300円カレーの店

 私は以前、東京で独り暮しをしていたのですが、休みの日によく、山手線沿線の街にぷらっと遊びに出かけたものです。不思議なことに、見知らぬ街、初めての街に降り立つと、カレーが食べたくなるのは私だけでしょうか?

 大井町という駅があります。私が住んでいた南品川から、歩いて15分くらい。イトーヨーカ堂とか、阪急百貨店、丸井といったデパートもあれば、周辺は、昔からある下町の商店街で、ごみごみとしていますが、たいへん風情がありました。

 その大井町の駅前に、「牛友チェーン」なるカレー屋がありました。看板には、「カレー300円、牛丼350円」と書かれています。これはすごい!学生食堂だって、いまどきこんな値段で食べさせてくれるところはありません。話のネタにと思い、入ってみることにしました。

 入り口は狭く、奥までカウンターが一列だけ。店の前には順番待ちで、2、3人が並んでいます。坊主刈りでメガネをかけ、太ったおっちゃん(小林亜星みたいな)が一所懸命タマネギをむいています。そう、わりと美味しいのです。タマネギの甘味がよくでていて、サラッとした黄色いカレーでした。

 メニューは下記のとおりですが、カレーの(小)といえど、普通の喫茶店とかで食べるくらいの量がありました。(大)は、ほぼ2人前ですね。
牛丼¥350、野菜サラダ¥200
カレー(小)¥300、(中)¥450、(大)¥550 (味は中辛と大辛とあり)
スタミナカレー プラス¥150 (豚肉のトッピング)
牛丼カレー プラス¥200 (牛肉のトッピング)

 それからというもの、休日は気が向けば、そこで昼食をとることが多くなりました。ところが、1年半ほど通ううちに、「本日休業」の看板が掛けられるようになり、だんだんと、営業している日のほうが少なくなってきました。どうも店のご主人、あまり体調がよくないらしいのです。そりゃあ、忙しすぎますもん。充分利益も取れていないでしょう。でも、カレー¥300っていうのは、ご主人のプライドなんですよね。こんないいお店がつぶれたら大変だと思って、私もできるだけ多く通うように努めました。もちろん、スタミナ&サラダも付けて。

 でも、そうこうするうちに、お店は閉店してしまいました。私も名古屋へ帰る(転勤する)日が近づいてきました。久しぶりに店の前を通りかかると、何やら改装工事をやっています。若い人たちが出入りしていますが、新しい看板が用意されていました。
「カレー350円、牛丼400円」
「またカレー屋さんが入るんですか?」と、尋ねてみました。「はい、来週月曜日からオープンです。」と元気のいい答えが返ってきました。でもたぶん、全然違った味のカレー屋なんだろうなと考えるととても残念でした。

 名古屋へ帰る前々日、新幹線の切符を買うために大井町に立ち寄ると、新しいお店が開店していました。ちょうど夕食時だったので、何の期待もなくその店に入りました。若い夫婦とみられる二人が店をきりもりしています。「カレーライスをください」そして、目の前に現れたカレーは!

 何と、以前と何ら変わりないあの¥300カレーだったのです。若い店主が尋ねました。「お味のほうはいかがですか。」「いやー、前とまったく同じです。うれしいですね。」
「値段はちょっとだけ高くなりましたけど、ひきつづきよろしくお願いします。」深くは聞かなかったけれど、ひょっとしたら前のご主人の息子夫婦かもしれないと思いました。めまぐるしく流れていくこのご時世に、頑固な職人と、それを守っていく後継者がいるなんて・・・何だかすごくほのぼのとした気分になって、私は東京を去ったのでした。

 しょーもない話でごめんなさい。おやすみなさい。

(1999年10月25日「お楽しみメール劇場」にて)

※牛友チェーンは
牛八と屋号を改めましたが、昔の味のまま、現在も大井町にあります。(価格は変更になりました。)


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