二院制と衆議院の優越
甲斐素直
問題
現在の日本銀行法23条1項は次のように定めている。
「総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する。」
平成○○年、内閣総理大臣Xは、元財務省事務次官某を日本銀行総裁に任命しようとした。
衆議院では与党甲が議席の過半数を占めていたため、総裁人事案は問題なく賛成多数で可決された。ところが、参議院においては野党乙が議席の過半数を占めており、乙は、財務官僚の日銀支配に反対するとして、総裁人事案に対し反対投票したため、参議院では同案は反対多数で否決された。この結果、前任総裁の任期切れに伴い、日本銀行総裁が空席となった。
この異常事態に対し、Xは、日本銀行法23条1項を、憲法60条2項に準じて、次のように改正する事を決意した。
「総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する。ただし、参議院で衆議院と異なつた議決をしたとき、又は参議院が、衆議院の議決後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」
これに対し、乙の党首Yは、上記日本銀行法改正は二院制を定める憲法に違反するとして、絶対反対を表明した。そこで、Xは憲法59条2項に準じて次のように修正することを提案した。
「総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する。ただし、衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした場合には、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」
しかし、Yはこの修正案にも同じ理由から反対した。
X及びYの主張に含まれる憲法上の論点について論ぜよ。
[はじめに]
議会の設置方式には、二院制(Bicameralism)と一院制(Unicameralism)がある。世界のほとんどの国で二院制を採用しており、一院制はごく少数にとどまる。
フランス革命期の理論的指導者シェイエス(E. J. Sieyès)は二院制に強く反対し、「第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば、無用であり、もしそれに反対するならば、有害である」といったと伝えられている*[1]。ねじれ国会という事が近時しばしば議会制度の病理現象のようにいわれる。しかし、両院が、常に同じ議決をするならば、そもそも第二院は不要なのである。二院制は、両者の決議が異なることを予定している制度といわなければならない。その意味で、ねじれ国会は憲法が本来予想している現象なのである。
これが具体的な問題として現れてくるのが、本問で取り上げている国会同意案件と呼ばれるものである。この問題のように、国会同意が内閣の任命要件となっている人事は36機関にのぼる。
しかし、本問のように、法律で、人事案件に関して、衆議院の優越、さらには衆議院の単独同意を定めた例は、過去においては結構存在していた。それを簡単に整理すると次の表のとおりである。
機関
官職等
衆院優越
任命権者
根拠法
時期
規定
会計検査院
検査官
1947年5月3日-1999年5月10日
衆院優越
内閣
会計検査院法
人事委員会
委員長及び委員
1948年7月1日-1948年12月3日
衆院優越
内閣
国家公務員法
人事院
人事官
1948年12月3日-1948年12月21日
衆院優越
内閣
国家公務員法
旧国家公安委員会
委員
1948年3月7日- 1954年7月1日
衆院優越
内閣総理大臣
旧警察法
地方税審議会
委員
1948年7月7日- 1950年4月1日
衆院優越
内閣総理大臣
旧地方税法
日本国有鉄道監理委員会
委員
1949年4月1日- 1953年8月1日
衆院優越
内閣
日本国有鉄道法
日本国有鉄道経営委員会
委員
1953年8月1日-1956年6月25日
衆院優越
内閣
日本国有鉄道法
公正取引委員会
委員
1947年7月1日-1947年7月31日
衆院単独
内閣総理大臣
独占禁止法
公正取引委員会
委員長及び委員
1947年7月31日- 1952年8月1日
衆院単独
内閣総理大臣
独占禁止法
統計委員会
委員長
1949年6月1日- 1952年8月1日
衆院単独
内閣総理大臣
旧統計法
しかし、1999年に会計検査院について廃止されたのを最後にすべて廃止され、現在は人事に関し、法律による衆議院の優越規定は存在していない。また、この表で判るとおり、日銀総裁人事について、衆議院の優越が定められたことはかつて無い。しかし、ここで採り上げた問題は、2008年当時、自由民主党の福田内閣時代に現実に発生し、自由民主党側では、当時、実際に日銀法改正を検討している。
この問題では、憲法における衆議院の優越規定との関連を見てほしかったので、立法例として書き込んだものでは、あえて憲法をそのままコピーしたが、実際にはもう少し単純に規定されていた。そのような人事案件について、衆議院の優越を定めた最初の例であった会計検査院検査官の場合を例に挙げると、次のような条文であった。
「4条1項 検査官は、両議院の同意を経て、内閣がこれを任命する。
同2項 検査官の任命について、衆議院が同意して参議院が同意しない場合においては、日本国憲法第67条第2項の例により、衆議院の同意を以て両議院の同意とする。」
このように、法律で衆議院の優越を定めることについては、かつての学説は、次のように述べて無造作に肯定していた。
「憲法の定める二院制は衆議院の優位を原則とするものと認められるから、法律でこれに同調して、衆議院の優位を定めても差し支えないものと考えられる。」
(清宮四郎『憲法T』有斐閣昭和32年刊169頁)
しかし、本当にその様に無造作に、憲法が衆議院の優越を原則と定めていると言い切れるのだろうか。そして、仮に優越を定めている場合においても、従来存在していたような優越規定を本当に定めることが許されるのであろうか。ここで論じてほしいのは、まさにその点である。
一 国民主権原理と二院制
(一) わが国二院制の特徴
二院制は狭義の国民主権の下においてのみ、考えられる。二院制の要請は、すべてこの点から出てくることを述べなければ論文にはならない。
国家の規模が大きくなれば、直接民主制は物理的にも不可能になるから、どのような主権論を採ろうと、一定以上の規模の国家においては、代表民主制は必然となる。
しかし、同じく国民主権原理をとっていても、人民主権原理と狭義の国民主権原理では、代表民主制に対する評価が根本的に異なる。
1 人民主権の下では、直接民主制が基本的に正しい民主主義のあり方であると認識する。しかし、現実に常時それを行うことが不可能であるところから、議会制民主主義が導入されるのである。だが、主権者である人民が、自らの権利を放棄したわけではない。議会の決定が人民の意思とずれている場合には、人民自らが活動して、是正することが可能である。その手段として、人民は、人民投票、人民発案、人民拒否など、みずからが決定を下す、という直接的方法と、議会における代表者を命令的委任に反した、という理由で罷免する(リコール)という間接的方法を有している。したがって、民意の多元的な表明、議会の暴走の防止その他二院制を適正なものとする理由は、この制度の下では妥当せず、第二院はいかなる意味においても不要である。この結果、この説の下では、第二院は、第一院と同じ判断を下す場合には無用の長物であり、反対する場合には無用の障害物である、と言われるわけである。
2 狭義の国民主権では、国民そのものは抽象的概念であり、したがって自ら活動することはない。国民を代表する議会だけが民意を反映する手段である。議会の活動が不適当な場合にも、国民がそれを国民投票などで直接是正することはありえないし、選挙民が議員をリコールすることは命令的委任の禁止から許されない。したがって、議会がより正確に国民の意思を反映するためには、多元的な国民意思の反映手段が求められ、この結果、第二院が必要となる。
したがって、本問の第1の論点は、主権論となる。主要論点ではないから、どの程度に簡略に論及するかが答案構成の腕の見せ所であるが、全く論及しなければ、その段階で合格答案足り得ない。
普通に諸君があげる二院制の存在根拠は、いずれも狭義の国民主権を前提としてのみ、意味を持つことが判るであろう。すなわち
@ 民意の忠実な反映→第一院とは異なる選挙方法
憲法43条1項は、両院を共に全国民を代表する議院と規定している。しかし、上述のように民意の多角的反映が二院制の根拠であることを考えると、両者が同一の選挙制度をとることは憲法の禁止するところである、と考えなければならない。憲法は参議院に半数改選制を要求することにより、このことを明確にしている。
なお、審議期間中の世論の推移を議会に反映しやすい、という点を上げる人があるが、二院制のどこにそのようなセンシティブな要素を導入できるのか理解できない。そもそも、命令的委任の禁止を基本命題とする狭義の国民主権原理の下で、世論の反映を議会の使命とする発想そのものが理解できない。
A 第一院の軽率な行動の抑制
第一院が軽率な行動をとった場合、国民主権原理の下においては、国民がそれを問題にする手段はないのであるから、国民に代わる能力を持つ第二の代表機関を設ける以外には抑止手段を設けることができないのである。なお、これとは切り離して「議会の専制の防止」ということが挙げる人がいるが、この二つは同じ意味と理解すべきであろう。
B 第一院不存在時の国会の代行(参議院の緊急集会)
本問のように、「日本国憲法における二院制」といわれたとき、この点を落とすことはできない。これこそが他国に例を見ない、日本独特の二院制の根拠だからである。その内容そのものは、ここで繰り返し論ずることはしないが、独立活動の原則の例外という位置づけではなく、制度根拠としての位置づけで、その重要性を書いてくれた方が論文構成としては遙かに優れていると考えている。なお、この機能を「補充的役割」という用語を使用して説明している人があるが、単に第1院を補充するのではなく、国会の機能を一院だけで果たす、という二院制下における変則であるという意味が補充という用語では十分現れないという意味で、妥当な用語ではない、と考える。
なお、一般的には「下院と政府の衝突の緩和」ということが挙げられるが、これはわが国の場合、意味がない。内閣と衆議院との間で不信任とか、解散という問題が発生した場合、それに対応するどのような権限も、参議院は有していないからである。これは、アメリカのように議院内閣制を採用しない二院制の国で言える機能であるので、日本国憲法の議論でそこまで書いては、かえって減点の要因となる。
(二) 第二院の存在形態
このような問題に対して、二院制の世界的な分類にスペースを投じて書く人がいるが、ここで論じるべきは、あくまでも「日本国憲法における二院制」なのだから、外国制度の紹介などは基本的に論点足り得ない。
そもそも、外国制度は単にその表面的な現象だけをとらえて云々することが非常に難しく、教科書等でも往々にして誤りを記述していることが多い。その意味でも、安易な事実紹介を「論文」の中で行うのは自殺行為である。
しかし、議論の背景として、各国制度を理解しておくことは大切であるので、以下、若干の紹介をしておきたい。
1 貴族院型 (イギリス、旧日本)
欧州各国における議会は、いずれもゲルマン民族の意思決定機関であった民会制度が発達したもので、封建制や絶対制よりも古い歴史を持ち、中世から近代に至るまで一貫して存在を続けてきた。それらは、ゲルマン民族が単一の戦士階層から、貴族、僧侶、平民その他の身分に分化していったのを受けて、フランスの三部会やドイツの等族会議に代表されるような、多院型議会へと変化していった。この中からさらに僧侶階層の没落あるいは貴族階層と平民階層への分裂とともに、貴族院と庶民院が生き残るという形で生まれた、いわば二院型のプロトタイプというべき型がこれである。
しかし、国民主権原理の確立と共に、これも、大きな変革を受けていることを無視してはならない。すなわち、単なる世襲貴族に加えて、多額納税者、学識経験者などがその構成員に加えられ、より多元的な国民意思の反映が、そこで行われるようになったのである。すなわち、世襲貴族が過去の国民を代表し、多額納税者が現在の国民中、社会的に強い力を持つものを代表し、学識経験者が将来の国民の利益を代表していると要約すれば、これも立派な国民の多元的な意思の代表といえるのである。わが国旧憲法下の貴族院はその典型である。イギリス貴族院も、そうした新たな社会階層を一代貴族という形で迎え入れることにより、やはり同様の機能を果たしてきたことが、今日までそれが存続を続けてきた大きな理由である。
その意味で、貴族院型といっても、それも一種の国民代表としての機能を果たしていることを無視してはならない。
2 連邦型 (アメリカ)
連邦国家で二院制を採用したからといって、それが直ちに連邦型になるわけではない。 アメリカは連邦型の代表的存在である。これは単に、議員が州を単位として選出するからこう呼ばれるわけではない。より強い結びつきが州と上院議員との間に存在するのである。たとえば、上院議員が任期中に欠けたときは、その後任者は州知事が一存で任命し、日本のような補欠選挙などはいっさい行われない。そのような意味で、明確に州代表としての要素を備えているのである。
3 第二次院型(フランス、イタリア、現日本)
貴族院や連邦型のような制度基礎を持たず、全国民を代表するという点では第1院と同じ基盤に立ち、第1院の行き過ぎ等を是正する機能を担っている第2院がこれである。今日の世界で、連邦国家ではない普通の国が二院制を採用している場合には、国民主権原理の要請から、当然にこの型となる。
しかし、それぞれの国の特殊事情を反映して、具体的制度においてはかなりの差異を示す。たとえばフランスの場合、ドゴールが地方の名士層を基盤としていたことから、そうした名士が選出されやすい特殊な選挙制度がそこに導入されてくる。
イタリアの場合には、憲法上は連邦国家の形態をとっていないが、建国における特殊事情からアオスタ流域州など一部の州や市は、連邦制下における州に比すべき強力な自治権を持っていることもあって、次第に連邦制に近い法制度へと変化してきている。
わが国の場合には、憲法制定時には、参議院は職能代表制を採用しようという明確なコンセンサスが存在していた。衆議院が地域を基盤として議員を選出するのに対して、これは職種を基盤として選出しようという方式で、究極の多角的民意の抽出を目指していたのである。しかし、全国民に対してもれなく何らかの職種によって選挙権を与えると共に、二重の投票権を与えない、という制度を制定することの難しさから、このことを憲法に明記することは見送られたのである。
しかし、かつて存在した全国区は、全国的な組織を有する団体以外に候補者を送り出すことができない、という点で、限りなく職能代表制に近い制度であり、その点で高く評価することができる。
これに対して、現行参議院の選挙方式は、選挙区制と比例代表制を併用する、という点で、現行衆議院の選挙方式と基本的に違いがなく、両議院の違いをいたずらに卑小化している。これは二院制を定める趣旨を否定するに等しく、その意味で違憲の疑いがあるということができよう。特に問題が大きいのが比例代表制の導入である。比例代表制は、その本質から参議院の政党化をいやでも推進することになってしまうからである。政党化が進めば、参議院が衆議院と異なる観点から民意を反映することは当然に難しくなる。
* * *
選挙制度に関しては、間接選挙の導入の可否を論じている人が時々いる。これをこのレベルの答案で取り上げる必要があるとは思わない。しかし、出題のされ方によっては、それが論点となる場合もあるであろう。そこで、本問においては書く必要のない議論であるということを強調した上で、若干解説しておく。
地方自治制度が明確に直接選挙を要求している(憲法93条)のに対して、国政選挙に関してはそれを否定する規定は全くなく、民主制の理念とも背反しないから、導入は可能と考えるべきであろう。
そこで、例えば、参議院議員選出にあたって地方議会を基盤をする型の間接選挙を導入することは可能だろうか。今日のわが国のように、過密地域と過疎地域の落差が激しい国家にあっては、第一院の選挙制度を議員定数を忠実に人口比例するように作れば、必然的に第一院は大都市の意見のみを反映する機関となる。その行き過ぎを補正する、という二院制の趣旨に鑑みるときは、明確に地域代表的機能を参議院に与え、実質的に連邦型に近い運用をすることは、憲法の趣旨にむしろ適合している、と考える。実際、上記、フランスやイタリアの場合も、第二院はそのような機能を果たしている、ということができる。その意味で、検討の価値あるアイデアと思う。先に述べたように、選挙制度に地域代表的要素が強くても、議員が全国民の代表者と位置づけられている限り、連邦型になるわけではない。
二 両院相互の関係
二院制の下で、両院相互の関係を支配する重要な原則として、両院対等の原則、両院同時活動の原則、両院独立活動の原則の三原則が存在する。これを論ずる場合にも、諸君にとり重要なことは、これが論文である以上、単に三原則を紹介し、内容を説明するだけでは全く点にならない、ということである。ここにはほとんど学説の差異がない。したがって議論の分かれるところ、という観点からの論点はない。そのような場合には、先に書いた二院制の意義から、これら三原則を理論的に導く、という姿勢を示すことで、論文としての体裁を確保する、という手法を導入する必要がある。
三 両院対等の原則(59条1項)
国民主権原理を採用したからといって、常に二院制を採用しなければならないわけではない。
しかし、あえて二院制を導入する以上は、その制度目的、すなわち、多角的民意の反映と第一院の行き過ぎに対する抑止機能を、第二院に与えねばならない。
対等原則という観点から見た場合、特に重要な理由が、多角的民意の反映である。選挙制度の違いこそあれ、全国民の代表者という点で両者は全く対等の存在なのであるから、その持つ権能も対等、と考えるのが妥当である。
そして、第一院の行き過ぎ是正という観点から見た場合にも、等しい権能を持つことで、はじめて完全な抑止力を発揮することが可能となるのである。このように考えると、この両院対等の原則は二院制度の本質と密着したきわめて重要な原則であるといえる。
同時に、憲法は幾つかの場合に衆議院の優越を定めた。具体的には次の点である。
@ 法律案の議決 (59条2項)
A 予算案の先議権と議決 (60条)
B 条約の承認 (61条)
C 内閣総理大臣の指名 (67条)
このことには、次の三つの論点が存在する。
第一に、なぜ第一院に優越が承認されるのか、という点である。
第二に、このうち、法律案の議決においては、衆議院は三分の二の多数というかなり厳しい条件の下でのみ、優越が可能になるのに対して、後の場合は、一定の要件さえ満たせば、単純過半数による議決でも優越が承認されるという点で、優越の度合いが大きいが、このような大幅な優越が承認された理由は何か、という点である。
第三に、これらの議論を受けて、法律で衆議院の優越規定を設けることは可能か、という、本問の中心論点が導かれることになる。
順次検討する。
(一) 衆議院優越の理由
この点はかなり単純である。あらゆる場合にその対等性を貫くときは、両者の意見の調整がつかないままに、国政が膠着し、麻痺するおそれが存在するからである。
そこで問題は、なぜ、衆議院が優越することにされたのか、という点にある。換言すれば、衆議院を第一院とわが憲法が規定した理由は何か、ということである。
一般に、衆議院議員の任期は4年であり、参議院は6年で、その年数の分だけ、より衆議院の方が、民意を良く反映しているから、と説明する。したがって、諸君としては論文にそう書いて何ら問題はない。
しかし、この説明には疑問がある。なぜなら、参議院は憲法上半数改選を義務づけられているから、3年ごとに選挙があり、その意味で、選挙頻度という点では、参議院の方がよりよく民意を反映している、とも言えるからである。全体としてみても、3年と6年の平均的年数を想定すれば、ほとんど衆議院の任期と遜色がない、ということができる。
また、衆議院は頻繁な解散、総選挙を通じて、より良く民意を反映しうるから、という説明も存在する。しかし、憲法制定時には69条解散だけが想定されていたことは間違いない。69条解散は、議院内閣制の本質に関する均衡本質説の要求する理念としての武器であって、実際に解散権を行使することを予定した制度ではない(要するに伝家の宝刀であって、抜くことは考えていない)。7条解散は、その後の憲法慣行の中で生まれた制度であるから、その事実をもって憲法制定理由を説明することには本質的な無理がある。
このように考えてくると、わが国議院内閣制が、内閣の存立基盤を国会全体ではなく、もっぱら衆議院の信任の上に維持することを憲法が規定している(特に70条参照)ことに、その根拠を求めることが妥当と私は考えている。69条の解散制度も、この均衡本質説から来る議院内閣制の理念を表明したものであるに過ぎない。
(二) 衆議院優越度合いの相違の理由
法律における衆議院の優越の度合いは、常識的な線である。たとえば、アメリカ憲法では、議会と大統領が対立した場合に、大統領の反対を押し切るために、議会に3分の2以上の多数による議決を要求している(1条7節3項)。このように、対立の解消のために一方の機関に優越を承認するするときには、その優越の乱用防止のため、特別多数を要求するのは一般的手法ということができる。
これに対して、A以下のように単純多数で参議院の反対を押し切れる、という制度はきわめて例外的である。このような制度の下では、第二院は事実上存在意義を失い、無用の長物に転落するおそれが強い。実際、予算の場合、衆議院で可決すれば、マスコミも事実上の予算成立として報道し、参議院のその後における審議にはほとんど注意が払われない。
特定の事項に関して、この異常に強力な優越を憲法が認めた理由は何か、ということは、法律の制定における衆議院の優越とは切り離して、検討する必要がある。
ここにあげられている事項には、一目で分かるとおり、議院内閣制と密接な関係が存在している。すなわち、予算とは、実質的に内閣以下の行政の活動原資であり、その制定権は、議院内閣制の下における国会の最も重要な行政コントロール手段である。条約とは、原則的には内閣が一存で締結しうる国際法規で、例外的に法律事項、財政事項、重要事項に該当する場合にのみ、国会の同意を要請されるに過ぎない。最後の首相の選任は、まさに議院内閣制そのものといって良い。こうして、ここでも議院内閣制が中心となる理由と見るべきである。
(三) 法律による衆議院の優越の可否
この節の冒頭に述べたとおり、両院対等の原則は、二院制の本質から導かれる原則である以上、その例外は憲法自らの定めた場合以外に認めることはできない。法律をもって導入することは明らかに妥当ではない。その観点からすれば、既に削除された会計検査院法4条2項ばかりでなく、現在存在している国会法13条についても違憲の疑いが濃厚であるということができる。
しかし、両院対等原則という憲法上の重要原則の例外を、一歩譲って、法律で例外を定めることが許されるとしても、法律という法形式をもって、憲法上、法律に認められた優越性を上回る優越性を導入することは明らかに違憲というべきである。いかなるものも、自ら有する異常の権限を他に与えることはできないのである。
仮にこれについても何らかの論理で肯定されたとしても、先に述べたとおり、衆議院の単純議決を両議院の議決と同視するという強力な優越性を認めるには、その様な強力な優越を認めるべき制度趣旨を同じくしている必要がある。私の主張するように、そのような強力な優越性は議院内閣制との関連において認められるものと考える場合には、そのような関連性を、政治的な中立性が強く求められているがゆえに、本質的に有していない会計検査院検査官の任命についてそれが認められるはずがないのである。同様に、国会の会期は、国会法11条が「臨時会及び特別会の会期は、両議院一致の議決で、これを定める」とあるとおり、自律権の支配するところであることからすれば、これまた、議院内閣制との関連を云々するべき問題ではない。
四 補論
せっかくの機会であるので、本問とは関係がないが、残る二つの原則についても説明しておきたい。
(一) 両院独立活動の原則(55条、56条、57条、58条、62条)
この原則には、特に論じなければならないような重要な問題は特に存在しない。「二院制について論ぜよ」というような出題の場合に、初めて論じる必要が生じる程度であろう。その場合には、何も知らないわけではない、ということをアッピールする目的で、さらっと内容紹介する程度で十分であろう。
二院制をとる、ということはその制度目的のどれを重視するにせよ、二つの組織を作る、ということである。わざわざ二つの組織を作りながら、合同して活動させるのは意味がない。したがって独立活動が導かれる。これは原則というより、二つの組織が存在することから来る当然の結果、ということができる。ここから、議院の自律権という極めて大きな権能が導かれるが、二院制との関連で論ずるには大きすぎるテーマだから、一言触れるだけで十分である。
諸君の中には、両院協議会をその例外としてとらえていた人もいると思う。確かに普通教科書はそういう書き方をするから、論文としてはそれで問題はない。しかし、二つの組織が存在する以上、両者の意見が異なれば、調整しようとするのは当然で、そうした協調活動を一々例外と把握する必要はないであろう。アメリカなどに見られる両院の合同会議のようなものが、典型的な例外というべきである。
その意味で、日本の場合には、弾劾裁判所が例外という概念により近い。ただ、弾劾裁判所の場合には、国会に設置されているだけであって、国会の活動ということはできないから、その点で例外にカウントしないわけである。
(二) 両院同時活動の原則(第54条第2項)
この原則の場合も、特に論じなければならないような重要な問題は特に存在しない。知らないわけではない、ということをアッピールする目的で、さらっと内容紹介する程度で十分であろう。
同時活動の原則は、二院制の要請というより、国会という概念から導かれる当然の結果と把握するのが正しい。すなわち、内閣や裁判所と違い、国会は召集から始まって閉会までの会期と呼ばれる限定された期間だけしか存在していない。衆議院も参議院も、国会の構成要素である以上、その期間しか、活動能力を持たない。したがって、いやでも同時に活動をせざるを得ないのである。
衆議院が解散された場合、国会はその重要な要素を失って消滅する。国会が存在しない以上、参議院もその活動能力を失う。憲法54条2項は、この当然の事理を述べたものである。
参議院の緊急集会をその例外とする、というのも通説的な書き方であるから、諸君の論文としては問題はない。しかし、間違いと考えている。同時活動の原則は、あくまでも国会の存在を前提にしているのであるが、緊急集会は、国会が存在しない期間において、参議院が国会の機能を果たす、という制度だからである。
*[1] このシェイエスの言説に関しては、高見勝利「両院制と「衆議院の優越」」『法学教室』247号, 2001.4, p.53を参照。