ハワイ紀行第6

                       甲斐素直

ハワイの人権

[はじめに]

 ハワイ州憲法は第1条が中心となって、人権の保障を定めています。ハワイ州憲法は、州昇格が新しかったこともあって、200年も前に作られたアメリカ連邦憲法に比べて基本的に新しい憲法思想に立脚しています。社会権や地方自治など、合衆国憲法に保障のない制度があることは、すでに紹介したとおりです。その他の人権の領域でも、新しいものが目につきます。さらに憲法改正手続そのものは日本のものと大差ないのですが、総人口120万人ということからくるフットワークの軽さから、憲法改正の回数は非常に多く、それによる新設規定にも面白いものが目立ちます。その中から、ハワイならでは、というもの、あるいは日本にも参考になるようなものをここでは紹介することにしましょう。

 

  1 権利の平等と女性差別

 ハワイ憲法第1章第3節は、次のように規定しています。

「権利の法の下の平等性は、州により、性別の故に否定され、もしくは奪われることはない。議会は、適切な立法により、本節の条項を促進する権限を有する。

 この条項のどこが変わっているかというと、わが憲法でいえば14条の法の下の平等を、性差別に限定して規定していることです。

 例えばヒラリー・クリントンの活躍などに代表される米国における女性の活躍を知っている我々にはちょっと信じられない話ですが、実は米国における女性は憲法レベルでいうならば、黒人よりも遙かに虐げられている存在ということができます。黒人奴隷であった者に対し、選挙権の平等を保障した修正15条が成立したのは1870年のことです。それに対し、女性に対する選挙権の平等、要するに女性の参政権が認められたのは1920年の修正第19条成立を待たねばなりません。

 合衆国憲法に、わが憲法14条に相当する一般的な平等条項というものはありません。米国において、憲法に代わって実質的に法の下の平等を保障しているのは公民権法ですが、その第7条がさだめる「人種、肌の色、宗教、出身国」という列挙に、性別という文言が加わったのは、実に1964年のことです。この公民権法改正は、女性の雇用・昇進差別の撤廃に大いに貢献した、といわれます。

 こうした状況から、特に女性差別だけに問題を絞って憲法で平等を保障しようという考えが生まれます。そこで提案されたのが男女平等憲法修正条項(Equal Rights Amendment,ERA)で、その条文は、上述ハワイ憲法の文言中、「州により」というところが、「連邦及びいかなる州によっても」となっている以外は同一のものです。

 これが最初に合衆国議会に、連邦女性党(National Wemens Party)によって提案されたのは1920年のことといいます。第19修正が成立したのと同じ年です。以来、この修正提案は、1923年から1970年までの、連邦議会のすべての会期で提案され続けます。しかし、1〜2回の例外を除くと、ことごとく委員会段階で棚上げ(bottle up)され、本会議の議決対象にはなりませんでした。しかし、女性のめざましい社会進出に後押しされて、ついに19711012日、下院を3542451の棄権)の圧倒的多数で通過し、ついで1972322日に、上院を848(票の棄権)と、これまた圧倒的多数で通過したのです。

 ところで、合衆国憲法の改正のためには、上下両院で、それぞれ3分の2以上の多数による決議で発議されることに加えて、7年以内に4分の3の州の承認を得ることが必要です。つまり、日本国憲法でいう国民投票の役割を州の承認に置き換えており、その分要件が厳しくなっている訳です。この時点で米国は50州でしたから、38州の承認が必要だったのですが、期限である1982年時点で、35州までしか承認が伸びず、憲法改正は不成立に終わってしまいます。

 なぜ、この、我々日本人から見れば当然の憲法改正が、上下両院の圧倒的な賛成にも拘わらず挫折したかというと、実は女性の間ですら、この憲法改正に反対するものが少なくなかったからです。彼女たちは、女性は政府によって保護されるべきもので、男性と対等に競争を強いられるべきではない、と考えます。そうした女性達が、強力な男女平等条項に対する反対運動を展開したのです。彼女たちは、平等条項が成立すると、トイレや刑務所の男女区別が撤廃されるとか、女性の徴兵制が導入され、ひいては家族の崩壊につながるという調子で、社会不安を煽ったのです。

 また、わが国では妊娠中絶は女性の権利としてごく普通に認められていますが、米国ではこれも大変な論争の種でした。折から妊娠中絶を認める最高裁判所判決が出たことから、これが絡んで議論が激化してしまったのです。

 それに対し、ハワイ州では、1972年の上下両院の議決と同時に、州憲法改正が提案され、1978年に改正に必要な手続を終えていたのです。まさか、わずか3州の不足で連邦憲法の改正が挫折するとは予想されていなかったでしょうが、今となれば、これはハワイ州憲法の輝かしい勲章といえます。

 

  2 プライバシーの権利

 ハワイ州憲法第1章第6節は、次のように規定しています。

「人々のプライバシーの権利は認められ、州のやむにやまれぬ利益が示されない限り、侵害されない。議会は、この権利を実施するために、是正措置を執ることができる。」

 これも、前述と同様に、1978年の憲法改正で導入されたものです。わが国でも、憲法改正が実現すれば、たぶんプライバシーの権利が導入されることは確実でしょうから、その点では珍しい規定ではありません。

 しかし、こういう概念内容がはっきりしない権利が、憲法上明記されると、いろいろと愉快な裁判が起きてきます。

 例えば、プライバシーの権利は、個人のアパートで料金を取ってセックスをする権利を包含するものではない、という判決があります(66 H. 616, 671 P.2d 1351)。売春婦が、図々しくも売春をプライバシーの問題として戦ったという訳です。同様に、マリファナをリクリエーション目的で所有することは、プライバシーの権利で認めることはできないという判決もあります(86 H. 440, 950 P.2d 178)。こういった調子の、いわば苦し紛れの主張というべき事件がたくさんあります。

 しかし、従来は認められなかったものが、この規定が制定された結果、肯定されたものもあります。その一つに、ポルノに関する次のような判決もあります。個人が自宅でポルノを読んだり見たり権利は、それらを個人目的で購入する権利を含んでおり、州憲法が認めているプライバシーの権利は、連邦法で認められている権利よりも大きいのだから、州は、ポルノを規制するためには、プライバシーの権利を規制するやむにやまれぬ利益を証明しなければならない、というものです(69 H. 483, 748 P.2d 372)。

 社会のモラルの崩壊の危険性というような曖昧な理由では、やむにやまれぬ利益とはとうてい言えないはずですから、これはポルノの全面解禁につながることになります。わが国で、プライバシーの権利を憲法改正で導入するときには、こういうことも考えねばならないのだ、ということを考えさせる判決です。

 

  3 兵役の権利

 ハワイ州憲法第1章第9節は、次のように規定しています。

「すべての市民は、この州のいかなる軍事組織においても兵役に就くことを拒否されることはなく、その際に人種、宗教、信条もしくは家系により差別されることはない。」

 普通、どこの国でも兵役は義務です。わが国政府の正式見解に依れば、兵役は憲法18条にいう「苦役」に該当するので、徴兵制の導入は違憲ということになっています。ところがハワイ州憲法は、兵役に就くことを市民の人権として保障しているのです。これはかなり変わっています。

 不思議に思って、ハワイ大学ロースクールのヴァン・ダイク先生に伺って見たところ、これはハワイにおける日系人の悲劇を反映しているのだ、と教えてくださいました。第2次大戦は、日本軍のハワイ真珠湾の奇襲で始まった訳ですが、その瞬間からハワイの受難が始まります。つまり、ハワイ全島が対日戦の作戦拠点になった結果、ハワイには軍政が敷かれ、軍事的必要性という名目の下に全住民の人権が抑制されたのです。その状況は、ハワイ州最高裁判所内に設けられている戦争記念室(Hawaii under Martial Law)に生々しく展示されています。ハワイの観光説明には必ず出てくるカメハメハ大王像の写真の背景になっている建物が、州最高裁判所です(ガイドブックの中には、この建物のことを、旧裁判所庁舎などと書いてあるものがありますが、間違いです。現役の最高裁判所庁舎です。)。入り口で荷物検査はありますが、誰でも自由に無料で立ち入れますので、ハワイに行かれたら、是非立ち寄って、キャプテン・クックに始まるハワイの受難の歴史を、現在のハワイ人がどのように認識しているか、見て来てください。

 戦争開始と共に、米国がカリフォルニア州など西海岸に居住していた日系人を、財産を没収した上で強制収容所に送り込んだのは有名な話です。しかし、ハワイの場合には、当時、まったく事情が異なりました。日系人の比率が総人口の4割を占めるほどに多いため、彼らを強制収容所に収容したくとも、その場所もなく、また彼らがいなくなっては社会が成り立たなくなるという事情があったためです。なにより、日本軍からハワイ防衛の責任を負う現地予備役兵の中核も、日系人で構成されているのです。その結果、日系人会幹部や僧侶など、ハワイで皇民教育を展開していた数百人程度を強制収容しただけでしたから、その点では本土の日系人よりも恵まれていたと言えます。彼らの居住や移転の自由、あるいはラジオを聞く自由などは厳しく制限されていましたが、その点では他のハワイ人も、上述の通り、似たり寄ったりの状況だったからです。違いは、日系人だけは、軍事基地や海岸で働く場合、敵性国民であることを示す「No.3」という番号のついたバッジを、必ず身につけていなければならなかったことくらいです。

 日系人達は、自分たちは日本国民ではなく、あくまでも米国民であると主張し、その愛国心を、兵役に志願することで示そうとしました。日系人は「敵性国民」の分類を受けて兵役資格を取り消されていたのです。そこで、日系人達は、繰り返し陳情することによって、ようやく志願が認められるようになったのです。そうして結成されたのが、結果として米国軍として史上もっとも勇猛であり、もっとも勲章を受けた部隊として有名な442部隊です。

 この悲劇の歴史を繰り返したくない。ハワイ憲法のこの奇妙な規定には、ハワイ人のその思いが象徴されているのです。

 

 4 債務者監獄の禁止

 ハワイ州憲法第1章第19節は、次のように規定しています。

「債務の故に投獄されることはない。」

 ディッケンズの名作『デイヴィッド・コパフィールド』を始めとして、ヴィクトリア朝時代のイギリスを描いた作品には、債務者監獄の悲惨な状況が描かれているものが、よくあります。借金を返さないことを理由として投獄された場合、誰かが代わりに債務を弁済してくれればいつでも出獄できます。しかし、そういう親切な知己がいない人の場合には、自動的に終身刑を意味するのですから大変です。その非人道性が痛感された結果、債務の故に投獄されるなどということは、その後は無くなりました。

 何でそんな古い制度の廃止を、米国で一番新しく作られたハワイ憲法は、わざわざ規定しているのだろう、と私が不思議に思ったのは無理もない、とご理解いただけると思います。少なくとも、日本国憲法にはありませんからね。

 例によって、ヴァン・ダイク先生に伺ったところ、ここでもハワイにおける日系人の悲惨な歴史が投影しているということでした。明治以来、ハワイに渡った日系人達は、主としてサトウキビのプランテーションにおける労働者として働きました。プランテーションでの労働は、熱帯の太陽の下で、朝6時から夕方5時まで、休憩は昼食時のわずか30分という実に過酷な労働でした。それでいて、賃金は男で日給1ドル、女は75セントという低さでした。そこで、渡航費を借金でまかなったり、病気その他で負債を負うと、このぎりぎりの賃金では、とうてい返済不可能です。そうなると、債務による投獄という悲惨な事態が待っています。その収容場所としてプランテーションが指定されれば、結局は終身の奴隷労働ということになります。

 ハワイの州昇格の時期まで、このような悲惨な制度が残っていたのだ、とヴァン・ダイク先生はいわれます。その意味で、この憲法規定の新設は、本当に意味のあることだったのだ、ということです。

 

  5 異性婚主義

 ハワイ州憲法第1章第23節は、次のように規定しています。

「議会は、結婚を異性間に保留する権力を有する」

 1998113日の憲法改正で加えられたこの規定は、一見したところ、至って当たり前の内容です。この何の変哲もない規定を、なぜわざわざ面倒な憲法改正手続をした上で付け加えたのか、首を捻る人は多いと思います。しかし実は、この改正は、単にハワイだけでなく、米国中に大反響を呼んだ規定なのです。例えばウォール・ストリート・ジャーナルという堅いメディアまでが「ついにハワイはゲイの結婚を認めるか」という見出しを掲げて、この改正の是非を争う州民投票が実施されることを報じたのです。

 この問題、ハワイ州最高裁判所の違憲判決が発端です。そして、憲法の条文的には、先に説明した、連邦や他の州には存在しない性差別禁止条項(1条第3節)が問題の原因です。事件は199012月にNinia Baehrを始めとする3組計6人の男女が、いずれも同性同士の結婚のための結婚許可証(marriage license)の発行を、ハワイ州厚生省に求めたことから始まります。担当官は、これらの申請を、同性婚であることを理由に拒否しました。そこで彼らは、19915月ハワイ州厚生省長官 John Lewinを相手取って、同性であることを理由に申請を拒否するのは違憲であるとして訴えました。被告勝訴の判決が同年10月に下ったところから、Baehr達は最高裁判所に上訴しました。

 ハワイ憲法13節は、俗に男女平等条項と呼ばれてきた訳ですが、その文言を見れば、性を理由として差別することを禁止しているのです。そして、確かに同性婚の禁止は、性に基づく差別であることは、間違いありません。そこで、最高裁判所は、連邦最高裁の判例などを参考に、性差別問題においては厳格に審査するべきであるとし、州が制限するについてやむにやまれぬ利益を証明しない限り、制限は違憲になるとしたのです。そして、やむにやまれぬ利益があるかどうか、きちんと審理しろと、1993年に原審に差し戻しました(Baehr v. Lewin74 Haw. 645, 852 P.2d 44)。

 これを受けた下級裁判所は、審理の結果、子どもの教育や社会への悪影響や危険は証明されず、かえって、異性愛同様、緊密で良好な関係が存在することが明らかにされたとして、明確に違憲判決を下しました。もちろんこの判決に対しては、州側は再び最高裁に上告しました。しかし、最高裁判所判決を忠実になぞった原審判決が覆る可能性はきわめて小さいといわなければなりません。

 ここに至って、ハワイ州としては、この同性婚の許容問題を憲法レベルで解決する必要に迫られたという訳です。この経緯を知ると、一件何の変哲もない23節の意味がわかります。議会に、同性婚を許容するか否かの決定権を留保することにより、最高裁判所の違憲判決を阻止しようということです。

 ハワイ憲法の場合、こうした個別条項の追加・改正方法は日本国憲法の場合と同じで、議会が発議し、州民投票で最終的に決定します。しかし、この憲法改正案が成立するかどうかはきわめてデリケートに見えました。そこには、いま一つのきわめてハワイ的な要因が存在していたからです。ハワイの人口の過半数はキリスト教徒ではない、という事実です。

 ハワイ州の2000年度の統計書に依れば、キリスト教徒351,000 (28.9%)、仏教徒110,000 (9%)、ユダヤ教徒10,000 (0.8%)、その他750,000 (61.1%)となっていて、キリスト教徒の比率は3割未満なのです。その他の中には、無神論者を筆頭に、儒教、道教、ドルイド、ハワイ原住民信仰、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、神道、サイエントロジー、ユニタリアン、ソロアスター教、魔術崇拝といった実に雑多な宗教が存在しています。そして、全人口の69%は、何を信仰しているかはともかく、何の宗教組織にも属していないのです。

 そして、同性婚の禁止というのは、明らかにキリスト教の教えに基づいています。つまり、神はアダムのためにイブという異性を作ったのだから、同性婚は神の意志に反するというのが、同性婚が許されない根本的な理由です。したがって、キリスト教徒が少数派のハワイでは、この異性婚主義を明定する憲法改正案が流れる可能性は十分にあります。改正が流れれば、最高裁の違憲判決が確定し、同性婚が認められることになる訳です。

 そのため、同性婚推進派及び否定派は、共に数十万ドルの資金を投入して、強力な宣伝合戦を展開することになりました。直前の世論調査では、改正案の支持率は56割程度という数字が出ていましたから、下限の数字が出れば、投票の帰趨はかなりきわどいものになる可能性がありました。全米の注目を集めたこの憲法改正は、199811月、結局6割の支持という、世論調査の上限の数字が出て、無事に成立しました。

 最高裁判所は、この憲法改正の結果が出るまで再上告審の審理を停止していましたが、この結果を見て、憲法改正により原告の訴えの利益は失われた、として、原告勝訴の判決を199912月に下したのです(Baehr v. Miikeという名称の事件です。MiikeというのはLewinの後任者です。)。

 ハワイ州は、しかし、この憲法改正を代償なしに実現した訳ではありません。州民投票前の19977月にハワイ州相互利益法(The Hawaii Reciprocal Beneficiaries law)により、相互利益関係(Reciprocal Beneficiary Relationship)という制度を導入したのです。これは、法的には結婚を禁止されている18歳以上の二人が、この相互利益関係にあるとハワイ州厚生省に登録すると、一定範囲で結婚しているのと同じような取り扱いを受けられるというものです。この対象は、例えば共同生活をしている友人同士(ホームズとワトソンみたいなものですね)とか離婚した母と未婚の息子の共同生活などが代表とされているのですが、もちろん同性カップルも含まれます。

 ハワイ州は声を大にして、この制度は同性婚を認めるものではない、といっています。しかし、単なる友人同士が、いくら長く同居してもそんな申告をする必要を感じることはあまりないでしょうから、事実上はもっぱら同性カップルのための制度になります。しかし、表面上はより広い目的の制度であるという巧妙な解決方法です。こういう、いわば同性カップルに対する救済措置を講ずるという事前の根回しも、州民投票における勝利の原因といえるでしょう。

 この騒動の発端となったハワイ最高裁判所1993年判決は、連邦レベルにもう一つの影響を与えました。クリントン大統領が結婚防衛法(Defense of Marriage Act)というものを19969月に作ったのです。これは、連邦や州は、他州が同性婚を認める制度を導入しても、それを承認する必要はない、というものです。

 米国では、婚姻を行うための要件は、州により異なっており、さらには郡によって異なる場合すらがあります。だから、駆け落ちカップルなどは、婚姻の要件がとりわけ軽いことで有名なラスヴェガスやリノなどに行って結婚する訳です。そして、普通の異性婚であれば、どこの法律に基づいて行われても、連邦や他州は、それを正式の婚姻として扱います。この結果、ハワイ州で憲法改正が流れて同性婚が認められるようになれば、他州はハワイ州における同性婚を承認しなければなりません。この法律は、連邦や各州が、そうした他州や他郡における同性婚の効力を否定し、自州の結婚制度を防衛するよりどころとなるという訳です。

 ハワイ州では上述の通り憲法改正が通って同性婚は阻止されましたが、マサチューセッツ州では、2003 1118日に、州最高裁が、同性婚を認めないのは州憲法の「状態の平等な保護条項」違反であるという判決を下しました。同州の場合には、結局、2004 5月から同結婚の登録が始まっています。同性婚承認州の第1号という訳です。

 その結果、同性婚問題は2004年に行われた大統領選挙では、一つの大きな争点になりました。実に11の州(アーカンソー州、ジョージア州、ケンタッキー州、ミシガン州、ミシシッピー州、モンタナ州、ノースダコタ州、オハイオ州、オレゴン州、オクラホマ州、ユタ州)で、同性愛者の結婚を禁じる憲法改正案が提案され、大統領選と同日に行われた住民投票では、そのすべてが可決・成立しました。

 そうなると、いよいよ上記結婚防衛法が大事なことになります。困ったことに、この法律は連邦憲法違反の疑いが濃厚です。そこで、キリスト教保守派は、まず結婚保護法(Marriage Protection Act)を成立させようと試みました。これは結婚防衛法の合憲性をめぐる訴訟を、連邦裁判所が取り上げることを禁じる法律です。取り上げられなければ、違憲判決が出る訳はない、という理屈です。同法案はブッシュ大統領の強力な後押しの下に、20046月に233 194で下院は通過しました。しかし、上院ではこれを棚上げにしていまい、今のところ成立していません。

 そこで、いまや正面攻撃の手段たる、同性婚を禁止する連邦憲法の改正が目論まれています。しかし、最初の試みは、2004930日にアメリカ下院で否決されて潰えました。すなわち投票結果は、227186で改正を認める議員が上回ったのです。しかし、連邦憲法改正を議会が発議するためには、上下両院において、それぞれの議席の3分の2を超える賛成が必要ですが、それには届かなかったのです。しかし、その後もその努力は続いています。2006年に今度は連邦上院に同様の改正案が提案されました。しかし、上院は同年68日、賛成49に対し反対48、棄権3で、やはりこれを否決しました。

 ちなみに、日本国憲法の場合、24条が「両性の本質的平等」を婚姻制度の本質的要素として要求していますから、米国とは逆に、同性婚主義を導入するためには、まず憲法改正が必要と考えられます。

 

  6 変質者情報へのアクセス権

 ハワイ州憲法第1章第24節は、次のように規定しています。

「一般市民は、児童に対する特定の犯罪に関して有罪判決を受けた者及び特定の性的犯罪に関して有罪判決を受けた者に関する登録情報に対し、アクセス権を有する。立法府は、どのような犯罪が本節に定める犯罪であり、どんな情報が一般市民がアクセス権を有するものであり、どのような方法で登録情報にアクセスできるのか、また、何時まで登録情報にアクセスすることを認めるか、そして、有罪を宣告者に一般市民によるアクセスを終了させる請求権をどのような範囲で認めるかについて、定めるものとする。」

 これは2004112日の州民投票によって導入が認められた、非常に新しい規定です。これが定めていることは、きわめて明白です。

 普通、前科は、人のもっとも秘すべき情報であるとされ、わが国の裁判所でも、仮に弁護士会からの照会であったとしても、軽々に開示することは、プライバシーの権利を侵害することとなって許されないとしています。

 しかし、児童に対する猥褻行為や婦女暴行などを行う者は、単なる一時の衝動で犯行に及ぶ訳ではなく、精神病質(Psychopath)もしくは反社会性人格障害(Antisocial Personality Disorder)と呼ばれるところの、その基本的な精神の歪みが犯罪の原因である場合が多いのです。そのため、普通の犯罪者と違って、有罪を宣告して刑務所に収容しても矯正することは、きわめて困難であることが知られています。そのため、そうした前科のある者が近隣に暮らしているという情報は、幼い子や若い娘など、そうした犯罪者の犠牲者になりやすい人々にとっては、きわめて重要な情報といえます。そこで、わが国でも、そうした情報を一般に公開するように、という主張は繰り返し行われています。

 それにも拘わらず、それが公表されることがないのは、冒頭に述べた個人の人権を侵害するものだからです。そこで、その公表を可能にするためには、ここに見られるような憲法レベルでの許容規定が必要となる訳です。

 本条は、そうした問題に対するきわめて端的な回答です。制度はできたばかりですから、これがどのように機能するのか、つまり犯罪を抑制する上で役に立つのか、それとも単に更正しようと努力している前科ある人々に対する社会的な断罪に化してしまうのか、などはまだ未知数といえます。この制度の今後の発展を、我々は注目していく必要があると思われます。

 

  7 未成年者に対する性的暴行

 ハワイ州憲法第1章第25節は、次のように規定しています。

14歳未満の未成年者に対する持続的な性的暴行に対しては、議会は次の点を定義できる。

 1.どのような振る舞いが持続的なものといえるか

 2.陪審は、確信を抱くためにどのような点で一致すればよいか」

 これは2006117日の投票で成立し、2007年から施行される予定の、できたての憲法改正です。一見したところ、何でこんな条文が必要なのか、判らない規定です。

 ハワイ憲法123節と同様に、この条文も、州最高裁判所のある違憲判決が原因となって行われた憲法改正です。

 原因となった事件は、Anthony Arceo(以下「A」といいます)という男が引き起こしたものです。Aは、198912月に、カルフォルニア州サンディエゴから、6歳の息子(以下「B」といいます)を連れて、ハワイ州のマウイ島に到着しました。Aの主張に依れば、そこに住む知り合いの家に転がり込むことを当てにしてきたというのですが、到着時にその知り合いはすでにその住所におらず、ABは結果としてホームレス用のシェルター(一時宿泊施設)に直行しました。そこで、彼らはベット一つだけを与えられたので、当然6歳のBも、夜はその父Aと同じベットで寝、またシャワーも、Aの主張に依れば「息子はシャワーの使い方を知らないので」、Aは一緒に入ってBの身体中を洗っていました。19905月になって、マウイ郡警察職員がサンディエゴ地方検察庁からの連絡を受けてBを保護し、サンディエゴにいる母親の元に送還しました。判決文には書かれていませんが、父親が息子を誘拐して逃亡していたという事件だったようです。同年615日に、サンディエゴのソーシャル・ワーカーがBと面談したところ、BAとともにハワイにいる間、一貫してAより性的暴行を受け続けており、非常に嫌だったと述べたことから、ここで問題となっている事件が発覚しました。

 ハワイ州統一法典707-730b項は、「相手が14歳未満であることを知りつつ性交を行うこと」を第1級性的暴行罪(sexual assault in the first degree)と規定し、A級重罪(class A felony)に該当するとしています(重罪felonyとは、軽犯罪misdemeanorに対する言葉で、通常1年以上の懲役または死刑に処せられる犯罪を意味します)。また、同じく707-732b項は、「相手が14歳未満であることを知りつつ、性的接触を行い、もしくは他者をして性的接触をなさしめたこと」を第3級性的暴行罪と規定し、C級重罪に該当するとしています。

 判決原文には、Aが具体的にどのような行為をしたとされた結果、第1級性的暴行罪に問われたのか、また、同じく第3級性的暴行罪に問われたのかについて、Bとソーシャル・ワーカーとの一問一答の記録の引用も交えて、詳細に記述されています。しかし、普通の感覚の方なら、かなり不愉快な感情を覚えること必至という代物なので、ここでは割愛します。とにかく、そうした行為に対し、結論として、検察側は、ABに対し、上記のとおり198912月から19905月までの間、継続的に1級及び3級の性的暴行を行ったとして起訴したのです。

 このように不愉快な事件ですから、当然に陪審は、全会一致で有罪という答申を行いました。それに対してAが、この裁判は適正手続条項違反(ハワイ憲法15節=日本国憲法でいう31条)として上告したのです。ハワイ州最高裁判所が、それに対して19961118日に下した判決が、ここでの問題を引き起こしました。

 判決は、第一に、第1級性的暴行、すなわち日本でいうところの強姦罪というものは、決して継続的なものではあり得ない、と指摘しました。一つ一つの行為が、独立の構成要件該当行為である以上、それぞれを別罪として構成し、起訴しなければならないというのです。確かにその通りです。仮にある男が特定の女性を半年間に2回強姦すれば、強姦罪が2罪成立するのであって、決してあわせて1罪という訳ではありません。しかし、この事件の問題は、肝心の証人がわずか6歳(裁判時点で7歳)の子供だという点です。彼は、シャワーを浴びながら髪をシャンプーしている時にAが背後から肛門性交したことが2回あるというようなことは言えるのですが、それが何月何日に起きたことか、というようなことまでは判らないのです。

 判決は第二に、こうも指摘します。第1級性的暴行があったというためには、性器が軽く押し込まれたという疑いを超えて、明確に性的挿入があったということを証明しなければならないというのです。確かに、これは、わが国においても、強姦罪における既遂と未遂を区分する重要なポイントです。しかし、これまた、こんなことを6歳の子供に理解し、どちらであったかを述べろといっても無理な話です。

 さらに判決は、裁判官は、陪審員団に対し、第1級性的暴行を行ったとして被告人を有罪と決定するには、どのような行為がなされていると認定する必要があるかを、きちんと指導する必要があると述べています。素人である陪審員は、細かな法律の要件を理解できるわけがありませんから、これまた当然のことです。

 すなわち、検察官が、このように別々に構成し、証明するべき一連の犯罪を継続的に犯された1罪として起訴した点、及びそうした問題点を原審裁判官が陪審員団に指示しなかったという二つの点で、原判決には明白な誤りがあるとしたのです。この結果、原判決は取り消され、差し戻しとなりました。

 この判決を受けて、州議会ではいろいろ検討したのですが、結局、このような事件では、継続的な行為という概念を導入する以外の立法手段がありません。それが、適正手続条項違反になると裁判所が言う以上、そうした立法を許容する、ここに示した憲法改正を実施する他はない、という結論に達し、200611月に州民投票に託しました。無事に改正が成立したので、この稿を執筆している時点では、これを受けた立法作業が行われているところです。

 日本でも、アメリカの陪審制度に類似した裁判員制度が、近い将来に導入される予定ですが、やはり裁判官がどこまで指導する必要があるかは、こうした事件では大きな問題になりかねません。

 

  8 路傍で寝る権利

 ここまでに紹介したのはハワイ憲法1条に列挙されている人権です。しかし、ハワイ憲法では、前にも述べたとおり、我が憲法でいう社会権などは、人民の側の権利という代わりに国の側の義務という、ちょっと違う装いを使用して、憲法典中の、あちこちで保障されています。その中でも一番変わっているのが、ここに紹介する路傍で寝る権利(lie by the roadside)です。

 ハワイ憲法1110節には「公共の安全(public safety)」という表題の下に、“mamala-hoe kanawai”という言葉が書かれています。ハワイ語はローマ字読みすればよいので、これは「ママラ・ホエ カナワイ」と発音すればよい訳です。

 これはどういう意味か、というのが問題です。例によってヴァン・ダイク先生に伺ったところ、この言葉は、直訳すると"the law of the splintered paddle(折れた櫂の法)" という意味になると教えてくださいました。

 この言葉、ハワイにある程度いると、あちこちで見聞きします。早い話が、ハワイ大学ロースクールのシンボルマークの由来でもあります。

 これは実話に基づいて生まれた法です。話は結構複雑なのですが、ごく簡単に要約するとこんな話です。事件は1783年に起こりました。まだ、キャプテン・クックがハワイに到来していない時点のことです。後のカメハメハ大王は、いとこと、ハワイ島の王位を巡って戦いを展開している最中でした。敵軍の情報を知りたいと、カメハメハは自ら敵の背後地域に侵入し、その地の漁師を捕虜にして情報を得ようとしたのです。勇猛で知られる王に襲撃されて、漁師はあわてふためいて、家族を逃がそうとしました。その漁師が、王が溶岩の薄い層を踏み破り、その下にあったクレバスに下半身が落ちて動きがとれなくなったのをみて、反撃のチャンスと、王を櫂で殴りつけたのです。このため、櫂は折れました。漁師はさらに槍を投げて王を殺そうとしましたが、そこに王の部下の舵取りが追いついてきて、代わりに槍を身に受けました。漁師はその機に乗じて逃げ去ったのですが、王としては、一般人に傷つけられたという大変不名誉な事件となりました。

 キャプテン・クックが1778年にハワイに到来しました。カメハメハは、白人の武器と戦略を活用することにより、ハワイ諸島を統一して、ハワイ王国を1795年に建国しました。その後になって−具体的には1796年以降1802年以前の間のいつかの時点で−カメハメハ大王は、1783年に彼を櫂が折れるほど殴りつけた漁師を見つけ出そうと思い立ちました。そこで、その地域の住民をすべて集めて尋問した結果、見事に問題の漁師を見つけ出すのに成功しました。大王の部下達は、当然復讐のためにこれを行ったと考えたのですが、そこでカメハメハ大王は意外な発言をしました。

「聞け! 朕は無辜の、身を守る術を持たぬものを襲撃した。これは正しいことではない。今後、朕の王国においては、何人も、例え酋長や僧からも襲撃されることなく旅する権利が与えられる。朕は法を作る。政府の下にあるあらゆる者の安全を保護する新しい法である。何人であれ、守る術を持たぬ者、無辜の者から強奪し、あるいは殺害した者は処罰されるであろう。朕の舵取りを記念し、この法を『折れた櫂の法』と名付ける。老人であれ、幼児であれ、路傍に休むことができ、何人もこれを傷つけることはない。」(“HAWAIIAN HISTORICAL LEGENDSBy William D. Westervelt174頁より翻訳)

 現在のハワイ憲法910節は、ほぼこの宣言をなぞっています。

「折れた櫂の法、mamala-hoe kanawai、カメハメハ一世によって布告された『あらゆる老人も、女性も子供も、安全に路傍に寝ることができる』は、州にかかわる公共の安全の生きるシンボルである。州は、人々の身体や財産を犯罪から守る権限を有する。」

 もちろん、今日では、表題の公共の安全という言葉に示されるとおり、カメハメハ大王の宣言した強奪や殺人からの安全だけではなく、遙かに広範な保障となっています。

 私が一番気にしているのが、その射程距離です。具体的にはビーチコマー(beachcomber)、すなわち浜辺乞食は、この権利の保護対象なのか否か、ということです。ハワイは何しろ常夏の楽園ですから、外で寝るのは、嵐にでもならない限りそう苦になりません。しかもワイキキやアラモアナの海水浴場にはシャワーもトイレも、そして残飯も揃っているものですから、ビーチコマーにとっては最高の楽園です。その結果、結構彼らの姿が目立ちます。もとはスーパーマーケットのショッピングカートだったとおぼしい大きな手押しカートに、様々な生活必需品を満載したものを押して歩いていますから、一目で海水浴客とは見分けがつきます。

 しかし警察はあまり取り締まらず、むしろ気楽に彼らと談笑している姿を見かけます。これも路傍に寝る権利が憲法に保障されているためではないか、と私は考えています。ただし、これはあくまでも、環境に何も手を加えずに路傍に寝ている限りでの権利です。

 アラモアナ公園では、木の下に青いカンバスで仮設の家を造る不届きものが出て、これはさすがに強制撤去されたという話です。公園の木の下に、自分の衣類等を満載したカートを何台も周りにおいて、自分のスペースを事実上確保している者は依然としています。屋根がないというのが、お目こぼしの基準なのでしょうか?。違憲判決を下すことをためらわない裁判所があるのですから、警察も慎重にならざるを得ません。

 ビーチコマーという言葉は、このように決して良い言葉ではないはずなのですが、ワイキキの一流ホテルの名前にあるのを始めとして、一流ホテルのバーやレストランの名として使われている例がざらにあります。なぜなのだろう、とハワイ人の知人に聞いてみたら、ビーチコマーとして生きることは、ハワイ人のあこがれであるためだろうといわれました。確かに、何の制約もなく、あくせく稼ぐこともなく、終日浜辺に寝転がって暮らすことは、ハワイ人ばかりでなく、ハワイに押し寄せる観光客の多くが共有する夢でもある、といえるでしょう。あの不潔さが何とかなれば、の話ですが…。

 

  9 水に関する環境権と水利権

 ハワイ憲法第11条は、「資源の保護、管理及び開発」と題されており、その第1節は次のように述べています。

「現在及び将来の世代の利益のため、州及び地方公共団体は、ハワイの自然の美と土地、水、空気、鉱物及びエネルギー資源を含むあらゆる資源を保護し、保全するものとし、かつこれら資源の保護に矛盾しない方法で、その開発と活用を図り、州の自給自足を可能ならしめるものとする。

 あらゆる公的自然資源は、人民の利益に適合するよう、州に信託されたものである。」

 これを受けて、さらに同条第7節は「水資源(WATER RESOURCES)」という表題の下に、次のように定めています。

「州は、人民の利益のため、ハワイの水資源の利用を保全し、管理し、制御する義務を負う。

 議会は、水資源庁に対し、法律により、あらゆる水の保護、水質及び利用政策を定めるものとする。その法律では、有益かつ妥当な利用、地下水及び地表水の定義、分水嶺及び自然河川の環境の保全、及び水利用の優先順位の審査基準の開発を、水に随伴する権利を保護し、すでに存在する関連する河川利用権を確保する一方で規定し、ハワイのあらゆる水資源を規制する。」

 前にも述べたとおり、米国合衆国憲法は、社会権という概念を知らないため、ハワイ州憲法は、それを州の側の義務という定め方を使うことにより、実質的に保障するという手法を採用しています。本節の場合には、水に関する環境権というものを、こういう持って回った文言で保障していると読んでもらえればよい訳です。

 ここで問題は、本節が、環境権保護の一点張りで規定しているのではなく、既存の水利権との調和を図るという言い方をしている点にあります。そこから発生する問題点を、以下では説明したいと思います。

 実は、ハワイの水問題というのは、深刻なのです。特にマウイ島の場合が深刻といわれます。

 そもそもハワイ諸島というところは、地球上のいかなる大陸からも遠く離れています。そこにおける真水の供給源は、唯一天からハワイの大地に降り注ぐ雨です。幸い、ハワイ諸島は、貿易風帯に位置しています。したがって、年間を通じて東から西に、数千キロの海上を吹き渡ってきて、十分に水分を含んだ風が吹き付けてきます。この結果、4000mを超える高山を二つも擁するハワイ島の、風上側に位置するヒロは、年間平均降水量が3276mmに達し、全米でももっとも降水量の多い町といわれます。それが風下側になると、最も少ない土地の一つといわれるほどの乾燥地になります。それが島の反対側にある、カメハメハ大王の誕生の地であるコハラ・コーストの降水量は年間257mmなのですから、ヒロの1割にも達しない乾燥地であることになります。

 同じ風上側対風下側の構図が、群島中第二の大きさを誇るマウイ島でも繰り返されます。同島の最高峰であるハレアカラ山は3,055mの高山ですから、その風上側は、やはりハワイ島同様に、世界有数の降水量を誇ります。東端にあるハナの町の降水量は1960mmであるのに対し、ハレアカラ山の西に位置するキヘイでは237mmに、島の西端にある有名な観光地であるラハイナでも375mmに落ち込みます。これらの観光地には、したがって年間を通じて雨の日はまず無く、いつでも熱帯の太陽が照りつけており、まさに常夏の楽園が実現している、という訳です。

 以上に示した降水量は、海岸沿いの町での数字です。これが、ハレアカラ山の風上側の山肌に広がる熱帯雨林になると、正確な計測数字がある訳ではありませんが、年間に7500mmもの降水量があるといわれます。この豪雨が、山腹を流れ下り、数多くの美しい渓谷を作り上げています。このため、マウイ島は、別名を谷の島(valley island)といいます。

 この豊富な水量を誇るマウイの河川の水は、大変効率的に利用されています。河川の8割程度までが、その流れる水の約4分の3まで利用され、海までながれ下る量はほんのわずかといわれます。特に深刻なのが西マウイにあるイアオ川(Iao River)など、かつてマウイで四大河川(ハワイ語でNa Wai `Ehaという語の直訳です)といわれたもので、現在では、大半の時期は川底は干上がり、大雨が降った時にのみ水流が見られるほどに、水が搾り取られています。

 マウイ島の水資源利用がそんなに徹底している理由は、この島が、かつて砂糖黍のプランテーションで栄えたことにあります。砂糖黍は非常に水を必要とする植物です。1kgの砂糖を生産するために必要な水の量は、4トンに達するといわれます。そこで、プランテーション経営者達は必死になって、河川の水の有効利用体制を整備したのです。

 今やプランテーションは過去のものとなり、操業しているものは全くありません。それなら、マウイ島には水問題は無いと言えるのでしょうか。いいえ、依然として深刻です。なぜなら、プランテーションが砂糖の生産を止めても、プランテーション会社は有している水利権は手放さないからです。それは、いまや水の販売会社に変身してしまっているのです。そこから、金に糸目をつけずに水を購入できる高級ホテルやゴルフ場には、水不足の問題はありません。そして、買い手がつかずに余った水は、かつてのプランテーションの跡地に流れ込み、無駄に蒸発しています。

 しかし、それでは一般民衆はたまったものではありません。飲み水は地下水をくみ上げていますからあまり問題はないのですが、農業用の灌漑用水の不足はきわめて深刻です。また、河川に水が全くない、ということは、かつてその河川で釣りその他を行って生計を維持していたハワイ原住民の生活を根底から破壊する侵害行為であったという問題もあります。彼らが伝統的な生活を取り戻すためには、河川にいつでも水が流れるようにしなければいけないのです。

 そこで、ハワイの環境問題の専門家は、すでに操業していないプランテーションを、大規模に閉鎖するように主張しています。過去の権利の一部を手放すように調停が申し立てられましたが、水会社側は全く取り合わず、調停は成立しませんでした。そこで、環境運動家達は、ハワイ州水法(The Hawai`i Water Code)が水の浪費を禁じていることに着眼し、今後は、企業にこの水という公的資源を、私的利益のために浪費することを止めさせるための行政訴訟に訴える予定です。

 しかし、現在の米連邦最高裁は、環境訴訟には保守的な傾向があります。州裁判所では、連邦最高裁の判例の枠内でしか問題を取り扱えません。したがって、この訴訟の先行きは、決して楽観を許しません。

 仮に、ハワイ憲法が、明確に環境権という形で規定していれば、問題は少々違ってきます。原則として、連邦法は州法に優越します。しかし、例外として、州法が連邦法よりも国民の権利を広く認めている場合には、州法が連邦法に優越できるからです。このことは、憲法のレベルでも一緒です。したがって、先に説明した同性婚判決のように、全米に衝撃を与える判決が、出現しうるのです。しかし、水に関する権利のように、州の義務という形で規定されている場合には、この例外は適用がない結果、原則通り連邦法が優越します。

 2007年は水不足の年で、ハワイ諸島の全域にわたって、例年の降水量の半分以下となっています。したがって、マウイの現地人達の苦労は、ことのほか大きなものとなると思われます。マウイ島に観光に行かれる方は、青い海や緑鮮やかなゴルフ場に感嘆するだけではなく、その陰で一般民衆の被っている、こうした苦痛があることも、記憶にとどめておいてください。