ミュンヘンの小学生

 私は、この4月から1年の予定でミュンヘンで暮らしています。約20年前にもこの町で学生として暮らしたことがありましたが、その時は独り身でした。今度は家族を伴っていますから、その分だけ見える町の景色も違っています。あのころは、ミュンヘンに住む日本人といっても微々たるものだったので、家族同伴というと本当に大変だったようです。いま、ミュンヘンに住む日本人が増えたことの象徴が、ちゃんとフルタイムの日本人学校があることでしょう。そこに通えば、子供には日本にいるときとそう違わない生活になります。

 しかし、私の子供はまだ小学2年生なので、この1年間を棒に振っても構わないから、せっかくの在外経験を生かすためにも、断固日本人学校ではなく、現地校に入れようという、子供にとってははなはだ迷惑な決断を、私は下しました。その結果、親も子も、様々な文化ギャップに直面してとまどうことしきりです。

 一番最初にびっくりしたのが、大学と違って、ミュンヘンの小学校にはやたらと休みが多いことです。大学は、法定の祝祭日以外は休みがないので、昔は全く気がつかなかったのですが、ドイツには実に様々な長期の祭日があるのです。

 4月にドイツに来て、そうそうにぶつかったのがオースター(つまり英語でいうイースター)の休暇です。私が到着したのは4月5日でしたが、その翌日、6日から18日までがバイエルン州の小学校ではオースター休暇だったのです。普通の官庁や会社はちゃんとこの期間も仕事をしています。小学校だけが休みなのです。市の教育局は働いていますから、電話を掛けたら、あなたの住所なら管轄している小学校はどこそこだ、ということは教えて貰えます。しかし、それ以上のことになると、管轄している小学校長に全権があるので、休暇中の2週間は完全に動きがとれませんでした。

 このオースター休暇は、キリスト教の祭日なのですからその教えに従い、全国一斉なのかと思ったのですが、ドイツでは州によってその時期がかなりまちまちです。一番早いのは北の港町ハンブルクで、3月9日から21日まで。一番短いのはバイエルンの西隣のバーデン・ヴュテンベルク州で4月14日から18日まで。一番長いのは首都ベルリンで、4月4日から25日まで丸3週間も続きます。

 休みのことをついでに話せば、6月には、今度はフィングステン休暇というのが丸2週間ありました。これの方は、ベルリンはたった一日だけ休み。フランクフルトのあるヘッセン州やその隣のラインワインの名産地、ラインラント・プファルツ州では全く休みになりません。何を基準にして各州が小学校の休暇期間を決めているのか、今のところ皆目分かりません。

 実は、子供を現地校に通わせようと考えたのについては、ミュンヘンだから、という特殊な事情がありました。すなわち、普通の町であれば、外国人の子供は、ドイツ人の同じ年の子供と同じ学級に入れられて、全然判らない授業を受けさせられられます。しかし、ミュンヘンは、ドイツでも外国人がとりわけ多い町です。そのため、小学校に、ユーバーガングスクラス(移行学級)というものが設けられているのです。これは、外国人の子弟を対象に、そのドイツ語能力に応じた授業をしてくれる学級です。私の子供のように、事実上ドイツ語力ゼロの子供の場合には、アルファベットの書き方から手を取って教えてくれます。算数の方は、ちゃんと二年生のレベルの算数を教えてくれるわけです。だから、よその町とは違い、ミュンヘンなら何とか現地校でやっていけるのではないかという甘い期待が、私にはありました。

 しかし、しばらくの間は、子供にとっては本当に辛かったようです。おとなしく毎朝出かけてくれるのですが、学校では机に突っ伏して寝てばかり。算数も、2桁の足し算程度に手こずって、1時間掛かってもほんの数問しか解けない・・。私が呼び出しを受けて、日本では1年生は1桁の足し算しかやっていないのかと聞かれる羽目になりました。これは子供が文化摩擦のため、適応障害を起こしているのだから、しばらく時間をくれ、と熱弁を振るって説得しました。実際、1ヶ月くらいたつと、大分ましになり、2ヶ月経つと非常に良く頑張っている、とほめて貰える程度になりました。

 授業内容で一番驚いたのが、やたらと塗り絵をさせることです。これは別に、ユーバーガングスクラスだから特に、ということではなく、一般的な授業法のようです。その証拠に、スーパーで売っている学童用の筆箱には、普通の黒鉛筆はわずか2本しか入っておらず、そのかわりに色鉛筆が8本、カラーサインペンが7本も入っていました。これをフルに使って毎日、授業も宿題も塗り絵の連続です。ドイツ語の勉強だと、教科書に出てくる主人公を書いた紙が与えられ、それにきれいに色を塗ることが要求されます。算数の場合には、例えば一定の計算値のところだけを塗っていくと、動物の漫画が浮かび上がったりする仕掛けになる塗り絵をやったりします。雑に塗ったりすると、また私が呼び出されて、きちんと隅々まで塗らせなさいと指導を受けるわけです。

 もう一つのとまどいが、給食がない代わりにパウゼブロートがあることです。パウゼが休憩時間で、ブロートがパンの意味です。文字通り、パンを学校に持っていくのです。ある日のぞいてみたら、10分間の休み時間に子供達は校庭で遊びながらパンをかじっています。どう考えても健康によい食べ方とは思えないのですが、皆が持っているのにうちの子だけ持たさないわけにも行きません。

 ドイツには街頭に食べ物屋が多くあって、昼食時には、そこで買ったパンなどを歩きながら食べている大人をたくさん見かけます。これはひょっとしたら、このパウゼブロートによって培われた生活習慣かな、と疑っているところです。

 ドイツ語のつづり方の練習問題は、最初は単なる発音練習で、意味がない言葉が並んでいました。が、最近はようやく文章らしきものになってきたので、先日、少し教えてやろうとしました。しかし、私には見覚えのない単語が結構あります。小学校レベルの単語を知らないのか、と自分にあきれて辞書を引いたところ、今度は別の意味であきれました。判らなかったのはDu Esel,Du Dussel,So ein Mistなどという言葉です。調べた結果を順に説明すると、Eselは文字通りの意味ではロバのことですが、Du(おまえ)という言葉と結びついていますから、おまえはロバ並の頭だ、という意味の悪口ですね。次は、直訳した言葉の紹介は本誌では活字にできない、知的障害者に対する差別用語で、やはり悪口です。最後のMistというのは、文字通りの意味としては肥料ですが、肥料は、ドイツでも日本と同じで、本来は人や動物の排泄物ですから、やはり悪態ということになります。こういう言葉を教材に使えば、子供は面白がって良く覚えるということなのでしょう。が、日本人の感覚では、少々たじろがざるを得ません。