米国における法曹実務教育
-わが国法科大学院の進むべき道を探る-
(日本大学大学院法務研究科研究紀要第3号掲載論文)
甲斐素直
目次
[はじめに]
一 基本的な問題意識
二 総論
三 クリニック(
Clinic)四 イクスターンシップ(
Externship)五 法律実務(
Legal Practice)六 模擬裁判(
Moot Court)七 公共奉仕活動(
Pro Bono Activity)[おわりに]
[はじめに]
本誌第
2号に「ハワイ大学法科大学院の概要」と題する論考を上梓した(以下、「前稿」という)。本稿は、その成果を受けて、米国法曹実務教育の実態を研究することによって、わが国法曹実務教育の今後の方向というものを検討したものである。すなわち、前稿は、ハワイ大学法科大学院という、筆者の勤務する日本大学法科大学院とほぼ同規模の米国法科大学院を素材に、わが国法科大学院制度が、その範とした米国制度の具体的な運営の実際を把握し、わが国法科大学院が今後、法曹実務教育を強化するにはどうする必要があるかを探る縁としたものであった。
本稿は、その前稿で、まさに概要を紹介したにとどまる法曹実務教育、すなわちクリニック、イクスターンシップ、法律実務、模擬裁判及びプロボノ活動について、その米国における歴史や現状、ハワイ大学法科大学院における運用の詳細を紹介すると共に、それを通して、今後のわが国において、放送実務教育をどのように展開していくべきか、という方向を探ろうとするものである。
ここに紹介した事実の多くは、米国法科大学院に学生として留学した経験をお持ちの方にとっては、ここに紹介したことの多くは、決して珍しいことではないかもしれない。しかし、学生としての受け身の視点から見たものは、筆者の行った制度そのものの横断的な調査とはかなり異質のものがあるはずである。少なくとも、これまで米国法と関わる機会の少なかった筆者にとっては、この調査は、目から鱗的な衝撃の連続であった。そして、現時点におけるわが国法科大学院において法曹実務教育と考えられているものが、米国における同名の教育活動とは、その実質において大きな隔たりがあることを明らかにすることができた。そのことから、この調査で明らかにしたことは、わが国で法科大学院の運営に関わりを持つ全ての人に紹介する価値があると信じて論文としてまとめたものである。
一 基本的な問題意識
本論に入る前に、なぜ筆者が米国における法曹実務教育について、詳細な調査研究を行う必要があると考えたかについて、説明しておきたい。
法科大学院制度が、司法制度改革審議会が平成
13年6月12日に提出した意見書(以下、この文書に言及する際は、単に「意見書」という。)に基づいて、新たに導入されたとき、その教育理念の一つに次のことがいわれていた。「先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。」
これは、筆者がまさに法学部で法曹教育を行っていて感じていた問題であり、正しい問題意識と思われる。これを受けて、少なくとも日本大学法科大学院では、豊富な先端科目、発展科目のメニューを用意した。法科大学院が、意見書のいうように「『法の支配』の直接の担い手であり、『国民の社会生活上の医師』としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図」りうる存在として活動していくためには、そうした幅広い学習が必要と信じたからこそである。こうした姿勢は、学生諸君にも訴えるものがあったらしく、面接時には、本校を志望した動機として、それらの科目の存在をあげた者は多かった。
残念ながら、それら科目の現実の受講状況は、決して芳しくない。しかし、これについて、学生諸君を責めることはできない。なぜなら、新司法試験が、当初いわれていた
7~8割の合格率という話から一転して、せいぜい2~3割程度の合格率しか期待できず、将来、法科大学院数が増加すれば、この率は、なお減少すると予想されているからである。このように、旧司法試験と本質的には変わらない厳しい受験競争を強いられる以上、学生諸君が司法試験科目には入らない先端・発展科目を履修する余裕がないことは、よく理解できるのである。しかし、それでは、法科大学院制度の導入は、制度の改悪といって良い。従来であれば、法学部在学中に合格し、その後の時間的余裕を利用して、そうした人間的幅を身につける余裕のある者にまで、法科大学院の在学を強要していることを意味し、そして、それは現状のままでは、単に灰色の受験勉強期間の延長を強要しているに過ぎないからである。
そうした改悪といいうる状況を打破し、法科大学院制度の当初の理念に立ち戻り、そうした豊かな人間性の涵養が可能となるような、ゆとりある教育を実現するための方法を真剣に考える必要がある。更にいえば、単に幅広く学習するだけでなく、例えば、米国法科大学院にみられる、公共奉仕活動を卒業のための必修単位として強制できるような余裕というものが、大学、学生双方に存しない限り、とうてい司法制度改革審議会が描いた人間性の豊かな法曹を育てることは不可能である。
そして、その手段は、ただ一つ、司法試験制度を、現在の受験生の実力とは関係なく、一定人数を合格させるというゼロサム型から、実力ある者は何人でも合格させるという制度に変更する他はないと考える。そして、ゼロサム型が採用されている理由は、現行司法試験制度が、「実務修習を別に実施することを前提としつつ、司法試験及び司法修習との有機的な連携を図るものとすること」(意見書より引用)としているからである。すなわち、現行の司法修習を司法試験合格後に実施する方式では、司法試験合格者数は、その受験者のうちどれだけが法曹となるにふさわしい能力を持っているかを基準に決定されているのではなく、司法修習に受け入れ可能な人数によって決定されてしまうのである。このような、本末転倒した受験制度である限り、豊かな人間性の涵養を、法科大学院において実現することは不可能である。
ここから対処方法は、二つに分かれるであろう。
一つは司法修習を今後も行うが、司法研修所と呼ばれる特定施設に全修習生をあつめて学校教育的な指導を行う、という現在の方式については廃止する方法である。それに換えて、各地の裁判所や検察庁、弁護士事務所等における修習だけを行うこととすれば、司法研修所の収容力を合格者数の上限とするというゼロサム性を排除することが可能となる。これは、わが国司法修習制度の範となったドイツにおいて、現在も採られている制度である。これについては、別途、現在ドイツにおいて進行中の司法試験制度の改革を研究した拙稿において紹介しているので、本稿では、これ以上ふれない
*1。今ひとつの方法は、現行司法試験から、この司法修習という要素を排除することである。これは、現在、米国における司法試験制度で採られている方法である。法科大学院制度を米国に倣って導入した以上は、こちらの方向を採ることが本筋と考えられる。
しかし、法曹教育から実務教育という要素を除いて良い、ということはあり得ない。司法修習を廃止するためには、米国の法科大学院において見られるように、法科大学院において、現行の司法修習に近い内容を持つ法曹実務教育を実施する必要がある。すなわち、米国における法科大学院の教育内容を見ると、クリニック(
Clinic)、イクスターンシップ(Externship)、法律実務(Legal Practice)、模擬裁判(Moot Court)、そして先に言及した公共奉仕活動(Pro Bono)などが、法曹実務教育の担い手として機能していると考えられる。これらは、いずれもわが国法科大学院においても、一応は導入されている場合が多い。しかし、筆者が過去3年間、ハワイ大学法科大学院を素材として、集中的に調査してきた結果と照らし合わせると、わが国において行われているそれと、米国の同じ名称の活動との間には、非常に大きな乖離が存在している。本稿では、それらの米国における状況を、米国におけるそうした法曹実務教育の個々の歴史と、ハワイ大学法科大学院における具体的な活動を重ね合わせて紹介することにより、わが国の今後の制度改革の方向を探ろうとするものである。
二 総論
法科大学院で、法曹実務教育をいかに行うべきかという問題は、米国においても、非常に早くから問題意識が持たれていた。それは米国において法科大学院というものが生まれたのとほとんど同時だと言って良い。そして、その後も一貫して問題意識が持たれ続けていた。特に重要なのが、アメリカ弁護士連合会(
American Bar Association=以下「ABA」という)が1989年に設けた「法科大学院と専門家の間の間隙を狭めるための専門調査会(Task Force on Law Schools and the Profession: Narrowing the Gap)」による調査研究である。同調査会は、その長を務めたマクレート(Robert MacCrate)に因んで、マクレート調査会と呼ばれる。その成果は、1992年に公表された。通常、マクレート報告(MacCrate Report)と呼ばれるのがこれである*2。以下、同報告にしたがって、米国における法曹実務教育の歴史を簡単に紹介する。米国の最初期における法曹教育は、徒弟としての修行を通じてのものであった。第
2代大統領を務めたジョン・アダムズ、その下で国務長官を務め、連邦最高裁判所長官となってマーベリ対マディソン事件で米国に司法による違憲立法審査という概念をもたらしたジョン・マーシャル、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソン、第4代大統領となったジョン・クィンシー・アダムズなどは、いずれもこうした徒弟修行の経験者であった、とマクレート報告は指摘する*3。当然のことながら、こうした徒弟修行方式には大きな欠陥があった。例えばトーマス・ジェファーソンは、専門家を育てる方式としてきわめて不適切なものと批判している。雇用主であるベテラン法曹はあまりにも忙しく、徒弟に対して実務訓練をする余裕がほとんど無いからである。その上、優れた実務家であるということは、決して優れた教師であるということを意味しないからである。その結果、多くの徒弟は、法的な勉強をする代わりに、その雇用主から命じられた退屈な書類のコピーを作成するという作業にほとんどの時間を費消していた*4。1870年代に、各地で弁護士会が結成されるようになった。すなわち、最初は幾つかの重要な地域、例えばニューヨークで1870年、シンシナチで1872年、クリーブランドで1873年という調子で結成された。ついで、州単位での結成が、ニューハンプシャー州で1873年、アイオワ州及びワシントンD.C.で1874年、コネティカット州で1875年という調子で、逐次広がり始める。そして1878年に、21の弁護士会の代表が集まって、ABAが結成された*5。
今日、米国の法科大学院における教育は、ケースブックを教科書として使用し、ソクラテス・メソッドで教えることと、わが国では一般に認識されている。この教授方法を創出したのはラングディル
*6で、それはまさにこの一連の弁護士会創設の動きと同じ時期であった。ラングディルは、ニューヨークで実務家として仕事をした後、ハーバード法科大学院の研究科長となった。1870年のことである。ラングディルは「法の科学(
science of law)」を提案した。それは具体的には控訴裁判所の現実の決定を学生に学ばせることである。その根拠は、裁判所は、将来において、過去の事件と同様の、あるいは法的類似性のあるケースにぶつかった場合には、同様の判断を示すであろうと予言できるからである。このように過去の判例を教材に使うことに加え、ラングディルは、いわゆる「ソクラテス方式(Socratic Method)」を導入した。教授が学生に質問することにより、学生達に、彼らが読んでいる事件の重要な事実や法的結論を引き出させるというやり方である*7。従来の教育方法を踏襲している法科大学院は依然として多かったが、ラングディルの教育方法もまた、確実に浸透していった。
ABAは、その創設以降、強力なラングディル教育方式の同盟者となり、従来の米国法学教育の間隙を埋めることに努力した。1881年に、ABAは結果として1世紀の長さにわたることになるキャンペーンを開始した。すなわち、法科大学院の在学期間は3年とすること、そして法科大学院での在学期間を法曹資格を取るのに必要な徒弟修行の期間とみなすようにという決定を下したのである*8。この決定が、そのままわが国に投影され、今日のわが国法科大学院制度が存在していることは、よく知られているとおりである。しかし、本稿のメインテーマである法曹実務教育は、このラングディルの改革に対する批判を原点として展開されていくことになる。その意味で、わが国における改革方向を探るには、この時以降における米国の法曹実務教育の展開状況を知る必要があるのである。
三 クリニック(
Clinic)(一) はじめに
米国における法曹実務教育の中核に位置するのは、クリニックである。医学教育におけるクリニック等特別する目的からリーガル・クリニック(
Legal Clinic)と呼ばれることも多い。わが国法科大学院でクリニックと言うときには、一般に法科大学院に附設されている法律事務所、無料法律相談所などで、学生が、法曹資格をもった第一線の実務家教員のもとで、実際の依頼者や事件に接しながら、生きた法実務や法律家の仕事の実際を学ぶことをいうと理解するのが普通であろう
*9。生きた事件を学生が扱うという基本的な性格においては、もちろん米国においても同様である。しかし、米国におけるそれは、決して無料法律相談への同席というような受動的活動ではない。たまたま訪れた相談者の抱える問題によって学ぶ内容が変動するのではなく、指導者側が積極的に取り上げる事件を選び、学生に、その種事件について十分に準備させた上で、具体的事件に臨ませるという段階を踏んで行われる教育活動なのである。
米国のクリニックは、どのような道をたどってきたのか、そして現状はどうなのかを紹介し、わが国としてどのような点を参考にすべきかを論じてみたい。
(二) 米国における略史
わが国における米国法曹教育に対する認識は、事実上、上述のラングディルとその創出したケースメソッドとソクラテス方式に尽きている感がある。しかし、米国における法曹教育にはもう一つの大きな要素が存在している。それがクリニックである
*10。ラングディルのケースメソッド方式が広く受け入れられるようになった
1890年代から1900年代初頭にかけて、いくつかの法科大学院が無料法律相談所を開設し、学生達に法律実務の技能を磨き、法的分析を行う機会を与えると共に、弁護士を雇う余裕のない人々に法的援助を提供するようになった*11。この活動を最初に評価したのが、評論家であったロウェ(
William Rowe)である。彼は1917年にクリニックに基づく法曹教育を行うのが、学生を良い法曹に育てるための最良の手段であるとする論文を発表した*12。彼がこの論文で論じた法曹教育は、今日で言うところのイクスターンシップないし混合型のクリニックであるといわれる*13。1921年には、カーネギー財団が法曹教育における教育方法の向上のためのリード報告(Reed Report)を公表した。これは法律家ではないリード(Alfred Z. Reed)によって書かれたものである*14。リードは、その中で、法曹教育は三つの要素で構成されなければならないと論じた。すなわち、一般教育(general education)、法律に関する理論的知識(theoretical knowledge of the law)及び実務的技能の訓練(practical skills training)である。そして、ケースメソッドによる教育法は、このうちで、理論的知識教育の機能しか果たしていないと指摘した。そして、一般教育のためには、法科大学院以前に、事前教育期間として2年間の大学教育が必要であるとしたのである。この報告は、実務技能訓練に対する社会的関心を呼び起こしたのである。
これを受けて、ブラッドウェイ(
John S. Bradway)は、最初の試験的な、6週間の、教員によって監督されたクリニックを1928年に南カリフォルニア大学でスタートさせた。さらに1931年にはデューク大学で、最初の本格的な教員の監督下のクリニックを開始した。ブラッドウェイは、このように実際に実際的なクリニックの監督者であったばかりでなく、この分野での研究者として数多くの研究を発表している*15。1930年代の始まりにイェール法科大学院の研究グループは、コロンビア他二つの法科大学院の教員と共に、彼らが「法的現実主義(legal realism)」と称する教育方法を開発した。法的現実主義は、その焦点を、将来の判断を予言するものとして過去における司法判断におくことから、法曹及び判事の役割をその社会的役割と機能から導かれる法的な「作業結果(work)」を作ることへとシフトさせた。彼らは、ラングディルの「法の科学」に代わる機能的な法曹教育方法を探したのである*16。
法的現実主義者達は、法の反形式主義理論(
anti-formalist theory of law)を開発した。彼らは法を統計的なものではなく、社会的・経済的な問題を解決するための、常に変化する手段と教えた。そのため、彼らは過去に法がどうであったかということは述べず、学生達に、法がどうであるべきであったか、それはなぜ変わるべきではないのか、そしてそれを変更するに当たっての法曹と裁判の役割を学生に考えさせるようにし向けたのである。彼らは、学生に存在する法的規則とその序列について、疑問を持つようにし向けた。彼らは法の技術性と法改正を強調した。彼らは法を分析し論ずるという事実の重要性を教えた。彼らは社会科学的な手段を学び、法が機能している現実の世界を理解することを強く主張した。彼らは法は柔軟なものであり、社会的ニーズに奉仕し、法曹と裁判官はそれらのニーズに応え、さらに社会の目的に応えるように法を使用することを学ぶべきであると論じた。法現実主義者は、法教育は学生に理論と実務の動的関係-良い理論は実務的であり、良い実務は理論的である-を明らかにすることであると教えた*17。法現実主義の長老の一人であるジェローム・フランク(
Jerome N. Frank)は次のように述べている。「実務に対する関心は、理論に対する関心を排除するものではなく、その反対に生き生きとした理論的関心を招くものである。実務の探求は、不可避的に理論の花へと導かれ、ほとんどの理論は、良かれ悪しかれ、実務へとつながるものである。」
フランクは、
1933年に発表した論文で、従来の法科大学院を、彼の言うところの「クリニック法曹大学院(clinical lawyer schools)」に、すなわち学生が法的理論と法的実務の相互関係を学ぶように、変革させることを提案している*19。1935年に、同じく法現実主義運動の創設者の一人であるコロンビア法科大学院のカール・ルウェリン(Karl Llewellyn)は、ハーバード法科大学院で「いわゆる法曹教育の何が問題か(On What Is Wrong with So-Called Legal Education)」と題される有名な講演を行った。講演の中で、ルウェリンは、その時点における形式主義的法曹教育を批判し、それを彼の言うところの「秩序的な実務経験(ordered practical experience)」への機能的なアプローチによって置き換えることを提案した。ここに秩序的な実務経験という概念は、法的理論によって形成され、クリニックによって法科大学院で教えられることである*20。
しかし、この
1930年代に展開された運動が、現実化するには、1960年代まで待つ必要があった。そこで、ピンカス(William Pincus)という人物が登場するのである。彼はフォード財団の副総裁であり、財団の救貧活動の責任者であった。ピンカスは、彼自身が弁護士でもあったので、法科大学院は、法的問題を抱えていながら裁判に訴える手段を持たない貧しい人々を救うという役割を演じなければならないと信じていた。彼はフォード財団を説得し、彼自身を総裁とする「専門的責任のための法曹教育協議会( Council on Legal Education for Professional Responsibility =CLEPR)」という名の新しい財団を設立させた。この財団は、法科大学院が救貧のためのリーガル・クリニックを設立することに対し、補助金を支出することを使命とする。フォード財団は、その設立に当たり、600万ドルを拠出した。この財政的背景を生かして、ピンカスは米国の法曹教育を変革するという十字軍を率いたのである。60年代後半から70年代初頭にかけては、いわばデモンストレーションとしてほんの数校について補助金が交付された。しかし数年を出でずに、ピンカスは米国の法科大学院の過半数にリーガル・クリニックを設置させるのに成功した。法科大学院は、当初の補助金が無くなった後もリーガル・クリニックを続けることを条件に、CLEPRから補助金の支給を受けた。そして実際に、ほとんどの学校では、その後も継続したのである*21。フォード財団からの総計1300万ドルに達する補助がなければ、その後の20年間で、全米のほとんどの法科大学院にリーガル・クリニックのコースが設けられるに至ることはなかったに違いない。さらに、強力にこれを推進したのが、第
9章計画(Title IX Program*22)による連邦補助金で、それが終了した1997年までに各法科大学院に対する支給総額は、8700万ドルに達した*23。これにより、CLEPRによって芽生えたクリニックは、今ではほとんどの法科大学院におけるカリキュラムの確固たる一部となっているということができる。(三) ハワイ大学法科大学院におけるクリニックのコース
ハワイ大学法科大学院で開設されるクリニックは、年度によって若干の変動を示している。同校は、
1学年あたりの学生数が100人程度という、米国の法科大学院としては、小規模なものに属する。そのため、クリニックの数は、2007年度の場合は11コースであって、米国としては決して多いとはいえない*24。これらのコースは、大きく二種類に分けることができる。第一の類型は、実際の生きた事件を取り扱い、実在の依頼人との面談にとどまらず、必ず、ないし必要に応じて、学生が法廷に立つというものである。あるいは刑事事件においては起訴手続までも学生が行うものである。このためには、当然のことながら、学生に、そうした実務に関与する権限があることが、立法的に解決されていなければならない
*25。ハワイ州の場合、その立法上の根拠は、州最高裁判所第7規則(Hawai'i Supreme Court Rule 7.)である*26。その概要を示せば次の通りである。① クリニック参加学生は、「法律学生インターン(
② 「クリニカルプログラム(
clinical program)」とは、実務指向型の法律活動であって、法科大学院教員の指導の下に行われる、と定義される。③ 実際に法廷で学生の指導に当たる法曹は、「指導法曹(
supervising lawyer)」と呼ばれ、ハワイ州弁護士会のメンバーであって、法科大学院によって法律学生インターンの監督者として適任であると認定されたものをいう、と定義される。④ クリニカルプログラムにあたっては、法律学生インターンは、依頼人が、出席することを文書で承認した場合であって、かつ指導弁護士が出席を文書で承認した場合には、依頼人のため、任意の司法裁判あるいは立法ないし行政審理の場に出席することができる。但し、司法裁判所や行政審判所が、指導弁護士なしで法律学生インターンが出席することに同意しない場合には、法律学生インターンは指導弁護士を同伴するものとされる。
⑤ 制定法または規制によって禁止されない限り、法律学生インターンは、アメリカ合衆国、ハワイ州、あるいは地方公共団体を代表するあらゆる問題に出席することができる。
⑥ 法律学生インターンが、そのように出席した場合、本規則で言及した文書の同意、および承認は、法廷の記録にとどめられるか、若しくは、担当裁判官ないし行政官の手元に保管するものとする。
すなわち、簡単に要約すれば、クリニック参加学生は、すでに資格を有する弁護士と同様に法廷に立つことも、また資格を有する検察官と同様に起訴手続をとることも可能であり、実際にもそうしたクリニックが行われているのである。このような法的措置が存在するおかげで、米国におけるクリニカル・コースは、わが国とは桁外れの豊富な選択肢を用意することが可能となるのである。
第二の類型は、実際の事件に換えてシミュレーション、すなわち、例えば模擬裁判的な形式で、学生に弁護士や依頼人の役割を割り当てて教育を行うものである
*27。この第二の類型の場合には、演習(Workshop)という名称を使用しているが、その点をのぞくと、両者の内容はほとんど違いがないという。一般論としていえば、現実の事件を得やすいものはクリニック形式を採り、学生の勉強になるような興味深い実例が得にくいものは、演習形式を採用するということであった。以下に、
2007年度においてハワイ大学法科大学院で開設しているクリニックのコースを紹介する。各コース説明は、基本的には同校のコース説明から転記したものである*28が、機械的に行っても意味不明になる場合には、適宜担当教員に対するインタヴューで補完している。1 弁護クリニック(
Defense Clinic)このコースでは、貧しい被告人の代理をすることにより、訴訟技術を磨くことを教えている。学生は法廷に出席して実際の事件に挑むことになる。クラスでは、まず講義があり、討論及び模擬裁判の後に、軽犯罪で訴えられている人々を代理することになる。このクラスの場合には、教員になるのは国選弁護士事務所(
2 高齢者法クリニック(
Elder Law Clinic)このコースでは、老人法の専門家の指導の下に、ハワイに居住する高齢者を対象として、高齢者の公的資格、後見制度、あるいは後見に代替する措置、住居、地主・小作問題、高齢者の虐待等、様々な法的問題に対して援助する。このコースでは通常は訴訟は取り扱わないが、その他の高齢者に対する法的サービスや教育等を取り扱うことになる。クリニック参加資格は特に定められていない。
3 環境法クリニック(
Environmental Law Clinic)このコースでは学生は、環境法専門家の指導の下に、チームを作って紛争中の事件に巻き込まれている依頼人を助けるプロジェクトのために活動する。プロジェクトには、通常、地域グループがパブリックコメント(
4 相続計画演習(
Estate Planning Workshop)この演習では、学生は仮定の依頼人に対する相続計画を考案する。この計画には、遺書の作成、取消し可能な信託、取り消し不能な信託、保険
5 家族法クリニック(
Family Law Clinic)このコースでは、学生は家族法の専門家の指導の下に、現実の依頼人のために法的サービスを提供することとなる。家庭内紛争の場合、両親はそれぞれ自らの弁護士を有しているのに対し、児童の利益を代理する弁護士は通常はいないため、クリニック参加学生は、児童の利益代表として活動することが多いという。事前に、あるいは同時に家族法を受講しているか、あるいはクリニック指導者の了解を得る必要がある。
6 移民法クリニック(
Immigration Law Clinic)このコースでは、学生は移民法の専門家の指導の下に、現実の依頼人のために法的サービスを提供することになる。事前に移民法を受講している必要がある。
7 法的技術演習(
Layering Skills Workshop)この演習は、講義、実演、スチール写真及び面談、相談及び調停の組み合わせで行われる。学生は、個々の授業ごとにビデオに撮影され、それをもとに、個別に批評される
8 調停クリニック(
Mediation Clinic)このコースでは、学生はトレーニングを受けた後に、直接に地域紛争の調停を経験し、また調停に関する知識及びそれに代替する紛争処理技術を学ぶ。
9 調停演習(
Mediation Workshop)これは基本的には上記調停クリニックと同一内容である。ただ、実際の事件を取り扱う代わりに、地域紛争の調停をシミュレートしたものを行う。希望者が多かったために、このような措置が執られたとのことであった。
10 ハワイ原住民権クリニック(
Native Hawaiian Rights Clinic)このコースでは、学生は、ハワイ原住民権の専門家の直接的監督の下に、実際の依頼人に対して法的サービスを行う。各学期においては、原住民の伝統的な権利、信託譲渡地
11 起訴クリニック(
Prosecution Clinic)このコースでは、実際の小さな犯罪事件の起訴を行うと共に、大きな民事事件の模擬裁判を行うことで、訴訟技術を教える。最初に教室での講義、討論、模擬裁判の後に、学生は地方検察庁が抱える交通事故その他、実際の軽犯罪に関して起訴手続を行う。教室では、当該学期を通じて会合し、民事・刑事両手続の両者に関心を持つ学生のニーズに合致するように設定されている。他方、法廷での活動は検事補によって監督される。模擬裁判については、教員及び実務家法曹によって評価される。事前に証拠法を履修する必要がある。
(四) クリニックの母体
演習(
Workshop)におけるシミュレーションは別として、クリニックを安定して実施するためには、授業目的に適合した内容の現実の事件を、毎学期、学生に確実に供給する体制が整備されていなければならない。その方法を確認する手段として、筆者は、2006、2007両年度の秋学期が開始する時期に同校を訪問し、可能な限り多くのクリニック担当教員に対しインタヴューを実施し、現実にどのようなメカニズムで実際の事件が供給されているか、また、それをどのような形で活用しているかを、具体的に知る努力をした。そこで痛感したのが、法科大学院におけるクリニックは、予想以上に医学部におけるクリニックに類似しているという事実である。すなわち、医学部におけるクリニックの場合には、大学病院という存在が、実際の症例を収集する手段になっている。患者は、多くの場合、わが国と同様に、一般民間病院で診察を受けるよりも医学部や医大の付属病院で診療を受けることを好む傾向がある。その結果、開業医程度で対応できる患者については閉め出しを図る必要があるほどに、豊富に存在する受診者の中から、学生の教育にふさわしい症例を選びだし、本人の了解を得て学用患者とする訳である。
それと同様に、米国法科大学院の場合、先に紹介したリーガル・クリニックの長い伝統から、法科大学院という存在それ自体が、医学部における付属病院と同じ役割を果たしているという。すなわち、人々は難しい法的問題に遭遇すると、民間弁護士に相談に行くよりも、まずは地元の法科大学院を探して、自発的に訪問してくるのを好む傾向があるというのである
*36。あるいは、法律扶助協会(Legal Aid Society*37)などに、クリニックの材料となるような事件は無いかと打診すれば、積極的に応じてくれるという。これらの事実を重視するならば、わが国でクリニックを本格導入することはきわめて困難といわざるを得ない。これは基本的に鶏と卵の関係といえる。人々が具体的事件を法科大学院に供給することが、クリニックを開設できる理由である。しかし、人々が具体的事件を供給するのは、法科大学院にその問題のクリニックが開設されているからである。何らかの形で,この連鎖を開始させることができればよいのである。
インタヴューの結果、特定のクリニックの場合には、市民からの自発的な事件の供給ではなく、当該クリニック固有の事件供給母体が存在している場合があることが判った。
第一のパターンは、弁護クリニック及び起訴クリニックの場合である。前者は州公選弁護人事務所(
Office of the Public Defender)の、後者はハワイ州検察庁(Department of the Attorney General)の高級職員が、それぞれクリニックを担当しているので、自らの事務所が取り扱っている現実の事件のうち、クリニックの素材として適したものを選んで供給すればよいのであるから、素材の供給に問題が起こることはありえない。第二のパターンとして存在しているのが、ハワイ大学法科大学院の地域貢献としての取り組みとして実施している特定のプログラムの存在である。それを以下に紹介する。
1 ハワイ大学では、ハワイ大学高齢者法プログラム(
The University of Hawai`i Elder Law Program=UHELP) という特別のプログラムを実施している。このプログラムは、大学の地域への貢献を目指した活動の一つである。同プログラムの高齢者法直接的法サービス部門(The Elder Law Direct Legal Services Unit)は、高齢者に対し、直接的な法的サービスを行うことを目的として設置されている。このため、教授資格を有する弁護士及びその法律補助員が大学内に常時待機している。こうして持ち込まれる事件数は、年間500件近いという。その主たる内容は、高齢者の公的資格、後見制度、あるいは後見に代替する措置、住居、地主・小作問題、高齢者の虐待、年齢制限、年金及び退職問題、就労不能及び死亡に対する対策、消費者保護、医療問題である。このプログラムから、ハワイ大学は二つの学部でのクリニックの素材を得ている。一つが本稿で取り上げている高齢者法クリニックである。今ひとつは、ハワイ大学医学部(
John A. Burns School of Medicine)の高齢者クリニックである。医学部のコースでは、医師向けに高齢者医薬品、高齢者精神医学及び法医学的精神医学を取り扱っている。また、本稿第
7節に述べる学生の公共奉仕活動 (Pro Bono Activity)の基盤作りもUHELPが担当している。2 法科大学院は、環境法計画(
Environmental Law Program=ELP)という特別プログラムを設置している。ハワイ州は、環境的に持続可能な経済を推進しており、本計画はそれとの関連で1988年に設けられた。本計画は、未来の法曹、政策立案者ないし学者となるであろう学生達に、この新興の法律分野に挑戦する機会を与えるべく、クリニックや模擬裁判など、多くのコースを法科大学院の2年生ないし3年生に設けている。3 家族法クリニック(
Family Law Clinic)の場合には、年次によりいくつかのアプローチがある。家庭内暴力対策の家法律ホットライン(Domestic Violence Clearinghouse & Legal Hotline )という民間有志によって組織されている組織から講師を迎えてクリニックを開設する年がある(例えば2006年秋学期)。この場合には、同組織が現に相談を受けている事件の中から適当なものを選定して教材に使うことになる。この場合には、学期終了時点で未解決の事件については、講師は、また組織に持ち帰って、最終的な解決を目指すことになる。同組織から講師を迎える欠点は、事件が家庭内暴力の事件に限られていることである。そこで、学期によっては、家族法に詳しい弁護士を講師として迎えて開講されることがある(例えば
2007年秋学期)。その場合には、取り上げる事件は原則的には法科大学院に連絡を取ってきた依頼者から提供されることになる。適当なものがなければ、法律扶助協会、裁判所やソーシャル・ワーカーから事件の提供を受けることもあるという。これらの事実は、要するに、そうした組織の信頼を、法科大学院が確保しているということを示している。なお、
2005年にハワイ大学法科大学院がハワイ州厚生省(the Department of Human Services)及び家庭裁判所(the Family Court of the First Circuit)と提携して家庭裁判所計画(Family Court Project)を開始した。この計画では、児童と家庭のためにどのようにサービスを改善できるかを検討することである。今後は,これが安定的な素材の供給源になることが期待される。4 ハワイ原住民権クリニック(
Native Hawaiian Rights Clinic)の母胎となっているのは、ハワイ原住民卓越センター(Center for Excellence in Native Hawaiian Law )である。これは合衆国文部省の補助に基づいて、法科大学院に設置されたものである。ハワイ大学法科大学院の正式名称は、元ハワイ州最高裁長官であったリチャードスン(William S. Richardson )の名を冠したものであるが、リチャードスンは、自身がハワイ原住民との混血であるため、同センターの理事会に名を連ね、積極的に活動しており、クリニックの素材も、このセンターの活動から得られている。(五) わが国における今後の発展に向けて
確かに、わが国にも一応クリニックは存在し、どこの法科大学院でも、それが充実していると強調することは、一つの定型化した宣伝文句となっている。しかし、ここまでに紹介してきた米国のクリニックと比較する時、その実態には天地の差があると言えるであろう。冒頭に述べたように、わが国が、法科大学院を充実させることにより、司法修習を廃止するという道を歩むためには、クリニックを米国並みに充実させる努力を欠かすことはできない。
ここでわが国に決定的に存在する問題は、法科大学院という制度を作るに際し、当然に導入が予想されたクリニックに対し、わが国の場合には何ら法的手当が行われなかったという点にある。現在、現職の裁判官や検察官が教員として各法科大学院に送られてきているが、単なる実務家教員として、自らの記憶に頼った講義を行う限りにおいては、多くの効果を期待することはできない。本稿に紹介したように、それら教員が、自らの出身母体において現実に存在している事件を教材として扱い、その指導下にある学生に、実際の起訴手続を行わせ、あるいは法廷に立てるところまで進まない限り、現職裁判官等の派遣は、貴重な人的資源の無駄遣いに近いものとなり、法科大学院が司法修習を代替しうるレベルに到達することはないであろう。
それと同時に、各法科大学院において、社会貢献の一環として各種法律に関する活動を行い、それらの援助対象となっている具体的な事件を学生の教材として利用するようなシステムを構築することも、大切なことであろう。しかし、これについても、多大な費用が必要である。そして、現状として、おそらく全ての法科大学院は大幅な赤字経営であることを考えると、その最初の一歩を踏み出すためには、米国で行われたような政府による補助を欠かすことができないのは、いうまでもないことである
*38。本節に紹介したとおり、米国では、クリニックと演習(
Workshop)は、現実の事件を教材に使うか否かを度外視すると、同一の内容の授業と認識されている。そして、わが国法科大学院には、演習科目は、かなり充実したものが存在している。したがって、今後、わが国で、クリニックのメニューをより豊富にする努力は、演習に実際の教材を導入する方向で行うのが、もっとも容易であろう。四 イクスターンシップ(
Externship)(一) 米国における歴史
裁判所におけるイクスターンシップは、米国では法務書記、すなわちわが国でいうところの裁判所調査官制度と密接に結びついている
*39。米国の裁判官で、始めて法律補助者を使用したのは、マサチューセッツ州最高破棄裁判所長官(
Chief Justice of the Massachusetts Supreme Judicial Court of Errors)であったグレイ(Horace Gray)といわれる。グレイは、1873年に長官に就任し、それに伴って仕事量が大幅に増加したにも関わらず、全法廷意見の25%を執筆するという驚異的な活動を行った。その仕事量の増加に対応するために、1875年に始めて法務補助者を雇用したのである。この場合、雇用費用はグレイ判事が自弁した。グレイの法務書記(law clerk)は、最初から一貫して、すべてグレイが雇用する直前にハーバード大学法科大学院を良い成績で卒業した学生達であった。これは、彼の異母兄弟(John Chipman Gray)がハーバード大学法科大学院で教授を務めていた関係である。グレイが、1882年に連邦最高裁判所判事に任命されると、彼は自分が雇用している法務書記をワシントンに伴った。こうして、法務書記の存在が連邦レベルで認識されるようになった。1885年に、検事総長のガーランド(Attorney General A.H.Garland)は、その年次報告で、最高裁判所の個々の判事に、法律で根拠を与えて、適切な俸給の下に、秘書あるいは法務書記を速記者として提供することが、有益であろうことを指摘した。これが実現し、1888年までには、すべての最高裁判所判事が、速記者(stenographic clerk)の名目の下に、法律補助者を使用するようになった。
1919年に、議会は、従来の速記者に加えて、新たに法務書記を提供することを決定した。これを受けて、1921年に最高裁判所長官になったタフト(William Howard Taft)が、2人の補助者を使用するようになり、1939年までにすべての最高裁判所判事がこれに倣っていた。
法務書記が連邦司法部で定着するようになったのは、
1930年代という。1930年に連邦議会は、個々の高等裁判所(circuit court)の判事に、1人の書記を付することを認めたのである。さらに1936年には、地方裁判所(district court)の判事が、書記を使用することが認められるようになった。しかし、その数は1948年までは極端に制限されており、それが緩和された後も、1959年までは管轄する高等裁判所長官の承認が必要であった。しかし、1960年から、いわゆる訴訟件数の爆発が始まった。それに対応するため、法務書記の人数もまた急激に増加した。1970年代半ば頃から、裁判官達は、法科大学院を卒業したばかりの者に加え、法科大学院の学生を使用するようになった。これが、本稿でイクスターンと呼んでいる存在である(場合によってはインターン=intern=と呼ばれることもある。)。法科大学院学生は、フルタイムまたはパートタイムの法務書記ないし準書記(quasi-clerk)として、判事に仕えた。学生は、ボランティアとして働くが、その代償として、法科大学院の単位を得ることになる。
この伝統は今も生きていると言える。ハワイ大学法科大学院で、現在イクスターンシップ責任者であるフォスター(
Lawrence C. Foster:前法科大学院研究科長)の話では、受け入れ側の最大の目的は、無償の労働力を得ることを期待している、とのことであった*40。(二) わが国におけるイクスターンシップ
わが国では、イクスターンとは、もっぱら法律事務所に行って実務にふれることを意味する
*41。それに対し、米国の場合には、法曹資格取得後の多様性を反映しているのか、裁判官、代議士、民間機関(例えばシンクタンク)などはるかに多様である。法科大学院で、法的調査技術を教え込まれているので、その担当者として活動することが多いという。その意味では、法的調査技術というものを、特に体系づけて教育していないわが国法科大学院で、イクスターンシップの受け入れ先を見つけることが困難なのは当然といえるかもしれない。今後、司法試験合格者が
3000名を迎える時代においては、その全てを弁護士業界が吸収することは不可能であると予想される。したがって、いずれの法科大学院においても、その出身者に想定される様々な進路に対応した、多様な受け入れ先を確保していくことが大切と考える。従来、わが国では、イクスターンシップについては、その教育としての面が強調され、それが受け入れ側に負担感を与えている。学生により広範な選択肢を提供する手段としては、米国のように、無償の労働力の提供という面をもっと強調すべきなのではないだろうか。五 法律実務(
Legal Practice)(一) 米国における歴史
法律実務とは、簡単に言うと、初心者に対し、法情報調査技術と法文書作成技術を教える教科である。これは、米国全体としてみても四半世紀程度の歴史しか無い、きわめて新しい法曹実務教育の領域である。
もちろん、法曹になるということと法文書を書くということは、事実上同義である以上、文書作成指導というものは、何らかの形では昔から行われてきたはずである。また、法文書を書くには、法情報の調査を欠かすことはできない。その意味で、いつ頃から、法律専門講義と切り離した形での、法文書作成指導教育が始まったかについて、明確な線引きを行うことは不可能である。
しかし、法文書作成指導に関する最初の学会(
Legal Writing Conference)がワシントン州ピュージットサウンド大学(University of Puget Sound)で開催されたのが1984年であるので、それに先立つ時期に、一般的な法文書作成指導という概念が北米に所在する法科大学院の間で芽生えて来たことは確実である。この最初の会議には、米国及びカナダに所在する56の法科大学院から108人が出席した。ただ、その時点では、法文書作成指導を担当する教員は「一時的な、使い捨ての利く法科大学院の雇われ人(temporary, disposable law school employees)」*42であるに過ぎなかった。会議に出席するための旅費も、自費のものが大半だったほどである。第
1回学会の成果を受けて、恒常的な相互連絡機構として、法文書作成研究所(The Legal Writing Institute)が1985年に設立された。同研究所は、米国及びカナダにおける法文書作成指導の専門家を統合し、資源を共有し、効率的な法文書作成指導方法の発展を観察し、促進することを目的とした。1990年に、当時、ジョージタウン大学で教鞭を執っていたラムズフィールド(Jill J. Ramsfield)の発案を受けて、同研究所は、法文書作成指導プログラムに関する明確で客観的な情報を得るべく、第1回の調査を行った*43。研究所は、さらに1992年、94年及び96年にも調査を実施した*44。1988年の時点では、ほとんどの法科大学院は法文書指導というプログラムを持っていなかったという*45。それが、90年の時点においては、既に法文書作成指導が全ての法科大学院において行われていたというから、極めて短期間に普及したことが判る*46。ただし、それを担当している者は、法律担当教員の他、学生の場合もあった。もちろん、法文書作成指導の専門家による場合もあった。
履修期間は、ほとんどが最初の
1年間(2学期)であったが、18%は、2年目以降についても要求していた。反対に最初の1学期だけの履修としていたのは、8校のみであった。このことから、この時点で既に法文書作成は、米国法科大学院の確立したカリキュラムの一部になっていたといえる。法文書作成指導と法情報調査の関係についていえば、
90年の時点では半分までが別々に実施していたが、92年の時点で、それは既に3分の1弱に低下していた。これは、学生が適切な法文書を作成するためには、それに先行して適切な法情報の収集を行う必要があることが認識されたためであると、ラムズフィールドは結論している。1クラスあたりの規模という観点から見ると、急速に低減する傾向が見られた。すなわち、90年の時点では、法科大学院の37%は35人以下のクラス編成としていた。27%は35~50人未満、23%は50~75人未満、5%は75人~、7%は100人以上で1クラスという編成としていた。それが1992年の調査では、少なくとも45人以上を1クラスとしているのはわずか29%になった。94年の調査では、増加して33%となったが、ほとんどの学校では33人~45人としていた*47。
こうした一連の調査から、ラムズフィールドは、法文書作成指導というものは様々な論文に見られたものであり、決して、例えばケースメソッドにおけるラングディルのような特定の源があって、法科大学院のプログラムを作り出したり、作り直したり訳ではないことが明らかになった、とする。これらにより、法文書作成指導のイメージが明確になってきた。それは決して一部の人々が考えていたような、「ぼんやりとした星雲や、爆発する星、もしくはブラックホールのような得体の知れないものではなく、はっきりとした実体を持ち、定義できる性格を持つものであることが明らかとなった。」
*48これらの調査は、法文書作成指導が、この時点で既に他の分野の教授の片手間の指導ではなく、年季の入った専門家によって指導される洗練されたプログラムであることを示している。この調査結果には、明るい面と暗い面がある。明るい面は、法文書作成指導教授は、終身在職権ある地位に就いたり、そうでない場合にも、より長期の契約を締結したりして、よりレベルの高いコースの指導に当たるようになっているという点である。しかし、暗い面としては、まだこのコースを持っている法科大学院数は少なく、コースがあるところでもそれに割かれる時間は短く、そして、法文書作成指導教授の給料は、法律担当教授に比べて少ないということであった
*49。2002年4月に同研究所が行った同様の調査では、問題状況の著しい改善が見られる。すべての法科大学院を対象として行われる同調査の存在そのものが、各法科大学院に、法文書作成指導の重要性を認識させる力を持っていたからである。各法科大学院の法文書作成指導の担当者は、その調査結果を、自らの法科大学院におけるコースの改善手段として、さらには自らの待遇の改善手段として活用しているからである*50。
こうして、今日では全米のほとんどすべての法科大学院において、新入生に対して、この分野の専門家による法律実務の指導が行われるようになっている。今日の課題は、それが
1年生の1年間に限られるのか、さらに2年以降において、よりレベルの高い指導を行う体制まで取っているのか、という点にある。2002年の段階では、実に79%の学校がより上級の法文書作成コースを設けていた。1年次のコースは必修科目であるのに対し、この2年次のコースは、学生の要望に応えたものであって、必修科目とはされていない*51。(二) ハワイ大学法科大学院におけるコース内容
ハワイ大学法科大学院は、上述の全米的な流れからすれば、大変立ち後れていたグループに属する。米国において先駆者的位置を占めるジョージタウン大学のラムズフィールドを迎えた
2005年に、初めて法律実務の指導は始まったので、筆者が本稿執筆のための集中的な調査を行った2007年秋学期開始時点においては、まだ、わずか2年の歴史しかないという状況にある。このコースでは、学生達に米国の法律制度そのものの概要を紹介することを通じて、将来、法律実務を行う際のリハーサルを行うことを目指している。法律初心者に対して、法源を教え、様々な情報の調査方法を教え、問題を分析する技術を教え、さらに法律特有の言葉の使い方を教え、法慣行を教えるのである。実務家法曹は、様々な必要を持った依頼人に対して、素早く回答するための完全な問題分析ができなければならない。このコースは、最終的には、依頼人の問いに答え、それを扱う方法を身につけることを目指している。
具体的には、
1年生の秋学期と春学期の丸1年間を通じて行われ、その成果が、これまで紹介してきた、2年生以降で行われるクリニックやエクスターンシップにつながることとされている。コースは二つの部分から成り立っている。一つは、受講生全体を対象としてラムズフィールドが行う講義形式のものである。これが月曜日に置かれている。今ひとつは、ラムズフィールドを含む計
9名の専任教員が行うゼミ形式のものである。これは火曜日と木曜日に置かれている。各ゼミには1名のティーチング・アシスタントと1年生の受講生が10名程度ずつ割り当てられている。ラムズフィールドを除く専任教員は、いずれも法律学を専門としている。そして、それぞれのゼミでは、担当教員が専門とする領域に属する具体的設例を用意しているので、学生から見れば、どのゼミに割り当てられるかにより、具体的なゼミ内容は大きく異なることになる。しかし、いずれのゼミでも、上述したコースの狙い、すなわち法源や各種情報の調査方法などを、その設例を手がかりに教えていき、最終的には論文の添削指導に至ることになる。したがって、法文書作成指導というコースの狙いという観点から見れば、どのゼミに属することになるかということからくる違いはないことになる。また、各ゼミの進度調整は、月曜のラムズフィールドの講義に他の教員も全員が出席して聴講することによって行うことになる*52。(三) 論文センター(
Writing Centor)これは、ラムズフィールドがハワイ大学法科大学院に着任すると同時に作った新機構である
*53。基本的には、2年生以降の学生や、さらには教員を対象に、論文執筆の支援活動を行う組織である*54。センターは、ラムズフィールド教授の監督下に、基本的には2~3年生の学生によって組織されるセンター運営委員会によって運営される。センター運営委員会は、法科大学院の正課として扱われ、時間割に明記されているばかりでなく、単位も与えられるという。学生は、法文書作成時に遭遇したあらゆる質問
*55を、センターに対してすることができる。ただし、一部の法科大学院教員には、このようなセンターを設け、学生論文の執筆に助力を与えることに反対する者もいることから、センターを利用するためには、その論文を出題した教員の許可が必要ということが特に述べられている*56。(四) わが国における法律実務コース等の導入に向けて
洋の東西を問わず、実務家法曹にとって、正確で判り易い文章を、素早く確実に執筆する能力はきわめて重要である。口頭弁論でさえも、その主要部分については文書の提出を持って換える傾向の強いわが国においては、法律文を正確・平易・迅速に書く能力は、米国などよりいっそう重要な能力といえるであろう。確かに、法文書作成(
Legal Writing)は、法情報調査(Legal Research)とともに、わが国の現行法科大学院においても用意され*57、法科大学院に対する第三者評価にあたっても、評価項目として予定されている*58。しかし、ここで紹介している法律実務は、そうした特殊かつ高度の内容の文書作成技術を問題にしているのではなく、ごく日常的な法文書、具体的には法律事務所内で上司に見せるために作成するメモ、顧客に送付する手紙といったレベルの文書作成を問題にしている。また、対象とされるのは、上述した法文書作成のように、最低限の法的素養を身につけた上級生ではなく、従来、全く法律学に触れてこなかった新入生の段階からスタートするものである。
従来のわが国法曹教育では、このような平易な法的文章の書き方指導というものは、せいぜい法学部におけるゼミナールの最後にゼミ論文(いわゆる卒論)の指導がある程度で、正課で新入生に対し、体系的に文書の書き方を指導するということはほとんど無かったといえる。仮に、司法試験受験のための論文指導がそれに該当すると言えるならば、従来のわが国法学部の多くでは、受験予備校に丸投げされていた領域とさえ言えるであろう。その意味で、この、新入学の学生を対象として集中的な指導を行うこの講座は、まさにこれまでのわが国法曹教育の盲点を突くものということができる。
このような米国型の法文書作成指導コースを、わが国においても模倣しようという動きは既に存在している
*59。しかし、米国の方法をそのまま模倣することに意味があるとは思われない。なぜなら、米国では、三権のすべてが立法権を有しているという特殊性がある上、一度制定された立法は消滅せず、後法に抵触する限りにおいて前法が失効するという繁雑な制度を採用しているため、法源の調査そのものに大変なエネルギーを投入する必要があるからである。わが国は、幸いその点では平明であるから、米国ほどのエネルギーをそこに投入する必要はないのではないか、と考える。しかし、それでも、法典調査や判例調査は決して容易なものではないから、現在のようにこれという措置を全く講じないことが正しいとは思えない。さらに、最初に述べたとおり、実務家法曹として成功するための鍵は、いかに法律的文章を正確、平易、迅速に記述するか、という能力にあることを考えると、一般的な法的文書、特に小論文作成指導がこれまで法科大学院の正課になかったことは、きわめて大きな問題と言える。その意味で、米国におけるほど、長時間かつ集中的に行う必要まではないとはいえ、日本の現実に合致したものを、何らかの形で導入する必要があると考える。法源などは、法学の一環として学ぶことに代表されるように、米国の法文書作成指導の内容のかなりの部分が、わが国では法学概論として把握されていることを考えると、法学概論の枠組を発展的に組み替えて、法文書作成や初歩的な法情報検索技術を講義するのが、もっとも現実的な方策ではないだろうか。
六 模擬裁判(
Moot Court)(一) 模擬裁判の歴史
法曹の訓練の一環として模擬裁判を行うことは、決して米国の法科大学院に限ったものではなく、非常に昔からあった。イングランドでは
1400年代に、既にそれが行われた記録がある。1544年にはベーコン(Nicholas Bacon)がヘンリー8世に模擬裁判の実施を報告しているという。したがって、その伝統を受け継ぐ米国でも、建国当初から法曹養成のために、イギリスと同様の形式の模擬裁判が行われていた。それが行われなくなったのは、ラングディルの提案に基づくケース・メソッドの普及により、それが不要になったためである。しかし、学生達は模擬裁判を行うことを好んだため、
1910年にハーバード大学では学生主催の模擬裁判を行うことを認可した*60。すなわち、ラングディル以前においては、正課として存在していた模擬裁判は、以後においてはクラブ活動に変容したのである。現在、米国の法科大学院で、模擬裁判を正課として継続的に実施している学校はないといわれる
*61。(二)
ハワイ大学法科大学院における模擬裁判その点では、ハワイ大学法科大学院もその例外ではなく、正課としては存在しておらず、学生のクラブ活動的性格の下で行われている。したがって、模擬法廷全体を通じた責任者はおらず、それぞれのクラブの顧問が存在するだけである。クラブ活動の目的は、コンテストに参加し、上位入賞することを目指すことである。ハワイ大学法科大学院で参加した経験のあるコンテストとその主催者を次にあげた。
1 顧客相談技術=米国弁護士会
2 国際法=国際法律学生協会(
International Law Students Association)3 環境法=ステットソン法科大学院(
Stetson University in Florida)4 アメリカ原住民法=全米アメリカ原住民法学生連盟(
National Native American Law Student Association )5 コンピュータ法=コンピュータ・自由・プライバシー協議会(
Conference on Computers, Freedom & Privacy=CFP Conference)教育的な見地から見た場合には、模擬裁判とクリニックは、相互補完的な関係に立つと言える。すなわち、現実に大量の事件が発生しており、その中から学生の実力を伸ばすのに役立つ問題を容易に得ることができる種類の問題については、クリニックが担当することになる。これに対し、理論上は大きな問題であっても、実際には裁判になりにくい事例を、具体的なケースに即して学ぶには模擬裁判の形で対応することになる。例えば、著作権や人権、プライバシーなどに関して、国家や政権政党などを被告の対象にしたり、不特定の人達の行為を断罪したりするような場合が、模擬裁判の出番という。最近では
ABAなどの協力も得て、より現実味をおびた模擬裁判が実施されるようになっているという。また、模擬裁判は、裁判を行うのに必要な情報がすべて集まっていることを前提に行われるが、その一つ前の段階、すなわち、弁護士事務所に顧客が来た場合に、その顧客からいかに無理なく情報を得るか、という技術を競う顧客相談技術(
Client Counseling)も、模擬裁判に準ずる形で行われている。模擬裁判チームに参加したこと、さらには大きな大会で上位入賞したという経歴は、学生にとり、よい法律事務所に採用になるための重要な条件といわれる。そのためもあって、模擬裁判を支援することは、法科大学院にとっても、学生の勉学を刺激する重要な手段として、積極的に支援しているという。
(三) わが国への提言
模擬裁判に関しては、おそらくわが国が米国法科大学院制度を受容する際に、米国では、法曹実務教育の一環として模擬裁判が正課として行われている、という大きな誤解が存在していたと考えられる
*62。米国の法科大学院に設けられている模擬法廷室は、既に紹介したクリニックや演習において、現実の法廷をシミュレートしたセッションに利用するためのものであって、模擬裁判を独立の正課として行っているものではなかったのである。わが国法科大学院の場合、既存の国際大会に参加することは、語学的な壁に加え、法制度面での差異もあるので、国際法の大会などをのぞき、きわめて困難と思われる。しかし、学生の勉学に対する刺激効果を考える時、弁護士会や法科大学院協会などが中心となって、大会企画を推進する価値は十分にあるのでは無かろうか。
七 公共奉仕活動(
Pro Bono Activity)(一) 米国におけるプロボノ活動
“
Pro Bono”とは、慣用的な短縮表現で、本来は“Pro bono publico”という。ラテン語で、「公共のために」ということを意味する。これをどのような意味に使用するかについては、同じく英語を使用する国の間においても若干の差異が見られる。米国の法曹において、“Pro Bono Service”という語を使用するときには、報酬を受けとらずに行う公共奉仕活動を意味する。ただし、同じ公共奉仕という目的であっても、“Volunteer”と言う場合にはその内容に限定はないのに対し、“Pro Bono”(以下「プロボノ」という)と言うときには、法律家としての専門技術を、それを有償で得ることのできない貧困層に無償で提供することに特化して使われている。例えば、米国弁護士連合会(ABA)は、その規約 6.1で次のように規定している。「すべての弁護士は、対価を支払うことができない人々に法律上のサービスを提供する専門家としての責任を負担している。弁護士は、毎年少なくとも
こうした、法律家に課せられる職業的な義務の一環として、法科大学院におけるプロボノ活動が存在している。したがって、何らかの形でのプロボノ活動は、おそらくは法科大学院という制度が米国で生まれた頃から存在しているものと思われる。
しかし、正式に法科大学院でプロボノ活動を行うようになったのは、比較的最近である。それまでは、法科大学院学生の低所得の依頼人に対する活動は、もっぱらクリニックやイクスターンシップ等の形で行われていた。
1980年代の終わりになって、教員や行政官、そして学生自身の間で、法科大学院はプロボノ活動により積極的な役割を演ずるべきだという意見が高まり、チュレーン大学(Tulane University*64)が最初にその要求を掲げた法科大学院となった。その後の15年間にほとんどの法科大学院では、何らかのプロボノ活動を行うようになった*65。ABAは、1996年に、法科大学院認可基準を改定し、法科大学院はその所属学生にプロボノ活動に参加するよう慫慂せねばならないこと及び彼等がそれを行うための機会を提供しなければならないことを定めた*66。このように、ABAは、各法科大学院がどのようにプロボノ活動を行っているかについては、強い関心を抱いている結果、全米の各法科大学院における実施状況は、ABAのホームページで網羅的に把握することができる。その情報を、筆者が簡単に整理したのが次表である。 表 米国法科大学院におけるプロボノ活動実施状況
Graduation Requirement (35) |
Formal Voluntary Pro Bono Program (108) |
Independent Student Pro Bono Group Projects (26) |
|||
Pro Bono (18) |
Public Service (13) |
Community Service (4)
|
Characterized by a Referral System with Coordinator (s)(88)
|
Characterized by Administrative Support for Student Group Projects (20) |
|
出典=
CHART OF LAW SCHOOL PRO BONO PROGRAMS:http://www.abanet.org/legalservices/probono/lawschools/pb_programs_chart.html#definitions
時点:
2007年8月15日 対象169校すなわち、全米の法科大学院におけるプロボノ活動実施状況を見ると、すべての法科大学院が何らかの形でプロボノ活動を行っている。しかし、それを行うことを学生に対する卒業単位として要求しているのは
38校に過ぎず、そのうち、プロボノという名称を使用しているのはさらに減って18校に過ぎない。ほとんどの学校はボランティア活動として実施しており、26校については学生の自主的活動として行われているに過ぎず、学校側の関与はない。プロボノ活動を本稿で取り上げたのは、それが単なる公共奉仕活動ではなく、法律の専門技術を貧困層に提供するという性格を有しているためである。単なる公共奉仕活動、例えば老人ホームにおける労力奉仕というようなものであれば、それを学生が単独で行っても特に問題はない。しかし、法的な専門技術を提供するということになると、未熟な学生の自由に委ねることはできず、専任教員の指導監督を伴うことになる。その結果、プロボノ活動は、法曹実務教育の一環を担うことになるからである。
(二) ハワイ大学法科大学院におけるプロボノ活動実施状況
1 総説
ハワイ大学法科大学院では、
1992年にプロボノ活動を行うことを卒業認定の条件とすることを決定した。したがって、1995年卒業生からは、この条件を充足していない限り、卒業できないこととなった。これは全米でも最も早く卒業条件とした学校の一つであり、特に学生側の自主的申し出でによって始めた最初の学校の一つである。学生のプロボノ活動は、法に関連した労働と定義され、弁護士、法科大学院の教員その他の者の監督の下に、行われる。ここに「法に関連したプロボノ活動(
law-related pro bono work )」という語は広く解釈され、法に関連した連邦、州ないし地方公共団体機関、裁判所、議会の活動を含むものとされる。学生のプロボノ活動は、貧困な依頼人に向けてなされるように慫慂される。プロボノ活動は、その性質において法と関連するものである要があり、事務的な仕事もしくは行政的な仕事はそれには該当しないものとされる。さらに、評価機能が予定されている。すなわち、学生は自らの経験した仕事を、プロボノ活動を担当する指導者と一緒に評価することがプログラムに組み込まれている。何がプロボノ活動に該当するかなど、このプログラムの明細は、全面的にプロボノプログラム責任者(
Pro Bono Program Director)の個別認可にかかっている。プロボノプログラム責任者は、法科大学院研究科長(Dean)とされている。2 基準(
Pro Bono Work Criteria)なにがプロボノ活動にふさわしいかは、総論に述べたところだけでは、今ひとつはっきりしないが、詳細に定められた基準を見ると、そのイメージがはっきりしたものとなる。
(1) 法に関連したプロボノ活動は、次の基準に適合しなければならない。
a
貧困者法的援助-救貧法:民事及び刑事の重要事項に関する依頼人で、自ら、州及び公設弁護人事務所の司法サービスを含む司法援助を受けるに十分な視力を持たない者に対する司法サービス:ハワイ州司法に関する貧困者法的援助基金(ILAF*67)の支給を受けている者または組織はこの要件を満たしている。例えば、家庭内暴力対策の家法律ホットライン(Domestic Violence Clearinghouse & Legal Hotline )、ハワイ障害者権利センター(Hawai’i Disability Rights Center)、コクア法律サービス会社(Kokua Legal Services, Inc.)、ハワイ法律扶助協会(Legal Aid Society of Hawai'i)、ナ・ロイオ移民権及び公益法律センター(Na Loio-Immigrant Rights and Public Interest Legal Center)、ハワイ原住民法律協会(Native Hawaiian Legal Corporation)、カウアイ島高齢者法プログラム(Senior's Law Program (Kaua'i))、ハワイ大学高齢者プログラム(University of Hawai'i Elder Law Program)及びハワイボランティア法律サービス(Volunteer Legal Services Hawai'i)はこれに該当する。b
公民権法:すべての市民に属するか、もしくは公共の重要な領域に属する重要な利益を含む法廷代表活動c
非営利的/公的 組織代表:慈善的、宗教的、市民的及び教育的機関に対し、その組織目的を促進する法的サービスd
政府の法的サービス:政府の行政、立法及び司法部門における法的サービスe
司法行政:法廷の後援その他に基づく、法的サービスの利用可能性を増進する活動、ないしは司法行政を改善する活動f
法的教育:法科大学院教員の後援の下に、教育能力を改善・強化し、あるいは学生をその法的教育において援助する活動g
環境法:環境保護、保全もしくは賢明な利用を推進する環境団体の法的代表h
原住民法:ハワイ人を含む原住民の、先住民としての地位から生ずる権利及び1893年以前のハワイ王国の法的地位から発する権利(2) プロボノ活動は、非補償型でなければならず、その労働は、他の学業単位の充足に向けて行われるものであってはならず、監督者が手数料を要求する労働であってはならず、もしくは本質的に減額された手数料を課せられるか、非営利的、公益的、政府組織もしくは法科大学院のための労働でなければならない。
(3) 法に関連したプロボノ活動は、法律家か法科大学院教員その他資格を有する監督者の監督下になければならず、プロボノプログラム責任者の認可を受けていなければならない。法科大学院学生は、監督者として認定されることはない。
3 ガイドライン
プロボノプログラムのガイドラインは次のように定められている
*68。1.途中からの転校生をのぞき、プロボノ活動を卒業までの間に
2.法科大学院学生は、プロボノ活動を見つけ出し、プロボノプログラム責任者の承認を受け、適時に要求された書類を提出する義務を負う。その書類には、登録書類、予定表、学生の自己評価書及び監督者による評価書が含まれる。また、学生は行ったすべての書類仕事についてコピーを保存し、提出しなければならない。学生が卒業するために、プロボノ活動を完了し、あらゆる書類を提出するための最終期日は、その卒業学期の最終開講日である。しかし、過去の学生で発生した問題に基づき、
2004-2005年度より、異常な状況から期限の延長を教員に陳情するには、陳情書が必要とされることになった。3.第
1学年の学生及び仮入学の学生*69を除き、60時間という要求は、1学期以上をかけ、ないしは冬期、春期暇もしくは夏期の休暇中に行うものとする。第1学年の学生については、第1学期の期末試験を完了した後の冬期休暇からプロボノ活動を開始することが許可される。入学を許可されていない仮入学の学生は、事前に仮入学責任者の許可を得た場合に限り、春学期中に12時間以内の、夏期休暇中に20時間以内のプロボノ活動が認められる。4.
60時間のプロボノ活動は、認可されている機関、個人、組織もしくはプロジェクトで行われる。学生は、少なくとも20時間のプロボノ活動については、ハワイ州司法的貧困者のための法律扶助基金より、補助を受領している機関か、もしくはハワイ州もしくは他の司法管轄区域において、貧困な依頼人に対して同様のサービスを行っている法律家、組織に対し行うように慫慂される。5.プロボノ活動は、プロボノプログラム責任者により認証を受けなければならない。プロボノ活動の斡旋を受けることを認められるに先立ち、学生達は自らの努力で活動先を探すように慫慂される。仮入学学生については、プロボノ活動はプロボノアドバイザーへの申請に先立ち、仮入学責任者の認可を得なければならない。学生は、その行った書類仕事のコピーを保存し、提出するよう要求される。
(三) わが国への提言
このように、ハワイ大学法科大学院におけるプロボノの実体を見てくると、わが国で簡単にまねできるものではないことが判る。そのことは、現時点において、米国の大半の法科大学院で、プロボノ活動を卒業の条件としていないことにも明らかである。同時に、このような厳しい条件下でプロボノ活動を行えば、確かに単なる大学での講義やクリニック以上の大きな効果が期待できることも明らかであろう。さしあたり、学生の自主活動を援助するという形で大学側としては活動するのがせいぜいであろう。
同時に、先に例示されていた受け皿の機関などに呼びかけて、夏期休暇などにおいて、学生の公共奉仕活動を受け入れる体制作りを行っていくことで、徐々に固定的な制度に育てていくことが可能なのではないかと思われる。
[おわりに]
本稿は、前稿に引き続くものであるので、本来なら既に昨年度において上梓されなければならなかったものである。しかし、教育活動の実態を把握するには、文献に頼ることができないため、本稿の執筆に当たっては、ハワイ大学法科大学院の多くの先生方に、貴重な時間を割いてインタヴューに応じていただいた。このように面接調査を基礎としていることに加え、可能な限り多くの実際の授業にも出席するという方法を採用したため、昨年度の夏期休暇を利用した現地調査では、とうてい論文にまとめられるだけの浸透度に到達せず、初年度から計算すれば、
3年間計9週間の調査を行った結果、ようやく一応まとめられる状態に到達したものである。本来であれば、米国における実例は、複数の法科大学院から得たいと考えたが、こうした時間を要する作業であったため、結局、ハワイ大学法科大学院にのみ依拠するものとなった。面接調査及び授業の聴講に快く応じてくださった同校の先生方には満腔の感謝を捧げたい。特に、日本法を研究対象とされるレヴィン教授
*70には、筆者のつたない英語と乏しい米国法制度に関する知識では把握しきれない問題点についてご説明をいただくなど、多くの面でご助力をいただいた。本稿においても、筆者の英語力の低さからくる誤解を完全に払拭した自信はないが、レヴィン教授がいなければ、本稿はより誤解に満ちたものになっていたであろう。また、窓口役を務めていただいた事務局(Associate Director of International Programs)のキムラ氏(Dr. Spencer Kimura)にも、毎年度、多大なご迷惑をお掛けした。特に記して、感謝の意を表したい。ドイツにおける司法試験制度については、拙稿「ドイツにおける法曹養成制度の改革」(日本大学法学部『法学紀要』発表予定)参照。 マクレート報告の原題は次の通りである。
" Legal Education and Professional Development -- An Educational Continuum "
この報告には、法科大学院の教職員限定のバージョンと、学生向けのバージョン(
Student Edition)とがある。教職員向けバージョンは、ABAから刊行されている(ISBN: 0-89707-774-1)。これに対し、学生向けのバージョンは、
West Publishingから刊行されている(ISBN: 0-314-02776-9)。 注2紹介のマクレート報告のうち、学生向けバージョン95頁参照。 徒弟修行については、注3紹介書96頁、及び同箇所の注記参照。 弁護士会結成の流れについては、注3引用書97頁以下、及びその頁の注記を参照。 ラングディル(Christopher Columbus Langdell)は16年間、ニューヨークで実務家として働いた。ハーバード・ロースクールの研究科長になったのは、彼が44歳の時である。本文の既述については、注
3引用書98ページ以下参照。 ラングティルの若き日のエピソード、及びケースブック方式の教育などに関するエピソードが、フランクの書いた次の論文の冒頭部分に紹介されている。Jerome Frank "Why Not a Clinical Lawye-School?" 8 Univ. of Pennsylvania Law Review 907
(June 1933)この論文は、同時に、米国法科大学院における法曹実務教育の問題点を論じた最初期の論文の一つである。なお、注
10に紹介した論文にも、ラングディルの教育の特徴が論じられている。 注3引用書98頁参照 クリニックは、例えば、日本大学法科大学院の場合、「弁護士の指導監督の下に、実際の法律相談に同席し、事件内容の聞き取り、事案の整理、関係法令の調査、解決案の検討等を具体的事例に則して学ぶ」と説明されている(2007年度シラバス79頁参照)。管見の限りでは、わが国の他法科大学院においても、大同小異のものである。 米国における、クリニックに代表される法曹実務教育の歴史の概略は、次の論文が非常に参考になる。Margaret Martin Barry, Jon C. Dubin, Peter A. Joy
"Clinical Education for This Millennium: The Third Wave" Clinical Law Review(Fall, 2000)なお、本論文は、すでにわが国において、次の書の一部として翻訳・刊行されている。
『ロースクール臨床教育の
William V. Rowe,
“Legal Clinics and Better Trained Lawyers - A Necessity”, 11 Ill. L. Rev. 591, 591 (1917) 注10紹介論文中の“1. The Birth of the Modern Law School and the First Wave of Clinical Legal Education”参照 リード報告の正式名称は、“Training for the Public Profession of the Law”である。 この段の記述は、次の論文に依存している。J. P. Ogilvy
,Karen Czapanskiy "Clinical Legal Education: An Annotated Bibliography(Revised 2004)" 法現実主義については、詳しくは次の書を参照。Laura Kalman," Legal Realism at Yale: 1927-1960
”、 Lawbook Exchange Ltd (2002/06) この段の記述は、次の論文に依存している。Stephen Wizner, William O. Douglas Clinical Professor of Law, Yale Law School
,"Colloquium: What does it mean to Practice Law "In The Interests of Justice" in the twenty-first Century?: The Law School Clinic: Legal Education in the Interests of Justice”2002 Fordham Law Review フランクの言葉は、次の論文より引用。Jerome Frank, A Plea for Lawyer-Schools, 56 Yale L.J. 1303, 1321
(1947) フランクが1933年に発表した論文は、次のものである。Jerome Frank, "Why Not a Clinical Lawyer-School?", 81 U. Pa. L. Rev. 907
(1933) ルウェリンの講演は、次の論文として読むことができる。Karl Llewellyn
,"On What is Wrong With So-Called Legal Education" 35 Columbia Law Review 651(May 1935) この段の記述については、注10引用論文中の「C. The Rise of Clinical Legal Education」参照。 第9章計画(Title IX Program):これは1964年市民権法(the Civil Rights Act of 1964)第6章及びその1972年教育修正(the Education Amendments of 1972)第9章に基づく機会均等を実現するための連邦補助制度である。 連邦補助金の額については、注7引用論文中の「C. The Rise of Clinical Legal Education」参照。 米国法科大学院におけるクリニック開設数:道あゆみが、自らの経験として記するところによれば、2000年度におけるニューヨーク大学法科大学院のクリニックは21コースであったという(道あゆみ「法科大学院における臨床教育の有用性を探る」、注10引用の『ロースクール臨床教育の100年史』170頁参照)。現時点において、ネットで検索した限りにおいても、全米のトップテンにはいるような大規模校は、一般に20内外のクリニカルコースを用意している。 ABAでは、1969年に学生実務模範規則案(Model Student Practice Rule)を採択し、法科大学院学生は、法曹有資格者の監督の下に法律問題を抱える依頼者を代理することができるとした。本文で、次に述べているハワイ州最高裁判所規則も、これを受けて立法化されたものである。学生実務模範規則案については、注10に紹介した『ロースクール臨床教育の100年史』110頁以下にその全訳がある。 ハワイ州最高裁判所規則については、次のアドレス参照。http://www.state.hi.us/jud/ctrules/rsch.htm クリニックの場合にも、模擬法廷的な教育は、学生を現場に投入することに先行して必ず行われている。演習の場合には、そこで終わって、実例を現場で取り扱う訳ではない点が異なっているのである。 ハワイ大学法科大学院の実施しているクリニックの、コース別内容については、次のアドレス参照
同講師が依頼人と面談するための部屋は、ロースクール図書館の一番奥に設けられていたが、その部屋の扉にも何の表示もなく、室内にも移民法関係の図書はもちろん、専用電話も置かれていない状況であり、依頼人との連絡は、もっぱら同講師の私有する携帯電話に頼っている状況であるという。同講師は、その劣悪な環境を悲憤慷慨されていたが、私としては、そのような悪条件下であっても、毎年のクリニックが維持できるだけの依頼人が確実にあるという事実の方に、強い印象を受けた。もちろん、そのような自発的訪問だけがすべてではなく、例えば事件を担当する裁判官からの紹介で、依頼人と接触を持つことも多いという。
法律扶助協会(Legal Aid Society):法律扶助協会は、合衆国において、もっとも歴史があり(1876年設立)、かつ最大の、貧困者に対する法的サービスの提供機関である。同協会は、民事に関するあらゆる法的サービスを提供すると同時に、刑事弁護も担当し、さらに家庭裁判所において児童の利益を代表する活動も行っている。対象となるのは、貧困のため、法的問題が発生指定も弁護士を雇用することができない貧困者である。毎年協会が扱う犯罪事件は
20万件、家庭裁判所において行う児童の保護活動は3万件、個人あるいは集団のための民事件数も3万件に達しているという。 米国においても、クリニックの経済性が大きな問題となったことは、注10引用論文B. The Search for Financial Viability参照。 以下、本節の記述は、主として、次の書に基づいている。Rebecca A. Cochran "Judicial Externships -- The Clinic inside the Courthouse
(second edition)" 1999 by Anderson Publishing Co. P3 ハワイ大学法科大学院におけるイクスターンシップの実施状況については、前稿で紹介しているので、本稿では割愛する。 日本大学法科大学院の場合、学生は、協力法律事務所に短期間の研修員として派遣される。法律事務所以外の派遣先はない(派遣先における研修の内容については、日本大学法科大学院平成19年度シラバス81頁参照)。わが国でも、早稲田大学法科大学院のように、法律事務所以外に、一般企業、官公庁、国際機関、NGO・NPOなど、多様な派遣先を用意している、としている所もある(同校のホームページ=http://www.waseda.jp/law-school/jp/about/education/clinic03.html=による)。しかし、これは珍しい例外で、管見の限りでは、ほとんどの法科大学院では、日本大学同様に、派遣先は法律事務所に限定されている。東京大学のように、全く実施していないところも目立つ。 本文の引用は、次の論文からのものである。Mary S. Lawrence, "The Legal WRriting Institute The Begining: Extraordinary Vision, Extraordinary Accomplishment"
The Journal of the Legal Writing InstituteVolume11、2005、P213この論文は、法文書作成研究所の創設者達に設立当初の状況をインタヴューした結果を紹介しているものである。
第1回の調査結果は、次の論文にまとめられている。Jill J. Ramsfield, "Legal Writing in the Twenty-First Century: The First Images" The Journal of the Legal Writing Institute Volume 1
(1991) 第1回から第3回までの調査結果は、次の論文にまとめられている。Jill J. Ramsfield "Legal Writing in the Twenty-First Century:A Sharper Image"
P1 "The Journal of the Legal Writing Institute" Volume2、1996 なお、注42紹介論文239頁以下に、この最初の4回の調査の状況が詳しく紹介されている。ラムズフィールドは、これらの調査の責任者として、質問の作成から始まって最終的な整理までを一手に引き受けて実施したという。まだコンピュータが一般化する以前の時代だったので、すべて手作業だったという。 1988年では、ほとんど法文書作成指導は行われていなかった、ということは、ラムズフィールドに対するある法科大学院研究科長の発言内容である。注44紹介論文3頁脚注8参照。 法文書作成指導の普及が1990年では100%であった:90年の調査の回答率は80%に過ぎなかったが、ラムズフィールドは、回答を寄せなかった法科大学院についても、全て個別に電話連絡をして、この点を確認したという。注44紹介論文3頁本文及びそれに対応する注10参照。 注44紹介論文4~5頁参照 注44紹介論文2頁参照 注44紹介論文4頁以下参照。 2002年に関する本文の記述は、次の論文に依拠している。Kristin B. Gerdy, "Continuing Development: A Snapshot of Legal Research and Writing
Programs through the Lens of the 2002 LWI and ALWD Survey". The Journal of the Legal Writing InstituteVolume 9 2003、P227この論文は、
2002年調査の詳しい結果を紹介しているものである。 注50紹介論文240頁参照。 2007年秋学期における法律実務Ⅰのシラバスの概要を示すと次の通りである。第
1週 法システムと法源を理解し、初歩的な法律調査を行う第
2週 法的な英語を使い、法律調査及び法論文における倫理を学ぶ第
3週 法律家向けの文書の書き方=オフィスメモ、効率的な調査ノートの書き方第
4週 依頼人との面談の仕方第
5週 文書の構成の仕方第
6週 メモの草案第
7週 二次的法源*28の発見方法と利用の仕方第
8週 特定の徴収に向けたメモの書き直し方法第
9週 メモの最終案第
10週 効率的な手紙の調査方法と書き方第
11週 効率的な手紙の構成第
12週 提案を行う手紙の草案第
13週 上司との交渉の仕方第
14週 調査方法に関する試験第
15週 提案を行う手紙の最終案実際には遙かに詳細なものである。その実際のシラバスについては、次のホームページを参照。
http://www.hawaii.edu/law/information-for-students/current-students/course-announcements/index.html
本来、このコースは春学期にもう
15週間行われるものであるが、それについてのシラバスは、本稿執筆の時点ではまだ完成していなかったので、紹介することはできない。 ハワイ大学法科大学院における論文センターの詳細については、次のアドレスを参照。http://www.hawaii.edu/law/site-content/jd-program/writing-center/index.html
ただし、論文センターは、ハワイ大学法科大学院としては新しい機構であるが、全米的に見れば、ラムズフィールドの前任校であるジョージタウン大学を始めとして、ほとんどの大学に設けられている。一例として、ジョージタウン大学のライティングセンターのアドレスを示す。
http://writingcenter.georgetown.edu/
教員に対する論文執筆の支援というのは、わが国の感覚では奇異な感じを受ける。しかし、ラムズフィールドは、法科大学院での指導の他に、弁護士事務所、行政庁、判事等の論文執筆に関する顧問活動も行っており、その意味では、他の教員の論文執筆を支援するのは、当然の活動である。もちろん、同僚教員の場合には、センターに対するフィードバックに当たる活動もあり、その意味では相互支援的なものである。 センターが示している質問の代表例をあげると次の通りである。○調査方法
○執筆上の困難の克服
○効率的な書き直し方
○特定の聴衆向けの編集方法
○より効率的な書き方
○ノートの構成方法
○論文の構成方法
○法律英語の習得方法
○法的素材の論文構成への関連づけ
○法的素材の適切な構文への関連づけ
○興味を引く見出しの付け方
○学術論文の草案作成方法
○学術論文における脚注の付け方
これらについては、次のホームページを参照。
http://www.hawaii.edu/law/site-content/jd-program/writing-center/index.html センターへの反対者:ラムズフィールド教授にこの記述の意味について質問したところによれば、ハワイ大学法科大学院の教員に反対者がいるという意味ではなく、全米の法科大学院教員の中には、理念としてセンターに反対する者がいるので、この記述があるとのことであった。 わが国における法文書作成授業:日本大学法科大学院の場合、2/3年次向けに、「法文書作成」という講義が用意されている。ここでは、内容証明郵便や公正証書等、特殊な法文書の作成技術の教授が、その内容となっている(日本大学法科大学院平成19年度シラバス73頁参照)。 大学基準協会の行う法科大学院認証評価の場合、その評価項目2-7に「法情報調査及び法文書作成を扱う科目が開設されているか」という評価の視点が設定されている。なお、日弁連法務研究財団の評価基準7-1-1には、一般的なスキル育成の要求があるだけで、特定の科目の開設は要求していない。 例えば、東北大学法科大学院では、米国法に限ってのものであるが、明確にLegal Research & Writing という表題の下における指導が既に行われている。その内容を見ると、きわめて直訳的な試みではあるが、同種の思想に基づくものであることが認められる。
http://www.law.tohoku.ac.jp/~serizawa/ilrw2007.html
模擬裁判の英国及び米国における歴史は、次の論文に依拠している。Mohamed A. Rachid & Charles R. Knerr "Brief history of Moot Court Britain and U.S."
これは、南西政治科学協会(
Southwestern Political Science Association)の2000年年次総会における報告である。次のアドレスで読むことができる。http://www.abanet.org/legalservices/probono/rule61.html
Tulane University:ルイジアナ州ニューオリンズに所在する1834年創立の大学で、南部の名門校として知られる。その法科大学院は1847年創立で、米国で12番目に古い法科大学院である。 ここに述べている法科大学院におけるプロボノ活動の歴史については、基本的に次の書に依拠している。Deborah L. rhode, "Access to Justice", Oxford University Press, 2004 P.156
ABAの法科大学院認可基準(Standards for Approval of Law Schools)のStandard 302は、Curriculumと題されているが、そのb項(2)がプロボノ活動に言及している。認可基準の詳細については、次のアドレスを参照。http://www.abanet.org/legaled/standards/standards.html ハワイ州司法に関する貧困者法的援助基金(State of Hawai’i Judiciary’s Indigent Legal Assistance Fund (ILAF)):これは、わが国でいう訴訟救助(民事訴訟法82条)に相当する制度である。ハワイ州統一法典§607-5.7(c)参照 プロボノ活動のガイドラインについては、次のアドレスを参照