ドイツのトイレあれこれ
私は、自分の子供を小学校まで毎日送り迎えしています。別に、うちの子が幼くて学校までの道が判らないということではありません。日本と違い、集団登校の制度がないため、低学年については父兄が送り迎えをすることが学校側の希望なのです。
学校には必ず始業10分前までに着くことを求められていますが、早めに着いても教室には入れません。鍵がかかっているからです。教室の鍵は始業10分前に担任の先生が来て開けます。鍵が開いている間は、先生はいつでも教室にいます。授業が終わり、最後の子供を送り出すと、先生はまた教室に鍵をかけて教員室に戻ります。入り口が直接校庭に向いている教室では、雨の日には、子供達は濡れながら先生の来るのを待っており、可哀想な気がします。
同様に、小学校のトイレには、男児用も女児用も、必ずいつも鍵がかかっています。子供達は、トイレに行きたくなると、担任の先生に申し出て鍵を借り、トイレに行って戻るとまた返します。
ドイツはどこの町でも、比較的治安が良く、若い女性が夜、一人で歩いても、あまり不安は感じない、といいます。しかし、幼年者に対する性犯罪だけは別問題のようです。小学校が鍵だらけなのも、それが理由だといいます。
こんなひどい話を伝え聞きました。日本人の奥さん達数人が、それぞれ子供をつれてハンバーガーのファーストフードに行って、おしゃべりをしました。子供達は、その間に、一人、また一人と別々にトイレに行って、すべて性犯罪の被害にあったというのです。ショックのあまり、その時には誰もしゃべらなかったわけです。夜になって、一人の子がおなかが痛いと泣きだしたことから、あわててお母さん達が互いに連絡を取り合って、ようやく被害の全貌が判った、といいます。
うわさ話ですから、どこまで本当かは判りません。しかし、小学校での厳重な警戒ぶりと合わせ考えると、火のないところに煙は立たないと思い、私の子は男の子ですが、公共の場でトイレに行くときは、必ず一緒に行くようにしています。
このような点では、安心感があって、お母さん達に評判がよいのが有人のトイレです。デパートやレストランなど、私的な施設のトイレでは、どこでも立派な体格をしたおばさんが入り口に頑張っていて、彼女の前の皿に料金を入れるように促します。たいていは女性用のトイレだけがとられるのですが、ビアホールなどでは、男性用の方にも頑張っています。
使用料は、きちんと決まっているわけではありませんが、相場は50ペーニヒ(40円くらい)です。最近、彼女たちは、相場の引き上げを狙っているらしく、50ペーニヒを皿に置くとさっとしまい込み、1マルク以上の硬貨だけを残しています。気前の良い人だと、その無言の表示に押されて、1マルクを置くこともあるのでしょう。
駅など、公共の施設だと、トイレの入り口に鍵がかかっていて、50ペーニヒ硬貨を入れると開く仕掛けになっているのが普通です。時々壊れていて、お金だけただ取りされることもあります。
こうした訳で、特に女性の場合、50ペーニヒ硬貨は、ドイツにおける生活の必需品です。私の妻は、50ペーニヒ硬貨を集めるのがもう強迫観念に近くなっています。先日も、私が切符の自動販売機に50ペーニヒ硬貨を入れたら、まだ手持ちがあったくせに、何で大きなお金を入れて50ペーニヒのお釣りをとらないの、と怒られました。有り難いことに、私の住むミュンヘンでは、こうした公共施設のトイレは、特に男性用は、必ず無料であるのが普通です。だから、私は旅にでない限り、そういう苦労はせずに済んでいます。
長中距離列車についているトイレは、無料でです。だから旅をするときには、降りる前に車内で用を済ませておくというのは大事な心得です。ただ、日本では最近では普通になってきたタンク式のトイレは、ICE(ドイツの新幹線)など、一部の特急を除くとまだまだ少数派です。EC(欧州国際特急)でさえも、普通は昔ながらの垂れ流し式です。私の子供は、日本では東京近郊に住んでいるため、タンク式の列車トイレしか知らなかったものですから、ECでトイレを使って流したら、その底から線路が見えたと仰天していました。
ドイツのある有名な作家は、そのドイツ人論の中で、ドイツ人を理解するにはGeで始まるいくつかの言葉がキーワードだが、それは翻訳不可能で、だからフランス人やイギリス人にも、本当の意味でドイツ人を理解することはできないのだ、という趣旨のことを書いていました。
そのGeで始まる翻訳不可能な言葉の一つに、ゲズントハイトGesundheitという言葉があります。普通、健康と訳されますが、当然ながら、遙かに広く特殊な概念の言葉です。ドイツ的な質実剛健さを代表する言葉といえると思います。
例えば、ドイツ人は、ハイキング(ワンダリング)が大好きです。それもかなり長距を歩き回るのが好きです。ゲズントハイトだからです。本屋に行くと、国内のあらゆる地域のガイドマップが売られています。特に冬の1日のワンダリングは、夏の1週間分に当たると彼らは良く言います。冬、バカンスに行くと、吹雪の日でも、若者ばかりか、足の不自由な老人までが、必死に森を歩いている姿は、鬼気迫る眺めです。
ドイツ人は食べ物を、おいしいかどうかではなく、ゲズントハイトかどうかを基準にして食べる、と良くいわれます。もっとも、これはフランス料理になれた口には、ドイツ料理がまずく感じられるということを婉曲に言ったものであるようです。非常に手を掛けた料理が多く、慣れればおいしいものです。ただ、少なくとも私は、ドイツ料理には緑の野菜が少なく、そのままでは健康を害しそうに思われます。
トイレにも、このゲズントハイトが良く現れます。有人であると否とを問わず、どこのトイレも実に清潔です。ECはほとんどが外国から来る車両ですが、そのトイレとドイツの車両のトイレを比べれば、清潔さの違いは歴然たるものがあります。
しかし、同時に質実剛健さもまた強く現れます。昔はトイレットペーパーには泣かされました。日本でも、私が子供の頃には、トイレには新聞紙が切って置いてあるのが普通でした。水洗便所の普及とともに、それが柔らかなトイレットペーパーに置き換わりました。ところが、ドイツでは、水洗便所用でありながら、まるで新聞紙のように堅いトイレットペーパーが普通でした。慣れない日本人がそれを使っていると、数日で、お尻が切れて血が出てきたものです。
今は、昔に比べれば大分柔らかな紙が設置されるようになりました。その代わり、無駄遣いされないようにと10cm四角くらいの紙が一枚づつでるようになったトイレがあったのには、面食らいました。
ドイツのトイレ用品には、便座カバーというものはありません。便器の蓋に被せるカバーは、色鮮やかなものがたくさん売られています。だから便座カバーだってありそうなものだ、とデパートに行って聞いたら、便座にカバーをするなんて、そんな不潔な、と言下に退けられました。そのくらいですから、ドイツには暖房便座も、ウォッシュレットもありません。そういうものはドイツ的美意識に反するからでしょう。