@Jan/’05 Salt, Jordan
アンマンの北西、約30kmの処にある小さな街である。 日帰り小旅行にはもってこいの行き先だ。 この街の歴史は古い。 アンマンがヨルダンの首都となるずっと前から栄え、オスマントルコ時代、通商の要として賑わった街である。 中東では珍しく資源の乏しいヨルダンでは最近観光に力を入れて居る。 サルトの観光開発もその一つだ。 JICAの専門家やボランテイアがその事業に関わっている。 今日はイスラム教徒に取ってはラマダン(断食月)に続く重要な行事ハッジ(巡礼)祭、そのの2日目である。 一人で出掛けてみた。
急ぐ旅ではない。 アパートからアブダリ・バスセンター迄徒歩で行く。 街は普段に比べ車の往来が少なく驚くほど静かである。 アブダリ迄は歩いて小一時間の距離だ。 坂の多いアンマンであるが、アブダリへの道は比較的平坦で歩き易い。 少し早足で歩くと、丁度良い運動になる。 今は冬、雨季であるが、天候は行楽には丁度良い穏やかな日和である。 サルト行きのバスはどれだろう。 バスセンターには、行き先表示板のような物は無い。 唯一表示が在るのは、空港行きのバス停だけである。 其処にはアラビア語と英語で ”Airport Express” と書かれている。 何時もの手である、バスセンターの立ち飲み珈琲スタンドで珈琲を150フィルス(約20円)で1杯頂き、聞くことにしよう。 吹きさらしの珈琲スタンドである。 おやじに、”カフワ with Milk ラウサマット” と真ん中だけ英語で注文した。 おやじは珈琲とミルクを入れた長い取っての付いた一人用の小さなアラビア風珈琲ポットを粗末なガスコンロに掛けた。 直ぐにミルクが沸き立ち勢いよく泡立ち始める。 長い取っ手で火加減を手際よく調整しながら、プラスチックコップに一杯分並々と注いでくれる。 150フィルス支払い、おもむろに、”サルト行きのバスは何処?” と聞いてみた。 おやじは、少しきょろきょろして、直ぐに指差し、”あっちだ。”、と答えてくれた。 大体の場所が判れば、お目当てのバスを探し出すのは比較的簡単である。 示された方向に行き、バスの運転手あるいは車掌(小さなマイクロバスにも車掌が居る。 大抵は粗末な身なりの若僧だ。威勢良く客呼びをやり、バスが出発すると車内で料金を召集する。)にサルト行きか、と聞く。 サルト行きのバスには直ぐ当たった。 マイクロバスである。 座席は乗客の垢か汚れで黒光りしていて相当がたが来ている代物である。 運転席のパネルは剥がれて中身が丸見えと言うか、故障した際、埃にまみれた配線やリレー類を直ちに見る為だろうか。 そんなバスであるが、運転席上部の天井は見事に飾り立てられている。 Lindaと言うお気に入りの女優の写真も貼られている。
バスは乗客がほぼ満席になると出発する。 アブダリのバスセンターを10時15分に出発。 スエリーでかなりの客の入れ替えがある。 ここはサルト方面とバッカ、イルビット方面へ行く分岐点なのである。 バスは-400mの地底の世界ヨルダン渓谷へ続く緑の多い山肌の斜面を下って行く。 サルトの市庁舎前には10時45分に着いた。 サルトのバスセンターより一つ手前のバス停である。 バスセンターはここから数百メートル街から離れた谷間にあるので、多くの乗客はここで降りる。 私もここで降りた。
京都造形芸術大学の学生、I嬢はサルトの魅力にすっかり取り付かれて卒論のテーマにしているらしい。 この地には、何度も実地調査に足を運んでいるとのこと。 最近の学生にしては随分と芯のあることかと感心し、エールを送りたい。 そんな彼女が作成した、実に詳細なサルト散策の英文マップを片手に歩き出す。 私の歩調は、どうも一般向きではないらしい。 暫く歩いて、自分の現在地を確かめようとマップを開いた。 が、自分の居場所がさっぱり判らない。 暫くマップを眺めていて、はっと気が付いた。 今私が居るのはマップの外なのだ。 そうか、散策とは、ゆっくり街を眺めながら歩くのか。 直ぐ忘れるであろう反省をして、後は自分の目を頼りに更に歩く。 サルトは小さな規模の街だ。 しかし坂の勾配が半端ではない。 アンマンのダウン・タウンとそっくりである。 急な斜面に家がびっしり立ち並ぶ。
一旦、街の中心部に下る。 途中、名は知れぬが急斜面に銀屋根の教会がある。 勿論モスクはいたる処にあるが、教会の多い街でもあるらしい。 街の中心部にはスーク(市場)通りがある。 今日はハッジ休暇の2日目と金曜日が重なり、殆どの店は閉まっている。 仲間から聞いた100フィルス(15円)ショップも覗いて見たが、2軒しか開いていない。 昼時になった。 腹を満たしたい。 レストランも閉まっている店が多い。 メイン通りに面した店が開いて居たのでそこへ入った。 英語が通じるのには一寸驚き。 これは助かる。 チキン・サンドイッチのミールとシャイ(紅茶)を頼んだ。 中には粗末なテーブルが3卓、その内1卓が空いている。 テーブルは先客が食べ散らかしたままだ。 暫くするとおやじがやって来て、テーブルの上の大きな食べ残し等は手で持ち去り、残りの小さな屑は払い除けた。 つまり床に散らかった。 この辺の無神経さがこの地にいると驚かなくなる。 一方、開店前には床を洗剤で綺麗に洗うのである。 チキン・サンド ミールと紅茶でJD
1.25 (200円弱)
南側の丘に登ってみよう。 少し街に馴れてきた。 家と家の間にある狭い急な階段を上る。 道路は等高線に沿って幾重にも丘を輪切りにする。 そんな道路と道路の間は階段で繋がっているのだ。 其処は、正に生活の場でもある。 冒頭の写真はここで撮ったものである。 土地の子供たちが珍しい外国人(東洋人)を見ては、手にしているカメラを目敏く見つけて、写真を撮ってくれとせがむのである。 不思議なのは、写真を撮っても印刷をして、上げられる訳でもないのは、子供達も十分承知していながら、せがんでくるのである。 もう少し驚いたのは、冒頭の子供たちは、私が持っているのはデジカメであることを知っていて、撮った後、直ぐファインダーを覗きにくるのである。 そして写っている自分たちを見て大騒ぎするのだ。 それにしてもこの子供たちの純真で物怖じしない態度は何であろうか。 日本の子供にはには見られない態度ではないだろうか。 どちらが良いとは言えないが、少なくとも私には、ここの子供たちの態度が微笑ましく、又羨ましく思う。
林蔵 @Salt Jordan 19/Jan/'05 (Updated on 11/Jul/'08)#189 |
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