国会の条約承認権
甲斐素直
【問題】
200x年、日本はA国との間で、両国の貿易関係に関する協定を締結した。内容の概略を示せば、下記の通りである。政府は、当初、これは両国間の行政協定に過ぎないと考え、国会の承認を求めることなく、この協定を発効させた。しかし、その後、第2条で関税について定めていること、全体としてA国との間の重要な問題であること、等の観点から、国会の承認を得るべき条約であるとの意見が、与野党間で高まった。そこで、政府は、事後の国会承認を求めて、衆議院に協定を提出した。衆議院では、審議の末、第2条の関税の撤廃を農業品目中の米に関してまで行うのは適切ではない、として、その点を修正することを条件に本協定を承認し、参議院もこれに倣った。
本問における憲法上の論点を指摘し、論ぜよ。
記
第1条 協定の目的
(1)両国間の国境を越えた物品・人・サービス・資本・情報のより自由な移動を促進し、経済活動の連携を強化する
(2)貿易・投資のみならず、金融、情報通信技術、人材養成といった分野を含む包括的な二国間の経済連携を目指す
第2条 物品の貿易の促進
(1)関税
日本からA国への輸出にかかるA国の関税は全て撤廃する。
A国から日本への輸出にかかる日本の関税は全て撤廃する。
(2)税関手続
税関手続の簡素化、国際的調和のための協力する。
(3)貿易取引文書の電子化
貿易取引文書の電子的処理を促進する。
第3条 人の移動の促進
(1)人の移動
商用目的の人々の入国及び滞在を双方で容易なものにする。
技術者資格等の職業上の技能を相互に認める。
(2)人材養成
学生・教授・公務員等の交流を促進する。
(3)観光
双方の観光客の増大を促進する。
(4)科学技術
研究者等の交流を促進する
第4条 サービス貿易の促進
両国間において、WTOでの約束水準を越えた自由化を行う。
【始めに】
条約に関しては、大きく三つのことが問題となる。すなわち、
第一 憲法にいう条約とは何か。
第二 その条約の成立に当たって、国会にはどの限度での権限があるか。
第三 その結果、国会が承認権を有する条約は、どの範囲か。
これらの問題は、本来、条約の問題として一体として理解されるべきものであるにも関わらず、基本書では異なるところに書かれているため、統一的理解が難しくなっている。
また、これらの問題は、それぞれなぜそのように解さなければならないのか、という理由を理解し記述することが必要である。基本書では、その理由を書いてない場合が多い。しかし、諸君はそれを書かなければ合格答案を書いたことにはならない。政府の統一見解があるから、等というのはおよそ理由にならない。政府見解が合憲といえるのかどうか。それを判断することこそが憲法学の役割であり、論文における論点ということになる。基本書を通読するに当たっては、意識して、必要に応じて頁を前後にめくりつつ、関係部分を一貫して読み、書かれていない理由を総合的に発見するよう、努力しなければならない。
かつて、わが国憲法学界は、条約と憲法の関係という国際的に調整するべき問題を、これをわが国限りで解決可能な問題と錯覚し、一元説や二元説、あるいは憲法優位説、条約優位説といった様々な論議を展開していた。しかし、これは立憲主義を持つすべての国に共通する問題である。したがって、この問題について各国がバラバラな解決策を模索することは国際社会を破壊しかねない。そこで国連では早くから、この問題を解決する統一的な条約の必要性を認識し、その制定に向けて努力してきた。その成果は1969年に国連で採択された条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という)という形に結実した。わが国もこれを1981年に採択している。したがって、今日においては、この問題はかなりの程度、この条約法条約の解釈論に過ぎなくなっている。今現在、君たちが使っているどの教科書も、そういう形で議論を展開している。この場合、条約文言の憲法的解釈ということが問題となる。
なお、本問に示した条約は、通常、自由貿易協定(FTA)と呼ばれるものである。WTAが各国利害の対立から機能不全を起こしている中で、今後の世界貿易促進の鍵を握る存在といわれている。しかし、問題文中にも書いたとおり、わが国は農産物の保護がネックとなって、各国に比べて、大幅に締結状況が立ち後れており、先行きが危惧されている。
一 条約の概念
ここで述べることは、本問の論文中に書かなければならないという点ではない。しかし、きちんと理解しておくことは、論文を記述するための必須の前提となる。
(一) 形式的意味の条約と実質的意味の条約
あらゆる法規範と同様に、条約についてもまた、形式的意味の条約と実質的意味の条約の二つを考えることができる。形式的意味の条約とは、条約という文言が使用されている条約の意味である。しかし、国際法は、国内法と異なり、今日においてもなお、法的整備がきわめて不十分であるため、法律という言葉と法の支配を結びつけるような形で、条約という特定の言葉に特定の法的意味を付することはできない。
現実にも、明らかに条約に属するものの呼称として、非常に多数の用語が使用されている。以下にそのいくつかの例を示す。
@条約(treaty) A協約(convention) B協定(agreement)
C取決め(arrangement) D決定書(act) E議定書(protocol)
F宣言(declaration) G規約(covenant) H憲章(charter)
I公文(note) J覚書(memorandum) K声明(statement)
協定という名称を使用したものとしては、わが国を第2次大戦へ引きずり込む大きな契機となった日独伊防共協定や、不戦条約として有名な1928年ケロッグ・ブリアン協定が有名である。宣言では、わが国戦後を決定したポツダム宣言が我々日本人にとっては有名である。憲章という名称では、国際連合憲章やILO憲章が、また規約という名称では、戦前の国際連盟規約が、そして現在では国際人権規約がよく知られている。I以下の形式は、いわゆる簡略形式の条約に使用さえるものである。例えば、首相等が外国を訪問に際して発表する共同声明(joint statement)も、それが法的拘束力を持つ限りにおいて、条約の一種に属する。
憲法が、こうした雑多な用語のうち、特に条約という名で締結された国際合意だけを重視したと考えることはできない。したがって、現行憲法で使用される条約という用語は、その実質に着目して内容を決定しなければならない。
そこで、本問にいう協定が、憲法上の条約に該当するか否かが問題となる。
(二) 条約概念の多義性と憲法における用語の意味
実質的意味の条約概念を採用するとしても、なお、憲法中の条約の語の意義を一義的に決定することはできない。なぜなら、現行憲法は、数ヶ所かで条約という言葉を使用しているが、そこで意味している条約の概念は異なるものと解されるからである。すなわち、
@ 憲法7条1号では、条約は、法律及び政令と並んで天皇による公布の対象とされる。また、同じく8号では、批准書その他の法律で定める外交文書の認証が天皇の国事行為の一つとされる。なお、ここにいう外交文書とは、具体的には全権委任状及び大公使の信任状がそれに当たる。
A 憲法73条3号本文では条約締結権が内閣にあるとされている。
B 憲法73条3号但し書きで、事前に、時宜によっては事後に国会の承認が必要とされ、憲法61条はこれを受けて条約の承認に衆議院の大幅な優越を認めている。ここにいう条約こそが本問の議論の対象となる条約である。
C 憲法98条は条約の誠実な遵守義務を定めている。
これらは、その前後の関係から、明らかに同一の法規範を定めたものではない。それぞれがどのような条約を意味しているのか、以下に検討してみよう。
1 98条2項の条約(最広義)
憲法前文第二文は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいこと、そして憲法前文第三文は、国際的な政治道徳の普遍性と、その法則に従うことが主権国家としての責務と宣言している。こうした国際協調主義を受けて、98条2項が規定されていることを考えると、同条は国際的な法規範のすべて、すなわち、「国家間の合意若しくは国際機関と国家間の合意であって、法的拘束力をもつもの」と理解するのが妥当である。
憲法98条2項は、「日本国が締結した条約」と「確立された国際法規」という二つの概念を使用している。条文全体で、広い意味における国際的に確立された法規の誠実な遵守を要求していると考えるのである。この二つの概念の相違点は、前者には「締結した」という形容詞句があることを考えると、新たに制定された国際法規を意味し、後者には「確立された」という形容詞句があることを考えると、国際慣習法のことと考えるのが文言上もっとも妥当である。したがって、同条における条約を定義するならば、
「国家間の合意若しくは国際機関と国家間の合意であって、法的拘束力をもつもの」ということになる。
この定義を分説すると次のとおりである。
(1) 国際的合意であっても、法的拘束力を持たないもの、すなわち政治的義務の宣言とか、一般的、抽象的原則を明らかにしたにすぎないものは、ここにいう条約に属しないことになる(例えば「世界人権宣言」)。これについても、国際協調主義の下においては誠実な遵守を必要とすると考えられるが、98条はあくまでも法規範に関する規定であるので、その対象とは考えられないのである(憲法前文第3文にいう「政治道徳」等の一環として理解すべきことになる。)。
(2) 国際法の領域においても、一般に条約に対してこうした定義が使用されるが、国際法を専門とする学者が定義をすると、広く「法的拘束力」という言葉を使用する代わりに「国際法上の効力」という言葉を使用するのが一般である。時折憲法学の領域でも、この定義をそのまま直輸入して使用する者がある(たとえば佐藤幸治は「外国との間における国際法上の権利・義務関係の創設・変更に関わる文書による法的合意」と定義する。)。が、そのように定義をした場合には、別途予定しているテーマである、「条約が司法審査の対象となるか」という問題はそもそも意味を持たない。なぜなら、国家ないし国際機関だけを拘束する法規範は、国内司法審査における具体的な紛争を起こすことはないからである。
しかし、わが国では昔から一部の条約は、国際法上の権利・義務ではなく、そのまま国内法上の権利・義務にかかる効力を持つとする取り扱いをしている。そして、今日の条約は、例えば「ILO87号条約」や「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」にみられるように、国際法上の権利・義務の創設・変更効果よりも、条約締結国の国内法的効果を目的として制定されているものが増えているから、広く法的拘束力と定義するのが妥当である。
なお、本問では司法審査は問題とならないが、司法審査の対象となるか否かの議論の対象となるのは、国内法的効果を持つものだけである。国際法上の効果しか持たない通常の条約の場合には、国内で効力を持たせる手段としては、別途国内法を制定しているので、司法審査の対象となるのはその国内法であり、条約が制定根拠になっている場合にでも、法律が司法審査の対象になることは明らかだからである。
(3) 近時、国際機関が各国と条約を締結する例が増えてきている。例えば、わが国にある国連大学がわが国政府と取り交わした協定は、国家間の合意ではないが、やはり条約の一種と考えるべきである。したがって、普通の定義に見られるように、単に主語として「国家間の合意」とするのでは誤りであることは明らかである。定義としてはすっきりしないが、国際機関と国家間という言葉を追加せざるを得ない理由である。
(4) 上記に合致する国際的合意である限り、国家元首間で締結された条約に限らず、国家機関の間、ないしは実務者間で締結された行政上の合意程度のものに至るまで、すべて条約として誠実に遵守すべきことを要求しているのが第98条第2項の趣旨であると考えられる。一般に憲法の教科書で、私法上の契約の性質を持つものは含まれない、と記してあることが多い。国家間の法的合意であって私法上のものという語がどのような意味で使用されているのかははっきりしない。しかし、売買、贈与、消費貸借等の契約であっても、この定義に該当する限りは、排除する必要は特にない。現実問題として、米軍から自衛隊への武器売却、開発途上国への無償援助、有償援助等は、いずれも条約に基づいて行われているのである。
(5) 通常、成文の国際法規を条約とし、不文の国際法規を「確立された国際法規」とする定義がとられることが多い。ここでの定義からその文言を排除したのは次の理由による。
第一に、通説的解釈によれば、98条2項にいう「確立された国際法規」は憲法に優位するが、条約は憲法に劣後する。しかし、近時「外交関係に関するウィーン条約(外交条約)」や「領事関係に関するウィーン条約(領事条約)」等のように、従来国際慣習法であったものを、成文法化する努力が重ねられてきている。しかし成文法化されたことから、その効力が条約並に憲法に劣後する存在に落ちるとは考えられない。したがって、不文か、成文かで区別するのは誤りといえる。
第二に、条約中の重要な部分をあえて文書化せず、交渉当事者や国家の首脳による口頭の約束とする場合がよくあるが、それについて誠実遵守義務を免れると解するのは、国際協調主義に反する。
2 73条3号本文にいう条約(狭義)
73条3号本文は、内閣の権限に関する規定であるから、そこにいう条約は、内閣が一方当事者になる条約に限られる。外国駐在の日本国大使が駐在する外国政府と間で締結する条約(ODA援助は通常、この形式で行われる)は、大使が日本国政府を代表する地位にあるから、内閣が締結している条約である(憲法7条参照)。
しかし、内閣そのものではなく、その指揮監督下にある国家機関、たとえば日本の財務省と米国財務省の間の協定などは、98条にいう条約であるが、内閣が締結しているのではないから、73条3号本文にいう条約ではない。これを一般に「行政協定」という。近時、行政の国際化を受けて、この範疇に属する条約はかなり多い。一時期日米間で大変問題になった日米半導体協定は、日本の経済省と米国通商代表部との間の条約であった。その時法的拘束力の有無をめぐって問題となったのは、それに際して行われた不文の合意事項であった。
3 73条3号但書にいう条約(最狭義)
内閣が一方当事者になる条約について、そのすべてが国会の承認が必要かどうか。これこそが本問の中心論点である。その理論的な検討は後述するところの譲ることにして、実務及び通説は、すべてではない、と解している。すなわち、同じ条文の中で使用されていながら、73条3号の場合、本文と但し書きとでは、条約の意味が違うと解されることになる。
本質的な部分は後述するが。上記98条の定義との単純な相違点を説明しておくと、ここでは最低限、次の点で73条3号本文よりも定義が狭くなる。
第一に、純然たる私法上の取り決めは、どんな説をとっても、国会の承認は不要と考えてよい。これは具体的法規範であるから、41条で一般性を実質的意味の立法概念の要件に含めている限り、それが国会の権限となることはあり得ない。
第二に、国会の審議を受けるためには文書化されている必要がある。そうでなければ、審議は不可能という単純な理由からである。
国会の承認対象となる条約の、それ以外の要件については、後述したい。
4 7条8号にいう条約(最狭義)
批准書の認証は、その存在する場合にしかできないから、そこでいう条約は、一義的に定まる。したがって、これが憲法中、最狭義の条約概念である。
これに対して、同じ7条でも、公布を必要とする条約が何であるかについては必ずしもはっきりしない。法律の場合には、公布はその発効の前提条件である(最高裁昭和32年12月28日大法廷判決)から問題ない。が、条約は後に詳述するようにその発効は調印ないし批准であるから、その意味で条約の公布に、国民に知らしめるという以上の特段の意味はないので、その範囲を理論的に決定できないためである(どんな条約でも国民に知らせる価値はある)。ただ、法律のほかに政令も公布対象になっていることから、内閣が当事者となっているすべての条約を意味すると解するのが妥当ではないかと考える(すなわち、73条3号本文と同じ意味)。しかし、実務的には、国会の承認を得た条約は一律天皇による公布を必要とし、その他の条約は原則的に外務省告示の形で官報に掲載されている。この結果、7条1号の条約は、73条3号但し書きと同じ意味となる。事後承認の可能性のある分だけ、7条8号の条文より心持ち広いわけである。
二 条約の承認の意義
ここまでは、諸君に論文を書くための前提として知っておいてほしいことを述べたのであって、論文に書く必要はない。諸君の論文のための説明はここからスタートする。
(一) 条約に関する国会の権限
条約の締結は元首の権限であることは、国際的な慣行である(国際慣習法)。本来、条約は政府に対し国際法上の権利・義務を課することを目的とする法規範であって、一般国民に関わる問題ではないから、政府限りで締結しうることは当然であった。そうした理由から、明治憲法の下では、条約の締結は天皇の専権事項とされ、国会にいかなる権限も認められなかった(同憲法第13条参照)。現行憲法もまたこうしたわが国慣行及び国際慣行に則って、条約締結権を内閣の権限を定めた第73条において規定した。通説がわが国に「元首」がいるとするならば、それは内閣である、とする根拠は、この条約締結権を内閣が保有している点にある。
したがって、条約の締結そのものに関して、現行憲法下においてもまた、国会は何の権限も有しない。ただ、73条3号但書きにおいて、事前、又は事後の承認権を認めているにとどまる。しかも、その承認手続きでは、予算と同一の、極度の優越性を衆議院に与えている(61条)。したがって、現行憲法においても、国会の条約に関して有する権限は非常に限定的なものであることを、明確に認識しておく必要がある。
このことから、三つの問題が発生する。すなわち、
第一に、国会の持つ条約承認権とはどのような性格の権限か、
第二に、国会はいかなる条約について承認権を持つのか、また、国会の承認権には、修正権を含むか、
第三に、事前ないし事後の承認の得られなかった条約は、どのような効力をもつのか、という問題である。順次検討したい。
(二) 国会の条約承認権の性格
大きく分けて、次の三説がある。
1 協同行為説
国会の有する承認権の性格については、条約締結を立法・執行両権の協同行為としての対外権と把握する説がある(たとえば芦部信喜「条約の締結と国会の承認権」『憲法と議会政』東京大学出版会1971年刊、205頁以下参照)。芦部信喜は、41条において実質的意味の立法概念を抽象的法規範すべてと捉えるから、必然的にほとんどすべての条約が実質的意味の立法に含まれる。その結果、このような解釈とならざるを得ない。
諸君は、論文の答案として、この説を書いて何ら問題はない。というよりも、基本書として芦部説を採用している人は採らざるを得ない。41条で実質的意味の立法=抽象的規範説を採る場合の必然的な答えだからである。
ただ、実務的にはこの説はとれないことを記憶しておいて欲しい。すなわち、この説は、現実の条約実務のほとんどを違憲とする。そして、今後においてこれに従うならば、現在のグルーバル化した世界の中で、わが国が日々に締結している膨大な量の条約がすべて国会に提出されねばならないから、国会審議を麻痺させる。かつ、その内容の重要性に関係なく、すべての条約について国会の承認が必要になるから、外交が停滞するという問題を引き起こすからである。特に国会閉会中は外交は事実上麻痺状態に陥るという問題を引き起こしてしまうのである。
理論的に見たときには、次のような点に難点がある。
確かに米国憲法では、外国との通商が議会の権限とされる(第1条6節3文)。そのような憲法の下では、このような解釈を導入することができる。しかし、わが国国会は、現行憲法の下において、ただ、73条3号但書きにおいて、事前、又は事後の承認権を認めているにとどまる。しかも、その承認手続きでは、予算と同一の、極度の優越性を衆議院に与えている(61条)。すなわち、内閣の存立基盤となっている衆議院の意思を絶対的なものとすることにより、法律の場合に比べて、政府の締結しようとしている条約案がそのまま承認される確率を高くしている。こうした規定は、全ての条約が法律と同一のものとする解釈とは整合性を持たない。
さらに、その後に制定された条約法条約においても、議会が条約締結に関与する権限は認められていない。むしろ、その46条で、議会による承認を得られなかった条約が原則的に有効であることを予定している(この点については後に詳述する。)。
以上のよう憲法と国際法の文言に照らす限り、対外的に、国会が内閣と協同して意思表示を行う余地はないと考えるべきである。
2 否認権説
承認権と憲法が呼ぶものは、実は承認権ではなく、それとは逆の単純な否認権ととらえる説がある。すなわち、国会の承認権とは条約の「制定につき『阻止する権限』(立法権又は財政決定権を防衛する権限)を承認権という形で国会に与えたものと解するのが妥当である。その『阻止する権限』は、条約を修正する権限ではなく、一括して承認するか、それとも否認するかの権限である」と説く(阪本昌成『憲法理論T』補正第3版成文堂286頁以下参照)。
もちろん諸君は、この説によって論文を書いて構わない。従前の国際法の枠内では、この見解は非常に説得力がある。
しかしながら、そうした硬直的な理解が今日において妥当するとは思われないので、あまり勧めたくない。すなわち、憲法の文言が「承認」というものであること、国際法的に見た場合にも、世界的に議会制民主主義を採用する国が普遍化するとともに、議会が条約の締結に当たり国内的に一定の発言権を有することが承認されてきており、それを受けて、後述するとおり、多国間条約の場合でさえも、留保その他の形で一定の限度で、条件付き批准権が認められるようになってきている。こうしたことを考えると、国会は条件さえ許せば積極的な内容改変の主張も許されると考えるべきである。こうして、次に述べる通説が成立することになる。
3 民主的統制説
国会の有する条約承認権は、対外的に元首の有する国際法上の条約締結権に対する国会の民主的統制権、と解する説である。すなわち、内閣の条約締結権に対して、国内的に認められた民主的コントロール手段である。したがって、締結権の範囲内にとどまる限り、承認の内容は自由でよい。条件を付することもまた可能である。
この説の下においては、協同行為説と異なり、すべての条約に対し、国会の承認が必要ではないという結論を導きうる。国会の承認の必要な条約が何かについては、昭和49年2月に政府が統一見解として、次の基準を表明している。
@ いわゆる法律事項を含む国際約束(例:租税条約)
A いわゆる財政事項を含む国際約束(例:経済協力に関する条約)
B わが国と相手国との間、あるいは国家間一般の基本的な関係を法的に規定するという意味において政治的に重要な国際約束であって、それ故に、発効のために批准が要件とされているもの(例:日中友好条約)
すなわち、憲法上、国の唯一の立法機関(41条、29条、31条、84条)として国会が独占している事項、および国会中心財政主義(83条)にしたがい国会が独占している事項について、条約で定めようとする場合には、必ず国会の承認を得る必要がある。なぜなら、条約が成立した結果、その条約を国内法化するために国会に提出された法案または予算案については、わが国が誠実に条約を遵守する義務を負っている以上、国会として否決する自由を有さないからである。したがって、条約締結にあたって、政府が国会の承認を得る必要がないとした場合、政府は国会の憲法上の権限を、条約という形式を採用すれば侵害することが可能となる、という不当な結果が導かれる。
また、国権の最高機関(41条)として、政治的に重要な条約については、同じく国会の承認を得る必要がある。この結論は、41条に関して政治的美称説を採ると、総合調整機能説をとるとに関わりなく、承認できるはずである。
なお、上記政府見解では、批准が留保されていることが要件に含まれている。確かに、国会が事前に承認するためには、批准が条件となっている必要が通常はあるが、署名を一時留保して、国会審議を受ける方法も実際には存在する。例えばベルサイユ条約締結時におけるドイツ議会の承認はこの方法によった。したがって、これは特に定義に含める必要がないと考える。
このように考える場合、次の条件に該当する場合には、既に民主的統制は行われているから、条約承認はいらないことになる。
@ 既に国会の承認を経た条約の範囲内で実施しうる国際約束
A 既に国会の議決を経た予算の範囲内で実施しうる国際約束
B 国内法の範囲内で実施しうる国際約束
上記各点は、先に紹介した政府見解が、国会の承認の不必要な条約としてあげたものである。AとBは自明であろうが、@はわかりにくいかもしれないので補足する。
すなわち、41条の唯一の立法機関概念は国会中心立法主義を定めているが、これは法律を基礎として委任命令及び執行命令を内閣が制定しうることを許容していると解される。政令という形の執行命令・委任命令については憲法73条6号の明言するところと解される。同じことは、条約を基礎とした委任命令及び執行命令についても言いうるはずである。この結果、これらは内閣が締結する条約(すなわち73条3号本文の条約)でありながら、国会の承認は不要ということになる。首相等の発展途上国訪問に際して発表される共同声明で、具体的な援助の額や内容にふれている場合、それは条約であるが、それがすでに国会で制定済みの法律や予算の範囲内にある限り、その共同声明に対する承認は不要となる。
この範疇に属するか否かが問題になった有名なものとして旧日米安全保障条約第3条に基づく行政協定がある。同条約3条は事実上白紙委任規定であり、また、それによって作られた行政協定は、砂川事件の訴因となった刑事特例法の制定を必要とするなど、きわめて人権制約的性格の強いものであった。したがって、このような場合には、国会の承認を経た範囲内に属するとはいうことができない。この先例の問題性に鑑み、新安保条約6条に基づく合衆国軍隊の地位協定については国会の承認が行われている。
このように、国会の承認権が元首の条約締結権の国内的コントロール手段として存在すると考える場合には、その権限の内容、換言すればその限界はどこにあるかは、条約の国際法上の締結権の行使形態によって決定されることになる。その点については項を改めて検討したい。
以上の論理を本問に適用すると、諸君が協同行為説に立った場合には、そもそも対外条約を国会の承認なしに締結することは許されないから、内容を検討するまでもなく、国会の承認が必要と言わねばならない。
それに対し、否認説ないし民主的統制説に立つ場合には、本件条約がFTAと呼ばれるきわめて重要な内容を持つものであること、関税に関する定めがあることの2点から、国会の承認が必要な条約に属することになる。
(三) 国会による事前承認権の内容と限界
先に論じたとおり、国会による条約の事前承認は、正式の手続きによる条約においては、普通は、批准を必要とする場合において可能である。条約の事前承認に当たり、国会としてどのような内容の決議をしうるか、すなわち、承認に当たり、修正を条件とすることができるか、条約の可分の一部についてだけ承認しあるいは否認することができるか、というような問題が、従来憲法学説的に論じられてきた。
前記のとおり、国会の事前の承認とは、原則として批准に先行して行われる承認の意味であること及び国会そのものには対外的な権限はないことを併せ考えると、国会が、条約の承認に当たり有する権限は、当然に、本国政府が条約を批准するに当たって有する権限の範囲内にとどまることになる。
条約の批准に当たり、本国政府が有する権限については、現在世界においては、二国間条約と多国間条約で分けて理解する必要がある。したがって、議会の条約承認権限も、また、その権限に対応する形で、分けて論じられなければならない。どのような点で分かれてくるかについて以下に詳細に説明したい。
ただ、諸君の書く論文のレベルであれば、以下の複雑な議論は省いて、単に、いずれにしても、本国政府に修正権がある限度で、議会にも修正権が認められると解する、と単純に述べてもそう大きな減点にはならないはずである(もちろん理由はちゃんと書いて貰わなければならないが)。論文の全体のバランスや字数制限の中で、以下の議論をどこまで書き込むかは、自分で主体的に決めて欲しい。
1 二国間条約における議会の条件付き承認決議等の効力
二つの国の間で締結され、他の国に影響を与えない条約においては、条約署名後に、それぞれの議会で加えた修正等をどの限度で受け入れるかは、基本的に両国間の問題にすぎない。当事国で話し合いさえ付けば、既に署名された条約案に対してどのような修正を行うことも可能である。そもそも本国政府による批准を条件としたのは、そのような修正があり得ると条約交渉担当者が考えたからに他ならない。
その結果、実際問題としていう限り、議会としても、条約の承認に当たり、どのような修正要求を行うことも基本的に可能ということができる。ただ、法律のような国内法の場合と異なり、相手のあることであるから、そうした修正要求が常に実現するとは限らない。相手方がその修正を拒否すれば、結局、条件付き修正決議は、承認拒否と同じ意味を持つことになる。
また、条約の個々の条項ないしその中の特定の文言は、それ単独で存在しているものではなく、条約全体における両国の互譲から生まれてきたものである。したがって、特定の条項や文言において、相手国のさらなる譲歩を要求する場合、通常は他の条項等における自国の譲歩を必要とすることとなるであろう。そのため、再交渉の結果、当該部分については議会の要求通りの文言の修正が行われた場合にも、それに伴う新規の譲歩について承認するか否かは、再び議会の問題となる。結局、過去の条件付き承認は効力を失うことになるから、それもまた承認拒否と同じことになる。
したがって、一般的にいうならば、修正条件付きの承認決議は、執行府に再交渉を命じた点に若干の相違があるものの、条約の承認拒否と基本的に同視するべきである。ただ、その結果修正された条約文言が、文字通り当初の修正決議の範囲内にとどまっていた場合には、既往の修正条件付き承認決議は文字通り有効なものとなり、再度の国会決議を不要とすることが許されるであろう。
条約の可分の一部だけを承認し、あるいは否認する決議は有効、と一般に説かれる。しかし、一体的に交渉された条約の場合、両国の互譲は、その全体のバランスの中で行われているのが通例である。したがって、通常の国内法と同様の視点から、形式的に可分か否かにより、結果が異なると考えるべきではない。むしろ、交渉に当たって、両国の代表者がどこまでが一体的なものであり、どの部分は可分と理解していたかが、そうした部分的承認決議の効力を決定することとなろう。すなわち、前述の修正付き承認決議と同様に、結果的に相手国がそうした部分承認を受諾すれば、その承認決議は有効であり、拒否すれば、結局不承認決議と同視するべきこととなる。
2 多国間条約における議会の条件付き承認決議等の効力
多数の国が一つの条約制定手続きに参画し、締結する場合が近時は非常に増加している。こうした多国間条約の場合には、条約本文は、既に多国間の協議により成立しているので、その文言の修正要求は、本国政府といえども行うことができない。したがって、国会が修正要求付きの承認決議を行った場合には、単純に否認の効果を発生することになる。ただし、その修正要求が、条約の文言の解釈として実現しうる範囲内であれば、「解釈宣言」という手法により対応する余地がある。これは、条約の特定の文言について、批准に当たって、その意味を特定する解釈を一方的に行うことをいう。このような解釈宣言は、他の条約批准国から異議が出ない限り有効と国際法上、一般に理解されている。
これに対して、条約の可分の一部については承認を拒絶し、あるいは拘束されることを拒否して、残部についてのみ行う承認決議については、事情が異なる。それについては従来、国際慣習法的に様々な取り扱い方法が生まれてきているが、今日では条約法条約が立法的に解決している点であるので、それにしたがって判断するべきである。すなわち条約法条約には、「留保」という手法が用意されている。
留保とは、「国が、条約の特定の規定の自国への適用上その法的効果を排除し又は変更することを意図して、条約への署名、条約の批准、受諾若しくは承認又は条約への加入の際に単独に行う声明」をいう(条約法条約2条1項d)。留保は、原則として有効である。したがって、議会もまた、留保が可能な条約については、条約の可分の一部についてのみ不承認とする議決をすることが可能である。その場合、政府は、その部分について留保を行いつつ批准しなければならない。ただし、条約が当該留保を付することを禁じている場合及びそのような留保を付する場合が条約の趣旨及び目的と両立しないものである場合には、もちろん留保を行うことができない(同19条)。したがって、そのような条約に関する議会の留保条件付き議決もまた効力を持たない。その場合、条約全体の否決とみなさなければならない。
また、実務上行われる手法として「選択」がある。すなわち、多国間条約が、より多くの国から批准されるように、国によっては異論のあり得る問題について、本来ならば一体的に制定されるべき条約の一部を、独立の条約としておく、という手法である。この場合には、当然に可分的な批准が認められる。その結果、議会の承認に当たっても特定条約だけに関する承認が可能である。例えば国際人権B規約には、本体をなす条約の他に、二つの選択議定書がある。わが国は、そのいずれも批准していない。
(四) 国会の事後承認権の内容と限界
正式の条約でも、批准が留保されておらず、署名即発効となっている場合、若しくは簡略条約の場合であっても、先に述べたように、法律事項、財政事項ないし政治的に重要な条約については、国会が承認することが、憲法73条但し書きの要求であると解せられる。この場合には、国会は事後承認をせざるを得ない。事後承認の場合には、国会の修正決議は、それを有効とする手段がないため、単純に承認を拒絶した場合と理解されなければならない。これが本問の最終的な答えである。
そこから、次の問題点が発生する。
国会の承認が得られない条約は、わが国憲法の下においては、違憲の条約の一種となる。違憲の法律が無効であることについては、疑問の余地がない(憲法98条1項)。
それに対し、条約が有効に成立した後、事後に国会がそれを否決した場合の、条約の効力については、従来有効説、無効説、及び折衷説などが対立していた。しかし、この問題は、国家相互の緊密な結びつきにより世界平和が保たれている現代国際社会においては、国際社会が、これを国内問題として、放置することはできない。そこで、国連は早くからこの点について研究を重ね、「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」という形で成文法化した。わが国も批准している。そこで、今日では、その解釈論という形で議論が行われることになる。具体的にはその46条で立法的な解決がなされたから、憲法解釈に当たって学説を論ずる余地はもはやなくなった。この条約はこのような意味で非常に重要であり、そこで、条約に関する問題が出題される場合には司法試験六法にすら掲載されている。ところが、驚いたことに、携帯型六法や判例六法では掲載していないものも多いので、以下に条文を紹介する。それによれば、
「第1項 いずれの国も、条約に拘束されることについての同意が条約を締結する権能に
関する国内法の規定に違反して表明されたという事実を、当該同意を無効にする根拠として援用することができない。ただし、違反が明白であり、かつ、基本的な重要性を有する国内法の規則に係るものである場合はこの限りではない。
第2項 違反は、条約の締結に関し通常の慣行に従いかつ誠実に行動するいずれの国に
とっても客観的に明らかであるような場合には、明白であるとされる。」
国際法と国内法の関係については、従来、一元説と二元説の対立がある、とされる。一元説は、国際法秩序の下位法として国内法を把握する。これに対して、二元説は国際法と国内法とが相互に無関係のものとする。これが問題となるのは、特に、条約が有効に成立した後、事後に国会がそれを否決した場合の効果についてである。一元説に立てば、それは問題なく有効ということになる。他方、二元説に立てば、国内法的には憲法の要求する有効要件を満たしていないのであるから、過去に遡って無効になると考えるのが妥当である。一方、国際的にはそうした条約も、誠実な遵守義務が課せられていることになる。
したがって、条約法条約の存在する今日においては、国内における憲法解釈として、わが国憲法が条約優位説を採っているか憲法優位説を採っているかとか、一元説と二元説のいずれをとっているか、という議論は全く無意味なものとなった。それに代わって、わが国憲法がいう国会の事後承認が、一般に条約法条約46条が要求している二つの条件を具備しているといえるかどうかという点に問題の焦点が移った。肯定されれば憲法が国際的にも優位する事になり、いずれか一方だけでも否定されれば、国際的には条約が優位する事になり、確定的にどちらかの説が正しいという議論は、もはや不可能なのである。
国会の承認が条約の成立要件であるということは、憲法そのものの規定だから、「基本的重要性を有する国内法の規則に係るもの」であることは確かである。今一つの「違反が明白」かどうかについては、46条2項が更に詳しい解釈基準を与えている。先に述べたとおり、現行憲法の有権解釈として、狭義の条約に限定してさえも、すべての条約が国会の承認を必要とするわけではない。そして、承認の必要性の有無は国内法の解釈ないし予算の配賦の有無にかかっているので、これらは「条約の締結に関し通常の慣行に従いかつ誠実に行動するいずれの国にとっても客観的に明らかである」事実とはいえないと考える。したがって、条約の制定手続きの憲法違反という瑕疵を根拠に、その対外的無効を主張することは、通常は困難と考えられる。したがって、原則論的にいえば、国際法的側面に関する限り、条約優位説にしたがって理解する必要がある。
以上のことからいうと、解釈法学的には、国会の事後における条約承認の拒否は、意味のない行為といわなければならない。予備費の支出に対する事後の承認拒否決議が、法的に意味がないのと同様に理解することができるであろう。
こうした状態を打破するために、交渉当事者は、憲法上の義務として、条約交渉の過程において、最狭義の条約に属すること、したがって事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を得る必要のあることを相手方に告知しなければならない、というべきである。その告知がなされている場合には、国会の事後承認が得られない場合には条約として憲法上認められないことが、相手国にとっても明らかである。その場合には、わが国として、その違憲性に基づく無効を対外的に主張できることになる。
三 付説
以下に述べる議論は、本問とはまったく関係がない。しかし、上述したところから当然に疑問あるいは誤解が生ずると思われるので、この機会にあわせ、説明しておきたい。
(一) 内容が憲法に違反している条約について
憲法の規定に実質的に違反している条約の無効についても、条約法条約は明確な制限をおいている。すなわち27条に依れば、
「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない。」
とされる。憲法も国内法の一環であるから、同条約を批准した以上、わが国が締結した条約が、内容的に違憲であることから無効を対外的に主張することもまた、禁止されることを意味する。
したがって、憲法に劣後し、その結果憲法の授権により締結される条約であっても、対外的には無条件で条約が優位すると理解すべきである。その場合、対内的関係においては、しかし、憲法の優位性から、無効と解釈すべきことになる。要するに、基本としては二元説的に理解されることになる。この結果、内閣は早期に条約改定交渉を行う法的義務を負うことになる。しかし、それまでの間は、その条約を「誠実に遵守しなければならない」(憲法98条2項)。
(二) 超憲法的効力を持つ条約
多くの人が気がついたと思うが、条約法条約がどう規定しているか、ということで、条約と憲法の関係が決まるという、ここまでにしてきた説明は、条約法条約が超憲法的な効力を持っているという前提の下でないと成立しない。
ところが、わが国憲法学界には、伝統的に憲法と条約の優劣という議論が存在する。そして、おそらく、この対立に関しては、憲法優位説が通説であろう。この説に従った場合には、そもそもあらゆる条約が憲法に劣後するのであるから、条約法条約が超憲法的な条約であるという説明は、ナンセンスといわねばならないはずである。
しかし、そもそもこの憲法優位説なる学説は、世界における現実の憲法や条約を無視した議論であるから、今日では言及するのは不適切であると考える。
さらに基本的な部分からいえば、条約は、上述のとおり、きわめて幅広い概念であるから、法段階説的に見た場合にも、単純に一つの分類の中で理解するのは適当ではない。
簡単に言うと、条約は大きく三つに分類できる。
@ 憲法よりも上位の条約、
A 憲法よりも下位だが法律よりは上位の条約、
B 法律よりも下位の条約、
である。
1 憲法よりも上位の条約
憲法よりも上位、すなわち、超憲法的条約というのは、一般に、その国の存立の基礎を作り出している条約において見られる。たとえば、欧州における今日の国境線の原型を作り出したウェストファリア条約、同じく今日の国際秩序の原型を作り出したベルサイユ条約などがその典型である。
現在のわが国に関して言えば、ポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約は、この範疇で理解すべきだろう。私見によれば、旧日米安保条約も、サンフランシスコ講和条約とシャム双生児的な関係に立つものという意味で、やはり超憲法的効力を持つ。
現在という時点で、超憲法的効力を持つ条約としてもっとも名高いのは、EUの基本条約(マーストリヒト条約等)である。
なお、超憲法的効力を持つ法規の典型は、憲法98条2項の言う「確立された国際法規」である。国際慣習法は、一般に憲法よりも上位にあると解される。たとえばわが国内の外国公館の治外法権や外交官特権などは、いずれも憲法14条違反といえようが、国際慣習法が憲法よりも優越する結果、尊重されているわけである。なお、今日では、この国際慣習法は、成文法化され、領事条約と呼ばれていること、前述のとおりである。
このような超憲法的条約の存在を承認すると、条約改正手続という簡略な方法で憲法改正が認められることになり、不当ではないか、という疑問が生ずると思う。その答は簡単で、そのとおり、したがって、超憲法的な条約を、通常の条約締結手続で行うことは許されない、ということである。
その一つは、わが国ポツダム宣言に代表されるとおり、敗戦という憲法の予想していない異常事態の中で、超憲法的な手続で締結されるものである。あるいは、そういう異常事態の終結を定める条約もその類型といえる。ウェストファリア条約やベルサイユ条約、サンフランシスコ講和条約などがその範疇に属する。
そのような異常事態にはない、平時における超憲法条約は、原則として憲法改正手続きをとることで締結されなければならない。その方法には、二つある。一つは、条約の締結に当たって、憲法改正手続を取るという方法である。例えば、フランスは上記マーストリヒト条約を締結するにあたって、憲法改正の手続きをとった。
今ひとつの方法は、憲法が事前に要件を明記して、超憲法的な条約締結権を政府に与えている場合である。ドイツの場合、マーストリヒト条約締結に先行して、ドイツ憲法(基本法)23条に、その授権規定を予めおいたのである。
わが国が、通常の条約締結手続で、本問で問題となっている条約法条約のような超憲法的効力を有する条約を締結しうるのは、憲法98条2項が、国際協調という目的ある場合においてはそれを認めているからだ、と解釈することができる。
2 憲法と法律の中間に位置する条約
これは、換言すれば、憲法73条3号但書き及び61条の定めるところに従い、事前に、時宜によっては事後に国会の承認が必要な条約のことである。内容については前に述べたとおりである。
3 法律よりも下位の条約
国会の承認が不要な条約が存在する理由は、それが既に民主的統制下にあるからである。換言すれば、法律や予算より下位にあるからである。例えば、既に存在する法律の範囲内である、ということを理由に、国会の承認が不要とされた条約の運用に当たり、既存の法律に抵触する解釈を採用することは許されない。
このような条約の三類型は、事実の問題として存在しているのであるから、それを無視して観念論的に、憲法と条約の優劣を一般論として議論するのは無意味であることが理解できると思う。