道州制の導入
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問題
政府では、社会経済情勢の変化により道州制の導入の検討が重要な課題になっていることを踏まえ、特命担当大臣(道州制担当)を設け、その下に、道州制の導入に関する基本的事項を議論するため、石井正弘(岡山県知事、全国知事会道州制特別委員会委員長)等をメンバーとする「道州制ビジョン懇談会」を平成19年に設けた。
同懇談会は、平成20年3月に「道州制ビジョン懇談会中間報告」を公表した。
それに依れば、道州は、基礎自治体の範囲を越えた広域にわたる行政、道州の事務に関する規格基準の設定、区域内の基礎自治体の財政格差などの調整を担う。具体的には、①広域の公共事業(大型河川、広域道路、空港港湾の整備・維持、通信基盤、生活環境整備など)、②科学技術・学術文化の振興、対外文化交流、高等教育(大学相当以上)、③経済・産業の振興政策、地域の土地生産力の拡大(林野・農地の維持)、④能力開発や職業安定・雇用対策、⑤広域の公害対策、環境の維持改善、⑥危機管理、警察治安、災害復旧、⑦電波管理、情報の受発信機能、⑧市町村間の財政格差の調整、公共施設規格・教育基準・福祉医療の基準の策定などを分担する。
その道州には、その役割分担を自主的に果たすため、広範な自主立法権をもつ一院制議会を設け、道州の首長及び議会の議員は、その地域住民による直接選挙で選出するものとされている。
このような道州制導入に関して生じる憲法上の問題について論じなさい。
【はじめに】
わが国で、道州制というアイデアは、1957(昭和32)年に提出された第4次地方制度調査会の答申中で最初に登場した。ここでいう道州制は、公選制の議会と、その議会の同意を得て内閣総理大臣が任命する長というものを予定していた。すなわち、憲法93条に該当しないのである。本稿では様々な説を紹介するが、制度的保障説に立ち、多層型の地方自治制度が憲法上の保障の対象と解する限り、その様な道州制は違憲である。
それに対し、本問で取り上げた「道州制ビジョン懇談会」は、全国知事会道州制特別委員会委員長や北海道知事などがメンバーになってこともあり、憲法の定める地方自治制度に対する現時点の学説に対する正確な理解が行われ、93条の要件を満たした機関を備えた、現在の北海道に代表される広域地方自治体としての道州制度を念頭に論じられているので、憲法の文言的には合憲である。
しかし、そのような地方自治体を創設することが合憲なのだろうか。それが本問の論点である。そこで論じられるのは、地方自治の本旨である。換言すれば、92条が本問の中心論点になる。特に重要なのが、地方自治の本旨の享有主体となる地方自治体とはどのようなものか、それはなぜか、という点である。この点を看過してしまうと、答案は自動的に落第答案となる。
そこで問題となるのは、団体自治・住民自治の両概念では、本問の中核をなすところの、多層制地方自治の説明が十分に行えない点である。そこで、EU諸国の憲法では当然に地方自治の中核概念とされ、平成11年の地方自治法の大改正を受けてわが国に導入された補完(補充)性原理を論じる必要が生じる。
以下においては、諸君に判っているところも含めて、段階的に説明し、理解の確実を期することとしたい。
一 国民主権と地方自治の関係
「地方自治の本旨」というものの持つ意義をきちんと理解するには、それに先行して、地方自治制度の憲法編入ということの持つ意義を把握しておくことである。そして、憲法編入の意義を理解するには、憲法に編入されない段階における地方自治とはいかなるものであったかを理解しておかねばならない。
(一) 地方自治の今日的重要性
封建国家というものは、どこの国においても徹底した地方分権制度を採用していた。日本であれば、藩という制度がそれである。それを否定して誕生したのが、近代市民国家であるから、近代国家は、基本的に地方自治を否定しようとする傾向が強い。その段階から、今日の地方自治理念に至る道は、同じように国民主権原理から初期において敵視されていた政党の場合と同じく、4つの段階で理解するのが妥当と考えている。
1 地方自治の敵視段階
近代国家の理論的支柱である国家主権概念は、主権をもって単一、不可分であることを強調する。換言すれば国民主権は、分有主権を否定するから、中央集権を基本的に要請する。この結果、近代国家の初期においては、地方自治は国民主権と両立しないものと考えられていた。
例えばフランスの場合、長いこと地方自治そのものに否定的で、極め徹底した中央集権制であった。ドゴールがきわめて限定的な地方自治制を導入しようとして、国民投票で否決されたこともあったほどである。
2 地方自治の黙認段階
通信手段の未発達な近代において、しかし、徹底した中央集権は不可能であったため、事実上、地方に権限を授与し、地域団体における統治を承認せざるを得ない状態が生まれてきた。フランスの場合であれば、革命後のフランスでは全土が100の県(département)に分けられていた。しかし、これは自然発生的なものでは無く、当時の役人が県庁所在地から県内各地に馬車に乗って1日で出向き、2日間のうちに往復することができる範囲になるよう人為的に区切られたためと言われている。その結果、仏本土における各県の面積は、およそ5,700㎢(愛媛県の面積とほぼ同じ)程度を標準としている(ただし、パリ市は同時に県とされたため105㎢しかないという大きな例外がある)。したがって、県ごとの人口には大きな格差があり、本土における1県当たりの平均人口は約60万人だが、最大はノール県の256万人、最小はロゼール県の7万4,000人とかなりのばらつきがある。そして、その統治を担当したのは大統領任命の地方長官であった。
3 地方自治の法制化段階
当初は、単なる慣習法的に認められるに至った地方自治は、さらに議会の立法上も明確に承認されるようになってくる。しかしたとえ法制化されたところで、この段階までの地方自治は、中央集権の例外現象であるにすぎなかった。
フランスの場合、重層的な地方自治を保障した欧州地方自治憲章が1985年にEC評議会で採択され、88年に発効した。そこで、EC(現EU)の中核国としてのフランスもこれに対応しなければならなくなった。それが、ミッテランが1982年から数次にわたって展開した地方分権改革であった。これは、欧州地方自治憲章の先取りを意図して行われたわけだが、法律レベルで対応しようとしたため、不徹底なものに止まった。なぜなら、欧州地方自治憲章の保障するような地方自治を導入することは、フランス憲法第1条に反すると考えられたからである。同条は、次のように始まる.。
「フランスは不可分の、非宗教的で民主的かつ社会的な共和国である。」
ここにいう「不可分の…共和国」ということに反すると考えられたのである。実際、コルシカ島などに、県よりも強力な地方自治を承認した法律はすべて憲法院により違憲判決を受けた*1。この結果、フランスは今日に至るも欧州地方自治憲章を批准していない。
フランスのように、憲法そのものに禁止文言がない場合にも、法律レベルの保障は不十分なものであった。その最大の問題は、中央政府が、法律を制定し、或いは改正し、廃止することにより、きわめて簡単に地方自治を封殺することが可能な点になる。
例えばドイツの場合、プロイセンのシュタイン地方自治に代表されるように、各州レベルでは、州の法律で、早い時期から発達した地方自治が保障されていた。しかし、ナチスは、1933年2月に政権を奪取すると、3月には均質化法(Gleichschaltungsgesetz)を制定して、州議会の議席は国家議会の議席に比例して配分することとして州単位の地方自治を破壊し、さらに、その年12月に、手始めにプロイセン州だけを対象に、非常に中央集権的色彩の強い市町村憲章法(Gemeindeverfassungsgesetz)を制定し、1935年には、ドイツの全州を対象とするドイツ市町村法(Deutsche
Gemeindeordnung)を制定する。これはドイツで最初で最後の全国統一的な地方自治制度を定めたものであるが、その内容は、当然のことながら、地方自治を厳しく制限し、中央政府の統制下に置くものであった。
注1:その判決については、Décision n°91-290 DC du 9 mai 1991, J.O. du 14 mai 1991,
p.6350. 抄訳として、佐藤寛稔「コルシカ地方公共団体の地位に関する法律の合憲性」『フランスの憲法判例』337-338 頁参照。
4 地方自治の憲法編入
決定的な変革は、第2次大戦を通じて現れる。人類に戦争の惨禍をもたらした全体主義の経験は、過度の権力集中と下からの民主主義の欠如の危険性を人々に認識させた。そして、地方自治が、権力の均衡と抑制のシステムの中で、それを補完する機能を有することが認識されるようになった。また、人々に民主主義を身近なものとして認識させる、いわゆる「民主主義の学校」としての機能もまた注目される。さらに、地方における施策は、たとえ失敗しても全国的に一挙に施行された場合に比べて影響が限定されるところから、「政治の実験室」としての機能もまた大事なものと考えられるようになった*2。
こうして、第2次大戦後においてはどこの国でも地方自治が強化される傾向がある。特に重要なのが、前述の通り、EC(現EU)が欧州地方自治憲章を1985年に制定して加盟国に地方自治尊重を義務づけ、また、地方自治体の世界的組織である国際地方自治体連合(IULA)がトロントで1993年に開催された世界大会で世界地方自治宣言を採択したことである。これらの結果、近時において制定される憲法では、いずれも憲法レベルで地方自治が保障されるにいたっている。我が国現行憲法は、こうした地方自治の憲法編入という大きな流れのもっとも初期における立法例として誇ることができる。
フランスの場合、他のEU諸国からの圧力があり、2003年に憲法改正を行い、ようやく日本に類似した地方自治が導入されるに到ったのである。その際、先に挙げた憲法1条は、次のように修正された。
「フランスは、不可分の、政教分離の、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出生、人種または宗教による差別なしに、全ての市民に対して法律の前の平等を保障する。フランスは、いかなる信条をも尊重する。その組織は地方分権化される(son organisation est décentralisée)。」
注2:フランス2003年憲法改正では、地方公共団体が実験的に(à titre expérimental)地方自治法等から逸脱した取組を実施できることが、憲法72条4項に明記された。
(二) 地方自治権の憲法理論における根拠
地方自治に関するもっとも根本的な問題点は、近代市民社会憲法がその基本原理とする国民主権に対して、地方分権という発想は、フランスの例に明らかなとおり、基本的に敵対関係にある、という点である。したがって、憲法において地方自治を論ずる場合、国民主権と矛盾しない形で、いかにして地方自治を導くかが、第一の論点となる。
自治権については、それが地方自治体が本来保有しているところの固有の権利である、という考え方(固有権説)と、国から与えられたものである、という考え方(伝来説。受託説ともいう。)の二つの基本的な考え方がありうる。封建体制における地方自治では、個々の大名がその領国を自由に支配する権限がその固有の権利であることは明らかである(固有権)。それに対して、近代市民国家以降においては、国家が単一にして不可分な権力の源泉であるという基本的な考え方自体は疑う者はないから、今日の地方自治は伝来説によって理解するほかはない。固有権説は連邦国家における各州の権限を説明する理論としてのみ該当する。しかし、伝来説を基本として採用する場合にも、中央政府の地方自治に対する影響力の行使をどの程度に考えるかについては、説の対立が存在する。分節すれば次の通りである。
1 狭義の伝来説
憲法92条は、地方自治について「法律で定める」ことを予定している。この結果、戦前までの、基本的に地方自治を敵視する思想を有する憲法学であれば、当然に地方自治の範囲は、法律で自由に決定しうると結論づけられることとなる。戦後において、最初期の通説はそうであった。今日においても、若干の支持者はある(例えば柳瀬良幹)。
2 制度的保障説
狭義の伝来説を採る場合には、憲法的保障を与えた意義は大幅に削減される。そこで、制度的保障説が登場(成田頼明「地方自治の保障」『日本国憲法体系』第5巻、有斐閣昭和39年刊参照)し、これが今や通説となっている。これについては詳しくは節を改めて後述する。
3 新固有権説
この考え方は、基本的に伝来説であるため、例えば、法律と条例とが同一問題について規定をおいた場合には、自動的に法律が優越するといういわゆる法律先占論などが解釈上導かれるなど、保障の範囲がはっきりしないという弱点を有している。
そこで、さらに地方自治の強化を図り、国からの干渉を理論的に排除するための説が工夫されることになる。これらの説は、固有権説とは異なり、自治権が国から伝来してくること自体は承認するのであるが、全く別個の理論により、地方自治権を固有権的に説明使用と努力するという共通点を有する。そこで「新固有権説」と総称されることになる。
ただし、これは、互いに相矛盾する要素を持った様々の学説の総称であって、統一的な理論ではない点に注意する必要がある。
学生諸君が使用している基本書は、おそらくほとんどが制度的保障説と思われるので、以下では制度的保障説に限定して詳しい説明を行う。論文を書く場合、今日という時点におけるわが国憲法学という枠内で地方自治の本旨を論ずる場合には、固有権説には論及する必要がない。これに対し、制度的保障説の説明は、狭義の伝来説及び新固有権説からの批判点を十分に念頭において行う必要がある。
二 制度的保障の概念
制度的保障は、特殊な概念であるので、それを自明のこととしていきなり地方自治論にはいるより、わずかでよいから、制度的保障概念について説明を加えておいた方がよい。以下では、全く制度的保障の概念を知らない人を対象に、詳しく説明しておくが、論文を書く場合に、このように詳細な説明が不要なのは当然である。
(一) 制度的保障の基本概念
旧憲法の人権規定を見ると、そのほとんどに「法律の定めるところに従い」とか「法律の範囲内において」という限定文句がついていた。そこでこれを文字どおりに理解すると、人権の内容は、法律によっていかようにも制限できると考えられるし、事実そうした解釈が行われていた。
しかしそれでは、その人権は、事実上法律によって保障されているのと変わらないことになってしまい、憲法によってそれが原則的に保障された意味が失われてしまう。こうしたことから考え出されたのが「制度的保障」の概念である。この理論によれば、議会は憲法の定める制度を創設、維持すべき義務を課され、その制度の本質的な内容については法律によって侵害することも許されない、とされる。
したがって、制度的保障の対象になっているのは制度自体であって、個人の人権そのものではない。現行憲法の下においてにおいては、そのほとんどは法律の留保が付されていないから、もはやこの概念を維持する必要は失われているが、それでも憲法上、個々人の人権そのものではなく、特定の制度が保障の対象となっていると考えられる場合、例えば学問の自由の制度的側面としての「大学の自治」とか、経済権的自由権の制度的側面としての「私有財産制度」等に関しては、今日においてもなお制度的保障の概念を維持して考える必要がある。
(二) 制度的保障論の地方自治への適用
人権の場合と同様に、地方自治においても「法律の範囲内」という限定が付されているので、その法律内容を、国会が完全に自由に定められるとした場合には、やはり地方自治を憲法で保障した意味が失われてしまうという問題が発生する。
そこで、人権の場合について考えられた「制度的保障」の概念をこれにも妥当させることにより、伝来説からは当然の結論となる、地方自治の形式や実質を法律で自由に制定しうるという考えを排除し、より強力な憲法上の保障を与えることが可能となる。これが現在における通説と言える。
この考えを採用する場合には、憲法第8章におかれている4つの条文はいずれも、法律をもってしても変改することのできない制度の中核を表明したものと理解されることになる。ただしこれは憲法施行当時の地方行政制度をそのまま保障したのではなく、あくまでもその中核となる部分のみである。この、法律をもってしても侵害することのできない制度的保障の中核部分を、第92条の文言を借りて「地方自治の本旨」と呼ぶのである。
三 「地方自治の本旨」の概念内容
法律によっても不可侵な制度の中核=地方自治の本旨が何であるかということは憲法上は何ら定はない。しかし、上述した理由から、憲法編入した意義から導けるはずである。
(一) 団体自治-地方分権の現れ
地方自治を、憲法編入した中心的な理由は、前述のとおり、中央集権体制が本質的に有している全体主義に対する脆弱性である。したがって、地方分権に対する中央政府からの干渉の禁止あるいは制限が、この中核概念を構成するはずである。今述べたことを、地方の側から表現すると、地域団体は、中央政府の干渉を受けることなく、自らの意思を決定し、活動できることを意味する。これを「団体自治」という。
(二) 住民自治-民主主義の現れ
地方自治は、フランスの例で説明したとおり、国民主権原理の対立概念である。したがって、憲法編入しない限り、地方自治は完全な形では導入できない。同時に、それは国民主権原理を否定するものであってはならないから、団体内部の意思決定にあたっては、わが国憲法の採用する民主主義原理に従い、団体構成員(これを憲法は「住民」と呼んでいる)の意思によって決せられるべきである。これを「住民自治」という。憲法93条2項は、「地方公共団体の長、その議会の議員〈中略〉は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」と定めて、この住民自治の原則を明示している。
団体自治と住民自治とを比較するならば、団体自治がより重要な理念ということができる。イギリスの場合、住民自治のみが存在し、団体自治の理念がないために、地方自治体の廃止や新設も中央政府が自由に行い得るし、どのような権限を地方自治体に帰属させるかも、中央政府の自由に決定しうるところである(そのことをイギリス法では越権法理Ultra Viresと呼ぶ)。それではとうてい自治権が保障されているとは言えない。地方自治の鍵は、その意味で、団体自治にある。
(三) 補完(補充)性原理-多層型地方自治と権力分立
従来の憲法学では、地方自治制度の中核は、上記団体自治と住民自治という二つの要素を結合させたものと理解されてきた。すなわち、地方住民が、その属する団体を通じて、その地方の事務を処理させることを要請しているものと解していた。
しかし、近時、第3の中核概念が必要なのではないか、と考えられるようになっている。それは補完性原理(独=Subsidiaritätsprinzip=補充性と訳すこともある)という概念である。
なぜなら、団体自治と住民自治の二つでは、実は、各地方自治体が、どのような権限を有しているべきかが、憲法論のレベルでははっきりしないのである。団体自治は、地方分権の理念から、国が地方自治体の内部自律に干渉してはいけないことだけを要請しているだけだし、住民自治はその内部決定は最終的には住民によってなされるべき事を要請しているだけである。だから、国と地方自治他がそれぞれどのような事務を行うべきか、ということまでは、団体自治と住民自治だけからでは決まらないのである。さらに大事なことは、多層制地方自治をこの二つの自治原理だけでは説明できないのである。この二つだけが基本原理と考える限り、現行の都道府県=市町村という二層制地方自治は、単に明治憲法下でその様な制度が地方にとられていたことから来る偶発的な結果であるに過ぎないと考える外はないことになる。これを、憲法編入の求めている地方自治の本旨として、理論として説明するための武器が、この補完性原理なのである。
現在、わが国は、上からいえば、国、都道府県、市町村という三層の構造になっている。したがって、この三つの層に、どのような基準で、どのように権限を配分するべきかもまた、憲法的に決定されなければならない。仮に、それは法律で自由に決定しうる、ということになれば、国は地方への事務配分を法律で減らすことにより、実質的に地方自治を制限することができる。それでは、結局、地方自治を憲法で保障した意義が失われる。だから、団体自治や住民自治と同じように、配分基準もまた憲法のレベルで決定されなければならないのである。
その配分基準として述べた補完性原理というのは、欧州統合の過程で確立し、今日では広く世界的に認められるようになった原理である。その内容を一言でいえば、行政は、できるだけ国民にとって身近な機関によって行われるべきだ、とする。
EUの中核であるドイツを例にして説明すると、行政は、市町村が第一に担当するべきで、そこが担当することができないか、不適切な場合には郡が、郡が不適切な場合には県(県がない州もある)が、そして、それらの地方自治体が担当するのが不適切な問題は州が担当し、そこが担当することが不適切な場合等に国が担当し、国が担当することが不適切な問題等だけをEUが担当する、という基準で、階層別に住み分けている。
フランスの場合、前述した2003年の憲法改正で、72条で、明確に地方自治に関し、補完性(subsidiarité)の原則を定めた。
日本の場合にも、この補完性という考え方で、国と地方自治体、あるいは地方自治体中の都道府県と市町村の権限を配分するのが妥当と考えられる。
日本に引き直して説明すると、家の前の溝があふれたのに、一々霞ヶ関まで文句を言いに行かねばならない、というのは馬鹿げた話で、市町村役場に怒鳴り込めば解決できる、というのが行政のあるべき姿である。しかし、単一の市町村レベルでは解決できない問題であれば、市町村を包括する広域地方公共団体が担当するのが正しいという事になります。今の例であれば、溝があふれた原因が、その元となっている川が氾濫したためだということになれば、市町村での対応は不可能なので、その川が流れている都道府県が対応するべきである。そして、問題が一つの県では対応できない広域の原因であれば、都道府県を包括している国が対応することになります。県内の川が氾濫した原因が、例えば利根川の治水に元々の原因があるなら、それは国が対応してくれる必要がある。
この補完性原理によって、国、都道府県、市町村相互の権限を配分するべき事は、平成11年度地方自治法大改正によって、既に明記されるに至っている。すなわち、現行地方自治法2条2項は
「普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。」
として、地方公共団体が、地域における事務をすべて担当する事としている。換言すれば、それについては国が担当することはできない。そして、同3項は
「市町村は、基礎的な地方公共団体として、第五項において都道府県が処理するものとされているものを除き、一般的に、前項の事務を処理するものとする」
と定めて、この地域に関する事務については、市町村が原則として事務処理を行うことを明らかにしている。
それに対して、都道府県については同5項で
「市町村を包括する広域の地方公共団体として、第二項の事務で、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする。」
と定めている。補完性原理が端的に表明されていることが判るであろう。
先に2項の反対解釈として示した国の権限を、この5項を換言して表現するならば、
国は「都道府県を包括する広域機関として、広域にわたるもの、都道府県に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の都道府県が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする」
事になると考えられる。
地域住民の共同体意識に支えられた団体が存在し、身近な行政は当該地方自治体が必ずその担い手となることが要請されて、初めて真の地方自治が確保できることになるのである。補完性原理は、この事を述べているのであり、地方自治の中核概念として理解されるべきなのである。
四 地方自治の主体(地方自治の保障される地方公共団体)
(一) 地方公共団体の種類と問題の所在
マッカーサー草案は、地方自治の保障を定めるに当たり、その享有主体として、86条では府県(Prefecture)及び市町とし、87条では都(Metropolitan Areas)、市(City)及び町(Town)と、それぞれ表現を異ならせつつ、限定的に述べていた(同草案87条参照)。この87条の文言による限り、マッカーサー草案が想定した地方自治は、都及び市町という基礎的レベルの地方公共団体のみであって、それを包括する広域地方公共団体は含まれない都考えざるを得ない。しかし、日本側では、憲法でそこまで固定的に定めたのでは、将来における制度改革などを拘束し窮屈であろうという考えから、すべて地方公共団体という包括的名称に統一した。
現行地方自治法は、地方公共団体を、普通地方公共団体と特別地方公共団体の2種類に分類する。そして、普通地方公共団体については、都道府県及び市町村という2段階構造を認め、また、特別地方公共団体に関しては、東京都特別区、地方公共団体の組合、財産区及び地方開発事業団としている(1条の2)。
その結果、現行制度におけるどの地方公共団体が地方自治権の享有主体なのかという問題が発生することとなった。すなわち、憲法が地方自治権を保障している地方公共団体とは、このすべてをいうのか、それとも、その一部に限るのか、という点である。実際問題として、特別地方公共団体のうち、東京都特別区だけが住民をその構成員とする地方公共団体であるので、その廃止や長の直接選挙権を法律で奪うことが憲法違反とならないか、という点が問題になった。
マッカーサー草案との絡みでいえば、これが現行の2段階自治制度、特に上部構造であるところの都道府県までを憲法は保障しているのか、ということである。もし、憲法保障が単層自治体制度であるということになれば、都道府県を廃止して、市町村という単層地方自治制度に法律で改めることも、そして同じ2層制でも、上部構造を道州制の導入も、法律で自由になし得ることになる。
これらはいずれも基本的には憲法にいう地方公共団体をどのような意味で把握するかによって決する問題である。そこで、それに関する判例と学説を眺めてみることにしたい。
(二) 判例
最高裁判所は、東京都特別区が、憲法上の地方公共団体といいうるか否かが問題となった事件において、次のような定義を与えた。
「地方公共団体と言い得るためには、単に法律で地方公共団体として取り扱われているということだけでは足らず、事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体意識を持っているという社会的基盤が存在し、沿革的に見ても、また現実の行政の上においても、相当程度の自主立法権、自主行政権、自主財政権等地方自治の基本的な権能を付与された地域団体であることを必要とする」(百選Ⅱ、436頁)
これを簡単に整理すると、次のような一連の要件のすべてが存在することを要求していると考えることができる。
① 法律で地方公共団体として取り扱われている
② 事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体意識を持っているという社会的基盤が存在している。
③ 沿革的に見ても、また現実の行政の上においても、相当程度の自主立法権、自主行政権、自主財政権等地方自治の基本的な権能を付与された地域団体である。
このうち、①と③は、明らかに狭義の伝来説に基づく要件であることが判るであろう。①は現に法律で地方公共団体と扱われていることを要件にしており、③は沿革、すなわち過去において、実質的に自治権を享有していたことを要求しているからである。しかし、過去や現在の法律によって、憲法上の自治権の享有主体か否かを決定することは、明らかに狭義の伝来説に基づく要求であって、制度的保障説に馴染まない。
したがって、実務も制度的保障説に立つようになった今日においては、②の要件だけが判例として意味をもっていると考えるべきであろう。
(三) 学説の概況
学説は、きわめて区々に分かれている。学説を大きく分類整理すると、多段階性を憲法上の要請と考える説(憲法説)と、国会の自由と考える説(立法裁量説)に大別できる。
戦後すぐの頃は、圧倒的に立法裁量説が強かったと言える。先に紹介したとおり、マッカーサー草案は、明確に市町村レベルだけについて地方自治を保障していたのは、その端的な表れである。また、当時有力であった狭義の伝来説と結びついていたためである。冒頭に述べた第4自治法制度調査会答申も、同様に立法裁量説に立っていたからこそ、意識的に憲法93条とは異なる地方制度を提案したのである。
しかし、制度的保障説が強くなるとともに、憲法説が強くなっていった。今では、次の説が存在しているということができる。
1 立法者意思説
制度的保障説を採る場合にも、団体自体が憲法的保障ととらえるのは当然として、多段階性については、立法裁量説が強かった。代表例として、宮沢俊義を見てみよう。
「なにが『地方自治の本旨』であるかといえば、〈中略〉全国の区域が原則として地方公共団体の区域に区分され、その各地域における公共事務が、多かれ少なかれ国から独立に、その地方公共団体の事務として、その住民の参与によって、処理される体制の存することをいうと解される。したがって、たとえば、府県から地方公共団体たる性格を奪い、市町村だけを地方公共団体とすることにしてもーもちろん、そうすることの立法政策上の当否は別問題としてー、ただちに『地方自治の本旨』に反するとして、憲法違反になるとはいえない。また、市町村の制度が将来変わることも、当然に容認されるといわなくてはなるまい。さらに、現在以上に地方公共団体が増えることも、むろん可能である。たとえば、郡が地方公共団体として復活するとか、地方公共団体としての道州が新たに設けられるという改正も、もちろん可能である。」(『日本国憲法』芦部信喜補訂版762頁以下より引用)
これに対して、憲法が地方自治の多段階構造を保障しているという考え方も古くからあった。代表例として、『註解日本国憲法』は、次のように説明する。
「新憲法は、民主政治の一環として、否、その基礎として、地方自治の重要な意義を認め、殊に、過去のわが国の府県行政の中央集権的官僚制が持った欠陥を排除し、依り徹底した地方分権と地方行政の民主化を意図したものであると解せられるからである。尤も、府県や市町村の単位又は規模をどうするかは、時代の趨勢に伴って変遷もしようし、そこで処理すべき事務又は権能の範囲も、時と共に推移するであろうが、府県と市町村とを、共に普遍的な地方公共団体として、原則的に承認することを建前とし、これらの地方公共団体については、常に、憲法92条ないし95条の規定の適用を認める趣旨と解すべきであろう。〈中略〉現在、認められている地方公共団体の外に、道州のような広域地方公共団体を認めるとか、すべての郡を地方公共団体として復活するとか、新しく学区という地方公共団体を設けるとかすることができるか。これらは、法律の定めるところに委ねられていると解すべきであろう。」(1376頁)
要するに、2段階より増やすのは構わないが、憲法制定の時点に存在していた2段階構造を廃止することは許されないという考え方である。
これに対して、同じように2段階構造が憲法上の保障と考えつつ、上層構造の都道府県については、道州制に変更する余地があるとする考え方もある。代表例として、伊藤正己の主張を見てみよう。伊藤は、「都道府県は、かつては知事が官吏として政府より任命され、中央政府の指揮監督を受けていたという沿革があり、その意味では不完全な自治体であったし、現在も第二次的な自治体と考えられている。」という点を指摘した上で、次のように論ずる。
「憲法が地方自治を尊重し、強化しようとする趣旨からいって、市町村や都道府県から地方公共団体としての地位を濫りに奪うことは許されないと解される。しかし、実際上問題とされるような、都道府県を統併合して現行より地域の広いいわゆる『道州制』を設けることとしても、そこに地方公共団体としての諸権能が維持されているならば、直ちに違法ということはできないであろう。これに対し、都道府県から自治権を奪って国の行政区画としたり、それらを完全に廃止し市町村のみを地方自治の対象とすることについては違憲の疑いが強くなる。憲法は、その制定時に長年存続していた府県制・市町村制を前提として地方自治の保障を定めたものと解されるからである。そう考えると、憲法は、地方公共団体の二重の構造を保障しているというべきであり、その構造を変更することには違憲の疑いが掛けられる。」(『憲法』〔第3版〕603頁以下より引用)
この見解は、本問の考え方そのものであることが判るであろう。
ところで、このように眺めてきて、これらの見解に共通する主張に気がついたであろうか。伊藤正己の引用文の最後に端的に述べられているとおり、ここでは、92条の保障対象になっている地方公共団体とは、「憲法制定当時地方公共団体として予定されていた都道府県及び市町村を指す」という考え方を何れも採用しているのである。これを「立法者意思説」という。このような考え方をとる限り、立法者が想定していなかった、道州制の導入は許されない、とする方向に解釈されることになる。
2 社会情勢説
この立法者意思説は、基本的に憲法制定当時の地方自治制度に固執するという姿勢を示すことになり、明らかに不合理という印象を与えることになる。そこで、橋本公旦は次のように主張する。
「憲法の要請するところは、このような基本精神に適合するように地方公共団体の組織および運営に関する事項を法律で定めることである。したがって、社会的、経済的条件の変化により何が『地方公共団体』であるかということも変わることがあると見るべきであろう。
明治憲法から日本国憲法への移行過程において、地方自治法により、市町村が基礎的地方公共団体としてその存立を尊重されただけでなく、不完全自治体であった府県が完全自治体とされたことは、右に述べた憲法の趣旨に適合するものであった。そして、現在の時点においても、なおこの点について基本的な変化は生じていないように思われる。しかし、産業・交通・通信の発達、人口の移動、大都市生活圏の拡大、社会生活の多元化その他諸条件の変化を見ると、都道府県、市町村の重層構造に改革を加えることも将来あり得るであろう。」(『憲法』現代法律学全集2,青林書院新社、586頁より引用)
この考えに従った場合には、産業・交通・通信の発達以下の一連の社会情勢の変化によっては、道州制の導入も許されることになる。問題は、どの程度、どのような変化が生じた場合に、道州制の導入が許されるのかが、全く見えないことである。
3 住民意思説
通常、成文法の解釈において、立法者の意思は、特に成文化されていない限り(たとえば近時の法律の冒頭に掲げられている法律の目的に関する記述がその典型)、解釈を拘束することはない。その意味からすれば、立法者の意思ではなく、地方自治の本旨に関する解釈論から、多重構造の憲法的意義を考えるべきだとする考えが出てくるのは当然である。
その典型例を佐藤幸治に見てみよう。佐藤幸治は、憲法上の地方公共団体を次のように定義する。
「地方自治は、地域的に共通の行政需要を媒介に、少なくとも潜在的に地域的共同体意識を持ちうる住民が、自己のため自らの手によって統治を行うことであるから、憲法にいう『地方公共団体』もその様な実質を備えた存在であると見なければならない」(『憲法』〔第3版〕270頁より引用)
原文が、傍点を振ってある二つの言葉が、それぞれ団体自治と住民自治を表現したものであることが判ると思う。これを受けて、佐藤は道州制の問題について次のように述べる。
「立憲民主主義の観点から中央と地方との関係を改革すべく、都道府県よりもより大きな政治単位を設け、それに憲法が地方自治に関して定める組織や権能を与え、それとの関連で府県制を廃止するというような場合ならばともかく、濫りに都道府県から憲法上の地方公共団体としての地位を奪うことは許されないと解される。」(同上)
要するに、「地域の住民がその住民としての共同体意識を有しているかどうかに力点があるとする説」なので、これを「住民意思説」という。
(四) 私見
学説がこのように区々に分かれている状態であるので、諸君としては、ここに紹介したどの説をとって論文を書いてくれても構わない。ただ、先に紹介した最高裁判例との整合性からいっても、住民意思説が穏当であることは明らかであろう。
私自身は、基本的には住民意思説に依りつつ、先に紹介した第3の中核概念としての補完性原理を重視する立場から、基本的に、多重構造は憲法の要求するところと考える点が、他説と若干相違することになる。そして、重層構造を前提とした上で、地方公共団体の概念を考える場合には、憲法の解釈法学として、地方自治の本旨を構成するところの住民自治と団体自治の二つの理念を現に満たしている団体であるか否かにより決定されるべきである。
今日の憲法において、地方自治が認められるようになった根拠が、中央と地方の分離による全体主義の防止という自由主義的要請にあることを考えると、このうち、主体性を考える上で重要なのは団体自治概念である。そして、団体自治の主体となる団体か否かは、最高裁判所の指摘するとおり、「事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体意識を持っているという社会的基盤が存在する事」を必要とするとともに、それをもって足りると言うべきである。
なお、一般にここに挙げた住民の共同体意識というメルクマールは、住民自治のメルクマールと誤解している人がよくある。しかし、住民自治は地方公共団体内部における民主主義的意思決定を要求する理念であって、地域団体の成立そのものに住民の意思を要求するものではない。団体の成立を決定する住民の意思は、団体自治のメルクマールと把握するべきである。
現行地方自治制度は都道府県と市町村の重層的地方自治制度については、わが国では封建時代より、長きにわたってそうした重層的自治制度になじんできており、通常の住民は2重の帰属意思を有していると認められ、また、地方に分権するべき業務にもそうした広狭2段階の存在が標準的に存在していると認められるから、現状においては、こうした2段階地方自治制度そのものが、現行地方自治制度の本旨を形成し、法律によって市町村のみの1段階地方制度を導入することは原則として許されないものと言うべきである。
問題は、道州制を導入しうるだけの広域的な共同体意識が成長しているかどうかである。社会情勢変化説が、正しく指摘しているように、広域的な共同体意識が存在しているか否かの決め手になるのは、「産業・交通・通信の発達、人口の移動、大都市生活圏の拡大、社会生活の多元化」などのファクターの変化により、道や州制度を導入できるだけの状態が全国的に誕生しているか否かであろう。
現実として、道州制というものが導入されていない状況下で、道や州の住民という意識が人々にあるか、といえば大いに疑問である。
実は、政府はこの問題に対し、きわめて巧妙な対策を講じている。それが「道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律」(平成18年法律第116号)である。同法第3条は理念と題して次のように述べる。
「道州制特別区域における広域行政の推進(以下単に「広域行政の推進」という。)は、広域に分散して存在する産業、福祉、文化等の有する機能及び経済活動、社会活動その他の活動に利用される資源を有効かつ適切に組み合わせて一体的に活用することを旨として、行われなければならない。
広域行政の推進は、その区域内の各地域の特性に配慮しつつ、各地域における住民の福祉の向上並びに経済及び社会の発展に寄与することを旨として、行われなければならない。
広域行政の推進は、国と特定広域団体との適切な役割分担及び密接な連携の下に特定広域団体の自主性及び自立性が十分に発揮されることを旨として、行われなければならない。
簡単に言えば、道州制特区というものを作り、一定の権限をそこに与えることによって、広域に渡る文化的一体性を徐々に作り出し、人々に共同体意識を持たせようという狙いの立法なのである。それによって、十分な共同体意識が生まれれば、道州制の導入は当然に許されると言うことになる。