憲法講義第17回

              甲斐素直

天皇と内閣及び国会の関係

一 天皇制と天皇の地位にある自然人の関係

 イギリス法の場合

自然人としての王⇒King

制度としての王  ⇒Crown

  例:ウェストミンスター憲章(イギリス連邦の基本法)前文

「王Crownは、イギリス連邦所属国の自由な連合の象徴Symbolであり、連合諸国は、王Crownに対する共通の忠誠によって結合されている」

わが国憲法第1章「天皇」は、制度としての天皇を定めている。

 

二 象徴天皇制

(一) 象徴概念の内容

 象徴:無形の抽象的な何ものかを、ある物象を通じて感得せしめる場合に、その物象を前者との関係においていう。つまり、無形の観念を、有形のものの持つ観念を通じて感得させるのが、象徴である。

 桜という物が国花として、また雉という動物が国鳥としてそれぞれわが国の象徴とされるが、そこでいう桜や雉が現実の生物そのものを意味しているのではなく、桜や雉という観念である。

(二) 天皇の象徴性の持つ意味

 君主というものには、常に程度の差こそあれ、象徴性が存在する。

 ⇒明治憲法における天皇も、象徴としての機能を有していた。

「国王は国権の肖像なり、故に独逸各国の憲法に明言したるが如く、国王は一切の諸般の政権を統攬し、憲法に遵い之を施行する者なり」

(伊藤博文編『憲法資料』)

 

三 国民主権原理と天皇制

(一) 国民主権原理と天皇の地位

 憲法1条の意義

1 国民を主権者であると明確に宣言することにより、旧憲法の採用していた天皇主権原理を明確に否定した。

2 天皇を日本国の象徴である、と宣言することにより、天皇が実質的決定権を有することはないことを明確にした。

 第3条の解釈

  国政に関する権限:国政に関する実質的な決定権

⇒国民主権原理の下においては、必然的に

国民そのもの   (憲法改正等)

国民を代表する議会   (法律制定等)

国会の信任の下に存在する内閣(行政等)

に帰属することになる  

⇒天皇の国事行為:単なる形式的儀礼的な行為にすぎない

(二) 内閣の助言と承認

:単なる補佐ないし助言の権能ではなく、天皇が国事行為を行うか否かの実質的な決定権の所在を示している

     ⇒事前の「助言」と事後の「承認」という2段階の行為は不要である。

天皇の国事行為が、全体として内閣の決定に服していると認められれば、内閣の決定そのものがどのような形式をとろうとも全く問題はない

判例は2段階の行為が必要としている? 判例百選U380頁参照

(三) 国事行為そのものの決定権と国事行為の原因となる決定権の相違

 6条・7条を、原因事項の実質的決定権までも含むと解することができるか?

○ 否定する説の根拠

  1 7条各号には、明らかにそう解することが不可能な規定が存在している

 一連の「認証」行為は、その本質自体が形式的儀礼的な行為であって、その基礎となる、大赦や特赦を行うか否かの決定、あるいはどの人物について法律として定める官吏として認証すべきかの決定、あるいは外交文書の作成などの実質的権限を、この文言から読みとることは不可能である。

  2 明らかに実質的決定権が内閣にないものが、国事行為に含まれている。

(1)内閣総理大臣の決定権は国会にある(6条1項、67条)

(2)国務大臣の決定権は、内閣総理大臣にある(68条)

(3)憲法改正は国民の権限⇒公布も「国民の名」で行われる(96条2項)

(4)法律は国会の議決のみで成立(59条1項)⇒公布の実質的決定権は国会

⇒これらの場合には、内閣の助言と承認を待たずに、天皇が単独でできるとする説もある

  3 実質的決定権を肯定することは、制度の前提に反する

○ 天皇に実質的決定権があると考えることは、国民主権原理に反する。

○ 形式的・儀礼的行為といえども天皇の自由になし得るものではなく、それを完全に内閣のコントロール下に置くのが助言と承認制度の目的と考える場合、助言と承認は、その形式的・儀礼的行為そのものの実質的決定を意味する。

○ 肯定する説の根拠

 次の(四)に記した事項の実質的根拠を6・7条に求める必要がある。

 

(四) 具体的に問題になるもの

 7条以外にその基礎となる行為の実質的決定権の所在に関する規定がない場合

  ⇒憲法を全体的に検討し、そこから理論的に決定していかなければならない。

  1 国会の召集

自律召集は考えられない(前例のない制度)

⇒内閣が行ってきたという慣行がある・臨時会については明文がある。

  2 衆議院の解散

自律解散は考えられない(反対者の議席を多数決で奪うことになる)

⇒内閣が行ってきたという慣行がある・均衡本質説的にも説明できる

  3 国会議員の総選挙の施行の公示

  4 栄典の授与

 

四 公的行為

(一) 象徴としての地位に基づく行為説

 日本国憲法1条後半「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

前半の全体を指示していると読むことが可能

⇒憲法が天皇に、国事行為を行うための基礎となる国家機関たる地位とは別に、象徴たる地位があると宣言していると解釈できる。

    ⇒地位があれば、それに基づく権能も当然に存在する

⇒現実に天皇が行っている、

@ 国会の開会式に参列されて「お言葉」を賜る行為、

A 外国の元首などとの親書・親電の交換、

B 公的色彩のある国内巡幸や外国訪問等の活動

は、国事行為に含まれておらず、かつ、私人としての行為でもない。これが憲⇒象徴としての地位が、「公的行為」を許容しているから

⇒自らの行為決定権はなく、内閣の助言と承認を必要とする

 この説の弱点

○ 病気、旅行等の理由で公務に携わることができない間は、摂政その他の代行者によって公的行為を行うことが不可能

⇒摂政等は天皇ではないから、「象徴」としての役割を有しない(異説はない)

⇒象徴としての地位に基づく行為の代行は不可能

   ○ 皇族の行う様々な公的活動はどう説明するのか?

内閣がそれについて責任を負う必要はないのか?

(二)  公人としての地位説

  1 説の根拠

 首相その他の国務大臣に、国家機関としての地位に基づく権限とは別に、その地位にある自然人に認められる公人としての地位を考えることができる。こうした公人としての地位に基づく権能として、首相等は、憲法に定められた権能以外の様々な活動を行っているし、そうした公人としての活動に対しては、国費の支弁も許されている。

 同様に、天皇としての地位にある自然人もまた、公人としての責任と同時に、公人としての権能も有している、と考える立場

○ こうした公人としての地位は、臨時にその職務を行う者は当然につくことになるから、先に象徴としての地位説で問題となった点も解決可能になる。

○ 皇族にも同様の公的地位を考えることができる。

○ 憲法8条は、皇室の経済活動に制約を加えているが、これはその公的性格を前提としている。

 参照:皇室経済法施行法

天皇及び皇族については、賜与の価額は1800万円、譲受の価額は600万円とする。

  2 公的行為の方法及び許容範囲

@ 公的行為として行いうるのは、憲法7条に列挙されている国事行為に準ずる性格を持つものに限る。

A 第4条と同様に、国政に関与する行為を含まない。

B 第3条を準用し国事行為と同様、内閣の助言と承認がない限り行うことはできない

 

五 天皇制と私人としての行為

(一) 私人としての人権

 憲法第3章の保障する基本的人権の享有主体となれるか。

⇒ 原則として適用を認める。ただし、憲法自身が明文でもうけた天皇制の中で、天皇という特殊な地位を占める日本国民の一人として、一般の日本国民とは異なる制約に服する場合がある。

1 憲法は世襲制を明確に予定している(2条)

 ○ 天皇及び皇族には婚姻の自由(24条)は認められない。

皇室会議の議を経る要がある(皇室典範10条)

養子をとることもできない(同9条)

 ○ 天皇に職業選択の自由を認めることはできない。

皇族の場合には、身分を離脱することにより、認める余地がある(同11条)

2 象徴あるいは公人としての地位を肯定する場合には、それに伴い、政治的基本権の制限が発生する

 ○ 表現の自由が制限される場合がある。

 ○ 参政権が制限される。

一般国民でも、国家公務員のように、公的地位を有するものは、たとえ私人として行動する場合であっても、関係者に有形、無形の影響を与えることから、政治的基本権の行使が制限されている(国家公務員法102条)。天皇の制限もそれと同様に考えられる。

3 憲法の定める天皇制に直接関係のない人権については否定の必要はない。

 ○ 憲法上は天皇に信教の自由を認めることに何ら問題はない。

(二) 私人としての行為により発生する責任

 天皇無答責の原則から、天皇自身が責任を問われることはあり得ない。天皇にそのような行為をする機会を与えた内閣の責任が問題となる。

皇室典範21条参照