記述式(論文式)試験の対策
 

目次

一 記述式試験の特徴

二 基本的な対策

三 答案構成の仕方

四 論文作成の技術的面についての注意

五 日頃論文を書くときの注意点

 

 

 


 以下に書くのは、優れた論文の書き方ではない。試験に落ちない論文の書き方である。


一 記述式試験の特徴


 

落ちない論文を書くための第1歩は、国家試験の特徴をしっかりと把握することである。国家試験は、大学における期末試験等と比べると、次の大きな特徴がある。

(一) きれいな紙面が必要

 期末試験は基本的に、その一年間の講義の理解の程度をみる目的であるため、読み難い場合にも、できるだけ受験者に有利に解釈しつつ採点している。合格点に若干不足する程度であれば目をつぶって可を与えてくれるものである。これに対して、国家試験は受験者の能力に疑問がある場合には落とすことが目的であるため、読めない(ないしは非常に読み難い)場合にはそもそも採点をしてくれない。したがって必ず零点になる。

 採点者も人の子である。採点するにあたって、あまり苦労せずに採点できる答案が出てくれば、自ずと印象がよくなり、その分だけよい点を取れる可能性が高まるのは当然である。

 どこに何が書いてあるかが、一目で明らかになるような、整然とした論文を書くことが大切ということになる。

(二) 厳しい制限がある

 期末試験等では、時間の余裕があるかぎり、答案用紙を余計に使用しても構わず、また、時間の余裕もある程度は与えてもらえるものである。

 これに対して、国家試験の場合には、答案用紙は限定されていて、追加をもらえることは決してない。また、時間も絶対的に厳守されて、延長はたとえ11秒といえども許されない。したがって、限られた用紙と時間内に、自分の言いたいことのすべてを尽くせるような、圧縮された論文が必要である。

(三) 論理的思考能力を示す

 期末試験では知識量を示せばある程度評価するのに対して、記述式国家試験は、回答者が相当の知識を有することは当然の前提である。なぜなら知識量については多枝選択式=短答式試験で確認済みだからである。だから、短答式の受験時に培ってきた知識量を誇示して見せても、まったく点には結びつかない。

 かわって、ここで評価の対象になるには、論理的思考能力である。

 かつて、ある司法試験委員が私に言ったことがある。

「司法試験の論文くらい易しいものはない。自分の考えていることさえ書けば、それで合格できる。」

 すなわち、提起されている問題点に対する自分の意見とその根拠を述べていることが、合格答案の必要にして十分な条件である。ところが、短答式のために膨大な知識を蓄えているものだから、ついついそれが書きたくなる。その結果、それに時間と紙幅をとられて、肝心の自分が考えていることについては、書かずじまいになる。これが実力はある人の典型的な落第答案である。

二 基本的な対策

(一) 採点者にとり読みやすい紙面とは・・

 何といっても読みやすい字で読みやすい答案を書く練習をすることが大切である。これは決してきれいな字、達筆な字という意味ではないことに注意しよう。

  1 大きな字

 試験委員に高齢者が多く、老眼鏡のお世話になっているのが通常であることを考えると、読みやすい字とは第1に「大きな字」であることを忘れてはいけない。

1行に書く字数の標準は234字程度が好ましい。せいぜい278字と考えよう。小さな字でぎっしりと書くと、紙面そのものはきれいに見えて自己満足を感じられるが、それは国家試験の場合、自殺行為である。

 国家公務員試験の場合、なぜか人事院は、かなり小さな字の区切りを罫線に打っているから、上記基準に従うことはできないが、その場合でも、枠の許す限りでできるだけ大きな字を書くように心がけよう。

  2 答案構成の徹底

 読みやすい答案をつくる最大のポイントは、一旦書いた文章の大幅な修正は決して行わない、ということである。

 そこで、事前に答案構成を徹底的に行うことが大事である。そこで、たとえ完全に判っていると思える問題の場合にも、書き始める前に、完璧に答案構成を行う必要がある。書き始める前に20分は答案構成時間を確保する習慣を普段からつけよう。最悪でも10分は使うべきである。

  3 誤字・脱字の防止

 誤字、脱字は決定的に印象を悪くする。その数が多いと点が削られるのは、間違いない。略字も採点者によっては誤字扱いされる危険があるから、できるだけやめよう。そのためには、普段から、正しい字を書く習慣を付ける必要がある。いつも略字を使う習慣があると、緊張で思考能力の低下している本番のときだけ正しい字を書くことは不可能だからである。仮にできたとしても、そのために余計な精神的緊張が加わり、試験問題に集中しにくくなる分だけ不利になる。

 また、論文を書き上げたのちに、それを読み直す時間を確保する必要がある。理想的には10分、最悪でも5分は読み直しの時間を持つ必要がある。それだけの余裕があれば、誤りを見つけたら、きちんと修正できるはずである。そうすることで少々紙面が汚く見えても、誤字・脱字のままよりはよほどましである。

  4 書く量を予め把握する

 この条件を守った場合には、答案構成の20分+読み直しの10分で、合計30分が必要となる。1時間の試験時間からそれを差し引いた残り時間である30分が、論文を書くのに使用可能な時間ということになる。 したがって、諸君は30分間で合格できるだけの論文を書かねばならないことになる。そこで、次に必要なことは、各人が、自分は30分で平均何字くらい書けるのかを予めきちんと把握することである。これは、個人差のあることだから、普段、論文を書く際に、何度か時間を計って、その最悪の場合を基準として押さえておく以外に方法はない。

 普通、それは1000字内外と言われている。

 そこで、以下の説明は、1000字内外の量しか書けないということを前提として行う。

 

 

三 答案構成の仕方

(一) 問題を予想する

 この項で書いていることは、試験会場で、論文時間を割いて行うそれもさることながら、ふだん、家や研究室で事前に行う答案構成作業に、より妥当する。すなわち、国家試験における記述式試験で確実に合格答案を書く方法は、ただ一つしかない。

試験に出る問題を予想して、それに対する自分のベストを尽くした答案を予め作成しておき、本番でそれが出た際に、用意した答案をそのまま再現して書くことである。

 こういうと、そんなことができるわけがない、とか、私はちゃんと出る問題が予想できるほど頭がよくない、という反応を示す人がよくいる。

 しかし、話を逆にして考えてみれば、この正しさがよくわかると思う。すなわち、事前に予想もできなかった問題が出たとき、ぶっつけ本番で合格答案がかける人が、世の中にどれだけいるだろうか、ということである。よほどの天才を除いて、そんなことができる人は皆無というべきであろう。だからこそ、事前の予想が重要なのである。

 本番の試験の日までに、出る可能性のあるすべての問題について予め答案を書ければベストである。少なくとも答案構成だけはすべての問題について予め行っておきたい。

 出る可能性のある問題を見つけることは簡単である。自分の基本書とか判例百選、または演習書の目次を開き、その各項がそのまま出題された場合に、書くべき論文を考えればよい。絞り込みたい場合には、国家試験の担当委員の最近の論文名等が、助けとなる。書こうとする論文のリストができたら、そのうち、これを出されたら何を書いていいか全く判らない、という問題からとりかかるべきである(すなわち、山を作るよりも谷を埋める方が優先である。)。

 このように、あるテーマをそのまま問題とする形式を、よく1行問題という。

(二) 文章題について

 最近では、文章題、すなわち長文の事例形式で出題されることが、国家試験では非常に増えてきている。だから問題の予想などできない、と思う人が多い。しかし、文章題に対しても、上記のような1行問題で論文を用意しておけば、十分に対応できる。

 文章題に解答する一番易しい方法は、それを素早く1行問題に転換してしまうことである。その上で、その文章題では不要となる論点を切り捨てて、残ったところだけを書いていけば、論点を取り上げ損なう、ということは考えられないからである。

 論文の最初は、問題など無視して自分の設定した1行問題について解答していって、要所要所で、場合によっては一番最後で、問題とリンクさせれば、それで十分である。

 このようなやり方をすれば、問題としては文章題の方が、1行問題よりも易しいと言える。1行問題との違いはただ一つ、文章題は情報量が多い分、1行問題に比べて論点が絞られている、という点にあるからである。

 すなわち、1行問題では、そのテーマに関わりのあるあらゆる論点を取り上げる必要があり、限られた時間とスペースの中で、どの論点をどの程度取り上げ、どれを切るかという厳しい選択に迫られる。これに対して、文章題では、問題の要求している論点だけを、問題が要求しているレベルまで論ずればよく、そうした選択の苦労がない。

 もちろんそのことは、逆の意味での易しさ、難しさをもたらす。1行問題では、出題者の予定する特定の論点を落としても、外の論点でカバーしていれば何とかなるのに対して、文章題では問題の要求している論点を、しかも要求しているレベルで取り上げなければ、即、不合格答案となる点で、厳しさが生まれる。

 したがって、文章題は一言一言を厳密に分析し、出題者の要求を把握しなければならない。

 文章題で最悪の解答法は、その問題に密着して、即物的に解答していくことである。そういうやり方をとると、多くの場合、問題の根底に横たわっている、基本概念に関する説明を落としてしまうからである。

(三) 落ちない答案のポイント

 答案構成で大事なことは、合格することよりも落ちないことを第1の目標にするということである。

次の二つの点を念頭において行おう。

 第1に、間違っても不合格点を取らない、という設計にすることである。

 第2に、点の形で評価してもらえないことは極力書かない、ということである。

  1 最初に論点を指摘する

 試験官も人の子である。読みやすい論文には、前に述べたとおり、自ずと評価が甘くなる。

 国家試験レベルの答案の採点に当たっては、予め触れるべき論点を予定してあって、それが論文に何らかの形で現れていれば点数を与える、という方式が、普通はとられる。

 したがって、これに対応した形に論文を書くのがよい答案ということになる。すなわち、論文の最初にきちんと論点が指摘してあれば、文章を克明に読んで、論点が出ているかどうかを判定するのに比べれば、はるかに採点しやすい。だから

論文の冒頭に、全論点を簡略に指摘しよう。

 そんなことをするのは怖い、という人が良くいる。しかし、先に述べたとおり、きちんと時間を掛けて答案構成をしていれば、これは少しも難しくないはずである。最初に論点指摘ができないような答案構成では、所詮合格レベルに達していない、と考えて、努力しよう。

  2 単なる事実の紹介などはすべて削る

 1000字というのは、これでまともな論文は絶対に書けないほどの少量である。その少ない中に絶対に書かなければならないのが、君たち自身の見解とその根拠である。単に知識量を示すだけの記述、例えば、問題文をそのまま、ないしは少々敷衍しながらもう一度書いたり、条文をそのまま紹介したり、関係する説ないし判例を片っ端から紹介することは、別に減点されるわけではないが、点になる記述に投入できるはずの時間と紙面を食いつぶしているので、不合格につながる最大の悪癖と考えるべきである。

 特に、他説の悪口を書くことは、諸君が良く陥る誘惑である。しかし法律学では自然科学と違って消去法によって正解に辿り着くことはできない。したがって、いくら他説の非難を並べても、それは君たち自身の説の根拠付けにはならないので、点にならない。にも関わらず、根拠を書いたような錯覚に陥るのがこわいところである。また、一般に君たちの基本書と違う説についての君たちの勉強量は通常かなり少ないので、間違った理解をしていることが往々ある(君たちの基本書そのものが誤った理解をしている場合もかなりある。)。その場合には、積極的な減点理由になる。最後に、非難した説の論者が君たちの答案の試験委員である場合には、実に悲惨である。その可能性は非常に高い。なぜなら、採点者による採点の偏りをなくすため、採点にあたってはたいてい異なる説の試験委員を組にして行うからである。

 だから、間違ってもやってはいけない。

  3 論文は基本書のダイジェスト

 基本書の特定の頁の丸写しや学者の論文のまねをしても合格答案にはならない。

 (1) 基本書は、その全体で一つの体系を示している。

 特定の問題に関して述べている説明はわずかでも、例えば100頁前に書いてあることと併せて読めば、十分な説明になっている、という構造になっている。したがって、問題に対応する特定の部分の記述だけ抜き出したのでは必然的に落第答案になる。君たちは君たちの責任でその100頁前の記述を要約して、一緒に紹介しなければならない。その意味で、

論文は、常に自分の基本書全体の要約でなければならない。

 (2) 基本書の要約を作るにあたり、大切なことは、原文の流れのままに書いていくことである。

 その場合、重要語句はできるだけ使用する。段落の重要度に応じて、その重さを考え、大切なところは重く、そうでないところは軽く扱う。

 (3) 基本書では「定説である」とか「通説である」あるいは「一般に・・と言われている。」とだけ書き、自説が何であるかは書かれていない場合がある。それは通説がそのまま自説であり、また、教科書は、君達に通説を教えることも使命としているからである。しかし、それをそのまま写すのは学生の答案としては論外である。試験委員は君達に通説を教えてもらう必要はない。したがって点はもらえない。

 通説と自説が一致している場合でも、それを論文に書く理由は、通説だからではなく、あくまでも自分としてそれが正しいと考えるからだ、という点を明確に記述しなければならない。

 ただ、通説であれば、異説に比べて、理由付けは軽くて良い。

 (4) 学者の論文の書き方をそのまま真似して、「あろう」「なろう」というように文章を締めくくる人が良くいる。しかし、内容がそうした堅苦しい表記に伴う水準にない論文でのそれは読みにくいものである。できるだけ学生らしい素直な文体で記述しよう。

 (5) 結論において断定的な表現は避け、「と考える」とか、「と解する」というように締めくくるべきである。なぜなら、多くの場合、どのような論点についても、君たちはたまたま知らなくとも、異説を唱えている学者の一人や二人は必ずいるからである。仮に君の答案を採点している試験官がその異説を唱えている人であった場合を想像してみよう。その説の存在を知らないないしそれとは違う見解をとる、というのはまだ許せる。が、その説は全く問題にならない、と君たちが考えているという印象を与えたら、致命傷になることは確かである。

 ただ、だからといって「と思う」と自信のない書き方はしてはいけない。一つの意見として書く以上、少なくともその段階では確立した意見として示さないと、点がつかない。「考える」という表現は、その点無難である。

 

四 論文作成の技術的面についての注意

(一) その冒頭で論点を指摘する、ということを改めて確認しよう。

(二) 文章は簡潔に

 論文の文章は、簡潔できびきびしたものにしよう。

 だらだらと長い文章は、それだけで論旨を不明確なものとなる(換言すれば、かなりの文章力がないと、長い文章を破綻なく書きつづることは困難である。)。ときとして10行以上にも渡って句点「。」のない文を書く人がいる。が、原則として3行以上にまたがる文は書かないことにしよう。

(三) 論点ごとにナンバーを振ろう。

  1 ナンバーを振る意味

 そうすることで、次の効果が発生する。

 (1) 答案の紙面を一見して、整然として読み易いという印象を与える。

 そのための必須の条件である。

 試験委員は、膨大な数の答案を見るのであるから、全文を緻密に読まなければ何が書いてあるかが判らない、というような答案は印象を悪くする。同じ内容であっても、印象の良い方が点が良くなるのは当然である。

 (2) 自分の考えを整理できる

 答案構成を行う際に、何をどのように番号を振るかを考えるだけで、自ずと論文の骨格ができあがる。

 (3) 接続詞を繰り返さずにすむ。

 小説や感想文を書いているのではないのだから、「まず」とか、「さて」「ところで」「そこで」というような接続詞を使用するのは論外である。この結果、法律論文では使える接続詞の数が少ない。だからといって「次に」「また」「または」「すなわち」等の同じ接続詞を使ってだらだら続けているのでは、読んでいるものに、筆者が何を論点と思っているのか、ないしはどこが論点の切れ目であるのかを伝えるのが難しくなる。

ナンバーを振ることにより、接続詞を節約できる。

  2 標準的なナンバーの振り方

 ナンバーの振り方は自由だが、次のやり方が標準的なものである(官公庁の標準なので、どの国家試験に合格した場合も、実務に就いた後にはこれにしたがう必要がある。

この文も、この標準にしたがって番号を付している。)。

@ 大分類は、裸の漢数字を使用する(すなわち、一 二 三)。

A 中分類は、漢数字に括弧各個をつけて使用する。すなわち、(一)(二)(三)

B 小分類には裸のアラビア数字を使用する。すなわち、1 2 3。

C さらに小さな分類が必要になった場合には、アラビア数字に括弧をつける。すな  わち、(1)(2)(3)。

D 同じレベルの分類の中に複数の小分類を示す必要がある場合には、適宜、イロハ とかアイウとか@ABとかを使用する。

(四) 適宜改行すること

 独立の論点ではない場合にも、ある程度独立して論じられる点については、改行して、論旨を明確にする努力をしよう。全く改行をせずに書く人がいるが、非常に読み難い。採点をして貰えないおそれがあるから、その癖だけは絶対になくそう。

(五) 必ず理由を付ける

 結論を1行書いたら、それに対応する根拠を1行は必ず書くということが絶対に必要である。論文は、結論を知っているかどうかではなく、自分の議論にきちんと説得力ある理由を付する能力があるかどうかを調べる試験なのだということを肝に銘じておこう。

 特に、定義については無造作に基本書を引用するだけで根拠を書かない人が多い。しかし、定義は一つの法的主張だから、必ずその根拠を書かなければならない。基本書には往々にしてその根拠が書いてない場合がある。それは、その本全体をきちんと読んでいれば自ずと判るはずだという筆者の判断からである場合が多い。しかし、論文ではあくまでも君たち自身の責任できちんと説明する必要がある。

 基本書の前後を読んでも定義の根拠が判らなければ、参考書や演習書等も調べて、徹底的に解明する必要がある。


五 日頃論文を書くときの注意点

(一) 字数に拘らず最善の答案を書く

 最初から1000字の論文を書こうとすると、非常に中身の薄いものしか書けないのが普通である。家で、あるいは研究室で、最初に書く時には、字数にこだわらず、たとえ10000字でも20000字でも使って、自分として最善の論文をまず書くことを心がけることが大事である。

 その上で、それを徹底的に削って1000字にするという方針を採ると、比較的うまく書きやすい。その時には、持っている限りの本を参照し、足りなければ研究室や図書館の本を調べ、それで足りなければ神保町を駆け回って調べ、それでも疑問が解けなければ先生に質問するなどして、納得のいくまで書き直すということを心がけよう。答案練習会の時のように、普段書くときでもその時の自分の実力だけで書こうとするものが良くいるが、それは間違いである。

(二) 長い論文の削り方

 そうした努力の結果、仮に、誰がみても合格間違いないという素晴らしい答案を2000字使って書いたとする。それは本番ではその半分までで打ち切らざるを得ないから、落第答案であることを肝に銘じておく必要がある。

  1 無駄な記述を削る

 そうやって完成した論文を今度は全体の量が1000字内外になるまで削りにかかる。まず削るのは、前にも述べたとおり、

ア 問題文をそのまま、ないしは少々敷衍しながらもう一度書いた部分、

イ 条文をそのまま紹介した部分、

ウ 関係する説ないし判例を片っ端から紹介した部分、

 である。それでも1000字にならなければ、順次、肉や骨までも削っていくことになる。

  2 より少ない語数の記述を探す

 ある論点を100字使えば完璧に説明できるときでも、答案構成の結果50字しか与えられないと判ったら、100字使ったときに近い説得力を持たせつつ、どうしたら50字で書けるかを工夫しなければならない。いろいろな文献をあさって、簡にして要を得た表現を探すのが、その助けとなってくれるはずである。

 このため、一つの答案を作成するのに、必要とあれば1時間といわず、1日でも10日でも費やす覚悟が必要である。

  3 起承○結

 昔から、文章の構造は、起承転結が一番良いとされている。法律の論文に関してもそれは言える。学者の論文は、私も含めて、普通そういう形式を採っている。

 しかし、字数が自由なものならいざ知らず、1000字の枠内では、そうした理想を追うのは無理がある。

起承結、すなわち「転」を省いた形をめざすのが無難であろう。

  4 パソコンを使う

 一度書き上げたものを自由に削ったり追加したりできるという点からいうと、予想問題作成にワープロソフトを使用するのは(本番では使えないが)よい方法である。

 また、一度書いた答案や答案構成も、その後に、君たちの能力が向上するに従って、不満足に感じられるようになってくるはずである。そういうときには、常に文章の手入れを繰り返し行う必要がある。そのためにもワープロソフトを利用することは便利である。

 社会にでれば、法曹、公務員、民間企業、自営業の別なく、パソコン程度は使いこなせなければ、これからは生きてはいけない。そして、頭の中にある文章を書くことが、ブラインドタッチを身につける最良の方法である。

この機会に是非ワープロ技術を身につけよう。

 

(三) 法解釈論だけを書く

 問われているのはあくまでも法解釈論であることを肝に銘じておこう。

よく、法社会学的、経済学的、もしくは新聞の解説的な記述をする人がいる。

学者の論文としては、それは意味のあることも多い。

私も講義の中では、諸君にその説明の客観的な正しさを理解して貰うために、そういう説明をすることも多い。しかし、国家試験の答案では、それは点にならないで、答案用紙のスペースと回答時間を食いつぶすという馬鹿げた行動だから、厳に避けるべきである。また、「どの解釈論を採っても結論に変わりない」と書いて終わりにする人がいる。同じ結論にたどり着くのに、どのような論理を使えばもっとも説得力があるかを争うのが法律の論文であることが判っていないからである。

(四) 自分に妥協しないこと

 あらゆる本を自由に参照でき、時間の制限が全くない状態で、合格答案が書けなければ、試験会場で合格答案が書けるわけがない。その意味で、これから試験までの間に作る予想問題に対する自分製の模範答案こそが、君たちの合格に向けての最大の財産になるはずである。普段書く論文では、絶対に妥協せず、自分に納得のいくまで書き直そう。