平成16年春期行政科入替試験解説

甲斐素直

【 問 題 】

 科学技術と社会との接点では,多くの「公共的」な課題,すなわち科学技術に関連する社会的な課題をいかに行うかという課題が発生する。このような課題に対して現時点で最良の決定を行うのは当然のことであるが,最良の決定と思われたものが予測できなかった事態を引き起こすことがある。

 予測できなかった事態に陥る原因の一つは,決定をした際にその根拠となっていた「科学的な証拠」が完全ではなかったことが考えられる。例えば,人体への影響を避けるために排出される煤塵の大きさを何ミクロン以下に規制するかという問題を考える。この問題に対してXミクロン以下の煤塵の摂取群とXミクロンより大きい煤塵の摂取群を用意し,それぞれで疾病が発生した割合を調べることにより,Xミクロンという値で規制することに意味があるかどうかを判断することができるかもしれない。しかし,現実には人間を使った実験はできない。また,早期の対応が求められている場合は長期間にわたる観測が行えない。したがって,対応を決定する際に根拠となる「科学的な証拠」は,人間への影響を動物実験で得られたデータから推定したものであったり,数年のオーダーでの影響を数か月程度の観察によって得られたデータから推定したものであったりするだろう。そのため,規制の基準を決める「境界引き」の作業には,不確実性を含んだ証拠をもとに議論しなくてはならない。

 このように「科学的な証拠」というものは,いつでも厳密で確実なものが用意されているわけではなく,不確実性を含んでいる。科学的知見は,時々刻々と作られつつあるものであり,国が対応を決定しなくてはならないときには,まだ不完全な情報しか得られない状況もありうるのである。

 また,経済活動が大規模になり,人や物,情報といったものが世界的に流通する現在,我が国で起こった問題が国外でも発生することがある。逆に国外で起こった問題が我が国でも発生するかもしれない。こうした中では我が国の決定が国外に大きな影響を与えるだろう。

 そこで次の二問に答えなさい。

 @ 「科学的な証拠」が不確実性を含んでいるため,専門家がすぐに正しい答えを出せないと思われる科学技術に関連する問題を一つ挙げ,あなたがその問題を挙げた理由を述べなさい。

 A @であなたが挙げた問題を想定するとき,このような不確実性を含んだ「科学的な証拠」はどのように取り扱うのが適切か。また,その取扱いが国外へも波及するごとがありうるが,どのような影響が考えられるだろうか。あなたの考えを述べなさい。

 

解説

[はじめに]

 これまで、入れ替え試験ではどういう問題が出ますか、という問がしばしばあったので、今回は、過去問解説の載っている私のホームページを入れ換え試験の手引きに明示する、という方法を採ってみた。当然、その解説に書いた内容もしっかり把握した上で、皆、試験の臨んでくれるものと期待していた。しかし、過去に入れ替え試験を受験経験のある者も含めて、あいも変わらず、直感的に思いついた文章を書き並べ、問題とどうつながっているのか、はっきり書かれていない例が目立った。

 このような問題に解答する上で、常に念頭に置かなければならないことは、第一に、問題は二つの小問に分かれていても、全体で1問として取り組まなければならない、という点である。そのためには、いきなり小問1の答えに入ってはいけない。二つの小問に答えるための必要条件として、それに先行する問題文を徹底的に解析し、そこから、本問が何を答えることを求めているかを正確に把握し、その上で、二つの小問が相互にどのような関係に立っているかを把握しなければいけない。

そして、正確に把握しているという事実を採点者にアッピールしなければならない、ということである。そのためには、いきなり小問1に対する回答から書き始めるわけにはいかない。導入部ともいうべき、総論の記述が必須のものとなる。

 第二に、これは論文試験であり、したがって、文章力を見ることが狙いの試験だ、という点である。内容の如何を問わず、論文が解答用紙の表側、あるいは裏に回っても23行程度で終わっているような答案は、基本的に合格ラインに届かない。与えられた紙幅を十分に使って、自分の主張を明確に試験官に伝える努力が必要なのである。与えられた紙幅に応じて、自分の意見を違う形で表明するということもまた、公務員としての大事な能力である。したがって、紙幅を満足に使いこなせない、ということは、それ自体、この試験が見ようとしている公務員としての適性を欠くと評価される。

 

一 問題文の解析

 上述のとおり、合格答案となるためには、問題文の解析が必要である。単に解析するだけではなく、自分はどのように解析したのか、ということを簡潔に述べ、それに基づいて、小問で聞かれている論点を選択した理由にまでつなげていることが好ましい。

 

 科学技術と社会との接点では,多くの「公共的」な課題,すなわち科学技術に関連する社会的な課題をいかに行うかという課題が発生する。このような課題に対して現時点で最良の決定を行うのは当然のことであるが,最良の決定と思われたものが予測できなかった事態を引き起こすことがある。

 

 ここで言われていることは、もちろん政策決定の問題である。決定に当たっては、その時点における最良の決定を下しているはずである。ところが、予測外の事態が起きる。予測がはずれる原因には様々のケースがある。本問で、問題になっているのは、しかし、そのすべての場合ではない。次のパラグラフ以下で語られる事例に関連する問題でなければならない。

 今回は、根底から失敗した論文が目立ったが、その典型例は、文章をここまで読んで、勝手に問題のテーマを憶測し、次のパラグラフ以下の文章をきちんと解析しなかったと思われるケースである。ここまでの文章だと、例えば、科学技術の発展そのものが、人類に悪い影響を与えるような問題についても含まれるように読める。しかし、次のパラグラフで具体的に例示されているのは、それとはまったく違うものなので、そのような事例は間違いと判る。

すなわち、本問では、小問で取り上げるべき事例に関して、二つのポイントが挙げられている。第一のポイントは、次の二つのパラグラフで語られる。

 

 予測できなかった事態に陥る原因の一つは,決定をした際にその根拠となっていた「科学的な証拠」が完全ではなかったことが考えられる。例えば,人体への影響を避けるために排出される煤塵の大きさを何ミクロン以下に規制するかという問題を考える。この問題に対してXミクロン以下の煤塵の摂取群とXミクロンより大きい煤塵の摂取群を用意し,それぞれで疾病が発生した割合を調べることにより,Xミクロンという値で規制することに意味があるかどうかを判断することができるかもしれない。しかし,現実には人間を使った実験はできない。また,早期の対応が求められている場合は長期間にわたる観測が行えない。したがって,対応を決定する際に根拠となる「科学的な証拠」は,人間への影響を動物実験で得られたデータから推定したものであったり,数年のオーダーでの影響を数か月程度の観察によって得られたデータから推定したものであったりするだろう。そのため,規制の基準を決める「境界引き」の作業には,不確実性を含んだ証拠をもとに議論しなくてはならない。

 このように「科学的な証拠」というものは,いつでも厳密で確実なものが用意されているわけではなく,不確実性を含んでいる。科学的知見は,時々刻々と作られつつあるものであり,国が対応を決定しなくてはならないときには,まだ不完全な情報しか得られない状況もありうるのである。

 

 ここでは、煤塵に関しての問題が例示されている。本問の小問で論ずるべきは、この煤塵のような例でなければならない。煤塵は、科学技術のあまり発達しない昔から、人類にとって大きな問題であった。例えば、ロンドンにおける煙霧は、18世紀に既に死者が出るほどに深刻な問題となっていたのである。

 つまり、本問で取り上げるべきは、科学技術の発達に伴って新たに発生した問題である必要はない。ただ、政府として、それに対する対策を決定するに当たって、科学技術に基づく情報を活用する場合の問題なのである。煤塵の場合、それを完全になくせれば、それが最善の解決である。しかし、技術やコスト、その他様々な要因から、一定以上の直径を持つ煤塵だけを排除する、という政策を政府として採用する。しかし、その場合に、その数値以下では安全という保障はない場合にでも、その特定数値を採用しなければならない場合があるというのが、この例で述べられていることである。

このように、政策を決定するのに当たって、何らかの科学的な根拠に基づいて数値目標を決定することは良くある。しかし、その数値を決定するに当たって、完全な根拠があることは珍しく、何らかの形で不確実なデータに基づく決定にならざるを得ない。本問の小問で取り上げるべきは、そのような科学的根拠を持つ数値目標等が有している不確実性に限定される、ということが、ここで判るのである。

本問の解答として、クローン技術を例として上げた例が目立った。しかし、それは、この箇所の要求に反しているために不適切である。一定の数値を問題にして、その数値の正当性が議論されているという要素がないからである。数値目標の要素がない場合には、「境界引き」の問題を考えるのがむずかしくなる。もう少し詳しく言うと、クローン技術は「現実には人間を使った実験はできない」である点では、本問の提起しているテーマに該当するが、「早期の対応が求められている場合は長期間にわたる観測が行えない」という点が違うのである。長期にわたる観測が行えないのではなく、観測を実施するまでもなく明らかと思われる倫理上の問題の故に、研究そのものを禁止しようという問題なのである。本問は「不完全なデータ」を問題にしているのであって、データをとるための研究を行うこと自体を禁止している問題ではないのだから、これは本質的に違うのである。

 

 また,経済活動が大規模になり,人や物,情報といったものが世界的に流通する現在,我が国で起こった問題が国外でも発生することがある。逆に国外で起こった問題が我が国でも発生するかもしれない。こうした中では我が国の決定が国外に大きな影響を与えるだろう。

 

 ここで語られているのは、第一にあげた不確実なデータによる決定のグローバルな影響の問題である。その影響が、双方向的に発生すると言うことが述べられている。ここから、小問で取り上げられるべきは、わが国国内に限られている事例ではなく、その影響がグローバルな広がりを持っているものでなければならないことが判る。

例えば、先のパラグラブで例示された煤塵の場合、この文には書かれていないが、わが国近隣諸国における煤塵規制の甘さから、中国地方の産地などで酸性雨の被害が発生するようになっている点に、この問題のグローバル性を認めることができる。わが国山林を守りたければ、単にわが国で厳しく規制するだけでは藤生なのであって、他国と煤塵規制の問題について話し合う他はないのである。

 

 本問では、以上の前提要件をみたす形に、以下に述べる二つの小問に答えることが要求されていると解することができる。そこまで解析できた上で、小問の要求内容の分析に入ることになる。

 

@ 「科学的な証拠」が不確実性を含んでいるため,専門家がすぐに正しい答えを出せないと思われる科学技術に関連する問題を一つ挙げ,あなたがその問題を挙げた理由を述べなさい。

 

ここで取り上げるのが、どんな問題でも構わない。この小問自体では、単に科学的に不確実という観点でテーマを選ぶことを許しているように見える。しかし、それでは、何のために本文があったのかが説明できない。この小問に先行して、「そこで次の二問に答えなさい」という文章があることを忘れてはならない。「そこで」とは、その上に書かれている本文を踏まえて、という意味に他ならない。そして、本文に述べられているのは、科学的不確実性だけではない。

それは、第一に、その不確実性がデータ不足によって発生している問題でなければならない。予算や人員や時間を十分につぎ込みさえすれば、十分なデータが得ることは可能であるが、現時点ではそれができていない問題である。そして、現時点において知られている科学的知識による最善の選択がなされた、と評価しうる問題である。

第二に、グローバル性、それも双方向的なグローバル性をもつものをテーマとして取り上げなければならない。したがって、目標数値が、国により異なる扱いになっているような問題でなければならないのである。この第二の要件は、本文中でも小さな扱いになっているが、これが落ちている場合には、議論として、不十分なものと評価されることになる。

 

A @であなたが挙げた問題を想定するとき,このような不確実性を含んだ「科学的な証拠」はどのように取り扱うのが適切か。また,その取扱いが国外へも波及するごとがありうるが,どのような影響が考えられるだろうか。あなたの考えを述べなさい。

 

 これについては、論点は、大きく二つに分けられるであろう。一つは、科学的確実性をよりいっそう充実させるように手段を尽くすという対応である。しかし、これはあまりに自明なので、必ずしも触れなくとも構わない。

より大きな問題は、その不確実な間、行政政策はいかにあるべきか、という点である。この点こそが、公務員試験として、諸君の公務員としての適性を判定するための最大のポイントである。小問Tに対する回答ばかりが長くて、小問2はきわめて手薄なものが目立ったが、これが本問の中心である以上、それでは合格点を得ることはできない。

小問2で「どのように取り扱うのが適切か」という問に対する答えは、抽象的にいえば、不確実性の許す範囲内で、国内の様々な利害を、できる限り低コスト・高効率で調整できる形に、数値目標を設定するのが正しい、ということになる。このことを、自らの選択したテーマに即して、グローバルな視点も交えつつ、具体的に展開すればよい。

 

 抽象論だけでは判りにくいと思うので、BSE(狂牛病)問題を例に、具体的に説明してみよう。狂牛病がどのようなメカニズムで発症するかは、今日に至るまでよく判っていない。このところを捉えて、本問の答えとした人がかなりいたが、それ自体は、行政上の問題ではない。

原因や防止のメカニズムが判らなくとも、現に問題が存在しているのであるから、研究によって明確な防止方法が判明するまで、行政として何もせずに待っているわけにはいかない。そこで、現時点で判っている限りの科学的知識を元に、現状としての対策を立てることが必要である。その時、どのような視点から、どのような施策を講ずるかが本問の論点となる。

日本の場合、その手段として、屠殺する全頭について検査を実施している。

それに対して、家畜衛生の基準作りを行う国際獣疫事務局(OIE)では、対象となる牛の月齢を6カ月以上に限定している。

さらに、アメリカでは30ヶ月以上の牛に検査対象を限定している。

すなわち、決して、どこかの国が非科学的であるわけではない。しかし、それにも関わらず、科学データに基づく各国の行政当局の「境界引き」の作業が、この科学的データの不確実さを反映して、大きく食い違っているのである。

わが国の場合、線引き作業を行うに当たっての視点はきわめて単純である。消費者保護の一語に尽きる。科学的に不明である以上、消費者の要求を最大限に追求しようという姿勢を示している。そして、それは、基本的には安全第一という形で現れる。それが全頭検査である。しかし、これはわが国の牛肉消費量が比較的少ないから可能だとも言える。わが国では、検査の対象になる牛は年間130万頭に過ぎないのである。

これに対して、牛肉消費量が増えるほど、この安全確保のために払う犠牲は飛躍的に大きくなっていく。世界最大の牛肉生産国であるアメリカの場合、月間屠殺頭数が平均すれば200万頭を超すのである。したがって、日本並みの検査を実施した場合に必要なコストは、単純に計算しても日本の数十倍に達する可能性がある。しかも、そもそも、それほど膨大な量の検査が、人員的、施設の能力的、時間的に可能か、という問題がある。アメリカ政府が、民間会社が自主的に日本向けに全頭検査を実施しようとしたのを、強権を発動してまでも禁止したのは、そのことの反映である。

欧州でも、6ヶ月以上という基準に耐え難くなっていて、現在、OIEの基準を12ヶ月に改定しようと動いており、わが国との間で激論が展開されている。

わが国にしても、安全第一という観点からすれば、不徹底なところがある。すなわち、検査にパスした牛についても、感染性の高い脳などの特定危険部位は除かれて、市場に出荷されている。しかし、欧州などでは、腸全体を特定危険部位として除くことをOIEに提案しているのに対して、日本は、腸のうち、回腸遠位部(小腸のうち大腸に近い方の約2メートル)と呼ばれる部分だけを特定危険部位にすれば十分と主張して孤立しているのである。日本の消費者が、腸に代表される内蔵を、焼き鳥、朝鮮焼き肉、もつ料理などで食用にする(欧米ではそのような食習慣はない)ために、この点に関しては歯切れが悪くならざるを得ないのである。消費者優先という物差しのマイナス面がここに現れている。

このように、不確実と判っている科学的データをもとに、どのような行政判断を行うかは、各国が国内で持つ様々な利害を、もっとも適切に充足できるような形に行われることになる。ところが、現在のグローバル化の流れの中では、各国の政策が、単なる国内問題にとどまらず、国際的に跳ね返る点に今日の世界の大きな特徴がある。

BSE問題についていえば、アメリカが、いつまでもわが国の要求する全頭検査を、わが国への輸出用に限定した形においてすら、受け入れようとしないために、我々が吉野家の牛丼を食べられない、という現象は、そのもっとも判りやすい形態である。そこで、現在、わが国は牛丼を再開できるように、OIE基準の線で妥協するなどの検討を余儀なくされているわけである。牛の内臓のどこまでを特定危険部位とするかに関するOIE基準の変更が問題になるのも、今日では、焼き鳥などは東南アジア諸国で串に刺された形にまで加工された上で、わが国に輸入されているために、国内政策だけでは、内臓料理を確保できないからである。

こうした妥協は、もちろん、基準が確実に科学的に確立した将来においては、考える余地すらない問題である。

仮に諸君が、BSE問題を本問の解答として選んだ場合には、こうした一連の問題に対する自分の考えを述べることが、小問2の中心となるのである。