バッテリーバーク

 

バッテリーバーク南端に出ると、自由の女神が見えます。

自由の女神行き乗船を待っている行列、約1時間くらい待ちます。

ここから、リバティー島やエリス島へ渡ります。

 

 

バッテリーバーク南端 自由の女神行き乗船場

バッテリーバークのバッテリーは大砲の意味です。

昔、砲台があったのでこの名が付いたそうです。敷地内にはクリントン砦があります。

 

 

Tシャツや小物を売っている露天商の店があり、ここで買うとけっこう安い。

バッテリーバークはさほど広く感じません。観光客でにぎわっていました。

 

公園内のリス

公園内に野生化しているようなリスがいます。

SONY DV DCR-TRV20 撮影

 


 

バッテリーパーク 

高層ビルの谷間を歩いて、ハドソン川へ向かうと出現する広大な緑の敷地が、
バッテリーパークだ。1812年の米英戦争の際、イギリス側が防衛の砦として
沖合に築いたウエストバッテリーWestBattery(現在のクリントン砦)
とマンハッタンの間を埋め立ててできたのがこの公園だ。園内にあるプロムナード
から見る自由の女神とニューヨーク湾の眺めは格別。リバティ島とエリス島への
フェリーはここが発着地になる。

クリントン砦
ニューヨーク港の防衛のために1812年に築かれた砦。当時、バッテリーパークは
まだなく、沖合に浮かぶ人工の小島だった。ウエストバッテリーと呼ばれていた砦は、
一度も実戦で使われることなく、1824年にニューヨーク市に譲渡。
キャッスルガーデンCastieGardenと改名され、オペラ座として
利用されていた。その後、1892年にエリス島に入国管理局が置かれるまでは
移民局となり、700万人の移民がここから人国した。

その後は1942年までニューヨーク水族舘となったが、水族館はコニーアイランドに移転。
1950年に国定記念物の指定を受け、砦だった頃の円形の建物を復元した。
現在の名前は1817〜21年のニューヨーク州知事、デ・ウィット・クリントン
にちなんでつけられた。

 


旅行記

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