ドイツの傘

 日本の学校では、普通、日本を雨の多い国であると教えています。確かに、そのとおりで、年間降水量は世界でも有数のものです。しかし、そこには統計の魔術が隠れています。降水量が多いからといって、日本は雨の日が多い、ということにはならないのです。統計をよく見ると、日本の降水量の大半は、梅雨と台風で稼いでいることが判ります。日本海側では、これに加えて冬の豪雪というのが加わります。したがって、そうした特殊な要素を除いてしまえば、日本は、むしろ雨の少ない国ということができます。つまり、正確に言うと、雨量には恵まれているが、雨の日そのものは少なく、特に太平洋側は晴天の日に恵まれている国だ、ということです。

 理由は明白です。天気は、地球の回転に伴い、西から東へと異動してきます。しかし、日本の西にあるのは、寒く乾燥したユーラシア大陸です。だから、その影響を受けて、日本では晴天の日がが多く、また、低緯度にある割に冬が寒くなるのです。

 ユーラシア大陸を挟んで反対側にある欧州は、日本の逆になります。その西には、暖かく湿潤な大西洋が広がっています。その影響を受けて、日本のあたりでいえば、樺太以北に相当する高緯度の地域であるにもかかわらず、冬も結構暖かく、人が楽に暮らせるわけです。しかし、そのことは、年間を通して、毎日のように雨雲がやってきて、雨が降ることを意味します。イギリス紳士の身だしなみとして、こうもり傘を持ち歩くことは有名ですが、それまさに生活の必要が生み出した習慣なのです。

 欧州の範囲を、一口に、ピレネーからウラルまで、といいます。フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈から、ロシア中央部にそびえるウラル山脈までの間は、広大な平原です。西からの雨雲を遮るような、南北方向に走る高い山脈は一つもありません。したがって、雨雲はどこかでまとめて豪雨を降らせたりすることはなく、内陸の奥深くまでやってきて、その道中で平均して少しづつ雨を降らせます。だから、統計的にはそれほどの降水量にならないのですが、実際に雨の降る日は多いのです。

 しかもたちの悪いことに、日本のように雨の日と、晴れの日がはっきり分かれていません。朝、いくら晴れていても、急に曇ってきて雨が降り出すということが多いのです。ただし長続きはしませんが。

 日本語では、湿度が高く、そのために同じ温度でも乾燥しているときに比べて暑さが厳しく感じられることを「蒸し暑い」ということはご存じのとおりです。しかし、少なくとも太平洋側の冬は乾燥していますから、標準語には、その逆の言葉、つまり湿度が高いために、同じ温度でも、乾燥している時に比べて寒さがより厳しく感じられるという意味の言葉はありません。多分、日本海側の方言にはあるだろうと思いますが、私は知りません。

 ドイツ語には、暑いときの表現も、寒いときの表現もちゃんとあります。前者(つまり蒸し暑いこと)をシュヴュールschwul、後者をナスカルトnaskaltといいます。大陸性の乾燥した土地というイメージとは裏腹に、ドイツが案外湿っぽい国であることを、この二つの言葉の存在は、端的に示していると思います。

 不思議なことに、これほど雨が多いのに、ドイツ人はあまり傘を持ち歩きません。

 若者や子供の場合には、たいていアノラックタイプのコートを着ています。夏用には、薄手で通気性の良いそれがちゃんと売られていますから、若者や子供の場合は一年中その格好です。ご存じのとおり、あの手のコートの場合、襟の中にフードが入っていますから、雨の時にはそれを引っぱり出して被って歩いています。

 ミュンヘンで、雨の日に、私の子を小学校に送っていくつれづれに、傘を差している子供の数を数えてみたのですが、多めに見積もっても5%程度でした。私のように親が送っていく場合にも、親だけ傘を差して、子供は濡れて歩かせているか、親も同じ格好で濡れて歩いている方が、明らかに多数派です。そのため、小学校には傘立てがありません。

 だからうちの子供の場合にも、子供に傘を持たせておくと、更衣室で、コートと一緒にフックに掛けるしかありません。それではコートが湿ってしまうので、仕方なく、傘はいったん持ち帰り、迎えに行くときに、また持って行きました。

アノラックは、長く着ていると防水が不完全になってきます。ナスカルトな日に、氷雨に服も顔もびっしょり濡れて歩いている子供を見ると、何とも気の毒な気がします。が、本人達はこんなものと思っているのでしょう、あまり辛そうな顔はしていません。中には手に傘を持っているのにそれをささず、友達につきあって、濡れて歩いている子供までいる始末です。

 だから、大学生になっても事情はあまり変わりません。朝から雨の降っているような日に幾度か数えてみたのですが、そんな日でさえも、傘を持って歩いている学生はせいぜい1割というところです。だから大学にも傘立てはありません。

 大人になると、さすがに傘を持っている人がもう少し増えます。最近は、明らかに昔に比べて傘を持つ人が増えてきたと思います。それでも、雨の時に傘を広げている人は、繁華街でさえ、多数派を形成するまでにはいきません。残りの人は、男性だと帽子を目深にかぶって済ませる人が多いようです。女性の場合には、日本のビニール風呂敷を半分に折ったくらいの三角形のビニールが売られていて、それを被って間に合わせるわけです。

 確かに、さっと来て、すぐに上がる雨が圧倒的に多いので、たいていの場合は、それで十分なのです。私もドイツにいる時は、少々の雨なら傘を持たずに家を出る癖が付いてしまいました。

 しかし時には、日本の梅雨のように、朝から終日しとしとと降り続く日もあります。そんなときでも、ドイツでは頑固に濡れながら歩いている人を結構みかけます。ドイツではリューマチや痛風が国民病で、特に老人の場合、足が不自由な人が多いのですが、そういう人たちが雨に濡れて歩いているのを見ると、痛みがひどくなりはしないか、と余計な心配をしたりします。

 ドイツでは、行政の実態を調査するため、私はかなりの官公庁を訪問したのですが、やはり傘立てがまったくない官庁が、少なくありませんでした。ある官庁では、傘立てはあるにはあったのですが、コート掛けは10数着分の余裕のある更衣室に、わずか4本分だけでした。これがおそらく公務員で、傘を持って出勤してくる人の平均的比率を示しているのでしょう。

 まさにこれは文化の差というものでしょう。日本でも、ドイツの文化の影響を強く受けている世界では、同じような習慣があるのをご存じでしょうか。すなわち、日本で、制服を着た警官や自衛官は傘を差さないのに気がついたことはありませんか。これは別に規則で決まっているわけではないのですが、昔からの不文律でそうなのです。だから防衛庁の高官などは、雨に濡れるのが嫌さに、防衛庁の敷地内の庁舎から庁舎に異動するのに、一々車を呼ぶなどという漫画的なことまで起こります。この習慣は、あきらかに明治時代に日本の警察や軍隊の制度がドイツのそれに倣って確立したことと関係がある、と私は思っています。

 ドイツでも傘が売られていないわけではありません。デパートや大きなスーパーに行けば、最近では結構大きな傘売場があるようになりましたし、安くなりました。

 昔は、売っているところも余りなく、値段もひどく高かったものです。前回ドイツに滞在していた頃、友人にユーゴスラヴィアのベオグラード大学の教授がいました(彼との連絡は、あの国の動乱以来、途絶えています。無事でいてくれればよいのですが・・)。

 彼の話によると、ユーゴという国は、地中海に近く、アルプスのただ中にあるため、ほとんど雨が降らないので傘はいらないのだそうです。アドリア海に面したホテルなどでは、曇って太陽が見えない日があったら、その日のホテル代は不要という宣伝をしているところもあるほどだ、と言っていました。

 だから彼は傘を持ってはおらず、ドイツは雨が多いとぼやきながら、毎日濡れて歩いていました。そこで、この雨は一時的なものではなく、一年中平均して降るのだから、長期滞在をする以上、傘を買うべきだ、と説得し、近所のデパートに買いに行かせたわけです。しかし、傘よりこの方が安かったと、ヨット用のコートを買ってきました。この話から、その頃の傘の値段が想像できるとおもいます。

 今はその頃に比べると、ドイツでも傘が随分安くなっています。不規則に雨が降る、という特徴のためでしょう、傘売場では圧倒的に折り畳み傘をたくさん置いてあります。今私が愛用している折り畳みジャンプ傘、つまりワンタッチで開く折り畳み傘ですが、それは家の近所のスーパーで、わずか8マルク(600円くらい)ほどで買ったものです。もちろんこれは特別に安かったのですが・・。

 長い傘の場合には、傘の先端と柄の間に紐が渡してあるものをよく見ます。この手の傘は、長いこと雨の中を差して歩いていると、紐がびしょ濡れになり、しずくがぽたぽた手元にたれるようになり、不便です。最近は日本でも見かけることがありますが、とても日本の雨向きとはいえません。しかし、ドイツでは便利です。多くの場合には、紐がびしょ濡れになるほど長くは降っていないからです。雨がやんだら、傘の滴を振り切って紐を肩に掛けて歩けば、両手が自由になって、じゃまにならないので、私もドイツにいる時には愛用しています。

 傘一つをとっても、お国柄というものはあるものです。