鎌倉は南を相模湾、他の3方を切り立った山に囲まれた自然の要塞である。 かつて京都の公家文化に対抗した武家文化がここ鎌倉で栄えた。 鎌倉幕府の誕生した土地である。 力強い武家文化の面影が今に残る数多い神社仏閣に連綿と伝わっている。
10:30、鎌倉駅の八幡出口が集合地だ。 皆時間通りに集まった。 鎌倉駅に来て気が付いたのだが、祭り衣装の老若男女が駅周辺にやけに目に付く。 そんな衣装を身にまとったお兄さんに聞いてみた。 「今日は何かあるのですか?」、お兄さんは少しぶっきらぼうに、「今日は、祭りで神輿がでる。」と教えてくれた。 後でわかったのだが、今日(11月24日)は、鶴岡八幡宮の遷座祭りの日であった。 予定外の催しに出会い、なんだか得をした気分になる。 古式ゆかしき神主が先頭で神輿の通る道を清めながら、数え切れない程の数の様々な神輿が昔の生活のリズムで八幡宮にまっすぐ伸びる朱雀大路を練り歩く。 近頃は神輿を担ぐ若者に染めた頭がやや目立つ。 それも祭りの熱気にすっかり溶け込んでいる。 暫く神輿とともに朱雀大路をそぞろ歩く。 神輿と供に八幡宮の境内に入る。 特設舞台の囃子が祭り気分を盛り上げる。 境内には参道の両脇に多くの屋台が並び、これで祭りの役者は揃い時代絵巻の舞台は完璧である。
予定外の遷座祭りを堪能した後は、いざ衣張山を目指さん。 八幡宮の流鏑馬道を東側に出る。 今にも袴姿に2本ざしのいかつい鎌倉武士が板塀の向こうから出てきそうな歴史小道を歩き、学問の神様荏柄天神を眺め、
(この後悔多き日常を解脱するには、やはり参るべきであったか。)一時現実に戻る車道に出て、鎌倉最古の古刹杉本寺を拝観する。 天平6年(734年)、公明皇后の御願で行基が建立したとされる、天台宗大蔵山。 坂東第一番の札所でもある。 3体の秘仏11面漢音が本尊であり、木造茅葺屋根の本堂の内陣奥に安置されている。 更に今や貴重な文化財になった仏像群が惜しげもなく内陣に安置されている。 本尊全立、11面観音―運慶作、(脇立)地蔵菩薩―運慶作、 (脇立)毘沙門天王―宅間法眼作等。 まぶしいばかりである。 俗人の私など、火災や心もとない輩等のいたずらに会わないかと心配をしてしまう。 仏の心は、俗人の及ばぬ広さを持っているに違いない。 山門の仁王尊も運慶の作だ。 深い森に囲まれた静かな佇まいで、俗界を忘れたひと時をすごす。
さー、いよいよ衣張山に向かおう。 人家がだんだん少なくなり、突然木立の深い山中に入った。 もう人里を遠く流れた気がする。 しかし実は、ほんの100mも行けば、そこには人家が密集しているのである。 足元にはしだが茂り、天を仰ぐ大木が陽光を遮る。 細く急な山道を登る。 5人のパーテーは、全く異次元の世界に入っている。 ここは太古の密林か、ヨーロッパの山中か、はたまた、ボルネオの密林か。 こんな非日常体験が何とも言えず面白い。 30分もしない内に頂上に着いた。 眺望がすばらしい。 成るほど、頼朝が真夏の暑い日、涼を取るため家来に絹を山頂に張らせ雪に例えた山だけあって、鎌倉の街と由比ガ浜、材木海岸、江ノ島が一望できる。 まさに天下を取った気分になる。 ここでお弁当を頂くことにしよう。
遠くに相模湾に雲間から差す陽光で光る海と眼下の鎌倉の街を借景に昼の宴を開く。 すると、ピーヒョローと鳶の鳴き声。 鎌倉には野生の鳶が増えているらしい。 突然鳶が私たちの居る頂上めがけ急降下してきた。 明らかに獲物を狙う姿である。 そうだ、私たちの弁当を狙っているのである。 これは面白くなってきた。 動物との共存もここまでくれば、本望である。 私たちは、おいしい弁当を鳶に捕られまいと必死の防衛。 頂上の平地では私たちは不利と判断、木の下に陣地を移動。 陣地の移動は効を奏した。 かくして我々は被害無く昼の宴を終えることができたのである。 この緊張感は、日常では味わえないもの。 また、ひとつ経験が増えた。 聞くところによると鳶の被害は相当あるらしい。 おにぎりを手からとられた。 りんごを手から捕られた。 ハンバーガーを手から取られた。 中には手に負傷を負う者も当然でている。 そんなことが、話でなく実際に経験できたのは特筆すべきことだ。 それにしても皆さん準備が良い。 デザートの甘いものや果物をちゃんとリュックに入れている。 この気の効きようは真似ることはできない。
28/Nov/'03 林蔵@神奈川 (Updated on 9/Jun/'08)#160 |
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