更新記録

 2006年第2四半期分

 

更新記録は、一番上が一番新しく、下になるほど古いものになっています。

     
     
     
     
     
  29日  明日のゼミの講義の準備をしなければ、と考えていて、はっと気がつくと先週のゼミのレジュメをアップロードしていないことに気がついた。先週に配布したレジュメは、少し判りにくく、口頭の説明でその辺をカバーしたので、アップロードする際に加筆修正せねば、と考えていて、忙しさに先送りして、今日まで来てしまったのである。大あわてで加筆修正作業を行った。これでかなり判りやすくなったと思う。

 来週のゼミ問題についても、錯覚していてのんびりと問題作成セルとの間でやりとりをしていたら、もう時間切れになっていたので、やむを得ず、私が大幅に原案に加筆して問題文を作成し、本日アップロードした。

  16日  昨日の夜から今朝に掛けて大変な土砂降りの雨であった。すると、リハビリで激しい運動をするとか、無理に手を高く上げるとかしない限りすっかり治まっていた痛みが、吹き出してきた。どうやら低気圧の性で、傷が痛むと言うことらしい。1ヶ月前まで常につきまとっていた痛みに比べると、至っておとなしいものだが、久しぶりに痛むと実に辛い。人間、安楽には慣れやすいと痛感した。

 さて、このところ、マスコミで話題を呼んでいた新聞記者の取材源秘匿の権利を真っ正面からゼミで取り上げてみた。そのレジュメをアップロードした。

  10日  6月に入ってから、いつもしつこくつきまとっていた痛みがぐっと減り、考えてみると、もう2週間近く、整骨医に行っていない。やはり暖かくなったということの威力であろうか。

 少しでも早く腕が自由に動くようになりたい、と一昨日、朝の犬の散歩の時に、軽い亜鈴を持って行って、ずっと腕を振っていた。さすがにこれはやりすぎで、一昨日、昨日とすっかり腕が痛くなり、おとなしくする羽目になった。

 さて、金曜日のゼミでは、裁判員制度を取り上げた。アップロードしたレジュメにも書いたとおり、基本的な枠組みはともかく、細かく見れば違憲の部分だらけという感じの法律である。何故これがもっと議論を呼ばないのか不思議な気がする。何となく、これに逆らうのはよろしくない、という風潮がある性だとすれば、これは大いに問題であろう。

2006年6月 4日  私の右腕は、まっすぐ前にあげる分には頭ぐらいまであがる。しかし、黒板に字を書くと言うことになると、頭より高く上がらなくては困る。だから、目下の所、板書は左手の仕事。時がだんだん下に降りて、顔ぐらいになると右手にスイッチして書くというわけだ。良くしたもので、最初の頃よりも、左手の時が見られるものになってきた(もちろん相対的な話)。

 全然駄目なのが、肘から先を外に開く動作である。腕相撲をして、負ける時のような動きというとイメージできるだろうか。これが全く動かない。これが動くようにならないと、腕が肩より上に上がらないのだそうだ。そこで、リハビリの際には理学療法士がかなり力を入れる。肩より上に腕が上がらない限り、板書ができず、それでは教員商売に差し支えるから、いわれるままに頑張っている。すると一日中うずき続ける。誠に辛い。

 同様に、横にあげるのがやはり駄目である。せいぜい45度か60度くらいが限度で、それ以上になると、肩の腱がかなり痛む。どうやらこれが腱の部分断裂の所らしい。無理して完全に切れても困るので、動く範囲で筋肉の力強化に力を入れている。これがもう少しちゃんとあがるようになると、水泳で平泳ぎができるようになるので、身体にももう少ししまりがでると思うのだが、今のところはひたすら歩くのみが運動法である。

 さて、先週金曜日のゼミのレジュメをアップロードする。

2006年5月 30日  私の右腕の調子は、5月にはいると共に劇的に改善された。何故か判らないのだが、これまで夜中に2時間おきに、調子の悪いときには1時間おきにおそってきていた腕が折れそうな痛みがなくなった。その代わりに、寝返りが全く打てないことによる背中の痛みが辛く、4時間に一度くらいは寝返りの代わりに起きあがらなければならないが、この差は大きい。下旬になると、少しは寝返りが打てるようになったので、更に痛みが減った。それでも朝起きればかなりの痛みがあって、風呂に入っているが、以前のような辛さではない。痛みの原因の一部は、腕の筋肉がすっかり退化しているために、リハビリで腕を動かそうとすると、背筋や首の筋肉などが働いて、腕を持ち上げようとするために、背筋などが痛むと言うことも大きい。そこで、痛みを無視して死にものぐるいでリハビリをしたおかげで、腕の筋肉が動きだし、それにつれて、背中の痛みも減った来た。

 そういうことで、病状そのものはだいぶ改善されたのだが、その代わり、これまで元気になるまで、という条件付きで先送りしてきた仕事が山積みであった。先週など、毎晩帰宅が11時というのだから、病み上がりにはかなりきつかった。おかげで、ホームページの面倒を見る余裕が全くなく、この更新欄に記載するのも、1ヶ月でわずか1回という次第。誠に申し訳ない。

 さて、本日は、先週の金曜日にやったゼミのレジュメをアップロードした。

  29日  特に辛かった先週が終わり、今週にはいったら、何とか我慢できるレベルに痛みが低下したので、まじめに毎日出校した。おかげで、このホームページの更新頻度は下がってしまっている。一日出校すると、それですっかり体力を使い果たしてしまい、他のことをする元気など無いからだ。

 起きているときの痛みは代わり映えせず、続いている。恒常的に続いている痛みについては、いちいちしかめっ面をしていても、それで痛みが和らぐわけではないし、気合いを入れて講義をしていれば、気にならなくなるから、できるだけ無表情に歩いているだけで、痛まないわけではない。しかし、この2〜3日、夜に眠れる時間が少し長くなってきて、終わりの始まりかと期待している。

 連休が始まったことではあり、少しやるべきことをと考えて、ゼミのファイリングボックスを整理した。すなわち、2004年分のレジュメを削除し、代わって2006年活動計画をアップロードした。向こう3回分の論文の問題を確定し、アップロードした。

 今年は、秋の学会が東京で開かれるので、その分、休講が少なくなりそうである。

  20日  今週の月曜以来、夜、ほとんど眠れない日が続いている。当然、朝起きると痛みが、これまでよりひどい。昨日に続いて今日も出校を断念した。しかし、ぼんやりしていても、痛さが増すだけで、仕事をしていた方が過ごしやすい。そこで、昨日、やり残した「ハワイ大学法科大学院の概要」をアップロードした。

 ところで、私のホームページのトップ頁に、法科大学院の「基本的な制度設計が間違っていたのではないか」という言葉が投げ出してある。骨折をした直後だったので、それ以上のことを書く根気が無く、単に問題意識を投げ出してあるので、見る人に困惑を与えてきたようだ。この制度設計の間違いというのは、二つのことを意味している。一つは、現行制度は、アメリカのロースクールの日本版というはずなのに、日米の差とは関係ないところで制度が違っているのではないか、ということである。ここにアップロードしたところを読んでいただければ、GPA制度にしても、イクスターン制度にしても、単純にアメリカ制度を承継した方が判りやすく、運用しやすい制度だと思うのだが、妙にいじってしまっているので、困るということを示している。

 今ひとつは、いうまでもなく、日米制度の根本的な違い、すなわち日本には法学部があるということを現行法科大学院制度はほとんど無視している(わずかに既修者制度だけ)という点である。それについては、法学部との一貫性をもっと工夫するべきだと考えているのだが、そこまではこの論文では取り上げていない。

  19日  相変わらず、体調は良くない。最大の頼みの綱は風呂なので、寝ていて痛みが激しくなると、夜中でも風呂にはいる。

 出校するときには約1時間常磐線に揺られていくのだが、上野駅に着いたときには、毎回腕の痛みに呻吟している。それでも、それは少し歩いていると収まるのだが。しかし、会議その他で、夜まで東京にいるともう大変。牛久に帰り着いたときには、腕全体がずぎずきと痛み、これは薬を飲もうが、風呂に入ろうが、おいそれとはとれてくれない。1時間寝ては風呂にはいるという調子で朝までに5回以上も風呂にはいるから、朝が来たときには湯疲れでぐったりしている始末。

 先日、MRIを受けたのだが、その結果は、腱が部分断裂しているという。リハビリ担当の理学療法士はそれを聞いて青くなり、部分的にせよ断裂している患者を扱うのは初めてなので、慎重に行きたいという。今年も夏休みはハワイ大学で過ごす予定といったら、果たしてそれまでに治るかどうか判らないという。まだまだ地獄の日々が続きそうである。

 さて、そうやってぼやいてばかりいても仕方がない、と本日は論文を一つ、研究室ホームページにアップロードした。「監視カメラと人権」と題するものもので、昨年上梓した「内心の平穏の権利」の第2部である。なお、近日中に、「ハワイ大学法科大学院の概要」という論文もアップロードしたいが、今日は体力が尽きた。

2006年4月 1日  新学期となった。

 今年の第1四半期の、このホームページは、7年 の歴史の中でも最悪の更新率となった。誤字を修正するレベルの細かい更新はともかく、この更新記録にきちんと書いたのは、わずかに3回のみ。いうまでもなく、昨年のクリスマス時のスキーで右上腕骨を複雑骨折したためである。

 正直に言うと、1月初めの段階では、骨折がこんなにも辛いものとは全く予想していなかった。当時、3月には1ヶ月間のドイツ行きを予定していたのだが、医者に聞いたところ、旅行は可能です、という返事だったから、3月にはほとんど治るというぐらいに受け取っていたのである。その後、インターネットで検索して、骨折とはそんな甘いものではないということが判けってきたため、せっかくの旅行の手配を全てキャンセルにした。しかし、海外旅行はともかく、国内で活動する分には大丈夫だろうと思って、その空いた時間に依頼のあった仕事は皆気楽に引き受けてしまった。例えば日独シンポジウムの総括責任者だの、日本財政法学会年次総会の司会だのとと気楽に引き受けていた。あるいはゼミ旅行なども入れて、結構詰んだ日程にしてしまったのである。

 これがまるっきり甘い予想であった、ということを痛感するのは、最後の講義だけでもきちんとしようと、1月13日に出校した時である。行く列車の中が地獄の苦痛であり、帰りがまた同様に大変な苦痛だった。帰宅して、腕が一面に黄色に染まっているのを見た時には言葉がなかった。毛細血管が破れて出血したために、腕が黄色くなっているのだというのが医者の説明だった。それから何とか出校前の段階程度にまで治るだけでも丸3日掛かったのだから、以後、出校することにすっかりおびえてしまったのは、理解してもらえると思う。

 そもそも、骨折というのは、骨が折れたために痛むと漠然と考えていたことが、完全な間違いであった。私は、これまでに肋骨を2回折ったことがあり、その時には日常活動にはほとんど影響がなかったので、甘く考えていたのである。肋骨と違い、腕の骨折の場合には、痛みは、第一に循環系の阻害、要するに血液やリンパ液の循環が、腕を動かさないようにぎゅっと締め上げているために起こる痛みが大きい。まるで、腕が爆発しそうに感じられて、実に辛いのである。これまた、インターネットで調べたところ、これはコンパートメント症候群と呼ばれるもので、そのまま放置した場合には重大な障害に至る可能性があるとか。

 第二の痛みが、腕の筋肉が長いこと動かさないことから来る痙攣である。水泳時のこむら返りはご存じであろう。あれが腕の筋肉で起こると思えばよい。こむら返りを起こした時には、ぎゅっと筋肉を引っ張れば治るが、骨折した腕をぎゅっと引っ張ったら、せっかくつながり掛けている骨が離れてしまうから、ひたすら我慢するしかない。

 第三の痛みが、リハビリである。骨が仮にくっつきだした段階で、医者は、せっかく固まって痙攣することを忘れてしまった筋肉を無理矢理に動かせというのである。これまた筆舌に尽くしがたい痛みが発生する。

 しかし、実はさらに深刻な悩みがある。夜寝ていると、起きている時よりも痛みに敏感になり、ちょっとした変動でも直ぐに目が覚めてしまうのである。骨折以来、100日になるが、この間、安眠できた夜は一晩もない。おかげで、日中も頭がはっきりしているとは、とうてい言い難い状況である。

 今日も、寝られていないことには変わりがない。それでも、パソコンをたたく程度であれば、右腕が問題なく使える状態になったので、助かる。

 本日までの累積アクセス数は、95080件である。新年の段階では91455件 だったから、この情けないホームページを訪問してくれた人が、四半期の間に3600件を越すほどにあったことになる。誠にありがたいと思っている。幸い、右腕が回復するのは時間の問題となったので、今期こそは、まじめにホームページのアップロードを行いたいと思っている。