憲法人権論第12

政教分離の原則

甲斐素直

一 政教分離の意義

(一) 政教分離の「政」の概念

 国家と宗教の分離

  ⇒「国教分離」という表現の方が、本当は正確

 

(二) 政教分離の「教」の概念

  国家と教会(宗教団体)の分離separation of Church and State

or

  国家と宗教の分離 separation of Religion and State

 

(三) 政教分離の形態

 1 部分的分離主義

 一定の宗教を国教として認めることをせず、また、すべての宗教団体を社団として認めるが、それらの社会的重要性、人心に対する良好な影響等を考慮して、公法上の社団として他の普通の社団よりも有利な待遇を与える

例:ドイツ基本法73項「宗教教育は、宗派に関わりのない学校を除いて、公立学校においては正規の授業科目である。宗教教育は、国の監督権を妨げることがなければ、宗教団体の教義にそって行われるものとする。いかなる教師も、その意思に反して宗教教育を行うことを義務づけられるものではない。」

 同140条:ワイマール憲法136条〜139条および141条の規定は「この基本法の構成要素である」

 ワイマール憲法1375項「宗教団体は、従来公法上の団体であった限りにおいて、今後も公法上の団体である」

 同6項「公法上の団体たる宗教団体は、市民的課税台帳に基づき、州法の規定の基準にしたがって、課税する権利を有する」

 2 完全分離主義

 宗教団体を公法人とする等、国の活動の一部に組み込むことは認められない。しかし、宗教に対する好意的な立場から、すべての宗教団体に対して、一般私法の社団法の基礎の上に、一様に結社の自由が認められる。

例: 米国=政教分離とは、国教の禁止を意味する。

 米国憲法第1修正「連邦議会は、国教を樹立し、または宗教上の行為を自由に行うことを禁止する法律〈中略〉を制定してはならない」

 3 敵対的分離主義

 宗教団体の組織権を一般私法の枠内で認める点では完全分離主義と同様であるが、反宗教的な立場から、他の社団に許容する自由を宗教団体に関しては根本的に制限する

 ⇒かつてのフランスやソ連

 1789年フランス人権宣言には信教の自由の保障条項はない。

注:現在のフランスは、完全分離主義である。

 現行第5共和制憲法において信教の自由に関わりのある唯一の規定

1条「フランスは、不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは出生、人種または宗教による差別なしに、法の前の平等を保障する」

 国家の非宗教性Laicite de l'Etat:国家が本質的に非宗教的な現象であることを意味する表現で、教会および宗教に対して、無視とは行かないまでも、少なくとも公平、中立な態度をとるべきことを要請する、とされる。

二 我が国における政教分離

(一) わが国における分離形態

 1 わが国信教の自由の大きな特徴

 宗教を信じない自由が強調される

⇒無宗教者が非常に多いため、宗教を等しく有利に扱うことは、宗教を信じない自由を侵害することになる。

判例の見解

「我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。」(津市地鎮祭=愛媛玉串訴訟=最高裁判所判決より引用)

⇒例えば学校や軍隊に、各宗派の聖職者を聖職者としての資格において公務員として受け入れることが許されない

 2 宗教は、個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴う

⇒教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触する

⇒国政と宗教の完全分離は不可能である。

例1:特定宗教と関係のある私立学校に対しても、一般の私立学校と同様な助成をする必要がある。

例2:文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出する必要がある。

例3:刑務所等における教誨活動は、宗教的色彩を帯びるのが普通である。

 3 宗教が風化して、宗教行事が、一般慣習と化している場合がある。

例1:一週を7日とし、日曜日を休みとするのはキリスト教の教義に基づく。

例2:七夕やクリスマスは、近時では宗教意識とは関係なく祝う傾向がある。

(二) 3項の趣旨に関する学説の対立

 1 判例通説の見解=制度的保障説

「元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」

(箕面忠魂碑訴訟最高裁判決=判例T 100頁参照)

 2 人権説(芦部信喜)

「政教分離と個人の(その意味では狭義の)信教の自由とは、広く信教の自由を構成する両側面として、統一的に理解するのが正当だと言えよう。〈中略〉分離と自由は、分離は自由を保障し自由は分離を要請する関係にある、というように解すべきである。〈中略〉政教分離原則と狭義の信教の自由とを統一的に解するといっても、政教分離原則の違反を理由として(住民訴訟による場合は格別)直ちに違憲訴訟が一般的に認められるわけではない。」

(芦部信喜『演習憲法』新版、81頁以下より引用)

 これに対する批判=「政教分離原則の侵害の有無は、憲法20条2項の宗教の自由侵害の有無と異なり、個人に対する『強制』の要素を必要としない。すなわち、国又は地方公共団体が行政主体になって特定の宗教活動を行えば、一般市民に参加を強制しなくとも、それだけで政教分離原則の侵害となる。政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害となることを恐れなければならない」(津市地鎮祭、名古屋高裁判決より引用。) 

 3 制度説(佐藤幸治)

「抽象的には『制度的保障』が人権保障の強化に役立つと考えられるとしても、その『制度』の捉え方如何が大きな問題であるし(その『制度』は、一般に、歴史的・伝統的に形成された客観的制度であると説かれる)、人権と『制度』とがいつの間にか主客転倒し、人権の内容が制度によって規定され、人権が制度によってのみ存在するかのごとき事態が発生する危険が懸念される。したがって、権利の保障が、歴史的・伝統的に形成されて明確な内容を持つ客観的制度と不可分に結びついている場合は別として、安易に『制度的保障』の理論による必要はない。今日自由権を実現するため、法律による制度的裏づけを必要とする場合が多いがその場合自由権の内容にあわせて制度が不断に検討されるのであって、『制度的保障』の理論による必要はない。〈中略〉憲法は、信教の自由の保障を全うするため、国教制度の内容を定めてそれを明確に忌避(政教分離原則の明確化)しているのであって、制度を積極的に創設することにかかわる『制度的保障』の理論によるべきではないと解される。」

(佐藤=第3398頁)

 4 客観的禁止原則説(戸波江二)

「政教分離原則は、それを制度的保障と呼ぶかどうかにかかわらず、個人の人権ではなく、国家が宗教に関与することを客観的に禁止する原則と見るのが妥当である。ただし、それは個人の信教の自由を強化・確保するためのものであって、したがって、国家と宗教の分離は厳格な分離でなければならない。」(『憲法』198頁)

(三) 判例の見解

 1 津市地鎮祭事件最高裁判決(最大昭和52713日=判例T 98頁)

目的効果基準の導入

「政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。〈中略 203項にいう〉宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。」

 目的効果基準とレモンテストの異同

「芦部先生は、1977年の津市地鎮祭事件最高裁の少数意見の方に本当は賛成しておられたが、判例としては目的効果基準説が定着しているので、実践的見地からこれを厳しく読むことはできないか、として論陣を張られた。それで、精力的にアメリカの判例を調べられて、レモンテストというものを一つの基準にする。これは、@世俗的目的を持ち、A主要な効果が宗教を促進したり抑制したりせず、B宗教との過度の関わり合いをもたらさないという、三つの条件です。〈中略〉レモンテストと比べてみると、こちらでは『関わり合い』というのが注目されていない。それからレモンテストでは、@ABのどれかに当たれば違憲であるのに対して、日本の最高裁の場合は、全部当てはまらなければ違憲とならないと考えているようだ。このようにして、日米憲法判例比較の末に日本の判例を批判するというのが戦後憲法学の通説的な議論と思われます」(山元教授の意見:日本評論社刊『憲法判例に聞く』64頁より引用)

 2 愛媛玉串訴訟(最大平成942日=百選T 102頁)

(1) 目的効果基準の変容

 裁判官可部恒雄の反対意見より引用

「津地鎮祭大法廷判決が判例法理として定立した目的・効果基準とは、(1)当該行為の目的が宗教的意義を持つものであること、及び(2)その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であること、の二要件を充足する場合に、それが憲法203項にいう「宗教的活動」として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモン・テストにおいて、a目的が世俗的なものといえるか、b主要な効果が宗教を援助するものでないといえるか、c国家と宗教との間に過度のかかわり合いがないといえるか、の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう。」

(2) エンドースメント・テストEndorsement testの導入

「本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことからすれば、地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。」

エンドースメントテスト=過度の係わり合いの審査基準

米国最高裁判所のLynch v. Donnelly1984)判決の同意意見で、オコナー判事が提唱し、Wallace v. Jaffree(1985)判決で発展させた基準。「宗教を是認または否認するメッセージを政府が送っているかどうか」、すなわち「その宗教を信じない者に、その者たちがよそ者であり、政府共同体の全き構成者ではないとのメッセージを送り、信仰者に仲間うちの者であり優遇される者であるとのメッセージを送る」かどうかを政教分離原則違反かどうかの判定基準とする。

(3) 判例理論の問題性

「この基準は、国家と宗教との一定の関わりを前提とするものであって、必ずしも厳格な基準というわけではない。しかし、国家と宗教との間に線を引くための基準として一応の妥当性を有し、また日本の判例でも一般的な基準となっている以上、この基準を基本的に維持して三要件違反の有無を厳格に審査し、他方で、国家行為の宗教性を具体的・実質的に判断していくのが妥当であると思われる。」戸波=新版227