現行憲法において、法律の留保は認められていない、とのことですが、どの条文を根拠にそう言えるのですか。(p.18) |
ここで言っているのは、悪い意味での法律の留保ですね。 憲法上、これを否定する明文はありません。あえて言うならば、明治憲法のような「法律の範囲内で」という文言を使用していないことが根拠となります。 |
国民主権の@「権力的契機」 と A「正当性の契機」という言葉の意味がよくわかりません。(p.38-42) |
なるほど。国民主権のところは難しいですよね。 まず、主権=@「権力的契機」と考える学説について。これは、国民自身が投票によって政治のあり方を決めていくべきだという説です。いわゆる直接民主制のイメージですね。 これに対し、主権=A「正当性の契機」と考える学説。この説は国民自身ではなく、国民の代表者(=政治家)が政治のあり方を決めていくのだと主張します。そこで、代表者が色々なことを決定していくわけですが、そもそも代表者は、選挙で選ばれるんですよね。選挙で選ばれることによって、国民全体から政治を任されたわけです。つまり、代表者は、国民全体の信任・委任に基づいているからこそ、国家権力の行使に携わることができるのです。このように、国民はいわば委任者としての地位にあるわけでして、これを「国民は、究極的には、国家行為の正当性を基礎づけているのだ」というふうに言います。 |
外国人の人権享有主体性のところで、「人権は、前国家的性質を有する」と言い切っているのに、あとで「参政権は、後国家的性質なので、認められない」とするのは、矛盾してませんか。(p.54、57) |
たしかに、少し変な感じがしますよね。 おそらく、人権享有主体性のところでは、人権の一般論として、前国家的だと言っているのでしょう。もし気になるようであれば、「元来、人権は前国家的性質を有している」と書けばいいと思います。 なお、選挙権はそもそも人権ではなく、独自の重要な権利だと考えてしまうのもひとつの手でしょう。 |
「参政権は前国家的権利ではない」ということと、「政治活動の自由は前国家的権利である」ということとは、矛盾しませんか。(p.55、61) |
これは矛盾しません。 政治活動は、一種の表現行為と考えれば、国家ができる前でもありえますよね。でも、参政権というのは、国の政治に参加する権利ですから、国家の存在が当然の前提となります。 |
公務員関係の「存在」と「自律性」はどう違うのですか。(p.79) |
うーん・・・。あんまり意識したことなかったなあ。たしかに、入門講座(岩崎クラス)では、両者は根拠条文が異なると指導されてましたね。「存在」は15条、「自律性」は73条4号だと。 まず、「存在」というのは、憲法が公務員についてある種の特別扱いを認めている、というほどの意味だと思います。 次に、「自律性」というのは、上命下服の関係を意味しているのだと思います。つまり、公務員は他の政党や自分の政治思想などから影響を受けずに、上の命令に従って行動することが要求されているのです。その実質的根拠は、行政の民主的コントロールに求められるでしょう。 |