第1編 第3章

現行予算制度における契約授権の検討

  

目次


[はじめに]
一 財政法における契約授権規定について
二 歳出予算における契約授権の特徴
(一) 歳出予算に基づく契約授権と二重契約の存在について
(二) 長期継続契約の例外
(三) 予算不成立の場合における行政活動の法的評価
三 歳出予算の繰越
(一) 繰越明許費
(二) 事故繰越
四 継続費
(一) 継続費の支出授権としての理解に対する疑問
(二) 継続費の合憲性について
(三) 継続費の後年度における審議について
  1 継続費を後年度に否決した場合の効果
  2 継続費を後年度に修正した場合の効果
五 国庫債務負担行為
(一) 国庫債務負担行為の契約授権としての特徴
(二) 国庫債務負担行為等に対応する歳出予算と契約授権の二重計上問題
六 歳入予算における契約授権の特徴
[おわりに]

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[はじめに]
 わが憲法八五条が、「国が債務を負担するには、国会の議決に基づくことを必要とする」と定めていることは、契約授権を国会の固有の権限としていることを示しているものと考えるべきであることについては、拙稿『予算における支出授権と契約授権機能について』(日本法学六二巻二号掲載。以下、これに言及する場合には「前稿」という。)において論じたところである。この概念を前提として、本稿においては、現行予算制度を構成している諸科目のもつ法規範性を検討したい。

一 財政法における契約授権規定について
 現行の法律レベルで契約授権の中心となる規定は、財政法一五条一項である。すなわち、
「法律に基づくもの又は歳出予算の金額(第四三条の三に規定する承認があった金額を含む。)若しくは継続費の総額の範囲内におけるものの外、国が債務を負担する行為をなすには、予め予算を以て、国会の議決を経なければならない。」とある。
 これを分説すると、次の場合に、国は債務負担が可能であることになる。換言すれば、次の形式を通して国会は契約授権を行っていることになる。
 第一に、法律に基づく場合である。
 第二に、歳出予算の金額の範囲内である。
 第三に、明許繰越費の範囲内である(第四三条の三)。
 第四に、継続費の総額の範囲内である。そして
 第五に、国庫債務負担行為である。
 このうち、法律に基づく場合については、すでに前稿において論じた。これ以外のものは、すべて予算を構成しているものであることは明らかであろう。また、財政法一五条一項では述べられていない歳入予算にも、後に詳述するように契約授権の機能が認められる(本稿六参照)ので、予算を構成している他のすべての科目と同様に、契約授権の機能が存在している、ということができる。したがって、契約授権は予算すべての通有性である、ということができる。
 しかし、むしろその逆が実体的真実というべきであろう。すなわち、国の財政活動では、様々な形式による契約授権が必要とされているので、それに応じて、予算において様々な形式の科目が生み出された、ということである。したがって、そうした一つ一つの予算科目における契約授権の具体的内容を明らかにすることにより、予算全体の意味するものもまた明らかになるであろう。以下、財政法一五条の述べる順序に従って、検討したい。

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二 歳出予算における契約授権の特徴
(一) 歳出予算に基づく契約授権と二重契約の存在について
 財政法一五条一項が「予め予算を以て国会の議決を経なければならない」と規定していることの論理的結論として、歳出予算に基づく契約について見れば、予算に款項のない契約は締結できないし、款項があっても契約期間はあくまでも予算の対象としている期間に限られる。実務における取扱いもそのとおりである。
 この原則の下においては、国が、年度を超えた長期間、継続する性格の契約を締結することを予定する場合、表裏二重の契約が作成されることにならざるを得ない。すなわち、実際に契約当事者がそれに従う意思を有しており、それ故に現実に当事者を拘束する契約(以下「実質的契約」という。)と、予算に基づく契約授権の範囲に止まるように形式を整えるために作成された契約(以下「形式的契約」という。)の二種類が、当事者たる国家機関と相手方たる国民との間で締結されることになる。
 例えば、物品や不動産を賃借する場合、賃借料や保証金その他の契約条件は、その賃貸借期間の長短に応じて異なるのが、市場における現実である。国が、市場を通じて、そうした賃貸借の対象となる物品や不動産を調達する場合、契約条件の交渉に当たっては、予定する真実の賃貸借期間を明示した上で行わざるを得ない。なぜなら、国家機関は、国民全体の利益になるように、できるだけ経済的、効率的に契約を締結する義務を負っているからである。例えば月額賃借料についていえば、契約期間が長期になればなるほど、低減するという傾向を示すことになるから、少なくとも一〇年程度は賃借する予定がある場合に、一会計年度に限って賃借する、として交渉したのでは、明らかに不利な契約になってしまうであろう。したがって、当事者間では、真実の契約存続期間(例えば一〇年間)を基礎として賃料その他が決定され、実質的契約が締結されることになる(1)。これに対して、国が相手方と最終的に取り交わす形式的契約上の賃貸借期間は、歳出予算に基づくものである限り、その契約の対象となっている会計年度中に限られる。
 国会は、予算裁量権に基づき、新年度においては、当事者間で既往年度に締結された実質的契約における契約条件に拘らず、ゼロベースから、自由に契約授権を行い、あるいは授権を行わない、すなわち授権を継続しないことを決定することができる。その場合、国家機関は、形式的契約の文言に従い、契約を将来に向かって解除することが、一応は可能である。しかし、そうした一方的解約行為によって、契約相手方たる国民に損害が生じた場合には、国としては損害賠償の義務を負うことは承認されなければならない(憲法一七条⇒国家賠償法一条)。その損害と解約の間の相当因果関係の判定基準になるのは、当事者間に存在する実質的契約の方である。したがって、その損害賠償金を支払う必要のある限りで、国会の審議権は実質的に拘束を受けることは肯定せざるを得ない。ただ、通常の場合には、この二重契約の内容の相違はそう大きなものではないから、相対的に弱い立場にある契約相手方は、損害賠償の問題を現実に主張することはない。その結果、予算裁量権は事実上、無拘束に近いものとなっているに過ぎないのである。
 従来の学説では、継続費に限って国会の将来の審議権の制約が論じられている(本稿四(三)参照)。しかし、このように、実質的契約の解除に伴う損害賠償をも視点に含めて検討する限り、審議権の制約は歳出予算の審議においてさえも考えられるのである。
 契約の実質と形式との乖離が大きいために、契約相手方として解除があった場合には実質的契約を主張せざるを得ず、そうした損害賠償の義務が定型的に発生すると認められるのは、特に次の二つの場合である。
 第一は、暫定予算成立の場合である。例えば、四月〜五月の二箇月間を対象とした暫定予算が成立した場合には、実際には長期にわたって賃貸借をする予定である場合にも、形式的契約書上の契約期間はその二箇月に限られる。
 第二はリース契約の場合である。電子計算機、ファクシミリ装置など、短期間に著しく性能が向上し、しかもその価格が激しく下落する機器は、市場において、いつでも将来に向かって契約の解除が可能な通常の賃貸借契約で調達することは不可能である。そうした賃貸借を実施した場合には、業者は、利潤を得るどころか、元本の回収も困難になるのが普通だからである。しかし賃貸借のニーズは存在する。そこで、リース契約と呼ばれる解約不可能な特殊な賃貸借契約(解約した場合には、契約期間満了までの賃借料に相当する違約金を支払う必要がある契約といってもよい。)が一般に使用されている。近時は、国もこのリース契約を利用してこれら電子機器等を調達する場合が増えている。その場合、複数年度にまたがる契約なのであるから、理論的には、継続費ないし国庫債務負担行為を使用するのが妥当であろう。しかし、こうした価格変動の激しい商品をそうした長期の手続きで調達することは実際上無理であるところから、通常の年度単位の賃貸借契約、したがって将来に向かっての解約権を認めた契約を、形式上は締結している(2)。
 上記二つの場合は、二つの契約の乖離が甚だしいので、国としては、形式的契約の契約期間の満了とともに、無条件で解除権を行使することはできない。解除権を行使した場合には、実質的契約との落差に相当する大幅な違約金の支払いが必要となる。換言すれば、本予算の審議ないしは後年度の予算の支出授権の審議権を強力に拘束する性格を有している。
 暫定予算の場合には、こうした形式・実質両契約の乖離は国会としても容易に認識しうるであろうし、国会が間違いなく肯定する基本的なものに限定して作成するという暫定予算の基本的性格から、本予算に移行するに当たって、そこでの契約授権を再評価することはまずないであろうから、問題は少ない。
 これに対して、リース契約の場合にはー市場に関する知識さえ有していれば容易に認識しうる問題とはいえー必ずしも予算科目上自明ということはできない。したがって、予算の内容が、国会中心財政主義の下、素人にも容易に認識しうるものとするという思想に忠実に編成する場合には、現行の制度は妥当なものということはできない。これについては、リース契約を利用することが、財政の効率性という観点から好ましいものである以上、違法として禁圧するのは妥当とはいえない。したがって、継続費とも国庫債務負担行為とも異なる新たな予算類型を創設することにより、国会が明確に認識しうる形で計上するべきであると考える。
(二) 長期継続契約の例外
 歳出予算に基づく支出であり、したがって、本来年度単位の契約授権しかされていないはずの分野において、翌年度以降を拘束する契約が締結できるとされている重要な例外として、長期継続契約が存在する。すなわち「契約担当官等は、政令の定めるところにより、翌年度以降にわたり、電気、ガス若しくは水の供給又は電気通信役務の提供を受ける契約を締結することができる。」(会計法二九条の一二)とされている。
 長期継続契約は、一般に予算単年度主義の例外であると説かれる(3)。このように述べられること自体、予算に契約授権機能のあることの一つの証左であるといえる。
 長期継続契約がなぜ単年度主義の下で許されるのかについては、通常次のように説明されている。すなわち、電気、ガス、水道、電話等に係る契約は、第一に、官庁が存続する以上、一般家庭での生活費に相当する永続的なもので、それに関する契約の当否について、国会が毎年度、コントロールを及ぼす必要性に乏しい。第二に、各年度における様々な状況に応じてその使用量が変動するものであるものであるため、事前に厳格な金額的コントロールを加えることは困難である。第三に、その料金は、公的な統制の下に改訂が行われるものであるから、その使用料金が不当であるとして契約を拒否する必要性もまた考えられない。
 しかし、これらの説明は、長期継続契約制度の立法事実に関するものであって、予算の法規範性という観点からの説明にはなっていない。法的には、むしろ次のように説明すべきであろう。すなわち、財政法一五条に明らかなとおり、法律によって契約授権を行うことは可能なのであるから、歳出予算に基づく支出授権であるにも拘わらず、会計法に特別の規定を設けることにより、契約授権だけは別途行うことにしたのである。
 本条第二文は「この場合においては、各年度におけるこれらの経費の予算の範囲内においてその給付を受けなければならない」と規定する。すなわち、本条による授権は抽象的契約授権に止まり、それに基づく具体的契約授権、すなわち限度額に関する点は、各年度における歳出予算によって与えられることを明らかにしたものである。前稿で論じたとおり、当該年度において最終的な支出が必要でない場合には、限度額は予算総則で定められるが、この場合には、電力等の使用量に応じた支出が必要であるので、歳出予算の持つ具体的契約授権が限度額を定めることになるのである。
(三) 予算不成立の場合における行政活動の法的評価
 新年度に入っているにも拘わらず、国会の予算審議の遅れその他の理由から、本予算が成立しない場合が発生する。こうした場合、諸外国の憲法は、様々な対応手段を用意しているのが普通であり、わが明治憲法においても同様であった(4)。しかし、現行憲法にはこれに対する規定が全く欠落している。このため、実務的には、暫定予算を編成し、それを緊急に成立させることで対応している。しかし、時として、その暫定予算さえも成立しない、予算の空白が発生することがある。
 この場合、例えば、予算不成立であるにも拘わらず、公務員が出勤する場合には、それは国に賃金支払い債務を発生させ、また、庁舎において電気や電話を使用する場合には、国にそれらの使用料金支払い債務を発生させることになる。しかし、予算に支出授権機能しか認めていない場合には、そうした債務の支払い期が到来するまでは、それは特段の法律的問題とはならない。これに対して、予算に契約授権の機能があると認識している場合には、予算による授権なくして債務負担すること自体が問題となる。すなわち、先に論じた二重契約の存在から必然的に発生する債務はやむを得ないとして、予算の誠実な執行義務の結果として、授権なくして国が債務を負担する事態を可及的に防止するためには、わが国においても、管理責任者としては公務員に対して自宅待機を命じなけれならないのである。米国でクリントン政権と議会の多数派を占める共和党の財政政策の不一致から暫定予算さえも成立しなかった際に、そうした事態が発生したことは記憶に新しいところであろう。しかし、わが国では、過去に何度かあったそうした事態においても、国家公務員に対して自宅待機を命じたりはせず、平常通りの勤務をさせてきた。ここで取り上げようとしているのは、そうした勤務を財政法的にはどのように評価すべきか、という問題である。
 そうした命令を下さず、その結果、国家活動をできるだけ平常と同様に維持している行為は、契約授権を欠くものであるから、管理責任者の公的義務の履行とは言えない。したがって、公務員個人としての責任において行っているものと評価せざるを得ない。すなわち、法的に評価するならば、民法六九七条以下にいうところの事務管理(ないし事実行為に関しては準事務管理)と解する外はない。
 この場合、事務管理を開始する以前であれば、行政活動を行うか否かは個人の選択の問題であるが、一旦活動を開始した以上は、「義務なくして他人の為めに事務の管理を始めたる者は其事務の性質に従い最も本人の利益に適すべき方法によりて其管理を為すことを要す(民法六九七条本文)」る。したがって平常通りに出勤を続けさせるという形で、一旦事務管理を開始した以上は、必要資金は自らの責任で獲得してでも、事務処理を行わねばならないことになる。
 この解釈の妥当性がはっきりするのが、単なる現状維持の域を越えて行う積極的活動に関してである。例えば、その時期に行わなければ時機を失することになる出張の必要がある場合には、何らかの手段で資金を調達して行う外はない。これが公務であれば、そうした資金の調達行為は行政庁としての名義で行うことが可能である。しかし、上記のとおり、予算が成立しない場合に、行政庁として活動することは許されないから、資金の調達も、現場における責任者である管理者個人の名義で行う必要がある。実際にも、本省の場合であれば、各課の課長名で共済組合等から資金を借り出すという形で、そうした予算需要に対応しているのが現状である。仮に、そうした個人責任による積極的な出捐を避けて国に損害が生じた場合には、事務管理者は、逆に国に対して損害賠償義務を負担することになる。
 これらの活動の結果、事務管理者が行った支出は、本人、すなわちこの場合には国に有益な費用であるので、国としてはその費用の償還義務を負うことになる(民法七〇二条一項)。通常、国会は、こうした予算の空白が生じた場合には、そうした空白時期に遡った形で予算の議決を行っているが、これが同時にこうした事務管理における有益な費用の償還やその際負担した債務の支払い承認の効果を有するものと評価することができるであろう。

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三 歳出予算の繰越
 歳出予算を当該年度中に使用し終わらないときは、会計年度独立の原則からすれば、その経費は不用額とし、翌年度、新規の要求に基づいて、それを認めるか否かに関する国会の裁量権を確保するのが正当である。しかし、使用残額を翌年度にそのまま持ち越し、一定の制限の下に、翌年度の経費と併せて使用することを認める、という制度がある。これを歳出予算の繰越、又は経費の繰越という。
 その法的性質は、支出授権の繰越であって、繰越がなされたときには、自動的に予算の配賦があったとみなされるのである。したがって、これもまた、後年度における国会の予算審議権の重要な制限となる制度である。
 このような制度が必要な理由は、機械的に使用残額を不用額とした場合、却って不経済、非効率な事態が発生する場合があることによる。例えば、歳出予算で建物の建築工事を行うにあたり、その周囲に植物を植えることを計画しているとしよう。この場合、植物の活着率の高い温暖な時期に植栽工事を行おうとすると、現行の会計年度の下では、建築工事の時期と重なることとなって非効率であり、建物の完成後に行うとすれば、通常は二月三月の寒冷期に行うことになって活着率が悪く、不経済であるという問題が生ずる。このような事態が当初から予想できるから、植栽工事の実施だけは、建築工事と切り離して、翌年度の温暖期に実施できるようにするのが、予算の経済性、効率性という観点から見て最善ということになる。
 一般会計の歳出予算の繰越制度には、財政法一四条の三の定める明許繰越と同法四二条但し書きの定める事故繰越の二つがある。
(一) 繰越明許費
 財政法一四条の三は繰越明許費を定義して、「歳出予算の経費のうち、その性質上又は予算成立後の事由に基づき年度内にその支出を終わらない見込みのあるものについては、予め国会の議決を経て翌年度に繰り越して使用することのできる経費」をいうとしている。
 この場合、翌年度に繰り越された支出授権に対応した契約授権は、どのような形で行うのかが問題となる。歳出予算であることを考えれば、翌年度になってから、改めて債務を負担しなければならない、と考えることもできる。翌年度支出分が本来別契約に該当するものである場合には、そのような解釈でも特に問題は起こらないであろう。例えば、二年間で一棟の建物を完成させる計画で、当該年度で建物の躯体工事を建設業者と契約し、翌年度で建物の内装工事を内装業者と契約するような場合である。しかし、本来一つの契約であるべきものの場合には、一部を不自然に分割して独立契約としなければならないため、実務上様々な弊害が生ずることになるし、したがって国会の決算審査も円滑に実施することができない。上記例の場合であれば、躯体工事そのものの工期が二ヶ年度にまたがるような場合がそれになる。
 したがって、当該年度において、当初から翌年度にわたる契約授権を行うとするのが妥当である。このことを立法的に確認したのが四三条の三である。すなわち、同条は「各省各庁の長は、繰越明許費の金額について予算の執行上やむを得ない事由がある場合においては、事項ごとに、その事由及び金額を明らかにし、大蔵大臣の承認を経て、その承認があった金額の範囲内において、翌年度にわたって支出すべき債務を負担することができる。」と規定する。これにより、繰越明許費については、当初から翌年度にまたがる契約を締結できることが明らかとなった。契約授権に関する財政法一五条一項が、繰越明許費の根拠規定である一四条の三を直接引用せず、四三条の三を引用しているのはこのような理由からである。
 支出授権そのものは、翌年度の予算に繰り入れられることで、その歳出予算によって行われていると考えることができるから、繰越明許費という制度の特徴は、二ヶ年度にまたがって契約授権が行われている経費という点にあると理解できる。以上のことから、繰越明許費とは、わずか二ヶ年だけを対象としているものではあるが、米国の多年度契約授権と類似性の高い制度と考えることができる。しかし、国会の契約授権そのものは、当該年度の予算に繰越明許費として計上されることで既になされている。大蔵大臣の承認は、このように歳出予算に基づく経費でありながら、二ヶ年にまたがる契約授権は、単年度予算原則の大きな例外であるので、特に厳格な手続を定めたものと理解するべきである。大蔵大臣の承認それ自体が契約授権の機能を有しているわけではないと解する。
(二) 事故繰越
 歳出予算の経費の金額のうち、年度内に支出負担行為をなし、避けがたい事故のため年度内に支出が終わらなかったものを、翌年度に繰り越すことが認められている(財政法四二条但し書き)。これを事故繰越という。これは典型的には、年度内に終わるべき工事契約や製造請負契約等の履行が、避けがたい事故のために遅延したために、履行が適正になされていることを確認してから行うべき支出を年度内に行うことができなくなった場合を対象としている。ここに支出負担行為とは、国の支出の原因となる契約その他の行為をいう(財政法三四条の二第一項)。すなわち、国会による具体的契約授権を受けて、契約その他の行為を現実に当該年度中に実施することが必要である。この場合には、契約そのものは単年度のものであって、支出だけが翌年度にずれ込んだことになる。そして、繰り越された経費については、翌年度の歳出予算によって支出授権が行われるから、その限りでは問題はない。

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四 継続費
(一) 継続費の支出授権としての理解に対する疑問
 継続費は、明治憲法においては、その六八条が「予め年限を定め継続費として帝国議会の協賛を求むることを得」と定めていた(5)。この継続費は、支出授権の機能がある、すなわち一度継続費として協賛された場合には、後の年度に予算に計上されることなく、支出できると解されていた。すなわち、旧制度の継続費は、支出授権機能を有するものとして取り扱われていた。
 現行憲法は、そのような明文を欠いているため、当初は継続費は設けられなかったが、昭和二七年になって新設された。従来の学説によれば、現行財政法の定める継続費についても、明治憲法下における継続費と同じく、支出授権の効力を持っているとされる(6)。しかし、このような解釈には疑問がある。
 継続費においては、経費の総額だけでなく、年割額を定めている(財政法一四条の二)が、これとは別に必ず、歳出予算に、その年割額と同一の金額が計上されている。したがって、継続費に支出授権の機能があると解する場合には、二重に支出授権が行われているという奇妙な結論が必然的に導かれてしまうはずである。しかし、学説は、なぜ継続費の場合には、現行の法制下では二重に支出授権を行わねばならないのか、についての論理的な説明ができない。そのためか、従来はこの点については、完全に無視して、説明の努力すらほとんど行われていない状況にあり、わずかに行われている説明もとうてい首肯しがたいものである。すなわち、
「継続費成立後の後年度の歳出予算にも継続費の年割額が計上されているが、これは議決の対象として計上されているのではなく、その年度における歳出予定額の総額を一見して明らかならしめるよう参考のため掲げられているに過ぎない。(7)」
 これは、戦前の継続費における通説的見解と同一である(8)。しかし、明治憲法六七条のような特別の規定を欠く現行憲法の下において、参考のための計上、すなわち国会の審議権の及ばない科目が、各年度の予算上に存在するという考え方は、国会中心財政主義に反し、とうてい肯定できない。
 また、それは財政法の文言に反した解釈である。すなわち継続費の特徴は、各年度に配布された予算で、当該年度に支出が終わらなかったものは無条件で継続費の最終年度に至るまで繰越使用できるという点にある。右の説明であれば、それは年割額のはずであるが、財政法四三条の二によれば、繰越使用できるのは年割額そのものではなく、「毎会計年度の年割額に係る歳出予算の経費のうち、その年度内に支出を終わらなかったもの」、すなわち歳出予算とされているのである(9)。
 このように、今日の継続費は、戦前の同じ名称の制度と異なり、支出授権の機能を持っていないと解するべきである。では、なぜ継続費に支出授権の機能を持たせることは許されないのであろうか。その根拠は総計予算主義に求めるべきであろう。
 財政法一四条は、「歳入、歳出はすべて、これを予算に編入しなければならない」として総計予算主義の原則を定めている。これは、その年度の歳入と歳出とはそれぞれ別に予測され、そのすべてが予算に計上されなければならないことを要請している、と解されている。同条を単純に文言解釈すれば、当該年度の歳出は、予算を構成している各科目のいずれかに計上されていれば足りる、とされるであろう。その場合には、ある支出授権が歳出予算ではなく、継続費の年割り額部分に計上されていても、同条を充足していると解することになる。現在の通説の立場である。
 しかし、総計予算主義は、必ずしも財政に明るくない国会議員による財政コントロールを実現する重要な手段であるから(10)、支出授権は、単に予算のいずれかの部分によって与えられればよいというものではなく、一元的に行われる必要がある。すなわち、国のすべての収入は歳入予算に、そしてすべての支出は歳出予算に、それぞれ一元的に計上されて、はじめてその要請を満たしているものというべきである。そうすることにより、始めて、その年度の歳入と歳出が一覧でき、両者の対比が容易に行いうるからである。
 このように解する場合には、現行法制においては、予算中の歳出予算だけが支出授権機能を有していると解するべきである。したがって、継続費に支出授権機能を与えることは許されないのである。そこで、継続費の年割額に相当する額を、必ず毎年度、歳出予算に計上する必要があり、この歳出予算が支出授権を与えるのであって、継続費の年割額ではない、と考えるべきである。
(二) 継続費の合憲性について
 契約授権の機能を予算が有することを前提として考えれば、現行法制における継続費は、その総額の範囲内での契約授権を目的とした制度であると理解するのが最も無理のない解釈というべきである。
 その場合、後述する国庫債務負担行為との違いは、年割額という形で、将来の各年度において、歳出予算に計上すべき支出授権額が予め予定されている点と、各年度の歳出予算額に計上された年割額のうち、その年度中に支出を終わらなかったものについて、通常の事故繰越(財政法四二条)とは異なり、無条件で、継続費に係る事業の完成年度まで逓次繰り越して使用することができるという点の、二点であるに過ぎない(同四三条の二)。
 このように理解した場合、現行法制の継続費については、その基本的性質は国庫債務負担行為と同一であるから、国庫債務負担行為と切り離した形で、その合憲性について論ずるのは誤った議論というべきである。そして、後年度における国会の支出授権に当たっての審議権の拘束は、既に述べたとおり、通常の歳出予算についても考えられるのである。また、次項に詳述するとおり、継続費であっても、後年度においてそれを否決しあるいは修正することは国会の裁量の問題に過ぎないのであって、その点において特に国庫負担行為と異なる拘束性を発揮するわけではない。むしろそうした後年度の審議権の拘束性は、前述した明許繰越の方がはるかに強力である。したがって、継続費を合憲と解することになんら問題はないと考える。違憲説は、現行の継続費が名称が同一の戦前の継続費と同一の支出授権機能があるという前提から出発しているからである。
 継続費に計上されている年割額の法的性質は次のようなものであると解する。すなわち、継続費により契約授権された行政庁には、各年度に必要とする支出額を、当該年度の年割額に抑えるよう、契約を締結する法的義務を生じさせる。これに対して、国会にとっては、その持つ意味は、後年度における歳出予算審議時の参考であるに過ぎず、それ以上の法規範性はない。
(三) 継続費の後年度における審議について
 財政法一四条の二第四項は、継続費について、「前三項の規定は、国会が、継続費成立後の会計年度の予算の審議において、当該継続費につき重ねて審議することを妨げるものではない。」と定める。これについて、文字通り自由に審議できるとするならば継続費を否定することになるから、慎重に監督するようにという趣旨の注意規定に止まり、実質的には無意味な規定とする学説が通説的存在となっている(11)。
 これらの学説では、継続費として一旦決議したという一事により、後年度においては機械的に承認しなければならず、否決の自由はないとする前提を採用している。しかし、そのような重大な前提がなぜ導かれるのかについては、単に『継続費を設けた趣旨が没却される』からという曖昧な説明がなされているだけである。
 しかし、国会が、後年度にいたって、先に決定した継続費の議決が、当初から不適切であったとか、あるいはその後の事情の変化により不適切なものに変わったと判断した場合に、これを修正したり、否決したりできる権限を承認することは、財政民主主義の当然の要請である。したがって、国会が継続費を変更し、あるいは否決した場合には、行政庁は、速やかに将来に向かって契約を変更あるいは解除しなければならない。その場合、それによって国民に与えた損害については賠償の義務を負うが、事情変更の抗弁その他、極力国の損失を軽減させるべく、交渉すべきであることもまた当然といえるであろう。
 その当然の要請を定めたという意味において、同項を注意規定と読むのであれば異論はないが、その逆の意味で、注意規定と読むのはそもそも文理に反し、妥当とは考えられない。ちなみに、戦前の戦前の継続費については、通説及び実務は、継続費をそのまま実施する場合には後年度における議会の議決は不要であるが、継続費を変更する必要がある場合には、当然に政府の発案により、帝国議会の議決を経ることで行うものとされていた(12)。現行制度の場合には、戦前と同様に、内閣がその予算の提案義務の一環として行う場合があるほかに、国会自らの主導により廃止あるいは修正することがあるのは、現行憲法の採用する国会中心財政主義から当然の帰結といえるであろう。では、どのような場合に、そうした継続費の廃止ないし修正の必要が生ずるであろうか。
 それについては、継続費を以後において否決する場合と、修正するに止まる場合とで、当該議決の必要性の発生原因は異なるので、区分して検討してみたい。
  1 継続費を後年度に否決した場合の効果
 後年度における再審議の結果、継続費を否決した場合には、その効果は次のように考えられる。先に述べたとおり、歳出予算の場合でさえも、国会は常にゼロベースから予算審議を行うことができるわけではない。国会が、過去から引き続いて存在している歳出予算に基づく契約に対して、契約授権を継続することを拒否した結果、契約相手方である国民に損害を与えた場合には、損害賠償が必要であることについては前述した。それと同様に、継続費について、後年度にいたって国会が再審議を行い、全面的に否決した場合には、担当国家機関は、直ちにその決議に基づき、既に締結している契約はこれを将来に向かって解除し、締結予定の契約はこれを取りやめ、それらによって契約相手方に対して与えた損害は賠償するとともに、それまでに完成している成果物については引き取ることにより、継続費の否決に伴う損失の可及的な縮減に努めなければならないであろう。しかし、それによって、継続費を当初の形で最後まで実施する場合以上の費用が賠償費用等として必要になったとしても、それは国会の裁量権の範囲内の問題である。国民が、そうした判断の当否について、選挙等を通じて個々の議員の政治責任を追及しうるのはともかく、それを理由に国会の修正権や否決権を否定することができるとは思われない。
 こうした事態は、現行法制下では現在までのところ発生していない。しかし、戦前においては、ワシントン軍縮条約の締結に伴い、わが国が保有できる艦船に上限が定まったため、完成直前であった戦艦土佐を始めとする多数の艦船の建造契約が中途で解約され、それらの艦船は廃棄処分された例がある。
 現在、わが国では、継続費は自衛艦の建造にしか使用されていないが、何らかの政変により、自衛隊違憲論者が政権の主導権を握った場合には、わが国の一方的な軍縮が実現する可能性が存在するし、あるいは、冷戦の終結に伴う世界的な軍縮傾向の中で、第二のワシントン条約が出現する可能性も存在する。それに伴って、わが自衛艦の建造に関する継続費が中途で否決すべき必要が発生した場合にも、上述の学説は、そうした否決権は継続費を設けた趣旨を否定するものであり、許されないと主張するのであろうか?。仮にそうとすれば、明らかに不当な見解と言うべきであろう。
  2 継続費を後年度に修正した場合の効果
 後年度に修正権を行使した場合についていえば、これが仮定の問題ではなく、毎年度、現実に行われていることである。継続費は、よく知られているとおり、現在のところ自衛艦の建造についてしか使用されていない。そして、艦船は、そもそも原則として一隻づつの注文生産であるため、建造途中で、様々な創意工夫が凝らされ、それによって当初の設計が変更されるのは普通の事態である。同型艦を何隻か建造する場合にも、常に先行する艦の建造経験や創意工夫から、絶えず改良されるのが普通で、自動車の大量生産のように、文字どおり同型という艦船はまずない。したがって、そうした改良は、建造費そのものに影響を与えるのも当然のことである。
 そうした特殊性に対応するため、防衛庁では、艦船の建造契約を締結するに当たっては、当初から確定的な契約金額等は定めず、ある程度、工事が進んでから契約金額等を確定するという手法を採用している(これを「中途確定契約」という。)。こうして契約後に契約金額は、当初の概算額に拘束されることなく、最終的に確定するのであるから、そうした状況の変化を踏まえて、継続費を一旦承認した場合にも、後年度にそうした契約額の確定を踏まえて修正するのは当然といえるであろう。
 また、近年における特殊な要因としては次のものがある。すなわち、第一に、わが国は国内に大規模な軍需産業を持たず、輸入製品に装備の多くを依存しているため、わが国為替レートの頻繁な変動に対応して、自衛艦建造に必要な経費は相当の変動を示している。このため、毎年度、継続費総額及びその年割額を修正せざるを得なくなっている。第二に、近年における電子技術の著しい進歩は、軍事技術にさえも及んでいる。そのため、継続費の当初案で予定されていた装備をそのまま搭載するのではなく、技術革新等に応じた新機器に随時置き換えるということがなされる。その場合、搭載機器が変更になったのであるから、それが契約金額に反映するのは当然であり、この場合にも、継続費そのものの修正が要請されることになる。
 こうして、継続費について、現実に再審議が実施されていることは、毎年度の予算書を見れば明らかなことである。予算書に理由としてあがっている限りにおいては、為替レートの変動の影響が特に大きい。

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五 国庫債務負担行為
(一) 国庫債務負担行為の契約授権としての特徴
 これまでに述べてきた、歳出予算、明許繰越費、継続費以外で、予算に基づき、将来において国庫金の支出原因となる契約の授権を、国庫債務負担行為という(財政法一五条)。先に述べたとおり、戦前においてはこれは予算外国庫負担として、予算とは別に取り扱われていたが、現行法制では、総計予算主義の下、予算の一環として取り扱われることとされている。
 財政法上、二種類の国庫債務負担行為が予定されている。第一のものは、予算の国庫債務負担行為において、事項や契約等の内容を特定しているもので、実務上、特定議決による国庫債務負担行為と呼ばれている。第二のものは、財政法一五条二項が規定しているもので、災害復旧その他緊急の必要がある場合において行われる国庫債務負担行為である。この場合には、予算上はその限界となる金額が示されるのみで、契約等の内容の決定についてはすべて内閣以下の行政庁に委託されている。当該年度中に、支出授権まで必要とする場合には、補正予算により歳出予算に計上される必要があるから、これには該当しない。結局、翌年度以降の補正予算において支払いの必要が生ずる場合のみとなる。
 こうして、国庫債務負担行為とは、複数の年度を対象とする契約授権をいうと解される。したがって、継続費との違いは、使途の法律による限定がないこと、年割額がないこと及び歳出予算の逓次繰越が無条件に認められないことの三点に求められる。
 このうち、年割額がないことは、むしろ、後年度における国会の予算審議権を、継続費に比べて、より制約する性格を持つというべきである。なぜなら、国庫債務負担行為が許容された複数年度のうち、いずれの年度にどれだけの支出を必要とするように契約等を締結するかは、完全に行政庁側の裁量に任されていることを意味するからである。そして、履行期が到来した債務について、国民を犠牲にして支出授権を拒絶することは国会には不可能であることを考えると、国会としては、仮に行政庁側が特定年度にすべての支払い期を到来させるような不当な裁量を行っていた場合にも、これを無条件で承認して、支出授権を与える外はないからである。
 継続費の制度が条文上は「工事、製造その他の事業で、その完成に数年度を要するもの」に幅広く利用することが認められているにも拘わらず、それが利用されるのは自衛艦の建造のみで、他はすべて国庫債務負担行為で行われるのが、今日の予算の通例である。これは、一般に行政庁側が、国庫債務負担行為の与える裁量権の広さの方を好んでいることを反映していると見るのが妥当ではないだろうか。ちなみに、継続費が基本的に使用されている自衛艦の建造においてさえも、一部装備費には歳出予算に加えて国庫債務負担行為が使用されている状況にある。この結果、継続費の総額を見るだけでは、自衛艦建造費の全貌を明らかにすることはできない。
 従来の学説は、継続費には違憲の疑いがあるとし、国庫債務負担行為の方を肯定的に判断してきている。が、このような国庫債務負担行為を中心とする多年度財政運営は、むしろ国会中心財政主義の精神に反し、妥当ではない、というべきである。可能な限り継続費を活用し、もって年度をまたがる国の事業についても、容易にその全体像及び各年度における所要額を、予算上で一元的に把握できるようにすることこそが、総計予算主義の要請から考えても妥当である。
(二) 国庫債務負担行為等に対応する歳出予算と契約授権の二重計上問題
 歳出予算に支出授権機能に加えて契約授権機能があり、他方、国庫債務負担行為及び継続費の機能は契約授権である。その結果、国庫債務負担行為等のうち、その初年度に支払いを行うべき債務に関する支出授権の目的で歳出予算を計上すると、契約授権機能に関する限り予算上に二重に計上されているという問題が発生する(13)。これは予算科目のうち、他のものは契約授権機能だけを有しているのに対して、歳出予算だけは、支出授権と契約授権の二重の性格を有するものと、財政法上予定されていることから発生する問題である。こうした契約授権の二重計上を避けるためには、一連の事業計画のうち、歳出予算に計上されている初年度分を除外して、残額のみを国庫債務負担行為等として計上する、という方法が、理論的には考えられる。しかし、そのような方法を採用する場合には、予算全体の一覧性が低下することになるので、総計予算主義に反し、妥当とは言えない。
 思うに、歳出予算は、支出授権を行うことを本来の目的とするものである。したがって、理論的には歳出予算についても八五条の国会議決を別途行う必要がある。しかし、支出授権を行う場合に、その前提としての契約授権を行わない場合は、普通、考えられない(14)から、財政法一五条は、一種の便法として、本来支出授権を目的としている歳出予算にも、自動的に、重複的に契約授権機能をも認めたに過ぎない。また、規定の仕方からしても、歳出予算に関しては、別途契約授権を受けなくとも契約等の締結が可能であると定めたに止まり、必ず契約授権を行っていると定めたものではない。
 したがって、国庫債務負担行為等により契約授権が別途行われている場合には、本則に戻り、歳出予算は支出授権機能だけを有するものと解するのが妥当である。先に継続費に関して述べたとおり、歳出予算の第一の意義は、支出授権を一覧しうる点にある。そして、契約授権に関する限り、各予算による態様別分類における一覧性の確保の方が重要だからである。

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六 歳入予算における契約授権の特徴
 憲法八五条は、単に「国が債務を負担する」場合と述べているので、文言解釈による限り、あらゆる種類の債務を意味するものと解される(15)。しかし、先に述べたとおり、現行憲法制定の際の国会審議において、金森国務大臣は、格別の根拠を示すことなく、同条にいう債務とは金銭債務を意味すると述べている。この解釈は、その後のわが国の通説となった(16)。この解釈によれば、国に金銭債務をもたらさない限り、その対価として国がどのような出捐を行う契約であろうとも、国会の議決を得る必要はなく、行政庁は自由に締結することが可能となる。しかし、そのような取扱いを許容する解釈は、いかなる財政原則の下においても、異常な解釈というべきである(17)。まして、国会中心財政主義の下で許されるものではない、と考える。特に、金銭債務とは対極にある金銭債権を国にもたらす契約を締結するに当たっても、国会による契約授権を必要としなければ、国会中心財政主義の意義が失われることは、明治一四年に発生した北海道開拓使払い下げ事件を考えれば、明らかであろう。
 したがって、歳入予算においても、その重要な機能の一つとして契約授権機能が存在していると考えるのが妥当である。しかし、歳入予算の有する契約授権機能は、予算の中では少々特殊である。
 ここで問題となるのは、財政法一五条が歳入予算に論及していない点である。このことについては次のように考える。第一に、契約授権は、憲法八五条によって国会に与えられている権限であるから、財政法にそれに関する規定がないからといって、その権限を否定することにはならない。第二に、財政法一五条の規定は、国庫の負担に帰する債務、すなわち金銭債務負担に関する特則であって、国庫の収入につながる債務負担に関する規定ではない。その特則としての性格は次の点にある。すなわち、本来、契約は両当事者間の自由な交渉によって契約金額その他の契約条件が決定されるべきである。しかし、一五条は歳入予算等の総額の範囲内で契約を行うべきであるとの枠を課しているのである。
 これに対して、歳入予算の場合には、一五条に歳入予算があげられていない結果、予算の総額の範囲内で契約を行わねばならないという制約は存在していないことになる。この結果、歳入予算に基づく制約は、予算の科目にのみ存在し、数額には存在しない。すなわち、行政庁は、国の歳入につながる契約を締結する場合には、歳入予算に全く科目のない契約はこれを締結することはできない。しかし、科目さえ存在すれば、そこに計上されている数額に関わりなく、契約を締結することが可能である。そして、現代財政の基本原則である経済性、効率性の重視に鑑み、契約担当者は、できるだけ国に経済的に有利になり、また効率的な条件で契約を締結する等の義務を負担している。その結果、歳入予算額を上回る収入をもたらす契約が締結できることは当然であるし、義務である。

[おわりに]
 本稿は、契約授権概念の具体的問題に対する適用を取り扱っているため、発表の順序としては最後になったが、私の意識としては、契約授権に関する一連の論文の出発点であり、いわばその根を形作っているものといえる。すなわち、本稿で取り上げた問題点は、歳出予算の結果発生する二重契約問題から始まって、歳入予算の款項の持つ契約授権機能に至るまで、いずれも私が実務に従事していた当時に、現実にぶつかった具体的問題を抽象的に表現したものである。当時は私自身、支出授権という観点から予算制度を見ていたから、どれについても、適切な回答を与えることができず、今日までいわば宿題となっていた。
 ここに契約授権の概念を導入することで、快刀乱麻を断つがごとく、積年の謎を解明できることを認識したとき、私自身は、この契約授権概念の基本的正しさを確信した。契約授権は、もともとはここで取り上げている様々な問題を解決するために創出された財政法上の概念である。しかし、その理論的基礎は憲法へ遡る他に見いだすことはできず、そのために前稿が理論的前提として必要となったものである。決して抽象的な、理論のための理論ではなく、こうした現実の問題を解決できる有用性がある点に、この概念の最大の根拠があると自負している。が、こうした個人的経験から出発しているだけに、意余って言葉の足りない点も多いと思われる。厳しいご批判をいただければ幸いである。

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(1) 明治二二年に、明治憲法六二条三項を受けて帝国議会に提出された会計法草案一六条では、単年度主義の例外として土地家屋の借入については長期契約を許す旨の規定があったことについては、前稿四(一)3に紹介したとおりである。二重契約の問題をできるだけ回避するためには、このような形できちんと法的に処理する方が好ましいと考える。が、この草案が削除されて以来、わが国ではこの問題に対するきちんとした解決は行われていない。二重契約問題は、その意味では法制度そのものの欠陥といえる。
(2) リース契約に関する問題の詳細については、拙著『財政法規と憲法原理』一一一頁以下、第一部三章三節四項「総計予算主義とリース契約」参照。
(3) 長期継続契約は、その根拠規定の位置のためか、学界ではその存在そのものがあまり認識されていないようである。例えば、杉村章三郎『財政法』有斐閣は長期継続契約自体にまったく論及していない。また、槙重博『財政法原論』弘文堂平成三年刊は、長期継続契約に一応は論及している(二四一〜二頁)が、単に制度を紹介するのみで、その意義については全くふれていない。
 これに論及している書物は多いが、したがって、一般に、実務家の著述したものに限られる。本文で言及した議論を行っているものとしては、例えば、高柳岸夫・村井久美共著『官公庁契約精義[平成六年増補版]』建設総合資料社、平成六年刊、一五四頁、井上鼎『体系官庁財政会計事典』公会計出版センター昭和六〇年刊、六二四頁などがあり、いずれも予算単年度主義の例外と明確に述べている。
(4) 新年度になっても予算が成立しない場合の対応について、紹介すると次のようなものがある。
 ドイツの場合には、基本法一一一条が次のような詳細な規定を設けて、そうした事態における国の機能麻痺を防いでいる。すなわち
「第一項 ある会計年度が終了する前に次年度の予算法が成立しなかった場合には、連邦政府は、新年度予算法が成立するまでの間は、次に掲げる目的に必要な一切の支出を行う権限を有する。
 a 法律上存在している施設を維持し、法律によって議決された措置を実施するため
 b 法的な根拠を有する連邦の義務を履行するため
 c 前年度の予算によって既に承認を受けていた金額の限度において、建築物、調達その他の給付を継続し、又はこれらの目的のための補助を更に認めるため
 第二項 特別の法律に基づいて租税・公課その他の財源から得られる収入又は経営資金準備金が、第一項の支出を満たさない限りにおいて、連邦政府は、経済運営を維持するための資金を、前年度の予算の総計の四分の一までを限度として、公債により調達することができる。」
 フランスの場合には、第五共和制憲法四七条二項によれば、「国会が七〇日以内議決しない場合には、予算法案の規定は大統領命令(ordonnance)によって施行されることができる」とされる。
 明治憲法の場合には、その七一条で「帝国議会に於て予算を議定せず又は予算成立に至らざるときは政府は前年度の予算を施行すべし」とされていたので、国の活動が止まることはあり得なかった。
 これらに対して、米国の場合には、何ら特別の制度はない。我が国現行憲法は、前稿でも述べたとおり、米国財政法の強い影響下に成立しているため、予算不成立の場合の制度が同様に欠落したものと思われる。しかし、米国の場合、前稿で述べたように、支出予算及び契約授権には、単年度、多年度及び無期限の三種類があり、予算の不成立により活動が止まるのは、単年度予算で支えられている部分のみであって、わが国のように全面的な停止は発生しないので、その影響はわが国に比べると小さい。
(5) 明治憲法六八条の定める継続費の原型は、プロイセン憲法にはない。北ドイツ連邦憲法ないしビスマルク憲法になって、その七一条として新たに創設された制度である。すなわち
"Die gemeinschaftlichen Ausgaben werden in der Regel fur ein Jahr bewilligt,konnen jedoch in be-sonderen Fallen auch fur eine langere Dauer bewilligt werden."
「連邦の支出は一年間につき承認を与ふることを本則とす。特別の場合に於いては之より長き期間につき承認を与うることを得(美濃部達吉『逐条憲法精義』有斐閣昭和七年刊、六九九頁の翻訳による。)」
 明治憲法の文言では、それが支出授権なのか、契約授権なのか、今一つはっきりしないが、ビスマルク憲法の場合には、それが支出授権であることは明確である。明治時代の継続費について、支出授権という認識が揺らがなかったのは、ここに原因があると考える。なお、この規定はワイマール憲法にもほぼそのまま受け継がれたが、わが国現行憲法同様に、ボン基本法では削除された。
(6) 現行財政法における継続費にも、旧憲法上のそれと同様に、支出授権の効果があるという認識については、管見の限りでは例外がない。例えば、杉村章三郎は「数年にわたる経費の総額を一括して当初年度において国会の議決を経ておけばその年限内においては政府は自動的に支出権を与えられるというところに継続費の特徴がある」と説明する(杉村『財政法[新版]』有斐閣昭和五七年刊、法律学全集一〇、八一頁より引用)。
 宮沢俊義は、継続費の性格そのものについては杉村章三郎のように明確に述べていないが、「予算が会計年度ごとに定められなければならないとする原則の例外として、いわゆる継続費の制度がある」と述べ、明治憲法が明確に認めていた継続費が現行憲法に規定がないことに関して、違憲の疑いがあるという説を想定し、これに対する反論を展開している(宮沢『日本国憲法』日本評論社、昭和三〇年刊、七一九頁)ので、やはり戦前の継続費と同一の性質を持つ経費、すなわち支出授権と理解していることは明らかである。
 こうした理解は、予算の機能として支出授権しか考えない、という前提をとれば必然のものと言うことができるであろう。
 これに対して、ある程度卑見と同様の認識を持っていると見られるのが槙重博である。すなわち「継続費の性質は、当該年度だけをとって見れば、歳出予算と国庫債務負担行為が合体したもので、その総額の範囲内で、翌年度以降にわたる契約を結ぶことができる」(槙前掲書一六〇頁)と述べる。したがって、おそらく翌年度以降については国庫債務負担行為の性質のみがあると理解しているものと思われる。しかし、この考え方を採る場合には、初年度の年割り額については、歳出予算に計上する必要がないのではないか、というような疑問が生ずる点でやはり問題が残る。
(7) 本文に引用した支出予算と継続費の年割額という二重計上問題についての文は小村武『予算法と財政法』新日本法規出版昭和六三年刊、一七〇頁より引用。同旨、兵藤広治『財政会計法』現代行政法学全集二一、ぎょうせい昭和五九年刊、六六頁。
 ちなみに、この小村の見解は、制憲議会における金森国務大臣の答弁と同一のものである。すなわち、佐々木惣一からの質問に対して「翌年度からは一般の予算の中に計数は組入れますが、国会の議決は要しないという考えであります」と述べて、佐々木との間で論争になっている(清水前掲書第三巻六一四頁)。
(8) 戦前の継続費について、例えば佐藤丑次郎は「一旦継続費として帝国議会の協賛を経たるときは、其の年限中各年度支出額は、其の年度の歳出予算に之を計上するも、之に対して更に議会の協賛を求むるの必要なし。」と説く。(佐藤『帝国憲法講義』有斐閣昭和一〇年刊、三〇三頁より引用。)
(9)  継続費の逓次繰越に関する財政法四三条の二に対応する、戦前の旧会計法二八条は「数年を期して竣工すべき工事製造其の他の事業にして継続費として総額を定めたるものは毎年度の支出残額を竣工年度まで逓次繰越使用することを得」と定めていて、歳出予算の語を使用しておらず、文言的に相違があるので、戦前において妥当した解釈だからといって現行法解釈として直ちに妥当するとはいえない。
(10) 総計予算主義の、国会中心財政主義に占める重要性については、拙著『財政法規と憲法原理』八千代出版一九九六年刊、一〇四頁以下参照。
(11) 現行の継続費に関する「後年度の予算審議の際、重ねてこれを審議することができる」という規定について、無意味、あるいは単なる注意規定であるとするのは、管見の限りでは異論がなく、通説と考えられる。
 代表的な議論を紹介すると、例えば宮沢俊義は「もしその審議が、文字通り単なる審議に過ぎないならば、それは当然のことを意味するのであり、あえて特に規定する必要のないことであるし、またこれに反して、重ねて審議することができるとは、必要に応じて随時に改正することができるという意味であるならば、それはそもそも継続費を否定することになる。いずれにしても、その文字どおりの意味においては、理解することは困難である。この規定は、既に継続費の制度を認めた以上は、継続費に関する国会の監督が十分慎重に行われるようにという意味の注意的な規定だと解するのが、おそらく妥当であろう。(宮沢前掲書七二〇頁)」とする。
 また、杉村章三郎は、「継続費の年度中、後年度において自由にこれを改廃できるということであれば、継続費を設けた趣旨は没却されるからである。むしろ継続費に関する国会の監督を十分に行うべき旨の注意規定と解する。」とする(杉村前掲書二三頁)。
 なお、これに対して大沢実は「審議権があれば修正議決権があることは当然であろう」とする(大沢『公会計基本法逐条注釈(上)』全国会計職員協会昭和三四年刊、一〇三頁)。
(12) 継続費に関する戦前の通説は、後年度において、継続費を変更する必要があることを承認し、その場合に帝国議会の議によることができるとしていた。例えば清水澄は、
「継続費は予算議定権の例外にして議会は最初の年度において一旦議決したるものなるにより次年度以後に於いては之を議決すべきものに非ざるなり。若次年度以後に於いて之を変更する必要あるときは政府発案して更に議会の議決を経ざるべからず。」(清水『逐条帝国憲法講義』松華堂昭和一二年刊五〇四頁)
と述べる(同旨、美濃部達吉『逐条憲法精義』有斐閣昭和七年刊七〇〇頁、佐藤丑次郎前掲書三〇四頁等参照)。
 ただし、宮沢俊義は旧憲法の継続費についても、現在と同一の見解であった。すなわち「予算で一旦定められた継続費の次年度以後の経費は爾後毎年の予算に載ってはいるが、議会の議定権の外にある(宮沢俊義『憲法略説』岩波書店昭和一七年刊、二五九頁)。」ただし、その根拠は一切示されていない。戦後の継続費に関する通説が、この戦前における異説ともいうべき宮沢説の影響下にあることは明らかであろう。
(13) 国庫債務負担行為等と歳出予算の二重計上問題は、実際にも、昭和四三年の通常国会で国庫債務負担行為に関して問題になったことがある。その詳細については、小村武前掲書一七八頁参照。
(14) 前稿で論じたとおり、わが国財政制度に影響を与えた英米独仏各国で、歳出予算に契約授権の機能を明言している法制はない。それで問題が生じないのは、歳出予算における契約授権は、原則的に理論の問題であって、実務的には破綻が生じないからに他ならない。
(15) 憲法八五条の原案であったマッカーサー草案では国の支出と結びつけた形で債務という言葉が使用されているから、歳出予算を中心に契約授権を肯定していたと解するのが自然である。しかし、ここで注意するべきは、米国の財政はそもそも歳入予算という概念を知らず、さらに言うならば歳出予算という言葉も知らず、支出充当 appropriation という形で、支出面だけを議会の権限としていた国であるから、このことを以てわが国憲法の解釈基準とするのは妥当とは言えないと考える。
(16) 八五条にいう債務とは金銭債務に限るとする者の、代表的な例として、宮沢俊義を紹介すれば、次のように述べる。
「国の負担する『債務』とは、金銭債務を意味する。直接に金銭を支払う義務でなくとも、たとえば、債務の支払いの保障とか、損失保障の承認なども、結局国費の支出を伴う可能性があるから、ここにいう『国が債務を負担する』場合に該当する。」(宮沢前掲書七一五頁より引用)
 また、註解日本国憲法は「このいわゆる債務は直接金銭の給付を目的とし、したがって之により国費の支出を要し、または少なくとも要するおそれのある債務を意味するにすぎない」と断言する(有斐閣昭和二八年刊、一二八七頁)。
(17) 旧憲法下においては、実際にそのような解釈論が存在していた。例えば美濃部達吉は次のように主張する。
「予算款項以外の収入を生ずることあるも、その歳入の適法なりや否やは唯法律命令に依りて判断せらるべく、予算に依りて定むることを得ず。〈中略〉例えば予算中に寄付の項なしとするも政府は寄付を受くることを得べく、官有物払い下げの項なしとするも政府は法令の許す限り官有物を売却することを妨げず。」(美濃部『憲法撮要』有斐閣昭和二年刊、五四五頁)
 なお、現行法の解釈としては、寄付受領禁止原則がとられるとされる。例えば、槙重博は「民主主義の国では、政治に必要な経費は国民が平等に負担することが租税法律主義の意味であるから、租税法の規定によらない負担を一部の国民に追わせる寄付を政府が任意に受領することを認めるべきではない」と説く(槙『財政法原論』七四頁より引用)。