2000年7月の映画

   

「ミッション:インポッシブル2」(MISSION IMPOSSIBLE 2)

トム・クルーズ主演、タンディ・ニュートン、ダグレイ・スコット他、
ジョン・ウー監督作品
2000年度作品

(あらすじ)
 ロシアのDr.ネロルヴィッチは、人間の赤血球を30時間で破壊する殺人ウィルス、「キメラ」を開発した。それと同時に開発されたのが解毒剤「ベレロフォン」である。彼はウィルスと解毒剤の両方を、安全な場所に移そうと試みるも、元IMFエージェントのアンブローズに襲われ、飛行機の乗客もろとも殺されてしまう。
 アンブローズを使ってウィルスを手にし、世界市場を我がものと企んでいたのは、生物化学会社「バイサイト」の最高責任者、マックロイであった。
 IMF諜報員イーサン・ハントは、美しい女泥棒ナイアをパートナーとして、アンブローズから情報の入ったディスクを奪い取るよう指令を受ける。ハントとの愛に目覚め、協力を誓うナイアだったが、かつてはアンブローズと恋仲にあった。そしてIMFの狙いは、ナイアをアンブローズのもとへ送り込んで、情報を搾取することだった。

 「M:I-2」を観に行きました。公開初日ということもあって、ものすごい人だったけれど、何とか座れました。とはいえ前から2列目の席。名鉄東宝のスクリーンはデカイ。(^^;見上げるようにして観ていたので、すっかり首が痛くなってしまいました。

 予告編からして度肝を抜かされましたから・・・。(^^;命の危険にさらされているロック・クライミングの最中にでさえ、「休暇中をすまない、ハント君。」と来ちゃうんですよね。私だったら、「こんな会社、辞めてやるっ!」て言いますよ。(^^;まあ、今はどこの企業も大変なのねえ・・・。(^^;

 この映画、理屈は何も要らんでしょう。すべてにおいて過激!現実離れしている。ジョン・ウー監督のポリシーは、「どうせヤルなら、徹底的に!」といったところでしょうか?カー・チェイス過激!バイク・アクション過激!サウンドも過激!カメラ・ワークも過激!カンフー・アクションは、テレビ・ゲームの「ストリート・ファイター」そのもの。(笑)チャチなSFXなら、大爆笑まちがいなしだけれど、ここまで徹底的にやられると、もうマイッタという感じですか。ストーリーも極めて単純明快でした。(^^)

 1996年の映画第1作目は、ブライアン・デ・パルマ監督でした。スタイリッシュな映像美や、騙し騙されといった複雑なストーリーが印象に残っています。今回の作品とは、まったくの別世界なんですね。「二番煎じと言われるくらいなら、全然違ったものを作ってやるぜ!」みたく、ジョン・ウー監督は確信犯であります。

 最後に・・・。偉大なるエンターテインメント、ヒッチコックにあやかって、ジョン・ウー監督はこっそり映画の中に出演しています。(^^;エッ、どこに?それは観てのお楽しみ。よ〜く観ていれば分かりますよ。(^^)

(2000年7月8日)



   

「グラディエーター」(GLADIATOR)

ラッセル・クロウ主演、ホアキン・フェニックス、コニー・ニールセン他、
リドリー・スコット監督作品
2000年度作品/上映時間2時間35分

(あらすじ)
 西暦180年、しんしんと雪の降り積もるゲルマン民族との壮絶な戦いは、ローマ軍の圧倒的な勝利で幕を閉じた。数千の兵を従え、自ら先陣を切って戦った名将マキシマス。彼は皇帝の信望を得て、次期皇帝の座を託されていた。しかし、その話を聞かされた皇帝の実子コモドゥスは、愛する父の裏切りに愕然とし、皇帝を殺害してしまう。コモドゥスは新ローマ皇帝の継承を受けたと偽り、マキシマスの処刑を命じる。だが、マキシマスは巧みに処刑を逃れ、ようやく妻子の待つ故郷に戻るが、待っていたのは殺された妻子の変わり果てた姿だった。生きる望みを失い、怪我と疲れで倒れたマキシマスは奴隷商人の一団に拾われ、剣闘士として売買される。もはや見世物として戦いを繰り返すだけの日々が続くが、巨大コロシアムの一席に皇帝コモドゥスの姿を見つけると、くすぶっていた復讐心を燃え上がらせ、圧倒的な力で民衆を魅了するグラディエーターにのし上がったのだった。

 主役のラッセル・クロウは実にシブい"いい男"である。妻子を殺され、奴隷に身を落とした将軍の復讐劇。物語は史実に基づいたものではなく、理想の英雄像を描いている。農民あがりの無骨で無口な男が、人を惹きつけ、世界を動かしていくのだから・・・。

 異国情緒溢れるハンス・ジマーの音楽は、スタイリッシュで美しいのだが、私が思うにはカロリー不足。「ベン・ハー」や「クレオパトラ」のような"フル・スコア"が欲しかった。最先端のCGを駆使したスクリーンは、不自然さがまるでなく、「よくぞここまでやってくれました」と手を叩きたくなる。今にして思えば、「ベン・ハー」の巨大な建造物や彫刻は、"手描きの絵"だったのだ。

 人間の想像力とは不思議なもので、CGを駆使した現代版「ゴジラ」よりも、着ぐるみを着て、戦闘機のミニチュアをピアノ線でぶら下げた、白黒版「初代ゴジラ」のほうにリアルさを感じてしまうものなのだ。伊福部昭の重厚壮大な音楽も、画面の貧しさを補ってくれていた。(当時の役者の演技は相当ひどいものだが・・・。)

 映画は時代とともに進化していく。今や映像・音響はすばらしいものとなった。役者の演技も確実にレベル・アップしている。しかし油断すると、ハングリーだった時代の突き抜けた精神を忘れてしまうものなのだ。「グラディエーター」はもちろん良い出来だが、ハングリーな精神は感じられなかった。ラッセル・クロウの演技だけが、ずば抜けて光っていた。

(2000年7月13日)



   

「スチュアート・リトル」(STUART LITTLE)

ジョナサン・リップニッキー、ヒュー・ローリー、ジーナ・デイビス他、マイケル・J・フォックス(声の出演)
ロブ・ミンコフ監督作品
1999年度作品/上映時間1時間24分

(あらすじ)
 ニューヨーク郊外に住むリトル家は、優しいパパとママ、幼いひとり息子のジョージの3人家族。リトル夫妻は弟を欲しがるジョージのために、孤児院から養子をもらうことにする。ところが、元気に遊ぶ可愛い子供たちを前に、とてもその中から1人を選ぶことなどできないと途方に暮れていると、足元から小さな声が聞こえてきた。「あの子は明るいよ。その子はスポーツが得意だよ」と、懇切丁寧に子供たちの長所を説明しているのはスチュアート。自分だって家族に憧れているはずなのに、一生懸命他の子を薦めているのは、彼がネズミだからだ。そんなスチュアートの健気さと聡明さに惹かれたリトル夫妻は、孤児院の職員が止めるのも聞かず、スチュアートを養子にする。だが"人間"の弟を待ち望んでいたジョージは落胆してしまい、スチュアートを相手にしない。さらに飼い猫スノーベルが、ネズミのペットになるのはごめんとばかり、野良猫のボスに協力を要請。スチュアートの追い出しを企てるのだった。

 ストーリーは、ネズミが言葉を喋るという非現実を飛び越えてしまっています。(^^;すでに当たり前のこととして、展開していくのには度肝を抜かれました。何故スチュアートが孤児院の施設に入れられたのか、養子縁組が法的に成立しうるのか、説明を求めるプロットが一切ありません。

 しかしこれはこれでいいのでしょう。実写もアニメも同じと考えてしまえばいいのです・・・。それをほんのちょっとだけ仄めかしている箇所があります。ラストの大団円、ジョージが窓のブラインドを引き降ろすと、そこに"THE END"の文字が現われるが、その丸っこい"文字"が、MGM時代の「トムとジェリー」にそっくりなんですね。ネコとネズミが喧嘩して・・・最後は仲直り、ということから仕組まれた悪戯だと思うんのですが・・・。(^^)

 さて、CG合成されたネズミのスチュアートもすごいのですが、生身のネコ軍団の演技がすばらしい。本来、勝手気ままとされるネコを、ここまで操るのは並大抵のことではないでしょう。1時間24分の短編ではありますが、子供が集中して観られる時間としてはここまでかな。(^^)

(2000年7月28日)



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