鉄道と自転車とバーンカルテ

 私は、この4月以来、約20年ぶりでミュンヘンに住んでいます。変わらないものも多いのですが、やはり20年という歳月の流れは大きく、いろいろなものが違っていて、今浦島の気分になります。

 変わったな、と思うものの一つが鉄道です。昔は日本も国鉄でしたが、ドイツも連邦鉄道と言って、やはり国有の鉄道でした。日本の場合には、国鉄民営化法など、一連の法改正で、国鉄の民営化を実現しましたが、ドイツでは、その重要性を考慮して、基本法(憲法をこう呼びます)を1993年12月に改正して、それを実現しました。

 日本でも、国鉄時代に比べてJRはすっかり面目を一新した感じがありますが、ドイツの場合も、ずいぶん雰囲気が変わったなという気がします。もちろん、私が感じている変化のある部分は、民営化の威力というより、20年という時間の流れの法が大きく影響しているに違いありません。

 例えば、昔はドイツの列車は、幹線であるか、ローカル線であるかに関わりなく、すべて個室形式でした。つまり列車の片側に廊下が通っており、向かい合って3人づつ、6人が座る形式の部屋がずらっと並んでいたものです。ケストナーの名作、「エーミールと少年探偵達」を読まれた方なら、エーミール少年がベルリン行きの列車の車室に入っていく場面を思い出して下さい。躾の良い少年が普段教えられている通りに自分の名を名乗ると、それにつられて同室の人が次々と名乗るという場面です。あのように互いに名乗るのはともかく、長時間に渡って密閉した空間をともにするものですから、初めてあった人同士がまるで10年の知己のように話し合うのは普通のことで、ドイツの旅の一つの大きな楽しみと思っていたものです。

 それが今回来て、すでに数回、列車の旅をしていますが、幹線であるとローカル線であるとを問わず、すべて日本と同じ4人掛けの椅子になっていました。今までのところ、個室型の列車にはまったくお目にかかっていません。確かにあれは、スペースの無駄が多く、経済性を追求する現代の鉄道の理念に反するものですから、消えていくのは時代の流れというものでしょう。

 はっきり便利になったものも数多くあります。鉄道で自転車を運ぶというのはその典型です。日本ですと、国鉄時代でもJRになってからでも列車で自分の乗る自転車を運ぶということにはなぜか白目を剥いていて、簡単に分解できる特殊な、したがって非常に高価な自転車を、これも高価な携行用の袋に入れる以外には、私の知る限り、持ち運ぶ方法はありません。

 ドイツでは、20年前でも、自転車を列車に持ち込むのは簡単でした。ただし、そのためには貨車が連結されている旅客列車でなければなりませんでした。そこで、時刻表を目を皿のようにして検討して、そういう貨車付きの列車を乗り継いで、あちこちの町を見物にいったものです。

 今回、うれしいと思ったのは、自転車を持ち込める列車の数が飛躍的に増加していたことです。それも自転車マークが時刻表について、それが一目瞭然になっています。さすがにICE(ドイツ版新幹線で、最高時速は280キロ)は駄目なようですが、その下のICクラスには結構自転車持ち込み可というものがあり、これがローカル急行のレベルにまで下がると、自転車が持ち込めない列車を探す方が骨というほどに沢山の列車に自転車マークがついています。昔は、純然たる貨車が連結されていたので、そこまで自転車をホームを押していって預けた後、またホームを歩いて客車のところまで戻り、目的地に着いたらまたもホームを歩いて取りに行かねばなりませんでした。それが、今のそれは、客車の一部に自転車収用スペースがあるので、そこに自転車を預けて、すぐとなりの客車に座る事ができ、したがって降りるときも自分の自転車と一緒に降りれば良く、簡単です。

 省エネの要求される現代社会において、便利な市民の足である自転車を運ぶことが、自家用車全盛時代の近距離鉄道の生き残る道と考えていることがよく判る設備です。さらに、こうした自転車を持っての旅を呼び起こすため、近郊の鉄道駅を起点としたサイクリングコースの宣伝などにも余念がありません。これはJRも是非見習ってほしいサービスの一つです。

 民営化されて、なぜか突然不親切になったのが、料金表です。もっともドイツの鉄道料金は計算が難しいのは確かです。日本は中央に山脈があって、平地は海岸に沿って長く南北に延びているため、鉄道も全国のほとんどすべてを上り、下りで分類できる単純さです。これに対して、ドイツの場合は、面積はほぼ日本と等しいのに、四角形をしていて、しかもほとんどすべてが平地ですから、まさに網の目のように鉄道がつながっています。そこで時刻表もやたらと複雑です。今私の前に置いてある全国版の時刻表は変形A4版で厚さが6cmに近いという代物です。その複雑な網の中を走るのですから、どういうコースを通るかにより、時間も料金も大きく変動します。その上に、多分これこそ民営化の影響でしょうが、やたらといろいろな割引制度が存在しているものですから、なかなか一概に料金をいえないのは判ります。しかし、時刻表にも、駅の掲示にも料金表示がまったくない、というのは不便でいけません。旅行の計画を立てるたびに、駅に電話を掛けるか、駅のインフォメーション窓口に並ばなければならず、これだけは非常に不満のあるところです。

 現行の割引制度の中で、一番威力があるのが、何といってもバーンカルテでしょう。これは日本でいえばJR東日本のヴューカード等に相当するドイツ鉄道発行のカードで、希望すればビサカード等、クレジットカードの機能を持たせることもできます。名称は本当はバーンカード(バーンは道の意味)というのですが、普通、駅員も含めてバーンカルテ(カルテはカードの意味)と呼んでいます。

 このカードの入手には非常にお金が掛かります。1年間の会費が本人240マルク、配偶者120マルク、子供でも60マルクですから、一家三人なら420マルク(日本円で約34000円)も掛かることになります。そんなに高いカードをなぜわざわざ買うのか不思議に思われるかもしれません。

 その最大の魅力はなんといっても割引率です。全国一律、乗車料から特急料まで、すべて半額になります。したがって、ちょっと長距離に旅行をすれば、一回の旅行の割引額だけでも、十分に払ったお金のもとがとれてお釣りが来るということになります。

 JRも、カードを発行するなら、この程度に威力のあるものにすればよいのに、とは思いませんか。そうすれば、躍起になって宣伝しなくとも、多くの人が従来の他のカードを解約して、早速それに乗り換えることでしょう。商品は、その魅力で買わせるべきで、宣伝で買わせるものではありません。