憲法第9

甲斐素直

社会権ないし生存権的基本権

一 問題の発見

19世紀の憲法の基本的人権の内容は『自由』という色彩にいろどられている」のに対し「労働の能力と意欲を有するものはすべてのそれによって幸福な生存を保つことができるように、国家が特別の配慮をするということであるから、生命・自由・幸福追求物質的手段として『労働の権利』を保障する20世紀の憲法の基本的人権の内容は『生存』という色彩に彩られている」という質的差異があるので「19世紀の憲法の特色をなすものを『自由権的基本権』と呼び、20世紀の憲法の特色をなすものを『生存権的基本権』と呼ぼう」我妻栄「基本的人権(昭和21年)」より引用

 

二 生存権的基本権と社会権の異同

(一) 生存権的基本権 自由権的側面と国務請求権的側面

(二) 社会権 一つの条文に社会権と自由権を読む

どこで二つの権利を切り換えるかが問題となる

 

三 社会権の特徴

一般に、自由権とか平等権という人権概念は、どの学者もほぼ同一に捉えているので、概念内容を説明することなく、論文の中で使用して構わない。しかし、この生存権的基本権ないし社会権という概念は、学者ごとにかなり概念内容が異なり、未だ定説を見ない。 本講義では、芦部説にしたがって定義をする。

 国に対する作為請求権⇔自由権=国に対する不作為請求権

自由権の場合には、国民は、その権利を積極的に行使する自由と消極的に行使しない自由の両者をもっている。

社会権の場合には、国民は、その権利を積極的に行使する自由はもっているが、消極的に行使しない自由は持たない。

 例: 生存権はあるが、死ぬ自由はない。

教育を受ける権利はあるが、教育を受けない権利はない。

労働者として団結する権利はあるが、団結しない自由はない。

 

四 給付行政 Leistungsverwaltung=社会権に対応した国家活動

生活配慮 Daseinsvorsorge⇒国民生活に不可欠な事業を国として配慮することを通じて、国民福祉を積極的に向上、増進さるためになされる行政活動を意味する。

  ⇒生活配慮こそ、憲法25条が国に要求している作為義務の内容である。

  1 供給行政(公共事業)

  (1) 健康な生活の基盤整備事業

    電気、ガス、上下水道、塵芥処理等の施設整備、建築基準法

  (2) 経済活動の基盤整備事業

    道路、鉄道、港湾等の施設整備

    登記、登録、手形・小切手等取引の安全保護制度整備

  (3) 文化的生活の基盤整備事業

    学校、公民館、図書館、公会堂、電話、郵便、テレビ、ラジオ等の施設整備

  2 資金助成行政

  (1) 補助金の交付

政府、地方公共団体又は公団、事業団による交付

  (2) 資金の貸付

各種金融公庫等を通じる貸付

  (3) 資金の出資

会社の設立等への資金の出資

  (4) 債務保証

各種公的団体への信用供与

  3 社会福祉行政

  (1) 社会保険

    健康保険(健康保険、国民健康保険、船員保険、共済組合)

年金保険(国民年金、厚生年金、共済組合)

労働保険(失業保険、労働災害保険)

  (2) 公的扶助

@ 生活保護

生活保護法

A 社会福祉

児童福祉法、身体障害者福祉法、精神保健法、精神薄弱者福祉法、老人福祉法、 母子保健法、老人保健法

B 公衆衛生

伝染病予防法、予防接種法、性病予防法、結核予防法、らい予防法

検疫法、麻薬及び向精神薬取締法

医事法、薬事法、保健所法

C 失業対策

失業対策法

 

五 生存権

 社会権の総論的規定=26条以下の規定で読めない社会権は、すべて本条を根拠とする。

法的権利の分類

  • プログラム規定

  • 法的権利

  •  抽象的権利

  • 立法府や行政府にその実現を請求する権利

  • 具体的権利

  •  裁判所にその実現を請求できる権利

  •  25条の法的拘束力

    (一) これほど膨大な行政領域について、すべて同等に判断可能とは考えられない。

      1 プログラム規定領域  供給行政?

     

      2 抽象的権利領域 資金助成行政?

     

      3 具体的権利領域 社会福祉行政?

     

    (二) 従来の理論の発想

    ⇒プログラム説から具体的権利説に至る学説の対立においては、その結論が、裁判 所が最終判決を下すか否かを必然的に決定すると考えていた

    ○ 今日の憲法訴訟理論の下では、そのような硬直的な構造を考える必要はない。

    2重の基準論によれば、供給行政や資金助成行政は一般に、経済的自由権にかかわる問題となり、合理性審査基準によることになる。

     

    六 国の不作為の訴訟での争い方

     社会国家では、国による権利の侵害訴訟は、すべて、国の不作為の不当性を争うこととなる。⇒行政、立法の両者について問題となる

     

    (一)国の不作為を裁判の場において争う方法として理論的に考えられるもの

    @通常訴訟の枠内で争点となったときに争う方法、

    A不作為により損害を受けたとして国家賠償法により争う方法、

    B作為義務存在確認の訴えを起こす方法。

     

    (二) その実際の事例

      1 通常訴訟の枠内で争うことは可能

      (1) 行政の不作為については既に多数の判例がある。

    朝日訴訟その他

      (2) 立法の不作為についても確認されている。

    堀木訴訟、衆議院議員定数違憲訴訟等

      2 国家賠償法の枠内で争うことは困難

      (1) 行政の不作為について可能であることに関しては既に多数の判例がある。

    ○ 換地上の建物除去を怠った行為に対して土地区画整理施行者の責任を認めた事例(最判昭和461130日)

    ○ 粗暴性があると認められる泥酔者から警官がナイフを取り上げなかったところ、傷害事件を起こした事例(最判昭和57年1月19日)、

    ○ 旧陸軍の砲弾が海岸に多数打ち上げられ、警察として危険と認識していたが、何もしないでいたところ人身事故が起きた事例(最判昭和59年3月23日)

      (2) 立法の場合には通説は承認しているが、最高裁判例は否定

    在宅投票制度廃止が争われた事件において、議員無答責(憲法51条)を根拠に「立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り」国家賠償請求はできないとした

    (最判昭和601121日第1小法廷=百選426頁)。

    ○ 判例変更の可能性

     熊本ハンセン病事件判決(熊本地裁平成13511日)

    「右の最高裁昭和60年11月21日判決は、もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする。右判決は、その論拠として、議会制民主主義や多数決原理を挙げるが、新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されているのであって、右論拠は、本件に全く同じように妥当するとはいえない。〈中略〉「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」ことは、立法行為の国家賠償法上の違法性を認めるための絶対条件とは解されない。〈中略〉右一連の最高裁判決が「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」との表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである。新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性にかんがみれば、他にはおよそ想定し難いような極めて特殊で例外的な場合として、遅くとも昭和40年以降に新法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。

     

      3 作為義務存在確認訴訟

    行政の場合には、行政に不作為の違法確認の訴えが認められている。

    立法の場合には、具体的事件性を欠くので、原則として不可能

     

    (三) 立法の不作為に違憲性が認められるための要件

      1 憲法上の立法義務の存在(明示or黙示)

        @ 河川付近地制限令事件(百選222頁)、

        A 衆院議員定数違憲判決(百選326頁)等参照

    行政の場合には、法律上作為義務があればよい。

      2 相当の猶予期間

      @立法の場合

         衆議院議員定数違憲訴訟(最大昭和58117日)百選  328

      A行政の場合

     朝日訴訟東京高裁判決

    昭和318月時点では低額に過ぎた。

    ⇒昭和3241日に改訂された。