甲斐 素直
議院の権能とその行使
一 議院の自律権の概念
(一) 議院の自律権の根拠
1 権力分立制
2 二院制
議院の自律権の根拠は、 行政権や司法権からの自律という点に関しては、権力分立制によって説明しなければならない。他方、各院の自律、特に参議院の衆議院からの自律という点に関しては、二院制である。したがって、どうしても二元的な説明が必要となる。
(二)自律権の分類
1 議院の組織権及び議院の運営権
普通の教科書では、この二分類で説明している。しかし、この分類だと、例えば議院規則制定権は、組織権としても運営権としても重要な機能として理解しなければならない。ところが、講義上はどちらで、たいていは先に話す組織権の一環として説明し、運営権では触れないことになるので、受講している者から見ると、運営権には該当しないような錯覚を与える。そこで、ここでは次の分類で講義する
2 憲法に則した分類=自主立法権、自主行政権、自主司法権及び自主財政権
二 自主立法権=議院規則制定権(58条2項前段)
旧憲法51条では議院法の制定を予定していた。ところがそうした特別の規定が存在しない現行法下においても、国会法が制定された。ここから、国会法と議院規則の関係が深刻な問題となる。
(一) 国会法の合憲性
@ 明治憲法以来の慣行と便宜上の必要に基づいた存在で、合憲とする説
A 議院の自主性を害しない限り合憲とする説
B 議院の自律性を侵害するもので、違憲とする説
(二) 国会法及び議院規則の規制する対象範囲
ア 議院規則は、法規命令を含みうるか?
イ 国会法は、内部事項を含みうるか?
@ 内部事項についても、国会法と議院規則の競合的所管事項とする説
A 内部事項については、議院規則の排他的、専属的所管事項とする説
(三) 議院規則と国会法の優劣
@ 法律優位説
A 規則優位説→国会法=紳士協定説
B 規則優位説→大綱部分は国会法の優越、具体的運用は規則の優越
実務は、規則優位で運営されている。
例 国会法 25条に対し衆議院規則は次のように定めて抵触している。
「第十五条 常任委員長の選挙については、議長の選挙の例による。
議院は、常任委員長の選任を議長に委任することができる。
参議院規則には16条にほぼ同文の規定がある。
三 自主行政権
(一) 自主人事権
1 議院役員の選任権(58条1項)→国会法16条
2 役員以外の人事権
(二) 自主執行権=自律的運営権
1 院内警察権
参考
衆議院規則
第208条 議長は、衛視及び警察官を指揮して議院内部の警察権を行う。
第5回(特別)国会昭和24年10月21日の議院運営委員会において協議の結果、議員会館及び議員宿舎は院外であって議院警察権の範囲外であると決定した。(衆先540)
第209条 衛視は、議院内部の警察を行う。
警察官は、議事堂外の警察を行う。但し、議長において特に必要と認めるときは、警察官をして議事堂内の警察を行わせることができる。
警察官をして議事堂内の警察を行わせた場合 第19回国会昭和29年6月3日、第34回国会昭和35年5月19日(衆先444)
第210条 議院内部において現行犯人があるときは、衛視又は警察官は、これを逮捕して議長の命令を請わなければならない。但し、議場においては、議長の命令がなければ逮捕することはできない。
参議院規則では、217、218、219条にほぼ同文の規定がある。
2 国政調査権
国政調査権は、普通の教科書だと、議院の自律権と並ぶ独立の権能として説明する。しかし、調査内容を議院が自ら決定し、遂行する、という点では、自律権に属するので、ここでは自律権の一環として説明する。但し、調査の対象が議院内にとどまらず、広く国政全般にわたり、特に個々の国民にも及びうる点で、大きな特徴があることを看過してはならない。
(1) 権限の性質
@ 独立権能説→国権の最高機関性(総合調整機能)から、国政の全般を対象
A 補助権能説(第1説)→立法機関性から法律制定に必要な事項を対象
B 補助権能説(第2説)
→立法機関性から法律案、議院内閣制から行政監督権、国会中心財政主義から財政全般をそれぞれ対象(独立権能説と結果的に一致する)
C 国民の知る権利への奉仕説
→主権者たる国民に国の保有する情報を提供する目的から広く認められる。
注意:国政調査権は、各国議会が保有する権限であるが、その制度の実体は国によりかなり違うので、わが国制度を論じるにあたり、安易に外国制度は引用しない方がよい。
(2) 調査権の限界
@ 司法権の独立による限界
浦和充子事件→具体的裁判における量刑の当否を検討
吹田黙祷事件→裁判長を証人として喚問
A 行政の中立性による限界
行政権は、議院内閣制及び国会中心財政主義という二つのチャンネルから議院として統制することが可能なので、司法権に比べると広く調査権が及ぶ。しかし、無制約ということではない。大きな限界として現れるのが次の二点である。
検察権の自律性=二重煙突事件、日商岩井事件(百選378頁参照)
公務員の守秘義務(国家公務員法第100条、議院証言法第5条)
B 証言拒否権による限界(第38条→議院証言法第4条)
A 答えると、自分や近親者等が刑事訴追を受け、あるいは有罪の判決を受けるおそれのある質問(証言法第4条第1項)
B 医師、弁護士等が職業上知り得た他人の秘密に関する質問(同2項)
C 適法でない質問
D 調査の限界を超えた質問
E 調査に関係のない質問
F 純粋に私事に関する質問
G 思想、良心、信仰など精神的自由に関する質問
3 議事運営と司法審査
議院の自律権と法案議決手続における瑕疵認定権
(警察法改正無効事件=最大昭和37年3月7日、百選U 400頁参照)
四 自主司法権
(一) 議員の懲罰権(第58条第2項後段)
1 懲罰の開始(国会法121条)
(1) 議長の意見 (1項)
(2) 委員会における事件については委員長の報告 (2項)
(3) 議員の動議(衆議院40人、参議院20人以上の賛成)(3項)
2 懲罰の種類(国会法122条)
(1) 公開の議場における戒告
(2) 公開の議場における陳謝
(3) 一定期間の登院停止
(4) 除名(3分の2以上の賛成が必要)
ただし、再び当選したものを拒むことは出来ない(国会法第123条)
3 会期末及び閉会中の事犯に関する特別措置
会期不継続の原則に対する例外(国会法121条の2、121条の3)
(二) 議員の資格争訟の裁判権(第55条)
当選して議員となった者が、議員の資格を備えているかについて争いがあり、その議院の他の議員から議院に対して裁断が求められた場合に発動される裁判権
1 議員の資格⇒法律で定める(44条)→公職選挙法10条、11条
2 具体的な手続き
@ 争訟の提起⇒議員から文書で議長へ行う (国会法111条2項)
A 委員会に依る審査 (同 1項)
B 2名以内の弁護士の選任権(1名についての国費での支弁)(同 112条)
C 本会議における3分の2以上の多数による議決(本人は投票権はない=同113条)
3 当選訴訟との関係
ある候補者を当選人とする決定行為の効力を争う訴訟(資格の有無も対象となる)
五 自主財政権
二重予算制度
六 会議の公開の停止(第57条)
(一) 秘密会の開始(国会法第62条)
1 議長の提案
2 10人以上の議員による発議
(二) 3分の2以上の多数による賛成(第一項)
(三) 記録の保存、公表義務 (第二項→国会法第63条)
七 請願の受理権(第16条→請願法)
国会法第9章
規則と法律
甲斐素直
問題
最高裁判所の規則制定権と国会の法律制定権の競合関係について、議院の規則制定権と国会の法律制定権の競合関係と対比しつつ、論ぜよ。
平成
類題
国会法と議院規則との関係について、その所管事項及び効力関係の問題を中心に論じなさい。
平成
13年度外務省専門職員採用試験[はじめに]
小問形式の問題の場合、各設問にいきなり答えず、必ず、各設問に共通する要素を取り出して、それについて総論的な議論を展開し、それをブレークダウンして個別の議論に至るようにしなければいけない、ということはいつも強調するとおりである。
本問は、厳密に言うと小問形式にはなっていないが、話は変わらない。ここで聞かれているのは、一つは裁判所規則と法律の競合であり、一つは議院規則と法律の競合である。ということは、共通する要素としては、『規則と法律』というものがある、ということが、誰にも容易に見て取れるであろう。だから、本問は、上述したように『規則と法律』という出題に対して用意している答えを書くのが正しいのである。
いつも強調する、論文は基本書のダイジェストであらねばならない、という問題は、本問に対しても良く該当する。
本問で問題となるのは、二つの点である。第一に、国会法や裁判所法を論ずるには、実質的意味の立法概念とそれから導かれる形式的意味の立法概念を厳密に定めるという作業を避けて通ることはできない。それにより、規則で制定しているのが、どちらの法領域かということが決まることになる。
第二に、議院規則制定権は、当然議院の自律に、裁判所規則制定権は司法権の自律(独立)に、それぞれ関わる問題である。したがって、最終的には、自律権が強いと考えるのか、
41条に基づいて発生する立法権が強いと考えるのか、という比較考量によって議論は決まることになるのである。一 二重立法概念
この概念については別に詳しく説明したことがあるので、ここでは要点のみを説明する。
わが国においては、通説は、実質的意味の立法概念と形式的意味の立法概念を区別し、実質的意味の立法概念を採用することを規定したものと理解する。すなわち権力分立制を国民の自由の実質的保障手段と理解する場合、その適用範囲はすべての国家活動である必要はない。国家活動のうちで、対国民的な活動に限定して良い。
このことを基準に、国が作るさまざまな法規範を二つに分類すると、対国民的な効力を持つ法規範がある。これを「法規命令
Rechtssatz」と呼ぶ(略して「法規」と呼ぶことも多い)。これを実質的意味の立法と呼ぶ。権力分立制の本旨から、これだけが国会に独占を要求される立法と考える。そこで、この法規命令をどのように定義するかが問題となる。ここでは、理由まで一々述べないが、諸君が以下の説の一つを採る場合、必ずその理由を述べるべきは当然であることを忘れないで欲しい。
もっとも通説に近い説といえる権利義務説をとれば、国会法や裁判所法の規定は、傍聴人等に関するごく一部の規定を除き、実質的意味の立法に該当しないことになる。したがって、この説の場合には、さらに次のように述べて、はじめて国会法や裁判所法の制定が許容される。すなわち、この法律中、実質的意味の立法以外の立法は、憲法が特に国会の法律によることを定めている場合を除いて、国会の独占は要求されない。ただし、その場合でも、国会が法律を制定することは妨げない(この但書が、なぜ導けるかについては、後述する)。
これに対して、佐藤幸治は、上記権利義務に加えて、国家の基本的な組織法は実質的意味の立法に属する、と説く。したがって、現に国会法や裁判所法に属する法領域で、実質的意味の立法に属する範囲が広がることになる。しかし、それでも全体が実質的意味の立法概念に該当するわけではないから、やはり上記但書のような補足が必要になる。
芦部信喜の場合には、一般的抽象的法規範はすべて実質的意味の立法概念に該当すると説くから、この場合には問題なく国会法や裁判所法のすべてが実質的意味の立法概念に属すると考えることができる。したがって、裁判所規則や議院規則は、憲法
77条や58条2項が41条の特則と考えることにより、はじめて制定権が認められることになる。上述したどの形で実質的意味の立法概念を把握するかは、基本書と相談して決めて欲しいのだが、その残った部分が形式的意味の立法概念となる。そして、本問の最大の特徴は、その形式的意味の立法に関する国会の立法権は、どの範囲で認められるか、ということが、中心論点になるという点にある。なぜなら、規則が制定されるのは、芦部説などを採らない限り、通常、形式的意味の立法に属する領域だからである。
この形式的意味の立法権が国会にあるか否かは、「唯一の立法機関」という概念からは答えを引き出すことができない(そこにいう立法は実質的意味と限定しているからである)。そこで、今ひとつの「国権の最高機関」という概念に依存する。形式的意味の立法に属する領域についても、国会は、特に憲法によって禁じられていない限り、その意思を法律という形式で表明することができると考えるのである。
この下りを記述するにあたって注意するべきは、できるだけ簡略な記述に押さえる、ということである。すなわち、本問の中心論点は、自律権であって、二重立法概念ではないから、二重立法概念にスペースを割きすぎると、自律権に関する記述不足となって、自動的に落第答案になってしまうからである。
二 自律権の概念
裁判所や国会の自律権は、権力分立制から導かれる。すなわち、裁判所であれば、司法権の独立を維持するためには、その内部自律を、国会や内閣から干渉されない権利を保障する必要があると考える。国会の場合にも、同様に、行政府や司法府からの自律を考えなければならない。
ここで少し特殊性が発生するのが、立法府の場合、問題になっているのが「議院」であって、「国会」ではない、ということである。したがって2院制との関連こそがもっとも重要な点である。もちろん、本問では、それは導入部であって、主たる論点ではないから、簡略に触れれば十分である。
すなわち、国民主権理念の下においては、普通選挙によって選ばれる第一院の意思が常に国民の意思と一致しているという保障はない。そこで、議会に民意を忠実に反映する方法として第一院とは異なる選挙方法で選出される第二院を設け、第一院の軽率な行動の抑制を行わせることによって、議会が真に民意を反映している存在とする訳である。このような目的から第二院を設けたことから、必然的に、両者は対等であり(
59条1項)、相互に独立して活動する存在でなければならない、という原則が導かれる。この後者の、両院活動独立原則こそが議院の自律制の根拠なのである。ただ、これは議院が相互に自律権を有する根拠であって、他の国家機関との関係を説明することはできないから、それについては、裁判所の場合と同様、権力分立制から説明していく必要がある。すなわち、他の国家機関は、国会の構成要素たる議院に対しては、権力分立制の枠を越えてその自律を侵害することはできない。
その意味で、議院の自律権には、二つの根拠があることになる。
三 自主立法権の意義
規則と法律の関係を考える場合にも、裁判所の場合よりも議院の場合の方が、はるかに難しい問題になる。なぜなら、裁判所法の制定は、憲法
76条1項の予定するところであるのに対して、国会法は予定されておらず、旧憲法51条との対比からいえば、むしろ禁止されていると読むことができる。そこで、ここでは、国会における問題をまず考えることにする。すなわち、本問の聴き方とは逆に、国会法を中心に、裁判所法を従にして説明していくことにする。憲法は、会議その他の手続き及び内部の規律に関する規則の制定権を明確に各議院に与えている(
58条2項前段)。ここで問題となるのは、第一に国会法の合憲性であり、第二に国会法及び議院規則の管轄であり、第三に国会法と議院規則の優劣である。(一) 国会法の性格
旧憲法第
51条は明確に議院法というものを予定していた。したがって、各議院の自律に属する事項に関する法律を制定することが合憲であることは疑問の余地がなく、当然に議院法は、各議院規則に優越すると解された。換言すれば、旧憲法下においては、議院規則制定権は政令と同様に、議院法の施行細則を制定する権限に過ぎず、自律権とは関わりのない権限であった、と理解できる。この伝統を受けて、現行憲法下においても当然のこととして、憲法施行と同時に国会法が制定された。しかし、二院制をとりながら、このように各院の内部自律に関する事項について、それを専管する法律が制定されているという例は諸外国に見られない。
しかも、現行憲法は、議院法というものを予定しておらず、また、法律の制定にあたり、衆議院に優越を認めている。したがって、国会法の制定を認めることは両院独立活動の原則に違反する疑いが濃厚である。ここから、現行国会法制定の当初から、その合憲性については疑問が投げかけられてきた。これについては、学説としては論理的には次の三説が存在しうる。すなわち国会法は、
@ 明治憲法以来の慣行と便宜上の必要に基づいた存在で、合憲とする説
A 議院の自主性を害しない限り合憲とする説
B 議院の自律性を侵害するもので、違憲とする説
の三説である。
他国との比較法及び現行憲法の文言解釈から見れば、正しいのは明らかにB説である。しかし、国会法が長期にわたって存在し、それに基づいて議院運営がなされてきているから、B説はあまりに問題が大きく、現状としてはとる者はいない。結局、現実的な学説としては@説とA説が対立していることになる。
この二つの学説は、簡単にいってしまえば、現行の国会法を旧議院法と同様に、規則に優越するものと考えるか否かで対立していることになる。だから、かつては、自律権に関してほとんど問題意識が見られないままに、@説が疑う事なき通説であった。しかし、近時は自律権の尊重が当然のように認められるようになってきたから、むしろA説の方が多数説になっているのではないか、と私は考えている(同旨、戸波江二新版
386頁)。いずれにせよ、どちらが多数かということは、論文の論理に影響を与える問題ではないから、下手に言及しない方がよい。しかし、諸君が今使っている基本書で、@説の論者はいないから、以下ではA説に力点を置きつつ説明していきたい。
(二) 国会法及び議院規則の規制する対象範囲
ここからが、いよいよ本問が詳しく述べることを要求した部分である。
この点については、@Aどちらの説も、国会法及び議院規則の存在を肯定しているから、論点は次の二つである。
ア 議院規則は、法規命令を含みうるか?
イ 国会法は、内部事項を含みうるか?
順次論じよう。
1 規則と法規命令
冒頭に述べたとおり、公述人や傍聴人などは一般市民であるから、法規命令をどのように定義しようとも、かならずそれに関して定めた規定は、実質的意味の立法概念に該当することになる。したがって、それは法律で独占しているはずだから、議院規則は委任命令あるいは執行命令という性格を持つ場合にのみ、これを規定しうると、
41条の理論からはいうべきことになる。しかし、このように説く論者は普通、見あたらない。
この点に関しては、憲法がわざわざ議院規則を予定した点から、憲法
58条2項を、41条に対する特則と捉える。すなわち自ら定めた例外として説明するのが普通である。したがって、上記アの問に対する答えは、すべて含むことができる、ということになる。これに対して、裁判所に関して取り扱い方が難しいのは、
77条列挙事項前半の、訴訟手続きや弁護士に関する事項である。理論的には、司法権の独立を確保するために特に憲法が定めた例外と解することができる。しかし、実務的には民事訴訟法や刑事訴訟法が存在し、裁判所規則(民事訴訟規則や刑事訴訟規則)は、法律に対する政令と同様に、委任命令、執行命令の形式において制定されている。したがって、上記の議院規則に関する議論を適用すれば、民事訴訟法などは違憲という結論が導かれうる。それも立派に一つの論文である。しかし、実務を基本的に承認する、という姿勢で論ずる場合には、ここが本問の要求している対比するべきポイントとなる。その場合、単なる傍聴人などと異なり、国民の権利・義務に関与する度合いが大きいから、と説明していくことになる。この点、芦部説だと、列挙事項前半と後半とで、質的な差違がないことになるから、全体を41条の特則と説明せざるを得ず、合憲説を展開するのは難しいのではないか、と考えている。2 法律と内部規則制定権
イの点では、まさに議院や裁判所の自律権との関連が問題となり、この点が、上記(一)の論点と結びついて、先鋭的な対立を示すことになる。学説的には大別すれば、次の二説がある。
@ 内部事項についても、法律と規則の競合的所管事項とする説
A 内部事項については、規則の排他的、専属的所管事項とする説
の二説が存在することになる。(一)で@説を採った者は、ここでも必然的に@説を採るのは必然である。これに対して、A説を採った場合には、ここでは@説を採るものとA説を採るものとに分かれることになる。この分かれは、基本的には次に述べる効力関係での説によって決まることになる。
(三) 議院規則と国会法の優劣
1 対国民的関係
公述人など、一般国民との関係では、
41条から法律が本来独占している法領域であることを考えると、国会法が議院規則に優位すると考える、という見解が導き出される。しかし、当然、議院自律権を重視し、議院規則制定権という特則の存在を重視すれば、両者が抵触する場合には、議院規則が優越すると結論を出すものもある。基本書と相談して決めて欲しい。2 対内部規律
内部規律に関しては、上記の対立は、この場面に来ると、当然@法律優位説とA規則優位説に分裂する。
(一)で@説を採った者の場合には、ためらうことなく、法律優位説、すなわち両者が抵触した場合には、法律が優越する、と結論する。この場合、直接の根拠となっているのは、一院だけの議決で足りる議院規則よりも、両議院の議決を必要とする法律が優位するのは当然、という論理である。私が学生だった頃は、このような素朴な議論でこの問題は終わりだった
これに対して、近時は一般に、議院の自律を重視する結果、議院規則が一院だけの議決で完結的に成立するものだからこそ、院の内部自律に関しては規則のみが定めうる、と考える。この場合、それにも関わらず、現実に国会法が内部規則を規制していることの効力が問題となる。
この視点に立った場合でも、いくつかの説の分かれがあり得る。
もっとも有名なのが、小嶋和司の説いた「国会法=紳士協定説」である。すなわち、国会法の定める内部規律に関する部分は、各議院がそれに従う限りにおいて有効であるが、これと異なる議院規則が制定された場合には、議院規則が当然に優越すると考える(私はこれに賛同する。記述が今一つはっきりしないが、おそらく戸波江二もそうである)。
例えば佐藤幸治は次のように述べる。
「議院規則で定めるべき事項を国会法で定めようとする場合、一院だけで決めることを意味する衆議院の優越は妥当せず、また、その国会法は道義的拘束力を持つにとどまり、法的に議院規則を排除する力を持ち得ないと解される」(三版
また、佐藤幸治は、前に述べたように行政組織編成権は、法律の専管事項だと考えるから、その限りでは法律が優位すると考える。そこで立場から、若手学者の間では、大綱部分は国会法が優越し、具体的運用については規則が優越すると説くものがある。
これに対して、芦部信喜の場合には、前に述べたとおり、内部規律であっても全面的に実質的意味の立法概念に該当すると考えるから、国会法の制定権をこのように強く否定することは辛い。そこで、議院規則を尊重しつつも、国会法の制定にあたっては、衆議院の優越を認めない、という点で調整しようとすることになる。すなわち、
「規則優位説も有力であるが、法律優位説が支配的である。しかし、いずれかに割り切って考えるべきではなく、法律が優位するとしても、国会法の改正には衆議院優越の原則を適用しない慣行と、規則固有の所管に属する内部事項については規則を尊重し、法律をそれに適合するよう改定する慣行を樹立すべきであろう。」(芦部信喜・新版
つまり、芦部説では、理論的には法律が優位する。それを議院慣行によって、実質的に規則優位に換えるべきである、という政策論でカバーしようとしているのである。二番目の慣行という文字には、原文ではわざわざ傍点が打ってあって、あくまでも法律論のレベルの議論ではないことを強調している。しかし、これでは憲法論として成立しないと考える。芦部説を採る諸君は、少なくとも
59条2項の不適用は、憲法解釈論のレベルで明確に主張するべきであろう。以上を要約すれば、@説というのは基本的に規則制定権を議院の自律権と関連づけて考えていない、と断定して良い。戦前の議院法のように、憲法の定めた例外の場合だけでなく、一般的に規則に対する法律の優位を承認しているからである。これに対して、議院の自律権というものを重視すれば、いやでも議院規則優越説に移行することになる。
なお、現実の国会運営では規則優位説にしたがって行われている。例えば国会法
25条は「常任委員長は、各議院において各々その常任委員の中からこれを選挙する」と規定しているが、衆議院規則は次のように定めて抵触している。「第十五条 常任委員長の選挙については、議長の選挙の例による。
議院は、常任委員長の選任を議長に委任することができる。」
同様に参議院規則は次のように定めて抵触している。
「第16条 召集の当日に常任委員長がないときは、議長の選挙の例により、その選挙を行う。
議院は、常任委員長の選任を議長に委任することができる。
そして、いずれの場合にも、規則に従って運営されている。すなわち、紳士協定説が支配しているということになる。
ここに提起したものと同じような問題は、裁判所法と裁判所規則との間にも発生する。基本的には、同様に理解していくことになる。ここでも、芦部説の場合には、理論的には法律が優位するといわざるを得ず、規則が実質的に優位するような慣行を作るべきだと、歯切れの悪い政策論が展開されることになる(新版・
316頁参照)。そして、こちらでもまた、裁判諸規則が法律に優位する事が、実務的に確認された(裁判所法10条参照)。近時、規則と法律の関係でも、規則優位説を採る者が増加した大きな根拠に、こうした実務上の動向が存在している、と見るべきであろう。補論:憲法
31条について非常に多くの諸君が裁判所規則制定権との関連で、憲法
31条が、訴訟「法」を要求していると書いている。しかし、31条は本問とは関係がない。その理由を一言でいえば、31条は人権規定であり、今論じているのは統治機構論なので、両者は本質的に関係がないからだ、ということになる。31条に言及する芦部信喜・新版316頁などでも、法律優位説の根拠の一つとして「ことに刑事訴訟については、そう解することが憲法31条によって要請される」と述べて、要請という歯切れの悪い言葉が使われている。まして、訴訟法一般にそう考えねばならない、というような表現はないのである。しかし、このように抽象的にいっても判りにくいと思うので、もう少し掘り下げて、簡単に説明したい(本格的に説明すれば、
10頁くらいが必要となる)。そもそも
31条は、英米法でいうところのデュープロセスdue process概念を述べているものと、近時では一般に理解されている。米国法では、この概念は、さらに実体的デュープロセスと手続き的デュープロセスとに分けて論じられる。このうち、実体的デュープロセスは、わが憲法学では一般に幸福追求権として論じられる概念にきわめて近く、わざわざ31条の枠内で論ずる実益がない。そこで31条で専ら問題になるのは手続き的デュープロセスとなる。しかし、この概念が要求するのは、文字通り、個人の人権を侵害するに当たり、告知・聴聞に代表される適正な手続きが法定されていることを求めるだけである。すなわち、第一に、告知・聴聞等、個人の人権に直結するものだけがここで問題となり、直結しない一般的な手続きの法定は、要求されていない。広く、刑事訴訟法や民事訴訟法の全条文が、本条の要求と見るのは間違いなのである。第二に、法定とは、客観的な明確性を持っていれば、十分である(なぜか、という点は、この概念に関する本格的な議論を必要とするので、ここでは割愛)。確かに
31条は「法律」という言葉を使用している。しかし、この言葉だけを根拠として、国会が法律という形式で定立する法規範に限定する必要がある、とは一般に解されていない。客観的な明確性さえあればよいから、例えば、条例でも良いし、政令や省令、あるいは官庁の告知等でも良い。さらには行政庁内部で制定している基準程度でも構わない(例えば個人タクシー事件最高裁判所昭和46年10月28日判決参照)。だから、もちろん、ここで問題となっている裁判所規則でももちろん構わない。すなわち、本問についていえば、法律と規則のどちらでも申し分ない、というのが、
31条における答えである。だから、本問では、31条は論点とはならないのである。