憲法統治機構論第
13回甲斐素直
司法権の概念
一 司法権の概念
(一) 戦前の通説
「司法と行政との間には性質上の区別を認めることを得ず。」
⇒「司法とは刑事、民事の裁判を意味す」
(二) 戦後の通説
「具体的争訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用」
(清宮四郎『憲法T』新版、有斐閣昭和
56年刊、330頁)「(戦前の司法制度は)フランスによって代表せられる、ヨーロッパ大陸の諸国で発達した制度に由来するものである。これに対して、日本国憲法は、イギリスやアメリカの制度にならって、司法とは、民事及び刑事の裁判のほか、行政事件の裁判をも含めて、すべての争訟の裁判を意味するものとなし、この作用を行う権能を司法権といい、すべてこれを裁判所に属するものとした。」
(三) 判例
かつての判例は、裁判所法
3条にいう「法律上の争訟」は、第一に当事者間の具体的権利義務又は法律関係の存否に関する紛争であり、第二に、法律の適用によって終局的に解決しうることをいう、としていた(例えば警察予備隊訴訟最高裁判決参照)。『具体的争訟』
米国合衆国憲法
3条2節司法権の権限が「事件又は争訟
case or controversy」によって決せられる第一節 合衆国の司法権は、一つの最高裁判所、および連邦議会が随時制定し設置する下級裁判所に属する。最高裁判所および下級裁判所の裁判官は、非行なき限り、その職を保ち、またその職務に対して定時に報酬を受ける。その額は、在職中減ぜられることはない。
第二節 司法権は、次の諸事件に及ぶ。@この憲法、合衆国の法律および合衆国の権限に基づいて締結されまた将来締結される条約の下で発生するコモン・ロー上およびエクイテイ上のすべての事件。A大使その他の外交使節および領事に関係するすべての事件。B海法および海事裁判権に関するすべての事件。C合衆国が当事者である争訟。D二以上の州の間の争訟。二州と他州の市民との間の争訟。E相異なる州の市民の間の争訟。F相異なる州から受けた権利付与に基づく土地の権利に関する同じ州の市民の間の争訟。G二州またはその市民と他の国家または外国の市民もしくは臣民との間の争訟。
⇒司法権の権限は、具体的争訟に限定される?
(四) わが国の現実の訴訟の類型
1 主観訴訟=当事者間に、具体的な権利義務ないし法律関係の存否(刑罰権の存否も含めて)に関する紛争があること。ほとんどの訴訟はこの類型に入る。
2 客観訴訟(当事者でないものが訴えを提起できる場合)
(1) 民衆訴訟(行政事件訴訟法第
5条)203条〜208条)@ 選挙訴訟(公職選挙法
A 住民訴訟(地方自治法
242条の2)等(2) 機関訴訟(行政事件訴訟法
6条)176条8項)地方公共団体議会の議決または選挙に関する訴訟(地方自治法
このほか、株主訴訟など、客観訴訟の類型に入ると思われる訴訟類型が増加しつつある。
二 具体的事件性について
「
もっとも最近の連邦最高裁は、『事件・争訟性の要件』の内包・外延の曖昧さを避けるためか、この要件によるよりも、一般に『司法判断適合性』(
justiciability)という用語に依って司法権の限界を求めてきている。司法判断適合性とは、裁判所が実体問題とその意味合いを理解し、その問題を適正に解決する上で必要な知識と視野を当事者に提示させることによって、司法的介入を、(ア)紛争解決に必要な範囲に限定し、(イ)他の部門の憲法上の権限を剥奪しない状況に限ろうとする試みであって、その一部は憲法上の要請であり、他の一部は政策的な配慮から来るものである、といわれている。」
(『憲法理論T』補訂第
3版、成文堂2000年刊393頁より引用)○ ここにでてきた司法判断適合性とは、具体的には、当事者適格、成熟性、ムートネスなど、憲法訴訟論で登場する一連の法理により決定されることになる要件のことである。
ポイント
@ こうしたアメリカ法の変遷は、具体的事件性概念をわが憲法解釈で採用する根拠として、アメリカ法の継受ということができなくなったことを意味する。
1:司法権の概念の内包は従来のまま維持しつつ、法律により裁判所に付与された権限についても違憲審査を可能である、とする論理を導くA 従来の通説・判例にしたがう場合、客観訴訟では憲法判断は許されない。しかし、現実の憲法訴訟における客観訴訟の重要性を考えると、これは否定すべきである。
次の三通りの対応策が存在しうる。
対応策
対応策
対応策
3:司法権概念そのものを捨てる。実際に、この三つのすべてに対して、いくつかの説が存在している。以下、新旧司法試験委員の説を紹介する。
(一) 法原理機関説(佐藤幸治)
「司法権の観念が歴史的に流動的なものだとしても、それが立法権や行政権と異なる独自のものとされるゆえんは、公平な第三者(裁判官)が、関係当事者の立証と推論に基づく弁論とに依拠して決定するいう、純理性の特に求められる特殊な参加と決定過程たるところにあると解される。これにもっともなじみやすいのは、具体的紛争の当事者がそれぞれ自己の権利・義務をめぐって理をつくして真剣に争うということを前提に公平な裁判所がそれに依拠して行う法原理的決定に当事者が拘束されるという構造である。」
(『憲法』第
この場合、客観訴訟についてははどう考えるのか。
「裁判所が司法権を独占的に行使するということは、他方、裁判所は司法権のみを行使すること、換言すれば、裁判所が本来的司法権ならざる権能を行使してはならないこと、を直ちには意味しない。本来的司法権を核として、その回りには法政策的に決定さるべき領域が存在している。いわゆる『客観訴訟』の創設とか非訟事件の裁判権の付与などがそれである。裁判所法
(二) 公権的裁定説(浦部法穂)
「もともと裁判所というものは、権力支配の秩序維持のための国家機関として、社会に生起する個別的な紛争の公権的裁定を、その任務として与えられているものである。要するに、全体の統治=支配機構の中で、特に個別的な紛争の公権的解決を通じて秩序維持に仕えることを任務としている。だから、それは、はじめから、個別的紛争の存在を前提にして機能するものであり、そして、そこでは、公権的に裁定する必要性の認められる紛争だけが取り上げられることになるのである。」
浦部法穂『全訂憲法学教室』日本評論社
この場合、個別的紛争というには、次の二つの要件が充足される必要がある。
「第
(三) 法の支配説(高橋和之説)
「アメリカ合衆国憲法
「付随審査制においては『事件』の存在が前提となるということになる。しかし、ここにいう『事件』とは具体的事件に限定されない。司法裁判所に適法に係属した『事件』なら『抽象的』事件でもかまわない。たとえば、行政法学上民衆訴訟、客観訴訟と呼ばれている訴訟も含まれる。それらの『事件』の解決に付随して必要な限度で違憲審査をするのが付随審査制である。実際、日本の違憲審査制はこのような理解で運用されてきている。ゆえに、日本の違憲審査制が司法審査型であることは、司法の概念が事件性の要件を含まねばならない根拠とはならないのである。」
「司法権の観念」樋口陽一編『講座憲法学』第
(四) ドイツ憲法説(戸波江二説)
現在のドイツボン基本法では、憲法裁判に加えて、通常(民事及び刑事)、行政、財政、労働及び社会の各裁判権をすべて司法として一元的にとらえ、それぞれについて最高裁判所を設置するという形式を採用している。その意味で、裁判所に司法権
「なぜ事件性が司法権の本質的要素とされるのかという問題について、理論的な根拠を提示する学説もある。それによれば、紛争の当事者がそれぞれ自己の権利義務をめぐって主張を行い、公平な裁判所が法に従って判断を下すという構造こそが司法権にふさわしいものであると説かれる。たしかに、近代の裁判はそのような訴訟構造を前提として発展してきており、歴史的にみて司法権は事件性を前提にしているということができる。しかし、問題はそのような訴訟構造の枠を超えた事件を裁判所が審理判断することができないかどうかである。そして、客観訴訟が法律で定められ、『念のため』判決のように訴訟要件を欠く訴訟で実体判断がなされていることなどを考慮すれば、事件性の要件、は、例外を許さない絶対的な要件ではないと解される。すなわち、事件性の要件は、事件性の要件をみたさない訴えを裁判所が拒否するための正当化理由となるが、逆に、裁判所が事件性を欠く訴えについて個別的に審理・判断したり、法律が事件性の要件を欠く訴訟を定めたりしたとしても、それらの事件を裁判所が審理・担当すべき十分な理由がある場合には、『司法』権を裁判所に属せしめた憲法
76条に反することにはならないと解される。事件性の要件を欠く訴訟のうちで、どのようなものを裁判所の審理の対象とすることができるかは、法を適用して紛争を解決するという司法にふさわしいかどうかによって判断されよう。」戸波江二『憲法』新版、行政平成
12年刊、427頁以下参照