憲法の保障する人権と給付行政

日本大学大学院法務研究科教授 甲斐素直

[はじめに]

第一章 社会権ないし生存権的基本権の法的性格に関するわが国学説の状況

 一 生存権的基本権としての把握

  1 我妻栄の見解

  2 我妻説の学界における受け入れ

 二 社会権という理解について

  1 生存権的基本権の言い換え説

  2 抽象的権利説

  3 具体的権利説

 三 人権であることの否定説

第二章 社会権ないし生存権的基本権に関する判例の発展

 一 食糧管理法違反事件

 二 朝日訴訟

 三 堀木訴訟

第三章 社会権ないし生存権的基本権という理解の当否

第四章 社会権と給付行政

 一 社会権の具体化としての給付行政

 二 社会権の法的性格

  1 供給行政

  2 資金助成行政

  3 社会福祉行政

[おわりに]

 

[はじめに]

 本稿で問題にしているのは、憲法二五条から二八条までの一連の憲法条項で保障されている人権(1)と、給付行政との関係である。

 これらの条項が保障している人権については、現在のわが国では、大別して生存権的基本権と理解する立場と社会権と理解する立場の二つが存在する。そして、憲法学的に最大の論争点となっているのは、これらの人権の法的性格である。すなわち、プログラム規定なのか法的権利なのか、また法的権利と考えた場合、それは抽象的権利にとどまるのか、それとも具体的権利性を認めることができるのか、という論争である。

 この論争は長く、激しく展開されてきた。しかし、論争は、抽象的なレベルにとどまり、行政法学との関連を度外視しているために、現実から遊離した観念論と化し、不毛なものになっていると思われる。すなわち、通説的理解によれば、これらの人権の本質は国家に対する請求権なのであるから、当然、その請求権に対応した行政活動がなければならない。しかし、これらの人権の存在によって、現実の行政において保障されているのは、具体的にはどのような行政なのか、という視点が憲法学において欠落しているのである。

 私見によれば、これらの人権条項で保障されているのは、具体的には給付行政である。したがって、これらの権利の法的性格も、給付行政の内包しているものを考えることなしに決定することは不可能である(2)。結論的に述べるならば、社会権が全体として特定の法的性格を有するのではなく、給付行政との対応の中で、その法的性格は決まると考えている。

 以下、論じたい。

 

第一章 社会権ないし生存権的基本権の法的性格に関するわが国学説の状況

 一 生存権的基本権としての把握

  1 我妻栄の見解

 憲法二五条から二八条までの人権条項を、生存権的基本権という概念で統一的に理解すべきことを、わが国で最初に主張したのは、民法学者の我妻栄であった。昭和二三年に発表された「新憲法と基本的人権」という論文が、それである(3)。その中で、我妻は「一九世紀の憲法の基本的人権の内容は『自由』という色彩にいろどられている」のに対して「労働の能力と意欲を有するものはすべてのそれによって幸福な生存を保つことができるように、国家が特別の配慮をするということであるから、生命・自由・幸福追求物質的手段として『労働の権利』を保障する二〇世紀の憲法の基本的人権の内容は『生存』という色彩に彩られている」という質的差異がある。そこで「一九世紀の憲法の特色をなすものを『自由権的基本権』と呼び、二〇世紀の憲法の特色をなすものを『生存権的基本権』と呼ぼう」と主張した。すなわち二五条から二八条までを一括して「生存権的基本権」と呼ぶこととし、また二五条をその総論的規定と位置づけたのも、我妻をもって嚆矢とする(4)

 我妻の論文出現以前においては、たとえば美濃部達吉が受益権と分類していた(5)ことに代表されるように、当時の憲法学界は、これらの人権条項の真の意味を理解できないでいた。その中で、我妻栄は生存権的基本権という概念を明確に確立することにより、その説は一気に通説的地位を獲ち得たのである。

 その法的性格について、我妻は、

「生存権的基本権は、自由権的基本権のように、個人をもって国家と対立するものとは考えない。個人と国家とが有機的に結合した個と全との関係に立つものと考える。また、自由権的基本権のように、個人がそれ自らのための自由を有し、国家はただ外部からこれに対して最小限度の制限を加えることを任務とするものとは考えない。個人の自由は、国家全体とともに文化の向上に尽くすべき責任を伴うものであり、国家は個人の自由の発展のために積極的関与をなすべき義務を負うものと考える。」(6)

 また、生存権的基本権の法的性格としては、プログラム規定とした。すなわち、

その実現は常に「政府が、財政その他とにらみ合わせて、攻究立案しなければならないものである。そして、そこに、政府の政策の特色がありまたその責任がある。もし、これを裁判所が決定して政府に強制してやらせることになれば、行政は司法の手に移ることになり、責任内閣制は破れることになる。のみならず、『生存権的基本権』の実現のためには、法律を作ることを必要とする場合が非常に多い。その場合に、国会が必要な法律を作らないからといって、裁判所が代わって法律を作ったり、国会に命じて法律を作らせたりすることができるものとなす事は、到底許されないことである。なぜなら、立法と司法の分立が破れるだけでなく、国会が国権の最高機関であることも否定されることになるからである。」(7)

 この、我妻が発見した生存権的基本権という概念の特徴は、一つの権利が、国務請求権的側面と自由権的側面という二つの側面を持つと考える点にある。

 すなわち、第一の国務請求権的側面では、「これらの権利は、いずれも国権の積極的な関与によって保障されている。」(8)。しかし、「国家が右の責務を等閑に付し、必要な立法や適当な施策をしないときには、国民はこれを要求する方法はない」(9)とされるのである。換言すれば、この側面はプログラム規定にとどまり、法的権利性を持たないと考えるわけである。

 これに対して、第二の自由権的側面では、「国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすときは、その立法は無効となり、その処分は違法となる」(10)と考えるのである。したがって、その限度で法的権利性を有し、しかもそれは具体的権利性であると考えるわけである。このように国家による生存権的基本権の侵害行動は違憲とされる結果、労働基本権の行使に対する刑事制裁に対しては、裁判所は違憲、無効とすることができる。同様に、個人による生存権的基本権の侵害も違憲となるから、雇い主と労働者の契約又は労働協約が労働者の団結権を妨げたり、公民権の行使を困難ならしめるような内容の時にも、裁判所はそれを無効とすることができる。すなわち、生存権的基本権の自由権的側面は私人間効力の否定される典型的な自由権と異なり、私人間に直接適用のあることが承認される。

 

  2 我妻説の学界における受け入れ

 上記我妻の主張を、憲法学界で直接的に継承して論じたのは法学協会編の『註解日本国憲法』(11)であり、その後においても、佐藤功(12)などに継承されている。また、労働法学界においては、石井照久(13)、石川吉右衛門(14)等がこれを継受した形で労働権を論じており、同学界においては今日においても通説的理解ということができるであろう。

 二 社会権という理解について

 これに対して、憲法学の分野では、我妻の認識の画期的な意義は認めつつも、それとは一線を画した社会権という概念に属すると認識する者が現れるようになってきた。このように、生存権的基本権という理解に変えて、社会権という理解が現れた大きな原因は、戦前よりのドイツ法継受の伝統の中で社会権(Sozialrechte)という概念が受け入れやすかったという点が大きいと思われる。社会権という認識に立った場合にも、その権利の内容に関する見解はかなり多岐に分かれている。

  1 生存権的基本権の言い換え説

 もっとも単純な形態としては、我妻栄の創称になる生存権的基本権の概念内容をそのまま維持し、単に名称だけ社会権と称する者である。このような見解を示す者は、初期の時代から今日に至るまで一貫して存在している(15)

  2 抽象的権利説

 生存権的基本権説とは内容的にも一線を画した概念として、社会権という用語を使用するのが、もちろん学説としては主流である。その場合には、法的権利性を承認するのが通常であるが、抽象的権利と考え、国家に対して立法を請求する権利とは考えても、裁判において争い得る権利とは考えないとする者が多い。ただし、その内容においては、時期により、また人により、大きな差異を示している。

 たとえば、宮沢俊義は次のように述べた。

「憲法上、国民の利益にまで、ある種の国法の定立(処分を含む)が要請される場合がある。たとえば、勤労の意欲のある者には適当な職を与えるような国法を定立することが、憲法上、立法者の義務とされる場合は、これである。ここでは、国民は、国法に対して、積極的な受益関係に立つことができる。ここでも、国民は、国法の利益を受ける地位にあるが、(消極的な受益関係とは違い)、それは、積極的に国法を定立することが義務づけられている結果である。国民のこのような地位を社会権と呼ぶことにする。」(16)

 宮沢俊義は、この記述に引き続いて、次のように、美濃部説を批判する形で、社会権の具体的権利性を否定すると明確に述べている

「社会権は、ときにイエリネックのいう積極的な関係における権利ー受益権とか積極的公権と呼ばれることがあるーと同じ性質を有すると説かれることがあるが、それは正しくない。イエリネックのいう積極的な地位における国民は、国家の具体的な行動に対する請求権を有するのであるが、ここにいう社会権は、そういう具体的な請求権を含むものではない。」(17)

 したがって、ここにいう社会権の法的効果は、結局、生存権的基本権の国務請求権的側面と変わらないことになる。

 田上穣治は、より端的に、社会権は法制の保障、すなわち「その内容は実定法によって定まり、ただ憲法の保障する基本的性格が立法権を拘束するに止まる」(18)結果、社会権の個人権としての機能は、立法を停止条件としてのみ認められると説く(19)

 清宮四郎は最初期においては美濃部説を受けて受益権と把握していたが、その後社会権と把握するようになる。その社会権の性格は、基本的には宮沢と同一であるが、受益権との相違において、「社会権は、国民の請求を待たずに、国家によって進んで実現されるべきものであり、また、直接に国民生活の向上を目指す権利であるとする(20)ため、例えば生存権は直接に通用する法として、立法、行政及び司法を拘束する規定と把握し、それに対応して「国民は生活の保障を受ける権利を有する」(21)ので、請求権としての機能を持つことになる。

 佐藤幸治は、基本的分類として宮沢の社会権概念を使用しつつ、社会権の本質的属性は国民が「国家権力の存在を前提として、そうした権力を自らの手におさめ支配しあるいはそれを利用しようとする」(22)点にあると理解する結果、社会権を基本的には抽象的権利として把握しつつ、我妻の自由権的側面を認めることになる。労働基本権についても、社会権としての性格から当然に刑事免責などの効果が導かれる(23)

 芦部信喜は、個人的請求権としての面があることは承認する。ただ、自由権を不作為請求権(権利の行使を妨げる国の行為の排除を請求できる権利)、社会権を作為請求権(国に対して積極的な作為を請求する権利)と、単純な構造で理解する。この結果、我妻説の場合には、生存権的基本権の典型と理解される「労働基本権に至っては、歴史的に見ても、自由権(結社の自由、言論表現の自由など)がその基礎に存する点で、社会権の中でももっとも自由権的性格が強い」(24)というように、完全に原則と例外とが逆転した形での理解が行われることになる。戸波江二の場合にも芦部信喜と同じように、自由権を不作為請求権、社会権を作為請求権として理解する(25)。その結果、労働基本権などについても同様の見解を示す(26)

 この用語法には批判も強い(27)。しかし、今日もっとも支持を集めている用語法ということができるであろう。その簡明さは非常に魅力的である。

 なお、この抽象的権利という理解の場合でも、我妻説にいう自由権的側面、すなわち、国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすときは、その立法は無効となり、その処分は違法となるという点に関しては、一様に承認している。

  3 具体的権利説

 このように、通説が抽象的権利という限度で法的権利性を承認しているのに対して、これを具体的権利として構成しようとする試みが生ずるのは、学説の発展という観点から見れば当然の結果である。その代表を大須賀明に見ることができる(28)

 抽象的権利説と大須賀における「具体的権利説」との相違はただ一点に過ぎない。それは、本条を具体化する立法が存在しない場合においても、国の不作為の違憲性を確認する訴訟を提起できるか否かである。大須賀明は、第一に、形式的根拠として一三条の幸福追求権に対する立法の尊重義務の存在を指摘する。特定の歴史的社会的条件の下においては本条の健康で文化的な最低生活という概念は絶対的確定が可能であると主張し、そこから立法の不作為の場合に国会の作為義務を認める。第二に、プログラム規定説及び抽象的権利説が問題としていた予算の裁量性については予算の法規範性から、通常の法律と同視し得るものと主張し、司法審査の対象となり得ると結論する(29)

 これを徹底していくと「言葉通りの意味」における具体的権利性を承認する立場が現れてくる。棟居快行はその代表である(30)。抽象的権利にとどめるべきだとする論拠を一つ一つ検証することにより、「『健康で文化的な最低限度』を下回る特定の水準については、金銭給付を裁判上求めることが可能である」との結論を導いている。長谷部恭男もこれに賛同して、「抽象的権利説に基づいて司法の介入を求める手がかりとなる具体的な制度が存在しない場合には、この『ことばどおりの意味』における具体的権利説がその役割を発揮する余地がある」と主張する(31)

 

 三 人権であることの否定説

 一般的行為自由説を採用する阪本昌成は、自由、すなわち国家の不作為を通じて保障される消極的な自由によって支えられるものだけを人権と称すべきことを主張する。このようなスタンスに立てば、二五条以下の権利が人権であることを否定するのは必然の結論ということになろう。

「この立場からすれば『生存権』を中心とする『社会権』は、一定の資格・身分を前提としてはじめて保障される権利である以上、人権ではなく、憲法典上の権利または制度化された権利である、と位置づけられることになる」(32)

 この考え方の場合にも、類型的にはプログラム規定説的理解となるのではないかと思われる。ただし、阪本昌成自身は、プログラム規定か否かという論争を詳細に紹介しつつ、それよりも二五条がどの程度立法裁量を拘束する法力を持つか、という視点を問うことの方が有益であるとする(33)

 本稿で、人権の基礎理論を論ずる余裕はないので、ここでは簡単に、私は基本的に人格的自律説を一応妥当と考えており、その意味で、この阪本説には与しないと述べるにとどめる。したがって、次章以下で論ずる私見では、この第三の立場については特段の論及はしないこととする。

 

第二章 社会権ないし生存権的基本権に関する判例の発展

 こうした学説の推移に大きな寄与を行ったのは、最高裁判例の変遷である。すなわち、慎重な学界に対して、むしろ常に新しい観点から、生存権的基本権の積極化を推し進めたのは、最高裁判所ということができる。次に、その代表的な判例の変遷を追ってみよう。

 

 一 食糧管理法違反事件

 二五条に関する最初の最高裁判決は、食糧管理法違反という刑事事件に関する事件である(34)。被告側は、食糧の没収は生存権の否認であると主張したのに対して、最高裁はそれを退けたのであるが、理由は次の二つである。

 第一に「国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するものではない。言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。」

 第二に「国家経済が、いかなる原因によるを問わず著しく主要食糧の不足を告げる事情にある場合において、もし何等の統制を行わずその獲得を自由取引と自由競争に放任するとすれば、買漁り、買占め、売惜しみ等に依って漸次主食の遍在、雲隠れを来たし、従ってその価格の著しい高騰を招き、ついに大多数の国民は甚だしい主要食糧の窮乏に陥るべきことは、識者を待たずして明らかであろう。」

 この判決は、一面で上記我妻説を受け入れ、生存権という新しい概念を認めたという点で画期的であった。しかし、同時に、その自由権的側面での問題であるにも関わらず、生存権に具体的権利性を否定した点で我妻説に反するものであり、問題あるものであった。

 

 二 朝日訴訟

 最高裁判所は、朝日訴訟において、原告朝日茂が上告前に死亡していたため、生活保護請求権の一身専属性を理由に請求を退けたが、それにも関わらず「念のため」と称して、非常に詳細に憲法判断を示した(35)。その中で、食糧管理法最高裁判決を先例として宣言した後、次のように述べた。

「健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」

 ここでは、後半の「ただ」以下の部分で、我妻の自由権的側面も明確に述べており、全面的な我妻説の受け入れと考えて良い。

 

 三 堀木訴訟

 堀木訴訟においては、最高裁判所は、前記昭和二三年の食糧管理法判決を再確認した後、次のように述べた。

「憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。しかも、右規定にいう『健康で文化的な最低限度の生活』なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがつて、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄である」(36)

 この判決を、プログラム規定説と読んだり、抽象的権利説と読むのは誤りと考える。なぜなら、ここでは立法裁量が濫用された場合には、こうした立法が司法審査の対象となるということを明言したからである。そもそも立法裁量とは、「裁判所が法律の合憲性の審査を求められたとき、立法府の政策判断に敬意を払い、法律の目的や目的達成のための手段に詮索を加えたり裁判所独自の判断を控えること」をいう(37)。要するに、本来は司法審査可能な問題についての裁判所の自制が、この理論の根拠なのである。したがって、立法裁量が問題になった段階で、すでに司法審査の対象となっているということができる。そして、この判決では、その立法裁量が著しく合理性を欠く場合に、司法審査が可能であることを宣言しているのである。

 すなわち、そのような場合には具体的権利性を承認したものと読むのが正しいと考える。この結果、憲法訴訟論の発展により、判例は、少なくとも堀木訴訟のような類型においては、抽象的権利説の段階を飛び越して、具体的権利説に入ってきたと評価することができるであろう。

 

第三章 社会権ないし生存権的基本権という理解の当否

 以上に、ごくかいつまんだ形で二五条以下の条文の解釈を巡る学説の対立及び判例の流れを紹介した。以下に、こうした学説・判例の問題を検討したい。

 私見によれば、ここでもっとも問題なのは、実は、それらを生存権的基本権と理解するべきか、社会権と理解するべきかという点に関して、本質的な議論が行われないままに、憲法学の領域では、今日においては漠然と社会権という用語を使用するのが一般的になっている点であると思われる。

 私は、かつては我妻栄の議論に魅力を感じ、生存権的基本権という用語を使用するのが妥当と考えていたことがある(38)。しかし、その後改説し、社会権という用語を使用することが妥当と考えて今日に至っている。

 その理由については、本来は一つの論文として詳述すべきであろうが、本稿は、次節にのべる社会権と給付行政の関連を述べることを目的とするものなので、ここでは単に結論のみを述べたい。

 私見に依れば、生存権的基本権という理解の持つ、もっとも危険な点は、国務請求権的側面と自由権的側面の二面性を有する権利と理解する点にある。このように権利のあらゆるレベルで二面性を肯定するときは、どれほど個人の自由を尊重するべき場面においても、国務請求権としての側面に応えるという形で国家による介入が可能になるからである。自由権と社会権は、国家に対する不作為請求権対作為請求権として截然と区別するべきであり、自由権が支配していると認められる領域においては、国家の作為義務を肯定するのは誤りと考える。その結果、社会権と理解する場合には、基本をなす自由権から、社会権への転換が、どの段階で発生するかが重要な問題となるのである。例えば、教育権(二六条)においては、基本としては教育の私事性(私教育)が存在し、その私事性が支配している限りにおいては、国家による介入は許されない。しかし、私人の力では十分な教育を行うことが不可能になるに及んで、自由権は社会権に転換し、公教育の必要が叫ばれることになるのである。

 

第四章 社会権と給付行政

 一 社会権の具体化としての給付行政

 行政庁が、行政活動を行うことが許されるのはなぜだろうか。わが国の公法学では、従来その点を特に問題にしてこなかったように思われる。オットー・マイアが、行政法教科書第三版の序文で、帝政から共和政へという憲法レベルで劇的な転換があったにもかかわらず、行政法教科書は、単なる改訂でよいとした姿勢の背後には、行政庁が行政活動を行うにあたり、憲法が影響を与えることはない、という確信があると思える。

 しかし、それは誤りであろう。基本的に、行政は国家意思の具体化であり、国家意思とはすなわち主権者の意思である。

 したがって、天皇主権を定めた憲法の下においては、行政は天皇の意思の具体化という形で、天皇の要求に応える形に展開される必要があった。天皇制下の行政が、警察行政や租税行政に代表される侵害行政に限られていたのは、天皇の意思と、一般人民が交錯する場面は、天皇制下においては、それしか存在しなかったからに他ならない。

 これに対し、国民主権を謳った憲法の下においては、行政は、国民の要求を満たす形に展開されなければならない。国民主権体制の下における主権者たる国民は、抽象的な概念であって、天皇のような具体的存在ではないから、その意思は、憲法の保障する人権という形でのみ知りうると考える(39)

 フォルストホフは、現実に展開されている行政を研究し、そこに従来の侵害行政とまったく異なる理念に支配された行政類型を発見し、これを給付行政(Leistungsverwaltung)と名付けた。そして、この給付行政を支配する理念として生活配慮(Daseinsvorsorge)を主張した(40)

 このことを憲法的に見るならば、国民には、国家に対して生活配慮を要求する権利があり、この国民の要求を満たすために行われるのが給付行政である、ということができる。そして、この国家に対する生活配慮請求権を、我々憲法学者は社会権と呼んでいると理解することができる(41)

 フォルストホフ自身は最後までこの生活配慮と社会権との関連に気がつかず、また、ドイツ公法学は、社会権の具体的権利性を認識しなかったから、ドイツでは、一部少数説をのぞき、給付行政と社会権を結びつけた議論が発展することはなかった(42)。これに対して、わが国憲法学は今日においては、前述のとおり、一般に社会権の法的権利性を認めているから、このことは当然のことと受け取ることができると考えられる。しかし、あまりに当然として理解されたこと及びわが国においては、憲法学と行政法学を関連づけて議論することがあまり無いことから、やはりこの領域の議論は豊かなものとなっていない。

 以上に述べたように、社会権の要求に基づく行政活動を給付行政と考える時、そこでもっとも重視するべきは、それに基づき、国に課される義務の広汎性である。給付行政は一般に供給行政、資金助成行政、社会福祉行政の三つに区分される。簡単に概念内容を紹介すれば、次の通りである。

@ 供給行政

 これを目的とする行政は、他の言葉でいうと、社会の基盤構造の整備行政である。したがって、予算総則において公共事業と言われる活動の多くを含んでいる。すなわち、健康な生活の基盤としての電気、ガス、上下水道、塵芥処理等の施設整備、文化的生活の基盤としての学校、公民館、図書館、公会堂、電話、郵便、テレビ、ラジオ等の施設整備、経済活動の基盤としての道路、鉄道、港湾等の施設整備や登記、登録、手形・小切手等取引の安全保護制度整備、安全な生活の基盤としての治山、治水事業ないしは労働、農水省等による保安監督制度整備等である。

A 資金助成行政

 これは経済的弱者保護のために国が直接国民に資金を供給するもので、補助金の交付、資金の貸付、出資、債務保障等の形態で行われる活動である。

B 社会福祉行政

 これを目的とする行政は、生活保護、社会福祉、社会保険、保険衛生、失業対策等である。憲法二五条二項がこの領域について特に言及しているため、朝日訴訟、堀木訴訟その他、生存権関連の判例の多くがこの領域に集中している。

 これらは何れも大変な費用がかかる事業である。毎年度の国の一般会計を見ると、社会保障関係費、公共事業関係費、文教関係費はいずれの年度でも、防衛関係費を大幅に上回っている。実は、防衛関係費のかなりの部分も、例えば基地周辺対策事業のように給付行政的な機能を持っており、同様にこれら以外の細かな支出の中にも給付行政は隠れている。

 また、特別会計のほとんども給付行政の一環と見ることができ、公庫、公団、事業団の活動のほとんども該当し、さらにNTTやJR、NHK、電力会社、ガス会社等の公企業の活動はすべてがこれに該当し、最後に地方公共団体の負担分が上乗せになるのであるから、全体としての支出はちょっと見当もつかないほど巨大なものだと言うことができる。国ないし地方公共団体が徴収した税金のほとんどが、この分野で使用されているということが判るであろう。さらに、民間で行われているこの種事業に許認可等を通じて適切な監督を行うことにより、民間資本までもこの分野の国の活動の中に実質的に取り込んでいる。そうしたことを考えると、その割合は、現実のわが国行財政活動のおそらく九九%以上に達する。

 以上の諸活動のうち、教育と労働については憲法が個別の根拠規定をおいているが、それ以外のものは特に規定はないので、いずれも二五条の保障対象として読むべきことになる。ややもすると、二五条の対象を、社会保障行政、特に生活保護行政に限定して考える傾向を顕著に示す場合がある(43)が、誤りと考える。

 

 二 社会権の法的性格

 給付行政は、前節に述べたとおり、巨大かつ複雑多岐に渡る活動である。その根拠が社会権にあると考える場合、そのすべてが同一の法的性格を持っている、と考えるのは合理的判断とはいえない。

 ここでもう一つ考えておかねばならないことが、社会権全体の中に占める憲法二五条の意義である。それは、総論規定であり、社会権における無名基本権規定であると一般に解されている。すなわち、自由権において憲法一三条が占めるのと同じ地位を二五条は占めているのである。

 憲法一三条の幸福追求権については、伊藤正己のように、一三条のみからは客観的な基準を読み取ることはできないから、抽象的権利性しか認められず、その具体的実現は法律に待たなければならない、とする説もある(44)。しかし、通説的には、むしろ一三条から具体的権利性を引き出しうる場合があるとする。引き出す手段を巡って、人格的自律説と一般的行為自由説が対立していることは、一般に知られているとおりである。

 このような一三条における議論と比較してみると、二五条の解釈に当たり、通説が、かたくなに具体的権利性が認められる場合を一切否定するのはおかしいと言える。近時の学説が棟居快行や長谷部恭男に代表されるように、具体的権利性を承認する方向に動いているのは、その意味で当然である。

 同時に、一三条の議論でも、例えば情報公開請求権については、一般に抽象的権利性が認められるにとどまり、その具体的実現は情報公開法の制定に待たなければならなかったことにしめされるとおり、一律に具体的権利性が承認されるわけではない。まして、先に述べたとおり、給付行政に属する活動はきわめて広汎であるから、その全体について一律に、その性格を決定することはできないと考える。

 具体的な立法や行政が存在する場合には、その合憲性の判断にあたって、社会権が具体的な司法審査基準として機能することについては、異論がない。これに対して、そうしたものがない場合には、個々の場合に応じて、その法的性格については、結論が異なるものと考えるべきである。

  1 供給行政

 この分野の典型というべき社会的基盤整備事業では、施設や制度の積極的な設置要求権が、個々の国民の主観的権利とが認められることは通常は考えられない。どのような法律や行政があるべきだということさえも、一義的に決定できる場合は少ないので、指導理念的ニュアンスが強い。その意味で、この分野での国民の権利は原則としてプログラム規定的に理解する他はない。

 例えば、第二次大戦直後の国家全体がきわめて窮迫している状況下では、生存権を文字通り実現することは不可能であった。国家になし得る最大の努力は、生存権を実現する方向に向けてのための努力に過ぎない。その意味で、その当時においては食糧管理法違反事件判決が述べたとおり、プログラム規定と解するのが妥当である。

 こうした問題は、決して戦争後のような非常事態の場合にだけ発生するのではない。今日においても、例えば全国の高速道路網が整備されれば、それにより個々の国民の生存権がより充実されることは明らかであるが、だからといって主観的公権として、高速道路整備請求権を考える余地はないであろう。

 もちろん、そうした供給行政のあり方が、我妻がいうところの「国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすとき」に該当する場合に、具体的権利性が承認される場合が出てくるのは当然である。空港の騒音訴訟や水俣病事件などはこの範疇に属する。また、国家賠償法のおいた特別規定に依存しているが、国の不作為を問題にできるものとして、国道や河川管理の瑕疵に関する訴訟がある。

  2 資金助成行政

 この分野では、国の政策的裁量の幅が非常に大きいので、一定の作為義務を一意的に想定しうる場合はまず考えられない。しかし、同時に、その裁量の範囲内において適切な立法及び行政を行う義務が認められるべきである。例えば、憲法二六条に基づき個々人は主観的公権として教育を受ける権利を有するから、経済的理由に基づき、その権利の実現が阻まれる場合に、奨学金その他の適切な資金助成を受ける権利があるというべきである。したがって抽象的権利性が、この領域では一般に考えられることになろう。

  3 社会福祉行政

 この分野では、その対象者が社会的弱者に限定されるため、一意的に国の作為義務の内容を具体的に決定することができる場合が多い。すなわち具体的権利性が承認される場合が多い。ただ、裁判所として必ずしも常に権利者を救済できるわけではない。なぜなら、「現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とする」(45)という高度の技術能力を裁判所が保有していないためである。

 従来、プログラム説から具体的権利説に至る学説の対立においては、その結論が、裁判所が最終判決を下すか否かを必然的に決定すると考えていた嫌いがあった。例えば我妻は請求権的側面は「政府が、財政その他とにらみ合わせて、攻究立案しなければならないものである」から「裁判所が決定して政府に強制してやらせることになれば、行政は司法の手に移ることになり、責任内閣制は破れることになる。」と述べていたことは先に紹介したとおりである。この理屈でいえば、国家賠償は常に国の財政に影響を与えるおそれがあるので、判決が下せないことになる。しかし、今日の憲法訴訟理論の下では、そのような硬直的な構造を考える必要はない。

 この分野において、国の財政等との関係で、判決を左右するのは、非政治性を基調とする裁判所の司法審査権の自制の必要性である。それは、場合によっては政治性であろうし、場合によっては高度の行政技術性であろう。特に、その権利主張が肯定されると、社会的、財政的影響がきわめて大きい場合(例えば個々の国民の負担税額にも影響が出るような場合)には、その政治問題性から、請求を却下するべきであると考える。すなわち、わが国財政構造の基本に影響を与えるような大規模な支出の命令は、いかなる意味においても司法権の限界を超えているということである。

 しかし、そうした司法権の自制により、権利の性質が変動することはあり得ない。自制説が適用される領域では、具体的権利性を承認しうる場合が増加すると考えるべきである。そして、ここにいう具体的権利性とは、棟居快行のいう文字通りの意味の具体的権利性と考える。ただ、司法審査に当たっては、狭義の合理性基準を妥当とするべきであろう。

 このように給付行政の領域と社会権とが対応関係に立つと把握する場合には、従来の憲法学の議論のように、社会権の権利としての性質が、一律に決定されるという把握そのものが実は問題であるということができる。

 

[おわりに]

 私の給付行政法との出会いは、畏友村上武則教授との出会いと同義である。ドイツのフライブルク大学で、一九七九年夏のことであった。その当時、私は駆け出しの会計検査院調査官で人事院給費留学生としてその地にあった。他方、村上教授は広島大学の少壮の助教授で、フンボルト留学生としてその地にあったと記憶している。初めてお会いして互いに簡単に自己紹介した時、教授は「行政法を担当しています」といわれた。私が「行政法といっても広いですが、専攻はどの領域ですか」と尋ねたところ、「給付行政です」と返事をされた。

 その瞬間まで、実は、私は給付行政という言葉を聞いたことがなかった。これはもちろん私が行政法に関して不勉強だったせいであるが、少なくとも学部学生レベルであれば、責められるほどの不勉強ではない、と思いたい。なぜなら、私が学部で受講時に読んだ川西誠先生の『行政法総論』(評論社)にも、公務員試験受験時に基本書として使った田中二郎先生の『行政法』(弘文堂)にも、この言葉はなかったからである。

 にもかかわらず、その言葉を聞いた瞬間に、私は直感的にその語義を理解していた。そして、反射的に「私も同じです」と返事していた。この給付行政という言葉が、私の積年の疑問を一挙に解決するものであることを、理屈抜きに感じたからである。今も残念ながらあまり変わらないが、私が学部学生として習った行政法学は、行政行為概念を中核にしたものあった。これは、いうなれば侵害行政を中心に築き上げられた理論体系といえる。ところが、会計検査院で私が現実に検査対象としていた行政は、そのほとんどが国民に対するサービス活動であった。すなわち、行政法は、現実の行政を法理論的に説明する能力をほとんど有していないと痛感していたのである。当時から、将来は大学で教鞭を執りたいと志していた私としては、この理論と現実のギャップの解決ないし止揚ということも、ドイツ留学の目的の一つとして考えていた。だからこそ、給付行政という言葉を聞いた瞬間に、私が現場で見聞きしてきた行政活動は、まさにこの語で表現される概念であることを理解できたのである。以後、今日に至るまで、私は給付行政と憲法の関連に強い関心を抱き続けている。本稿は、その一端を述べたものである。教授は、私にこの大事な給付行政という概念そのものを教えてくださった恩人である。

 目的の一つと書いたが、ドイツ留学における私の最大の目的は、会計検査院に代表される財政監督という国家活動に関する法理論体系の構築であった。学問的レベルのそれが、当時の日本では全く存在していなかったからである。同時に、私はそれが私一人の非力で解決できる問題ではないことも理解していたから、誰かこの問題に関心を持つ学者を是非見つけたいと考えていた。だから、私は教授が給付行政を専攻しているという言葉を発した瞬間に、「最高の人材を発見した!」と考えたのである。以後、二年間の留学期間中、折あるごとに財政監督法が給付行政法の一翼を担うものであることを説き続けた。ありがたいことに、教授は大いに関心を持ってくださり、たとえばその主著『給付行政の理論』(有信堂、二〇〇二年)では、四部構成の書の第四部は給付行政の財政的コントロールの問題に向けられている。

 こうして振り返ってみると、私のドイツにおける最初の在外研究は、教授と知り合った瞬間に、その成功が約束されたといえる。その大恩ある教授の還暦記念論文集に、こうして寄稿できたのは私の大いに光栄とするところである。

 

 

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(1) 鵜飼信成を代表に、二五条から二八条までに加え、二二条、二四条及び二九条の権利も含めて全体として把握する学説は、今日でもの支持者がいるが、本稿ではその点を論点としないので、この説との差違は論じない。

(2) 給付行政と社会国家との関係、あるいは給付行政と社会権の関係については、村上武則『給付行政の理論』(有信堂、二〇〇二年)の「第二部給付行政の憲法的基盤」において詳述されているところである。しかし、残念ながら、そこで紹介されているのは、ボン基本法の下における概念であって、わが国現行憲法の下における解釈論ではない。ドイツにおける議論と、わが国のそれの今日における決定的な相違点は、わが国では、社会権を主観的権利として把握するのに対して、ドイツにおいては今日においても一般的に否定的である点にある。そのため、ドイツにおける議論を参照してわが国憲法学上の議論を展開するには、一定の限界が存在するのである。

(3) ここに言及した我妻栄の論文は、我妻栄著『民法研究[ー憲法と民法』(有斐閣、昭和四五年)に収録されている。すなわち、昭和二三年に発表した「新憲法と基本的人権」につき、同書八九頁以下、昭和二九年に発表した「基本的人権」につき、同書五七頁以下参照。本文では、基本的に二三年の第一論文によりつつ、必要に応じて二七年の第二論文からも引用している。

(4) ワイマール憲法以降に新しい種類の人権が認められるようになったこと自体は、広く認められていたが、それに特定の名称は与えられていなかった。「例えば、スティーア・ゾムロは、従来の基本的人権を『自由権』ー『個人自治と自由主義の承認』といい、ワイマール憲法の新しく認めたものを『民主主義的・国家主義的・社会主義的理念によって認められた、その他の人権』等と総称しているに過ぎない。」我妻前掲書一一三頁より引用。

(5) 美濃部達吉『日本国憲法原論』一八一頁(有斐閣、昭和二三年)以下参照。そこでは、「受益権の種類は国法の定むる所に依るもので、自由権のごとき包括的な単一の権利ではなく、各個の法律の定むる所により各種の内容の個々の権利を享有するのである」として、具体的には、栄誉権、請願権、国家賠償請求権、裁判を受ける権利、損失補償請求権と並べる形で、生活を営む権利、教育を受くる権利、勤労の権利の三つの権利をあげている。

(6) 我妻前掲書一七五頁より引用

(7) 我妻前掲書一八七頁より引用

(8) 生存権的基本権の国務請求権的側面に関する説明は、我妻前掲書七二頁より引用。

(9) 生存権的基本権の国務請求権的側面の持つ具体的権利性に関する説明は、我妻前掲書八五頁より引用。

(10) 生存権的基本権の自由権的側面の持つ具体的権利性に関する説明は、我妻前掲書八五頁より引用。

(11) 法学協会『註解日本国憲法』四八七頁(有斐閣、昭和二八年)以下参照。特に四八九頁に「単なる自由権とは異なる、より積極的な意味内容をもった、すべての国民の国における基本的な地位として、これを国民の基本権の一とすることは、もとより正当なことである。のみならず、いわゆる自由権と区別し、いわゆる『経済的基本権』乃至は『生存権的基本権』とも称すべきものである。」と述べて、この見解を明らかにしている。

(12) 佐藤功『日本国憲法概説』一八八頁(学陽書房、昭和三四年)以下参照

(13) 石井照久『労働法総論』二七二頁(有斐閣法律学全集四五巻、昭和三二年)参照。

(14) 石川吉右衛門『労働組合法』九頁(有斐閣法律学全集四六巻、昭和五三年)以下参照

(15) 社会権という用語を使用しつつ、実質的には生存権的基本権の別の名称として把握している立場の近時の例としては、佐藤幸治編著『憲法U』(成文堂、一九八八年)における山口和秀がある。そこでは、明確に社会権の別の名称として生存権的基本権をあげ(同書三七五頁)、かつ、社会権に自由権的側面が存在することを強調している(同書三八一頁)からである。しかし、社会権という用語の通説的理解が、自由権と截然と二分される異質な権利という理解、すなわち、社会権に自由権的な側面は存在しないと理解している点は、同書も承認しているところである。私はこのような場合における社会権という用語の使用には反対である。このような立場による場合には、我妻のオリジナリティを尊重し、生存権的基本権の語を使用するべきだと考えるからである。

(16) 宮沢俊義の社会権に関する記述は、宮沢俊義『憲法U』九〇頁(有斐閣法律学全集四巻、昭和三四年)より引用。

(17) 宮沢俊義『憲法U』新版九二頁(有斐閣法律学全集四巻、昭和四九年)より引用

(18) 田上穣治『憲法撮要』八二頁(有信堂、昭和三八年)参照。

(19) 田上前掲書九四頁参照

(20) 清宮四郎『憲法要論』全訂版九七頁(法文社、昭和三六年)参照

(21) 清宮前掲書一三九頁参照

(22) 佐藤幸治『憲法』第三版四〇八頁(青林書院、平成二年)以下参照

(23) 佐藤前掲書六三二頁参照

(24) 芦部信喜『憲法学U』八三頁(有斐閣、一九九四年)参照

(25) 戸波江二『憲法』新版三〇〇頁(ぎょうせい、一九九八年)参照

(26) 戸波前掲書三一六頁参照

(27) たとえば、内野正幸は「社会権のうち労働基本権が狭義の受益権と同じ意味で国家の作為を求める権利といえるのか、という疑問が生ずる」と批判する。そしてこれに対して、必要にして適当な立法を国に請求する権利と説明した場合には、労働権それ自体が作為請求権として捉えられているわけではない、と再批判する。さらに労働法が現に存在している状況下で、労働基本権を国家のいかなる作為を求める権利と捉えているのか、という問題が残るとする(内野『社会権の歴史的展開』四頁(信山社一九九二年)以下参照。

(28) 大須賀明『生存権論』(日本評論社、一九八四年)参照

(29) 大須賀明前掲書九三頁以下参照。

(30) 棟居快行「生存権の具体的権利性」長谷部恭男編『リーディングズ現代の憲法』一六〇頁(日本評論社、一九九五年)以下参照。なお本文括弧書きは、一六七頁から引用。

(31) 長谷部恭男『憲法』二七〇頁(新世社、一九九六年)参照

(32) 阪本昌成の人権成否定説は、阪本著『憲法理論V』三一五頁(成文堂、一九九五年)より引用。

(33) 阪本前掲書三二六頁参照

(34) 食糧管理法違反事件については、最大判昭和二三年九月二九日刑集二巻一〇号一二三五頁参照

(35) 朝日訴訟については、最大判昭和四二年五月二四日民集二一巻五号一〇四三頁参照

(36) 堀木訴訟については、最大判法廷昭和五七年七月七日民集三六巻七号一二三五頁

(37) 立法裁量論の定義については、戸松秀典『立法裁量論』三頁(有斐閣、一九九三年)より引用

(38) 筆者は、かつて「生存権的基本権の法的性格」と題して、この問題を若干論じたことがある(日本大学法学研究所紀要第二巻、一九九〇年二一頁以下)。同稿を執筆した当時は、本文で述べたとおり、二五条以下の規定は生存権的基本権と把握すべきであると考えていたため、このようなタイトルとした。

(39) 長谷部恭男は、国家が立法や行政をなし得る根拠を、国家の権威に求める。そして、その権威の根拠は「すぐれた知識、あるいは調整問題や囚人のディレンマ状況をよりよく解決しうる能力にある」(長谷部「国家権力の限界と人権」樋口陽一編『講座憲法学第三巻 権利の保障(一)』五四頁(日本評論社、一九九四年)より引用)とする。そして人権を国家の権威要求をくつがえす「切り札」と把握する。このように理解する場合には、国家の権威要求それ自体の内容は、主権の所在に影響されないことになろう。しかし、本当にそれで妥当だろうか。たとえば、同じ義務教育でも、天皇主権体制の下では、よい兵士を育てるための臣民の義務と構成されるのに対して、現行憲法下では国民が健康で文化的な最低限度の生活を送ることを可能にするために国家が担っている義務と構成されることになる。確かに人々が国家の立法や行政に従う第一次的な根拠は、国家の持つ権威に由来するであろうが、国家がなすべき要求の内容は、国民主権体制の下においては、人権をより確保する方向へのものでなければならないと考える。

(40) 本文に紹介したような粗雑な紹介で、フォルストホフの理論体系を紹介したことにならないのは当然のことである。フォルストホフの体系については、畏友村上武則が数多くの著述を発表しているが、さしあたり、村上武則著『給付行政の理論』(有信堂、二〇〇二年)、特に一二頁以下参照。

(41) 社会権と異なり、自由権の場合には、その理論構造自体が天皇主権体制下における人権抑圧の中から発展してきたため、通常の理論の範囲内では人権自体は国家に対する不作為請求権に過ぎず、その意味で、前記注で長谷部のいう「切り札としての人権」という構造を端的に示している。しかし、そうした自由を制限する立法や行政を国家が行うことが許される背景には、個々の国民が、他者の侵害にさらされることなく安全に生活する権利(平和に生存する権利)を有しており、国家としてそれに奉仕する義務があるために、刑法その他の侵害行政の根拠となる立法が要求されるものと考える。自由を抑制する立法に対する司法審査における合理性基準でいう合理性とは、まさにこの奉仕義務に向けられていると考えるべきである。

(42) ドイツにおける、給付行政と社会権との関連に関する議論は、村上前掲書三〇八頁以下の「アレクシーの社会権の理論」に詳しい。

(43) 例えば伊藤正己『憲法』第三版三六八頁(弘文堂、一九九五年)は、権利の主体に関して次のようにいう。

『社会権の保障が国民一般に向けられていることは確かであるが、現実には、貧困者、失業者、労働者といった社会における一定層の者についての保障が問題となる。」

(44) 幸福追求権の具体的権利性に関する記述は、伊藤正己前掲書二二九頁参照。

(45) 前掲堀木訴訟最高裁判決より引用。