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 原因において自由な行為について、間接正犯類似の構成をする立場によると、実行行為の定型性の強い故意の作為犯については実行行為性を認めにくいとありますが、この実行行為の定型性という意味がよくわかりません。(p.42-47)

 ああ、自分もイメージでしかとらえてないのですが・・・。

 過失犯というのは、注意義務違反というその性質上、どうしても故意犯に比べて射程範囲が広いのだと思います。それゆえ、原因において自由な行為みたいな例外理論も認めやすい、と。そのような意味でとらえればよいと思います。

 

 客観的相当因果関係説は、客観的全事情を採りこんで相当性を判断するというのだから、結論として、条件説と変わらないのではないですか。(p.74-78)

 変わらないです。

 ただ、行為後に特殊な事情が発生した場合は、これを全て採りこむとは限らないので、条件説と差が生じてくると思いますよ。

 

 具体的符合説は、「行為者が表象した事実と生じた結果とが、具体的に一致していなければならない」と考えるんですよね。それなのに、どうして、客体の錯誤の事例では故意が認められるのですか。(p.87-90)

 なるほど。ごもっともな疑問ですね。

 たしかに、具体的符合説を徹底するならば、全ての事実の錯誤は故意が阻却されるはずです。しかし、実際に具体的符合説を採る論者は、「客体の錯誤は、さほど重要な錯誤ではない」として、故意を肯定しているようです。

 この点は、まさに他説から、「なんで、客体の錯誤だけ特別なんだ。方法の錯誤とどう違うんだ。」と批判されています。