「会計と監査」2010年7月号34頁〜41頁
裁判の公開とインカメラ審理
日本大学法学部教授 甲斐素直
目次
「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成
11年5月14日法律42号=以下、「情報公開法」という)」は、中央政府に関する情報の公開を求める権利を原則として何人にも保障している。情報公開法の下では、原則に対する例外として情報公開を中央政府機関に拒否された場合には、司法救済を求めることができる。しかし、情報公開法には、司法審査に際してインカメラ審理*1を認める規定が存在していないため、それが可能か否かが議論となってきた。その点に関し、2009年1月16日に注目するべき最高裁判所決定が下った。その決定の示した議論には大いに触発される点があり、それを契機に、日本国憲法82条とインカメラ審理の関係に対する私の考えを簡単にまとめてみた。
国際人権
B規約19条2項*2は、表現の自由を「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け、及び伝える権利」と定義した。このうち、情報を求める権利及び伝える権利をまとめて「知る権利」と呼ぶ。国民が知る権利を行使することを国家が妨害することを禁じる権利、すなわち知る自由としてこれを把握する場合には、特段の立法がなくとも、それが具体的権利性を有し、裁判の場において、その侵害に対し、救済を求めることができることには異論がない。これに対し、国民が国や地方公共団体が保有する情報を知る権利、すなわち行政機関に対する情報公開請求権は、社会権に属する*3。そして、行政機関が保有する情報中には、重要な国家機密情報、個人のプライバシー情報のように、公開に適さないものがある。そこで、情報公開請求権は、抽象的権利性は認められるにしても、具体的権利として認めるには明確な立法が必要と考えられてきた。日本の場合、こうした発想の下に、
1982年に山形県金山町で制定された情報公開条例が、行政機関の保有する情報公開に関する最初の立法となった。地方公共団体に関しては、その後急速に情報公開条例の制定が進み、現在はすべての都道府県に情報公開条例が制定され、ほとんどの市区町村でも同様となっている*4。こうした動きを受けて、国政レベルにおいても1999年に、冒頭に紹介した情報公開法が制定された*5。情報公開法制定時に大きな問題になったのが、表題に掲げたインカメラ審理である。情報公開法では、行政庁の長が情報を不開示と決定し、情報公開請求者が不服申立てを行ったにもかかわらず、取り消さない場合には、行政庁の長は情報公開審査会に諮問しなければならない(情報公開法
18条)。審査会にはインカメラ審理権が明文でみとめられている。すなわち審査会が必要があると認めたときは、当該行政文書の提示を行政庁に求めることができ、行政庁はこれを拒むことができない*6。その結果、審査会は直接文書を見て、その不開示の必要性を判断することができるのである。これに対して、裁決または決定に不満を持って司法救済を求めた場合には、情報公開法に、インカメラ審理を認める規定は置かれていない。その理由は、「情報公開法要綱案の考え方
*7」(以下、「考え方」という)によると、憲法82条が裁判の公開を要求していること及び「行政(民事)訴訟制度の基本にかかわる」ことが大きな理由である*8。その結果、裁判官は、当該行政文書を見ることなく、その不開示の適否を判断しなければならないと、通説・実務においては解されている。このため、情報公開訴訟では、その実際の秘密の内容を裁判官が把握することなく審理する必要に迫られていることになる。その場合、裁判官としては、他の国家機関の判断を尊重して、司法判断を自制すべき場合が多くなろう。すなわち、現に当該文書を見ている審査会の意見を尊重せざるを得ない立場に追い込まれる。この結果、明白に審査会の決定が誤りであると認められる特段の事情がない限り、不開示相当という結論を下さざるを得ないことになると考えられる。しかし、それでは、司法救済手続きを設けた意義が減殺される。
こうした状態を打破するために、現行法の下においてもインカメラ審理が認められると説く少数説が有力に主張されている。代表的な見解を示すと、その一は、憲法
32条を根拠に、そもそも国民には「非公開審理を求める権利」というものが存在すると説く説である*9。この憲法上の権利から、現在の情報公開法の下においても、インカメラ審理は認められると説く*10。その二は、憲法82条と情報公開法にいうインカメラ審理は全く関係がない、とする。この説では、公開が求められるのは厳格な意味における対審や判決のみ、ととらえる。その場合、インカメラ審理は、裁判官の証拠調べの方法にすぎず、対審ではないから公開原則と直接的には抵触することはない、と把握するわけである*11。また、現行情報公開法の下では、インカメラ審理は不可能と見る多数説の側からも、立法論的にはインカメラ審理を導入するべきである、ということが積極的に論じられてきた。こうした状態に一石を投じたのが、冒頭に紹介した最高裁判所決定である。
冒頭に言及した最高裁決定は、次のような事件に関して下された。すなわち、Xが、情報公開法に基づき,沖縄県米軍ヘリコプター墜落事故
*12に関し、外務省の保有する行政文書の開示を請求したところ,外務大臣から,そのうち相当数のものにつき,情報公開法5条1号,3号又は5号に該当するとして不開示とする決定を受けたため,Y(国)を被告として,その取消しを求めた。第1審福岡地方裁判所がXの請求を棄却した(2006年11月27日判決)ため,Xは控訴した。Xは,控訴審である福岡高等裁判所において,
Yが不開示とした文書の検証の申出をするとともに,検証の立会権を放棄し、検証調書の作成においても、本件不開示文書の記載内容の詳細が明らかになる方法での検証調書の作成を求めない旨陳述した。これを受けて、福岡高等裁判所は、「このような立会権の放棄等を前提とした本件検証等の申立ては、実質的にはいわゆるインカメラ審理を意図したものにほかならない」とした上で、「行政文書の開示・不開示に関する両当事者の主張を公正かつ中立的な立場で検討し、その是非を判断しなければならない裁判所が、その職責を全うするためには、当該文書を直接見分することが不可欠であると考えた場合にまで、実質的なインカメラ審理を否定するいわれはない。」と結論を下し、本件検証物提示命令の申立てのうち一部を認容し,Yに対し検証物の提示を命じた
*13。Yは,この決定を不服として許可抗告の申立てをし,原審は抗告を許可した。抗告に対し、最高裁判所は、インカメラ審理を認めないとする決定を下した
*14。この決定は、簡単に要約すると、「考え方」のあげていたインカメラ審理を導入しない二つの理由のうち、「行政(民事)訴訟制度の基本にかかわる」という言葉を「民事訴訟の基本原則」と呼び、その内容を説明した上で、それを本件で問題となった「実質的なインカメラ審理」も否定する根拠とするとともに、「明文の規定がない限り、許されない」と述べた。これは逆から読めば、立法によりそれを許容できること、換言すれば、インカメラ審理の導入は憲法違反ではない、と述べたことになる*15。すなわち「民事訴訟の基本原則」の遵守は、憲法的な要求ではないこと、及びインカメラ審理は憲法82条に違反するものではない*16ことの二点を述べたことになる。私は、この決定のあげている「民事訴訟の基本原則」に関する説明に疑問を有している。
決定は、原告、被告及び裁判所という訴訟関係者のそれぞれに、インカメラ審理を導入すると不利益が発生すると述べる。
裁判所については、「上級審も原審の判断の根拠を直接確認することができないまま原判決の審査をしなければならない」という点に不利益を見ている。しかし、文書を非開示とすべきか否かは、事実認定の問題である以上、それが問題となる上級審は、事実審に限られる。事実審であれば、直接確認できないことで、何か問題が発生すれば、自らインカメラ審理を行えばよい。上級審が法律審の場合には、事実の認定上に問題があると認められる時には、事実審に差し戻せばよい。したがって、裁判所について、不利益が発生するとは思えない
*17。被告に関する不利益については、「被告も、当該文書の具体的内容を援用しながら弁論を行うことができない」という。しかし、被告である国側は、文書の内容については知悉しているのであるから、内容について援用するかどうか、あるいはどの限度で援用するかはその裁量の問題である。そして、非公開と自ら決定した以上、インカメラ審理が認められない状態の下においても、文書の具体的内容を援用した弁論が行えないことに変わりはない。したがって、インカメラ審理が認められた場合にも、認められていない時に比べて、訴訟遂行上、特に不利益な立場に置かれるわけではない。
これに対し、情報公開申立人の場合は、最高裁判所がいうとおり、文字通りのインカメラ審理であれば、「当該文書の内容を確認した上で弁論を行うことができ」ず、また「上訴理由を的確に主張することが困難となる」という非常に不利益な立場に置かれることになる。しかし、本件の場合には、情報公開申立人は自ら検証における立会権を放棄しているのである。すなわち、最高裁判所のいう不利益は、自ら甘受しているのであるから、少なくとも本件の「実質的なインカメラ審理」の場合には、本人の利益保護という観点からは、それを考慮する必要はない
*18。それにもかかわらず、「民事訴訟の基本原則」から許されないと述べていることは、その原則は、本人が放棄することのできないほど重要な法益である、と考えていることになる
*19。そうであるならば、「明文の規定」があろうとも、それを侵害することは許されない、というべきであろう。逆にいえば、立法さえあれば侵害できるレベルの法益であるならば、本人がそれを失うことを甘受することを申し出ている場合に、インカメラ審理を否定する根拠にはならないはずである。したがって、最高裁判所決定は論理矛盾を起こしていると評せざるを得ない。
ここで最高裁判所の言う「民事訴訟の基本原則」は、最高裁判所決定の言うように、
82条とは別の法律レベルの問題であり、憲法レベルの問題ではない、という理解は正しいのか、という点について考えたい。私は、それはまさに憲法82条の公開原則から導かれるものであり、それがゆえに、インカメラ審理の導入には、憲法82条に対する真摯な検討が必要だと考えている。ここで、裁判の公開はなぜ必要とされるのか、という原点に立ち返って考えなければならない。確かに、従来、裁判の公開は、専ら傍聴人との関係で言われてきた(一般公開)*20。例えば、レペタ事件最高裁判決
*21が傍聴人のメモをとる権利に関して述べられたことは、そのことを端的に示している。しかし、同時に、そのレペタ事件判決は、
82条の意義として「裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある」と述べている。私は、これは大変正しい指摘であると考える。すなわち、公開の目的は、傍聴を通じて裁判過程を国民に知らしめる(すなわち知る権利に奉仕する)ことではなく、裁判そのものの公正を確保することである。これは日本の学説も一般に承認する*22。そして、裁判の公開を、その公正確保という点に求めるのであれば、公開の対象は決して傍聴人のみを意味するものではない。むしろ、第一義的には、訴訟当事者を対象とするはずである(当事者公開)。なぜなら、裁判の公正に対する信頼を確保する上で最も重要なことは、秘密裁判の禁止、すなわち訴訟当事者が不知の間に、裁判所が勝手に訴訟当事者の知ることのできない根拠に基づいて結論を下すことを防ぐことにあるからである。
このように考えた場合、日本国憲法
82条の1項と2項は、その内容が異なることになる。確かに2項は但書との関係からいっても、傍聴人をもっぱら念頭に置いた一般公開を定めた規定といえる。それに対し、1項は、訴訟当事者もその名宛人とする当事者公開も保障する規定と解するべきであろう*23。もし1項が、2項と同様に一般公開を保証する規定にとどまるのであれば、わざわざ項を分けずに、1項に続けて書くほうが正しいはずである*24。その様に理解した場合には、この原則の例外をどの限度で認めることができるのかを考える必要がある。先に引用したレペタ事件最高裁判所判決によると、
82条は裁判の公正を「制度」として保障することである。この理解を私も支持する。すなわち、82条1項は制度的保障の理論により解決すべき問題である。したがって、制度の中核を侵害しない限り、公開原則に例外を認めることは可能である。レペタ事件最高裁判決は、憲法
82条では公正かつ円滑な審理がまず要求されるのであって、それと抵触しない限りでのみ傍聴を許す必要があるのに留まるという*25。ここから、「公正な裁判」という概念こそが、公開制度の中核ということができよう。そして、繰り返すが、その公正な裁判という要求は、傍聴人以上に、原告等の訴訟当事者保護として機能しなければならない。そして、このように、裁判の公開の意義を理解するときには、本件事件における最高裁判所決定の理解と違って、憲法
82条と、最高裁判所言うところの「民事訴訟の基本原則」は、決して別の問題ではないことになる。なぜなら、最高裁のいう「民事訴訟の基本原則」とは、最高裁判所自身の説明によれば「訴訟で用いられる証拠は当事者の吟味、弾劾の機会を経たものに限られる」という原則のことで、これは明らかに当事者公開原則を意味しているからである。インカメラ審理に関して、従来から問題視され、その多くを本件最高裁が指摘した個別具体的な諸問題
*26は、当事者公開原則に対する例外を認めた場合に発生する具体的問題を指摘したものに他ならない。特に、証拠調べにおける当事者の立会権は、それが認められなければ、中世的な秘密裁判への逆戻りになる点で重要な問題といえる。最高裁の指摘するこのような情報公開申立人の被る不利益を、このように憲法レベルの要求として捉える場合には、仮に立法が存在したとしても、例えば現在審査会レベルで認められているインカメラ審理規定をそのまま導入するような立法は、許されないことになる。なぜなら、裁判所の一方的判断で、情報公開申立人が証拠調べにおける立会権などの放棄を拒否している場合にまで、インカメラ審理を行うことが可能になってしまうからである。インカメラ審理は、情報公開申立人が、インカメラで審理されることから発生する不利益を承知の上で、その採用を裁判所に申し出た場合に限り認めるべきであり、申立人の反対を押し切って、裁判所が一方的にインカメラ審理を行う自由を肯定する立法は、違憲というべきである。
問題は、本件事件のように、情報公開申立人が積極的にその権利を放棄することを申し出た場合には、法的制度が無くとも、その放棄の自由を認め、現行情報公開法のように、インカメラ審理を認める規定がない場合にも、実質的インカメラ審理を行うことが可能な否かである。それによる不利益の発生を本人が甘受している以上、それを否定しなければならない理由はないと考えることもできよう。
しかし、否定的に考えたい。裁判の公開制度の目的は、当事者の司法に対する信頼と同時に、社会全体からの司法に対する信頼を、制度的に守ることにあり、決して訴訟当事者の私的利益の保護だけにある訳ではないからである。したがって、どのような場合にインカメラ審理が認められるかについては、きちんとした法的整備が必要と考える。
通常、インカメラ審理について論じる場合、憲法
82条だけではなく32条の保障する裁判を受ける権利と結びつけて、あるいはもっぱら32条の問題として議論する者が多い*27。本稿では、その点に関する議論に踏み込んでいない。それは、私がインカメラ審理に関しては、32条に関する議論は不要と考えているからである。その権利は、訴訟の両当事者に認められる以上、そこから原告のインカメラ審理を求める権利だけを選択的に導くことは、論理的に無理があると考えるからである。
注
in camera=法官の私室にて、という意味で使われる。語源的には裁判所だけが文書等を直接見分する方法により行われる非公開の審理を言うが、本文で後述の通り、情報公開審査会による非公開の審理もそう呼ばれる。日本では、インカメラ審理は
1998年施行の新民事訴訟法223条3項で初めて導入された。ただし、これは証拠調べそのものを非公開で行うのではなく、その採否を判断する手続きだけが非公開で行われるので憲法的な問題はないと考えられている。これに対し、情報公開法で問題となるインカメラ審理は、証拠調べそのものを非公開で行う点に、民事訴訟法などにおける制度との相違がある。 B規約とは通称で、正式名称は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」である。その19条2項は次のように述べている。芦部信喜は「民主国家における知る権利と国家機密」(ジュリスト507号)で、それを、明確に社会権と呼んでいる。 総務省が、2009年8月に明らかにした情報公開条例の制定状況調査結果によれば、2009年4月現在、都道府県と市区町村を合わせた地方公共団体全体(1847団体)のうち、1842団体が条例を制定しており、制定率は、99.7%となっている(前年度調査時:99.5%)。出典=http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/16773.html 本文では情報公開法の意義を、知る権利の具体化として説明した。ただし、立法者は、情報公開法1条の法の目的で、知る権利という言葉の使用を意図的に避けたという。その点について、注7に紹介する「考え方」は次のように説明する。 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
21条の保障する表現の自由はあくまでも自由権であってそのような請求権的なものは含まないと云う見解がある一方、『知る権利』をより広く自己情報の開示請求権を含めて考えたり、『知る権利』は憲法上すでに具体的な内容をもって存在する権利であるとする見解もある。また、最高裁判所の判例においては、請求権的な権利としての『知る権利』は認知されるに至っていない。 インカメラ審理に関する規定は、立法当初は情報公開法27条に定められていたが、現在は、情報公開・個人情報保護審査会設置法(平成15年法律第60号)の9条の定めるところとなっている。 行政改革委員会行政情報公開部会1996年11月発表の文書である。この「考え方」については、次のアドレスで読むことができる。 憲法
http://homepage1.nifty.com/clearinghouse/johokokaiho/bukai/kangaekata.html
8 考え方は、裁判所にインカメラ審理の導入を認めない理由について、次のように述べている(8 その他の検討事項、(2)司法救済上の諸問題、イ インカメラ審理その他の訴訟手続の特則について、より引用)。
松井茂記が説く説である。「裁判の公開と『秘密』の保護」という論文において、次のように言う(民商法雑誌106巻581頁より引用)。 この種の非公開審理手続については、裁判の公開の原則(憲法第82条)との関係をめぐって様々な考え方が存する上、相手方当事者に吟味・弾劾の機会を与えない証拠により裁判をする手続を認めることは、行政(民事)訴訟制度の基本にかかわるところでもある。
32条を、裁判所へのアクセスを保障しただけでなく、非刑事裁判手続きにおけるデュー・プロセスを保障したものと理解し、その一要素として実効的な救済を求める権利を内包するものと理解する立場に立ち、裁判を公開にすることが実効的な救済を不可能にする場合、原告は非公開審理を求める権利を主張しうるものと考える。従って、政府が国民の秘密を侵害し、その秘密に対して有する基本的人権を侵害している場合には、国民は憲法32条の下でその秘密について有する基本的人権の侵害に対して実効的な救済を求める権利を有しており、そこから非公開審理を求める権利が導かれると考えるべきである。 松井『情報公開法[第2版]』有斐閣2003年刊368頁は、現行情報公開法がインカメラ審理の権限を明記していない点について、次のように述べる。 本稿は、憲法
76条で付与された『司法権』に付随して当然インカメラ審査を行うことができるのであって、明文の規定がないことは、裁判所がインカメラ審査を行うことを何ら妨げるものではない。実際、アメリカでも、情報公開法はインカメラ審査を明記しているが、これはそれまで裁判所が行ってきたインカメラ審査を法律上明記してその活用を図るために明記されたに過ぎない。情報公開法にの中に明記されることが[それお積極的に活用させるために)望ましかったが、なくても裁判所は憲法上の権限により当然インカメラ審査を行いうるというべきである。 戸松秀典が説く説である。戸松は、本文に述べたことを前提に次のように説く(「裁判の公開と非公開文書の裁判」ジュリスト増刊『情報公開と著作権法』49頁より引用) 実はこれは何ら問題ではない。本来裁判所は憲法
82条が認めるところと解される。 2004年8月13日、沖縄県普天間基地を離陸したアメリカ海兵隊のCH53D大型輸送ヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学構内に墜落し炎上した。学生や住民に死傷者は出なかったが、校舎や駐車車両などが被害を受けた。事故直後、消火作業が終わった後にアメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・行政・大学関係者が現場に一切立ち入れなかった。さらに当該機のローターの氷結による亀裂・劣化の検出に安全装置として、ストロンチウム90という放射性物質が6個のステンレス容器に納められており、今回の事故で一つが機体の燃焼により損壊し、識別不可能になった。そのため、アメリカ軍は、機体ばかりでなく、土壌までも回収した。そこで、Xが「8月13日の米軍海兵隊に所属するヘリコプターが墜落する事故に関し米国政府との協議及び連絡の内容がわかる文書とその際の資料」の情報公開を求めた。外務省では多くの文書について不開示の決定をし、Xがこれに対して不服申立を行ったので、外務省では情報公開審議会に対し、諮問した(平成17(2005)年5月24日=平成17年(行情)諮問第245号)。情報公開審議会では一部開示をするよう答申した(平成17年8月9日(平成17年度)(行情))答申第236号)。そこで、なお残る不開示部分について訴訟を提起したのが、本件訴訟である。 福岡高等裁判所(平成20年(行タ)第3号)平成20年5月12日決定 (判例時報2017号28頁、判例タイムズ1280号92頁) これまで構築されてきた憲法秩序の下では、企業秘密、財産権よりも、知る権利を具体化するための権利である情報公開請求権の方が高い価値を持っているとされているのであるから、いくつかの裁判例で説かれているように、この権利の制限に対しては、裁判所は厳格な司法審査を行わなければならない。すなわち、情報公開請求権の保護のために厳格な司法審査を行う過程で、裁判所は、当該情報・文書を非公開で審理することができるのである。
ところで、この非公開審理は、傍聴人を法廷から排除して証拠調べを訴訟当事者と裁判官の間で行うという方式ではないことに注意しなければならない。非開示処分の対象となった、あるいは、開示の執行停止の対象となった情報・文書を裁判官のみが直接閲覧するという形の証拠調べである。この方式は、裁判官に与えられた裁量権の範囲内のものであり、その権限行使が公正な裁判を維持し、裁判への信頼を得るためであることは前述したとおりであり、憲法
なお、この原審判決に対する判例評釈としては、次のものがある。
31号35頁 平成21年1月15日最高裁判所第一小法廷決定(平成20年(行フ)第5号)(判例時報2034号24頁 、判例タイムズ1290号126頁) 渡井理佳子「季報 情報公開・個人情報保護」誌
なお、この決定に対する評釈としては次のものがある。
654号127頁 友岡史仁「法学セミナー」誌
鎌野真敬「ジュリスト」誌
1382号122頁渡井理佳子「季報 情報公開・個人情報保護」誌
34号28頁藤原淳一郎「自治研究」
85巻9号137頁(これは原審評釈も同時に行っている。) 法廷意見の関係する部分の全文を紹介すれば、次の通りである。訴訟で用いられる証拠は当事者の吟味、弾劾の機会を経たものに限られるということは、民事訴訟の基本原則であるところ、情報公開訴訟において裁判所が不開示事由該当性を判断するために証拠調べとしてのインカメラ審理を行った場合、裁判所は不開示とされた文書を直接見分して本案の判断をするにもかかわらず、原告は、当該文書の内容を確認した上で弁論を行うことができず、被告も、当該文書の具体的内容を援用しながら弁論を行うことができない。また、裁判所がインカメラ審理の結果に基づき判決をした場合、当事者が上訴理由を的確に主張することが困難となる上、上級審も原審の判断の根拠を直接確認することができないまま原判決の審査をしなければならないことになる。
このように、情報公開訴訟において証拠調べとしてのインカメラ審理を行うことは、民事訴訟の基本原則に反するから、明文の規定がない限り、許されないものといわざるを得ない。
法廷意見は、その表現から、インカメラ審理の導入が憲法82条に違反しているわけではない、と読めるというレベルにとどまる。これに対し、泉徳治判事及び宮川光治判事による補足意見は、いずれもインカメラ審理の導入は憲法82条に違反しないと明言している。 藤原淳一郎は、注14紹介の評釈中で、裁判所としての不利益の一つに、裁判所がインカメラ審理の結果知り得た情報をもとに、説得力ある判決がかけるか、という問題を指摘し、それについて、自身の川崎市公文書公開審査会委員としての経験から十分に可能であると論じられている点が興味深い(同書151頁)。 鎌野真敬は、注14紹介評釈中で、現行情報公開法に下においても、訴訟両当事者の合意の下での和解や争点整理のためのインカメラ審理であれば、許されるとしている。 泉判事は、その補足意見中で、このことを確認し「民事訴訟の基本原則に抵触するから、独り開示請求者が自分の権利を放棄すれば済むということにはならない。」と述べている。 芦部信喜『憲法』第4版岩波書店2007年刊337頁は、端的に「『公開』とは、まず傍聴の自由を認めることを意味する」と述べている。他の憲法教科書も、これほど端的でないまでも、同様の理解を示す。 レペタ事件=最高裁判所大法廷平成元年3月8日決定=最高裁判所民事判例集43巻2号89頁。米国人弁護士レペタが、法廷で傍聴中にメモをとることを禁止されたため、それにもとづく精神的損害に対し、国家賠償を求めた事件である。 佐藤幸治は「フランス革命前のアンシャン・レジームの下での秘密裁判を克服することを課題とした近代の公開・対審・判決という訴訟原理(公開即公正という発想)」だという(佐藤幸治『現代国家と司法権』有斐閣昭和63年刊434頁より引用)。 浦部法穂は、「本条1項の定める裁判の公開原則は、単に訴訟関係人を審理に立ち会わせるという意味の公開(いわゆる当事者公開)だけでなく、広く一般に公開すること(一般公開)を意味する。」(『注解法律学全集4 憲法W』青林書院2004年刊160頁より引用)と述べて、裁判の公開に、当事者公開と一般公開の二義があり、1項は、そのいずれも保障していることを認めている。 もちろん、82条1項における対審という言葉を「民事訴訟における口頭弁論手続および刑事訴訟における公判手続がこれに当たる」(芦部前掲書より引用)と厳格に制限的に解する場合には、証拠調べにおける立会までは含まないことになるので、当事者公開を82条1項で読むことはできない。その場合には、当事者公開の根拠は、司法に関する最上位規定である76条の司法権概念に求める他はない。しかし、82条の法意が裁判の公正の保障にあると考える場合には、対審をそのように制限的に解するのはむしろ憲法的整合性を欠くと考える。 レペタ事件判決は次のように述べている。「傍聴人のメモを取る行為についていえば、法廷は、事件を審理、裁判する場、すなわち、事実を審究し、法律を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現すべく、裁判官及び訴訟関係人が全神経を集中すべき場であって、そこにおいて最も尊重されなければならないのは、適正かつ迅速な裁判を実現することである。傍聴人は、裁判官及び訴訟関係人と異なり、その活動を見聞する者であって、裁判に関与して何らかの積極的な活動をすることを予定されている者ではない。したがって、公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べれば、はるかに優越する法益であることは多言を要しないところである。してみれば、そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。適正な裁判の実現のためには、傍聴それ自体をも制限することができるとされているところでもある」 北沢義博・三宅弘『情報公開法解説〔第2版〕』三省堂2003年刊158頁は、従来から指摘されてきた問題点として、次のように述べる。 1審で非公開の証拠調べをしたが判決で非開示決定処分をされた場合に、控訴理由の主張で、情報開示請求者は当該情報を知らないで十分な主張ができるのか、B判決の記載に当たり、裁判官が非公開の証拠調べに基づく事実認定について、果たして裁判官は説得力ある判決を下すことができるのか、C上級審裁判所は、原審でなされた非公開の証拠調べについての調書しか見ることができず、はたして原判決、特に新様式の判決書による原判決に対する十分な判断ができるのか、等の問題が提起されてきました。」 例えば、阿部泰隆『行政法解釈学1』有斐閣543頁は、次のように述べる。 「情報公開訴訟手続における上記インカメラ審理については、これまで@非公開証拠調べでは、情報開示請求者が当該情報を知ったうえで非公開自由該当性の反論・反証をする機会が失わせる、A第
「インカメラは、裁判の公開との関係では問題はないが、裁判を受ける権利との調整上、限定的に導入するべきである。インカメラで判断すると、外部にまともな理由を付けることは困難であるから、当事者が裁判所の判断を争うことは容易ではなくなる。したがって、インカメラは最後の手段とし、なるべくはインカメラに頼らずに判断すべきだということである。」
私見とは、インカメラ審理の持つ問題性については共通する認識といえるが、
82条ではなく、32条の問題と捉えている点で、顕著な差異を示している。