序 文

 

 [はじめに]  現行憲法における財政の章の諸規定は、よく指摘されるとおり、旧憲法における会計の章との類似性が非常に高い。それに加えて、今日においても、憲法学の財政規定に対する解釈姿勢は、基本的に旧憲法時代に採られていたものと変化していないため、主要な論点と認識されているものさえもが、戦前戦後を通じてほとんど変化していない、といっても過言ではない。

 そして、それらの論点の多くは、わが国固有の論点というよりも、かってのドイツにおける問題意識を、単純に導入したものにすぎないように思われる。そしてドイツのそれは、当時の世界の主流であった自由国家ないし夜警国家を前提としたから、財政を静的なモデルにおいて捉えるものであった。

 しかし、こうした理解がわが国にとって正しいものとは思えない。なぜなら、現実の財政活動の実態は、旧憲法下においても、現行憲法下においても絶えず激動していたからである。

 そもそも旧憲法制定以前の段階から、わが国の財政は、その母法とした欧州諸国のそれとは大きく異なっていた。遅れてきた資本主義国家であったため、民間経済の自然の発展を待つ余裕のないわが国としては、国の経済を近代資本主義国家にふさわしいものに発展させるための責務を、財政が一手に背負っていたからである。さらに、1929年に世界を襲った大恐慌以後に認められる大幅な国民経済の変調、第二次大戦後に展開されたわが国の復興、そして世界有数の経済大国への成長という、それぞれ質の異なる変化に対応し、あるいは主導するべく、財政は極めて柔軟かつ動態的に運営されてきている。

 その実態を経済学の用語を使用して要約するならば、現実の財政は、明治憲法の当時から、アダム・スミス流の、経済や国民の自由に対してできるだけ影響を与えないように中立的に運営されるそれではなく、後にケインズ等によって理論化されるフィスカルポリシーの具体的展開の場として、社会や国民に対して積極的に働きかける機能を持つ存在として活用されてきたのである。  しかるに、我が憲法学ではそうした実態を無視し、いまも夜警国家理念当時に構築された既成概念に寄り掛かって、その解釈論を展開してきている。例えば現実の予算は、明確に法規範としての形式を取る予算総則と、歳入歳出予算以下の別表の形を採る部分から成り立っているのであるから、法学の研究者としては、当然、その全体を一体的に理解しなければならない。しかし、学説的には、予算の中心は歳出予算であって、予算総則は財政法の一部に過ぎず、歳入予算は、単なる収入の予定であるとして、法規範性を否定し、ないしは軽視する説が通説といえる。

 しかし、フィスカルポリシーの下においては、こうした理解は明らかに誤りである。歳出予算額にの活動の基礎を定める部分として重要なのは当然であるがq、予算総則は、歳入歳出の総額を定め、債務保証その他、歳出に属さない財政活動を統制する部分として、政府が国の経済に働きかける重要な手段なのである。同様に歳入予算も国にとり、収入の規模やその態様のコントロールにより、国民経済に影響を与える重要な手段である。これらに法規範としての規制力が存在しなければ、憲法83条の国会中心財政主義はその意味の多くを失うのである。

 そのように現実を無視した憲法学の示す解釈が、現実の財政運営に少しの影響力も持たなかったのは当然であろう。逆から言えば、財政の憲法整合性は、学説による批判という健全なチェック機能を欠いたまま、全面的に官僚の手に委ねられるという危険な状態が、この一世紀もの間、存続してきたのである。

 特に現行憲法の下においては、民主主義と福祉主義を基調とする福祉国家を前提としなければならないから、財政民主主義原理の下、積極的な財政運営は、むしろ憲法上の責務であると解さなければならない。こうして83条以下の規定の解釈は大きく変わらなければならないのである。

 しかし、租税に関しては、問題が異なる。租税法律主義は、マグナカルタ以来の人類の自由獲得闘争の原点にあるものであるから、国家それ自体は福祉主義を基調とする場合でも、租税法は自由主義に基づく厳格な制約の下に運用されるものでなければならないからである。こうして、同じ財政の章の下にありながら、租税については、一般財政と異なり、依然として従来どおりの消極主義的解釈を維持しなければならない。

 本書は、こうした立場から、現行憲法の財政の章を、大きく二つに分けて取り上げることとなる。すなわち、冒頭に、両者の分類について述べた基調論文を序章としておき、その後、財政積極主義の立場から、現行憲法のよって立つ民主主義、福祉主義等の憲法原理を手掛かりとして憲法規定解釈することにより、より現実に密着した問題の提起を可能ならしめようと試みている第一部と、自由主義の下に、租税概念の実質的外延を探る第二部という構成になっている。

 なお、ここで取り上げた問題は、一人憲法学のみならず、行政法、租税法その他の諸法学、さらには財政学等隣接諸学問領域が交錯し、さらに実務がこれらの学問の直接、間接の影響の下に独自の発達を遂げている領域に属するものなので、これを論ずるに当たっては、多数の先達の見解を紹介する必要がある。そこで、文章が無用に煩雑になり、文字通りの拙文となるのを少しでも防ぐため、すべての敬称を省略させていただいたことを、予めお詫びしておきたい。

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