憲法第3回
甲斐素直
人権総論(その2)
人権の主体及び包括的基本権
一 人権の主体
(一) 天皇及び皇族の人権
天皇及び皇族も人間であり、日本国民である。
⇒人間であることに基づく権利は当然に認められる。
⇒日本国民であることに基づく権利は原則として認められる。
2条)→職業選択の自由は認められない憲法が定める天皇の地位から、必要最小限度の制約が生ずる
○皇位は世襲である(憲法
○国政に関与する権限を持たない(同
4条)→参政権は認められない、等
(二) 法人その他の団体の人権
人権は、本来は自然人にだけ認められる
⇒今日においては、社会の中における団体の活動を無視できない
「法人の活動が自然人を通じて行われ、その効果は究極的に自然人に帰属することに加えて、法人が現代社会において一個の社会的実在として重要な活動を行っていることを考えあわせると、法人に対しても一定の人権の保障が及ぶと解するのが妥当であろう」
(芦部信喜『憲法』新版・補訂版87頁より引用。)
⇒人権規定は、その性質の許す限り、法人にも適用される
例:八幡製鉄政治献金事件(最高裁昭和
45年6月24日判決)自然人によって構成されている団体だけが、主体性を認められる。
例:財団法人は人権の主体とはならない
自然人とだけ結合して考えられる人権は、法人等には認められない
例:参政権、生存権、人身の自由、等
(三) 外国人の人権
1 原則として外国人と日本人とで人権差別はできない。
例:表現の自由は
“国境とのかかわりなく”認められる(国際人権B規約19条2項)。
←反対:マクリーン事件(最高裁53年10月4日判決=百選第5版6頁)
⇒権利の性質に応じて、特定の外国人について差別可能な場合がある(権利性質説)
(1) 定住外国人
@日韓法的地位協定等による朝鮮系・中国系永住権者
A入管法に基づく一般永住権者
B定住者(相当期間日本に定住して生活を営んでいる者)
(2) 難民
@難民条約による難民
Aいわゆる経済難民
(3) 一般外国人
@正規の入国者・滞在者
A不法入国者・滞在者
2 日本国民であることに基づく権利は原則として認められない。
各国が自らの意思により認めることを否定するものではない例:参政権、公務就任権(国際人権B規約25条)
7年2月28日判決=百選第5版12頁)参照:外国人地方選挙参政権請求(最高裁平成
外国人の種類と人権の性質とにらみ合わせて個別に決定していく必要がある
(四) 未成年者の人権
未成年者が人権の享有主体であることに問題はない。
⇒人権制限は、福祉主義の要請から理解しなければならない 参照:パターナリズム
○ 児童の権利に関する条約の批准により、無制約な制限には歯止めがかかった。
○ 選挙権・被選挙権は、公務としての側面から一定以上の行為能力が要求されるの であって、未成年保護制度としての人権制限論として捉えてはいけない。
1 児童の能力の画一的取り扱いの可否
○ 本来、児童の能力は個人差があるので、年齢で、画一的に取り扱うことは問題。
○ 人の大きな集団を一律に取り扱う場合には、個別に審査することは不可能なので、その場合に限って画一的取り扱いが許されることになる。
例
14才(刑事未成年=刑法41条)
15才(労働年少者=労働基準法56条)
18才(少年=児童福祉法4条、天皇等の成人年齢=皇室典範16条)
医師法、弁理士法等の20歳以上という画一的資格要件の定めには、違憲の疑い?
2 非定型的場面における未成年者人権の制約とその限界
校則による人権制限の問題点
⇒教育法学における通説的な理解に依れば、それは在学関係は契約と理解されるから、校則は、契約条項の一部を構成することになる。したがって児童生徒の側の明示又は黙示の同意を有効要件とすることになる。⇒それに依っていると見られる判例:バイク・パーマ(東京地裁平成
3年6月21日)
二 包括的基本権
(一) 包括的基本権の必要性
高度成長経済・情報化社会と新しい人権の必要性
↓
人権カタログに載らない基本権の出現⇒判例による容認
プライバシー、肖像権、環境権等
解釈論である以上、根拠規定が必要である。⇒
13条幸福追求権(二) 包括的基本権の法的権利性について
13条から引き出すことができるか?具体的権利となるためには権利の主体とくにそれを裁判で主張できる当事者適格、権利の射程範囲、侵害に対する救済方法などが明らかにされねばならない
⇒これらを
1 今日の憲法学者の多くは、必ずしも『人間の尊厳』だけで、人権が説明できる、とは考えていない。
⇒自明の理というだけでは、同様の直観論に対抗できない
3版、青林書院、392頁)二大学説の対立
○ 人格的利益説(多数説)
「しかし、人間は何故に『固有の尊厳』を持つのか。いうところの『人間性』とは何であり、そこからどのようにして人権が基礎づけられるのか。この問いに答えることは難しく、実際哲学などの領域で種々の探求が行われているところである。ここでそれらに立ち入る余裕はないが、ごく単純化していえば、人権とは、人が人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在としてあり続ける上で不可欠な権利であると解される。係る権利は、道徳理論上各人に生まれながらにそなわる権利であり、その意味において、普遍的な道徳的権利である。したがって、道徳的権利としての人権は、国家の承認をまってはじめて存在する権利ではない。」(佐藤幸治『憲法』第
○ 一般的行為自由説(有力説=例えば戸波江二・新版175頁以下参照)