いわゆる「部分社会の法理」について

   

目次

[はじめに]
一 田中耕太郎の「社会あるところ法あり」
二 田中耕太郎と判例ー米内山事件から村議員懲戒処分事件まで
三 判例の独自の発展ー富山大学事件を中心に
四 いわゆる「部分社会の法理」私見
[おわりに]

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[はじめに]
 近時の判例においては、司法審査の限界を画する理論として「部分社会の法理」ということが言われる。しかし、それは法学において講学上説かれる、同一の語で示される概念とは相当内容の異なる概念である。また、基礎法学上の概念であるから、本来は司法審査権の限界を画するものとは認識されていなかったものである。
 その点を捉えて、佐藤幸治教授は
「『部分社会』論は元来は『法』とは何かといった法本質論として登場してきたものであるが、それが、憲法との係留関係を示さないままに、『そもそも部分社会論は・・』といった論法の下に、具体的な訴訟の場で、司法権の介入を排除するという実定法的意味を付与されるに至ったものである。しかし、こうした『部分社会』論については、a何故に司法権の対象とならないと解すべきなのか、そして、そのことに関連して b司法権の対象とならないのは絶対的かといった疑問がある。」
と批判される(注一)。ここで指摘されている点こそが、まさに部分社会論の中心的問題であることに私も賛成である。しかしながら、この部分社会論をめぐる学説の現況を見ると、その佐藤教授自身も含めて、右に提起されている問題に対しての正面からの取り組みがなされていない恨みを強く感じるものである。
 判例の採る部分社会説的なアプローチは今日確立したものということができる。これに対して、学説が、いわばその入り口の方法論そのものでためらい、その理論的深化に協力しないことは、それが裁判を受ける権利という基本的な人権に関わるものであることを考えるとき、非常に危険な態度といわなければならない。かって植松正先生から、刑法学において、学説が、判例の打ち出した共謀共同正犯理論を違法、不当なものとして拒否したため、その理論は判例だけの手によって独自の発達を遂げ、当初その概念の内容と考えられていた以上の危険な一人歩きを許した、という述懐をお聞きしたことがある。いま、憲法学は、部分社会論においてその轍を踏みつつあるのではないだろうか。部分社会論そのものは、判例において確立してしまっている今日、学説に要請されるのは、部分社会論を否定するか肯定するかの議論ではなく、肯定することを前提に、その理論的限界を明らかにすることにより、裁判を通じての人権救済の道が不必要に狭められないようする努力であると信ずるのである。
 本稿は、以上の問題意識から、判例の展開したその理論の内容を精査することにより、本来の、法学における講学上の部分社会説との関係を明確にし、その法理の憲法学的な関連を解明することにより、適用限界を明らかにすることを目的としたものである。
 本稿の構成は、第一節でまず法学で論じられる部分社会論についての田中耕太郎の説を、第二節で田中耕太郎の最高裁判決中の少数意見を中心に判例理論の変遷を、ついで第三節でその後の判例の変遷を、それぞれ批評を交えつつ紹介している。したがって、これらについて熟知しておられる方は、こうした点を踏まえて私見を展開した第四節をお読みいただければ十分であろう。なお、文中において多数の先賢の学説を紹介させていただいているが、その必要以上の煩を避けるため、すべての敬称を略させていただいていることを申し添えたい。

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    一 田中耕太郎の「社会あるところ法あり」
(一) いわゆる部分社会の法理といわれる理論が、判例として確立するに当たっては、かって最高裁判所判事の職にあった田中耕太郎が、さまざまな事件において少数意見という形で、それをうまずたゆまず主張し続けたことが大きな原動力になっていると言われる。同時に、田中は、講学上、法の社会的基盤として「部分社会論」を採用することを非常に明確に打ち出した人物でもある。そこに、本来内容の異なるこの二つの理論が、同一の名称で呼ばれるようになった原因が潜んでいると考えられる。そこで、本節では、この部分社会という概念に関して、田中が学説的にはどのような考え方を示しているかを紹介することとしたい。
(二) 最初に部分社会という概念の法学一般における意義を説明したい。
 法実証主義の下では、法は法規範、すなわち社会規範の一種と考えられる。逆に言うと、法が存在するためには、その基盤となる社会の存在を必要とする。そして社会とは一般に人間の集団を意味する。そこで問題となるのが、法がその存立の基礎、基盤としている社会というのは、どのような人間の集団を意味するのか、という点である。これに対する抽象的な解答は「法の社会的基盤というのは、他の上級の社会団体の授権・委任ないし承認に依存することなく、自己固有の意思によって法を生み出しまたは承認し、そしてその存立と作用を支え保障する所の社会、つまりその明示ないし黙示の承認によって法の生命を究極の所で支えている、その社会を言う。法の直接の定立者とか強制者とかいうのではなく、むしろその背景ないし基底にあって法の生命を支え動かしている、いわば法のトレーガーたる社会(注二)」である、と言うことになろう。
 そこで、次に問題になるのが、そのトレーガーたる社会とは、具体的にはどのようなものと観念されるか、という点である。講学上の部分社会の概念は、この概念の一つとして観念されている。すなわち、トレーガーの把握に対しては、@国家説、A全体社会説及びB部分社会説の三説の対立がある。
 田中の学説を見よう。その書かれた『法律学概論』(学生社、一九五三年刊。以下の引用の末尾に付けてあるページ数は、いずれもこの本の該当頁のことである。)によると、
「法学において自然界の現象の考察におけるような実証的態度をとるならば、学者は法が各人に一定の作為又は不作為を命ずるものであり、そしてそれが社会の生活条件としてすべての社会に存在するという経験的事実を指摘(四三頁)」できるが、「従来法学の範囲では、法とその基礎たる社会的実在との関係が十分認識されていなかった。法はたんに国家または主権者の命令と認められていた。国家的法のみが唯一の法であり、法典が主たる法源であり慣習法の拘束力も結局国家に求められたのであった。勿論国家は人間の営む社会生活中もっとも組織的のものであり、国家的秩序は法に依存することがもっとも多く、従って国家的法は法の主要な部分を占めることに疑いはないが、しかし国家は決して唯一の社会ではなく、国家以外に家族があるし、また国家内における諸団体、例えば府県市町村のような地方団体、商工会議所のような公法人、公益法人、各種の会社、協同組合、相互保険会社のような公私の法人格をもつもの、法人ではない各種の団体、例えば政党、学会、宗教団体、労働者その他の職業組合などもまた社会であり、それは各々に固有の法の支配の下にある。個人より国家に至るまでは無数の団体が存在する(二〇頁)。」そのうち、「法を国家的のものに限る見解、これをもって主権者の命令と認める見解は、要するに完全に組織化された社会のみを法の前提として認めるのである。もし論者の主張する通りとすれば、主権が確立している近世的・中央集権的国家のみが法をもち、他の社会は法をもたずにこれらは単に道徳又は習俗などの他の規範によって維持されるものといわざるを得ないことになる。しかしある社会において、主権が確立する以前に既にその社会における人間と人間との交渉を規律する規範が存在する事実は、これを否定することができない(二一頁)」として、「私は法たるがためにはその社会が組織化されていることを必要とせず、組織化されざる社会もまたその状態に相応した法を要求するものと考える(二二頁)」と結論される。この結果、「社会のあるところ法あり(ubi sicuetas ibi ius)」という古くからの法的格言を、その理論を端的に表現するものとして使用されるのである。
(三) ここで第一に問題になるのが、その「組織化されていない社会」とは、どの程度の構造をもっていれば足りるか、という点である。それについては、「社会をたんに組織的な集団生活のみならず、きわめて広義に解し、ジムメルのように『交互作用』とすれば、二人の間の契約関係などもこれを社会と呼ぶことができ(一七頁)」るとされる。また、「その社会は単に正当なものに限らず、違法なもの、不道徳なものでも差し支えなく、例えばある盗賊団中における贓品分配に関する規則なども、やはりその社会における法の一種と認めることができるのである。この後の場合において、団体自体は正義の理念に反するとしても、その社会の秩序維持を目的とする規範が形式的に法の範疇に入ることに支障はない。ゲーテもいっているように、地獄にもまた法が存在するのである(二三頁)。」と格調高く締められる(注三)。すなわち、組合とか倶楽部のように永続的な性格をもつものはもちろん、例えば、家の売買契約のための取引のために一時的に発生した二人以上の人の集団も、泥棒にはいるために、一時的に発生した人の集団も、等しく社会として認められる訳である。
 このように、国家の法から始まって、盗賊集団内の贓物分配の契約に至るまでのおびただしい法規範の存在を認めるとなると、当然その法規範相互間の関係が問題になる。これについては「各社会の法はその間に一定の関係、すなわち上下又は同一の順位に立つ。例えば国家法は国内の諸団体の法、例えば公益法人、会社、協同組合その他の諸団体の定款、寄付行為その他の規則を、一般法規またはある場合には具体的な行政上の処置をもって取り締まっている。すなわちこれらの諸団体の法はその順位において国家法の下位にあるものである。これは、これらの団体が国家的統制に服従するものである結果である(二六頁)」とする。したがって、個々の社会の法規が国家法に違反している場合には、それは国家的な取締りの対象となることになる。盗賊集団における贓物処分の規則は、当然刑法という国家法に違反しているから、その集団内においては有効でも、国に発見されれば国によって取り締まられ、裁判所によって罰則を与えられることになるわけである。
(四) 田中自身は、自分の学説のことを部分社会論とは呼んでいないことも注意すべきであろう。田中の学説を「部分社会」説と呼んだのは、恒藤恭である。すなわち、
「『社会ある所に法あり』という命題から田中博士が出発されるに際して博士が念頭に置いて居られるのは、いわゆる『部分社会』であって、いわゆる『全体社会』ではない。そして部分社会の中では、博士は組織化されたものを特に重く視、組織化されざるものは真の意味においては社会にあらずと為すような口吻も漏らして居られるが、しかし博士の所論の全般から見れば、組織化されざる部分社会の存在をも肯定して居られるものと言うべきであろう。かくて田中博士にしたがえば『社会ある所に法あり』との命題は、『部分社会ある所に法あり』ということを意味するものに他ならぬわけであり、より詳しくは『組織されたるものたると、組織化されざるものとを問わず、凡そいかなる部分社会もそれぞれ法をそなえている』というのが、該命題の主張する所なのである。」(注四)
と評価されたのであり、これから田中説が一般に部分社会論として知られる様になったということができよう。そこで以後、便宜上田中の法のトレーガーに関する上記見解を「部分社会論」と呼ぶことにしたい。
 その法学理論の中で、田中はその部分社会論を、国家的法とだけ対比させている。それに対して、恒藤は全体社会という言葉を新たな法のトレーガーの名称として提起している。ここで全体社会と呼ばれるのは「(イ)一定の地域を基礎とする社会であって、(ロ)一応ほとんどあらゆる種類の人間的生活活動を包容し得るような規模の包括性を持ち、(ハ)そして、種々の利害の対立、分離を含みながらも、それよりもなお根底的な利害関心の共同、共属感情によって結ばれている社会集団である(注五)」と定義されると考えられる。これを恒藤自身の主張に依って、もう少し補足すると「全体社会は何らかの広さの地域の上に、何らかの大きさの人口を抱擁しつつ成立するのであり、その地域の上に成り立つ一切の客観的文化を保持しつつ存立するのである。すなわち一方ではあらゆる種類の社会集団及び社会関係は全体社会に内属し、その構成部分として一定の地位を占めつつ成り立つのであり、他方では、諸種の精神的及び物質的文化は全体社会によって保持されつつ、全体社会をみたす生活内容の客観的表現たる性格において成り立つのである。而して、精神的文化の一種別を為す諸社会規範は、全体社会を基礎として存立すると同時に、全体社会における社会生活を規制する作用を営む(二六七頁)」ということになる。
(五)付言すれば、私自身は全体社会説を基礎において考えることこそが、判例の説いたいわゆる「部分社会の法理」を理解する上で必要になるものと考える。この点については第四節で詳述したい。

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二 田中耕太郎と判例ー米内山事件から村議員懲戒処分事件まで
(一) この問題が、最初に判決の上に現れたのは、青森県議会議員の除名処分が問題となった、いわゆる米内山事件(最高裁判所大法廷昭和二八年一月一六日決定(注六))における田中耕太郎最高裁判所判事の少数意見である。
 従来、田中のこの少数意見は、当然、その法学で説いていた説の延長線上にあるものと一般に信じられてきている。しかし、その内容を詳細に検討すれば、前節で紹介した田中の部分社会論と、ここで田中自身が展開した説との間には、かなりの差異が存在するものであることが明らかとなるのである。以下、具体的に論証してみたい。
 田中はまず「議会の内部関係の問題に司法権が全然関係しないのではない。この関係のある方面は地方自治法によつて定められている。又憲法に規定する法の下における平等の原則のごとき議会の内部関係にも関係をもつ。ただ同法一三二条一三三条その他同法及び会議規則に違反し懲罰を科すべきものなりや否や又如何なる種類又は程度の懲罰(戒告、陳謝、出席停止又は除名、出席停止の日数)を科すべきやは、議会が終局的に定むるところによるものである。」と述べて、内部における懲罰権については、その程度を問うことなく、一切議会自身が最終的決定権を持つとする。
 問題はその理由であるが、
「以上の結論の理論的基礎としては、これを法秩序の多元性に求めなければならない。凡そ法的現象は人類の社会に普遍的のものであり、必ずしも国家という社会のみに限られないものである。国際社会は自らの法を有し又国家なる社会の中にも種々の社会、例えば公益法人、会社、学校、社交団体、スポーツ団体等が存在し、それぞれの法秩序をもつている。法秩序は社会の多元性に応じて多元的である。それ等の特殊的法秩序は国家法秩序即ち一般的法秩序と或る程度の関連があるものもあればないものもある。その関連をどの程度のものにするかは、国家が公共の福祉の立場から決定すべき立法政策上の問題である。従つて例えば国会、地方議会、国立や公立学校の内部の法律関係について、一般法秩序がどれだけの程度に浸透し、従つて司法権がどれだけの程度に介入するかは個々の場合に同一でない。」という。
 ここでの主張の、特に前半部分は従来の部分社会論そのものである。また、部分社会論では、下位法は上位法の統制に服するものであるとされていただけで、国家が、その下位に位置する部分社会に対する統制をどの限度で行えるかについては明言されていなかった。したがって下位社会に対する統制限度の決定権そのものは国家にあり、それは国会の立法裁量に属するという主張は、法学の教科書にはなかった新しいものではあるが、従来の部分社会論とは異質なものというよりも、単にその欠落を補うものと理解する方が穏当であろう。
 そして後半の文章の意味を、国家が各部分社会を統制すると法律で定めた事項を、どの限度で裁判所の権限とするかもまた立法政策の問題という意味と把握するならば、それ自体は、前半の文章からの当然の結論ということができるであろう。そして、それは、司法概念に関する通説といえる司法歴史概念説からすれば、許容可能な見解であろう。実際、国の法律が、国の下にある部分社会内部における懲罰事案に積極的に裁判所の介入を求めている場合がある。田中がこの少数意見で例示している商法八六条に規定する合名会社の社員の除名は、その一例といえる。
 しかし、その次の段階で、この少数意見は、本来の部分社会論からの変化を見せる。すなわち、上記を受ける形で、
「要するに国会や議会に関しても、司法権の介人が認められない純然たる自治的に決定さるべき領域が存在することを認めるのは決して理論に反するものではない。そうして本件の問題である懲罰の事案のごときは正にかかる領域に属するものと認めなければならない。」と主張するのである。
 しかし、この主張は、決してその前に述べたことから論理的に引き出しうるものではない。この主張が、国会と地方議会をひとまとめにして論じていることも、憲法学的にははなはだ問題であるが、それはこの際脇に置いて、法学の限りに限定しても、この主張が、前提としたところから論理的に引き出しうるとは到底考えられない。仮に立法の定めるところにより司法権が介入できないとされた部分には、自治的に決定される領域が発生するというものであれば、確かに論理的帰結である。しかし、ここで言われているのは、「自治的に決定さるべき領域が存在する」と言うのである。すなわち、ここで当為が存在することを述べるということは、その限度で国の立法裁量権を否定し、論理必然的に自治的決定権を承認しなければならない領域が存在するという主張に変化している、ということである。この結論を導くためには、上位部分社会からの統制権に条件を付する何らかの要素を導入するか、ないしは、司法権についてだけは上位の下位に対する統制権の存在という一般の論理は妥当しないという根拠を導入するか、のいずれかを選ばなければならない。そのいずれを選択しようとも、ここにはそれ以前の主張との明白な矛盾が存在している。したがって、ここ以降については、本来の部分社会論とは異質の、新たな主張に変化したものと解するのが妥当である。
 そして、田中の真意は、その後者、すなわち司法権についてのみ、下位部分社会に対する統制権に、立法裁量によらずして限界が発生する場合があるという点にあるらしい。なぜなら、その立法裁量を否定しなければならない理由として、「地方議会や国会における懲罰事件については、もしその事由たる事実の存否又は制裁の当不当を関係者が一々裁判所に訴えて争うことができるとするならば、結局裁判所が議員の除名問題について最後の決定者たるべきこと合名会社の場合と異ることなきにいたるのである。」という主張が現れるからである。
 なぜ、合名会社と地方議会とを異質なものと扱わなければならないかについては、「会社の法律関係は全体として一般法秩序に編入されている」という理由が更に付されている。ここで一般法秩序と呼ばれている概念は、おそらく後年の判例に見られる一般市民法秩序という概念と同一のものであろう。(注七)
 しかし、この点では田中意見には顕著なよろめきがある。上記に引き続いて、「法規の要件を充足するや否やが当該社会の自主的決定に一任されている場合には、それに介入することができない。」という主張が再び現れる。
 この場合には明らかに、立法的に下位部分社会の自主決定への一任がある場合に限って、裁判所の介入権が制限されている、としか読めない。
 ところが、それに続けて、
「裁判所が関係する法秩序は一般的のもののみに限られ、特殊的のものには及ばないのである。」とする。
 この場合には、立法裁量とは関わりのない司法の本質的限界の存在を主張していることになるはずである。この主張を、部分社会論の帰結として単純に導くことが不可能なことは、田中自身が一番承知していたのであろう。なぜなら、この結論には、それまで述べられておらず、また部分社会論とも関連性を持たない新たな理由が付されているからである。すなわち
「もし裁判所が一々特殊的な法秩序に関する問題にまで介入することになれば、社会に存するあらゆる種類の紛争が裁判所に持ち込まれることになり、一方裁判所万能の弊に陥るとともに、他方裁判所の事務処理能力の破綻を招来する危険なきを保し得ないのである。裁判所は自己の権限の正しい限界線を引かなければならない。」というのがそれである。
 本来ならば、ここで新たに付された理由こそが、その一般と特殊を区分するメルクマールとして機能しなければならない。しかし、残念ながらそうしたこの理由はそうしたものではないと言わざるを得ない。ここでは積極、消極二つのものが挙げられている。そのうち、積極的理由である「裁判所万能の弊に陥る」ことの危険性については、一般論としては誰も異論のないところであろう。しかし、それはまさに一般論であって、ここで言われる部分社会の限界を画する機能は有していない。いま一つ、消極的理由として挙げられた「裁判所の事務処理能力の破綻を招来する危険なきを保し得ない」というのは、現行憲法の下においては、絶対に理由にしてはならない。なぜなら、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない(憲法第三二条)」のであるから、事件が裁判所に殺到しすぎて審理が渋滞するのであれば、国は裁判所の機構を拡充することによって対応するべきであって、具体的事件が存在しているにも関わらず、門前払いをするという方法で対応するようなことはあってはならないからである。
 以上を要約すると、この少数意見における田中理論は、二つの柱の上に立っているということができる。一つは、部分社会内部の紛争においては、自治的に決定さるべき領域があるという認識である。しかし、それを決定する要因としてどのようなものを考えているかの説明が無い点が、この関係では大きな問題となる。いま一つは、国の裁判所では取り扱うのが適当ではない事象があると言うことである。しかし、その理由付けには完全に失敗していると言わなければならない。また、両者が有機的に関連を持ってはじめて理論としての整合性を持ちうるのであるが、そうした関連づけについてはそもそもその努力さえも行われてはいない。
(二) 田中は、東京都板橋区議会議員の除名が問題となった最高裁判所大法廷昭和三五年三月九日判決においても、なお基本的には同一の主張を少数意見として述べている。そこでの議論においても上記二つの柱の存在が認められる。しかし、その理由付けにおいては若干の変更が見られる。
 部分社会論的な理由については次のように説明する。すなわち、
「各社会はその存立のために自らの秩序をもち、必要があれば懲戒等の制裁によつてこれが実現を保障できなければならない。懲戒権はその社会に内在する権限である。その制裁が生命、自由等の剥奪のような刑罰であるならば、刑罰権は国家の独占にかかるから、ある社会が自治法を以て刑罰を定めることは、憲法と法律の特別の規定のある場合(例えば憲法九四条、地方自治法一四条五項、六項)にかぎられている。ところが刑罰にいたらない懲戒処分に関してはその社会が規範を自由に立法し、解釈し、そうして適用することができる」とし、「これについて裁判所は審査権をもつていない。このことは処分が最も重い除名であつたにしても同様である」とするのがそれである。
 この理由は、先の少数意見では立法裁量として無造作に切り捨てていた部分に、部分社会論に根ざす理論的な理由を付した点で評価することが出来るであろう。が、これがこのように無限定に述べたのでは、すべての部分社会が対象となってしまい、一部の部分社会に対象を限定するというそれまでの主張との間に矛盾を生ずることとなる。このままでは盗賊社会における自治権までも裁判所としては尊重する必要に迫られるはずである。しかし、当然そうしたことは否定するはずであろう。
 また、この論理を貫けば不要であるはずの、司法権の限界を画する理論が、これとは別個に提起されているのも奇妙な点である。すなわち、最初の判決では単に裁判所万能の弊と述べられていた点であるが、これについて、次のような説明改善の努力がされる。
 「理論的に『法』の範疇に属する規範がすべて国家の裁判所によつて実現されるものと考うべきではない。もしそう考えるなら、それは国家万能主義の誤謬に墜ちるものである。法規範の実現は必ずしも裁判だけによるものでなく、社会の成員の法意識や道徳や習俗律によることが大である。かりにその実現が不完全であつても、その法規範は『不完全法規』であるにとどまる。何等かの違法状態が存在する場合につねに国家司法権の発動によつて関係者が救済を要求し得るものではない」と説き、そのことから「救済を要求し得るのは、国家がその使命の達成の見地からとくに問題を重要視して、これを自己の裁判権に服せしめた場合にかぎるものと見るべきである。」という結論を導いている。
 この新しく付け加えられた理由付けのうち、「法規範の実現は必ずしも裁判だけによるものでなく、社会の成員の法意識や道徳や習俗律によることが大である」と言う点は、誰もが異論のないところであろう。実際、私人間のほとんどの法的紛争は、裁判に依らずに、相互の間の法意識等に基づいて解決されているのである。しかし、そのような紛争解決手段の存在は、決して裁判所による解決を求めることを拒否できる根拠にはならないはずである。道徳や習俗律で完全な救済が求められる場合ならともかく、不完全に止まる場合においても、国家的観点から私人間の紛争の重要性を判断し、国が重要でないと考えた問題には裁判による救済を拒否するというのは、端的に言うならば、全体主義的思考であって、個人主義を基調とする現行憲法の解釈としては絶対に許されないものと言わなければならない。
 しかし、米内山事件の段階では、田中個人が主張するだけの説であったものが、この判決ではさらに二名の同調者を得るようになった、と言う点で、大きな変化が現れた。
(三) 新潟県のある村議会における議員懲罰が問題となった同年一〇月一九日最高裁判所大法廷において、一定の限度がついてはいるが、この主張がついに多数意見の受け入れるところとなった(注八)。すなわち
「司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの外、一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法三条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。一口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあるのである。けだし、自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあるからである。本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。」としたのがそれである(注九)。
 ただし、この判決は無条件に田中意見に同調したのではない。田中意見が、刑罰以外の懲罰行為はすべて部分社会の自律に属すると解していたのに対して、次のような注目すべき主張を括弧書きの形で行っている。すなわち、前述した二件の事件では、「議員の除名処分を司法裁判の権限内の事項としているが、右は議員の除名処分の如きは、議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らないからであつて、本件における議員の出席停止の如く議員の権利行使の一時的制限に過ぎないものとは自ら趣を異にしているのである。従つて、前者を司法裁判権に服させても、後者については別途に考慮し、これを司法裁判権の対象から除き、当該自治団体の自治的措置に委ねるを適当とするのである」としたのである。当然、この括弧書きの主張は田中判事の認め得ないところとして、再び補足意見が書かれることとなる。
 この判決では、田中意見が根拠としてきた二つの柱のうち、部分社会論的部分のみを採用していることは明らかである。また、「自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがある」という表現からは、すべての部分社会を念頭に置いているのではなく、特定の一部に限ってこの論理が適用になると考えていることを、明白に認めることが出来る。ただし、この論理が適用になる部分社会と、適用にならない部分社会とをどのようなメルクマールで区分するのかについては、まったく論及されていないのが大きな欠点として現れる。
(四) 通常、判例は部分社会論を採るといわれる。それが判例中に登場するにあたり、その契機を与えたのは田中耕太郎である。が、そこで最終的に採られた説そのものは、田中少数意見とは異質のものであった。また、そもそも田中少数意見は、自らの基礎法学理論との体系的整合性にも欠けるものであった。これらの事実は、判例の採用している、いわゆる部分社会の法理について論ずるにあたっては、決して看過してはならない点であると考える。

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三 判例の独自の発展ー富山大学事件を中心に
(一) 前節に紹介した最高裁判所判例は、部分社会という概念を基礎に、裁判所の審査権の限界が存在することを明言したに止まり、その理論の細部はほとんど不明な状態であった。それを相当程度まで明確化したのは富山大学単位認定事件に対する最高裁判所判決である(注十)。以下に、その内容を検討したい。
 同事件の下級審判決である富山地裁昭和四五年六月六日判決は、典型的な特別権力関係説を採用していた。もっとも、「内部の問題として自主、自律の措置に委ねるべきで、司法裁判所がこれに介入するを相当としないものがある」という言い回しなどがあり、純粋の特別権力関係説に比べると、村議会議員出席停止処分事件の影響が現れているということができよう。
 学生側の控訴を受けた、名古屋高等裁判所の昭和四六年四月九日判決も、基本的には特別権力関係説を踏襲する。しかし、「『特別権力関係』という用語の当否はさておき、私企業においても企業の秩序の維持をはかるため内部規律が定められ、それによつて従業員間の秩序が律せられていて、これに対しては市民法秩序に関しない限り司法権行使が問題とならないごとく、公企業ないし公営造物関係において、その内部の秩序を維持するため規律を定めることはなんら憲法に違反するものでなく、その内部規律に対して司法権が及ばないものとすることも許されて然るべきであるから、控訴人ら代理人らの主張は採用できない。」として、一審以上に強く、典型的な特別権力関係説とは一線を画した述べ方をしている。
 そして、最高裁判所(第三小法廷)昭和五二年三月一五日判決は、冒頭にも述べたとおり、同一の結論をいわゆる部分社会の法理を明確に採用することによって引き出した。すなわち、
 「裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法三条一項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。」と述べた上で、「単位の授与(認定)という行為は学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」として、訴えを退けたのである。この判決は、同時に最高裁判所が部分社会という言葉を使用した最初の例ともなった。
(二) しかし、この事件でもっとも注目をするべきは、最高裁判所が、この事件の一部を独立の事件として上記判決とは結論の異なる判決を出している点である。すなわち、上記判決は、経済学部の学部在学中の学生に関する単位の認定に関するものである。しかし、原告の中に一名、大学院専攻科の学生がいた。同大学の学則によると「専攻科に一年以上在学し所定の単位を履修取得した者は、課程を修了したものと認め修了証書を授与する。」(六一条)となっている。したがって、専攻科の場合には、学部の学生と異なり、単位の認定が、即、課程の修了すなわち大学院の修了認定につながってくるという違いがある。
 このことは名古屋高裁段階ですでに注目され、「専攻科の修了については、学部の卒業と同じ効力を有し、修了の認定を与えないことは卒業の認定を与えない場合と同じく、営造物利用の観念的一部拒否とみることができ、その点で市民法秩序に連なるものとして、特別権力関係上の行為ではあるが司法権が及ぶものと解するのが相当である。」と判決していた。
 最高裁判所は、この部分に、先の村議会議員懲戒処分事件における括弧書きの論理を適用し、「国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学を利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授しその研究を指導することを目的として設置されるものであり(学校教育法五七条)、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し、専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。」と判決した。
(三) この判決においては、従前の田中少数意見や村議会議員出席停止処分事件判決に比べると、かなりその具体的な内容が明らかになってきた。ここでは、単に部分社会に司法権が介入できないといっているのではない。大学というものが、私立であると国立であるとを問わず、「学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設」であるという特殊性をまず指摘し、「その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し実施することのできる自律的、包括的な権能を有し」ているという点に、「一般市民社会とは異なる特殊な部分社会」としての性格を認定しているのである。ただ、ここで指摘されている特殊性は、大学に関するアドホックなものであって、一般的に部分社会とされるもののうちの何が、その自律性を尊重されるものとなるのかまでは明らかにしていない。
 この判決で特筆すべきは、その自律性尊重の限界についても明らかにしている点である。すなわち、そうした部分社会の中の紛争であっても、そのすべてが司法権として介入できないものではなく、もしくはその限界は立法政策によって決まるものでもなく、「市民法秩序と直接の関係がある」場合には、介入可能だとしているのである。大学院学生が学部学生とは異なる扱いを受けるのは、決して大学院に対する立法政策と大学に対する立法政策の間に差異があるからではない。対社会的に、富山大学大学院専攻科を修了したと言えるかどうかということは、市民法秩序と直接関係がある問題と言えるので、司法審査の対象となるというのである。この限界を画する部分は、その後の判例の発展の中で更に詳細な基準となっていく。
(四)この、部分社会に発生した問題を、その問題の一般市民社会との関わりの有無に応じて司法審査の対象となるか否かを分けるという理論構成は、この最高裁判所判決において突然現れてきたものではない。むしろ、前記村議出席停止処分事件以後において下級審判決が積み上げてきた論理を採用し、確認したものということができる。特に次ぎに示す二つの事件が重要である。
 1 工場の従業員が、その工場の附属寄宿舎に住んでいたところ、この寄宿舎居住者の全員で組織されている自治会の規約に違反する行為があったとして自治会から除名された事件で、名古屋高等裁判所昭和三八年五月一六日判決は
「およそ共同体である社会的団体は、その組織の秩序を維持するために、明文の規則、規約の存否にかかわらず、自律権をもつていることは団体法理上当然のことがらである。かかる自律権の発動である制裁処分の適否が司法審査権の範囲に属するか否かについては考の岐れているところであるが、制裁処分は除名処分も含めて、原則として裁判所は審査権をもつていないと解する。
 しかして例外の場合として、制裁処分が被処分者に対し客観的に著しい不利益を与え、国民の権義を保全する司法の立場から黙視できない程度の場合には、その制裁処分は司法審査権の範囲に属するものと考えられる。」と述べた。
 この事件の場合、被処分者は、本件除名処分によって寄宿舎から退舎させられた結果、民間アパートに住む結果となつたため、二交替勤務上の早出或いは晩退による通勤上の苦労、及び寄宿舎の部屋代が無料であるのに比べアパートの部屋代という負担をしているという客観的に著しい不利益と観られるという事実が認められたので、本件除名処分は司法審査の対象となるとして実体審理を行っている。
 2 甲府地方裁判所が昭和四二年六月一五日に出した判決では、明確に一般市民法秩序という言葉を使用した上で、同様の論理を採用している点で特に注目される。事件は、都留市立都留文科大学が数名の学生を学則により退学処分及び無期停学処分にしたことの当否が争われたものであるが、「自律的法規範をもつ団体の内部規律維持の問題であることは否定できないところである。しかしながら右のような団体も、国家社会を構成する一部であることは明らかであり、したがつて一面団体の内部規律の問題であつても、その結果が一般市民法秩序に照して重大な関係を有する場合は必しも、その規範の実現を当該団体に委し、司法審査の対象ではないとして、これを放任することは現行法秩序に照して首肯し得ないところ」であるとした上で、退学処分が一般市民法秩序の問題であるのはもちろんとして、無期停学処分も「期間を定めた停学処分と異り学生として本質的な利益である教育を受ける利益の剥奪期間が予想できず、停学処分に対する新たな解除処分がない限り、継続して右利益を喪失したままとなり、その継続年数によつては、年令的、経済的に就学が不可能となる可能性があり、名称は停学であつても、実質的には復学制度のある学校における退学処分と大差のない不利益を蒙るものといわなければならない。そうとすれば、無期停学処分は、実質的には退学処分に準ずる重大な利益の喪失であると認めるべきである。」として、その両者に対して実体審理を行ったというものである。
(五) このように、富山大学事件最高裁判所判決は、一連の下級審判例の流れの中に位置するものであり、そして、それがこうして、いわゆる部分社会の法理として最高裁判所で明確に承認され、限界も明らかになったことから、この後においてはさらに下級審判決による採用例が増加してくる。政党(名古屋地方裁判所昭和五三年一一月二〇日決定)、都立高校(東京地方裁判所昭和六二年四月一日判決)、労働組合(岡山地方裁判所昭和六二年五月二七日判決、その控訴審である広島高等裁判所岡山支部平成元年十月三一日判決)、ゴルフクラブ(東京地方裁判所昭和六三年九月六日判決)など、さまざまな団体を舞台に、ここで展開されたと同一の論理による判断が現れることになるのである。
 また、宗教団体における住職の地位を対象とした事件において、最高裁判所自身による再確認も行われる。最高裁判所(第一小法廷)昭和五五年四月一〇日(昭和五二年(オ)第一七七号)判決である。本門寺という宗教法人で住職が欠け、壇信徒の多数派から住職として推された人物と、前住職の単独の意思で住職たる地位を譲られたとする人物の間で、宗教法人本門寺の代表役員地位確認等請求が争われた事件において、
「何人が宗教法人の機関である代表役員等の地位を有するかにつき争いがある場合においては、当該宗教法人を被告とする訴において特定人が右の地位を有し、又は有しないことの確認を求めることができ、かかる訴が法律上の争訟として審判の対象となりうるものであることは、当裁判所の判例とするところである(注十一)。そして、このことは、本件におけるように、寺院の住職というような本来宗教団体内部における宗教活動上の地位にある者が当該宗教法人の規則上当然に代表役員兼責任役員となるとされている場合においても同様であり、この場合には、裁判所は、特定人が当該宗教法人の代表役員等であるかどうかを審理、判断する前提として、その者が右の規則に定める宗教活動上の地位を有する者であるかどうかを審理、判断することができるし、また、そうしなければならないというべきである。もっとも、宗教法人は宗教活動を目的とする団体であり、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されているものであるから、かかる団体の内部関係に関する事項については原則として当該団体の自治権を尊重すべく、本来その自治によって決定すべき事項、殊に宗教上の教義にわたる事項のごときものについては、国の機関である裁判所がこれに立ち入って実体的な審理、判断を施すべきものではないが、右のような宗教活動上の自由ないし自治に対する介入にわたらない限り、前記のような問題につき審理、判断することは、なんら差支えのないところというべきである。」というものである。
(六) 上記の判例の流れと若干異なり、部分社会の内部自律の属する事項として司法審査の対象とはならないものに他の懲戒処分とともに「除名」も含まれるという、田中少数意見的な判決の流れが改めて現れるようになってくることにも注目しなければならない。例えば地域の婦人会からの除名(京都地方裁判所昭和六二年八月一一日判決)やダンス連盟という団体からの除名(東京地方裁判所平成4年6月4日判決)がそれである。さらにこの流れは、最高裁判所自身も、そうした下級審判決の流れを承認するところにまで発展する。
 最高裁判所(第三小法廷)昭和六三年一二月二〇日判決(昭和六〇年(オ)第四号)で問題になったのは、日本共産党と同党の元副委員長である袴田里見氏との間の家屋明け渡し請求事件である。すなわち、日本共産党では、その副委員長の袴田氏の便宜を図るため、氏の希望する家屋を購入の上、市場価格に比べるときわめて低廉な額で賃貸していたが、同氏が党首脳部と衝突して党から除名になったため、氏にその家屋からの立ち退きを要求したという事件である。
 袴田氏側からの上告に対して最高裁判所は、
「政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない」としたのである。
(七) 近時、学説が判例の採用する部分社会の法理について論ずる場合には、以上に論じてきたところはむしろ駆け足的に通り過ぎ、その後における判例の発展、特に宗教法人における代表者の地位等が争点となっている訴訟において、宗教法人内部自律をどの限度で尊重するか、という判例に力点を置いて論じているように思われる(注十二)。しかし、それは一般市民法秩序に属するとして司法審査の対象となることが認められる場合における、司法審査権の限界の問題であって、憲法上の問題となる、本来の「部分社会の法理」論とは異質のものと考える。
 例えば、上記袴田事件最高裁判所判決は、上記引用部分に続けて、政党の内部処分が、本件のように住居を失うという「一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」として、部分社会に該当するがゆえに司法審査の対象とならないという論点と、市民法秩序に属する問題でありながら、内部自律を尊重するがゆえに司法審査に発生する限界とを明確に区分して論じている。
 この二つの論点を混同することは、結局、部分社会論そのものを正当に評価すること自体を不可能ならしめるものであり、また一般市民法秩序論の意義をも見失う結果につながるものと考える。

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四 いわゆる「部分社会の法理」私見
(一) 前節までに詳述したとおり、判例上のいわゆる部分社会の法理は、田中少数意見以来の流れから、純然たる法学上の概念を基礎に展開されている。しかるに、学説は一般に部分社会という概念そのものの内容をまったく問題とすることなく、単にその憲法訴訟レベルにおける現象論的な点に目を奪われて云々している。しかしそれは妥当とは思われない。きちんと法学段階から議論を展開しない限り、この法理に対する建設的な批判そのものが不可能であると考える。そこで本節では、法学における法の社会的基盤としての社会についての私見を述べ、それを基礎として判例の限界を検討したい。
(二) 法が社会規範の一種である以上、その基盤は特定の社会の上に存在している。法が社会秩序に関する規範であり、社会秩序は、当該社会に存在する基本的価値観によって決定される以上、法の基盤となるところの社会とは、共通の価値観を持つ人間の集合として理解することが出来る。
 全体社会の中にあって、その構成員の一部のものによる部分集合を、部分社会と呼ぶ。部分社会をどのような基準を使用して定義するかは一つの問題であるが、ここでは最大の外延を与えるということを根拠として、その所属員を法的観点から見て他と区分するメルクマールが存在しているところでは、その存在を認めることが出来ると考えることにしよう。この定義による場合には、国家、官庁、会社、家族などのように長期に存在することを予定する組織を有するものばかりでなく、契約等の存在をメルクマールとして、その契約等の当事者で構成されるごく短期的かつ無組織な社会も部分社会として認めることとなる。このように定義することは、同時に判例理論の根拠となった田中耕太郎説とも一致すると考えて良いであろう。
すなわちその教科書の中で同判事は「法たるがためにはその社会が組織化されていることを必要とせず、組織化されざる社会もまたその状態に相応した法を要求するものと考える(二二頁)」と述べていたし、その少数意見の中でも、組織化の程度を問わず、部分社会一般を対象として議論をしてきていたからである。
 このように、二種類の社会を考えた場合、そのいずれが法の基盤となる社会であるかが次の問題となる。第一節に述べたとおり、全体社会とする恒藤説と部分社会とする田中説の対立がここにあるわけであるが、次の理由から全体社会説を妥当と考えたい。すなわち、部分社会説を採ると、例えばやくざの部分社会とか、盗賊の部分社会とかを規律する法規範を、裁判所は、その部分社会構成員を拘束する法規範として承認しなければならないことを意味するからである。承認するとは、要するに、その社会に属しない通常の国民がそれを尊重して行動することを意味するわけであるが、これは明らかに社会価値の多元性を導き、安定的な社会の建設を不可能にするものと考える。
 すなわち、部分社会説による場合には、これら反全体社会的な価値によって支配されている部分社会の法でさえも、国家の定立した法と衝突する限度においてのみ否定され、個々的には、国家の法と整合性を有している限り、裁判所としてそれに基づいて判断を下すことを要求されることになるからである。なお、このことの具体的な意味については後に改めて考察する。
 全体社会説を採用するにあたっては、いま一つ検討を要する点がある。それは、法の基盤を国家とする説との関係である。すなわち、我々日本人の周囲にあって、共通の価値観を持つ人間の最大の集合、すなわち恒藤恭のいうところの全体社会は、日本と呼ぶことが出来る。すると、同じ日本を国家と呼ぼうと全体社会と呼ぼうとどういう違いがあるのだ、という疑問が出てくるのは当然であろう。現に、佐藤幸治は「現代国家を対象とする限り、『全体社会説』が、『国家説』と異なる、どのような存在理由を主張しうるのか必ずしも明らかではないように思われる。」という疑問を呈している(注十三)。
 国家と全体社会との関係について恒藤恭は、「全体社会に包容される無数の人格的存在者の全体の運命と使命とに対し深き影響を及ぼす力を有する団体として、国家は諸々の部分社会の中につき独自の地位を占める」が、なお部分社会に過ぎないと答える。そして、国家は「諸他の集団に比して優越せる権力を持つ国家は、全体社会における人々の共同の運命と当為との内容の決定に対して、独自の仕方で深大なる影響を与えうる」点に、他の部分社会との質的相違があるが、所詮部分社会に過ぎないから「国家と全体社会とを同一視する事は、当を得ない(一一六頁)」と説明される。この点の理解は田中耕太郎も同一である。
 これに卑見をもって補足すれば、国家という概念はそもそも比較的近代の国際関係の産物と考えられる。しかし、そうした意識や概念を持たない古代の社会でも、ないしは国家といえるほど確立した協同体意識の無い地域的集団、例えば村落協同体程度の場合でも、社会秩序を維持するための法規範は存在していなければならない。無法状態とは、つまるところホッブスの言うところの「百万人の百万人に対する闘争」であって、社会としては崩壊せざるを得ないからである。そこで言う法とは、村の掟と掟違反者に対する村八分程度の素朴な存在であるかもしれないし、ハムラビ法典のような整備されたものであるかもしれないが、それによって社会秩序の維持効果がある以上、それを法規範として承認することは出来るのである。
 かってのソビエトロシア、ユーゴスラビア、チェコスロバキアなど、幾つもの連邦国家が、相次いで崩壊を起こしたことは、まだ記憶に新しいところであるが、それらの事件は、まさに、国家の中に複数の全体社会が存在していたために、それを束ねる思想等(それらの場合には共産主義思想)が崩壊したことが、直ちに、個々の全体社会ごとへの分裂を必然とした、と評価することが許されるであろう。
 その意味で、我々は、国家としての範囲と全体社会とがほぼ正確に一致する、という幸せな地域に生きているということが出来る。その幸運さが、我々をして両者の概念的相違を認識するのが困難にするのは皮肉な現象である。しかし、その日本においてさえも、細かく見ていけば、全体社会と国家の間の不一致現象を見いだすことは可能であり、その結果、両者の定立した法の間にずれが存在していることを見いだしうるのである。一例を挙げれば、民法物権法においては、法律に定められているもの以外の物権は認めないとしている(民法第一七五条)。しかし、現実には、認める法律がないにも関わらず、根担保物権については、社会的要求が強いため、早くから判例実務の認めるところとなり、特に需要の多い根抵当権については、昭和四六年に至って民法に定められるところとなっている。この社会的要求こそ、全体社会による法の存在を端的に示しているということができるであろう。
 こうして、法の社会的基盤そのものは全体社会にある、と理解した場合に、注意を要するのは、この概念は、決して部分社会が独自の法の基盤となることを、すなわち個々の部分社会ごとに固有の法があること自体を、否定するものではない、という点である。なぜなら、まさに田中耕太郎の言うとおり、社会のあるところ法があるのが現実だからである。法実証主義を採るものとして、その現実を否定してはならない。
 したがって、法の基盤として全体社会説を採用することの意味は、部分社会の法が、全体社会の法と有機的な関連性をもって規範的統一性を有する限度においてのみ、部分社会の法は、全体社会において尊重されることになるという点に求められる。換言するならば、部分社会の法は、その基礎となる部分社会を特徴づける価値観が、全体社会の価値観に適合するがゆえに、その部分社会の存在そのものを全体社会として是認しうる場合に、部分社会の法は全体社会において尊重される。すなわち全体社会における法規範性を承認されるのである。
(三)このように、全体社会をベースに部分社会論を肯定する立論を行う場合に、はじめて、判例の定立したいわゆる部分社会の法理は、きわめて合理的にその内包及び外延を確定しうるものと考える。すなわち、全体社会との関係においては、部分社会は大きく三種に分類しうる、と考える。
 1 第一の類型は、部分社会を特徴づける価値観が、全体社会の価値観と基本的に相入れないものである場合である。この類型に属する部分社会で、短期的にしか存在しないものの典型例としては、特定の時点の賭博行為に参加した者の集合などを考えられよう。長期的に存在するものの典型例としては、やくざ社会、盗賊社会などを考えればよい。
 全体社会は、この類型に属する部分社会については、当該部分社会の存在そのものを認めない。その結果、こうした部分社会に関して発生した請求権等は、すべて、いわゆる自然債務とされることになる(民法九〇条参照)。したがって、賭博による債権の履行を求めて訴えを提起した者がいても、また、既に履行した同種債務に基づく支払いの返還を求める者がいても、いずれも裁判所は訴えを退けるはずである。すなわち、賭博によって一時的に発生した部分社会を裁判所は否定し、その内部法を根拠として紛争を解決することを拒否するのである。
 同様に、長期的存在としての部分社会、例えばやくざの団体から除名(破門?)された者がいたとして、その除名処分の不当を訴えて、あるいはやくざ団体側からその処分の正当性の確認を求めて、裁判を提起したとしよう。その場合にも、上記の自然債務の場合と同様に、裁判所は、そのいずれの訴えも却下するはずであろう。
 このように、従来の判例と整合性ある解釈を導くためには、法のトレーガーとしては全体社会と解せざるを得ないのである。部分社会と解した場合には、単なる金銭貸借に転化している第一の場合も、単なる団体と個人の関係を問題にしている第二の場合も、それ自体は上位社会の法との抵触はないから、当該部分社会の法に従って実体審理の必要に迫られることになるはずだからである。
 このように全体社会説から理解した場合に、この類型において司法の介入を拒絶するということは、決してその部分社会を尊重して、その自治的解決に委ねているということではない。しかし、現象的には、部分社会の内部へ司法が介入を行わないという、いわゆる部分社会の法理と同一の事態が発生していることは注目して良い。このことは、部分社会という概念そのものは、司法の限界と密接な関係を有しているということの証左となるものだからである。
 2 (1)第二の類型は、部分社会を特徴づける価値観が、全体社会の価値観と同一か、少なくとも是認することのできるものである場合である。この類型に属する部分社会で、短期的にしか存在しないものとしては、通常の契約関係すべてを考えることが出来る。長期的に存在するものとしては、家族、法人、民法上の組合等を考えることが出来るであろう。
 全体社会は、この種部分社会については、その存在を認め、その固有の法を尊重する。ここで、固有の法を尊重するとは、次のことを意味する。
(2) 部分社会内部で紛争が発生し、裁判所がその解決を求められた場合には、裁判所は、対象となる各部分社会の有する固有の法に従って、その部分社会内部の紛争を解決する義務を負う。また、部分社会内部において、仲裁契約その他により、裁判所に紛争解決を委ねないことを決定していた場合には、裁判所は原則として強制的に介入することは許されない。そして、紛争の解決にあたっては、全体社会の法を強要することは許されず、裁判所は当該部分社会固有の法規範を探求した上で、それに従って判断を下す必要がある。当該部分社会にその問題に関する固有の法がない場合にも、その部分社会の上位に位置する部分社会の法がある場合には、当該部分社会においてそれを排除するとする法規範を有していない限りそれを優先適用する必要がある。結局、全体社会の法が部分社会に適用されるのは、それら上位部分社会にも固有の法がない場合に限られるのである。
 このことは、短期的存在の部分社会である契約関係等においてはきわめて明白であろう。法律行為当事者の意思、すなわち当該部分社会における法規範は、公の秩序に関しない規定については、常に全体社会の法や国家の法に優越する(民法九一条)。そして当該取引の属する業界に固有の慣行がある場合には、特にそれを排除する意思を表明しない限り、それによるべきこととされる(大判大正三年一〇月二七日民録二0ー八一八)。
 また、この場合に、裁判所は部分社会内部の法を調査し、それに基づいて紛争を解決するが、法そのものの妥当性については公序良俗違反となっていない限り、審理の対象とはしないことも、注目して良い。袴田事件において、最高裁判所は部分社会の内部法を審査するにあたり、「一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない」と述べたことは、先に紹介したが、これはすべての部分社会内の紛争の司法的解決にあたって共通して採られる法理であって、決して政党や宗教法人等が問題になる場合のみの手法ではないのである。
 例えば私人が金銭消費貸借を行うにあたり、出世払いの特約を付したとする。その場合に、裁判所は、その特約が詐欺、脅迫その他の手法でなされたとか、出世とは当事者間においてどのような意味を持つか、というような形式面についての実体審理は許されるが、出世払い特約そのものは公序良俗違反ではないから、当事者がそうした特約を結んだことの当否についての審理は許されないのである。
(3) ただし、国家は、例外的に、部分社会に、国家の定めた法規範を強要しうる場合がある。それは大きく二つの場合に分けられよう。一つは田中耕太郎も指摘していた刑罰権の国家独占などに代表される、自由権の私人への直接適用の認められる場合である。いま一つは、福祉主義に基づき、国家権力が私人間の紛争解決のため、積極的介入を要請されている場合である。後者については、田中意見の中に実例として紹介されていた、株式会社等における社員総会の開催その他、強行法に基づき、裁判所による内部秩序への介入が許される場合が上げられるであろう。これらは、いずれも少数株主の保護や、会社債権者の保護など、相対的な意味での弱者保護のために法が特に定めをおいている場合なのである。
(4) この第二の類型に属する部分社会の場合にも、部分社会の法を裁判所として尊重する必要があることから、司法権は、原則として部分社会の法を調査、解明の上、それに基づいて解決することが義務づけられるという意味において、やはり部分社会概念が司法権の一種の限界を形作っていることは否定できない。
 3 (1)第三の類型は、まさに本稿が問題としている一連の判例が創り出したもので、憲法学と直接の関連があるのは、この類型だけである。すなわち、部分社会を尊重する結果、形式的審査権も司法権から除外する、としているものである。これは、基本的には第二類型の部分社会に対する尊重を極限まで押し進めたものであり、その意味で第二類型の亜形として理解することが許されよう。
 この第三類型は、部分社会に対する不介入の根拠となる自由権の種類を問うことなく、また、その部分社会が国家組織(地方公共団体も含めて)の一部なのか、民間組織なのかを問うことなく、一律に司法介入の限界を構成すると考えうる点に、その特徴がある。以下、その特徴が憲法的に肯定しうるものなのか否かを検討したい。
(2) 繰り返し述べたとおり、判例は、部分社会の一部にこの類型が存在することは明確に表明したが、この類型と、第二の類型とを区別するメルクマールを明確に述べてはいない。しかし、今日までの多数の判例の積み重ねを見れば、自ずとその外延が現れてくる。卑見によれば、それは、いずれも広い意味での個人の自由権を実質的に確保するための制度的保障として、組織を作る権利を憲法が保障している場合に該当する。すなわち、宗教団体は憲法二〇条の保障する信教の自由の、政党、婦人団体、自治会等の結社の自由は二一条の保障する表現の自由の、大学の自治はいうまでもなく二三条の学問の自由の、労働組合は二七条の保障する勤労権の、それぞれ実質的保障手段としての団体なのである。判例に現れた組織の中では、地方議会だけが、従来の通説に依拠する限り幾分異質であるが、それでも地方自治制度そのものが、国家と地方の権力分立による国民の自由権の可及的保障手段であるという認識については、おそらく異論はないであろうから、例外となるほどのものではない、と考える。
 要するに、判例がいわゆる「部分社会の法理」の対象としている部分社会とは、憲法が直接又は間接に、団体結成権を保障している団体のことなのである。したがってそこで言われる司法権の限界とはこのような団体における内部自治の尊重を意味するのである。
(3) この類型に属する場合であっても、当該部分社会は常に無条件で司法審査からはずれるわけではない、という点に、判例の作り出したこの類型のいま一つの特徴がある。すなわち、司法権が立ち入らないのは、その部分社会内部に紛争が止まって外部社会に影響を与えない限度とされている。そして村議出席停止処分事件においても、富山大事件においても、懲戒処分が部分社会の構成員からの排除(部分社会の種類により、除名、退学、破門等様々の名称が使用される)という程度に達した場合には、司法審査の対象となるとしている。逆に言えば、戒告、陳謝、集会への出席の停止という段階にとどまる限り、司法審査は及ばないことになる。
 これに対して、学説的には、基礎となる自由権の種類ごとに司法介入の限界は異なるはずだとする批判が強い(注十四)。しかし、果たしてそのように断言できるものであろうか。すなわち、すべて自由権は、国家からの不介入を求める権利をその中核として有するものである以上、自由権を実質的に保障する機能を有する団体の内部自治に対する国家からの不介入が要請されるのもまた当然のことである。そこでは、すべての自治権が同質の保障を享有することとなるのは、当然のことではないだろうか。内部処分の限度にとどめる場合に、なお、例外的に司法審査を行うべき必要のある自由権が存在するという反証を挙げることなく行う、上記のような非難は妥当なものとは思えない。
(4) 除名以上の処分が行われた場合、及びそれ未満の程度の軽い処分であっても、その処分の事実が対社会的に発表された結果、対象となる個人の名誉を毀損するような事態になった場合には、部分社会の法理はその機能を果たし、もはや適用されることはない。したがって、問題は再び第二の類型へ戻ることとなる。
 その場合には、団体の享有する自由権の限度において裁判所の審理権が制限されつつ、司法権の介入そのものは肯定されることとなる。 こうした観点から、裁判所として実体審理を行う場合に、部分社会固有の法をどの限度まで裁判所として判断しうるか否かについては、当然のことながら、その根拠となった自由権の種類に応じた差異が生ずる。
 その一例として最高裁判所(第二小法廷)平成元年九月八日判決を見ることとしたい。創価学会と日蓮正宗本山との間で紛争が発生し、本山側がその指揮にしたがわない末寺の住職を罷免するという事件が多発したが、これもその一連の紛争に関する判決の一つである。この判決では、「特定人についての宗教法人の代表役員等の地位の存否を審理判断する前提として、その者の宗教団体上の地位の存否を審理判断しなければならない場合において、その地位の選任、剥奪に関する手続上の準則で宗教上の教義、信仰に関する事項に何らかかわりを有しないものに従ってその選任、剥奪がなされたかどうかのみを審理判断すれば足りるときには、裁判所は右の地位の存否の審理判断をすることができる」として、基本的に内部法秩序にしたがって判断すべきことを述べた上で、紛争が「右の手続上の準則に従って選任、剥奪がなされたかどうかにとどまらず、宗教上の教義、信仰に関する事項を」めぐって行われているため、紛争の最終的な解決にはこうした点の「審理判断しなければならないときには」、この点が信教の自由の核心に該当し、国家の介入が全面的に禁じられているので、「裁判所は、かかる事項について一切の審判権を有しない以上、右の地位の存否の審理判断をすることができないものといわなければならない。」としたのである。
 要するにこうした事件は、表面的には「当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係に関する訴訟」に見えても、実質的には「それが宗教上の教義、信仰の内容に深くかかわっているため、右教義、信仰の内容に立ち入ることなくしてその効力の有無を判断することができず、しかも、その判断が訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものである場合には、右訴訟は、その実質において法令の適用による終局的解決に適しないものとして、裁判所法三条にいう『法律上の争訟』に当たらないというべきである。」という結論が導かれることとなる(上記のカギ括弧内の文言だけが判例原文である)。
 このように、司法審査が基本的に肯定される場合における審理権の限界は、個々の自由権と国家権力からの自由保障の必要性と、個別事案における侵害の態様とを比較考量することによって決せられ、部分社会の法理のような画一的な取り扱いは許されない。このことは判例も認めるところである。
 その場面における多様な取り扱いの必要性が、部分社会法理が適用される場合と混同されて、前記の学説による非難を招いているのではないかと考える。しかし、先にも述べたとおり、団体内部に紛争がとどまる場合のみが、判決においては、部分社会の法理と呼ばれているのであるから、これは見当違いの非難と言うべきである。
(5)学説の、部分社会法理に向けられるいま一つの非難は、それが今日においては否定されたかっての通説である特別権力関係説を、ひそかに復活させるものである、という点に向けられている(注十五)。しかし、部分社会法理の対象となる団体を、このように憲法に根拠を有する団体のみと限定する場合には、こうした特別権力関係の潜脱手段とする批判を抑止することもできるであろう。国(地方公共団体を含む)の機関は、通常、独立した部分社会ということができるが、そのうちで、憲法上の根拠を有しているものとしては、すでに判例上に現れている地方議会や国公立大学程度にとどまるのではないだろうか。例えば、刑務所は、決して個人の自由権の実質的確保のために設置された団体ではないから、特別権力関係という一律的取り扱いの排除が明言された事件として名高い刑務所における未決拘禁者の閲読の自由が問題になった事件(昭和五八年六月二二日大法廷判決)の結論が、部分社会論を導入したからと言って逆転するとは考えられないのである。
 4 上記のように、画一的に、除名以上の処分については部分社会の法理が機能せず、司法審査権が及ぶと考える場合、袴田除名事件最高裁判所判決に見られるように、除名行為に対しても司法審査権が及ばないという考え方をどのように評価するかが問題となる。思うに、この判決はいわゆる部分社会の法理と、実体審査権を行使する場合における団体自律権の尊重とを混同したものである。すなわち、この事件においては借家明け渡し請求権という市民法秩序の問題が当初から論点となっており、その当否について実体審理を行うに際しては、先に述べたとおり、私的団体にあっては公序良俗違反となる場合を除き、内部法手続にしたがった決定であったか否かの点だけが司法判断の対象となる。そのことによる結論の先取りが、本来傍論に過ぎない部分社会の法理の適用に不用意に反映している、という誤りになって現れたものと考える。
 ちなみに、宗教団体修道会聖心布教会がそれに属する修道士を除名した事件において、名古屋高等裁判所昭和五五年一二月一八日判決は、本訴の対象である修道会における会員たる地位は宗教上の地位であり、裁判所法三条にいう法律上の争訟に当らない旨の主張を退けた上で、修道会全体を規律する自律規範としてカノン法及び典範があることから、それに基づいて実体審理を行っている。この場合、カノン法それ自体の内容については、裁判所の審理権が及ばないこともちろんである。

[おわりに]
 三ヶ月章教授の書かれた「法学入門」の序文によると、東大法学部では、新入生に対する法学は定年直前の教授が大講堂で講じる、という伝統があるそうである。それに対して、本学法学部のカリキュラムの特徴としては、法学は小さな講堂で少数の学生単位に講義を行うということが上げられる。当然、多数の教員が法学の講義を行わなければならない。こうした対照的な行き方には、それぞれの利不利があるであろうが、少なくとも私自身は、本学のこのスタイルに非常に感謝している。本学のこの伝統無くしては、私のような怠け者が、主たる専攻分野である憲法ならいざ知らず、法学の基礎となる概念について広く先賢の後を調べたり、深く考察したりするわけもないからである。同じ部分社会の問題を、ある時間は法学として、ある時間には憲法学として講義する必要こそが、部分社会の法理を総合的に検討させる原動力となり、本稿を育んだのである。
 もとより、本問題は法学のきわめて基礎的な部分とかかわるものであって、私のこれまでの研究は、その上っ面を撫でた程度に過ぎないことは重々承知している。その意味で、本稿もこれで完成したものとは到底いうことは出来ないであろう。基本的な誤解も多いことと思う。厳しいご批判をいただければ幸いである。

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(注一)引用箇所は、佐藤幸司『憲法』新版、青林書院、平成二年刊、二七七頁参照。
(注二)引用箇所については、加藤新平『法哲学概論』有斐閣、法律学全集1、昭和五一年刊、三四六頁参照。なお、トレーガーTragerとは、ドイツ語で担い手とか支持者という意味である。
(注三)違法、不道徳な規則も法だという見解そのものはそれほど珍しい意見ではない。例えば末広厳太郎も、博徒仲間の社会にも法があるといわれている(法学入門)し、美濃部達吉も似たようなことをいわれる(法の本質)。その意味で、部分社会概念を承認する場合の基本的な理解といって良い。
(注四)恒藤恭著『法の基本問題』岩波書店昭和11年刊、226頁より引用。ただし、読み易いように、漢字及び送りがなは現代表記に直してある。以後、単にページ数のみを紹介した恒藤説は、いずれも本書の該当頁である。
(注五)この全体社会の定義は、加藤新平『法哲学概論』有斐閣法律学全集1、三四七頁より引用した。
(注六)米内山事件の概要は次の通りである。すなわち青森県議会の米内山議員は、議会における発言によって懲罰に付され、除名議決を受けたので青森地方裁判所にこの除名処分の取消訴訟を提起し、さらにその執行停止を申請した。同地方裁判所はこの申請を容れ、除名処分執行停止決定をしたところ、内閣総理大臣が行政事件訴訟特例法第一〇条第二項但書(現在の行政事件訴訟法第二七条第一項本文に相当)に基づき「議員に対する懲罰決議は一般行政処分と異なり、議会内部の規律維持のための自律作用として認められているものであるから、右議決の執行が停止されることになれば、地方議会の自主的な運営が著しく、かつ、不当に阻害される結果となり、ひいては地方自治の本旨を害するに至るおそれがある」という理由を付して異議を述べた。しかし、同地方裁判所は執行停止決定を取り消さない旨の決定をしたので、青森県議会が最高裁判所に特別抗告をしたものである。最高裁判所自体の決定は、内閣総理大臣の異議は裁判所の執行停止決定のなされる以前であることを要するものと解するを相当とするから、執行停止決定後になされた本件異議は不適法であるとして棄却するというものであった。ちなみに、現行の第一項第二文「執行停止の決定があった後においても、同様とする。」という規定は、この判決に対抗して設けられたものである。
(注七)少数意見のこの部分で、田中は一つ奇妙な意見を付け加えている。すなわち「地方議会の懲罰に関しては、議会自体が最終の決定者であること国会の場合と同様である。仮りに多数者が横暴に振舞い、事実として懲罰の事由の存否が疑わしい場合に懲罰に附し又は情状が軽いのに比較的重い制裁を課したような事情があつたとしても、それは結局事実認定裁量の問題に帰し、従つてその当不当は政治問題たるに止まり、違法の問題ではないのである。議会の内部関係の問題に司法権が全然関係しないのではない。」というのがそれである。
 そもそもこの関係の定めは地方自治法に置かれている。特に同法一三二条、一三三条その他、同法及び会議規則に違反し、懲罰を科すべきものなりや否や、また如何なる種類又は程度の懲罰(戒告、陳謝、出席停止又は除名、出席停止の日数)を課すべきかは明らかに法律問題である。また法の下における平等の原則のごとき憲法規定は議会の内部関係にも関係をもつ。
 また、田中のいうとおり、事実問題であって、法律問題でないならば、部分社会説の主張全体が不要なわけである。なぜこのような主張がここに飛び込んでいるのか、理解に苦しんでいる。又結論に至る流れに影響を与えていない点から見て単なる思いつきと評価すれば足りるのであろうか。
(注八)この事件そのものは、懲戒権の濫用であることが比較的はっきりしているものである。すなわち、その村の議会では、村役場位置条例の一部改正案が審議されていた。役場位置の決定のための条例の可決には出席議員三分の二以上の多数の賛成が必要である。当初の予定では、問題なく賛成多数で可決されるはずだったが、二名の議員が反対派に回ったため、成立が困難になった。そこで多数派では、今日にいたって「右条例の制定に反対し、議事を混乱に陥れているのは懲罰に価する」という理由でこの二人を三日間の出席停止処分にすることを決めた(これは単純多数で可能である。)上で、この二人を除いた出席議員の三分の二以上の多数の賛成を得て問題の条例を成立させたのである。そこで、この二人が、懲罰決議の無効並びにそれに伴う本件条例の議決等の無効の確認を求めて訴えたというものである。
(注九) この判決以降、最高裁判所判決によって採用されるようになった理論を、通常「部分社会の法理」と呼ぶが、これは決して当初からそう呼ばれていた訳ではない。前節に述べたとおり、田中自身は決して自分の説を部分社会とはよんでおらず、また、上述のいずれの最高裁判例も同様である。
 管見によれば、この名称は下級審判例に最初に現れたものである。すなわち、大津地方裁判所が、昭和三五年五月二四日に出した判決がそれである。事件は、宗教法人天台宗内部における選挙の有効性をめぐっての紛争である。すなわち、天台宗では、宗制をもつてわが国を二十四教区に分け、各教区に宗務所を置き、宗則たる宗務所長選挙法の規定に従い各教区で選出した者を宗務所長として天台座主が任命することを定め、また宗制をもつて天台宗宗議会の制度を設け、宗則たる宗会議員選挙法の規定に従い各教区で選出した者を宗会議員とすることを定めている。また、同じく宗制をもつて審理局を置き、各種選挙に関し異議の申立があつたときは審理局がこれを審判することとしている。原告は岐阜、静岡、愛知の三県を区域とする東海教区に属する天台宗傘下の圓光寺の代表役員であるが、昭和三十三年十月一日執行された東海教区の宗務所長および同教区から選出する宗会議員の選挙に立候補したところ、同教区では他に立候補者がなかつたものとして原告が無競争で当選者と決定した。しかし、この選挙に不法の点あるとして審理局に対し審判を申し立てた者があり、審理局で審理した結果この選挙を無効とする審判をしたので、天台座主は原告の東海教区宗務所長の職を解き、また宗会議員名簿より削除された。そこで原告が宗務所長解職行為の取消と宗会議員たる資格の確認を求める訴えを起こした、というものである。
 判決は「国家内にはそれぞれの目的のため組織された多種多様の団体や社会が存在する。仮にそれらを部分社会と呼ぶとすれば、部分社会は自律的な法秩序によつて自らの存立を保持し自らの目的のため活動しているのである。勿論部分社会も国家の主権に服し国家の法秩序により統合されているのであるが、国法は部分社会の内部の細部に至るまで全般に亘つて規整するものではないし、部分社会のあらゆる行動に関心を有つたり干渉したりするものでもない。国家の部分社会に対する法規整の程度は一に立法政策によるものであつて、部分社会は国法に違背せず、公序良俗、公共の福祉に反しない限り、自治的な法によつてそれ自身を規律し行動し得るものである。そして自治的な法規範の実現やすべての紛争が常に裁判所によつて公権的に解決されねばならないものではなく、国家の法により特に裁判所の権限としていない限り、その社会内部の自治的な処理に任されているものと考えなければならない。」と述べて、部分社会の語を使用した。
 ただし、この判決は、大阪高等裁判所の昭和三六年六月七日控訴審判決により否定される。すなわち、
「およそ、国家内に存する各種の団体といえども、いやしくも、それが独立の団体である以上、団体内の規律を維持し、その存立を確保するために、その目的、組織、運営を定めた自律的規範を定立することができる。そして、右規範を定めることが法律に基く場合には自治法として法規範たるの効力を有することは明かであり、宗教法人における宗規は、宗教法人法第一二条にもとづく規則として右のごとき法規範にあたる。しかしながら右のごとき団体と構成員間または構成員相互間に右規則にもとづく紛争が起きた場合に、右規則にもとづきその団体の自主的な解決に委ねるべきことを定めている場合にも、もし右紛争が法律上の争訟であつて、それが解決しない限り、当事者は最終的にはすべて裁判所に出訴して裁判を受けることができることはいうまでもなく(憲法第七六条第一項、第三二条)、また、裁判所が憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権能をもつことは、裁判所法第三条第一項の明定するところである。
 《中略》
 これを要するに、国家内の部分社会が自己のため自律的規範を定立できるということを根拠として、右社会内に生じた紛争に裁判所が全然介入できないとの結論は導きえないところであつて、右紛争が裁判所の裁定に服すべきか否かは、結局それが、前記法律上の争訟にあたるか否かによつて決すべきものといわねばならない。」
(注十)富山大学単位認定事件というのは、次のようなものである。原告ら六名は同大学経済学部の昭和四一年度U教授担当にかかる経済原論の単位等を取得するため、いずれも同年四月に経済学部長宛に右各科目の履修票を提出した。しかし、経済学部長は、同年九月五日U教授に対して同学部教授会ならびに人事教授会への出席停止の措置をなし、さらに同年一二月二六日同教授の授業科目および演習などの授業の各担当を停止する措置をなしたうえ、学生に対しては代替の授業科目および演習などを履修するように指示をなしたが、原告らはこれに従わないで、授業にそれぞれ出席のうえ、原告らはいずれも同教授の実施した試験を受け、同教授からいずれも合格の判定を受け、同教授は昭和四二年二、三月ごろ経済学部長に右各科目の成績票を提出したにもかかわらず、すでに相当の期間を経過したにも関わらず、経済学部長は原告らが提出した右各履修票について単位授与、不授与の決定はもちろん、原告らが右各単位を取得したことの認定をなさないので、このように右単位の授与、不授与の各決定をしないことが違法であることの確認か、そうでないとすれば、右単位取得、専攻科修了の各認定義務のあることの確認を求めるというものである。
(注十一) この本門寺判決の中で、最高裁判所における先例として引用されている事件は、慈照寺(京都の古刹である銀閣寺の正式名称)事件である。上告人が、宗教法人慈照寺の役員の地位を、慈照寺そのものではなく、宗教法人慈照寺を包括する宗教法人である上告人臨済宗相国寺派を相手として訴訟を提起しているのに対して、最高裁判所は、「法人の理事者が、当該法人を相手方として、理事者たる地位の確認を訴求する場合にあつては、その請求を認容する確定判決により、その者が当該法人との間においてその執行機関としての組織法上の地位にあることが確定されるのであるから、事柄の性質上、何人も右権利関係の存在を認めるべきものであり、したがつて、右判決は、対世的効力を有するものといわなければならない。それ故に、法人の理事者がこの種の訴を提起する場合には、当該法人を相手方とすることにより、はじめて右理事者の地位をめぐる関係当事者間の紛争を根本的に解決することができることとなる。」とし、訴えを却下している。
(注十二)この問題に関する主要な論文としては次のものを上げることが出来る。
 中野 貞一郎「司法審判権の限界の確定基準」民商法雑誌一〇三巻一号一頁
 松浦 馨  「宗教団体の自律的結果承認の法理」
 新堂 幸司 「審判権の限界ー団体自治の尊重との関係からー」『講座民事訴  訟法2』一頁
これらは、いずれも本稿で取り上げた以降に出された最高裁判所判決、すなわち一般市民法秩序に属することを前提として、その場合に団体の内部自治規範の拘束力を論じたものを主たる対象として分析し、本来の意味での部分社会を取り上げた事件の分析にはほとんど力を注いでいないのである。
(注十三)引用箇所については、佐藤幸司著『憲法訴訟と司法権』日本評論社1984年刊、96頁参照。
(注十四) 部分社会説を全面的に否定する見解は、一般に各種自由権ごとの特殊性を強調する。その代表的なものとしては次のものがある。
1 野中俊彦は次のように言う。「この法理にいう『部分社会』にはさまざまな異質の団体が一括して含まれていること、その内部問題に司法審査が及ばないとする理由が不明確なこと、内部の事項に司法審査が及ぶかどうかは、結局は各団体の性質やその内部での法的特質などを具体的に検討しなければ決定できないことなどから、司法審査に限界を画するための理論としては、その有効性に疑問が呈される。(『憲法U』有斐閣、平成四年刊、一八六頁)」
2 杉原泰雄は次のように述べる。「このような立論には、以下の諸点から見て賛成しがたい。@部分社会の憲法的位置づけは部分社会ごとに異なり、その法秩序の内容と憲法上の人権との関係も部分社会ごとに異ならざるをえないから、一般的に部分社会の自律事項として論ずる余地はほとんどないものと思われる。たとえば、国会と内閣、国会と地方議会では、一般に、裁判所との関係は異ならざるをえないとされており、その理由付けも異なっている。Aそれは、人権や民主主義という契機を持つこともなく、また立法による整備をまつこともなく、解釈論により『特別権力関係』を創出することにもなりかねない。B『部分社会の法理』を持ち出さなくとも、右に引用しておいた事例の場合には、あるいは学問的真理・宗教的真理(教義)・学問的能力など司法判断に本来なじまない事柄の性質として、あるいは憲法以下の法令により認められている裁量権の問題として解決すれば足りる。(『憲法U』有斐閣、法学叢書、八九年刊、三六八頁)」
3 芦辺信喜は「地方議会、大学、政党、労働組合、弁護士会等々の自主的な団体の内部紛争に対して、司法審査が及ぶかどうかも、しばしば問題となる。法律上の争訟であれば司法審査に服するのが原則であるが、純粋に内部的事項の場合には、事柄の性質上、それぞれの団体の自治を尊重して、司法審査を控えるべき場合が生じる。その点は統治行為の場合と同様である。もっとも、これらの団体を『一般市民社会の中にあってこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会』であるとし、それを理由に、その内部紛争はすべて司法審査の対象にならない、と解する見解もある。しかし、このような法秩序の多元性を前提とする一般的・包括的な部分社会論は妥当ではない。それぞれの団体の目的・性質(たとえば、強制加入か任意加入かの区別)・機能はもとより、その自律性、自主性を支える憲法上の根拠も、宗教団体(20条)、大学(23条)、政党(21条)、労働組合(28条)、地方議会(93条。地方自治法134条ー137条)などで異なるので、その相違に即し、かつ、紛争や争われている権利の性質等を考慮に入れて個別具体的に検討しなければならないからである。」として、司法権が団体の内部に及ばないことを前提としつつ、それを部分社会の法理で一律に処理しようとする態度には反対する。
(注十五)特別権力関係を警戒することから来る部分社会否定説は、前の注に紹介した学説に顕著である。その他、次のような主張も、一応部分社会を肯定している点で、表現は正反対になっているが、基本的には同様に理解できるであろう。
1 阪本昌成は「たしかに、国家内に存在する部分社会は部分社会に特有のルールに従って統制運営されるべきであって、部分社会内部紛争の解決は、司法審査によらず、内部的救済に待つべしと考えることは、活力ある自由な多元国家にふさわしいともいえる。しかしながら、その理屈は、私的な結社について妥当するものの、本来法令によって統制されるべき国家機関については通用しない。」として、富山大学事件について部分社会の法理を適用した「この判断は正しくない。」(『憲法理論T』成文堂、九三年刊、四〇五頁)」とする。
2 また、長尾一紘は、部分社会論の特徴を次のように把握する。
「(1)判例における部分社会論と他の限界論との関係は、次のようである。すなわち、部分社会の法理は、高度の政治性を必要としない点において統治行為論と区別され、国政上の重要な国家機関たることを前提としない点において自律権論と区別される。また、たとえ違法な行為であっても司法審査が及ばない点において裁量論と区別される。
(2)最高裁判例における部分社会論は、特別権力関係論の修正ないし代替理論であると思われる。『部分社会』は公法上の団体に限られる。
(3)判例における部分社会の法理の理論的性格は、司法権の限界論にあるものと思われる。すなわち、『法律上の争訟』性のあることを前提に、他の憲法規定の規範的要請(判例においてはこの点についての明示が欠けている。私見においては、前記判例においては、九二条ないし二三条の規範的要請を強調する必要があるものと考える。)により、司法権が及びえないとするものと思われる。」