K-STREET New York情報 タイムズスクエア
00/10/14
タイムズスクェア
マンハッタン中央部の42丁目を中心に南北は40−54丁目、東西は6−8番衝の通りに挟まれた地域。
1905年にニューヨーク・タイムズ本社が移転してきたことにちなんで名付けられた。
ミュージカルで知られるブロードウエーに近く、約40の劇場、約300軒のレストランなどがあり、
「世界の交差点」と呼ばれる。地域内のホテルの客室数は約1万3千室でニューヨーク全体の約20%を占める。
年末恒例のカウントダウンは1907年から続く伝統行事で、毎年約50万人が集まる。
変ぼう続けるタイムズスクエア
年末のカウントダウン・イベントで有名なニューヨーク随一の
繁華街・タイムズスクェア。麻薬、犯罪、売春の巣くつと言われた
80年代のマイナスイメージを一掃し、この10年間で娯楽、観光、
ビジネスの一大拠点へと再生を果たした。
ホテルの建設ラッシュが続くなど今なお変ぼうを遂げる姿は、
世界中から集まる観光客だけでなく多くのニューヨーカーに
歓迎されている。しかし、大資本による商業主義が昔ながらの
商店街や安映画舘などを追い出し、「ニューヨークは
金持ちが集まるテーマパークと化した」とする批判的な見方もある。タイムズスクェアの
移り変わりは、史上空前の好景気がアメリカ経済にもたらした明暗両面の縮図と言えそうだ。
「もう40年商売してるが、昔は午後5時以降は怖くて通りに出られなかった。だが、
タイムズスクェアは変わった。観光客も増え、おれの商売も上々だ」。観光客がひっきりなしに
行き交うブロードウエー近くの屋台でホットドツグなどを売るアンソニー・スポートさん(60)
は日焼けした顔をほころばせた。
通りを挟んだ電器店の店員、フォアド・ムスタファさん(36)も「犯罪の心配がなくなった
おかげで大勢の客が来る。ジエリアーニ市長は大したヤツだ」と街の変化を善ぶ。
マンハッタン42丁目を中心とするタイムズスクエア一帯は、ミュージカルの劇場街や
映画館チェーンAMCの複合映画館、マダムタッソーろう人形舘などの娯楽施設や各国の
レストランなどが軒を連ね、年間2千6百万人の観光客が訪れる一大観光スポットだ。
最近は、ABCのテレビスタジオ、英ロイター通信など欧米メディアの拠点でもあり、
銀行、証券、ナスダック店頭市場の巨大スクリーンなども立ち並ぶビジネスセンターとしての
顔も合わせ持つ。
しかし、80年代初めは風俗産業が幅を利かせ、席薬取引や犯罪が横行する
「世界で最も危険な通り」と言われた。この地区を訪れる90%以上が成人男性で、
女性や子供が近寄れない荒廃ぶりと治安の悪さから、一時は再生不能とささやかれていた。
こうした状況に危機感を募らせた行政、民間企業、住民らが92年、特別組織
「タイムズスクェアBID」を結成して本格的な再生に乗り出した。地区内から徴収する特別税を資金に、
今も清掃や警備、観光促進などの活動を展開する。
娯楽大手デイズニーが95年に「ライオン・キング」などのミュージカル作品を上映するために
落ちぶれていた由緒ある劇場を修複するなど、企業誘致が軌道に乗ったことも再生に弾みをつけた。
風俗産業の摘め出しによって、かつて50軒以上あったポルノショップのほとんどが姿を消し、
犯罪率も激減した。ニューヨーク都市開発公社の理事長として地域再生を主導した
ウィリアム・スターン氏(64)は「タイムズスクェア再生は税収と雇用の増加という経済的効果を
もたらしたが、母親が子供を連れて来られる場所になった変化こそ意味がある」と指摘する。
タイムズスクェア一帯の変ぼうは今も続く。
今月初め、タイムズスクェアの西側に地上45五階、客室数880室、総工費3億j(約310億円)
をかけたウエスティン・ホテルの建設が始まった。近くには客室数444室の
ヒルトン・タイムズスクェアが一足先にオープンしており、観光、娯楽施設の発展ぶりを
目の当たりにしていたホテル業界がようやく乗り込んできたと受け止められている。
ただ、安全と清潔さを取り戻した新しいタイムズスクェアが多くの人々に歓迎されているのは事実だが、
一方で安い映画舘や劇場を駆逐するなど多様な都市の味わいを失わせたという批判的な見方もある。
コロンビア大のケネス・ジャクソン教授は「巨大都市は、ポルノショップさえも含む多様な
側面で構成されるべき。今のタイムズスクェアは屋根のない大ショッピングモールに見える」と語る。
「タイムズスクェアにデイズニーが乗り込んできてから、ろくなことはない。
警官が出ていけとうるさいからね。安全なのは結構だが、おれたちの商売はやりにくくなった」。
7番街でトランペットを演奏していたミエージシャンのロン・マイケルズさん(47)はそう言って、
楽器を片づけた。
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