトル・ミスの言葉を聞いたアンドリューは、その夜、浜辺で拾った流木で、木彫りの馬を作って彼女にプレゼントするのだった。
 それを見た主人は、アンドリューの類稀なる個性に驚いた。そして、創造性に磨きをかけるため、彼を熱心に教育するのだった。時は流れ、アンドリューは、より人間に近い複雑な感情を抱くようになる。そして、彼を愛してくれたリトル・ミスの結婚によって、自分が人間とは違った存在であることを改めて知り、深く傷つくのだった。
 人間に憧れるあまり、やがてアンドリューは、人造皮膚を持つアンドロイドへとグレード・アップを図った。だが、ロボットには無限の時間がある。リトル・ミスの孫娘である"ポーシャ"への恋。彼女との結婚を認めてもらうため、アンドリューは自分が人間であることの証明を求める。そして、そのために彼がとった最後の手段とは・・・。

 予告編を観たときは、近未来のロボット・コメディーかなと、単純に考えていたんだけれど、すごく深く、優しく、哲学的な作品でした。アイザック・アシモフの原作がいいんですね。原題の"BICENTENNIAL MAN"とは、"200年生きた男"という意味ですが、1台のロボットと、ひとつの家族の歴史を綴った、長大なストーリーです。

 ラストが泣ける映画っていうのは、結構あるんですが、観ている途中から、涙腺緩みっぱなしなんですよね。ロボット・スーツを着て、顔の表情が見えないにもかかわらず、ロビン・ウィリアムズの演技は最高です。ロボットとして生まれたアンドリューの目を通して、改めて人間というものを考えさせてくれる、すばらしい作品でした。

(映画は進化している?)
 この映画では、3人の人間の臨終シーンが登場します。まず、アンドリューの恩人である"サー"の死。愛情溢れる"リトル・ミス"の死。そして、人間としての死を選択したアンドリューと、愛する"ポーシャ"の死。老いさらばえてベッドに横たわり、愛する家族に見守られながら迎える、人間として最も実直な死であるわけですが、このシーンを観ていてふと頭をよぎったのが、「2001年宇宙の旅」でした。

 「2001年宇宙の旅」のラストを憶えていますか?コンピューター"HAL"の反乱によって、独りだけ生き残ったボーマン船長。宇宙船ディスカヴァリー号は軌道を離れ、無限の宇宙へと向かって突進します。光の渦の中、ボーマン船長が見たものは?

 突如として現われた、真っ白な空間。白いテーブルと椅子。なぜかボーマン船長はそこで食事を採っています。それがとても大切な食卓のように見える。
 次の場面は、老いさらばえたボーマン船長が、白いベッドに横たわり、今や臨終の時を迎えています。何か言おうとしているのだけれど、言葉はありません。
 最後は、スクリーン一杯に映し出される白い赤ん坊です。(俗に、"スター・チャイルド"と呼ばれています。)

 「2001年宇宙の旅」が伝えたかったメッセージとは、サルからヒトへの進化。文明の進歩。そして命から命へと受け継がれる人間の一生。そういったものを哲学的な映像として見せてくれたわけですが、あまりにも難解すぎるし、「だから何なの?」と言われれば、それまでなのです。(笑)

 そして、このテーマこそ、「アンドリューNDR114」が伝えたいものと重なっている。私はそう考えるのですが、「2001年」と比べたら、何と分かりやすいことでしょう。そればかりか、人を愛することの美しさや、生きていることのすばらしさを、肯定的な捉え方で見せてくれるのです。これはまさに"映画の進化"といえるでしょう。もしキューブリックがこの世に生きていたなら、舌打ちして悔しがっているようにも思えてしまうのです。

(2000年5月13日、6月9日)



   

「もののけ姫」(英語版)(PRINCESS MONONOKE)

スタジオ・ジブリ 宮崎駿監督作品

(興行成績)
 小牧コロナへ「もののけ姫」(英語版)を観に行きました。すでにテレビや、レンタルでもお馴染みなのですが、封切時に映画館に行けなかった私は、どうしてもスクリーンの大画面で観ておきたかったのです。草木の1本1本まで精密に描かれている宮崎作品ならば、テレビ画面では伝わらない部分もあると思ったわけです。(^^)
 今回は特別ロードショーということで、¥1000の特別料金が設定されていました。ところがびっくり!観客は私1人だったのです。(^^;平日の夕方とはいえ、世間はそんなものかなあ?(^^;すっかり殿様気分を味わってしまいました。
 なお、「もののけ姫」(英語版)の公開に先立ち、宮崎監督が北米で行ったキャンペーンの模様を収録した、20分のドキュメンタリー映画「もののけ姫 in USA」も同時上映されました。

(吹き替え)
 英語吹き替えの声優(俳優)さんたちは、なかなか芸達者で楽しめました。オリジナル版では、ヒロイン役の石田ゆり子が、何ともお粗末(^^;だったため、英語版の俳優さんのほうが良かったくらい。(^^;トータルでは、オリジナル版キャストの声と、声質の近い俳優を起用したようで、細かい配慮が伺えますが、まったく違ったのは山犬のモロ。美輪明弘と同じキャラは見つからなかったということですかね。(笑)女性が声を担当していましたが、優しい母親という感じ。イメージはがらっと変わるけれど、これはまたそれなりの良さがあるかなと思いました。米良美一が歌った「もののけ姫」のテーマは、女声で再録音されたようです。美しいソプラノで、私はこちらの方が好みですが、サントラCDを探してみることにしましょう。(^^)

(ことば)
 瀕死の重傷を負ったものの、シシ神に命を救われ、ようやく目を覚ましたアシタカ。サンはアシタカの口に、乾し肉を押し込んでこう言います。「噛め!」と・・・。
 英語版では、「チュー!」と叫びますが、何だろこれは?あっそうか!"チューインガム"の"chew"なんですね。わりと易しい英語なので、字幕を見なくとも、だいたいの雰囲気は伝わります。(ストーリーを知っているからですよ。)
 鉄砲隊の「構えて、打て!」は、「ready…fire !」となります。ちょっと違和感あるけど仕方ないなあ・・・。(^^;

(置き去りにされたもの)
 エボシの工房で鉄砲の製造にいそしむのは、かつて神の怒りに触れ、崇りを受けたとされる人たちです。世間から忌み嫌われる者たちを救い、腐った肉を洗い、包帯を巻いてくれたのは他ならぬエボシだといいます。
 これ、実はハンセン氏病です。卑語ではありますが、敢えて文字にするなら、癩(らい)病、業(ごう)病とも呼ばれ、医学のなかった時代には、神の崇りに触れた者として、差別や虐待を受けました。
 貧しさゆえ、自分たちの生活で精一杯。病に苦しむ人たちがいても、それを助けてやれない。そこに何らかの理由づけ(神や宗教)をして、仲間外れを形成していくという、日本の風土に根強く残されてしまった差別意識について、英語圏の人たちにどれだけ伝えることができたのかは疑問です。

 豊かになった現代でさえ、それは"いじめ"としてかたちを変え、社会の中に息づいているのですから・・・。(^^;

※参考)松本清張原作、野村芳太郎監督の映画「砂の器」をご覧ください。

(2000年5月18日)



   

「マイ・ハート,マイ・ラヴ」(PLAYING BY HEART ”To live and love in LA”)

ショーン・コネリー/ジーナ・ローランズ/マデリーン・ストウ/アンソニー・エドワーズ/デニス・クエイド/アンジェリーナ・ジョリー/ライアン・フィリップ/ジリアン・アンダーソン/ジョン・スチュアート/エレン・バースティン/ジェイ・モーア
ウィラード・キャロル製作・監督・脚本
1999年度作品/上映時間2時間1分

(あらすじ)
「11人の男女が繰り広げる群像劇」
 ロスアンジェルスの豪邸に住むポールとハンナは、今年、銀婚式を迎える仲むつまじい熟年カップルだ。ふとしたことからポールは昔、テレビ局の仕事を通じて知り合った女性を愛してしまったことを告白する。「その女性とは深い関係はなかった・・・。あまりにも強く愛しすぎたからだ。」遠い昔のこととはいえ、ハンナには夫の過ちが許せなかった。
 グレイシーは結婚15年目を迎えるが、夫との間には子供もなく、夫婦関係はすっかり冷め切っていた。そして今は、やはり同じような境遇にある若い牧師、ロジャーとの情事にふけっている。グレイシーにとっては、退屈しのぎの遊びでしかない関係だが、やがてロジャーは、彼女のことを本当に愛し始めていた。
 ジョーンがキーナンと出会ったのは、ナイト・クラブの騒音の中だった。恋人との別れ話のため、電話代を借りたのがきっかけだ。積極的にアプローチするジョーンに、キーナンはちっともその気を見せない。誰にも話せない悲しい過去を背負っているらしい。
 ヒューは夜ごと酒場に現われ、行きずりの女性に、悲しい自分の身の上話を始めるのだった。彼は演劇教室の生徒で、もちろんすべて作り話。結婚してはいるが、夫婦の間はすっかり冷めきっている。自分の人生から現実逃避して、作り話の人生を満喫してしまっている・・・。
 舞台演出家のメレディスは、結婚に失敗してからというもの、すっかり恋に臆病な女。仕事先で知り合った建築家トレントは、人生を知りつくしたスマートな男性。彼もやはりバツイチなのだが・・・。誠実に愛を打ち明けるトレントだが、メレディスは自分の気持ちに素直になれない。
 同性愛者マークはエイズが発病し、死期が迫っていた。病院にかけつけた母親は、息子のやつれた姿に心を痛める。母子は残された時間の中で、思い出の隙間を埋めあい、愛情を確認していくのだった。

 11人の男女が繰り広げる群像劇ということで、少し前に公開された、「マグノリア」との比較が噂されていましたが、私は「マグノリア」を観損ねたので詳しいことは判りません。

 この映画は脚本の面白さで成立していて、登場人物は、まるでゲーム盤の上で繰り広げられるチェスの駒のようです。様々なエピソードが、やがて一つに繋がっていくのですが、種明かしをするとしらけてしまうので、敢えてここでは書きません。

 現代劇ですが、70年代を想わせる美しい映像と、ジャズをベースとした美しい音楽に包まれていて、舞台劇を映像で見る味わいです。「アメリカン・ビューティー」のような辛辣さはなく、人生を優しく肯定していく心地良さがあります。夢物語ではありますが・・・。

(2000年5月26日)



映画の部屋に戻る

表紙に戻る