憲法第7回  自由権論その4

 甲斐素直

信教及び学問の自由

一 信教の自由

(一) 宗教概念について

  1 わが国における宗教概念の特殊性

 欧米流の宗教は「特定の教祖、教義、教典を持ち、かつ教義の伝道、信者の教化育成」等を目的とする

 わが国の神道の本質は「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、至高の存在等。なかんずく、神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」であるにすぎない(津市地鎮祭名古屋高裁判決から引用。)⇒祭祀宗教

  2 明治時代、神道は宗教ではない、とされた。

「いわゆる国家神道または神社神道の本質的普遍的性格は、宗教ではなく国民道徳的なものであり、神社の宗教性は従属的、偶然的性格である」

⇒明治15年、神官の教導職の兼補を廃し、葬儀に関与しないものとする旨の達を発し、神社神道を祭祀に専念させることによって宗教でないとする建前をとる

    ⇒その行事に参加することは臣民としての義務とされた。

事実上国教化し、国家神道の体制を固める

 旧憲法28条の信教の自由「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」

⇒安寧秩序や臣民の義務に抵触すると解された場合には、法律を要せず、警察命 令によって取り締まることが可能と解釈されていた。

 

(二) 信教の自由の概念内容

  1 内心の信仰を表白する自由の保障

 ○ 表白しない自由⇒踏み絵の禁止

 ○ 表白する自由 ⇒信仰による差別待遇の禁止

  2 宗教活動の自由の保障

  (1) 消極面⇒20条2項

  儀式や祝典への参加拒否だけを規定

⇒神道は祭祀宗教であるため、その前段階である布教活動を持たない

  通常の宗教が行う布教活動を、拒絶する自由も、当然にこの保障に含まれる。

  (2) 積極面

@ 学校の体育において剣道か柔道を必修とすることと、格闘技を拒否する信教の自由

(最判平成8年3月8日=判例T 96頁)

A 宗教上の理由による輸血の拒否(平成12年2月29日 )

B 殉職した自衛隊員(本人は無宗教)を護国神社が合祀する自由と、キリスト教徒である妻の信教の自由          (最大昭和63年6月1日=判例T100頁)

C 加持祈祷による傷害致死      (最大昭和38年5月15日=判例T 86頁)

D 牧会活動による犯人蔵匿   (名古屋簡裁昭和50年2月20日=判例T 90頁)

 

  3 宗教における結社の自由の保障

  (1) 消極面=結社への参加拒否の自由⇒誘拐、薬物によるマインドコントロール

  (2) 積極面

@ 結社の自由            (最判平成8年1月30日=百選T 88頁)

A 結社内における自治権     いわゆる部分社会の法理⇒百選U 408頁、410頁

(三) 政教分離の原則

  1 基本的な問題

 わが国信教の自由の大きな特徴

(1) 宗教を信じない自由が強調される⇒無宗教者が非常に多いため、宗教を等しく有利に扱うことは、宗教を信じない自由を侵害することになる。

⇒例えば学校や軍隊に、各宗派の聖職者を聖職者としての資格において公務員と  して受け入れることが許されない

(2) 宗教は、個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴う

⇒教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触する

⇒国政と宗教の完全分離は不可能である。

例1:特定宗教と関係のある私立学校に対しても、一般の私立学校と同様な助成をする必要がある。

例2:文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出する必要がある。

例3:刑務所等における教誨活動は、宗教的色彩を帯びるのが普通である。

(3) 宗教が風化して、宗教行事が、一般慣習と化している場合がある。

例1:一週を7日とし、日曜日を休みとするのはキリスト教の教義に基づく。

例2:七夕やクリスマスは、近時では宗教意識とは関係なく祝う傾向がある。

  2 3項の趣旨に関する学説の対立

  (1) 判例通説の見解=制度的保障説

「元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」箕面忠魂碑訴訟最高裁判決=判例T 108頁参照)

  (2) 客観的禁止原則説(戸波江二)

「政教分離原則は、それを制度的保障と呼ぶかどうかにかかわらず、個人の人権ではなく、国家が宗教に関与することを客観的に禁止する原則と見るのが妥当である。ただし、それは個人の信教の自由を強化・確保するためのものであって、したがって、国家と宗教の分離は厳格な分離でなければならない。」(『憲法』198頁)

  3 政教分離の判断基準

@ 津市地鎮祭事件最高裁判決(判例T 98頁)

   目的効果基準の導入

 ⇒ 学説の批判 アメリカ=レモンテストの準用 目的・効果・過度の関わり合い

A 愛媛玉串訴訟(最大平成9年4月2日=百選T 102頁)

 レモンテストの導入

  過度の関わり合いか否かの判定基準

   エンドースメント・テストの導入

「宗教を是認または否認するメッセージを政府が送っているかどうか」、すなわち「その宗教を信じない者に、その者たちがよそ者であり、政府共同体の全き構成者ではないとのメッセージを送り、信仰者に仲間うちの者であり優遇される者であるとのメッセージを送る」かどうかを政教分離原則違反かどうかの判定基準

 

二 学問の自由

(一) 学問の自由の分類

表現の自由 学問の自由
@ 情報受領権→ 学問的真実の研究の自由  
A 情報収集権 →  
B 情報発信権 → 研究成果発表の自由  教授の自由
成果刊行の自由

 

(二) 学問の自由の限界

「公共の福祉」の制約に服することは当然

=学問研究が社会に深刻な影響を与える可能性がある

例:   

心臓移植

   P4問題(遺伝子操作)

ダイナマイト・原爆

   遺伝子操作・クローン

 

  問題は、公共の福祉の判断権者

「時の政府の政策に適合しないからといって、戦前の天皇機関説事件のように、学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない。『学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探究のためのものであるという推定が働く』と解すべきであろう。」(芦部信喜156頁)

⇒時の為政者に判断権を認めることは許されない

通説

 「研究者の自主的・倫理的な自己規制に委ねるべきである」

(注解法律学全集 憲法U 121頁)

   学問内部における自主規制?  倫理委員会等

「人クローンについて、クローン技術等の規制に関する法律」の合憲性

 

(三) 家永教科書訴訟と研究成果刊行の自由(百選T 190頁及び192頁参照)

  1 教科書として出版する自由と検閲の該当性

  2 メディアの種類による情報伝達力の差異

 

三 大学の自治〈制度的保障〉

(一) 不可侵の中核

  1 団体自治 国家の干渉からの自由

  2 教授自治 内部における民主的意思決定

 

(二) 大学の自治の主体

 わが国における大学の自治における慣行=教授会が最終的な意思決定機関として活動

   →教授だけが大学の自治の主体ではない。=教授会は研究者の相違を反映

 →助教授、講師、助手、大学院生については異論がない

  ○ 学部学生の主体性

   ポポロ事件最高裁判例(百選T 184頁参照)

    =学生は、単に大学という営造物の利用者であって、自治の主体ではない

   疑問点=教授の自由としての学生の存在の不可欠性

 

(三) 大学の自治の範囲

  自治の4要素

  1 自主立法権

学則

  2 自主行政権

学長、教授等の人事権(百選188頁)

学生に対する入学、自主退学の認定、単位認定等の権利

  3 自主司法権(内部的懲罰権)

学生に対する懲戒としての停学、退学

  4 自主財政権

   特に問題となるのが、自主財政権が国立大において、どの限度で認められるか