「罰を与えるのではなく,育て直してやりたい」

少年の心の闇に語りかけて,更正のための知恵を絞る。

罪を憎むのではなく,罪と正面から向き合う,人情の家裁修習。



大人への不信を取り除くために
いよいよ今日が最後の社会修習になります。今回は,県内にある少年院の見学に行ってきました。一応,カリキュラム上は刑裁修習の一貫とされているのですが,内容的に見て,実質的には今日から家裁修習の始まりと言えるでしょう。ちょうどいいタイミングですね。

午前と午後に分けて,女子少年院と男子少年院をそれぞれ1箇所ずつ訪問しました(法律上は性別を問わず「少年」とされていますので,女子についても「少年院」という表現になります)。集団部屋や教室,体育館等の施設をひととおり見学した後,処遇・教育過程についての講義です。少年院での教育は「新入時(これまでの自分を振り返る)」「中間期(指導,教育)」「出院準備期(社会適応訓練)」の3段階に大きく分けられること,それぞれの少年の性格や非行の程度に応じて個別に教育計画が作られることなど,経験をふまえつつ色々話していただきました。

驚いたのは,とにかく職員の方が非常に熱心に少年と向き合っていること。「非行に走る少年たちに共通するのは,大人に対する不信感を持ってるんです。それを少しでも取り除いてやるのが,私たちの仕事ですね。」と院長。少年院での教育は,子供の育て直しなのだとか。そういう意識があるからこそ,なぜ物を盗むのが悪いことなのか,少年と何時間もかけて話をしたりすることができるわけです。あれだけ熱意を持って接すれば,少年にも気持ちが伝わりますよ。再犯率わずか7%というのもうなずけます。

・・・ちなみに,自分,修習に来る前に刑務所の見学もしたことがあるんですが,少年院とはえらい違いでしたよ。刑務官は,在監者を教育するというよりも,なんかあきらめモードって感じでしたもん。「まぁ,やるやつは何度でもやるからねぇ。」みたいな(苦笑)。やっぱり,未来のある少年だからこそ,教育にも熱が入るのかもしれません。
Date: 2003/06/11



家裁の修習生
刑裁最後の起案もどうにかこうにか仕上げて,今日から本格的に家庭裁判所での修習が始まりました。家裁修習はわずか10日間ですが,前半で家事事件(離婚,親権といった家族関係を扱う),後半で少年事件(20歳未満の少年の非行を扱う)の手続と実務をそれぞれ見ることになります。

初日の今日は,まず大会議室で開始式がありました。所長挨拶のあと,修習生はひとりずつ自己紹介。そして,その後,なぜか写真撮影(笑)。わずか10日間という短い修習期間のため,地裁以上に歓迎して下さってます。噂には聞いてましたが,家裁の職員の方々も非常に親切ですよ。家裁では,弁護士や検察官といった法律家を相手にするよりも,むしろ一般の方を相手に話をする機会が圧倒的に多いため,話し方も自ずと丁寧かつソフトになるのかもしれません。

修習生の教育についても非常に熱心です。初日からさっそく,家事審判・調停についての講義,家事調査実務についての講義,事件受付の見学と,立て続けに次から次へとやるべきことが用意されていました。甲類・乙類といった家裁の事件独特の呼称や,それぞれの手続と職員の役割について,基本事項から解説してもらえます。自分,「家栽の人」のマンガレベルの知識しか持ってなかったので,こういう講義を初日にやってくれたのは非常にありがたかったです。(研修所でも,たしか1度,家事事件の講義はあったはずなのですが・・・。どういうわけか,記憶の引き出しを開けてもカラッポなもので(苦笑)。) で,講義が終わると,今度は,来週傍聴する事件の記録検討です。ほんと,休む間もありません。短期集中,密度の濃い10日間になりそうです。
Date: 2003/06/13



大阪風情
今日は,家事事件調査の見学がありました。家事審判・調停では,調査官という方が職権で当事者に面接して事情を聞く等の調査を行うんですね。たとえば,子の監護者を決定するにあたっては,調査官が父と母それぞれに会って話を聞き,経済状態,親子関係,生活環境等を調べたり,子に会ってその意向を確認するなどして,その報告書を裁判官に提出することになります。もちろん,そこでは,心理学,教育学,社会学といった様々な知識が必要となるわけです。家裁は,事件の性質上,地裁と比べるとかなりパターナリズムが前面に出てくるんですね。ちなみに,自分は,とある後見監督のケースを傍聴させていただきました。

夕方からは,民事部の裁判官による知的財産法の講義がありました。これは公式行事ではなく,修習生が自主的に頼み込んでお願いしたものです。都市部でないと,こういう勉強の機会はなかなかないですからね。・・・で,それだけでも十分あつかましいわけですが,今日はさらに,修習生全員で裁判官のおうちまで押しかけてきました。大阪出身の裁判官が自ら焼いたお好み焼きを食べながら,でっかいテレビで「探偵!ナイトスクープ」(東京の人は知らないかなー?)のビデオを見るという,大阪度満点のひととき(笑)。関西出身の自分には,こたえられません。高松にいながら,こんな大阪風情が味わえるとは・・・。非常にノスタルジーな気分に浸れたひとときなのでした。
Date: 2003/06/18



市民に歩み寄った司法
家裁修習,非常に忙しいです。これまでの民裁修習や刑裁修習では,記録検討や起案を自分のペースでできたんですが,家裁では30分刻みでやるべきことがびっしりと決められているので,時間的余裕が全くないんですね。記録検討にあてられる時間は,1件あたりせいぜい30分がいいところ。事案の概要を把握して,ポイントをメモするのが精一杯という状態です。・・・というのも,実は家裁では「居残り修習」ができないんですよ。これまでの修習では,6時とか7時ごろまで居残りするのは当たり前だったんですが,家裁では裁判官も5時ジャストに帰宅するため,修習生も5時に記録を返却しなければなりません。早く帰れるという意味ではいいんですが,逆に修習時間中は非常にスケジュールがタイトにならざるをえないわけです。家裁の事件は,単に理屈だけではなく,それまでの経緯や感情のもつれみたいなところが大事だったりするので,もう少し時間をかけて記録検討したいなぁというのが本音です。

さて,今日の午前中は,心理テストに関する講義でした。少年事件などで,非行に走った原因などをつきとめるために,心理テストが使われるんですね。心理テストの手法と結果の利用法について調査官の方から説明を受けた後,実際に修習生もYG型性格検査と呼ばれる心理テストを受けました。その結果によると,自分は「平均型と不安定消極型の中間」なのだとか。抑うつ性・劣等感・神経質といった項目の点数がかなり高かったです。結構当たってますねぇ。そのほか,箱庭療法と呼ばれる,人形や家具等を自由に組み合わせてひとつの世界を作るという検査も見せてもらいました。昔なつかしのレゴブロックを思い出しましたよ。言葉からはわからない深層心理を引き出すために,色々な工夫がされているなぁと思いました。

午後からは,家事事件の調停(遺産分割事件)を傍聴。調停委員さんが,当事者それぞれと交互に話をして,双方が納得できる妥協案を提示していきます。調停では,通常の民事裁判のようにズバッと判決を下して解決というわけにはいきません。双方当事者が納得してくれなければ,意味がないんです。人を説得するというのは,本当に難しいですよ。えてして感情的になっている当事者を,調停委員さんがなだめたりすかしたり,愚痴もきいてあげたりしながら,信頼関係を築き上げて,妥協の糸口をつかんでいくんですね。「必要なことだけ,答えて下さい」というスタンスの民事裁判とは全く趣を異にします。家裁の仕事は,まさにこのように当事者の話に真摯に耳を傾け,心の機微をとらえなければならないのであり,自分はそこに「市民に歩み寄った司法」を見た気がしました。
Date: 2003/06/23



風のように時は流れて
実務修習最終日・・・。とうとうこの日が来てしまいました。

まず,午前中は,裁判官との座談会がありました。内容はもっぱら,来期以降の修習生のカリキュラムをどうすればよいかというものです。来期からは高松の修習生は人数が2倍になるため,社会修習の数を半分にするのだとか。ほかにも,修習旅行をどうするか,模擬裁判をどうするかなど,司法試験合格者増加は実務修習のあり方に大きな影を落としています。この先,どんどん人数が増えていき,いずれは修習期間もさらに短縮されるわけでしょう。予算の問題もあります。そうすると,今後ますます社会修習などは減っていく方向にあるわけでして・・・。世情に疎くなりがちな修習生にとって,知見を広める機会が減ることは非常に残念なことだと思います。修習生が地元から熱烈に歓迎され,多くの社会勉強の機会を与えられ,指導官と濃密につきあうという,古き良き修習は,もう一部の地方修習でしか残っていないと思われます。来年以降,修習に来られる方は,ほんと地方を希望されることをお勧めしますよ。あとで,本当に来てよかったと思えるはずですから。

終了式を終え,午後からは裁判所・検察庁・弁護士会に挨拶回りです。修習生8名で,今までお世話になった方々を訪れ,最後の別れをしてきました。懐かしい顔を拝見すると,今までの出来事が走馬燈のように思い出されます。検察修習で,指導官からコテンパンにやられたこと。弁護修習で,和解しようにも全然ラチがあかなくて困り果てたこと。民裁修習で,遅くまで居残りして起案する中,部長のギャグで癒されたこと。刑裁修習で,模擬裁判の壇上に登ったときのあの緊張感。そのひとつひとつの出来事の価値の重さは,全てが終わって初めて気づいたのでした。一人の法律家を作り上げるために,どれだけの人たちの思いが込められているかということも・・・。

長いようで短かった高松での1年間は,まさに風のように流れていきました。未だ小鳥の自分は,何度も強風に飛ばされそうになりながらも,どうにかここまで飛んでくることができました。・・・もっとも,法曹界という空を飛んでいる限り,またすぐに新たな風が吹いてきます。それは,ある時は向かい風かもしれないし,ある時は追い風かもしれない。いずれにせよ,風の吹かない日はありません。その風の中で,小鳥は羽ばたき方を覚えていくのです。そして,頑張って空を飛んだ暁には,枝に休んで木の実を食べて自らの英気を養い,そしてまた飛び立ち,新たな地にその実の種を蒔くのです。

もう目の前に,「後期修習」という竜巻のような風が見えてきました。そろそろ,また新たな風に向かって,飛び立つ時が来たようです。


おまけ:
指導裁判官がいなくなったスキに,こっそりと裁判官デスクに座って,一人物思いにふける当HP管理人の写真(笑)。クリックすると,少しだけ拡大できます。
Date: 2003/06/27


追記・讃岐うどんを顧みて
讃岐うどんを食べられるのも,今日が最後。ということで,「セルフうどんの店・ちくせい」で食べ納めをしてきました。今までおよそ30店ほどのうどん屋を食べ歩いてきましたが,その中でも極私的NO.1の店が,この「ちくせい」です。打ちたてのうどんのコシもさることながら,トッピングの天ぷらが最高。目の前でおばちゃんが揚げてくれたばっかりのアツアツサクサクの天ぷらを,うどんにのっけていただきます。コロモと,たまごの黄身と,うどんのダシとが優しくからみあうハーモニー。この味に題名をつけるなら,「うどんフィルハーモニー交響楽団演奏・カツオダーシ作曲・ちくわコンチェルト第3番『温泉たまごとの出会い』」ということにでもなろうか。いや,この味を,言語レヴェルで表現することはもはや不可能なのかもしれない。味覚受容細胞における刺激受容機構と味覚シグナルの情報処理を激しく刺激する,最強に強まったこの味を,みなさんもぜひ高松に来て堪能していただきたく思います。以下のHPは,ご参考までに。 → http://www.look-kagawa.com/wnn-c/udon/seventh/tikusei.htm

さて,高松から帰ると,おそらく色々な所で「讃岐うどん,どうだった?」などと聞かれることでしょう。でも,実はこの質問が,一番答えにくかったりします。コシがあるとか,うどんのエッジが立っているとか,抽象的に表現したって伝わりっこないわけで・・・。讃岐うどんだって,コシを売りにしている店もあれば,そうでない別のセールスポイントを持つ店もあるんです。その意味で,上記のような抽象化は正確性を欠くと言わざるを得ません。むしろ,讃岐うどんの最大の特徴は,圧倒的なバラエティーの多さにあるのではないかと思ったりします。コシの弱い細うどんもあれば,コシの強い太うどんもある。イリコダシもあれば,カツオダシもある。天ぷらのトッピングの組み合わせは無数にある。讃岐うどんをひとつの型にはめることはできないんですよ。そういった種の多様性,選択肢の多彩性こそが,讃岐うどんのアイデンティティー(独自性)ではないでしょうか。そして,その中から,香川県人は各々のマイ・フェイバリットうどんを見つけ出し,それこそが「真の讃岐うどん」であると信じて疑わないのです。従って,ある特定の人間に「讃岐うどん,どうだった?」と尋ねても,それは極めて偏った一面的な讃岐うどん観が呈示されるにすぎないでしょう。それでも良しとして話すのか。自分は,そこに心の葛藤を感じるのです。

そんな讃岐うどんにも別れを告げ,いよいよ明日,和光へと乗り込みます。
Date: 2003/06/30



現行ログ/ [1]


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