さえずり!その23  私が珍鳥を撮りに行かない理由

 

 

ながらその面白さが全く理解できない。
とにかくその知人に会うたびにさんざん話を聞かされ、更に私自身が珍鳥を見つけた際の実体験
もあるものだから、情報があっても撮影に行きたいと全く思わないのである。
価値観の違いだからしょうがないと思う一方、そうしたひどい話を聞くたびに他の野鳥カメラマン
までもがすべてそういったタイプに見えてしまうのが悲しい。
昨冬の山田池公園で猫に喰われたルリビタキもマナーの悪いカメラマンに餌付けされたことによ
って起った悲劇であった。ああいう人間は珍鳥が出たといっては追い掛け回す人間なのだと私は
確信している。私はああいう撮影する資格もないような奴らを見たくもないし、同じ空気を吸いたく
もない。写真を撮るのなら桃井氏や萩原氏のように常に野鳥の立場に立って撮影される良識の
ある方々と一緒に撮りたい。被写体が例えスズメやキジバトであっても。
だから私は珍鳥を撮りに行かない。わかって頂けましたでしょうか。

 

 

  さえずり!その22  白神山地を守った人々に感謝!
(2001.12.23移動)

 

本日のプロジェクトXという番組で、世界遺産に登録された白神山地が一部の市井の人々の力で守ら
れた事を知り、感動すると共に感謝した。
秋田県と青森県の境にある白神山地に対して悪の権化、自然の天敵である林野庁が策した世にも
愚かな林道計画。それを日本特有の村八分という江戸時代から今の時代まで延々と日本人に根付く
排他的姑息な差別に屈することなく戦った人々のエネルギーに私は尊敬の念を抱く。
現在は環境に対しての認識が変わりつつあるも(役人は除く)、あの当時に公共事業を実施すること
を反対することは多分の空しさの中で戦っておられたのだと思う。しかし自然が人間に与えるとてつも
ない恵みを知っておられた方々の残すことへの努力は本当に素晴らしいものがあった。
そのプロジェクトに参加したマタギの方が話しておられた。この森は何もかもが素晴らしいと。
また、開発する側である秋田県庁の役所の方がそのグループにクマゲラを観察したことと、工事を
ストップさせる方法を教えるその勇気に参ってしまった。この方はヘタをすると役所を首になることを
覚悟で、白神の森を守れるならそれも善しとされたのである。人間捨てたもんじゃないと人間嫌いの
私も思いました。
しかし、番組の中で二つの問題が。一つは先に述べた村八分的陰湿な日本人気質のことである。
これには数百年の長い歴史があり、なくなりそうもない。今の時代であれば小泉首相を批判する人に
嫌がらせをする輩たちである。多数に従うほど楽なものはないのだ。何の責任もなく気楽な傍観者で
いられるからである。
もう一つは役所が出した環境調査(アセスメント)である。この開発する側の一方的なアセスメントが
いかにいい加減かは、アセスメントの仕事をされている人間が一番ご存知である。一刻も早く中立的
な立場で環境調査が出来るように法人化すべきである。そうしなければ、諫早湾のような犠牲者を
なくすことは永遠にできないのである。アセスメントを民営の人間が行うと、必然的に金を払う立場に
立った報告書を出すのは当然のことである。だから、アセスに従事されている人に責任はないのだ。
中立的なアセスメントの確立を希望したい。(日本じゃ永遠に無理かも・・・・・)

 


 

  さえずり!その21  ドラマの中の野鳥の声

(2001/11/4移動)

最近、とても気になることがある。それはテレビドラマに効果音で使われる野鳥の声である。
季節感を知ってか知らずか、違和感を感じることが多々あるのだ。
特に今は中村吉右衛門さん演ずる鬼平犯科帳を最初から見直しているのだが、結構首をかしげる
場面で使われている。
例えば真夏の江戸の場面でモズが高鳴きをしているのだが、果たして真夏にモズは江戸時代には
鳴いていたのだろうか?また、同じ夏のシチュエーションでヒヨドリやカワラヒワの声を効果音に使用
していたが、これらの野鳥が街中に進出してきたのはつい最近の傾向であって、夏の時期に江戸の
街中でさえずっていたかとても疑問が残る。
ある場面では深夜にセッカが飛びながら鳴くさえずりをバックに使用していたのには、笑わされた。
また、街中の真昼間の場面でアカハラがさえずりを使っている場面は悩んでしまった。今ほど野鳥
の数も少なくないはずだから、あちこちでさえずってもおかしくはないのだろうか。
どうも気になってドラマに集中出来ないのである。実際に江戸時代の野鳥の生態など判るはずもなく
とにかく「?」が頭の中を飛び交うのである。
通常のドラマでもこんなところでこんな野鳥は鳴かんやろと突っ込んでしまう私がいる。果してドラマ
を作る側はそこまで考えて・・・・・作ってはおらんやろねえ。
ちなみに今まで、一番よく使われている野鳥はスズメとモズであると記憶している。スズメは恐らく昔
より人間に近くで賢く立ち回っていたであろうから問題はないが、モズの声を使用する時はもう少し
季節を考えてもらいたい。何せ私の大好きな野鳥なものだから。
例えば夜中に盗人達が息を潜めて押し入ろうとしている場面で、サギやシギ等が鳴きながら飛んで
いてもおかしくはないと思うのだが、一度も聞いたことがない。皆さんはこんなこと考えながらドラマ
は・・・・・見ませんよね。やはり私が変なのでしょうね。

 


 

  さえずり!その20  子供の命はそんなに軽いのか!

(2001/11/4移動)

久しぶりに毒鳥がさえずりたくて飛んできました。それは日本の子供たちが無残に殺され続けている
ことに我慢できなくなったからである。
我々鳥界では時がどんなに経とうとも子供達を育てることにすべての力を注ぎます。自身が食事を
抜いて、羽がぼろぼろになっても待っている子供達の元へ餌を運ぶ。雨が降れば卵やヒナが濡れ
ないように全身でカバーし、外敵が来ればそれこそ命を賭して戦います。
それは何十年後も何百年後も変わることはないであろう。
であるのに本来知恵を授かり、進歩している人間は何と愚かな行為をしているのでしょう。こと繁殖
に関しては退化しているといってもおかしくない。特に日本人の最近の馬鹿さかげんには恐れ入る。
自分の子供を親が虐待して殺す。何と愚かなことか。江戸時代の日本人は捨て子を拾っても我が子
同様に育てたケースがいっぱいあったというのに。昔の日本人の方が貧しくとも情愛が深かった。
またそうした子殺しの親の刑罰がたった3〜5年程度と聞いて、毒鳥は思わず止まり木から目を回し
て落鳥してしまった。毒鳥はすぐに刑法を改正して極刑に処すべきだと考える。弱者で無抵抗の子供
を自分達の気まぐれな感情で殺すとは、我慢できない野蛮な行為。まさに犬畜生である。
虐待されている時の子供達の不安で辛い気持ちを考えた時、私はこうした子殺しの犯罪を起こした
重罪人どもを私の毒ですべて殺してやりたいと思う。過激なさえずりになってしまったが、私は子供達
が大好きなのだ。元気に遊び回る子供達を見るのがこの上なく楽しい。それが他人の子であっても。
だから今回の大阪で起こった8人のいたいけな子供達を自分の勝手な論理で殺したケダモノだけは
許せない。たった7年しか生きることが出来なかった子供達の哀れさ、そして包丁で刺されて苦しんで
死んでいく子供達の恐怖を我が事と同じように感じる時、怒りは倍化するのだ。もしこのケダモノを
裁判所が死刑以外の判断を下したならば・・・・・・・・。考えるだけで許せない。
このケダモノも死にたいならば暴走族のバイクに突っ込んで死ねばよかったのだ。そうすれば誰も何
も言わなかった。
日本人に言う。子供の命はそんなに軽いのか!抵抗力のない子供達を虐待し、果ては殺してしまう
親たちはどうしてあんなに軽い罪なのか!鳥界では確実に鳥社会から追放されるであろう。
毒鳥は声もなく殺された子供達のために今日も鳴いてあげたい。

 


 

  さえずり!その18  ブルーな想い

(2001/7/10移動)

 

フィールドノートには書かなかったが、4月29日の雨の日に久しぶりに大泉緑地に行ってきた。そして
ビックリしてしまった。ブルーのテントがそこかしこに張られていたのである。以前に伺った時には一つ
も見なかったのにである。今まで野鳥を観察するスポットにもテントがたくさん張られていて、とても近く
まで寄って野鳥を観察する気にはなれなかった。ブルーな気持ちなまま帰宅する。
すると、関西テレビのドキュメンタリーでこの人達の生の素顔・声を追いかけた番組があり、更にブルー
になってしまった。
リストラだけではなく借金や人間関係からの逃避、中には気楽だからという方もおられた。しかし60代
以上の方が圧倒的である。この人達は大阪に住んでいながら市民、国民として認知されていないので
ある。その数は大阪だけで1万人を越えるというから驚きである。
こうした今までの日本の成長を何かの形で支えてきた人達がこんな形で生活をしていることに理不尽を
感じる私は変なのであろうか。そしてこの人達に対して無策であった愚かな政府を頭が変わったからと
いって体質が全く変わらないものを80%もの馬鹿な日本人が支持する現状に危機感を感じる私は変な
のだろうか。
そのドキュメンタリーの中に生まれてこの方天涯孤独という方がおられた。生まれてからずっと施設を
たらい回しにされ、自分の努力で取得した建設関係の資格で生きてこられた方が年老いてたった一人
で大阪城公園のテントで仕事がなくなって住んでおられる。
「家族を一度も持たず、私はずっと一人です。」とても温厚な方の仰る言葉を聞いて私は泣いてしまった。
この方に比べて私は何て幸せなんだろうと。もう60を越えているようにお見かけするこの方と友達になり
たいと私は考える。が、あのテントに近づく勇気は私にはない。気持ちは果てしなくブルーである。

 


 

  さえずり!その17  ハンターの規制強化を!

 (2001/7/10移動)    

 

最近、野鳥の会の野鳥誌にて静岡県磐田市でハンターによって2羽のマガンが射殺された事を知った。
たまたま目撃されており、2人の猟友会所属の人間は検挙されました。
また茨城県では同じくハンターによってオオタカが射殺されたとのこと。こちらは犯人が捕まっていない
ようです。まさに恐ろしい暴挙といえましょう。(毒鳥も撃たれる可能性が・・・・コワイ)
このことについて皆さん方人間は3つのことを考えなければなりません。
まず一つ目は静岡のように犯人が検挙される確立が極めて低いことです。今回は偶然野鳥の会遠江
支部の方によって通報された為に検挙につながったのですが、ほとんどの場合は我ら野鳥は殺され損
となっているようで、死体が発見されて初めて事件が発覚される事がほとんどのようです。
二つ目は例えこれらの犯人が逮捕されても、罪はビックリするくらい軽微だということです。今回の静岡
の射殺事件についても書類送検が関の山でしょう。野鳥側としてはまさに泣き寝入り状態です。
そして三つ目はこうした野鳥の判断も出来ない極めて間抜けで無知な人間に、日本では猟銃を持たせ
ているという驚くべき事実を認識することです。
静岡の犯人はカルガモと間違えて撃ったとのこと。我々からはとても信じられない見解ですが、恐らくは
誤射として片付けられるのでしょう。それが事実とすればそんな鳥を判別も出来ない輩に猟銃の使用を
許可している役所の責任は厳しく罰せられるべきです。
毒鳥も管理人と琵琶湖にコハクチョウを観察に行った際に、私達のすぐ近くに猟銃を持ったハンターを
見て怖くなった(身の危険を感じた)ことがあった。それも住宅地にも近いところでの遭遇であり、本当に
これでいいのかと思ったことがある。出来るだけ早期に法改正を行い、野鳥の判別も出来ないハンター
の猟銃使用許可を即刻取り消すべきである。(年1回のペーパーテストが最低条件)
本音を云えばハンターなど日本には必要ないとは思うが、その一方駆除しなければならないケースもあ
るので狩猟を生業としている最低限の優秀な人間のみに許可を徹底することが急務である。
趣味で狩猟をやっている人間などは即刻許可を取り消しすべきではないだろうか。
そうしなければ多くの我々野鳥仲間が誤射の名目の元にこれからも殺されていくことは間違いないだろう。

  

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