Leptis Magna
(ローマ遺跡:世界遺産)
@Aug/'06 Leptis Magnas, Libya


円形劇場: 円形状席の最上段からの眺め
バックに蒼い地中海が広がる



[世界遺産: Archaeological Site of Leptis Magna, 文化遺産、 1982年登録] Leptis Magna was enlarged and embellished by Septimius Severus, who was born there and later became emperor. It was one of the most beautiful cities of the Roman Empire, with its imposing public monuments, harbour, market-place, storehouses, shops and residential districts. (UNESCO HPより)
 

トリポリ滞在中、8月のある休日、トリポリから東に120km程の街クムスにあるローマ遺跡を見学した。 クムス迄は、地中海沿いの幹線道路をひた走る。 地中海沿いは砂漠のイメージは無く、適度に樹木が成育し、オリーブ、その他の果樹園なども多く見かける。 途中には何箇所にも延々と続く白い砂浜の海水浴場があり、3ヶ月の長い学校の休みに合わせて、海の家に泊まり込みの行楽に来ている家族連れで大変賑わいである。 クムスには1時間余りで到着した。 ゲート近くには、案内所、みやげ物屋、カフェ軽食屋が備わっている。 入場料は3デナール(約270円)。 カメラを持ち込むと更に5デナール(450円)徴収される。 ゲートは、6時に閉まるとの注意を受け内部に入った。 




Septimius Severus皇帝の十字型凱旋門: 4方どちらからみても同じ形
西暦203年頃のもの



ヨルダンのローマ遺跡は土漠の中にあり、如何にも荒涼とした地形の中にあったが、ここのローマ遺跡は松やユーカリの林と地中海に挟まれた地形にあり、大変柔らかな感じがする。 ゲートを入ると、直ぐ目に飛び込んでくるのが皇帝 Septimius Severus の凱旋門だ。 この凱旋門は、この地で生誕した皇帝 Septimius Severus の名にちなんでいる。 修復されたのであろう、ほぼ完全な形で見ることができる。 パリの凱旋門とは違って十字形になっている。 四方、何処から見ても同じ形と言う訳である。 凱旋門を中心にローマ文化特有の真っ直ぐな道が四方に伸びる。 湊を持ち、広大な集会場や豪華な浴場、市場、貯蔵庫等で色彩豊かで活力に溢れた、ローマ帝国の都市でも最も美しい街と言われた市街が、この向こうにマンハッタンのスカイ・スクレーパーの如く展開していたに違いない。



ハドリアン浴場: 大小さまざまな浴場がある
床や壁は大理石で覆わていた跡があり当時の豪華さが伺われる



凱旋門から北に暫く歩くと、右手に浴場跡が見えてくる。 当時は表面が磨かれた大理石で覆わ、れさぞかし立派なものであったろう。 現代では、ニューヨーク市タイムズ・スクエアーのロック・フェラー・ビルにでも相当するだろうか。 大小様々な浴場がある。 広いスイミング・プール、個室の家族風呂、トルコ風呂。 その広さは、改めて当時の重要な社交場であったことを、見事に物語っているかのごとくだ。 
  

 
浴場に隣接する大理石のトイレ: 広い部屋の壁沿い4面にに何十と備わる
隣との仕切りはなく大勢が並んで用を達していたことが伺われる


大理石のトイレである。 何とも贅沢ではなかろうか。 隣との間に仕切りが無いのが、現代人の我々には一寸不満だが。 これがローマ・スタンダードだ。 上下水道がきちんと整備されていた証拠でもある。 それにしても、壮観である。 数十人もが並んで大きな用を達している光景は。 



アラブ、そしてオスマントルコの侵入時徹底的に破壊された建物跡



地中海の真珠とでも言えるローマ帝国一の美しさを誇る街も永遠ではない。 7世紀アラブの侵入、その後、スペイン、更にオスマン・トルコの侵攻で、無残にも破壊されつくしてしまう。 今はその残骸が累々と重なるのを見るのみ。 だが、その残骸の端々に、当時の栄華の様、芸術性の高さ、技術の高さを見ることができる。  



 
フォーラム: 四角い集会場
内部周囲には大型のメドサ女神像が整然と並んで居た模様が見られる



このフォーラムは何と素晴らしい。 ヨルダンのジェラシー遺跡のフォーラムは円形でそれも素晴らしいものであったが、ここの四角いフォーラムも、その規模、当時の内部装飾を想うに、その居住雰囲気の良さ、精神の高揚を誘う高尚な雰囲気が今でも、伝わってきそうである。  
 



一部修復されたメドサ女神像の列

南側に一段と高くなった、演壇のような場所に登って、フォーラムを見下ろすと、その壮麗さが手に取るように胸に染みる。 演壇には、小細工もされていて、演説者が地下から登場する、隠し階段が備わっている。 現代ではさしずめ、浮き舞台と言ったところだろうか。 皇帝や、将軍達がさっそうと地下から駆け上がってきたのであろう。 そして群衆に向かい、ジェスチャーたっぷりの力強い演説をしたに違いない。 



メドサ女神像
集会場では、公平で偽りのない議論を交わす為、このような小細工があったのだろうか



フォーラムの北側には、現代の規模からしても壮大なバシリカが東西に横たわる。 徹底的に破壊された後でもその荘厳さと華麗さが否応なしに覆いかぶさってくる。  


   
バシリカ内部: 規模と壮麗さから当時の繁栄振りが伺い知れる



この大理石の透かし彫りは、技術の高さ、芸術性の高さを備え持つ。 その素晴らしさに、これが紀元3世紀に創られたのかと疑う程のものである。  



 
大理石の透かし彫り: 高度な技術と芸術性を秘めている


フォーラムの西側には、瀟洒なマーケット・プレースが広がる。 少し小高い丘に洒落た建造物に入っていた商店は、さぞかし、ハイ・ファッションや、貴金属製品、はては香料等を扱うものが多かったのだろうか。 店内は高貴な女性やパトロンで賑わっていたのだろうか。 




市場: 装飾性に富む建物に市場の繁栄振りを見る



円形劇場はローマ帝国の街には無くてはならないアイテムの一つである。 ここLeptis Magnaにも立派な円形劇場がある。 全くたがわない。 舞台、演台、役者控え室、ヨルダンで馴染みになったあの形そのままである。 ここの素晴らしさは、そのバックに蒼い地中海が連日限りなく広がることだ。 私でなくても、古の多くの人々の賞賛を得たに違いない。 多少修復はされているが、今でも立派に使用できる。 しかし、この舞台で繰り広げられた見世物は決して楽しいものばかりではなかったかもしれない。 奴隷同士の真剣勝負とか、奴隷と猛獣との戦いとか、野蛮きわまる見世物もあったに違いない。 そして、どうしてこの素晴らしい街が徹底的に破壊されなければならなかったのだろうか。 人知はそれほどに愚かなものでしかないのだろうか。  
 




円形劇場: 今でも十分使用できるほどの造りには驚嘆せざるを得ない
バックに地中海を控え、何とロマンに満ちたセッテイングであろうか








19/Aug/'06 林蔵 @Leptis Magna Libya, (Updated on 23/Sep/'08)#270

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