ホルン・アンサンブル・コンサート




第2回定期演奏会より
(中央足元にあるのがアルペン・ホルン)


 ホーン・クワイヤー・ナゴヤは、ホルンというひとつの楽器だけで編成されたアンサンブルで、こんなアンサンブルは非常に例が少ないといえましょう。
 1991年、名古屋フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者、吉積光二氏の呼びかけによって、その門下生を中心にメンバーが集まりました。

 ホルンといえば誰しも、アルプスの山にこだまするアルペン・ホルンを思い浮かべることでしょう。3.7mにも及ぶその楽器こそ、ホルンの原型ともいうべきもので、樅の木でできた楽器を真鍮という金属で作り直し、容易に持ち運びできるよう、蝸牛のようにくるくると巻き上げたのが現在のホルンです。(もし管を解いて真っ直ぐに延ばしたとすれば、本当にアルペン・ホルンと同じ長さになります。)
 4オクターヴの幅広い音域。ときにはトランペットのように輝かしく、ときには重厚なハーモニーで聴く者を圧倒する。そんな響きをみなさまにも味わっていただきたいと思います。


 想い出に残る演奏会

 第1回定期演奏会(1991年2月22日)電気文化会館(名古屋)

 私(小出)がマネージャーを務めましたが、手探りの状態で始めた演奏会でした。当時はまだ学生さんや、アマチュアのホルン奏者も参加していて、スケジュールを調整したり、会場確保のこと、後援依頼で教育委員会に足を運んだりもしました。小さな演奏会ひとつにしても、多くの人たちの応援なくしては成立できないのです。当然ながら、そこに関わる人たちの価値観の相違も出てきます。クッション役として間を取り持ったりもしました。
 当時は湾岸戦争の真最中でもありました。油井は多国籍軍の手で爆撃され、油まみれになった海鳥の映像が、テレビで全世界に報道されました。政治や思想の壁は、私たちがすぐにどうこうできるという問題ではありませんが、1日も早い戦争終結を望み、美しい海を象徴した青い折り鶴を、出演者からお客さんの手へと配りました。


 第2回定期演奏会(1992年4月3日)芸術創造センター(名古屋)

 師匠の粋な計らいで、身障者の子供たちを招待しての演奏会となりました。以下は当時のプログラムに寄せられた、吉積先生の一文です。(原文まま)

 「生命、空気そして音」

 近ごろ、自分の生命や気持ちが、自分の体を超えた部分、すなわち空気や他の命と密接に
つながっているような気分になることがよくある。
 それは、2月末のある夜のことであった。オーケストラの仕事を終え、外に出たところで「お姉ちゃんがいなくなったあ」と泣きわめいている男の子(たぶん4歳ぐらいか?)に出くわした。すぐに迷子であると気がつき、「ぼくこっちへおいで」としゃがみこんで声をかけるとその子は、暗やみの事でもあり心細かったのであろう。私の胸に飛び込み、しっかりとすがりつき、泣きじゃくりながら自分の窮状を訴えた。その子のひたむきな救助を求めているいじらしい気持ちに感動したのと同時に、子供の生命が自分の中にみなぎり、その子のためにとにかく何かをしてあげなくてはいられない気持ちになった。そして、しっかりと抱きしめていた子供を後刻、無事姉さんにお渡しすることができたのである。
 迷子としての立場、心情をこの子は私に体ごとぶつかって表現し、感動を与えてくれた。そして純粋な生命に触れることのできた私は、大きな満足感を味わった。
 音楽は目に見えない。空気の中にある。空気は生命と生命とを結んでいる。今日この芸術創造センターの同じ空気のもとに、障害を持っておられる方々がたくさんお見えになっている。健常者は音楽会を催し、また聴きに行くことが当たり前だが、障害者の方々にとってそれは一大事であるに違いない。
 今夜の音楽会のステージから発する音はその空気に、障害者の方々の音楽会に来ている事の歓びや、その他の種々の感情をも巻き込んで、健常者の耳にも達する事と思う。私が、迷子の男の子の泣き声を、その子の気持ちすべてを伝えている言葉と聞き、感動したように、音楽と共に聞こえる障害者の方々の声が、健常者の皆様に感動を与えるものとなれば、この会を主催する私どもにとって光栄です。(吉積 光二)


   

 100年の語りべ、常盤座コンサート(1992年10月17日)(岐阜県福岡町)

 常盤座は明治24年に小屋開きされた昔ながらの芝居小屋です。文化遺産として位置付けられながらも、荒れ放題のままになっていた芝居小屋を、現代に復活させようじゃないかという試みでした。舞台に向かって傾斜を持たせた畳に、座布団を敷いてクラシックを聴くというのも、なかなか乙なものではなかったでしょうか。芝居小屋そのものは実にしっかり造られており、補修さえ施していけば、まだまだ現役として活躍していくことでしょう。いったん都市部へ出られたUターン組の若い人たちが、情熱を持って取り組んでおられました。


   

 チェルノブイリ・チャリティ・コンサート(1993年4月10日)恵那文化センター(岐阜県恵那郡)

 チェルノブイリ原発事故より7年、ベラルーシ共和国では死の灰の汚染地域に250万人が住み続けていました。その子供たちを一定期間海外へ送り、放射能から切り離された生活をさせる<保養里親運動>が発足したのです。当時15番目の受け入れ国として日本でも、春と夏に40人の子供たちを招き、ひと月という短い期間ですが、戸外で十分遊び、新鮮な果物や野菜を食べることで心身ともにリラックスさせ、子供自身の免疫能力を回復させようという試みでした。私たちは音楽家として"演奏"という形だけですが、この偉大な試みに参加できたことに感動を覚えました。


 そして10周年記念コンサートは!

 こつこつと小石を積み上げるように育ててきた10年です。多くの人たちに助けられながら演奏会を開いてきましたし、メンバーの減少によって定期演奏会が行えなかった年もありました。
 今回は"原点に立ち返ろう"ということで、純粋なホルン・アンサンブルと、クラシックの室内楽に焦点を当てた演奏会となります。当然ながら、高度な合奏能力が要求されます。10年前に不可能だったことが、今どれくらい習得されたかといえば、甚だ怪しきところもございましょうが、日頃の練習の成果を皆様にお聴きいただき、お褒めお叱りのことばをいただければ嬉しく思います。


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