人権の基礎理論20回 

                        甲斐素直

国家補償法(その2

損失補償

一 損失補償制度

(一) 293項の意義

 293項はプログラム規定ではなく、具体的権利規定である

  ⇒河川附近地制限令(最判昭和431127日)

 今日の学説

@ 平等負担説(柳瀬『公用負担法』新版、256頁)、

A 平等負担・財産権保障説(今村『国家保障法』32頁)、

B 平等負担・財産権保障及び生活権保障(遠藤博也、不動産法大系第7174頁)

 平等負担説は次のように主張する。

「公益上必要な事業はそれによって利益を受ける社会の全員の負担において営まれるべきであることは平等の理想の要求するところであるが、しかるに実際においては、例えば事業のために特定の土地を必要とする場合に社会の全員の負担においてその需要を充たすと言うことは事実上不可能であり、しかも事業は公益上経営を必要とするものであるために、やむを得ず、その土地の権利者に一切の負担を負わせ、その犠牲において事業の需要を充たす」ことにならざるを得ない。この結果、「平等の理想は破られるので、この破られた平等の理想を元に復し、特定の一人に帰した負担を全員の負担に転化し、一旦失われた平等の理想を再び回復することがその目的とするところである」。

第A説、すなわち@の論理の適用範囲を財産権の保障に限定する形で理解するのが通説

「適法な公権力の行使によって加えられた財産上の特別犠牲に対し、全体的な公平負担の見地からこれを調整するためにする財産的補償をいう」

(田中二郎『新版行政法』全訂第二版、上211頁より引用)

(二) 発生する損害の種類

 1 財産権補償:基本的に財産権の客観的価値を補償する。これに加えるに付随的損失、すなわち建物等の移転料補償、農業等の作業が阻害されることに伴う補償、仮住居費補償などがこれに含まれることに異論はない。

○ 完全補償とは、市場価格を補償するのではないことに注意!

あくまでも「全体的な公平負担の見地からこれを調整するためにする財産的補償」

   通常は、一般取引価格(市場価格ないし再取得価格)の補償である。

例:山奥の過疎の村がダムで水没する場合、その村の田畑に市場価格は存在しない。

⇒再取得価格(移転先で同等の面積の田畑を取得するのに必要な額)

○ 算定の基準時点としては事業認定の告示の時とされている(土地収用法71条)。

これについては、最判平成14611日(平成14年度重判17頁)参照

 2 生活権補償:個人の生活基盤が侵害されたことに対して行われる補償。例えば、ダムの水没などで、ほとんどの住人が居なくなると、村落共同体が破壊されるため、立ち退いた住人に頼っていた部分、例えば営農の支援、就職先、生活必需品等の購買先が失われる結果による被害が発生する。また、事業期間中に騒音や振動等による被害も発生する。

○ この損失も補償すべきとするのが、第B説。

 3 精神的損失補償:上記諸問題から被る精神上の損失に対する補償。典型的には文化財的価値その他が失われることによる損失などがある。

○ 判例は、このような補償は一般に認めない。最判昭和63121日判決参照。

○ 実務的にはある程度認めるのが一般である。

(三) 損失補償要否の基準

 何を以て、特別犠牲があったといえるか。

 1 個別的行為説:形式的に見て特定の者だけが受忍を強いられるのか、それとも一般の者が受忍するのか、という形式的基準によって識別する。

  ⇒食糧管理法で、全農家を対象として米の供出を命じる場合には補償を要さない?

 2 警察制限説

 公共の安全秩序という消極目的のために課される財産権の制限(警察制限)⇒補償不要 公共の福祉の増進のためという積極目的のための財産権の制限(公用制限)⇒要補償

例:奈良県ため池条例判決

○河川付近地制限令判決による変更

○公用制限でも美観地区や風致地区、市街化調整地区のための利用制限には補償不要

 3 内在的制約(社会的制約)説

 内在的制約に属するには、補償は無用⇒当初は基本的には上記警察制限と同趣旨

 近時は積極目的の場合でもこの語に含ませる⇒補償不要のいい換えに過ぎない

 4 受忍限度論+偶発的損失説(現時点での通説)

(1) 財産権の剥奪または当該財産権の本来の効用の発揮を妨げることとなるような侵害については、権利者の側にこれを受忍すべき理由がある場合でない限り、当然に補償を要する。

○ 財産権が剥奪される場合

 これは、普通は特別犠牲に入る。ただし、受忍するべき理由のある場合、すなわち

 ア 国家刑罰権の行使による没収・罰金等、

 イ 違法・有害・危険な物の除却廃棄(例えば建築基準法違反建築物の除却)、

 ウ 社会的に有害な行為の制限(例えば麻薬取締り)の場合

○ 本来の効用を妨げる場合

奈良県ため池条例事件(最判昭和38626日)参照

(2) この程度に至らない財産権行使の制限については、

ア 当該財産権の存在が、社会的共同生活との調和を保っていくために必要とされるものである場合には、財産権に内在する社会的拘束の表れとして補償を要しないものと言うべく(例えば建築基準法)、

イ 他の特定の公益目的のために、当該財産権の本来の社会的効用とは無関係に、偶然に課せられた制限であるときは補償を要する(例えば文化財保護や国立公園内の自然風物の維持のための制限)

今村「財産権の補償」有斐閣『憲法講座』第2巻199頁より抜粋)

○ 道路工事の施工により生じた危険物施設の法令違反に伴うガソリンスタンドの改修(最判昭和58228日)

(四) 相対保障・完全補償の限界

 1 社会評価変化説

 農地改革に比すべき既存の財産権に対する社会評価の根本的な変化を反映していると解することができる場合、相当補償で足りると解する説(今村成和、戸波江二等)

 2 大きな財産・小さな財産説

 大きな財産は相当補償で十分だが、小さな財産は完全補償とする(佐藤幸治等)。

 3 生存財産・独占財産説

 生存財産の場合は完全補償、独占財産の場合は相当補償とする(浦部法穂)

二 損失保障と国家賠償の隙間

(一) 国の違法であるが無過失な行為

 国の違法ではあるが、無過失の行為によって侵害された場合は、国家賠償法では、救済できない。

 ⇒損失補償制度を利用して救済している例がある(最判和47530日)

(二) 適法な非財産権に対する侵害

 国家賠償法を活用して救済する例がある。

 1 国家賠償制度を利用して救済を認めた場合

 インフルエンザワクチンにおいて、医師の注意義務を高めることにより、被害救済した例(昭和51930日判決)。

「予防接種に際しての問診の結果は、他の予診方法の要否を左右するばかりでなく、それ自体、禁忌者発見の基本的かつ重要な機能をもつものであるところ、問診は、医学的な専門知識を欠く一般人に対してされるもので、質問の趣旨が正解されなかつたり、的確な応答がされなかつたり、素人的な誤つた判断が介入して不充分な対応がされたりする危険性をももつているものであるから、予防接種を実施する医師としては、問診するにあたつて、接種対象者又はその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異常の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち実施規則四条所定の症状、疾病、体質的素因の有無およびそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。〈中略〉適切な問診を尽さなかつたため、接種対象者の症状、疾病その他異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、禁忌すべき者の識別判断を誤つて予防接種を実施した場合において、予防接種の異常な副反応により接種対象者が死亡又は罹病したときには、担当医師は接種に際し右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定するのが相当である」

 大阪空港騒音訴訟においては、もっと端的な姿勢が認められる。

空港というサービスを提供することで得られる「公共的利益の実現は、被上告人らを含む周辺住民という限られた一部少数者の特別の犠牲の上でのみ可能であつて、そこに看過することのできない不公平が存することを否定できない〈中略〉上告人が本件空港の供用につき公共性ないし公益上の必要性という理由により被上告人ら住民に対してその被る被害を受忍すべきことを要求することはできず、上告人の右供用行為は法によつて承認されるべき適法な行為とはいえない」(最判昭和561216日)

 2 国家賠償制度による救済は否定した例

 パトカー追跡による暴走車の巻き添え事故

 不審な車を発見してパトカーが追跡したところ、第三者が逃走車に巻き込まれて被害を受けたという事案

「およそ警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断してなんらかの犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由のある者を停止させて質問し、また、現行犯人を現認した場合には速やかにその検挙又は逮捕に当たる職責を負うものであつて(警察法二条、六五条、警察官職務執行法二条一項)、右職責を遂行する目的のために被疑者を追跡することはもとよりなしうるところであるから、警察官がかかる目的のために交通法規等に違反して車両で逃走する者をパトカーで追跡する職務の執行中に、逃走車両の走行により第三者が損害を被つた場合において、右追跡行為が違法であるというためには、右追跡が当該職務目的を遂行する上で不必要であるか、又は逃走車両の逃走の態様及び道路交通状況等から予測される被害発生の具体的危険性の有無及び内容に照らし、追跡の開始・継続若しくは追跡の方法が不相当であることを要するものと解すべきである。」(最判昭和61227日)

 消防団が、救済活動中に死傷した場合にも、同様に、救済が否定されている。