憲法人権論第4回

                            甲斐素直

幸福追求権と人権の本質

一 幸福追求権の性質

(一) 幸福追求権に関するかつての学説

  1 基本権総称説

「それは具体的な特定の権利又は自由に関する規定ではなく、すべての権利及び自由の基礎たるべき個人の人格を尊重することを、国政の基本として宣言しているのである。」(美濃部達吉)

 ⇒プログラム規定ないし倫理規定と理解し、具体的な権利性を認めない。

  2 実定的権利保障規定説

「以下の各条に、憲法が例記する基本的人権に限定せず、一般に個人の生命自由及び幸福追求の権利を尊重しなければならない趣旨を包括的に表現したもの」であって、「注意的な概括的保障を認めたものである。」(兼子一)

  参考:米国憲法修正9条

「この憲法に一定の権利を列挙したことを持って、人民の保有する他の諸権利を否定しまたは軽視したものと解釈してはならない。」

 当時は、わが憲法の人権カタログに、特に不足を感じてはいなかったため、こうした考え方で十分であった。

 

(二) 包括的基本権の必要性

 高度成長経済・情報化社会と新しい人権の必要性

 人権カタログに載らない基本権の出現⇒判例による容認

プライバシー:宴のあと事件=東京地裁昭和39年9月28日=百選138頁
肖像権    :京都府学連事件=最判昭和44年12月24日=百選42頁
環境権    :大阪空港騒音訴訟=最大昭和56年12月16日=百選58頁
 

  解釈論である以上、根拠規定が必要である。⇒13条幸福追求権

 

(三) 包括的基本権の法的権利性について

 否定的な見解の例

「具体的権利となるためには権利の主体とくにそれを裁判で主張できる当事者適格、権利の射程範囲、侵害に対する救済方法などが明らかにされねばならず、これらは13条のみから引き出すことはむずかしい」

(伊藤正己『憲法』新版、229頁)

 

二 人権の本質論争について

 包括的基本権の存在を肯定する場合、13条以外の客観的基準から、伊藤正己の指摘したような諸元を引き出す必要が発生する。それは、結局のところ、現行憲法の保障する人権の本質論そのものとならざるを得ない。

(一) もともとは天賦人権=自然権と考えていた。(米国独立宣言第2節参照)

 

(二) 法実証法主義を採る今日の法学で、自然権として人権を説明することは不可能

「今日多くの国では、人権を承認する根拠として、もはや特に神や自然法を持ち出す必要はなく、『人間性』とか、『人間の尊厳』とかによって根拠づけることでじゅうぶんだと考えている。」

(宮沢俊義『憲法U』新版、有斐閣法律学全集4、78頁)

「人権を承認する根拠に造物主(神)や自然法を持ち出す必要はもはやなく、〈中略〉『人間の固有の尊厳に由来する』と考えれば足りる。」

(芦部・憲法74頁)

 

(三) 今日の憲法学者の多くは、必ずしも『人間の尊厳』だけで、人権が説明できる、とは考えていない。

  ⇒自明の理というだけでは、同様の直観論に対抗できない

「人間は何故に『固有の尊厳』を持つのか。いうところの『人間性』とは何であり、そこからどのようにして人権が基礎づけられるのか。この問いに答えることは難しく、実際哲学などの領域で種々の探求が行われているところである。ここでそれらに立ち入る余裕はないが、ごく単純化していえば、人権とは、人が人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在としてあり続ける上で不可欠な権利であると解される。かかる権利は、道徳理論上各人に生まれながらにそなわる権利であり、その意味において、普遍的な道徳的権利である。したがって、道徳的権利としての人権は、国家の承認をまってはじめて存在する権利ではない。」

(佐藤幸治『憲法』第3版、青林書院、392頁)

 

三 本質に関する人格的利益説と一般的自由説の対立

(一) 人格的利益説(論者:芦部信喜、佐藤幸治、佐藤功、種谷春洋、辻村みよ子等)

「人権は、『すべての人間が、無条件にかつ不可変的に、等しく保持する、基本的な重要性を持つ種類の道徳的権利』と解したい。〈中略〉権利やルールが上から、例えば全能の主権者によって与えられる法体系のごときものを想定するのでなければ、法的・実定的権利の基礎として『道徳的権利』を想定しなければならないのではないか。」

(佐藤幸治『現代国家と司法権』有斐閣、496頁)

  ⇒人間を道徳的、合理的存在と見て、その内包を道徳哲学的に探求する

  ⇒自律的な個人

「前段の『個人の尊厳』原理と結びついて、人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在であり続ける上で必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利である」(佐藤『憲法』第三版445頁)とした。さらに人格的自律を敷衍して「それは、人間の一人ひとりが”自らの生の作者である”ことに本質的価値を認めて、それに必要不可欠な権利・自由の保障を一般的に宣言したもの」(同448頁)

 より根元的な「『秩序ある自由の観念に含意されており、それなくしては正義の公正かつ啓発的な体系が不可能になってしまう』ものであるとか、『基本的なものとして分類されるほど、わが国民の伝統と良心に根ざした正義の原則』であると説かれ、どの権利が基本的であるかを裁判官が自己の個人的な観念に基づいて決める自由は存しない」

(芦部信喜、『憲法学U』348頁より)。

 

(二) 一般的自由説(論者:橋本公宣、阿部照也、内野正幸、阪本昌成、戸波江二等)

 「人間存在の特異性は、人格的であるとか、理性的であるとかいった、超越論的な共通点にあるのではない。人間は感じ方から生活様式まで、それぞれに異なって、独自的な存在である点に人間の特異性があるのである。法や憲法典の存在理由は、人間を人格的存在として平等に扱うことにはない。その存在理由は、各人が、有限知の中で、それぞれの個別性を基礎にしながら、自由にその自己愛を最大化できるよう共通の条件を整備することにある。」「自由の価値と意味は、自由が侵害されてはじめてわかる。自由は個別的に侵害されて、その姿を徐々に現すのである。」「憲法典の制定目的は自由の保障にある。」

           (阪本昌成『憲法理論U』成文堂、69〜73頁)

 

注:教科書には、今一説「人格核心説」というものが紹介されていることがある。しかし、これはドイツ基本法2条1項の解釈論としてドイツに存在する少数説であって、わが国ではこれを主張するものは皆無(参照芦部憲法学U342頁)だから、普通は論及する必要はない。

 

(三) 人権のインフレ化に対する考え方

  1 人格的利益説からのアプローチ

「確かに幸福追求権という観念自体は包括的で外延も明確でないだけに、その具体的権利性をもしルーズに考えると人権のインフレ化を招いたり、それがなくても、裁判官の主観的価値判断によって権利が創設されるおそれもある。(改行) しかし、幸福追求権の内容として認められるために必要な要件を厳格に絞れば、立法措置がとられていない場合に一定の法的利益に憲法上の保護を与えても、右のおそれを極小化することは可能であり、またそれと対比すれば、人権の固有性の原則を生かす利益の方が、はるかに大きいのではあるまいか。この限度で裁判官に、憲法に内在する人権価値を実現するため一定の法創造的機能を認めても、それによって裁判の民主主義的正当性は決して失われるものではないと考えられる。こう考えると、幸福追求権の内容をいかに限定して構成するか、ということが重要な課題となる。」

   (芦部信喜『憲法学U』341頁)

⇒幸福追求権の保障範囲は「人格的生存に不可欠な重要事項」に限定されることになる。

⇒服装、髪型、喫煙、飲酒、オートバイに乗ること等には直接には及ばない

  ただし、それらの自由への恣意的制限がなされた場合には、「個人の尊重」原理や平  等原則に違反することはあり得る。

 

  2 一般的自由説からの反論

「およそ国家権力を制限して個人の権利・自由を擁護することを目的とする近代立憲主義の理念に照らせば、個人の自由は広く保護されなければならない。〈中略〉一般的自由説の立場に立った場合でも、個人の自由な行為に対する制限が全て直ちに違憲になるわけではない。制限が合憲かどうかは、制限の根拠・態様・程度などを検討して、制限に合理的な正当化事由があるかどうかによって判断される。その際に、人権保障のうちで人格的な行為をより強く保障するのは妥当であるので、一般的行為自由のうちで、人格に関する行為とそうでないものとの間で違憲審査の厳格度に段階を付けることが妥当であろう」

(戸波新版176頁)

 

  3 判例

「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、ところにおいて保障されなければならないものではない。」

最高裁昭和45年9月16日=百選4版 36頁

 

四 基本的人権の限界

(一) 人格的自律説から来る限界

人を殺す権利、人のものを盗る権利などは、そもそも考えられるか?

(二) 自己加害の禁止=パターナリズムPaternalism(父親的温情主義)

  初期の定義

優越的立場にある者による、強制される人の福祉、幸福、利益、価値などのために正当化される、他者の行動の自由に対する干渉


○強制という要素は不要

例えば浪費者保護のために、現金ではなく現物で給付を行う場合、パターナリズムの存在が認められるが、強制は存在していない

○行動の自由に対する干渉という要素も不要思想やプライバシーに対する干渉でもパターナリズムが考えられる