会計事務職員の弁償責任
甲斐素直
【はじめに】
国の会計事務を処理する職員(以下「会計事務職員」という。)が、その職務の執行に当たり、国に損害を与える行為を行った場合に、一般の国家公務員法上の懲戒責任を負い、また、一般法に従い民事上、刑事上の責任を負うことがあるのは当然である(以下、これらの責任を総称して「一般責任」という)。しかし、会計法規は、会計事務職員としての地位にある者に関しては、一般責任とは別に、特別の弁償責任を課している。この弁償責任は、単に特別の責任であるというだけではなく、その責任の存在を、会計検査院が検定という手続きを通じて職権で明らかにする、という制度が採られているという点にも特徴がある。
具体的には、現在、出納職員、予算執行職員及び物品管理職員の三者に、この特別の弁償責任が課されている。出納官吏については会計法四一条の、物品管理職員については物品管理法三一条の、そして予算執行職員については予算執行職員等の責任に関する法律(以下「予責法」という。)三条二項のそれぞれ定めるところにより、これら三つの地位にある者が、国に対して加えた損害に対する賠償責任が、「弁償責任」という名称の下に定められている。
以下、この責任の意味、特に一般責任との関係や、この責任の成立要件について検討したい。
一 弁償制度の沿革
わが国財政法制度は、基本的には江戸時代に徳川幕府の下で発達した、わが国独自の法制度である(1)。しかし、わが国が明治憲法下で様々な外国法を継受する過程で、わが国の他の法体系とは異質な法制度が導入された。その導入は、特に、フランス法系とドイツ法系という異質の法体系が、相互に十分調整されることなく行われた点に大きな特徴がある。弁償責任制度もその一つである。本来のそれは、国庫金に関する銀行制度が存在しないフランス法体系の下で、公金管理の適正を、出納官吏に無過失責任を課するという手段により確保するべく、制定された制度である。それが全体としてドイツ法体系の影響の強い明治憲法体制の中で命脈を保ち続けたために、他から独立した異質の制度として存在し、今日に至っているため、理論的に説明の困難なものとなっている。
(一) 弁償責任の母法系
明治初期にわが国法制度に強い影響を与えたのは、フランス法系であり、財政法制度もまたその例外ではなかった。それは基本的にはナポレオン一世が制定した財政法体系であるが、直接わが国で模範としたのは、ナポレオン三世の第二帝政時代のそれである。
それらフランス財政法制度には、他国に例を見ないいくつかの特徴がある。その第一は、会計事務職員の権限を分割し、互の牽制により財政執行の適正を図るという点である。わが国現行財政法規で、たとえば国費の支出に関係する行為を、支出負担行為担当官、支出負担行為認証官、支出官、出納官吏などに権限を分割し、その官吏相互の牽制により全体としての適正を期する制度が存在しているが、それはこのフランス法から受けた影響の、今日における現れの一つである。
フランス財政法制度の特徴として、よく内部統制が強力であるということが言われるが、それはあくまでも、会計機関内部における相互牽制の域に留まるものであることに注意する必要がある。わが国をはじめとして、先進各国の財政法制度では、一般に強力な内部監査組織を設けて、それにより経理の不正や不当を防止する方策を採用しているが、フランス法系はそれを持たないのである。この内部監査の不存在は、今日に至るまでフランス財政法制度の大きな特徴であり続けている。
第二は、外部財政監督組織もまた設けられていないという点である。確かに、他国の会計検査院に相当するクール・ド・コント(
Cour des Comtes)という名称の組織が、ナポレオン一世によって創設されていた。しかし、それは、今日的な意味での財政監督権を有する機関ではなかった。その名称を日本語に直訳すれば「会計裁判所」となることに端的に示されているとおり、ナポレオン一世が制定した当時におけるその機関の権限は、本稿で取り上げている弁償責任を専門に扱う司法機関であった。具体的には、官金を扱う者の弁償責任を解除し、あるいは弁償責任額を決定する権限を有する機関であった。地位的には、行政裁判所であるコンセイユ・デタ(Conseil d'Eta)の下級審であった(2)。第二帝政及び第三共和政の時期になって、クール・ド・コントは、わが国会計検査院に類似した一般的な財政監督権限も持つようになる。しかし、それとても他国に見られる強力な外部財政監督機関のそれではなかった(3)。第5共和制下のクール・ド・コントは、その職員に弁償責任事件を取り扱うための判事や検事を多数擁しており、依然として司法機関の一翼としての体裁を失っていない(4)。ただし、その活動の中心は財政監督に移っており、もはや会計裁判所ではない、とフランスの行政学者にいわれるようになって久しい(5)。このように、弱体な内部統制と無いに等しい外部財政監督という、財政監督機能の弱さをカバーするために導入されたのが、フランス法独特の制度である出納官吏の弁償責任ということができる。
これに対して、ドイツでは、というよりもフランス法系以外の法制度の下では、会計事務職員の分立とそれによる相互統制というものはない。したがって、出納官吏等が無条件に弁償責任を負うということもない(6)。
(二) わが国弁償責任制度の沿革
わが国では、明治初期においては、江戸時代の勘定吟味役制度の伝統を受けて、財政監督機関は、他国に例を見ない極めて強力な外部財政監督機関として活動し、最初期には大蔵省の耳目として中核を担っていたが、会計検査院として分離・独立した後には大蔵省と覇を競うようになった(7)。フランス流の会計法制を採用すれば、外部財政監督機関である会計検査院の権限を著しく弱め、相対的に財政分野における大蔵省の権限が強化されるところから、明治期における大蔵省は、フランス帰りの留学生を中心に積極的にフランス法系の導入を図った。その後、明治憲法の制定を頂点とするドイツ法系の導入の前に、明治初期に導入されたフランス法系の法律は総崩れになった。その中で、先に紹介した会計事務職員の権限の分割による相互牽制制度や本件弁償責任制度は、わが国でフランス法系の制度が今日まで生き延びた、極めて数少ない例の一つである。
こうして会計法がフランス法系に属したのに対して、財政監督法に関しては、ドイツ憲法に範をとった明治憲法に準拠する形でドイツ法が導入され、立法、司法及び行政の三権の、いずれにも属さない独立機関型の会計検査院となって今日に至ることになる(8)。
明治
22年に初めて会計法が制定された(以下「明治会計法」という)。その中に弁償責任の規定も置かれた(9)。その特徴を述べると、第一に、母法たるフランス法と同様に、無過失責任を原則としていた。わずかに水火盗難等の場合における責任の免除が例外として定められていたに過ぎず、その場合ですらも、免責要件の挙証責任は出納官吏等に課されていた。
第二に、現金と物品とを区別せず、「現金若ハ物品」と同列に規定していた。このように物品についても現金と同列の弁償責任を定めたのは、母法であるフランス法にも例を見ない厳しい制度である。
さらに、この弁償責任に基づく賠償金徴収を確保するため、身元保証金を置かせることとしていた。また、会計規則
84条において「出納官吏は其の責任に属する会計に付き、自身に事務を執らざるを理由として其の責任を免るるを得ず」と定めて、補助者の行為によって発生した損害についても賠償責任があることを定めていた。そして、これらの裁判権は特別裁判所たる会計検査院に与えられた。会計検査院は一審にして終審裁判所とされ、他に上告する道はなかったから、クール・ド・コントをコンセイユ・デタの下級審として位置づけていたフランス法よりも、この点でも厳しい法制となっていた。
なお、大蔵省は出納官吏等ばかりでなく、これまたフランス法に例のない、命令系統に属する会計官吏に対しても弁償責任を課するとする制度を導入しようと画策したという。しかし、各省庁の抵抗が強かったため、その案は明治会計法においては、その草案の段階で消えている(10)。この点については、後述する第二次大戦後の一連の改革を待つ必要があったのである。
要するに、わが国の明治期財政法制度は、フランス系の会計法制度とドイツ系の財政監督法制度の奇妙な混淆であった。そして、ここで問題となっている会計事務職員の弁償責任は、フランス法系の制度であるが、ドイツ法系の権限を持つに至った会計検査院にその運用が押しつけられたという点で、まさに二つの異質の法系の交差点であったのである。この異質の法体系の衝突が、本来は無過失責任制度であった弁償責任制度を、現在の姿へ変える原動力となっていく。
すなわち、大蔵省の導入した厳しい個人責任制度は、売官制度や徴税請負人制度のように会計事務職員個人に大きな経済力があることを当然に期待できる法制を採用している場合か、あるいは事務執行のうえで官吏の裁量の幅が大きく、そこから当然役得を期待し得る法制度の下であればともかく、特別の私的経済力を期待し得ないわが国官吏に課するのは、わが国の国情を無視したものということが出来た。そこで、この制度は、主として会計検査院の手により、創設後間もない頃から、その持つ厳しさを緩和する方向に運用されていくのである。
会計検査院が刊行した『会計検査院百年史』は次のように述べている。
「明治
こうして、出納官吏の賠償責任判決制度は、その制定後十数年にして、法文の規定はそのままながら、その運用において大きく補正されるに至った。会計検査院は、実際の判決に当たって、出納官吏に故意又は過失のあった場合に限って、弁償責任があると判決するようになったのであるが、この場合、会計検査院は現金又は物品の亡失毀損の事実があったことにより当然に発生した弁償責任を、判決によって受動的に解除するのではなく、むしろ、判定機関として能動的に当該出納官吏の故意過失の有無を判定し、その判決により、出納官吏の弁償責任が決定されるとしたのである。」(11)
この引用文中で、当時の会計検査院で主張された弁償責任と民法不法行為責任の同視及び会計検査院の能動的判定機関としての地位にあるとしての立場は、明らかにフランス法系のそれではなく、ドイツ法系のそれであることは、前節に紹介したところより明らかであろう。要するに、明治憲法下における会計検査院は、フランス法系に属する弁償責任制度を、敢えてドイツ法系の立場から解釈運用しようとしたのである。
これは、法律の文言解釈による制度の運用という行政庁の基本的使命に鑑みれば、本来は許されるべきことではない。しかし、内部監査機関及びドイツ流の外部財政監督機関である会計検査院による強力な財政監督が行われている明治憲法下の財政運営に対して、国情の差を無視してさらに重ねてフランス法系の弁償責任を実施しようとした大蔵省の方針の方に基本的な無理があった。その結果、会計検査院の運用は一般的に支持された。
また、出納官吏そのものではなく、出納員に対して弁償責任を負わせるという現行制度の創設も、明治会計法時代に遡る。すなわち、明治会計法下ではおよそ官吏でなければ政府の現金出納の事務を執ることができないとされていた。しかし、鉄道省や逓信省のような日常の現金出納業務の非常に多いところでは、これらのすべてを官吏で取り扱うことはできなかった。そこで、明治
33年及び44年の法改正により、鉄道、郵便、電信、電話の各官署においては、現金の出納を雇員でも行うことができるとされたのが、出納員弁償責任制度の始まりである。その際、その事務手続き及び会計法上の責任についてもまた、出納官吏の規定が準用された。この制度が、後述する大正、昭和の抜本改正の際にもそのまま踏襲され、一般化されて今日に至っているのである(現行会計法40条及び45条参照)。このように、本来、官吏と異なり、国家に対する責任を負っておらず、また、処遇的にも劣る雇員を出納員として弁償責任制度の適用範囲を拡大したことから、明治会計法のとる無過失責任という建前は、いよいよその基本的妥当性を失うこととなった。
大正
10年に明治会計法の全文改正が行われた(以下「大正会計法」という)(12)。この機会に、会計検査院の制度運用が相当程度追認されて、弁償責任関連の規定は大きく変更された(13)。変更点の大きな特徴は、「善良なる管理者としての注意を怠らざりしこと」を会計検査院に証明して責任を免れることができるとして過失責任主義が導入される形に、会計法が改正された点である。しかし、自分の無過失を自ら証明しない限り、責任を免れることができない、という点で、なお、民法上の責任とは一線を画したものとなっていた。すなわち、責任の発生はあくまでも現金又は物品の亡失の事実によって当然に認められるとする明治会計法の建前そのものは、維持されたのである。この点では、依然として、会計検査院の判決によって初めて責任が発生するという実際の運用とは、乖離した法制度となっていたのである。なお、補助者の行為についての責任を課した明治会計規則
84条は、大正会計規則では132条に移ったが、そこでは「自身に事務を執らざる」とあるその前に「単に」の語を加え、補助者の行為に関して、出納官吏の責任が免除される余地を作っている。また、実際にはほとんど徴収されることがなかったと言われる身元保証金制度は、この時の改正で正式に廃止された。第二次大戦の敗戦及びそれに伴う新憲法の制定に伴い、弁償責任もまた大きな転機を迎えた。すなわち現行憲法
76条2項は特別裁判所の禁止を定めたので、フランス流の特別裁判所としての位置付けを会計検査院に与えることを前提とした、それまでの制度は明らかに違憲となったのである。この新憲法の制定という大きな制度改革を受けて、会計法もまた昭和
22年に抜本改正された(以下「昭和会計法」という)。会計検査院では、この際、弁償責任制度そのものを廃止しようと主張した(14)。しかし、大蔵省側は承知せず、結局、昭和会計法では、制度そのものは残されることになった。しかし、この機会に、立法的には大幅な整理が行われた。
すなわち、会計検査院の権限を会計法で規定するのはおかしいとして、その部分は会計検査院法に定めることとして、会計法からは削除された(15)。それに代わって定められた会計検査院法
32条の特徴は、第一に、大正会計法等で使用されていた「判決」という語を、裁判所の活動と紛れるおそれのない「検定」という語に置き換えたことである。第二に、会計検査院が、不正行為者の行動により「その弁償責任の有無を検定する」と定めることにより、弁償責任の存在を会計検査院が能動的に立証する必要のあることを明らかにしたことである。これは、実質的には、旧憲法下の会計検査院による判決における取扱いと法文を一致させたに過ぎない。が、亡失があった場合には、出納官吏に過失の存在を推定するという、明治会計法、大正会計法と一貫して堅持されてきた法の建前を、法文上、明確に180度変更したという点で極めて重要である。その後、昭和
25年に予算執行職員等の責任に関する法律(以下「予責法」という。)が制定され、会計検査院が弁償責任の有無を検定する対象者の範囲が拡大された。母法たるフランス法でも、出納職員に対象を限っていたのに対して、命令系統に属する会計事務職員にまで弁償責任を及ぼす方向に進んだものである。また、従来は公社等の職員に対しては弁償責任の規定は適用されなかったのであるが、予責法により公社等の出納職員については、国の出納官吏と同様に弁償責任を課されることになった。明治会計法制定時に大蔵省が構想していたといわれるこの世界的にみても珍しい法制度は、その当否はともかく、ようやく実現したこととなる。ただし責任の構成要件は、明確に故意又は重過失とされた。ついで昭和
31年に物品管理法が制定された。その際、同時に物品に関する弁償責任制度の根拠規定が会計法から同法に移された。そこでは責任の対象となる物品官吏職員の範囲を、それまでの出納職員に加えて、命令機関である物品管理官等にまで拡大するとともに、出納保管に限っていたものを、取得、供用、処分などの管理行為に関しても弁償責任を負わせることとして、適用範囲の大幅な拡大をした。ただし、責任要件としては予責法同様に故意又は重過失とされた。その結果、物品の亡失等に関する規定は昭和会計法から削除されたから、これら一連の改正後に昭和会計法に残された規定は、きわめて簡略なものとなっている。
その後、逆に適用範囲の縮小が行われている。すなわち、三公社の民営化によりその職員が対象から除外され、また、近時進行中の公庫・公団等の独立行政法人化により、やはりその職員が対象から除外された。
弁償責任に関する最近時の改正は、郵政事業の公社化によってもたらされた。すなわち平成
15年4月1日に施行された郵政公社法には、弁償責任の制度が継承されなかった。その結果、従来は、出納官吏として繰替払等出納官吏が存在していたが、これは郵政官署に設置されているのみであったため、郵政公社の設立に伴い廃止された(出納官吏事務規程1条2項参照)。また、現実の事件においても、出納官吏においてはもっぱら郵政事務職員が弁償責任を問われていたので、出納官吏に関する弁償責任の問題は、事実上なくなったといえる(16)。同様に、物品管理職員についても、その多くは郵政職員にかかるものであったため、今後は大幅に有責とされる件数が減るものと見られる(17)。予算執行職員に関する弁償責任事件は元々ほとんど存在していない(18)。したがって、今後は会計事務職員の弁償責任という問題自体が、実際問題としては姿を消していくものと考えられる。
二 現行弁償責任を巡る問題について
現行弁償責任には様々な問題があるが、本稿では、紙幅の関係から三つの点に絞って論ずることとした。
(一) 不法行為責任との関係について
冒頭に述べたとおり、国家公務員は、その職務の執行に当たり、故意・過失により、国に損害を与えた場合には、民法
709条以下の規定に従い、不法行為責任を負う。したがって、国の会計事務職員の場合には、それに加えて弁償責任を負うことになる。同一の事実関係に対して、二つの法体系により、二種類の請求権の発生が考えられる場合、両者の関係としては、次の三者が考えられる。第一に、両法とも適用になるが、一方が他方の特別法という関係になるため、結果としては特別法だけが適用になる、という場合である。以下、法条競合説という。
第二に、一方の法律は何らかの理論により適用されることがないので、他方の法律だけが適用になる、という場合である。以下非競合説という。
第三に、両法とも同一のレベルで適用になるが、どちらか一方の請求権の内容が充足された場合には、その限度で他方の請求権も消滅するという関係に立つ場合である。請求権競合説という。
弁償責任と不法行為責任の競合関係についてもこの三者を考えることができ、事実そのいずれの解釈学説も、現行法下において存在している。以下、そのいずれが妥当か、検討したい。
1 法条競合説について
この説を採る者はあまり多くない(19)。私も以下に述べる理由から、会計法を民法の特別法と見るこの説は妥当ではない、と考える。
もともと会計法は、国の会計の基本規範の一つとして制定されたものであって、それ自体、民法と同格の一般法である。なるほどその中には、時効に関する規定のように、条文上明確に民法に対する特別法であるとされているものもあるが、それはそのような明文の効力によるものである。そうした条文の存在を理由として、同法全体を一般的に民法の特別法であると解することが許されないことは当然である。すなわち会計法上の制度について、民法との関連を論ずるには、その一つ一つの規定の意味、特にそれが民法を修正するという意図の下に作られたものか否かを慎重に吟味する必要があるのである。
前節において、弁償責任の母法とわが国の今日までの沿革を見てきた。これにより明らかなことは、これら会計事務職員の弁償責任は、決して民法不法行為法の特別法として位置付けることはできないということである。弁償責任は、ドイツ系の法では民法上の不法行為責任そのものであったから、この法系の制度として会計法等に特別の規定が置かれたのであれば、それを民法不法行為に対する特則と見ることは、穏当な解釈ということができる。しかしすでに紹介したとおり、フランス法系の弁償責任は、外部検査の弱体等を補うために制定された特別の公法上の責任であり、それを継受し、強化した形で制定されたわが国のそれは、制定過程を見ても民法の特則として構想されたものではないことは明らかである。また、戦前の会計検査院が、ドイツ流の民事上の責任として強引に運用したにも関わらず、大蔵省は敢えて、戦後に至るまで一貫して法の建て前を崩していない。それどころか、命令系統の職員や公社等の職員にまで拡大してきた。こうした沿革的状況もまた、本責任が、民事上の責任とはまったく異なる公法上の責任であることを端的に示しているといえよう。
2 非競合説について
非競合説は、旧憲法下においては通説であったと見てよい(20)。戦後の会計法の解釈としては、若干の論者が強力に主張される説である(21)。この説が非競合とする根拠は、簡単に言えば公法・私法二元論を背景に、国家公務員は一切私法上の責任を負わないとするからである。
しかし、第一に経済法・社会法などの出現している現行法体系の下で、公法・私法二元論を言うことには基本的な無理がある。
第二に、単に公務員の雇用契約が一般私法上の労務契約とまったく異質のものであると主張することは、特別権力関係論のような現行憲法下においては基本的にとれない説を主張しない限り、困難であろう。
第三に、一般行政に関連した不正行為で、国が加害公務員に損害賠償請求権を認められないとすると、当該公務員が会計事務職員でない場合には、国は一般私人よりも不当に弱い立場におかれてしまうことである。職務上知り得た知識を利用して、会計事務職員でない者が公金を故意に領得するような事件は現実にも多数発生しているが、そうした加害者に対して、国として不法行為責任を追及できないとするのは、法的正義に反することであり、とうてい妥当な法解釈とは考えられない。
以上のことから、非競合説もまた妥当とは認められない。
3 請求権競合説について
以上のとおり、法条競合説も非競合説も採れないということになれば、残された唯―の選択肢は請求権競合説となる。すなわち、弁償責任に基づく請求権と、不法行為上の請求権とが同時に存在し、一方が充足された限度で他方も消滅するという関係に立っていると考えざるを得ない。このような消極的なアプローチからの説明はきわめて歯切れの悪いものである。
しかし、これは通説であり、また実務が採用しているところの説でもある(22)。いずれの論者も、積極的な論拠を示すというより、せいぜい他の制度との均衡論を論拠として上げる程度に止まっている状況にある(23)
。このように、どの論者においても、自説を主張する積極的な根拠を説明ができない理由は、フランス帝政時代の特殊な事情から発生した弁償責任を、今日の市民社会においてなお、不法行為に基づく請求権とは異なる独立の制度として維持しなければならない積極的な理由は、何も見当たらないためであると思われる。少なくとも会計事務職員が通常の官吏よりも俸給的に恵まれているというような特殊の事情でもあればいいのであるが、一般公務員と区別するいかなる利益も有していないのである。そして均衡論は、弁償責任が存在するからこそ必要なのである。仮にすべての公務員が等しく不法行為責任だけを負担している場合には、およそ問題にならないことだからである。しかし、現行法を前提とする限り、もっとも問題のない結論を導く説であることは事実で、そうした実態的妥当性こそが、本説が通説として、また実務を支配する説としての地位を勝ち得ている理由といってよいであろう。
私は、現行法の解釈としては、これを支持する。しかし、同時に、このように積極的な存在理由のない制度をあえて存続させることに対して、立法論的には強い疑問を有するものである。先に述べたとおり、郵政公社の発足とともに、同公社職員に対する弁償責任の適用が排除された。この結果、弁償責任の現実の適用範囲が著しく狭まったことは厳然たる事実である。したがって、この制度を廃止し、不法行為責任に一本化するべき時期にきていると考える。
(二) 会計検査院の前審としての性格について
上記のとおり、明治憲法下においては、わが国の弁償責任制度に関しては、会計検査院は、第一審にして終審の裁判所と規定されていた。しかし、現行憲法が、行政庁が終審裁判所となることを禁じたことから、上述のとおり、制度変更されたものである。
そこで問題となるのが、会計検査院の現在の検定制度は、司法裁判所の裁判に対してどのような関係に立つか、という点である。
現行憲法は、行政庁が終審となることは禁じているが、下級審としての法的性格を有することまで禁じているわけではない。現実にも、海難事故に関する海難審判庁(海難審判法
53条)、特許事件に関する特許庁(特許法176条)などの裁決に対する訴訟は、東京高等裁判所に提起するものとされていて、行政庁は明確に第一審裁判所としての性格を肯定されている。これに対して、国税に関する国税不服審判所の裁決(国税通則法
115条)、公務員に対する不利益処分に関する人事院の裁決(国家公務員法92条の2)などでは、第一審裁判所としての性格までは認められていないが、これら行政庁の審判手続きを経なければ裁判所に訴えることができないとされている点において、行政庁は前審としての性格を有しているということができる。会計検査院の検定の場合、これらのような明確な規定は存在していない。しかし、以下に述べることから、やはり前審としての法的性格を有していると解すべきである。すなわち、会計検査院の検定結果が出る前に、裁判所が事件の審理を行うことは、会計法
43条に抵触していると考えられる。本条は、出納官吏等に対する弁償命令について規定したものである。しかし、先に述べたとおり、弁償責任は、会計検査院の検定と一体をなした制度であるので、この規定の意味を正確に理解するには、まず会計検査院の検定手続きについて知る必要がある。会計検査院は、出納官吏等の保管現金の亡失事故という事実があれば、かならずその事故の内容を検討し、会計法
41条で述べた要件を具備していれば、弁償責任があると検定し、具備していなければ、弁償責任がないと検定する(会計検査院法32条1項)。大正会計法36条においては、前述のとおり、出納官吏等が善良な管理者の注意を怠らなかったことを積極的に証明しなければ弁償責任を負うこととなっていた。これに対して、現行会計検査院法では、会計検査院の側で当該出納官吏等が善良な管理者の注意を怠ったことを立証する必要がある、として、挙証責任を逆転させた。すなわち、出納官吏等には無過失の推定が存在するのである。したがって、会計検査院によって有責任とする検定が下されるまでは、現行制度の下では、いまだ出納官吏等に弁償責任は発生していない、ということができる。しかし、それにも関わらず、弁償責任の場合には会計法
43条1項は、各省各庁の長が、会計検査院の検定前においても、弁償を命ずることができるとしている。これは通常暫定弁償と呼ばれる(24)。このような略式手続きが認められている根拠は二つあると考えられる。第一に、出納官吏等が有責任であることについて、出納官吏等本人に異存がない場合にまで、一々会計検査院に多大の負担をかけて、検定を行う必要はない。実際、先に示した別表にみられるとおり、毎年度、現金亡失事故のほとんどは、検定以前の段階で損害額が任意に弁済され、あるいは和解が成立しているのである。第二に、そのように有責任の明らかな事態については、会計検査院の検定を待つまでもなく弁償を命ずることが、債権確保上からも適当だからである。この検定前の弁償命令の法的性格には注意が必要である。すなわち、それには法的な効力はない(25)。したがって、弁償命令があったからといって、会計検査院の検定は中止されることはない。弁償命令という形で示された各省各庁の長の見解とは別に、会計検査院は弁償責任の有無を検定するのである。
検定前の弁償命令を受けた出納官吏等は、その責を免れるべき理由があると信ずるときは、その理由を明らかにする書類および計算書を作製し、証拠書類を添え、各省名庁の長を経由して会計検査院に送付し、その検定を求めることができる(予算決算及び会計令
115条1項)。しかし、これは会計検査院の再審を求める趣旨のものではなく、会計検査院が検定を行なう場合の資料を提出する趣旨のもので、こうした書類の提出の有無にかかわらず、会計検査院は検定を行なう権限を有し義務を負うのであるとする点、通説及び実務の一致するところである。したがって、出納官吏等が検定を求めた場合においても、各省各庁の長の弁償命令の効力は依然として存し、その命じた弁償を猶予することはない(予算決算及び会計令115条2項)。上述するところから明らかなとおり、検定は、通常は、各省各庁の長が弁償命令を発した後に下される。会計検査院が弁償責任がないと検定したときは、会計法
43条2項の定めるところに従い、既納の弁償金はただちに出納官吏等に還付しなければならない。そして、会計検査院が、当該出納官吏等に弁償責任があると検定したときは、これを各省各庁の長に通知し、各省各庁の長(会計検査院法においては「本属長官その他出納職員を監督する責任のある者」という表現を用いている。)は、この検定に従って弁償を命じなければならない。出納官吏等が有責任であるという会計検査院の検定があれば、各省各庁の長は、検定どおりの金額の弁償を命ずる義務があるのであって、これを軽減したり、弁償を命じなかったりすることはできない。各省各庁の長の弁償命令額よりも、事後に下された会計検査院の弁償責任検定額が少額の場合に、既納弁償金が検定額をこえている場合も、その差額は返納されなければならない。これに対して、各省各庁の長の弁償命令額よりも会計検査院の検定額が多い場合は、各省各庁の長は、その差額について弁償命令を発する。同額の場合は、ふたたび弁償命令を発する必要はない。
以上を要約すると、各省各庁の長による検定前の暫定弁償命令は、有責任が明らかであることを前提とした上で、債権の早期確保をめざした暫定的手続ということができる。事後に無責任とする検定がでた場合に、無条件でその納付金を返還するという条件付きの命令権であるにすぎない。したがって、暫定弁償命令に出納官吏等が従わない場合に、それについて、各省各庁の長が裁判所の判決により、暫定弁償命令を実現することは不可能と考えるべきである。なぜなら、それはあくまでも会計検査院による検定によって確定するべき暫定的な権利だからである。会計検査院法
32条に明らかなとおり、会計検査院は仮に裁判所が暫定弁償命令を下しても、それに拘束されることなく、独自に責任の有無について判定を下す権限を有している。したがって仮に裁判所による有責任とする判決が確定したとしても、後に会計検査院が無責任とする検定を下した場合には、裁判所命令による弁償金は、会計法43条2項の命ずるところにしたがって還付されるべき、暫定的な性格の金員であるにすぎない。また、仮に有責任とする判決が確定し、かつ、判決後に会計検査院が裁判所の判決を追認する趣旨の検定を下した場合にも、出納官吏等は、この会計検査院の検定の取り消しを求めて訴訟を提起することが可能である。それは、当初の裁判とは訴訟物が異なるからである。司法判断は、紛争の終局的解決を行いうる点にその意義が存在するのであり、判断を下しても終局性を持たない場合には、未だ事件としては成熟していないものというべきであろう。現行制度では、この暫定的な弁償命令制度が存在しているため、制度上、検定が前審としての性格を有することが明確になっていない。しかし、以上のように、会計検査院の検定前の裁判は終局性を持たない点から、国税不服審判や人事院における裁決と同様に、検定の必要的前置主義を法は採用しているものと解するが妥当である。このように検定前置主義を採用するのは、財政法分野の持つ特殊性から、事実関係を財政の専門家である会計検査院が事前に整理をしない限り、裁判所として適切な法的判断を下すことが困難であるという点では、上述の人事院や特許庁の裁決の同質の問題だからに他ならないというべきである(26)。
(三) 善良なる管理者としての注意義務について
現在弁償責任を定める三つの法律のうち、予責法と物品管理法は、故意・重過失を弁償責任の要件としている。これに対して、会計法
41条及び会計検査院法32条は、出納官吏等に「善良なる管理者としての注意義務」(以下「善管注意義務」という)を課している。ここで問題は、両者を同一の性質を有するものと考えるか否かである。一般に、善管注意義務とは、軽過失を意味し、したがって、予責法等の故意・重過失にくらべて軽い注意義務違反でも弁償責任が課されるものと考えられている。しかしながら、この解釈は、軽過失という用語と善管注意義務という用語の差違をあえて無視したものと考える。
民法上、善管注意義務とは、「社会通念上一般に必要とされる程度の注意、すなわち、一定の職業人としての通常の注意能力を有するものが、その場合の事情に応じて当然なすべきだと考えられる程度の注意」(27)を意味するものと考えられている。換言すれば、個々人の主観的注意能力から切り離された客観的注意義務を意味する。
ここにいう「一定の職業人としての通常の注意能力」の程度については、確かに、民事法の分野では一般に軽過失と考えられている。が、それはこの概念そのものの本質から、必然的に軽過失という結論が引き出されるのではない。民法
709条などで要求される注意義務が軽過失であるところから、社会通念上要求される一般に要求される客観的過失のレベルとしてもまた、軽過失と判断するのが適切と解されているにすぎない(28)。しかし、会計法
41条及び会計検査院法32条は、公務員たる出納官吏等としての身分を有するものだけに要求される注意義務であるから、社会通念上、公務員に対して、どのレベルの注意義務が課されているか、という観点から判断しなければならない。そして、本件では、会計事務職員に関してのものであるから、「会計職員として相当の知識と経験を有し、かつ、誠意があると認むべき者の普通に用うべき程度の注意」と定義するのが妥当であろう(29)。そして、会計事務職員に課される「普通に用うべき程度の注意」とは、故意・重過失と解するのが妥当と考える。
なぜなら、第一に、現行国家賠償法
1条2項は、国が公務員個人に対して求償権を行使する場合の要件を故意・重過失がある場合に限定している。第二に、出納官吏等と並んで、国の公金を管理するものである予算執行職員の責任は、前述のとおり、明確に故意・重過失に限定されている。第三に、現金と並んで物品管理法が制定されるまで同一法条で弁償責任を規定されてきた物品の亡失等に関して、物品管理法は明確に故意・重過失がある場合に限って、公務員の弁償責任を肯定している。すなわち、現行法制は、国家として公務員、特に会計事務職員に対して個人責任を追及する場合は、すべて故意・重過失に限定しているのである。したがって、善管注意義務の内容もまた、重過失と考えられることとなる。
これは実務の支持するところといえる。すなわち、会計検査院の検定例における事実関係を照査しても、故意があるか、あるいは客観的に見て重過失ある場合に限定して弁償責任を認定しているものと認められる。
[終わりに]
国家公務員の会計事務職員に対する弁償責任制度は、これまでは関係者にとり大きな問題で、その結果、財政関係の問題としては例外的なほど、多くの著書で取り上げられてきた。しかし、第
1節の末尾に述べたとおり、今後は弁償責任という問題は、実質的には姿を消すと予想される。その意味で、本稿は、100年を超す歴史を閉じようとしている弁償責任制度に、別れを告げる論文という思いで書いたものである。