浦和事件と司法権の独立
甲斐素直
[問題]
夫Aは生業に就かず、自らの全財産を処分して賭博にふけっており、妻浦和充子と3人の子を顧みないため、浦和充子は、前途を悲観して、1948(昭和23)年4月7日、親子心中をはかり、3人の子供を絞殺したが、自分は死にきれず自首した。
この妻浦和充子に対し、浦和地裁は「犯行動機その他に情状酌量すべき点がある」として懲役3年・執行猶予3年の判決を下した。
これに対し、翌年5月から「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」を行ってきた参議院法務委員会は、同年10月、これを「検察及び裁判の運営に関する調査」とあらため、翌年3月、当該事件を取り上げ、被告人である母親や元夫、担当検事らを証人として呼び出し、調査した結果を同年5月「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」の報告書にまとめ、「検察官および裁判官の本件犯罪の動機、その他の事実認定は不満足であり、執行猶予付きの懲役3年の刑は軽きに失し当を得ない」と結論づけた。
この動きに対し、最高裁判所は、「司法権は憲法上裁判所に専属するものであり、法務委員会が、個々の具体的裁判について事実認定もしくは量刑等の当否を精査批判し、又は司法部に対し指摘勧告する等の目的をもって、前述の如き行動に及んだことは、司法権の独立を侵害し、まさに憲法上国会に許された国政に関する調査、いわゆる国政調査権の範囲を逸脱する措置といわねばならない」として強く抗議した。
これに対して参議院法務委員会は次のような声明を行った。「国会は、国権の最高機関で、国の唯一の立法機関である。国政調査権は単に立法準備のためのみでなく、国政の一部門である司法の運営に関し調査批判する等、国政の全般にわたって調査できる独立の権能である。司法権の独立とは、裁判官が具体的事件を裁判するにあたって、他の容かい干渉を受けないことで、したがって、現に裁判所に係属中の訴訟事件の調査は問題があるとしても、すでに確定判決を経て、裁判所の手を離れた事件の調査のようなものは、司法権の独立を侵害するものではない」。
上記に係る最高裁判所と参議院法務委員会の、司法権の独立に関する見解の相違について憲法上の問題について論ぜよ。
[はじめに]
浦和充子のおこした事件そのものは、最近話題の児童虐待死とでもいうべき残虐な犯行で、このような犯行に執行猶予をつけるというのは現行憲法の定める個人の尊厳、特に児童の尊厳を無視し、子を親の私物視した封建的発想の判決といわざるを得ない。しかも、判決確定後の、つまりもはや司法権に対する影響の与えようのない時点での調査なので、何が問題なのかといいたくなるような事件であった。しかし、当時国政調査権に関しては、立法の補助権能説が強力に唱えられており、それに基づけば、あきらかに国政調査権の逸脱というべきものであった。それが主たる争点であったことは、参議院の声明に独立権能説が強く主張されていることにもあきらかである。
しかし、今回は、国政調査権の問題では無く、司法権の独立の問題を読んでいこうという点で、少々難しいものとなっている。
このレジュメにおいては、せっかくの機会なので、あまり浦和事件にこだわらず、司法権の独立一般について説明をしておきたい。最後になると判るが、実はそうした広い視点が本問の解決には必要なのである。
一 司法権独立の意義
司法権の独立は、二つの視点からとらえる必要がある。
第一のそれは、個々の裁判官がその職務の執行に当たり、他のいかなる権力・勢力からも干渉を受けることなく、独立してその職務の執行に当たるという視点から論じられるものである。これを特に「裁判官の独立」という。およそ権力の行使は基本的にその担い手である個人に帰着するものであるから、三権のいずれにおいても同質の問題が発生する。立法府の場合には、担い手個人に対する保障は、国会議員の特権という形で議論されることは承知のとおりである。
第二のそれは、統治の機構における権力分立システムの中における位置づけとしてのそれである。すなわち、司法府を立法府及び行政府と並ぶものと位置づけ、司法権の行使に対する他の2権力府からの干渉を排除する、という視点から論じられるものである。これもまた、基本的には他の2権それぞれについて言われる独立性と同質のものである。立法府の場合には議院の自律権という形で議論されることは承知のとおりである。このような権力機構の対外的独立が承認されなければならないのは、その権力の実際の担い手である個人を真に守るには、単に身分保障等だけでは不十分であるため、さらにその個人の属する組織に、自律制を与え、その組織の力によって守るという二重構造を採用していることを意味する。
このような意味においては、司法権の独立は、権力分立制を採用する場合に必然的に随伴する現象であって、決して司法権に特有の問題ではない。ただ、司法府が今日において置かれている特殊な立場、すなわち、第1に、日本国憲法の下に置ける裁判所は、主権者たる国民の基本的人権を擁護するための最後の砦として、違憲審査も含めた権限を持つものとして位置づけられていること、第2に、その重要性にも関わらず、民主的基盤を有していない為、相対的に他の2権に比べて弱い立場にあること、第3に法原理機関として、政治的判断を排除した純粋の法原理の追求を使命としているため、その判断に政治的立場からの批判が生じ易いこと、等の要素があるため、特に論ずる必要が発生するのである。
二 裁判官の独立
裁判官の独立は、職権の独立と身分保障という二つの要素から成立している。職権の独立こそが保障の中核であり、身分保障はそれを制度的に保障するための派生原理である。
(一) 裁判官の良心
憲法第76条第3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定して職権の独立原則を明らかにしている。ここで問題となるのが「良心」という言葉の意味である。すなわち、現行憲法には今1ヶ所、第19条に「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」と言う規定がある。この19条の良心が、各人の主観的良心を意味することには争いがない。
通説は、76条に言う良心は、19条のそれとは異なり、「裁判官が適用する法のうちに客観的に存在する心意・精神、いわゆる『裁判官としての良心』を意味する」ものと解する(清宮四郎『憲法I』[第3版]357頁より引用。以下、「客観的良心説」という。)。
これに対して、憲法というものを統一的に理解する立場から、裁判官に、そのような個々人ごとに異なる主観的良心の自由を、裁判の場で保障したと解する有力な異説がある(平野竜一「裁判官の客観的良心」ジュリスト480号等。田中耕太郎最高裁長官も同旨のことを述べている。以下「主観的良心説」という。)。この説に対して通説は、それを認めるときは、「裁判がまちまちになり、しかも、法を離れて行われる恐れがあるので妥当ではない」(清宮上掲参照)と非難するのが一般的である。
しかし、これは異説をきちんと理解しないままにをあえて曲解するものである。すなわち、主観的良心説は、本条に従い、憲法及び法律に拘束される事を前提としての良心を説いているので、この説の場合にも、憲法や法律を無視して自己の良心にしたがう事は当然許されないからである。
換言すれば、両説の相違は、成文法の解釈の基準として主観的良心による事ができるか、と言う問題と、成文法の存在しない領域の問題を解決するに当たって主観的良心というものを法源とできるかという問題の二つの領域で具体的に現れる。この二つは基本的には同質の問題であり、法学の分野ではふつう「条理の法源性」という形で議論されている。条理とは「歴史的、社会的秩序から導き出される道理ないし筋道(高梨公之『民法総則』7頁)」である*[1]。
後者に関する成文法としては、わが国では、裁判事務心得(明治8年太政官布告)103条において「民事の裁判に成文の法律なきものは習慣により、習慣なきものは条理を推考して裁判すべし」と定めている。また、有名なスイス債務法第1条は「法律に規定がないときは、裁判官は慣習法に従い、慣習法もないときには、自分が立法者ならば法規として規定したであろうと考えるところに従って裁判するべきである。」と述べている。すなわち、法規範がない場合に、裁判官は自己の主観的良心に従って裁判してはならないのであって、あるべき客観的法規範と推考されるものに従って裁判しなければならないものとされている。
このように、近代司法にあっては裁判官の主観的良心はいかなる場合にも法源とはならず、法律がない場合には、いくつかの判断可能性の中から、可及的に法の客観的意味ないし社会が法として支えているであろうところのものを探究し、それに従って裁判すべき職責を担っていると言うべきである。成文法の解釈に当たっていくつかの解釈可能性がある場合にも、また同様に解するべきである。
このような事から、結論的には通説をもって妥当とするべきであろう。しかしこの理解が、通説の解釈と決定的に違うところは、通説が、裁判官は「憲法及び法律にのみ拘束され」るのであって、「『良心に従い』と言う文言に特別の意味はなくなる(清宮上掲参照)」と解するのに対して、この解釈による場合には、本条は条理の法源性を認めた規定として重要な意味を持つ事になる点である。
ちなみに、平成5年9月21日の最高裁第3小法廷判決(園部逸夫裁判長=判例臭味搭載)で、大野正夫裁判官は、「死刑を合憲とした昭和23年の最高裁大法廷判決からの45年間に、死刑廃止国の増加や再審無罪など重大な変化が生じ、死刑が違憲と評価される余地は著しく増大した。」として、死刑廃止に向かう国際動向と、世論調査では存続論が多数を占める国民意識が大きく隔たっている事を「好ましくない」として漸進的な死刑廃止方法を提案しつつ、そうした世論の存在に加え、死刑判決に慎重な裁判所の姿勢を上げ、「今日の時点において死刑を違憲と断ずるにはいたらない。制度の存廃や改善は立法府にゆだね、裁判所としては厳格な基準の下に、限定的に死刑を適用するのが適当」とする補足意見を記した。これは憲法解釈における、裁判官の主観的良心と客観的良心の差異を端的に示しつつ、後者を優越させた意見という事ができる。
今一つ、通説は看過しているが、本文言が持つ今ひとつの重要な機能として、事実認定に関する制度的保障機能があるものと言わねばならない。すなわち、裁判作用は、事実の認定と認定した事実に対する法律の適用という二つの段階に区分することが出来る。上記の条理の法源性の問題は第2段階の法の適用の問題である。これに対して、第1の段階の事実認定においても本条は機能している。すなわち自由心証主義は現行訴訟法の基本理念とされているが、それはこの良心のみに拘束されるという文言にその根拠が求められる。自由心証主義に対しては、例えば自白については補強証拠がない限り証拠として取り上げることが出来ないなど、憲法や法律によって、最小限度の拘束を制定することは可能である。しかし、全面的に法定証拠主義を導入するなど、この自由心証を否定するような立法は、裁判官がその良心に従うことを実質的に否定するものであって、許されないものというべきである。
このように良心を理解する結果、「独立して職権を行ひ」とは、その職権行使に当たって、精神的内面的独立を心構えとすべき事を示すものであると解することとなる。
なお、裁判所法第4条は、上級審判決の下級審に対する拘束力を認めているが、これは審級制度の存在する以上、当然の事で違憲とはならない。また、独占禁止法第80条は公正取引委員会の認定した事実が裁判所を拘束することを定めている。これは、明文の規定こそないが、行政事件一般に肯定されることで、素人による事実認定能力の限界を定めたにすぎず、特に違憲と見る必要はない。
(二) 裁判官に対する身分保障
以上のような「裁判官の良心」の不可侵性を守るため、憲法はさまざまな身分保障を定めている。すなわち、以下の規定は何れも裁判官の職権の独立性を守るためのものと理解しなければならない。
1 裁判官の罷免は、心身の故障により職務不能と裁判で決定された場合、公の弾劾による場合、及び最高裁判所判事の国民審査による場合の三つの場合の他は許されない。
2 裁判官の経済的側面からの保障として、憲法は報酬受領権と、この報酬が減額される事のない事を保障している。
3 憲法には規定がないが、裁判所法第48条は裁判官が意に反して転官、転所、または職務の執行の停止を受ける事のない事を保障している。
三 司法府の独立
冒頭にも述べたとおり、各権力の行使の独立性を確保するためには、単にその権力を行使する個人を保障するのみでは十分ではないため、個人に対する保障と同時に、その個人の属する組織体に対する独立性の保障という2重の構造を有している。これは個人に対するだけの保障では、最終的にその個人を保護する事が困難であると言う歴史的な経験に鑑み、その属する組織に対する保障を通じて、個人に対する保障を確保しようとする目的によるものである。独立性ある組織といえるためには、自主立法権、自主行政権、自主懲戒権及び自主財政権が保障されなければならない。
(一) 自主立法権
司法府における自主立法権は裁判所規則制定権と呼ばれる。司法権の独立の要請から、内部規則の分野に関する限り、憲法が特に法律の権限として除外した分野をのぞき、裁判所規則が法律に優越するものと解する。すなわち国会はその分野について法律を定める事はできるが、それは紳士協定としての効力しか有しない。規則に抵触する法律を制定しても無効であり、また、裁判所が後に法律に抵触する規則を制定した場合には、その抵触する限度で法律が規則により修正されたものものと解する。
これに対して、直接国家と国民の関係を規律する法規範については、裁判所規則は、法律による授権がある(委任命令)か、あるいは法律を執行する目的の場合(執行命令)をのぞいて制定する事は許されないとするのが実務的取り扱いである。刑事訴訟法を受けての刑事訴訟規則や、民事訴訟法を受けての民事訴訟規則などに、その授権や執行の例を見る事ができる。理論的には、こうした法律は違憲と立論することも可能であるが、その例を見ない。
(二) 自主行政権
現在の憲法は裁判所の自主行政権を正面からは承認していない。しかし、下級裁判所判事の任命は最高裁の指名したものの名簿に基づかなければならない事、裁判官の懲戒は行政機関が行う事はできないとしている事などから、その権限を推認する事ができる。裁判所法はこの趣旨を徹底させて、裁判官以外の裁判所職員についても、その任免も含めて(同法第64条)、人事はすべて裁判所が行う事とし、人事院の管理に属させない(国家公務員法第2条第3項第13号)。
人事権は、戦前の官僚制度においては官と職に分けて論じられた。すなわち、すべての官僚は勅任官、奏任官等の官に任命され、これを特定の職に付けるという二重の任用方法が取られた。この職に付ける行為を任命と区別して「補職」と言った。しかし、これには何かと弊害があったため、現在の国家公務員においては職階制が導入され(国家公務員法第三章参照。特に第二節。)、官職制は否定された。
裁判官はこの珍しい例外で、現在も官と職の区別がある(裁判所法第四七条)。これは、前節で述べたとおり、裁判官個人に対して身分保障がある結果、その保障の及ぶ範囲を官とし、裁判所による人事権の及ぶ範囲を職として区別する必要があったためである。この結果、司法行政に属する職(たとえば地方裁判所長、高裁事務局長等)は、裁判所は自由に任免する事ができる。しかし、その場合でも裁判官としての身分を奪う事はできない。
(三) 自主懲戒権
裁判官の懲戒は行政機関が行う事はできない。ここにいう行政機関というのは、権力分立における行政府を意味するものと解されるが、司法行政機関も含まれると解する余地があることから、問題になる可能性を避けたのであろう、現行裁判所法第49条は懲戒も裁判による事を要求している。しかし、裁判形式を取ろうとも、それが実質的に司法行政に属する活動である事に代わりはない。また、先に述べたとおり、裁判官の罷免自由がわずか3つに憲法上限定され、そこには懲戒免職という処分が含まれていないことから、法律によってそのような制度を新設することもまた許されないものと考えられる。
(四) 自主財政権
憲法第83条の定める国会中心財政主義により、個々の権力機構に対して完全な自主財政権は与えられない。しかし、第83条は国会に対して財政権の一元的行使を保障したにとどまり、内閣に予算編成権力を与えたものではないので、国会がその法律により憲法上の機関に関して内閣の予算編成機能を制限することは可能である。財政法は、第19条以下において、裁判所に関するいわゆる二重予算制度を認めている。
四 司法権の独立の濫用とその防止制度
裁判所は、上記のとおり、強力な独立性が保障されているが、その結果、裁判所が暴走し、国民の利益に反する行動をとるようになる危険を無視することはできない。例えば、フランスにおいて、パリ大法院は、革命に最後まで抵抗し、旧体制(Ancien régime)の賀状と呼ばれた。また、米国において、大恐慌により危機的状況にある一般国民を救済するためにルーズベルトが採用したニューディール政策に対して、当時の米国連邦最高裁判所が次々と違憲判決を下して、それを崩壊させたことはその端的な例である*[2]。
議院の場合には、それが比較的短い任期を持ち、特に衆議院の場合には解散制度が存在することにより、常に強力な民主的コントロールに服することにより、国民の意思から遊離した暴走という危険は解消されているので、制度そのものの中に限界を組み込んでおく必要はない。これに対して、裁判所の場合の問題は、それに対する民主的コントロールを明確に制度の中に組み込んでおかない限り、職業としての裁判官がいつまでも在職するため、一切の歯止めがないことにある。
そこで、現行制度は次のような民主的コントロール制度を用意している。
(一) 最高裁判所に関する民主的統制
1 最高裁判所の判事については、長官は内閣の指名により天皇が(憲法6条2項)、その他の判事は内閣がそれぞれ任命する(79条1項)。その場合、少なくとも憲法的制度のレベルにおいては、裁判所はその名簿その他により、候補者を特定することが出来ない。すなわち、誰を最高裁判事にし、誰を長官にするかについては、完全に内閣の裁量に属する。これにより、個々の裁判活動については、内閣は干渉することを許されないが、長期的にみれば、内閣と思想傾向を同じくする判事を最高裁に送り込むことにより、その判決傾向を民主的なコントロールの下におくことが可能になるのである。
2 最高裁判事に関する今一つの強力な民主的統制手段は、最高裁判事に関する国民審査である(79条2項)。公務員を選定し罷免することは日本国民の基本的な権利であり、裁判官もその例外となるものではない。しかし、個々の判事のレベルにおける罷免権の行使は身分の保障が存在しているため、法律のレベルで導入することは出来ない。国民審査は、まさにこの身分保障の例外として憲法自身が定めた一種のリコール制度である(最大昭和27年2月20日=憲法判例百選第5版408頁参照)。これにより、国民はそれと思想傾向を異にする判事を排除することが可能となり、長期的にみれば判決傾向を民主的コントロールにおくことが出来るのである。
3 憲法は最高裁判所判事に対して定年を明確に予定している(79条5項)。これはわが国通念としては異とするに足らないが、わが国最高裁制度の母法というべきアメリカの連邦最高裁判所判事が終身官である点と比べると明らかに身分保障性が低いものとなっている。すなわち定年の存在することにより、最高裁判事の新陳代謝が強制的に確保され、内閣の指名権行使の機会が増加する効果をもたらすこととなる。
(二) 下級裁判所に関する民主的統制
憲法は下級裁判所についても二つの民主的統制手段を用意している。すなわち、
1 下級裁判所判事の任命もまた、最高裁判事の場合と同様に内閣が行うこととされている(80条1項第1文)。ただし、この場合には最高裁に名簿作成権が憲法上保障されることにより、司法府としての一体性を確保する権限が認められている。制度の趣旨に照らし、内閣には実体的な任命権が存在するものと考えられる。すなわち、内閣は何等特段の理由をあげることなく、名簿掲載の判事の任命を拒否し、新たな名簿の提出を要求することが出来る。ただし、憲法自身が最高裁に名簿作成権を保障した趣旨に鑑み、内閣には、最高裁の名簿を可能な限り尊重する責務が存在している。過去においては、最高裁側は内閣の任命権を尊重して、名簿に任命を予定している者に加えて1名の補欠を登載することとし、他方、内閣は最高裁の名簿作成権を尊重して、本来の候補者をそのまま任命する慣行となっているという。
2 下級裁判所判事の任期は10年とし、再任されることが出来る(同第2文)。先に述べたとおり、議院の場合には、4年ないし6年という比較的短い任期の存在が強力な議院の独立性の根拠であった。裁判所の場合も、それに準じて10年という、裁判官の任期としては比較的短い期間を定めて、その都度上記内閣の新たな任命行為を経ることを必要とすることにより、民主的統制の徹底を計ったのである。
しかし、制度設立の際に予定されていたところと異なり、裁判所法は法曹一元的な運営を行う代わりに職業裁判官制度を導入した。こうした現実の法制及び運営を前提とする限り、制度の当初に想定されていた名簿登載ないし任命行為の自由裁量を承認することは、裁判官の身分保障を空洞化し、独立性の侵害につながることとなる。したがって、今日の制度の下においては、再任は所定の排除事由に該当しない限り、内閣として行う義務があるとするき束裁量説を採用せざるを得ないであろう。その場合、免官、罷免、欠格事由が存在する場合に再任拒否できるのは当然であり、それ以外に、著しく成績が悪いものや弾劾事由に該当すると考えられる場合も含まれるであろう。なお、身分継続説は、定期に民主的統制に含ませるという制度の趣旨に余りにも反し、妥当なものとはいえないと考える。
(三) 裁判官一般に対する民主的統制
1 最高裁であると下級裁判所であるとを問わず用意されている民主的統制手段としては、公の弾劾制度がある(78条)。我が憲法はそれを国民の代表者により組織される国会の権限とすることにより、民主的統制の意義を明らかにしている(64条)。
2 同じく国会が行使する国政調査権も、重要な民主的統制の道具である(62条)。
3 表現の自由の保障(21条)を通じて行われる、国民あるいはマスメディアによる裁判批判は、もっとも重要な民主的統制手段であることは疑いを入れない。社会的関心を呼んだすべての裁判において、それに関わりを持つ各種社会勢力が、裁判に一定の影響を与えることを目指して、言論、出版、集会等の諸方法により、自らの主張を表明することが行われる。これらは、自由主義の健全な表明と人民裁判、新聞裁判などによる人権の侵害の境界線上にある現象であり、司法権の民主的統制とも関連して、もっとも解決の困難な問題である。
五 司法権独立の侵害可能性
上記のように、様々な民主的統制の必要を肯定する場合、それら民主的統制手段が即、司法権の独立の侵害につながる可能性を無視することはできない。それは最終的には個々の場合における世論の認識に係ってくることになる。
(一) 弾劾裁判
本論に入る前に、吹田黙祷事件について紹介しておきたい。
日本共産党は、かつては大変戦闘的な政党で、高田事件判決(最大昭和47年12月20日=百選第5版268頁参照)で知られる1952年(昭和27年)7月に愛知県名古屋市中区大須で発生した大須事件など、数多くの騒擾事件を起こしていた。その一つに1952年6月24日から6月25日にかけて、大阪府吹田市・豊中市一帯で発生した吹田騒擾事件がある。この事件は、当時激戦が展開されていた朝鮮戦争に関連して、北朝鮮系在日朝鮮人が、北朝鮮軍を支援すべく、日本各地で反米・反戦運動を起こし、これを日本共産党が支援して起きた事件である。
1953年7月27日、朝鮮戦争が休戦となった。その2日後7月29日に行われた吹田事件の公判冒頭で、被告人たちは佐々木哲蔵裁判長に朝鮮戦争休戦を祝う拍手と朝鮮人犠牲者に対する黙祷を行いたいと申し出た。これについて佐々木は「裁判所は止めもしなければ激励もしない、裁判所は中立性を表明する」とした。検察は佐々木の対応を不服とし、保守系議員に働きかけて佐々木を国会の裁判官訴追委員会にかけた。これがいわゆる吹田黙祷事件である。訴追委員会は佐々木の喚問を決定するが、佐々木は裁判の公平性が損なわれるとして拒否し、最高裁判所は、全国の裁判官に宛てた通達において、佐々木の訴訟指揮を「まことに遺憾」としたが、司法関係者による相次ぐ反対のため、喚問は行われなかった。
このように、憲法の定める弾劾裁判制度においても、司法権の独立侵害の危険性が問題となることがあるのである。
(二) 国政調査権
本問のメインテーマである国政調査権の場合についての議論を紹介する。
この点に関するオーソドックスな主張を、芦部信喜の述べるところに依ってみてみよう。
「第一に、ワイマールドイツの場合と同様『およそ裁判の内容の批判によって司法権を抑制することは、立法部の権限の範囲内に属しない』(団藤重光)のみならず、第二に、憲法41条によって司法がいかに作用するか調査するなど議会の司法に対する一定のコントロール権限を認めることができるとしても司法権独立の原則に制約されることは先に述べたとおりであり、しかも司法権独立の意義は単に裁判官が法上他の機関の指揮命令に服さないことにあるだけでなく、裁判官の法的確信形成の自由を担保維持するところに実質的意義があること、第三に裁判の内容の当否の審査・批判は裁判所の専権に属する事実認定を云々すること必至であり、裁判の事後審査は判決のみによって行われるべきであること、かような理由によって、いやしくも議院もしくはその委員会が裁判の内容とくに事実の認定・刑の量定等を調査・批判することは、判決確定の前後をとわず違憲の行為と考えるべきだと思われる。」
(芦部信喜『憲法と議会政』162頁)
これは、欧米の国政調査権制度までも紹介した大変長文の論文の一部で、文中で団藤とか、宮沢と括弧書きした部分は、原文では、その出典までがきちんと注記されている。
また、近時、長谷部恭男は、これとは少し角度の違う次のような主張を行っている。
「過去の裁判事件あるいは現に裁判所に継続中の事件についても、裁判所と異なる目的からであればかならずしも訴訟と平行する調査が禁じられるわけではないが、いずれの場合も裁判類似の手続、つまり事実を確定し、それに法を適用して具体的な量刑等を結論するような手続で調査することは、司法権に対する不当な干渉として許されない。」(長谷部『憲法』第5版、343頁)
このように、浦和事件のような調査は、司法権の独立に対する侵害になると考えるのが我が国の通説であり、諸君として、そのいずれかの説を採用して論文を書いて、何ら差し支えない。
しかし、私自身は、この問題に関してはこれらとは若干違う異端の考えをもっている。せっかくの機会なので、少し詳しく説明してみたい。
1 国政調査権の権能について
芦部が、第一として述べていることを考えてみよう。今、国政調査権の権能を、もっとも弱く、立法の補助権能と理解すると仮定しよう。その場合でも、例えば国会が親による児童の虐待死に対する裁判所の量刑に対して問題意識を持ったとしよう。それを是正する目的で、刑法を改正して「卑属殺人」という新たな構成要件の犯罪を制定することは、国会の当然の権能であって、司法権の独立に対する侵害とは言えないはずである。そして、そのような法改正を行うためには、その前提として、児童の虐待死に対して、裁判所がどのような判決を下しているかを正確に調査することは、むしろ国会の責務と言うべきであり、当然に国政調査権に含まれるはずである。そのためには、判決の事実認定や判決の量刑についての調査を、大々的に行う必要がある。つまり、立法の補助権能説に立った場合にも、浦和事件のような調査が肯定される場合は当然にあり得るのである。したがって、芦部信喜の主張するような全面的否定が、国政調査権の本質から導けるとは考えられない。
2 裁判官の良心について
事件が確定する以前に行われる裁判批判は、大津事件にも明らかなとおり、司法権の独立に対する侵害である事は明らかである。しかし、浦和事件の場合には、事件は既に確定しているのである。諸君も知るとおり、一事不再理の大原則があるから、確定判決が下された事件について、いかに批判されようとも、それによって、その判決が覆ることはあり得ない。だから、その意味での司法の独立に対する侵害はあり得ない。
ではなぜ、既に確定判決の出た事件について調査することが、司法権の独立に対する侵害になる、と最高裁は主張したのだろうか。考えられる唯一の答えは、芦部が第二に述べている裁判官の法的確信形成の自由である。これは裁判官の良心の別の表現であると考えられる。すなわち、確定した判決に対して批判されるときには、後に発生する同種事件において、裁判官がその批判に左右されて、自己の良心に従った判断ができなくなる点に、司法権独立の侵害を考えることができることになる。
しかし、先に述べたように、裁判官の良心は客観的に認定するものであって、個々の裁判官の主観的良心は問題にならない。そして、客観的良心とは、社会的条理を専ら意味するのであった。そうなると、確定判決が社会の条理に反するものであるときには、それに対する批判はむしろ条理に判決を近づける方向に機能するのであるから、裁判官の良心を実現するものであっても、否定するものと評価することはできない。
司法権に対する適切な、市民感情と合致した批判は、司法権の健全な発展に欠くことはできない。現在、問題となっている裁判員裁判は、まさにそのような問題意識の下に、導入されたものである。同じことを国会やマスコミが行うのはなぜ禁じられるのだろうか。
確かに、国会という巨大な権力を持つ機関が裁判批判を行うときには、司法権をゆがめる危険性がある。芦部信喜は、先の引用箇所の少し後に次のように述べている。
「裁判の批判的調査は、強制権を背景とする国家機関による公の批判である点で、換言すれば『裁判の独立に対しておよぼし得る影響はつねに重大なものと考えなくてはならない』(宮沢俊義)という意味において、政党その他の諸勢力による批判とその本質を異にする。」
しかし、それを恐れるならば、例えば憲法の定める弾劾裁判所自体がその危険をはらんでいる。その事は吹田黙祷事件に端的に表れている。こうした危険の発生は、上記に紹介した総ての民主的統制に共通して存在しているのであって、特に国政調査権だけを危険視するのはおかしいと考える。
確かに国政調査権は、補助権能説であれ、独立権能説であれ、国会の持つ何らかの権限の発動を促す目的で行われるのであるから、そうした特段の目的を持たず、調査のための調査を行う事は、国政調査権の権限内容に含まれないのは、芦部の指摘するとおりである。しかし、調査の結果、立法の必要が認められなければ、そこで終わるのは何の問題もない。
このように考えてくると、原則的には国政調査権の対象には司法権も含まれるのであり、ただ、弾劾裁判所や訴追委員会の活動と同様に、その独立を過度に侵害しないように自制することが国会に要求されると考えるべきであろう。
3 長谷部説について
正直に言って、長谷部の主張は意味が判らない。例えば、ドイツの場合には、現行ボン基本法44条によれば、国政調査権に基づく証拠調べには刑事訴訟法の規定が準用されること、と定められているから、これが裁判類似の手続きである事は明らかである。
これに対し、わが国の国政調査権は、主として任意調査を通じて行われており、決して裁判類似の手段では無い。証人を出頭させて調査する場合にも、議院証言法により行われているのであって、決してドイツのように刑事訴訟法の手続きに依っているわけでは無いから、裁判類似の手続きとはいえない。
そもそも調査の結果、一定の結論が得られた場合にも、国政調査権の性格をどのようにとらえるにせよ、確定判決類似の強制力を伴うものでは無い。それに基づき、国会の権限内にある何かの行動があって、初めて対外的な効果を発揮するのである。このように考えると、長谷部はどのような点をとらえて、浦和事件における国政調査権を裁判類似の手続きと述べているのか、理解できないのである。
もしも任意であると強制であるとを問わず、「事実を確定し、それに法を適用して具体的な量刑等を結論するような手続で調査する」ことすべてを、裁判類似として、他の国家機関に全面的に禁じるのであれば、それは事実上、司法府以外の機関が、司法に関わりのある活動を行う事を総て禁じる事を意味する。
しかし、先に述べたように、国会として司法に関わる立法を行おうとすれば、常に事実の調査が必要である。同様に、内閣以下の行政府が司法に関する行政を行おうとすれば、同じく事実の調査が必要である。例えば裁判官の任命にあたり、最高裁の指名を尊重することは当然であるが、内閣として任命権を行使する以上は、その任命責任は内閣にあるので有る以上、その責任を果たすに必要な調査は行う義務があるはずである。少しでも司法に関わる限り、そうした調査を総て禁じると言うことは、司法に対する民主的統制を一切禁止する以外の何者でも無く、それ自体が違憲と考える。
*[1] 近代国家が成立して中央集権が確立され、自然法思想の強かった時代にあっては、法規範の源泉を国家が独占しようとする傾向が強かった。その結果、当時は慣習法や条理に対する反感が強く、そのようなものは認めないとする法制が一般であった。しかし法の社会規範性が認識されるようになるにつれて、慣習法等が復権し、本文に例示したスイス債務法やわが国の法例のように、慣習法に補完的地位を認めるようになってきた。しかし、近時の思想はさらにいっそう慣習法の地位を重要視し、成文法と対等の効力を認めるようになってきている(我妻栄「新訂民法総則」18頁を参照。)。そうした思想の現れと本条を読む場合には、この文言はあるべきではない、どころか、法学上まさに積極的な意義を持つものとなるのである。
*[2] ルーズベルトは、連邦最高裁打倒を叫んで大統領選挙に出馬し、米国民はこれを空前の率で支持した。これを見て、連邦最高裁の保守派は辞表を提出し、その代わりにルーズベルトは、その政策支持派を判事として送り込んだ。これを境に連邦最高裁の判例は一変する。これより前の連邦最高裁をオールド・コートと呼び、以後をニュー・コートと呼ぶ。そして、この事件を憲法革命(Contitutional Revolution)と呼ぶ。諸君が学ぶ憲法所訴訟論は、基本的にこのニュー・コートの判例から抽出されたものである。