違憲判決の種類

甲斐素直

問題

 最高裁判所は、衆議院議員定数違憲訴訟昭和51414日大法廷判決において、行政事件訴訟法31条について紹介した後、次のように述べた。

「行政事件訴訟法の右規定は、公選法の選挙の効力に関する訴訟についてはその準用を排除されているが(公選法219条)、〈中略〉本件のように、選挙が憲法に違反する公選法に基づいて行われたという一般性をもつ瑕疵を帯び、その是正が法律の改正なくしては不可能である場合については、単なる公選法違反の個別的瑕疵を帯びるにすぎず、かつ、直ちに再選挙を行うことが可能な場合についてされた前記の立法府の判断は、必ずしも拘束力を有するものとすべきではなく、前記行政事件訴訟法の規定に含まれる法の基本原則の適用により、選挙を無効とすることによる不当な結果を回避する裁判をする余地もありうるものと解するのが、相当である。」「本件選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ、選挙自体はこれを無効としないこととするのが、相当であり、そしてまた、このような場合においては、選挙を無効とする旨の判決を求める請求を棄却するとともに、当該選挙が違法である旨を主文で宣言するのが、相当である。」

 他方、昭和60717日大法廷判決において、寺田治郎、木下忠良、伊藤正己、矢口洪一各判事は、その補足意見において、次のように述べた。

「是正措置が講ぜられることなく、現行議員定数配分規定のままで施行された場合における選挙の効力については、多数意見で指摘する諸般の事情を総合考察して判断されることになるから、その効力を否定せざるを得ないこともあり得る。その場合、判決確定により当該選挙を直ちに無効とすることが相当でないとみられるときは、選挙を無効とするがその効果は一定期間経過後に始めて発生するという内容の判決をすることもできないわけのものではない。けだし、議員定数配分規定の違憲を理由とする選挙無効訴訟(以下「定数訴訟」という。)は、公職選挙法204条所定の選挙無効訴訟の形式を借りて提起することを認めることとされているにすぎないものであつて(昭和51年大法廷判決参照)、これと全く性質を同じくするものではなく、本件の多数意見において説示するとおり、その判決についてもこれと別個に解すべき面があるのであり、定数訴訟の判決の内容は、憲法によつて司法権にゆだねられた範囲内において、右訴訟を認めた目的と必要に即して、裁判所がこれを定めることができるものと考えられるからである。」

 この二つの判決技法の関連について述べ、何故このような判決が可能なのかを論ぜよ。

[はじめに]

 判決の効力に関する個別的効力説は、要するに判決を、具体的紛争の当事者がそれぞれ自己の権利・義務をめぐって理をつくして真剣に争う場合に限定して、憲法判断もなし得るのであり、その効力も、その当事者に限定され、対社会的効力を生ずることはない、という考え方であった。このような考え方は、当然のことながら、客観訴訟と基本的に相容れない。客観訴訟は、判決に対社会的効力を予定しているものだからである。特に、公職選挙法202条以下に予定されている選挙訴訟の場合、選挙無効の判決が下された場合には、当該選挙は存在しないこととなるため、憲法が争点になっていない普通の場合でも、当選人が変動したり、場合によっては再選挙など、広範な対社会的影響が必然的に発生する。したがって、それに憲法が絡んだ場合について、訴訟当事者のみにしか違憲判決の効力が及ばないと論ずることは不可能である。

 その結果、客観訴訟という類型を承認し、しかもその類型において憲法上の争点について判断を下しうる、という考え方を採用するかぎり、司法権概念でどのような考え方を採るかに拘わらず、何らかの形で判決に対社会的効力を承認せざるを得ないことになる。

 そして、対社会的効力のある違憲判決を下した場合には、権力分立制において、司法権のしめる役割との緊張関係の中で、いかなる方式が可能かを考えなければならないのである。これが、本問において選挙訴訟に関する判決が示されている理由である。

 これは選挙訴訟だけの問題ではない。上記理由から、違憲判決に、その採用する説に応じて程度の差があるであろうが、とにかく対社会的効力が生ずることを承認した場合、どのような判決方式があり得るかは、真剣に考えられなければならない問題となる。

 

一 違憲無効判決の機能とその限界

 憲法981項によれば、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」から、本来、違憲判決に対する効力は、無効とすることである。

 確かに、裁判において問題となっている国民の権利が自由権に属する場合には、それに対する規制立法の違憲性を宣言することにより、違憲状態を終局的に解消することができる。なぜなら、憲法において自由とは国家からの自由を意味するからである。換言すれば、自由を制約する立法がある場合、その法を無効として排除しさえすれば、それにより自動的に、元の完全な自由が回復するからである。

 わが国でこれまでに出た違憲判決でいえば、第三者没収違憲、薬局距離制限違憲、共有林分割制限違憲の各判決は、財産権の自由や営業の自由等を制限する立法が存在していたので、その法を無効とすることにより、自由に財産権を享受し、営業を行いうる状態が回復したのである。同様に、尊属殺違憲判決の場合には、刑法200条を排除することにより、同条による身体的自由の制約が消滅したことになる。

 これに対して、自由権以外の人権を保障するためには、国の作為又は不作為を必要とするので、法が違憲であることを確定しただけでは、事件を終局的に解決することはできない。例えば、かつて日本の国籍法が父系主義を採用していた時代に、米国人の父親と日本人の母親の正式の婚姻に基づき日本で生まれた子が、日米両国の国籍法の谷間に落ちて、無国籍になるという事件が発生したことがある(シャピロ華子事件=東京高裁昭和57623日=百選第574頁参照)。この場合、仮に父母両系主義を採っていないことで国籍法を違憲としても、母親が日本人の子に国籍を与えるという法が湧いてくるわけではないから、そのままでは被害者の救済にはならない。

 そこで、単純な違憲・無効という以外の様々な判決方式を必要とすることになる。その場合、そこで問題となるのは三権分立制度との関係である。国家が一定の作為ないし不作為義務を有している場合に、その作為等の義務の存在を確認し、あるいはそれに基づいて国に一定の作為・不作為を義務づける判決を下すことは、実質的な立法行為ないし行政行為を裁判所が判決という形式を通じて行うことを意味するので、権力分立制に違反するのではないか、という問題が生ずるからである。

 

二 対立法権に対する義務づけ訴訟

 立法権が、制定するべき法律を制定しないために、国民の権利を侵害した場合を「立法の不作為」と総称する。自由権を制約する法律にあるべき除外規定がない結果、違憲状態が発生しているという型の問題の場合には、その法の、問題となっている状態への適用を違憲とすることで解決しうる(適用違憲)から、特に問題はない。

 これに対して、それ以外の人権を救済する場合には、そこに程度の差こそあれ、何らかの積極的な立法活動が存在する必要がある。

 かつては、このような場合には権力分立制の限界から、裁判所としては何もできない、という考え方が存在していた。しかし、社会国家の下において、国家の責務が増大している状況下で、そのような硬直的な姿勢をとることは、いたずらに国民の権利救済の道を閉ざすばかりで、違憲立法審査権の実質を失わせる恐れがある。そこで、裁判所としては、積極的に判断を示す必要に迫られる。

 これが、1022日にハンセン病事件熊本地裁判決を通じて説明した「立法の不作為」と総称される理論である。あるべき立法が存在しない場合に、どのような要件が存在すれば、そこに司法権が介入できるのか、については、そこで詳しく述べたので、ここでは細説しない。しかし、もちろん諸君の論文では、その点についても、しっかりと記述する必要がある。

 そこで述べなかったのが、審査の結果、その不存在状態が違憲と認められた場合に、どのような判決を下すべきか、という問題である。国家賠償請求という形態を採用した訴訟の場合には、答えは簡単である。賠償を命じればよい。個別的効力説を採るかぎり、その判決の持つ対社会的効力は考慮の外に置くことが許される。

 ところが、通常訴訟の形態を採用した場合には、問題は少々複雑になる。立法裁量がゼロに収束している結果、行うべき立法が一義的に確定している場合には、判例は、憲法の直接適用という手法を開発した。例えば、損失補償について憲法293項の直接適用のの可能性があると述べた河川附近地制限令事件最高裁判決(最大昭和431127日=百選第5228頁参照)がその典型例である。

 あるいは、条文の可分性を利用するという方法もある。例えば上述のシャピロ・華子事件以後において、国籍法は父母両系主義に改正された。その際、立法者は認知された子供について、一般的に国籍法を適用した場合には不合理な結果が生ずると考え、父親が日本人の場合には、準正の場合にのみ日本国籍が得られると定めた(同法31項)。この立法は、母親が日本人の場合や、出生前に胎児認知をされている場合には問題なく国籍が得られるのとの対比において、明らかに憲法14条の要求する平等原則に違反しているといえる。その場合について、最高裁判所大法廷平成2064日判決は、国籍法3条に可分性の理論を適用することにより、問題を解決するという注目すべき手法を示した。

「国籍法31項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件区別が生じたからといって、本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規定自体を全部無効として、準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出による日本国籍の取得をもすべて否定することは、血統主義を補完するために出生後の国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり、立法者の合理的意思として想定し難いものであって、採り得ない解釈であるといわざるを得ない。そうすると、準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提として、本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り、本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。」

 本件で問題となっている国籍法31項の場合、全体として一文であって、少なくとも見た目には、可分性があるとは言えない。米国判例は、可分・不可分の判定基準として、次のように述べている。

「可分、不可分の問題を解く正しいアプローチは、法案が議会に継続中に、いま違憲と判断した条文を削除する動議が出され多数の賛成を得たと想定してみて、それにも拘わらず、議会がこの条文と関連する他の条文を可決成立させるだろうかどうかを考究してみることである。」(時国康夫「憲法上の争点を提起する適格」芦部信喜編『講座憲法訴訟第一巻』有斐閣、平成二年刊、259頁に紹介されている“Carter v Carter Coal Co., (298 U.S. 2381936〕)”より引用)

 スイス債務法一条が、裁判規範としての条理について「自分が立法者ならば法規として規定したであろうと考えるところに従って裁判すべきである。」と述べているが、その発想を可分性に適用したものということができるであろう。すなわち、可分か否かは条文の構造自体が可分性を持っているかどうかで決定するのではない。それは立法技術上の問題に過ぎないからである。その代わりに、可分の法概念を含んでいるか否かで決定するべきなのである。そこで、最高裁は言う。

「このような子についても、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に、届出により日本国籍を取得することが認められるものとすることによって、同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能となるものということができ、この解釈は、本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも、相当性を有するものというべきである。」

 

三 違憲警告判決

 上記場合には、立法裁量権がゼロに収束していた結果、裁判所として、積極的な立法活動を行ったと非難されることなく、違憲判決の救済を行うことが可能だった。それに対し、現在の立法ないしその不存在状態が違憲であるということは明らかだとしても、それに代わる立法には極めて広範な立法裁量権の存在を肯定せざるを得ない場合にはどうしたらよいか、という問題である。特に客観訴訟は、立法が強力な対社会的効力を判決に認めている結果、これが大きな問題となる。

 裁判所が自ら積極的に立法行為を行うことができない違憲状態の場合には、立法府に対して違憲状態の発生を警告して、速やかな対応を促す、という手法をとる外はない。そのための方法としては、現在知られているものとしては、事情判決と、純粋将来効判決の二つがあり得る。

(一) 基本的問題

 本問では、違憲判決の効力に限定して「二つの判決技法の関連について述べ、何故このような判決が可能なのかを論ぜよ」と出題されているから、判決技法以外の点については、論及する必要は全くない。しかし、提出された答案は、問題文を無視して事件の成立要件段階から論じていた。しかも困ったことに、それが不正確、あるいは不明確な記述になっていた。書く必要のない(つまり点数を与えることが予定されていない)記述であっても、誤った記述は減点の対象になるから、以下、言及した場合には、どの程度までは理由を書く必要があるのか、簡単に説明する。

  1 選挙訴訟制度の利用について

 全選挙区における議員定数の違憲性を、特定の選挙区を管轄している地方選挙管理委員会を相手取って争うのは、明らかに無理な主張である。しかし最高裁判所は、その主張は次のように述べて退けた。

「右の訴訟は、現行法上選挙人が選挙の適否を争うことのできる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないのである。およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるときは、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできない。」

 

 2 14条主張の当否について

 議員定数に関しては憲法44条但書という特別規定があり、この規定は14条とほとんど違いがない。このことから、選挙権に関しては14条の適用は排除されると考えられる。そう考えた場合には、憲法47条には但書がないから、定数不均衡について平等権違反を考えることはできない。この点については、最高裁判所は次のように述べて退けた。

「これらの規定を通覧し、かつ、右151項等の規定が前述のような選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映であることを考慮するときは、憲法141項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右151項等の各規定の文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれども、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが、相当である。」

 

  3 立法の不作為の成立要件

 国会として、違憲状態の発生を認識している必要があるか、という問題である。最高裁判所は、事情判決を下すためには、違憲状態の発生だけでは足らず、国会がその点を認識している必要もあるという判断を示した。すなわち、平成8911日最高裁大法廷判決(百選第5340頁参照)は、次のように述べた。

「昭和6310月には、前記15.85の較差について、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りないという前掲第2小法廷の判断が示されており、その前後を通じ、本件選挙当時まで当裁判所が参議院議員の定数配分規定につき投票価値の不平等が違憲状態にあるとの判断を示したことはなかった。《改行》以上の事情を総合して考察すると、本件において、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が到底看過することができないと認められる程度に達した時から本件選挙までの間に国会が本件定数配分規定を是正する措置を講じなかったことをもって、その立法裁量権の限界を超えるものと断定することは困難である。」

 さらに、昭和60717日最高裁大法廷判決(百選第5338頁参照)は、違憲状態の発生を認識した後、立法作業に必要な期間が経過している必要があるとも述べた。

「制定又は改正の当時合憲であつた議員定数配分規定の下における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数又は人口(この両者はおおむね比例するものとみて妨げない。の較差がその後の人口の異動によつて拡大し、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つた場合には、そのことによつて直ちに当該議員定数配分規定が憲法に違反するとすべきものではなく、憲法上要求される合理的期間内の是正が行われないとき初めて右規定が憲法に違反するものというべきである。」

 これらの条件がクリアされた場合、裁判所は違憲判決を下すことができる。しかし、本問は、前述の通り、これらは本問の論点ではない。

 

(二) 判決技法

  1 総論

 1票の価値の不平等が問題となる場合に、対応としては二つの立場があり得る。各選挙区に配分されている議席は、全体として一つと考える立場と、選挙区ごとに考えることができる、とする立場である。後者の立場をとる場合には、上述した可分性の理論を使って問題を解決することができる。本問に示した昭和51年衆議院議員定数判決における少数意見はこれを採用した。すなわち、

「投票価値の極度に増大した選挙区についても併せて是正措置を講ずるものとするならば、他の選挙区についてその偏差率の変化を最少限度に押えることも可能であるから、議員定数配分規定の一部是正は、平均的投票価値をもつ他の選挙区についてその平均性を失わせるほど有意的な影響を及ぼすものではないと結論することができるのである(から各欄は可分である)。」

 このように解した場合には、違憲=無効と判決した場合にも、その対象となるのは異常な数字を示しているわずかな選挙区にとどまるから、有効な議席を有する衆議院議員だけで十分有効に衆議院を構成することが可能であり、公職選挙法の改正はできるわけである。現実問題として、議員定数違憲判決に対して国会のとった対応は、88減など、問題ある選挙区だけを是正するに留めており、議員定数はここの選挙区ごとに考えることができるとするこの説の正しかったことを示している。したがって、違憲警告判決の技法に訴える必要はなかったのである。

 しかし、多数意見は前者の立場を採用し、次のように判断した。

「選挙区割及び議員定数の配分は、議員総数と関連させながら、前述のような複雑、微妙な考慮の下で決定されるのであつて、一旦このようにして決定されたものは、一定の議員総数の各選挙区への配分として、相互に有機的に関連し、一の部分における変動は他の部分にも波動的に影響を及ぼすべき性質を有するものと認められ、その意味において不可分の一体をなすと考えられるから、右配分規定は、単に憲法に違反する不平等を招来している部分のみでなく、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべきである。」

 このように全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解する場合、この判決により、全衆議院議員が、その議席を失うことになる。その結果、国会そのものが消滅してしまうので、公職選挙法を改正することは物理的に不可能になってしまう。

 この場合、救済判決として、裁判所が適切な選挙区制度を具体的に判決で述べ、それにしたがって選挙を再度実施するように求めることは理論的には可能である。しかし、そのような判決が権力分立制との関係で疑問があることも間違いない。

 したがって、違法を宣言するにとどめ、直ちに無効を宣言することは回避する、という手法をとるほかに、現行憲法下で問題を処理する方法は存在しないのである。本問に示したとおり、この問題に対応する判決技法は二つありうる。

 

 2 事情判決

 昭和51年衆議院議員定数違憲判決は、事情判決という手法を開発した。しかし、この技法は、問題文に明示したとおり、致命的な欠陥を有している。それは、選挙訴訟を定めた公選法219条が、明確に行政事件訴訟法の定める事情判決を、選挙訴訟で下すことを禁止していたことである。その問題点を突破するために、多数意見は強引な解釈論を展開する。この問題文を見れば、当然諸君が調べてくれるものと期待していたのであり、本来は要点の民謡すれば足りるのであるが、提出された論文を見る限り読んだ形跡がないため、諸君の理解の確実を期するため、関係する全文を示す。

「行政処分の適否を争う訴訟についての一般法である行政事件訴訟法は、311項前段において、当該処分が違法であつても、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合においては、諸般の事情に照らして右処分を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認められる限り、裁判所においてこれを取り消さないことができることを定めている。この規定は法政策的考慮に基づいて定められたものではあるが、しかしそこには、行政処分の取消の場合に限られない一般的な法の基本原則に基づくものとして理解すべき要素も含まれていると考えられるのである。もつとも、行政事件訴訟法の右規定は、公選法の選挙の効力に関する訴訟についてはその準用を排除されているが(公選法219条)、これは、同法の規定に違反する選挙はこれを無効とすることが常に公共の利益に適合するとの立法府の判断に基づくものであるから、選挙が同法の規定に違反する場合に関する限りは、右の立法府の判断が拘束力を有し、選挙無効の原因が存在するにもかかわらず諸般の事情を考慮して選挙を無効としない旨の判決をする余地はない。」

 ここまでが問題の所在を示す文章である。ここから最高裁判所は強引な論理を展開する。

「しかしながら、本件のように、選挙が憲法に違反する公選法に基づいて行われたという一般性をもつ瑕疵を帯び、その是正が法律の改正なくしては不可能である場合については、単なる公選法違反の個別的瑕疵を帯びるにすぎず、かつ、直ちに再選挙を行うことが可能な場合についてされた前記の立法府の判断は、必ずしも拘束力を有するものとすべきではなく、前記行政事件訴訟法の規定に含まれる法の基本原則の適用により、選挙を無効とすることによる不当な結果を回避する裁判をする余地もありうるものと解するのが、相当である。もとより、明文の規定がないのに安易にこのような法理を適用することは許されず、殊に憲法違反という重大な瑕疵を有する行為については、憲法981項の法意に照らしても、一般にその効力を維持すべきものではないが、しかし、このような行為についても、高次の法的見地から、右の法理を適用すべき場合がないとはいいきれないのである。

 そこで、ここまでの論理を議員定数問題に適用する。

「そこで本件について考えてみるのに、本件選挙が憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われたものであることは上記のとおりであるが、そのことを理由としてこれを無効とする判決をしても、これによつて直ちに違憲状態が是正されるわけではなく、かえつて憲法の所期するところに必ずしも適合しない結果を生ずることは、さきに述べたとおりである。これらの事情等を考慮するときは、本件においては、前記の法理にしたがい、本件選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ、選挙自体はこれを無効としないこととするのが、相当であり、そしてまた、このような場合においては、選挙を無効とする旨の判決を求める請求を棄却するとともに、当該選挙が違法である旨を主文で宣言するのが、相当である。」

 ここに引用した文章のどこまでを抜粋して諸君の論文に表すかは、諸君のセンスに依存するわけだが、とにかく、本問で、この一連の議論を完全に無視した場合には、自動的に落第答案と評価されることになる。

 

 3 純粋将来効判決

 事情判決という手法は、論理として強引であるばかりでなく、判決効果としても、違憲であることを宣言するだけで、法的効力を伴わないので、国会がこの判決を無視した場合、それを強制する手段が存在しないことである。その点で、憲法保障機能が極めて低い判決技法と言える。

 そこで、同じく違憲警告判決でありながら、法理論的に無理が少なく、かつ、より確実に公職選挙法の改正を促す判決手法として考え出されたのが、純粋将来効判決である。

 ドイツ連邦憲法裁判所の判決は、わが国と異なり、明確に対社会的効力が認められている。そのため、裁判所として、連邦議会の立法裁量権を尊重せざるを得ない場合が多く発生する。そこで、同裁判所が開発したのが、この純粋将来効判決という判決手法である。

 通常、違憲判決は、当事者に関しては遡及効がある。事件が発生した時点に戻って宣言しない限り、具体的事件の解決としては役に立たないからである。例えば、尊属殺を違憲とする判決が当事者に対しても将来に向かってしか有効でないのであれば、問題となった事件の被告人は、死刑または無期懲役という処断を避けることはできない。したがって、訴訟当事者に関しては、違憲判決も遡及効を持つと言わなければならない。しかし、それ以外の者に対しては、将来効を有する。例えば、検察官は、以後、尊属殺で起訴すべきではなく、法務省は尊属殺による収容者を速やかに仮釈放すべきであり、国会は速やかに尊属殺規定を削除すべき憲法上の義務を負うことになる。このように、当事者は遡及効、対社会的には将来効と分かれるところから、通常の違憲判決の持つ効果を、相対的将来効判決と呼ぶ。

 これに対し、当事者についても将来効しか認めなければ、既に発生した問題について判断が適用されて無効になるという問題は、解決できることになる。これが純粋将来効判決あるいは絶対将来効判決と呼ばれる手法である。一つの典型例として、ドイツ憲法裁判所の石炭料判決(19941011日連邦憲法裁判所第2法廷判決=BVerfGE91.186)から該当部分を紹介してみよう。

「連邦憲法裁判所法は違憲の効果として、規範の否定を例外なく定めているわけではなく、単なる違憲宣言を行うことも許容している(連邦憲法裁判所法312項、791項)。無効宣言を行えば、第3次電力法に基づく調整公課金が追求している石炭発電という概念が、出し抜けにその根拠を失う事態を生じさせる。公共の利益は、ここでは、したがって、違憲状態から合憲状態への緩やかな過渡期を設けることを要請する。そこで、連邦憲法裁判所は、憲法違反宣言を行うにとどめ、同時に、連邦憲法裁判所法35条に従い、暫定的に効力を有することを命じる。」

 このように、問題となっている法律が過去において有効とされるということになると、その法律が無効であることを前提に料金の不払いを行い、それによって本件訴訟当事者が不利益に扱われてしまう。しかし、この場合には、問題はそれだけなので、裁判所は判決主文で次のように述べて、解決した。

「 異議申立人の、調整公課金を支払いを命ずる判決については、いまや、違憲と宣言されている規定が暫定的に有効になるということになっているが、判決は、それにも関わらず破棄し、同様に費用請求に関しても破棄する。異議申立人は、破棄差し戻しにより、費用負担を免れるために、引き続き有効であるという観点から債権を承認することが可能である。」

 このような手法をわが国の選挙訴訟でも導入すれば、過去の違憲な選挙で当選した者の議席は依然として有効ということになるから、上記で問題となった国会の消滅という事態は回避することができ、法改正を促すことができる。しかもこの場合、事情判決と異なり、法改正を行わないままに、総選挙に突入したときにはその結果選出された議員は全員、無資格ということになるので、絶対に法改正を促す力を持っている。

 本問の後半で紹介した寺田治郎判事外の述べた補足意見は、まさにこのことを述べたのである。

 

四 行政事件訴訟法の定める事情判決について

 以後は全くの付けたりで、本問とは関係もない文章である。

 本問の前半に書いてあるのは、事情判決という判決方法である。この手法は、現行実定法としては、行政事件訴訟法31条の定めるところである。しかし、憲法訴訟でいわれる事情判決は、その意義も要件も、行訴法31条のそれとは全く異なるものである。その異質性をしっかりと認識して論文を書く必要がある。だから、行訴法31条をそのまま事情判決の定義として使用したりした場合には自動的に違憲判決になる。以下では、諸君に予想されるこうした誤解を払拭するため、最初に行訴法31条について詳しく説明する。

行政事件訴訟法311項の定める事情判決の制度は、他国に例を見ないわが国独特の制度である。わが国では、行政処分は、判決によって違法として取り消されない限り、有効として取り扱われる。その結果、違法な事実の上に、取り消し判決が下されるまでの間に社会的事実が積み重なる。それによって、行政処分を事後に取り消すことが、処分の有効性を前提として行われた数々の行為を覆滅することになって、公の利益に著しい障害が生ずる可能性がある。そこで、そのような場合に、原告に対して損害賠償がなされていることなどを要件として、違法ではあるが、行政処分の効力自体は維持する、とする判決を下すことができる。これを事情判決という。

 例えば、区画整理事業の決定が違法に行われたような場合である。その場合、判決が確定するまでの間も、事業はどんどん進行する。家が取り壊され、庭が破壊され、その後に新しい道路や宅地が多大の経費を投じて建設される。その後になって、当初の行政処分が取り消された場合、現状復帰させようとするのは大変不経済、非効率な事態となる。

 同条は、損害賠償という用語を使用している。しかし、本来違法として取り消されるべき行政処分を、判決が維持することにより原告に生じた損失を、国家として補償する趣旨と考えられるので、行政法学では、損失補償と考えるべきであるとされている。

 原告が損失補償を受けるためには、事情判決以前に行政処分が違法であることが確定している必要がある。そこで、同条2項は特に中間判決で違法宣言をする道を開いている。この中間判決を受けて、原告の損失が補償されていることを確認した上で、裁判所が事情判決を下すことができるようにしているのである。

 事情判決とは、このような性格のものであるので、行政処分が本質的に無効であるために、取り消し訴訟ではなく、無効訴訟が提起されている場合には、下すことができない(行訴法38条は、31条を準用していない)。無効とは、誰がみても、その処分が有効なものではないと認められるような場合である。誰も信頼しない行政処分の上に、その有効性を前提として、社会的事実が積み重なるはずはないからである。

 公職選挙法が定める選挙訴訟は、選挙の有効、無効をめぐる争訟である。すなわち、処分取消しの問題ではない。だから、当然、事情判決は許されない。公職選挙法2191項は明示的に行政事件訴訟法31条の準用を排除しているが、このような規定がなくとも、選挙無効訴訟に行訴法31条が適用になることは、本質的にありえないのである。

 さらにいえば、選挙訴訟は客観訴訟であるから、違法な処分の効力を維持することで原告の被る損失を、国家が保障することで、原告の利益と公の利益の調整を図る、という手法そのものが適用不可能である。

 以上のことから、衆議院議員定数違憲判決でいう事情判決とは、行政事件訴訟法31条の事情判決とは全く別個のものであることが判る。判決文では「法の基本原則の適用」という用語を使用しているが、これは行訴法31条そのものを適用する、ということではなく、あくまでも、行訴法31条に代表される事情判決制度の根底にある、一般的な法原則としての「事情判決の法理」を援用している、ということを意味しているのである。

 したがって、本問の論点となるのは、行政事件訴訟法31条にいう事情判決ではなく、それをも含んだ、法の基本原則として存在している事情判決なのである。事情判決という概念に対して選挙訴訟に密着した定義を与えたければ、この判決の文言を引用するのが妥当であろう。すなわち、事情判決とは、

「本件選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ、選挙自体はこれを無効としないこととする」判決

のことである。

 その意義及び要件、限界等を具体的に解明することが本問の論点となる。