第1編 第2章 

 予算における支出授権と契約授権機能について

  

目次

   
一 予算の法規範性解明のための道具としての用語の提案
二 福祉国家と予算における契約授権の重要性
(一) 契約授権機能の必要性
(二) 契約授権の福祉国家における重要性
三 抽象的授権と具体的授権の相違
(一) 二重立法概念と予算の関係
(二) 具体的授権の予算による独占
  1 具体的支出授権の予算による独占
  2 具体的契約授権の予算による独占
  3 具体的授権の予算による独占の持つ意義
四 わが国における契約授権の沿革
(一) 明治憲法制定の前後
  1 明治憲法六二条三項の意義
  2 六二条三項の制定過程
  3 六二条三項と実定法
  4 明治憲法下における学説の状況
(二) 現行憲法制定前後
  1 マッカーサー草案における契約授権と日本側の受け入れ状況
  2 現行憲法制定過程における解釈
五 欧米における支出授権と契約授権についての考え方
(一) 英国
(二) 米国
  1 米国における支出授権
  2 契約授権の状況
(三) フランス
  1 予算の支出授権機能
  2 予算の契約授権機能
(四) ドイツ
  1 プロイセンないしドイツ帝国時代の憲法
  2 ワイマール憲法ないし大改革以前のボン基本法
  3 ボン基本法の下における現行制度
[おわりに]

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一 予算の法規範性解明のための道具としての用語の提案
 今日の福祉国家において、予算に代表されるところの財政は、様々な複雑な機能を有している。そこから予算にも様々な法規範性の存在を認めることができる。しかし、本稿ではそうした福祉国家における予算の特徴を捨象して、予算制度の基本機能だけを考えることとしたい。その場合、わが国憲法学では、従来からそれは国費の支出に関する授権と考えるとともに、それに尽きるとするのが通例である。そのことは、予算において法規範性を有するのは歳出予算であるとする見解に端的に示される。近時の学説では、歳入予算にも限定的に法規範性を認める者が増加してきているが、それは上述した福祉国家的予算機能の意味であって、基本機能として何らかの法規範性を認めているわけではないという点で、歳出予算に限定する立場と変わりがない。
 この場合、現実の予算において歳出予算以外の重要な要素である予算総則、歳入予算、継続費、繰越明許費及び国庫債務負担行為をどう評価しているのか、すなわち、その法規範性を否定しているのか、あるいは法規範性はあるが、それは一般の法律によっても定めうるものを、単に予算によって定めているものに過ぎないと考えているのかについては、特に議論をしている者はなく、はっきりしない。前者、すなわち、それらは法規範性を有しないと考えている(少なくとも歳入予算についてはそうした考え方が有力のように思われる。)のであれば、国会中心財政主義の意義及びそれが法規範的拘束力を有しているという現実を正しく評価しているとは言えない。後者、すなわち本来ならば法律の形式によって定めるべき事項を、予算で定めているという理解であるならば、それは予算という簡易迅速な制定手続を悪用した、一種の「予算の抱き合わせ」であって、違憲とするべきであり、この点について特段の議論を行わず、漫然と放置しているのは不当といわざるを得ない。しかし、実態はおそらくこのいずれでもなく、砂に頭を埋めて現実を否定している駝鳥に似て、予算総則等について何らの検討も行っていないという状況なのではないかと疑っている。
 このように、我が国の予算の法規範性に関する議論は、今まで、その現に予算の大半を占めている部分を無視しているという意味において、残念ながらかなり不毛の議論であった。こうした不毛の原因の一つとして、予算の有する法的機能をきちんと表現した用語がないことを指摘できるのではないだろうか。社会規範の研究に当たっては、適切な分析の道具としての言葉がない限り、議論が噛み合っていないことさえも、当事者がきちんと認識できないからである。
 ここに、予算の法規範性を解明するための道具として、二種類の言葉を提案したい。
 第一に、表題に示した「支出授権」と「契約授権」である。憲法八五条は、国費の支出と国の債務の負担の二つを国会の議決にかからしめることを要求している。卑見によれば、この二つこそ我が国予算の持つ二大機能である。そこで、本稿では、前者、すなわち、従来、予算の中心的機能と考えられてきた支出権限の授与行為を、「支出授権」と呼ぶこととしたい。これに対して、後者、すなわち国が債務を負担するために、契約の締結その他の、債務負担の原因となる行為を行う権限を、国会が、当該行政庁に授権する行為を、以下、「契約授権」と呼ぶこととしたい(1)。この契約授権は、実定法上、行政行為として構成されているもの、例えば公務員の雇用契約や補助金の交付契約等も含む概念と理解されたい。予算について、この二つの用語を使用することにより、その機能の本質、したがって、その法規範性の意味するものについて、適切な検討を行いうると考える。
 すなわち、憲法八五条については、従来、前者ばかりが重視され、後者については、別に否定されているわけではないが、予算機能として十分に認識されていなかった嫌いがある。これらの用語の使用により、そうした議論の欠落そのものを明らかにすることができるであろう。その結果、歳出予算以外の予算科目の法規範性の正しい評価が可能になる。
 第二に、このそれぞれについて抽象的授権(一般的授権)と具体的授権(個別的授権)の概念区別を提案したい。ここに抽象的授権とは一般性を有する授権を、そして具体的授権とは一般性を有しない授権を意味する。この用語を使用することで目的としているのは、予算と法律の関係を明らかにすることである。
 わが国憲法及び財政法学説は、憲法八五条が定める支出授権と契約授権に関して、例外なく、両者の授権の実行方法には違いがあると主張する。すなわち、支出授権は予算によって、そしてそれのみによって行われるのに対して、契約授権は憲法上、特に授権方法が特定されておらず、財政法は法律と予算という二つの方法を予定しているとするのである。こうした主張は明らかに誤りであると考える。
 支出授権について言うならば、そのような主張は、論者が、予算と法律の不一致というあまりにも有名な論点の意味をまったく理解していないことを端的に示しているものである。すなわち、支出授権は、それが抽象的授権に止まるのであれば、法律で行うこともできるのであり、ただ、法律による支出授権の場合には、特定年度において現実に支出を行うには、重ねて、当該年度を対象とする予算による具体的支出授権が必要となるのである。そして、法律による抽象的支出授権と予算による具体的支出授権の間に不一致があるのが、予算と法律の不一致という問題に他ならないからである。
 それとまったく同じ意味において、契約授権も、法律と予算の二つの形式で行うことができると言うべきであろう。従来の学説は、単純に、財政法一五条が、その冒頭で契約授権を法律によって行い得ることを明言していることに依拠して、法律による契約授権が可能であると述べるばかりで、そうした法律による授権が毎年の予算中でどのように扱われているかについてはまったく考慮の外においている点に問題がある。確かに、財政法一五条でいう法律は、財政法四条但し書きによる建設公債の発行授権を筆頭に、膨大な数が存在している。しかし、それで契約授権は完成しているのではない。毎年度の予算の冒頭を飾る予算総則では、そうした契約授権を目的とした法律を受けて、公債、一時借入金、国連機関拠出金、債務保証等等の類型別に、各年度毎の契約授権の限度額を定めている。すなわち、契約授権においても、法律による抽象的授権と予算による具体的授権の二つが同時に存在しているのである。仮に、法律が抽象的契約授権を行っているにも拘わらず、予算総則での具体的授権が存在しない場合には、支出授権における場合とまったく同じ意味で、やはり予算と法律の不一致の問題は発生することになるのである。
 したがって、予算における法律と予算の不一致の問題は、究極的には、法律による授権と予算による授権とは、どのように相違しているか、という点に求められるべきなのである。その分析の道具として、前述した抽象的授権と具体的授権の区別が意味を有すると考える。
 以下、この二種類の概念を使用することにより、わが国予算の基本機能を分析してみたい。

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二 福祉国家と予算における契約授権の重要性
 本節では、予算の持つ二つの重要な機能のうち、従来十分に認識されてこなかった契約授権の意義を検討することとしたい。
(一) 契約授権機能の必要性
 わが国では、憲法八三条の定める国会中心財政主義の下、議会の有する予算制定権が、特定年度の国の全収入・支出をコントロールするという法制を採用している。このような国においては、予算制定権の内容として、収入や支出のみを対象とした権限だけでは十分なものとは言えない。
 なぜなら、国家機関が国会のコントロールを受けることなく、国の支出の原因となる契約を自由に締結することができるとするならば、議会の持つ支出に関する予算制定権は全く無意味なものとなってしまうからである。行政庁が勝手に締結した契約であっても、その契約上の支払期限が到来した時には、議会としては、契約の誠実な相手方である国民の犠牲の上に支払いを拒絶することはできないから、機械的に支出の承認をするほかはないためである。すなわち、国の支出を完全にコントロールしているというためには、その支出の原因となる債務を負担する行為もまた、国会が予算によって同時にコントロールするという制度が必要なのである。そこに憲法八五条が、支出授権と契約授権を並列的に定めた法意があると考える。同条を敢えて前後二つに切断し、支出授権だけを予算の権限とし、契約授権は予算の基本機能と考えない、とするのは同条の文言から見ても、極めて不自然な解釈であって、とうてい妥当なものとは言えない。
 同様のことは収入についてもいうことができる。国の収入の原因になる契約は、国の一方的賦課徴収である租税と異なり、通常、国からのそれに見合った金銭以外の出捐、すなわち典型的には国有財産や物品の民間への払い下げ等の存在を意味している。国に財産的出捐を義務づけない収入原因となる片務契約、すなわち純然たる寄付のような場合にも、それにより有形無形の対価を期待している場合が往々にしてあるので、国会中心財政主義の下においては、やはりそれを国会のコントロールの下におく必要がある。このことは、皇室に対する関係では憲法八条の明定するところであるが、それ以外のあらゆる国家機関についても通有性を有する問題であるといわなければならない(2)。明治時代初期のわが国における最大の財政スキャンダルとして、北海道開拓使払い下げ事件がある。あのような不祥事を再び引き起こしてはならないことは、国会中心財政主義の下にあっては、なおのこと当然の要求だからである。
 したがって、わが国のように国会中心財政主義の下に総計予算主義を採る国にあっては、予算権限とは、実は契約授権と支出授権の二つの機能から構成された権限と考えなければならない。
(二) 契約授権の福祉国家における重要性
 かっての消極国家の予算は、支出授権を中心に構成されていた。国が、国民との間にできるだけ接触を持たないことが善とされる価値体系の下では、国と国民との契約に重要性がなかったのは当然である。これに対して、現代福祉国家においては、給付行政が国の活動の中心となる。そこでは、契約授権が予算の中心とならざるを得ない。その理由はきわめて単純にして明確であろう。すなわち、行政庁は、その行政施策を遂行するのに必要な諸々な人的物的資源を獲得するために予算を必要とするのであり、決して現金の支出そのものを目的としているわけではない。そして、そうした人的物的資源の獲得は、契約ないしそれ類似の行為を通じて行われるからである。付言するならば、国の現実の収入や支出のほとんどは日銀(その代理店等を含む。)において行われる(会計法七条及び一五条)のであって、個々の行政庁が直接行うことは原則としてない。
 したがって、今日のわが国予算は契約授権を中心に構成されているべきであるし、また、現実にもそうである。すなわち、予算総則、歳入歳出予算、継続費、繰越明許費、国庫債務負担行為のすべてが契約授権の効力を持ち、また、財政法中の様々な規定もすべて、契約授権を適切にコントロールするために設けられているのである。しかし、この点については、ここで同時に論ずるには極めて多岐にわたる検討を必要とし、本稿の焦点がぼやけるおそれがあるので、その詳細については、別稿で論ずることとした(3)。

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三 抽象的授権と具体的授権の相違
 はじめに述べたとおり、わが国憲法及び財政法学説は、憲法八五条が定める支出授権と契約授権に関して、例外なく、両者の授権方法には違いがあると主張するが、妥当ではなく、支出授権の場合にも契約授権の場合にも、法律と予算による二重の授権を必要とすると考えるべきである。
 このように、予算と法律による二重の授権が、いずれの場合にも必要となる理由は、二重法律概念と予算との関係から理解する必要があると考える。
(一) 二重立法概念と予算の関係
 憲法四一条は、国会を国の唯一の立法機関と定める。ここに、法律が独占している立法とは、実質的意味の立法であり、それは対国民的な法規範 Rechtsatzと解するのが、通説と考えて良いであろう。何が対国民的な法規範であるかについては学説の対立があるが、その基本的な要素としては一般性を要求するのが、これも又通説であると解することができる。ここまでの点については、既に別途詳細に論じたことがある(4)ので、ここでは深く論証せず、そこではあまりつっこんだ議論を行わなかった点についてだけ、以下に補足したい。
 問題は、形式的意味の立法については、こうした一般性等の制約はなく、国会は自由にその望む法規範を定めることができると一般に解されている点にある。換言すれば、形式的意味の立法に該当する分野であれば、具体的法規範を法律の形式で制定することが許されるとするのである。しかし、こうした解釈が正しいとは思われない。
 なぜなら、国内法のうち、対国民的な効力を持つ法規範を除外した残余の領域とは、国家内部法の領域だからである。これを憲法の章を基準にするならば、立法府・司法府及び行政府の内部法領域、地方自治法領域並びに財政法領域の三つに区分することが可能であろう。
 このうち、立法府等の内部法の領域についていえば、議院規則等の内部規則と法律の優劣関係をどのように理解しようとも、この領域で、法律の形式を使用したからといって、個別具体的な指図、命令が国会を国会が行い得ると考える論者はいないであろう。同様に、地方自治法領域についても、狭義の伝来説を採用する論者であろうとも、法律の形式を使用すれば、国会が特定の地方自治体に特定の作為不作為を命ずることができると解する論者はいないであろう。したがって、これらの分野における形式的立法もまた、一般性を少なくとも要素の一つ(又はすべて)として有していると解すべきことになる。
 このように消去していくと、形式的意味の立法であって、国会が一般性の制約なく立法可能であると考えられる唯一の法領域は、本稿が問題としている財政法領域ということになる。ラバントが、まさにこの領域をめぐる論争の中から二重法律概念を創出したことを考えれば、それは異とするに足りないであろう。
(二) 具体的授権の予算による独占
  1 具体的支出授権の予算による独占
 財政領域において、国会の採用している法形式としては、予算と法律の二つが知られている。そして、予算の特徴は、まさにその対象とする特定年度における個別具体的な法規範である点にある。そして、国会中心財政主義の下、予算にすべての収入・支出が計上されなければならないという完全性原則の要請に従うならば、当該年度に関するすべての個別具体的な財政事項は、予算に一元的に計上される必要がある。すなわち、予算が具体的支出授権を独占することにより、はじめて予算が当該年度の財政活動の全体を示すことが可能になる。このように予算が具体的支出授権を独占するためには、財政領域において、国会が法律の形式を使用する場合には、通常の実質的意味の立法に該当する場合と同じく、一般性を有する限度でしか法律は定めることができないと考えるべきことになる。法律が具体的支出授権を行うことを認めては、予算外で支出を行うことが可能になってしまうからである。
 すなわち、国が現実に支出を行う行為は、常に一般性が欠如しているから、法律が支出授権を行っている場合にも、それだけで実施することはできない(以下、一般的授権を行っている法律を「授権法」という。)。そうした授権法に重ねて、歳出予算による支出授権が存在することにより始めて実行できることになる。このため、授権法を必要とする法領域においては、授権法と歳出予算の間に不一致が発生すれば、両者のいずれを実施することも不可能という有名な問題が発生するのである。
  2 具体的契約授権の予算による独占
 それと同様に、この完全性原則は、契約授権の概念を認めるならば、すべての具体的契約授権が予算によって行われなければならないことも同時に要請していると考えなければならない(5)。そうでなければ、予算外で契約を締結することにより、その支払期限の到来する将来の年度において、国会は、当該支出を妥当と考えると否との判断とは関係なく、支出授権を必然的に与えねばならないことになってしまうからである。
 国に現実の負担を負担させる行為もまた、常に一般性が欠如するから、法律が契約授権を行っている場合にも、法律だけを根拠として実施することはできない。契約授権における具体性ある部分とは、当該年度の契約限度額である。したがって、この点だけは、授権法が存在する場合にも予算の独占とならざるを得ない。
 すなわち、一般的な権限そのものは、法律で定めることが可能である。そのような立法例は、財政法四条一項但し書きが建設公債の発行を認めていることを筆頭に、前述のとおり多数存在する。しかし、現実に行政庁が契約を締結するに当たっては、根拠法以外に予算による限度額の授権が重ねて要求される。
 法律によって行われる一般的契約授権に対する予算による具体的授権は、予算のあらゆる科目の上で認められることになる。
ア 当該年度に収入も支出ももたらさない契約の授権であれば、その限度額は予算総則に見られる一連の規定という形で定められる。
イ 当該年度に支出が行われる場合には、それに対する具体的契約授権は歳出予算の形で行われることになる。長期継続契約に対する会計法二九条の一二による授権は、それに対応する具体的支出授権が歳出予算によって行われる場合の典型である。
ウ 国の収入原因が法律で定められている場合もまた同様である。例えば、民法九五九条は、相続人不存在財産の国庫帰属を定めるが、これは一般的授権にすぎないから、現実に国庫に帰属させるためには、毎年度の裁判所の歳入予算によってそれに対する具体的授権が行われる必要がある(款=諸収入、項=雑入がそれに当たる。)。
  3 具体的授権の予算による独占の持つ意義
 支出授権に関して、個別具体的なそれは予算が独占するという法制は、その独占の程度において差異があるが、原則的には各国の採用するところである。これに対して、具体的契約授権の予算による独占という制度は、米国などと顕著に異なるわが国独自のものである。これが国会による財政コントロールの観点から見た場合、極めて好ましい効果を発揮する点で、その重要性は非常に高い。
 米国の場合には、個々の契約締結の授権までも、予算とは別に、一般の法律によって行うことも是認しているため、そのような法律がある場合には、行政庁は予算によって拘束されることなく、契約、例えば債務保障契約、を締結することが可能となっている。その結果、保証人としての責任が現実に追求されたときにはじめて予算審議の対象となるが、その時は履行期になっているから、議会としては機械的に支出を承認する外はない。これを裏口支出Backdoor Spendingと呼び、米国財政赤字の大きな原因となっている。S&Lに関する債務保証がその典型である。一般性を持たない事項は予算の独占とする現行制度は、こうした裏口支出の非常に有効な防止策となっているのである。

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四 わが国における契約授権の沿革
 前節で述べたとおり、わが国の現行の財政運営は、契約授権概念を中心に行われているが、わが国予算における契約授権機能は、現行憲法八三条の下で突然発生したのではない。それどころか、明治憲法からの長い伝統がそこには存在しているのである。そうした伝統が存在していたからこそ、八三条の制定とともに、実務が速やかに契約授権の予算による独占という運営を行うことが可能になったということができる。以下では、そうした沿革を紹介したい。
(一) 明治憲法制定の前後
  1 明治憲法六二条三項の意義
 契約授権に関する限り、わが国は世界の先進国ということができる。すなわちわが国が法制度を学んだどこの国もいまだ契約授権を定めていなかった時点で、わが明治憲法六二条三項は
「国債を起こし及び予算に定めたるものを除く外国庫の負担となるべき契約を為すは帝国議会の協賛を経べし」
と定めていた。この前半の、国債の発行に関する議会の協賛は、他に例が多い。例えば、既にその時点で、プロイセンや米国の憲法にも同様の文言が存在していた。しかし、後半の定めている二つの点、すなわち、第一に、国庫の負担となるべき契約を行う場合にも議会の協賛を必要とするという点及び第二に、予算に定められている場合には、その例外として特別の協賛を必要としないという点は、いずれも注目に値する。
 第一の点は、今日の制度と幾分隔絶しているために、文言だけからではその意味が理解しにくい。が、明治憲法期における運用の実体を見ると、現行の国庫債務負担行為と同様に多年度にまたがる債務負担を、予算とは別の法律の形式で、議会の協賛を得るという制度である。このように、一般に将来の国庫負担となる契約等に関して議会の協賛を必要とするという法制は、明治憲法の成立に影響を与えたといわれる英米独仏の四ヶ国のいずれでも、その時点では有していなかったのである。
 この規定で、更に注目に値するのは、第二の、予算に定めたものについては別に帝国議会の協賛がなくとも契約できることを、すなわち予算には契約授権の機能があるということを、同条は明確に予定していたと読める点である。これは、現行財政法一五条の直接の原点となる重要な規定であり、こうした発想は、今日においてさえ、英米独仏各国の予算制度のもたないものである(これらの国における契約授権制度がどのようなものであるかを、ここでそれぞれに紹介すると錯綜して判りにくいと思われるので、それについては、次節にまとめて紹介してある。)。
 明治憲法は「国家の歳出歳入は毎年予算をもって帝国議会の協賛を経べし(六四条一項)」として総計予算主義を採用していたから、先に述べたとおり、契約授権制度を導入することは論理的には当然のことといえるであろう。しかし、この当然のことにどこの国も気がついていなかった時点で、こうした規定が作られたことは注目に値する。
  2 六二条三項の制定過程
 この契約云々の文言は、当然のことながら、同憲法起草の当初から存在していた規定ではなかった。
 それどころか、かなり審議が押し詰まった枢密院再審会議(明治二二年(一八八九年)一月一六日)の段階でも、「国債を起こすは帝国議会の承諾を経べし」という一八四八年プロイセン欽定憲法と同様の単純な規定が存在しているだけであった。
 枢密院の審議会議が終了すると、本来ならばその結果を天皇に直ちに上奏するのであるが、「枢密院の再審会議において議決された憲法草案について伊藤議長は上奏の手続きをとらず、英文に翻訳した条文を示して御雇い法律顧問のロェスレルあたりの意見を徴し、更に草案全体に亘って最後的検討を行って欽定の憲法に不用意の欠点を残すことなきを期した。(6)」その際に作られた伊藤のメモに、この契約に論及する修正案を考えていることが窺われる。
 そして、同年一月二七日に高輪の伊藤博文の別邸に伊藤自身に加えて、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の計四人が集まって検討した、いわゆる高輪会議の際に作られた伊藤の修正案の中に「契約云々」という文言は始めて姿を見せる。すなわち
「国債を起し及将来に国庫の負担と為るべき契約を為すは帝国議会の協賛を経べし(7)」
とあるのがそれである。
 本稿で注目している「予算に定めたるを除く外」という文言は、しかし、この段階でも存在していない。最終的に枢密院第三審会議に提出される草案段階で、始めて、付け加えられてくるのである。
 こうして、本項に関する修正はかなり大幅なものとなったにも拘わらず、しかも先進諸国に類例のないものであったにも拘わらず、枢密院においても特段の異議もなく、原案のとおりに可決されて明治憲法となった。そのため、当時この修正の意味するところがどのように認識されていたのかは、記録からははっきりしない。
 ロェスレル等の御雇い外国人から、このような文章に修正すべきだとする意見が出てくるとは思われない。前述のとおり、当時の欧州各国においては、契約授権の発想はなかったし、ロェスレル自身が書いた憲法草案で、本条に一番近い規定を探しても、八七条の「政府財産の各部は管理上の目的よりいずるものを除くほか、国会の承諾を経るにあらざればこれを売却譲与することを得ず。」とあるもの程度しか見当たらない。これは一八一九年に制定されたバイエルン憲法に倣ったもののようである。しかし、第三審会議で現れた条文はこれに比べてかなり広範に議会の契約授権権限を定めており、この段階にいたって突如としてロェスレルがこうした改正案を示したとはとうてい思えない。したがって、これは伊藤博文個人ないしそれに非常に近い人物の創見であろうと思われる(8)。
  3 六二条三項と実定法
 同項について、伊藤自身は次のように説明する。
「第三項国債は将来に国庫の負担義務を約束する者なり。故に新に国債を起すには必議会の協賛を取らざるべからず。予算の効力は一の会計年度に限る。故に予算の外に渉り将来に国庫の負担足るべき補助保証及其の他の契約を為すは皆国債に同じく議会の協賛を要するなり。」(9)
 後述のとおり、イギリス議会は今日に至るも国債に関する同意権をもたず、ドイツやフランスも近時にいたってようやく、将来の補助・保証に関する議決権を議会に与えるようになったことを考えると、将来に国庫の負担となる可能性のあるあらゆる契約について議会の権限に留保したという、本条の歴史的意義は、世界的に見ても、きわめて大きなものがあると言うことができる。この時点における伊藤の先見性は信じがたいほどのものである。そして、その根拠を「予算の効力は一の会計年度に限る」という点に求めていることからは、明らかに、単年度予算に計上されている費目に対応する契約については、重ねて帝国議会の承認を不要とする趣旨が、明確に看取できるであろう。
 明治憲法を受けて同年に政府提出の会計法草案一六条には次のような規定があった。
「各省大臣は土地家屋の借入及特に法律を以て許可せられたる場合を除くの外一年度の外に渉り経費の支出となるべき契約をなすを得ず。」
 この規定の趣旨は次のように説明されている。
「一年度の外に渉り経費の支出となるべき契約をなすとは例せば某官庁が某鉱山と十箇年間毎年何百噸の石炭を買い入れるの契約を結ぶが如きを云う。すべて如此契約は一年毎に取り結ばしめて事務上差し支えなきのみならず、会計上の弊少なく、且つ予算は通常一年ごとに定額を許可するの精神なるを以て本条を制限を設けたるなり。
 土地家屋の借入は永期の契約に非れば実際不便且不利益なるを以て特に数年に跨るを許す。
 恩給を付与する如き終身官を任命する如き其他事業の大なるものは経費の数年に跨るもの多しと雖も之れ等は法律の規定あるを以て差し支えなきなり」(10)
 ここでは明確に歳出予算により一年以内の契約を締結する権限が発生すること、多年度に跨る契約は原則として法律の規定がない限り、締結できないことが明確に定められている。ただし、最終的に成立し、裁可公布された会計法ではこれに対応する規定が削除されている。理由は不明であるが、草案が全四五条にわたるものであったのに対して、成立した会計法はわずか二四条になっているところからみて、当然の事理を定めたものとして削除されたのではないかと思われる。
 この会計法は大正一〇年にいたって抜本改正を受ける(大正一〇年法四二号)。その一一条では、
「政府は予算に定むるもの及特に帝国議会の協賛を経たるものを除くの外災害事変その他避くべからざる事由ある場合に於ては翌年度に亙る契約を締結することを得
 前項の規定により翌年度に亙る契約を為すことを得べき金額は毎年度帝国議会の協賛を経て之を定む」
という規定が初めて設けられる。
 この一項一文からは、現行財政法一五条ほど明確ではないが、予算に定めた金額の限度で行政庁が契約授権されていることが読みとれるであろう。こうした規定が、大正一〇年にいたってきちんと設けられたこと自体、単年度の契約授権が予算によって行う慣習が定着していたことの証左ということができる。
 以上をまとめるならば、明治憲法下においては、具体的契約授権は予算が独占していたわけではない。予算もその効力を有していたが、同時に法律によって具体的契約授権を行うことも可能とされていたのである。その典型が、今日の国庫債務負担行為に相当する、いわゆる予算外国庫負担を定めた法律ということになる。
  4 明治憲法下における学説の状況
 明治憲法六二条三項の解釈に当たっては、明治憲法下の憲法学者からは、「予算に定めたるもの」という部分は完全に無視され、単純に予算外国庫負担条項としてのみ認識されていたようである。管見の限りでは、予算にどのような形であれ契約授権機能があることを論じたものはみあたらない。なぜかわが国では憲法に明文の規定があるにも拘わらず、理論上、契約授権の概念が欠落してしまったのである。
 その原因は、一つには上記のとおり、初期の会計法にそのことを明言する規定がなかったため、きちんと実務の研究をしていなかった学界が、その点を十分認識できなかったためと思われる。また、いま一つには、明治憲法の解釈に強い影響を与えた戦前のドイツ憲法の財政の規定の解釈において、後に紹介するとおり、最後まで契約授権の発想がなかったために、意識の盲点になったという点が、指摘できるであろう。さらに、契約授権は予算の統制権というよりはむしろ管理権に属する機能であるから、我が国憲法学界の伝統的な理解であるところの、議会財政権を単純に統制権とする基本的把握と合致しなかったためではないか、とも思われる。
 理由は何であれ、学説的には契約授権の思想は、実務とは乖離した形で、わが国には育たないままに敗戦を、そして米国主導による憲法の改正を迎えることとなった。

(二) 現行憲法制定前後
  1 マッカーサー草案における契約授権と日本側の受け入れ状況
 米国においては、行政庁が契約を行うには議会による契約授権が必要があることは、わが国の場合と比べると幾分不十分な形ではあったが、明確に認識されていた(その点については、次節(二)参照)。そこで、マッカッサー草案七八条では、
 No contract shall be entered into in the Absence of an appropriatin therefor, nor shall the credit of the State be pledged except as authorized by the Diet.
「予算によって支出が認められているのでなければ、契約を結んではならない。国会によって承認されているのでなければ、国が債務を負担してはならない(11)」
と明確な形で契約授権について定めていた(12)。
 しかし、当時の日本側担当者は、契約授権を知らない明治憲法下の学説になじんでいたためと思われるが、この条文が基本的に理解できなかったようである。そのことは
「充当すべき特別予算なくして契約を締結すべからず。また国会の承認を得るにあらざれば国家の資産を貸与すべからず(13)」
と、原文とはかなりかけ離れた翻訳を行っていたことに明らかである。
 そして、こうした翻訳を基礎に米側と直接交渉に当たった佐藤達夫にとっても、これが意味不明の条文であるという事情は同じであった。すなわち
「契約締結・国家資産の貸与に関するマ草案第七八条については、その趣旨が明らかでないので、先方に対し説明を求めるなど問答を重ねたあげく、次のような規定に書き換えることにした。」
として、現行八五条の文語体のものを紹介している(14)。
 この佐藤達夫の手による原文の書き換えの過程で「契約」の文言が脱落した理由はこの文章からでははっきりしない。しかし、明確な記述がないところから、積極的に異なる内容に変更したのではないと考える。
  2 現行憲法制定過程における解釈
 この条文を理解できないでいるという状況は、政府案の帝国議会における審議の場においても同様であった。憲法学者であり貴族院議員であった佐々木惣一は、同条にいう「債務」という概念は金銭上の負担というものを生ぜしめる債務かとたずね、金森国務大臣から肯定の返事を受け取った後、では、国債に加えて大蔵省証券や一時借入金が含まれるのか、とたずねる。これは、先に述べたとおり、明治憲法下では憲法学者は六二条三項を将来の国庫負担に関する規定と理解していたため、当年度中に解消するそれらの債務は含まれないと解されていたためと思われる。これに対して金森は次のように答弁する。
「国家がすべて債務を負担すると云うことは予算の認めて居る範囲外に於いては当たっている。したがって大蔵省証券も、あれは予算の支出とは違うのでありますから、私はやはりこれに当たるものと考えております。(15)」
 この解釈によれば、同条は、予算外で契約する権限を授権したという点で、明治憲法六二条三項と同趣旨の規定であり、しかも国庫債務負担行為とか大蔵省証券のような金銭債務だけに限り、伊藤博文自身が明確に例示している補助金や債務保証は含めないということになる。しかし、この解釈は、いわばその場の思いつきに近いものであって、実際には採用されることはなかった。

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五 欧米における支出授権と契約授権についての考え方
 わが国近代財政制度に強い影響を与えた英米独仏の四ヶ国において、今日、支出授権と契約授権はそれぞれどのように扱われているかについて、以下に紹介しておきたい。
 結論的にいうと、どこの法制でも、予算は以前から支出授権の機能を有している。ただし、その独占の程度についてはかなりのばらつきがある。これに対して議会による行政庁に対する契約授権という法制は、世界的に見た場合、比較的近時になって出現してきたものということができ、独占の程度も必ずしも高いものではない。すなわち、本稿で述べたような完全な形での契約授権という法制を明確に採用している国は、わが国予算制度に影響を与えた英米独仏の四ヶ国の中には未だない。しかし、英国を除いては、実質的にはわが国と同様に、議会に契約授権権能を認めるているということができるであろう。以下制度の概況を紹介したい。

(一) 英国
 英国では、予算は支出授権を独占しておらず、したがって契約授権に類する制度は、全く存在していない。
 英国では、よく知られているとおり、租税の使途の指定という形から予算が発展した事の必然的結果として、今日においても、議会の支出授権は、租税収入を一元的に管理している統合国庫資金 Consolidated Fundのみにしか及ばない。しかも統合国庫資金は更に毎年議決の対象となる議定費と、それが不要な既定費とに分かれる。したがって、わが国でいうところの予算は、議定費に該当する費目に関してのみ、支出授権を独占しているに過ぎない。
 公債の発行は、国家貸付資金 National Loans Fund(わが国での財政投融資にほぼ相当すると言われる。)の一部として行われる。しかし、この国家貸付資金は、その原資が租税ではなく、借入金であるので、議会の議決を必要とはしない。また、公債の償還は既定費に該当する。したがって、公債で賄う限り、予算による統制はまったく及ばないことになる。
 また、わが国でいう国庫債務負担行為に当たる将来の年度において支出原因となる契約も、大蔵大臣の一存で締結することが可能とされている。
 このように、英国の予算制度においては、契約授権機能がまったく欠落しているが、その理由は、同国が総計予算主義を採用していないことに求められると考える。すなわち、上記のとおり、統合国庫資金は租税だけを対象としており、租税以外の国の収入、すなわち各省庁の手数料や物品売払い、罰金等の収入については、同国の制度では必ずしも統合国庫資金に払い込む必要はない。その場合には、そのまま各部局の財政支出に充当される。この資金を支出補充金 Appropriation in Aid という。支出補充金は、全体では議定費総額の一割弱に達するから、決して少ない額ではない。項目によっては、支出補充金の額の方が議定費予算額よりも多かったり、さらには議定費からの支出は不必要なほどの額に達するものもある(16)。そのような場合でも、その項目が議会の審議から欠落するのを防ぐため、名目的な金額(通常は千ポンド)を議定費に計上するという手法がとられる。これを名目的議決 token vote という。
 このような法制を採用する場合、予算の機能の一部として契約授権を考える必要は存在ない。仮に契約による支払期限が到来した段階で議会が支出授権を拒否したとしても、支出補充金や公債等によって支払いが可能である限り、契約相手方に不利益を与えることはないからである。したがって、契約が既に締結されているという事実は、議会の支出授権権能の制約としては、機能しないからである。
 また、英国予算制度は、租税の使途指定というフィクションに依存している以上当然のことながら、歳出予算のみを対象としており、歳入予算制度をもたない。したがって、歳入の原因になる契約に関する授権が行われることがないのは当然である。

(二) 米国
  1 米国における支出授権
 米国憲法は、当初から租税、関税、輸入税の賦課徴収権そのものを議会の権限とした(一条八節一項)。その結果、英国と違い、支出充当に当たっても租税の使途指定という迂路を採用する必要はなかった。そこで単純に、「国庫からの支出はすべて、法律で定める支出充当によってのみ定める」として、全面的に議会の権限としている。
 国庫からの支出充当、すなわち支出授権に関する法律を支出充当法(appropriation act)という(17)。支出充当の決議の方法は、かなり複雑である。第一に、議会の議決のあった当該年度に限って支出を認める単年度支出充当(one-year appropriation)が存在している。これはわが国歳出予算と同様の制度と考えて良い。しかし、第二に、配賦された予算を許容された数ヶ年度にわたって使用しうる多年度支出充当(multiple-year appropriation)がある。そして第三に、配賦された予算を使いきるか、若しくは予算配賦の対象となった事業が完了するまでの間、新たに議会の承認を得ることなく継続的に債務負担をなしうる無期限支出充当(no-year appropriation)という類型が存在している。あとの二つは、艦船の建造や公共事業費に使われるもので、その限りではわが国の継続費ないし国庫債務負担行為と類似している。しかし、事業に充てられる総額が特定年度の支出充当に計上され、承認されると、それが確定的な支出授権となり、後年度の議会の審議の対象とならないという点で、根本的に異なる。多年度支出充当が承認されている場合に、その有効期限内に与えられた予算を使い切らなかった場合には、その有効期限の延長を承認する議会決議(reappropriation)が必要という点で、無期限支出充当と異なっている。
 すなわち、米国財政制度は、年度独立の原則及び予算統一の原則を持たず、個々の事業について、それぞれ別々に予算の存続期間が定められることになる。
  2 契約授権の状況
 米国には、明確に契約授権制度が存在する。ただし、それはわが国のそれとは若干異なり、支出面についてのみ、しかも支出授権とは切り離された制度として存在している。
 右記のように、支出充当決議により支出授権が行われた場合、わが国歳出予算の有する契約授権機能と同様に、それに伴う契約授権が存在していると理論的には考えることができるであろう。しかし、複数年度を対象とする支出授権という制度が存在する以上、概念的な区別としてはともかく、それをいわねばならない実益はあまりない。その為であろうと思われるが、わが国財政法一五条のような形で、それら支出授権に随伴して契約授権が存在する、という主張は特に行われていない。
 支出充当法中に、支出授権とは別に、契約授権が明確な形で出現したのは第一次大戦への参戦に伴って行政府に財務行政の弾力性を認める手段として導入されたのが最初である(18)。これはたちまち一般的に使用されるようになり、今日における米国財政赤字の大きな原因となっていった。
 冒頭に述べたとおり、一条八節一項は租税の賦課徴収権を議会の権限としているが、それには、債務の弁済、共同の防衛及び一般の福祉目的という三つの使途指定がついている。この結果として、これらの活動もまた議会の権限となる。この第一の債務の弁済が、ここで問題とする契約授権の基本となる権限ということができるであろう。
 契約授権(Contract Authorization)にもまた、支出充当に対応した三類型、すなわち単年度契約授権、多年度契約授権及び無期限契約授権が存在しうることは、論理上当然であろう。しかも、契約授権は、支出充当法以外の一般法によっても、しかも金額を特定することなく、制定することも可能とされる。典型的なものとしては、食糧切符制度やS&Lに対する債務保証などがある。それに基づいて、現実に支出の必要が発生した場合にのみ、支出充当法に計上されるのであるが、その場合には、既に債務の弁済期が到来しているのであるから、議会としては機械的に支出を承認することしかできないわけである。
 したがって、契約授権の段階からきちんとした統制を行う必要があるが、そうした制度が導入されたのはようやく一九七四年議会予算及び執行留保統制法からであり、それさえも徹底したものではない。それが今日における米国財政赤字発生の大きな原因の一つとなっている。
 米国には、英国の場合と同様に、わが国の歳入予算に相当するものはない。歳入法(Revenue Act)と呼ばれる法律は、実質は租税法で、わが国同様の永久税主義を採用している。この結果、歳入原因となる契約授権については議会のコントロールは及ばない。

(三) フランス
  1 予算の支出授権機能
 フランスでは、歳出予算が支出授権機能を有しているが、それを独占しているとは必ずしもいえない。同国では、かっては、すなわち第三共和制当時においては、徹底した国会中心財政主義がとられ、歳出予算が支出授権を独占する点についても問題はなかった。しかし、予算が通常の法律の一種と理解された結果、「抱き合わせ」と呼ばれる様々な問題を発生させた。それを解消するため、現行第五共和制の下では、予算の機能そのものが大幅な変容を遂げ、行政活動の一種と理解されるようになり、その結果、歳出予算の支出授権独占性そのものが低下したのである。
 第五共和制憲法は、財政制度については直接詳しい規定をおかず、それを組織法律(Loi organique)に委ねている。組織法律は、審議と採択に特別の要件が定められ、憲法院による憲法適合性の宣言が必要である(憲法四六条)こと等により、憲法を補足し、普通の法律の上位に位置する法制と理解されている。それによれば、予算の内容は、国の経常的な収入及び支出の勘定として列挙されているものに限定されている(予算組織法一六条)ので、そこに列挙されている以外の収入や支出は、予算には掲記する必要自体がないことになる。イギリスの支出補充金に相当する手数料収入等は列挙の対象となっているが、公債は、イギリス同様に掲記の対象外である。
 歳出予算額の計数の拘束力が低いことも、現在のフランス財政制度の特徴として数えることができるであろう。すなわち、予算組織法によれば、すべての経費は、概算的経費(九条)、暫定的経費(一〇条)、制限的経費(一一条)の三種類に分けられる。
 概算的経費は、公債費、年金費その他予算法で特に指定される国の義務に属する経費で、これらについては制限無く、予算超過支出も可能であり、事後の補正も必要ではない。従って決算を見ない限り正確な数字は把握できない。
 暫定的経費は、予算法制定の時点では正確な必要額を知り得ない経費であって、予算法によって指定されているものは、不足が生ずれば予備費から支出でき、なお不足がある場合には補正予算で対応する。ただし、緊急の場合には経済・財政大臣の報告に基づいて制定される政令をもって予算額の増加をすることが出来る。この場合には、補正予算を提出し得る最初の機会に議会の事後承認を受ける必要がある。
 この他の経費はすべて制限的経費に属する。これに予算に不足が生じた場合には、補正予算をもって対応する外はない。ただし、緊急の場合には一定の要件の下に前払い政令によって追加経費を開設する方法が認められている。
 すなわち、概算的経費の場合には、それは単なる参考数値であって、具体的支出授権そのものが、その根拠となる法律によって与えられていると見るべきであろう。したがって英国の既定費と同じ性格であって、ただそれが予算上存在を知ることができるというに止まる。暫定的経費の場合も、支出授権そのものの機能は完全にはなく、事後の承認機能という形に変形していると見るべきであろう。制限的経費のみがわが国歳出予算と同じ性格であって、支出授権機能を持つと辛うじて考えることができるであろう。
  2 予算の契約授権機能
 同国には、ある程度わが国契約授権制度と類似したものが存在しているが、わが国のそれのように包括的なものではない。
  (1) 歳出予算における契約授権
 歳出は、民事費と軍事費に分かれ、それぞれが経常支出(Depanses en transfert、移転支出と訳されることもある。)と資本支出(Depences en capital)に分かれる。経常支出は受益者側の直接的代償なくして支払われる支払いに充てられる予算であり、資本支出は国が直接間接に行う投資に当てられる予算である。
 フランスの予算は基本的には英国同様に、租税収入の使途指定という形式を採用しているが、債務負担に関する限り、現行の予算組織法は議会のコントロール権を認めるようになっている。その方法は、大別して計画承認と事前債務負担行為の二つがある。
@ 計画承認(Autorisation de programme)
 現在、資本支出はすべて計画承認が行われている。したがって、場合によっては単年度だけの計画承認というものも存在する。また、数年にわたって継続しなければならない非常に多額の経常支出(例えば軍事行動)に関して行われることもある。計画は予算法に計上される。初年度の予算法で事業計画の承認があると、国はそれに基づいて全事業の完成に必要な債務負担行為(Engagement)を行うことができるようになる。計画承認は、議会が無効と宣言するまで有効で、日本の国庫債務負担行為と異なり、期限の定めは不要である。これに対する支出は、各年度の予算法に計上される年割額(Credits de paiement)が上限額となる。これは計画承認とともに、資本支出に(経常支出で計画承認があれば経常支出にも)計上される。
A 事前債務負担行為(Engagement par anticipation)
 各年度の予算法に定められる特定の項については、次年度予算からの支出を前提として、当該年度中に特定金額の限度内で前もって債務負担を行うことが認められる(予算組織法二条三項)。これは主として軍事経常支出に認められるもので、あまり大きな金額ではないという(19)
  (2) 公債の発行
 公債の発行そのものは、各年度の予算法によって与えられる一般的認可に従って行われる(予算組織法一五条二項)ので議会の権限であるが、その具体的な発行額や発行条件はすべて担当大臣の裁量に委ねられ、発行に当たって、公的な発行計画というようなものは設けられない。すなわち、フランスでは、公債の発行に当たって、次のような条文が各年度の予算法におかれるにとどまる(20))。
「経済・財政・予算大臣は〈・・・・〉年度において政令により定められたる条件に従い、次の措置を行うことができる。
@ 国庫支出の全体を賄うため、または外為準備強化のための長期、中期、または短期の公債の発行
A 公債利率の任意的操作及び公的債務の償還の操作」
 この結果、公債については、予算は契約授権機能を形式的には有しているといえるが、その発行に当たって議会の統制は事実上及ばない。
 フランスは歳入予算をもっているが、上述のとおり、契約授権は一般的な制度として理解されているわけではないので、歳入予算について、契約授権機能が特段論じられることはない。

(四) ドイツ
 ドイツの場合には、戦前におけるわが国憲法の解釈学に対して強い影響を与えたと考えられるので、他の国と異なり、戦前からの憲法の推移をも含めて以下に紹介したい。
  1 プロイセンないしドイツ帝国時代の憲法
 一八四八年プロイセン欽定憲法九九条は
「すべて国家の歳入歳出は毎年これを予定し、もって予算を調製せねばならない。」
と定めて、予算にすべての収入支出を計上する主義の原則を明確に採用していた。したがって支出授権は予算が独占していることとなる。この点については今日まで一貫しており、特に述べる点はない。
 このように予算の完全性原則を採用する以上、英仏とは事情は異なり、契約授権の思想が基本的に必要となる。
 同憲法一〇二条には
「公債の発行は法律に基づいてのみ行うことができる。国庫の負担による債務保証につきまた同じ」
という規定がおかれ、国の債務負担のうち、公債と債務保証という二つの重要な領域が明確に議会のコントロールに服することされていた。この点は、ドイツ法制が英仏との明確な相違を示している点である。但し、これは本稿に述べる契約授権という思想から生じた規定ではなく、ドイツでは、古くから国の行う資金の借り入れには等族部会の承認が必要という憲法慣行が存在していたことに基づくものである。そのため、一九世紀初頭に南西ドイツ諸邦、すなわちバイエルンやバーデン等で制定された憲法でも同様の規定が存在していた。プロイセン憲法のこの規定は、そうした同国特有の憲法慣行に基礎を有するものである。そして、この等族部会の同意権の根拠は、部会による国家財政の統制にあるのではなく、将来の資金を過去の必要の犠牲にするという資金調達形式そのものにあった。したがって、明治憲法のような形で明確な契約授権の思想は導入されることはなかった。
 これらの規定は文言も変更されることなく一九五〇年協約憲法にそのまま引き継がれる(起債に関する条文は一条ずれて一〇三条となる)。
 一八六七年北ドイツ連邦憲法では、その七三条が
「特別の必要がある場合には、法律の定めるところにより公債を発行し、あるいはライヒの負担となる債務保証を行うことができる。」
と定めた。この場合には、公債などの発行そのものに「特別の必要」という文言を被せることにより、欽定憲法などに比べて、債務負担を抑制する姿勢が明確に出ているが、これも上述のドイツ憲法慣行に基づく。すなわち、同国では、公債の発行は、積極的に国家資金を獲得する手段として認められているのではなく、緊急かつ特別の国の必要を満たす手段として、新しい公課と比較した上での、より小さな悪として承認されているに過ぎないのである。そこにこの制限文言の意味がある。この規定は一八七〇年ライヒ憲法(いわゆるビスマルク憲法)にもそのまま踏襲される。
 それでもこうした最小限の契約授権規定があるのであるから、学説の方で、この方向に向けての検討が行われれば事情は違ったと思われるが、そうではなかった。同国の国家法学は、長いこと、国の負債手段を議会との協同、利息支払いや償還の確実性、負債形式の制限、負債の引き受けの合規則性という単に形式的面の問題とみなしていた。その意味や結果、法的正当性及び負債引き受けの限界という問題は、通常は法的考察の対象外となっていた。P・ラバントによっても、G・アンシュッツによっても、それについての説明は行われなかったという(21)。
  2 ワイマール憲法ないし大改革以前のボン基本法
 一九一九年ワイマール憲法では、このような古典的原則をより厳しく厳守する方向に変更された。すなわちその八七条は、
「信用(Kredit)による金銭調達は、特別の必要がある場合で、かつ原則として企業的目的の支出に当てる場合に限り、許される。そうした資金の獲得ないしライヒの負担となる保証の引き受けはライヒ法に基づいてのみ行うことができる。」
 ここでは公債に限定せず、金銭を調達するすべての信用手段が規制の対象とされ、しかもその使途について企業目的という限定が加わった。ここで企業目的というのはわが国の建設国債と同様の限定と考えて良い。また、その他の債務負担の中では債務保証だけが予定されている、という点は、それまでの憲法と変わりがない。
 この規定は、第二次大戦後のドイツ基本法一一五条の旧規定に基本的にはそのまま踏襲される。同条は、ライヒの語が連邦Bundに替えられて、表現・内容の曖昧であった部分が明確にされた以外は、ワイマール憲法八七条と変わる点がない。すなわち、
「信用による金銭調達は特別の必要がある場合で、かつ原則として企業的目的の支出に当てる場合に限り、連邦法に基づいてのみ許される。信用保証と連邦の負担となる保証の引き受けであって、1会計年度以上の有効なものは連邦法に基づいてのみ行うことができる。その法律では、その信用の上限ないし連邦が引き受ける保証債務の範囲が定められていなければならない。」
  3 ボン基本法の下における現行制度
 ドイツ財政法制が大転換を示すのは、いわゆる一九六九年の財政大改革(Grose Finanzreform)においてである。基本法一一五条は次のような条文に修正される。
「信用調達(Aufnahme von Krediten)並びに人的、物的保証その他の担保責任(Ubernahme von Burgshaften,Garantien oder sonsitigen Gewahrleistungen)であって、将来の会計年度における支出につながる可能性のあるものは、連邦法律による金額を特定した、あるいは特定しうる授権(Ermachtigung)を必要とする。信用による収入(Einnahmen aus Krediten)は、予算に計上されている投資のための支出額の総計を上回ってはならない。例外は、全経済的な均衡の防止目的の場合に限られる。」
 旧規定では信用(Kredit)を制限していた「金銭調達の目的」が、新規定ではなくなった結果、同じ語でもその意味が広がったものと理解されている。すなわち支出に充当するための金銭調達手段としての債務ばかりでなく、それにより現金支出が節減可能となる債務負担も含むのである。
 ここで現れた「授権」という言葉は、実定法上、債務負担授権(Verpflichtungsermachtigung)と呼ばれる。ここに債務負担とは「将来の年度において支出を義務づける債務の引き受け」と定義される(財政原則法HGrG第五条)。したがって、単に保障債務だけでなく、ひろくすべての債務がこの概念の下に予定されていることになる。債務負担授権は、広狭二義に分けることができる。狭義のそれは、基本法一一〇条一項の「連邦のすべての収入及び支出は、これを予算に計上しなければならない」という規定の基礎にある完全性Vollstandigkeit原則の要求するところにより、債務負担授権も又完全に予算に計上される必要があるとされている(同国の財政ないし会計に関係する分野の基本法である連邦財政会計法Bundeshaushaltsordnung=BHO(22)一一条参照)。すなわち、ドイツの予算制度は、総予算(Gesamtplan)と個別予算(Einzelplan)から構成され、各個別予算は、原則として個々の行政部門ごとに作成されているが、連邦財政会計法一三条によると、その個別予算の内容は、歳入、歳出及び債務負担授権とされている。債務負担授権は個々の支出ごとに行われなければならない。その債務負担が多年度にまたがるものである場合には、各年度毎の年割額が予算に示されなければならない(BHO一六条)。したがって、わが国の制度でいうと、継続費ともっとも近いということができるであろう。
 広義のそれは、前記基本法一一五条の定める信用授権(Kreditermachtigung(23))及び人的、物的保証その他の担保責任で、これらは、予算ではなく、個々の連邦法によって授権される点で異なることになる。そこで、米国の裏口支出のような問題を起こさないようにするため「連邦法律による金額を特定した、あるいは特定しうる授権」が要求されることになるのである。
(五) まとめ
 以上に紹介したところをまとめるならば、歳出予算に契約授権の機能があることを明確に認めている法制は、いまだどの国も採用していない。しかし、歳出予算の範囲内でしか契約を締結しないという点では違いがないのであるから、これは理論的徹底の点でわが国に一日の長があるということができる。

[おわりに]
 予算が、契約授権機能を有することについては、既に、拙著『財政法規と憲法原理』や財政法学会第一四回研究集会における個別報告において、若干論じてきたところである。しかし、それは、そこでの議論に必要な限りで、多分に結論部分のみを示したものであって、包括的なものではなかった。そこで、本稿において、改めてその全体像に迫ってみた。支出授権と契約授権という用語を使うことの当否も含めて、厳しいご批判を頂ければ幸いである。

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(1) ここで、「契約授権」という造語の根拠について、簡単に説明しておきたい。本文に詳述したとおり、この語は憲法八五条にいう「国が債務を負担する」行為に対する国会の議決の性格を説明するために創出したものである。したがって、八五条の文言に忠実に言葉を選択するならば、これも本文中で、ドイツ現行財政制度のVerpflichtungs-ermachtigungの訳語として採用した「債務負担授権」あるいは「負債授権」の方が素直な造語といえるであろう。しかし、債務負担ないしは負債というのは、契約の効果のうちの義務的部分だけを取り出した用語であって、そこで実際に国の機関が行っている行為そのものを端的に表現したものとは言えない。また、そのような用語を八五条が使用していたために、現行憲法制定以来半世紀の間、これが金銭債務に限らないすべての債務を意味するのだという実務においては常識的な事実が、学界に認識されなかったという問題がある。
 こうした行為を財政法規は「支出負担行為」と呼んでいるが、これは行政庁の活動を中心としてみた場合に妥当する用語であって、国会を中心とした場合にはふさわしくない。一方、財政法三四条の二第一項は、支出負担行為を定義して、「国の支出の原因となる契約その他の行為をいう」としている。
 これらのことから、より包括的な名称である「契約」の語を、授権と結びつけて採用することが妥当と判断した。
(2) 槙重博『財政法原論』弘文堂平成三年刊、七三頁は、現行憲法の下における基本的な予算原則として「寄付受領禁止主義」の存在を指摘する。
(3) 予算総則以下の各予算科目が持つ契約授権機能の詳細な検討については、日本法学第六二巻三号に「現行予算制度における契約授権の検討」と題する論文において行う。
(4) 二重法律概念と予算の関係については、拙著『財政法規と憲法原理』八千代出版、一九九六年刊、四〇頁以下参照。
(5)  ドイツにおいて、同様の考え方から、債務負担授権Verpflichtungsermachtigungが予算に計上されることが必要とされている点については、本稿五(四)4参照。
(6) ここに引用した高輪会議に至る経緯については、稲田正次著『明治憲法成立史』有斐閣昭和三七年刊、下巻八二七頁より引用。
(7) 高輪会議における伊藤の修正案は、稲田前掲書八三一頁より引用
(8) 高輪会議から枢密院第三審会議までの間に、この将来の国庫負担となる契約について追加されたことに関する一つの仮説として、北海道開拓使払い下げ事件の再発防止策という意識が伊藤にあったのではないかと、私は考えている。周知の通り、長い年月と多大の国費をかけて行った北海道開拓事業の中心である北海道開拓使所轄の官有物を、開拓使長官黒田清隆と政商五大友厚とが結託して、非常な廉価で払い下げようと試みた事件は、当時の内閣を二つに割っての政争に発展した。結局明治一四年の政変、すなわち払い下げは中止となり、黒田清隆が辞任するとともに大隈重信も下野し、伊藤博文が政府の実権を握るという結果となった。しかし、憲法を起草するにあたり、政府強化の必要性を認識した伊藤は、黒田を通じて大隈に入閣を要請する。これに対し、大隈は明治一四年の政変当時の主張をほぼそのまま入閣条件として主張し、一旦決裂したが、その後、大隈の無条件入閣となった。しかし、金子堅太郎の回顧談によると、まさにこの修正が行われた高輪会議の直前に大隈が黒田を伴って伊藤を訪問し、憲法修正案を文書の形で伊藤に渡したが、伊藤はこれを受領した後、直ちにストーブに投げ入れて焼却するという事件が起こったという(金子堅太郎『憲法制定と欧米人の評論』日本青年館、昭和一三年刊、一五八頁)。したがって、高輪会議の際に、北海道開拓使払い下げ問題が伊藤の念頭にあったと考えるのは、そう無理な仮定ではないのではないだろうか(ただし、この際に大隈が主張した点は主として、内閣は議会多数党の首領をもって当てるべきだという点であったという。)。
(9) 旧憲法六二条三項の説明は、伊藤博文『憲法義解』丸善昭和一〇年刊、国家学会蔵版、一〇一頁より引用。ただし読み易さを考慮し、旧漢字は新漢字に、カタカナはひらがなにそれぞれ変更し、句読点を加えた。以下、戦前の文献の紹介につき、また同じ。
(10) 明治憲法に随伴して起草された会計法草案及びその説明は、明治財政史編纂会編『明治財政史』吉川弘文館昭和四六年刊、第一巻八一一ページより引用。
(11) マッカーサー草案七八条の翻訳は、高柳賢三他編著『日本国憲法制定の過程T』有斐閣一九七二年刊、より引用。ちなみに、いわゆるマッカーサーノート第三項は、その末尾に予算はイギリスの型に従うこと(Pattern budget after British system)という文言があったことで知られているが、本条に典型的に示されるとおり、マッカーサー草案の財政規定には、イギリス法の影響はほとんど見られず、旧憲法を残存させた部分以外は、かなり徹底した形でアメリカ流の財政規定となっている。
(12) マッカーサー草案の財政に関する章を起草したのは、フランク・リゾー陸軍大尉である。一九〇三年生まれ、当時四三歳。コーネル大学で電気工学の学士号を採ったあと、ニューヨーク大学、ジョージ・ワシントン大学の修士課程で三年間、経済学、財政学、国際関係論を学び、卒業後、クリントン・ギルバート社や全米証券取引業協会で主席エコノミストをつとめるという、財政の専門家である(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』創元社一九九五年刊、五八頁参照)。また、その上司であるチャールズ・L・ケーディス大佐は、一九〇六年生まれ、当時四〇歳。コーネル大学とハーバード大学のロー・スクールを卒業、連邦公共事業局や財務省の副法律顧問を務めた(同三九頁)。財務省勤務当時、財務長官モーゲンソーは、ルーズベルトと毎朝朝食をとる際、答えられない質問をぶつけられたときの用意に、必ず彼を部屋の前に待機させていた、という逸話があり(青木冨美子「C・ケーディスの『千二百日』」文芸春秋一九九六年八月号二一九頁参照)、財政法の専門家と見て良い。したがって、マッカーサー草案の財政規定は、マッカーサーノートの文言にも拘わらず、当時の米国の財政制度に関する理解を反映したものと考えるべきである。
(13) 日本側のマッカーサー草案の翻訳については、佐藤達夫『日本国憲法成立史』有斐閣平成六年刊、第三巻四二頁より引用
(14) 佐藤達夫のGHQとの交渉経緯については、佐藤・前掲書一四四頁より引用。その際、両者の間で合意された条文を紹介すれば次のとおりである。
「第八十一条 国費を支出し又は国に於て債務を負担するは国会の議決に基づくに非されは之を為すことを得ず」
(15) 佐々木惣一及び金森徳次郎の問答は、佐々木伸編著『逐条日本国憲法審議録[増補版]』原書房昭和五一年刊、第三巻六〇五頁より引用。なお、佐々木惣一は、その著書『改定日本国憲法論』有斐閣昭和二七年刊、三三一頁において、全く理由を示すことなく、「ここに債務とは金銭上の債務をいう。」と記している。
(16) 支出補充金は、グラッドストン及びその創設した会計検査院 Department of Exchequer and Audit (現在の National Audit Office の前身)並びに下院決算委員会 Public Accounts Committee が、一八八〇年代以降「共同して十分に努力し、ついにはほんのわずかな不規則も許さず、すべての部局に厳格に現金勘定で正規の会計を保持させるまでになった」(U・K・ヒックス『イギリス財政史』東洋経済社、昭和三六年刊一四八頁)という努力の結果、第一に、法律又は大蔵大臣により指定されたものに限り、そうした指定のないものは統合国庫資金に集中する必要があり(一八九一年決算及び負担法第二条第二項)、第二に、議定費歳出予算法の付表の各項で、議定費と並んでその収入予定金額を掲記する必要があり、第三に、年度末に各部局で未使用の残金があった場合には、それを統合国庫資金に返還しなければならないこととなっている。このように、今日ではかなり、予算の外延に位置する制度となっているが、依然として統合国庫資金の一部にはなっておらず、したがって、本文に述べたとおり予算統制は不十分なものとなっている。
(17) 米国の支出充当法は、往々にして歳出予算と訳されるが、本文に述べたとおり、同国には年度独立原則が存在していないから、歳出予算もまた存在しない。現実にも、三種類の支出充当方法が存在している結果、各年度の支出充当法に計上された支出授権額と、その年度の行政庁による支出額は一致しない。すなわち、支出充当の審議には、各年度の支出額を統制するという機能がない。このように特定年度における歳出の全体像を示す機能をまったくもたないという点で、わが国でいう歳出予算とはまったく異質のものである。したがって、これを歳出予算と訳することは、誤訳というべきであろう。
(18) 第一次大戦に伴う契約授権制度の導入については、横田茂『アメリカの行財政改革』有斐閣、昭和五九年刊、二一頁参照。それによると、例えば、「一九一八年一一月四日の法律は、陸軍省が戦場における工兵隊の活動に付随する支出のために、『承認済みの歳出予算額に加えて、二億ドルまで』『契約あるいは債務負担する』権限を認めた。」
(19) 計画承認及び事前債務負担行為については、いずれも、浅見敏彦編『世界の財政制度』金融財政事情研究会昭和六一年刊、三二八頁参照。
(20) 公債に関する契約授権の予算中の表記については、浅見・前掲書、三六八頁による。
(21)  この前に記述したドイツの憲法慣行その他についてはK.Stern"Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland"bandU一二七一頁以下参照。
(22) Bundeshaushaltsordnungは、しばしば連邦財政規則等の訳が当てられる。確かにOrdnungの語は、通常は行政規則の意味であるから、逐語訳としては、それは正しい。しかし、これはれっきとした法律であり、単に歴史的経緯からの誇りによってOrdnungの語が使われていることを考えると、読者に誤解を与えるおそれのある規則という訳よりは法という訳の方が適切である。又、その内容は、単にわが国財政法のみならず、会計法、会計検査院法等にまたがる幅広いものであることを考えると、財政と訳するよりも財政会計と二つ重ねた方が妥当と考えてこの訳語を使用している。
(23) 参考までに、信用授権について説明すると、これは、法の定めるところにおり、更に二つに分けることができる。第一のものは、支出に当てる目的でなされるもので、授権は原則として翌会計年度末まで有効である。これはわが国の建設公債と同じ性格の借入金と理解することができるであろう。そのことは、基本法一一五条が予算に計上されている投資のための支出額の総計を上回ってはならない、とあることに明らかである。この投資支出とは、建設にかかる支出、一定価値を有する耐用年数一年以上の動産の取得、不動産取得、公企業又は私企業への資本参加、貸付又は投資援助を意味する。軍備費用は、上記のものに該当しても投資支出に属するものとは認められない。
 これに対して第二のものは、国庫金の資金繰りのために認められるもので、授権は当該年度中に限り有効であるが、中途で償還されている限りにおいて、繰り返し授権の限度まで発行することができる(財政原則法一三条)。わが国の大蔵省証券等にほぼ相当する概念と理解して良いであろう。