ウィーン気質
今回の滞在中に、久しぶりでウィーンに行って来ました。オーストリアの首都、ウィーンは私が大好きな欧州の町の一つです。かって、私は1ヶ月だけですが、ウィーン大学の学生として、その学生寮で暮らしたことがあります。それですっかりこの町が気に入り、その後、たびたび訪問していますから、全部通算すれば、3ヶ月に近い滞在をしていることは間違いありません。特に学生としての特権をフルに生かして駆け回った町の記憶は何年経っても鮮やかですから、もうずいぶん行っていないのに、土地勘は依然として健在でした。
もっとも、ウィーンもずいぶん変わりました。残念ながら、変わった方向は悪いほうの面が強いように思われました。例えば、ヨハン・シュトラウスの銅像のあることで有名なシュタット・パークには、昔はクジャクが放し飼いになっていて、親子のクジャクの歩く姿や、雄の雌に対するディスプレイなどを見ることができて、いつ行っても心楽しめるところでした。今回行ってみると、クジャクがいるどころか、芝生には立入禁止の立て札がたち、さらに高い柵までがその周囲に巡らしてあるではありませんか。
それは、映画「会議は踊る」で有名なウィーン会議の舞台となったシェーンブルン宮殿でも一緒でした。あれほど見事な木々がありながら、カモ以外はこれという野生の動物を見ることができません。その代わり、というわけでもないのでしょうが、何とその一画に動物園が作られていました。私は動物好きな方ですが、それだけに、野生の動物が檻に閉じこめられているのを見ると気が滅入り、動物園はあまり行きたいところではありません。シェーンブルンの美しい庭の少なからぬ部分を、そのような動物園とする神経には首を捻らざるを得ませんでした。
そもそもこの町の良さは、自然と人間とが調和している点にありました。町中の公園を歩くと、どこでも、野生の鳥やリスが寄ってきて人の手から餌を食べたりするのはごく普通の光景でした。ところが今回の訪問では、カモくらいしか野生動物が見られません。しかも彼らは日本のそれと同じく警戒心旺盛で、餌を撒いても寄ってこようとしないのです。人が岸辺に立てばどこから見つけるのか、たちまち水鳥の集まってくるミュンヘンの町とは大変な違いです。
芝生の立入禁止と合わせて考えれば、その分だけ人心が荒廃してしまっているように思えて、ウィーン・ファンの私としてはすっかり落ち込んでしまいました。
もう一つがっかりしたのが、伝統が無造作に放棄されたように思われたことです。
アパートという日本語は長年使用された結果、すっかり格が下がって、いまでは小規模な賃貸住居を連想するだけになってしまいましたが、元々は非常に高級な住居を意味していました。ウィーン市内の王宮で、皇帝の住居として使用されていた部分は、今も「カイザース・アパートメント」と呼ばれています。シェーンブルンが夏の離宮であったのに対して、冬の住居というわけです。昔、ここを見に行ったときには、オーストリア中興の女傑マリア・テレジアの肖像や彫像、彼女の娘でフランス革命で非業の最期を遂げたマリー・アントワネットの幼い日の肖像などが各所に飾られ、ウィーンの全盛時代にタイムスリップしたかのような錯覚さえ覚えそうな世界でした。
皆さんはシシィという絶世の美女をご存じでしょうか。シシィというのは、第1次世界大戦の時のオーストリア皇帝だったフランツ・ヨーゼフの妻、エリザベートの愛称です。彼女については何度か映画化されていますが、その主演女優より実物の方がどう見ても美人というのは、滅多にあることではありません。幼なじみで相思相愛の夫、フランツ・ヨーゼフは長身のハンサムですから、まさに美男・美女の夫婦というわけです。その上、一人息子がルドルフです。彼は、これも幾度か「うたかたの恋」のタイトルで映画化されている劇的な悲恋により、拳銃自殺を遂げています。さらに彼女自身も暗殺の犠牲となっています。このように悲劇の要素も十分に持っていますから、彼女の人気が高いのももっともです。
しかも、1998年は、彼女が旅先のジュネーブで殺されてからちょうど100年目ということで、目下人気は沸騰しています。彼女は元々はバイエルン王家の娘でした。ノイ・シュワンシュタイン城を作って有名なルートウィヒ2世の従妹に当たります。だから、ミュンヘンでもその人気はかなりのものです。例えば、ミュンヘン近郊のシュタルンベルク湖は、ルートウィヒが溺死した湖であると同時に、シシィがその子供時代を過ごした場所でもあります。そこで、そこの土産物屋をのぞくと、まるで二人が夫婦であったかのように、二人をペアにした肖像が氾濫していました。
しかし、ウィーンでのシシィ・ブームは異常といわざるを得ません。なぜならそれは土産物屋の段階を通り越しているからです。何と、カイザースアパートメント等からマリア・テレジアやマリー・アントワネットが追放され、シシィの肖像や彫像で埋め尽くされていたのです。シシィ自身は、単にその肖像を利用されているに過ぎない被害者なのですが、余りに彼女の肖像があふれているものですから、可哀想な彼女にまで反感を感じてしまいそうでした。今生きていれば、ダイアナ妃と同じように、パパラッチに追いかけ回されていたことでしょうね。しかし、さぞ、地下でマリア・テレジアが嘆いていることと思いました。
何か悪口ばかり書き並べましたが、ウィーンは今も私の好きな町です。何より、そこに住むウィーン子たちの、おしゃべりで、お節介なほどによそ者に親切というウィーン気質は今も健在だからです。カイザースアパートメントをシシィで埋め尽くしたのも、そうした親切心が行きすぎたからと思えます。
今回、ウィーンに着いた翌日は、天気予報は暑い日になる、といっていたので、私は市内見物はやめにして、朝からまっすぐアルテドナウに向かいました。ドナウ河は昔ウィーンのあたりで蛇行していたのですが、船の交通に便利なようにまっすぐに河筋を整備しました。その際、三日月湖の形で残ったのがアルテドナウです。その中にある島をウィーン市では整備して、市民が気楽に泳げるようにしてあるのです。ここに行くには地下鉄とバスを乗り継がねばなりません。バスに乗ってから、降りるのはどこだろうと窓の外をきょろきょろ眺めていたら、外国人でアルテドナウに向かう人は珍しい性でしょう、早速話しかけられ、アルテドナウに行くと言うと、終点だから心配するな、と教えてくれる人、降りたら料金所は橋を渡って左の方に行ったところだと教えてくれる人、等様々でした。料金所の前で、どの券を買うかと料金表を眺めていたら、家族券を買ってキャビンを共用にすると申し出ろ、と教えてくれる人もいて、実にすんなりと入場することができました。ウィーン子気質健在なり、と痛感したものです。